2012年12月31日月曜日

一年のブログから

瓦礫が除去されてオープンしたマスト

*3・11大津波で書店が一軒もなくなってしまった大槌町で、書店経営経験のな
 い木村さん夫婦が、シーサイドタウン・マスト1階に本屋をオープンした。
 書籍・雑誌取次のトーハンの後押しで実現した一頁堂書店は、実績のない素人
 で苦労も多いが「復興の一頁はここから始まる」との思いで奮闘中です!

*小正月の時期に、恒例になっているファミリースキーを軽井沢で楽しむ。

*2月、北杜市のH邸ログハウスでの寒味噌作りに、2回目の参加。

*4月7日に、恥ずかしながら僕を囲む会が催され、126名もの方々に参集いた
 だきました。忘れられない桜満開の宴となりました。心より感謝いたします。

*オープンした大槌町吉里吉里浪板海岸の「森の図書館」を5月に訪ねる。主宰
 者の佐々木格さんとNPO<大槌の風>について打ち合わせをする。

*6月と7月二度、八重山諸島へ行くことが出来ました。
 6月は長年、宮古島、八重山諸島をフィールドワークしているSm女史の引率に
 ドイツ文学者Yhや雑穀・種の普及同好会メンバーに僕が乗っかった、民俗紀行
 というところでしょうか。4年前にも石垣島北端の平野部落は訪ねていて交流が
 あるので、またまた親しみ深くなりました。風葬、祭祀の話しに聞き入る。

*7月は、Gyo招待の10日間(台風襲来で延長)の優雅なコンチネンタルH滞在の
 八重山諸島石垣島バカンスだった。
 余裕の時間に、前回、前々回の来島で知れた所や島巡りもしました。
 さすがに、台風で飛行機が欠航になって2日間のホテル缶詰めには参りました。
 このシーズンの旅行は、事前に台風を避けないとトンでもないことになる。

*今年、100万部を超えるミリオンセラーは『聞く力』(阿川佐和子著/文春新書)
 わずか一冊だけだった。文芸書が低調だったのか。それとも、電子書籍の普及
 が本格化し出していることで読書手段が変化する潮目の兆候があるのだろうか。

*12月衆院選で自公が325議席を獲得。民主は57議席の惨敗。

*5位に終わった阪神タイガースのことも。
 数多くの記録を打ち立てた金本憲知の引退、メジャーでも活躍した城島健司も
 引退。ドラフトで4球団競合の末に引き当て藤波晋太郎を獲得。そして、鳥谷敬
 のチーム残留がうれしい!

*12月12日、大槌の風特定非営利活動法人 成立。 
 12月24日、東京法務局に行き、登記簿取得する。
 
*大学時代から出版業界まで長く続いた親友・出口米次郎君が上顎洞がんで他
 界する。
*草野球カンバイズと出版営業で交流のあった若い北川友一郎君が喉頭がんで
 死去。

色々あった2012年も、日付けが変わる瞬間に向かって秒読みに入りました。
みなさま良いお年を。

2012年12月30日日曜日

東京新聞記者とSm女史と


Smさんが東京新聞Mk記者に取材を受けることになり、立ち会いました。
彼女は被災地大槌町の地産農産物、海産物、手芸品等を預かり、東京の仲間たち
に支援(購入)を促しているが、協力者の輪が微々ながら広がっている。
中心のテーマは、被災地への関心低下が懸念されなかでの、遠隔地・大槌町と東京
在の支援活動、体制の聞き込みのようだった。
仮設住宅からやっと外に出て生計を考え始めた物品生産者であり販売者であるとこ
ろのオババたちから聞こえてくる声は、復興行政に対する不満でいっぱいのようです。
こうした事情も、一方の情報で一方的批判が出来ない状況ゆえに、直接取材の要請
もあわせてしました。
僕からは、大槌町へ数度行くなかで見聞きしたことと、佐々木さんの「森の図書館」が
被災地の子どもたちで賑わっていることなどを報告させてもらいました。

後日、Sm女史から次のような提案を受けました。
「新年になったら、現地の六Kさんに電話して、本気で東京に来ることができるかどう
か話してみます。
私は大槌の停滞する復興の状況を「ミニ講演会・現地報告会」を小さな所で、何か所
かできるといいと思っています。
それを藤森さんの「NPO大槌の風」主催でやってもらえれば一番いいと思っています。
もちろん私も主要に動きます。
それに東京新聞と他のメデアがのって、大きな会ができるならそれに私たちものるの
がいいかと思います。
最近、神奈川新聞の人とも知り合いになりました。
正月休みにできる範囲の構想を練ってください。」

ちょっと、荷が重い思いと一方でこの程度の支援活動なら実行していくことで、支援
組織への提言がもらえて生気が出るのかなと考えているところです。

2012年12月29日土曜日

久しぶりに洋泉社へ

1998年7月社屋移転(八木ビル)

定例の水曜会のあと、洋泉社に寄る。
久しぶりだったが、何も変わることなく皆いきいきと仕事していた。
今年も新刊点数200冊以上になるらしく、着実にステップアップしている様子が
窺え安堵しました。
書籍部門では、『新世紀読書大全』(柳下毅一郎著/3,800円)はじめ高定価本
数点が増刷になるとか、映画秘宝グループの単行本およびムック本もおしなべ
て好調、さらに健康もの実用書でベストセラーが生まれたりで活気が漲っていた。
編集作法としても、パイが大きい歴史MOOKの作り込みで読者志向の掘り下げ
成功に自信を得たのか、一冊一冊がレヴェルアップしてきているよううに見える。

新書yの刊行が定期刊行でなくなりつつあるのが、やや寂しいところか。
Tnに会い立ち話しだったが、極端な体重減に見受けられ心配だ。


12/22(土)  *冬至だった。
           幼少の田舎から今に至るまで、冬至の日には、
           柚子風呂に入る慣わしは変わっていない。
           この日も庭のゆず木で採った3個が浮かぶなか
           に揺ったりつかり至福のときを得た。
           ゆず酢とゆず料理が大好きということもあって、
           庭の片隅に自分で育てた30年物のゆずの木が
           ある。
           一年中、ゆず酢を切らすことなく常備しており、
           毎日の料理に大いに活躍してもらっている。 

2012年12月27日木曜日

大槌の風/ブログ一周年!

大槌駅ロータリーから中心街


昨年の12月26日に発信を始めたmyブログは、この26日でまるまる1年にな
った。
当初は<NPO大槌の風>のHP立ち上げを検討していたところ、よきアシスト
Smが、経費の掛からないブログの利用を薦めてくれたのであった。
つぶやきと言うよりは、硬いレポート風なモノに、ついて来てくださった皆々様
に感謝しています。
この1年は公私にわたりさまざまな事が生起しました。そうしたなかでブログを
更新しつづける行為に戸惑いがありました。最初の頃は無我夢中でよかった
のですが、次第に体裁よくまとめようとする思考回路に入り停滞期がありまし
た。
日頃の活動における移ろいと、歳柄を勘案するなら、生活のなかの些細なこ
とと位置付けた方がいいのかもしれません。
このブログは、自宅にあるにわか仕立ての仮事務所と、居間のテーブルの上
に、パソコンを移動しながら書いています。椅子に座ったり、座卓の座布団に
座ったり、落ち着きなくキーボードを叩いています。
都心まで電車で1時間半かかる福生から、羽村に住むようになって45年にも
なりました。つい最近までの規則正しい時間生活は、朝6時過ぎに起きて7時
半には家を出て満員電車に揺られて会社に向かうものだった。
それが、6月から終日拘束されることがなくなったものだから、時間調整に苦
慮しています。

「大槌町の子供とお母さんへ本を送る様子をお伝えしていきます」のアピール
(広報)を主目的とするブログですが、第一の課題だった本を届ける事業が、
吉里吉里浪板海岸にオープンした<森の図書館>(佐々木格さん主宰)に蔵
書することで一段落したところ、次のステップへ踏み出すコトを検討しています。
これからも<NPO大槌の風>とブログを応援してください。



2012年12月26日水曜日

新聞を読む




今年も残り少ない日数をのこすのみになりました。
年々、一年の経つ時間感覚が早まって感じられるなかで、今年一年、何に取組ん
できたのか振り返ってみようと思っていた矢先に、数種類の新聞を受け取った。
会社から自宅中心に仕事を移行したことで、閲覧用新聞がまとめて届けられたの
である。
この一年の書評紙及び業界紙に目を通す。古い日付の新聞の再読と、ここ数ヶ月
の主要記事を半日かけてチェックすることができた。

【日々の一口メモ】
12/14(金)  *夜の忘年会(討ち入り)の前に、日販雑誌仕入
           による。
                         Oさんと懇談。文教堂グループ他の帳合変更に
           ついて、その推移などを聞く。二大取次が中、小
           取次を駆逐している傾向がますます強まってき
           ている。

12/16(日)  *年賀状の準備にかかる。
           大槌の風 特定非営利活動法人 のアピールの
           シンプルな文案にする。

12/18(火)  *倉敷の弟と電話で『美作の風』(今井絵美子著)
           の津山藩で起きた山中一揆について話す。
           彼の菩提寺がある所周辺の農民騒擾で、映画
           化の計画があるらしい。
           
12/19(水)  *Ht行政書士へ、大槌の風 の法人登記完了に
           つき、お礼。今後のサポートを約してくれる。

12/21(金)  *GyoがCM制作で雪の山形へ出かけるので一足
           早いクリスマスに同席した。完璧なサンタに扮した
           Gyoが突然玄関の戸を叩いて進入し5歳のハル
           に包みを手渡したときは、ビックリして後ずさりし
           てしまった。そして、ハルは未だリアルに信じてい
           る風情に見えたが、、、どうだろう。 

2012年12月24日月曜日

出版営業の大先輩カマさん

鎌さんという、会えば必ず出版営業について熱を帯る会話になる出版人がいる。
しかも出版の現場から退いて既に10年になろうとしているのであるが、出版流通
の問題から知っている出版人、書店人、取次のキーマンだった方の話で、未だに
教えられることが多くある。


先日は、一対一で杯を交わしたことがないね、と云いながら語らった。
社会思想社がベストセラーになった『ルーツ』を出した時の営業担当で当時、経験
したことが、返品の抑制と責任販売制を真剣に考える端緒になっていたようです。
返品を取次さん段階でプールし手薄な書店さんへローリングして有効利用する方
策など、この時期既に実行されていたのだから画期的なことです。
「売り損じてもいいから、売り残すな」を実践していたということです。
昨今では、この路線は取次さん主導になり、徹底した蛇口段階での送品規制によ
る返品の抑制と、責任販売制による書店マージンの優遇で差別化をはかることで
書店経営向上と健全化に向かっているように見えます。
出版版元は、ますます厳しい対応を迫られることになって行くのは自明のようです。



2012年12月22日土曜日

あのアキバで忘年会

W二+αの会忘年会が例年よりすこし早めにあった。場所はあのアキバで。
秋葉原駅にはパソコンのモバイル機器のことと、知人の居酒屋「新撰組」オー
プンに出かけて以来、降り立つことがなく、この夜の忘年会の場所探しでも迷い
に迷ってやっと辿り着いた。

話題はもっぱらラクビーと、先に手にした冊子・「奥田正一追悼集」をめぐって、
錯綜する話になった。奥田さんについたは、「60年安保」のメモリアルで時代を
共有した人が登場するわ、珍しい写真もあって勝手に話が弾んだ。
Hs,Hh,Ih,Ot,Hk,Kn,Dyさんらで亡くなった人もいてそれぞれの想いが
綿々となった。

さらに、Yiさんが熊本出身であることから、石牟礼道子さんと熊本日日新聞の話
にも及んだのであった。
洋泉社から『黒船前夜』(大仏次郎賞受賞)の著作がある渡辺京二氏が石牟礼
道子さんの庵をたびたび訪ね励ましているが、病もあって「いつ行くかわからん
とよ」と、直接会話したKさんから知らされた。
石牟礼さんの著作は、60年代に谷川雁、上野英信のものと一緒に読み漁った
し、大曲にあった現代思潮社でお会いしたことがある。
熊本日日新聞については、この会が始まる直前に一席となった鎌さんが役員だ
った社会思想社創業者が、熊日の河合栄治郎門下生の「社会思想研究会」の
出版部が基であったことを知っていたので妙な感じになった。

この席にいるはずの出口くんが居ないのが淋しい。
彼は大槌町を訪ねているので、その後の「復興」の写真を持って病院へ駆けつ
けたのが5月の金環蝕の日で、それから20日後には別れとなってしまった。


2012年12月20日木曜日

あの石原慎太郎東京都知事認証最後の押印



大槌の風の特定非営利活動法人申請を準備して、やっと法人登記を完了しま
した。
猪瀬都政に替わる前、石原都知事が認証する最後の押印ということになります。
NPO法人認証はさておいて、この一年、あれこれ活動をしてきたわけで、この事
で何か大きく変わることがあるわけではありません。
強いて言えば、もっと公的にNPO活動のアピールができ、広く協賛者を得て個人
から組織的な動きへシフトすることが可能になったことでしょうか。

既に、当初目指していた「3・11大津波で壊滅的被害を受けた岩手県大槌町の
子どもたちへほんをとどける」事業は、佐々木さん主宰の石造りの小さな「森の図
書館」を埋める本が寄せられることで果たされています。
<大槌の風>の呼びかけなどに呼応する多数の方たちと、マスコミの協力があっ
てなし得たことです。
今では、町が壊滅して遊び場の少ない子どもたちが嬉々として集まっています。
昨年の秋、この場所で佐々木夫妻とお話したときは、未だ「被災地の子に読書に
良い環境があって、読み聞かをせできる場があれば、、、」と、アイデアの熟考中
の段階でした。
これからは、本のメンテナンスが恒常的に出来る体制と読み聞かせを組織化す
るなどのサポートに力を注いで見たいと思っています。

2012年12月17日月曜日

大槌町大震災津波復興計画は

菩提寺から大槌湾(2012・3・31影)

第1期の復興基本実施計画がこの6月に策定されたが、現在の取り組み状況は、
どんな具合なのだろうか。
大槌町の被災したオバチャンからの電話やりとりでわかったことですが、町長への
不満が出てきている様子が窺える。
遠く離れた電話の聞き役なので、具体的な事は不明で~声で励ますことしか出来
ない、と、地元の物産を引き受けて東京のグループへ販売支援もしているsM女史
からの話しが入ってきた。
土地の買い取りが始まり、高台の代替地見積交渉に段階的に入っている情報が
あるが、疑問多しの進展らしい。最優先されるべきは、被災した住民の住居および
商店、働き場所の確保であろうに、一般の非被災者も参加しての競争(社会資本
に名を借りた)になっていて、金銭では太刀打ちできなくて躊躇する人が出る状況
らしい。
ここに既に、弱肉強食、金儲け主義が罷り通り始めているように見えて仕方ない。
復興を急がなければならないことは解っていても、災害により住居ごと全て失った
方や、集団移転を余儀なくされた方にとって、急き立てられ捨て身の判断を要求さ
れているように察します。
御祖母ちゃんは、年齢からして家の再興を考えていないようですが、何か孫たちに
故郷が残る施設でも作って欲しいのですが、、。残るのはお墓だけかもしれません。

2012年12月15日土曜日

討ち入りの日 そば処「遊」で

西落合の隠れ家風の佇まいの、そば処・遊 で気心の知れた仲間の忘年会があっ
た。幹事役のエンちゃんの呼びかけて集まったのは、Ya,St,Sh,mY,bSと僕の
7人でした。
案内には、以前に仕事上でクリエイターの招待で訪ねたそば処、とのことでした。
オーナーは信州で修行した方で、編著作が2冊もあるこだわりのそば職人らしい。


そばが嫌いとか、アレルギーとかではありませんが、関西、津山育ちということもあって幼少の
頃、そばをほとんど食せず、もっぱら父の作る手打ちうどんでした。
そば好きは、いろいろ薀蓄豊富な方が多いと思うわけで、僕は不慣れだよ、と場所取りを
したエンちゃんに出席のコメントで一筆記したことで、気を揉ませてしまった。

この宴席でも何時もとたがわず、60年代前後の高校社研、大学での夫々の振る舞いに
ついて遠慮することなくお喋りが弾んだのだった。
bSさんに対する初対面のときのよそおいについて、「(タバコ)左手に(身振り)ポワッー、右
ヴォボワール、肩からはポシェットで、愛嬌あったなー」と言われて、彼女は頭を掻いて
笑いを誘っていました。言われてみれば、この時代のタバコはファッションで、映画のシーンな
どから真似る姿がおおく見られた。

相当酔っ払いましたが、最後に出されたざるそばは、なるほどとと思わせる美味しさでした。



【日々の一口メモ】
12/6(木) *信州の十十木果樹園からお歳暮用にお願いしていた<蜜
                    の多いりんご>が届く。

12/10(月) *歌舞伎町「でん八」で、オーナーMtさんと食ライターだった
                    Mkさんに会う。
         50年足らず前の創業、居酒屋「でん八」では、築地で鮮魚を
         仕入れて美味しい刺身を出して意気込んでいたが、しばらく
         客足が伸びず路線を変えて、おでん中心のメニューにしたと
         か。客筋の話もでて面白かった。

12/12(水) *水曜会に出席。ベトナムへ10日ばかり旅して帰国したTtさ
         んから紀行報告あり。Ssさんと二家族の旅行で、彼のブロ
         グ写真から想像していたとたがわず、熱い旅だったようです。

2012年12月13日木曜日

ボドックス注射!

50歳過ぎから良い方の目が、弱光彩になるとふさがり非常に見難くなってきて
いた。眼瞼麻痺という数少ない病状と云われている。治療で6ヶ月に一度、J医
大神経眼科医にボトックス注射を打ってもらっている。
ところが、この注射液は化学兵器にもなるポツリヌス菌から抽出されるたんぱく
質の一種で、医師の技術は勿論のこと、手続きが大変慎重になされなければ
ならない代物です。危険を承認したうえで、医師に全幅の信頼をおいて処置し
てもらうことになる。
効果はてきめんで、うっとうしさが消え視界が開けて別世界を実感できる。
島先生から酒先生に引き続き診てもらうようになって10年にもなるが、この治療
は面倒なことに、5、6ヶ月でヤク切れになると、予約のうえ繰り返し注射を継続
することになっている。
来春の3、4月までは、目スッキリ、快適に過ごせる、と思うだけで癒しになる。
(ボドックスは、美容整形にも使われているが、神経眼科の加療においては別
扱いになっている。)

【日々の一口メモ】
11/20(火) *MPV左後輪回りの塗装とフォイー
         ル交換をしてもらう。長年にわたる
         マツダのサポートが有難い。

11/22(木) *今日は小雪。暦通り寒く、八王子
         では小雪舞う。暖冬の予想が外れ
         て、積雪も多そう。

11/25(日) *富士山マラソンを走るGyoのラップ
         が気になり、PCに張り付く。
         40歳組にエントリー。

11/29(木) *前日販のKaさんといつもの御徒町
         の寿司屋で、ちょっと早い忘年会。
         論壇風発!

12/3(月)  *中央高速自動車道笹子トンネル
          で、天井落下の大惨事。数トンの
          鉄板をボルト一本で支えているの
          を知って驚く。トンネル完成の時か
          らスキー、信州方面観光で年に数
          回は走るのだが、、、。



2012年12月11日火曜日

被災地三陸で支援活動をする行政書士Htさんと懇談



Htさんに、最初に大槌へ被災者の相談の受け皿で活動入りした時の様子を聞いた
のが昨年の今頃だった。その後、NPO設立手続きで指導いただき、やっと、登記を
完了するまで至ったのである。
想定したより、諸々準備する事と、物が、必要で勉強させられた。


定款を準備して東京都庁へ申請書を提出して、受付られ開示縦覧期間4ヶ月、その
間に犯歴とか綿密な審査がなされて認証にいたる。このところ法人を悪用した詐欺
などの犯罪が多々発生しており、厳しい審査になっているのであろう。
<大槌の風>について疑義は全く出なかったと聞いている。
NPO法人について、取得しておけば活動がし易いぐらいに、安易に取り掛かったの
が間違いだった。来年9月末には決算が生じるし、そのために台帳やら活動記録を
作らなければならず大変だ~。


以後も、Htさんにアドバイスして頂けることになった。
これからはもう少し公的に交流会とか、行政(都、市)ほかに支援の要請とか、の組
織的な動きに転じようと思っている。
プレス会見を開いてアピールせよ、との提案も出ているが。
朝日新聞全国版、読売新聞などで報じられた活動の一端を有効利用する。
他のNPOとの提携、若いスタッフの確保で精神のリレーを。

そして最も身近にある、直接被災した親戚縁故者の再起(やっと現実直視)・復興に
どう関われるのか、一番難しい課題です。

2012年12月9日日曜日

記憶を記録として遺す事とは



7日に三陸沖震源の7・3マグニチュードの余震があった。1年9ヶ月前に東日本大
震災を経験して、被災地大槌町に再三に亘り足を踏み入れているにも拘らず、たち
振る舞いにズレがあったようにかんじている。
情報の洪水のなかで日々、薄れ行く記憶がある。震災後の津波で消失した瓦礫だ
けの現場にいた、というのにである。
公的には「復興構想」などで、「大震災の記録を永遠に残し、その教訓を次世代に
伝える」と掲げられているものの、現実には見えてこない。
僕は何も大それたコトをしようなど毛頭ないが、少しでも聞き書きすること、記録映
像に留めおくことは、機会あるごとにやっておきたいと思っている。
毎月送ってもらっている「広報・おおつち」と、「森の図書館」情報から、やっと進み
始めた町の復興の進捗具合とか、祭祀儀礼の文化活動の復活がなされてきてい
るな、と感じる事例を知ることになる。この復興の事例が記録され、伝承されること
で大切な財産になると思う。

【本の周辺】
*モリさんから創英社刊『公園・庭園図鑑』をも
 らう。ちょっと出かけるとき、車の中において
 あっていいハンディな図鑑。
 姉妹編に『草花・雑草図鑑』、『街路樹・公園
 樹・庭木図鑑』あり。(創英社刊/各1,365円)

2012年12月7日金曜日

三省堂書店にMmありの時代を共有して

大島/モリ会


今日、三省堂書店のMmさんとStと三人で神田のふぐ料理屋で一献と相成った。
本来この会には、Wk君が居るところ風邪と血圧の急騰で欠席の連絡があった。
200以上に上昇した血圧のことが心配になる。
Mmさんは同じ職場で42年を全うし、近く重責から解放されてのんびり出来ると、
言う。

思えば、Mmさんが入社して間のないときら、店長時代、役員になってからも何か
につけ商談をもちかけその度に快く応じてもらってきた。
彼曰く、「白水社St御大には色々便宜をはかってもらったことが多々ある」と、僕
には「未来社の在庫僅少本フェアとか、店売時代が懐かしい」と、逆感謝をもらう。
遊びでも、草野球で三省堂書店チームと僕等の所属するカンバイズと対抗戦をし
たり、毎年恒例になっていた「大島モリ釣り会」の仲間に入れてもらいダイビングに
興じたり、と親しく付き合ってきました。
老兵は去るべしと言いつつ、次へのリレーがしっかりできているようだ。高田馬場
店に新入社員でいた時から面識のあるM常務や外販でお世話になったS役員等
若手に移行なって活躍中なのがいい。

話が盛り上がっている時に、強い地震を感じた。後で知ったのだが、また三陸沖
震源でマグニチュード7・3だという。「これ、大きいぞ!」「怖い!」と、隣りのStが
慌てて情報収集にはしる。
3・11あの日から1年9ヶ月の余震だという。ついつい災間のことを考えてしまう。
何時の日か必ず震災に襲われるのだから、期間が長いか、短いかの差しかない
と思わなければならない。
揺れの直後にYuからメールが入った。「前ほどではないが、三陸沖震源らしい。
義娘の母親の安否を!」と。
今、妙に冷静だった自分が気になる。コトの事態を正しく恐怖し、何をなすべきか
で迷い、難しさを反省する。

間合いがあって、[NPO・大槌の風〕の理事でもあるStから、Mmに支援の要請発
言がある。彼も、北海道の縁あるところへ本をおくって支援していることを知る。
お互い出来ることからゆるい提携を約す。
お開きの前に、Mmさんから後に引けない一言、、、の決意を聞くこととなったが、
期待しよう!

奥田正一さん追悼と60年安保メモリアルブック



僕の大学入学時、奥田さんは4年だったが、60年安保闘争真っ只中の年で学年の
上下関係にあまり拘りなく接した年上の何人かの一人です。
同じシーンのなかに、既に鬼籍入りしてしまったHs、Hh氏等もいた。
あの時代、彼らは高校で既に社研とか唯研とか歴研とか新聞会でクラブ活動をし、
勤評闘争、砂川闘争を経験して大学になだれ込んできている雰囲気があった。
奥田さんと僕は活動を同じくする側ではなかったのですが、専修が一緒だったので
演劇クラスのコンパにオルガナイザーで参入してきた時にはじめって喋った。
クラスには、4月の「激励会」に出てきて司会、しめをしてくれた濱田、寺村、後藤君
のほかに、民芸で役者になった伊藤豪さん、映画「野菊の如き君なりき」主演女優
の有田紀子さんらがいた。

去る7月31日に亡くなって、一ヵ月後にはしのぶ会が大隈会館で催され、その政治
の時代をともにした仲間たちによる追悼文集が出来あがったことに敬服いたします。
特に、奥田さんと同時代を一時期共有したYiさんにあっては、彼が病に臥してから
ずっと身近に接してこられ、続いて短い期間のうちに冊子を仕上げらた。その原動
力は60年安保を史実として残したい意志の語り部にあると察しました。
奥田さんとのその後の面対は、長く年月が経って既に体調不良になっている時期
で、Yiさんも同席の宴席でした。党派が違っただけではなくて、奥田さんは僕より一
回り上でしたのですれ違いのまま、随分の時が経ってしまいました。
が、僕の知っている多く皆様から寄せられた言葉で知るにつけ、老いて衰えることな
く同時代を輝くように生き抜かれたという実感を深くいたします。

2012年12月5日水曜日

生臭い話題が気になる!



この数ヶ月は週に二度ぐらいしか都心に出ないのだが、取次、書店、出版社関係者
に会う機会が多い。
今日もN社で話す機会があって、中間決算は減収と聞いた。丸善の一部店や文教
堂の日販への取引口座変更があり、アマゾンジャパンへの攻勢があったにもかかわ
らず減収とは、これ如何?
ここ数年にわたって雑誌部門の落ち込みが足をひっぱて来たが、今年はさらに書
籍が不振のようだ。確かに単行本にも新書にもミリオンセラーがなかったし、目立つ
ベストセラーも見受けられなかった。
簡単には言えないが、この一年のスマートフォン等の急速な普及に脅威を感じる。
10代、20代、、の若い世代を見ていて単行本を読んでいる風景は皆無に等しく、
文庫読みへの移行で低価格志向はますます強まりそう。

正午からの週例会を終えて、三省堂書店を一巡する。先日のKaさんとの会話で出
てきた岩井志麻子のことから、同郷の内田百閒の「文庫本」を一冊購入。



2012年12月4日火曜日

高村薫の『冷血』



1965年に刊行されたトルーマン・カポーティの『冷血』を読んでから45年経つが、
この度、高村薫の同名で小説『冷血』が出版された。
高村薫「冷血」は週刊誌連載中に好んで読んでいたが、まとまると上巻、下巻2冊
の大冊になるとは思わなかった。前者は実際にあった殺人事件のノンフィクション
ノベルだが、本書は歯科医親子姉弟家族4人を行き当たりばったりに惨殺してし
まう人間の闇の世界を小説にした作品と言える。

週刊誌で「冷血」の連載予告が出たときすぐさま、カポーティの『冷血』をおもい出
し、高村の新作に期待した。
小説のプロローグはネットで知り合った二人が金のありそうな家をターゲットに押
し入り、誰も居ないと思っていた家族と鉢合わせしてしまい惨殺におよぶ。あまり
にも出鱈目な計画で多数の痕跡を残し、クリスマス前夜の事件発生から正月開け
には捕まってしまう。
このあたりまでは、不気味さを漂わせながらスピード感一杯の展開に頁を追いたく
なる。
小説の本筋は、殺人の動機をを解く所にあるのだが、並みのサスペンスの謎解き
のように創られていない。
カポーティの『冷血』にインスパイアされているのは間違いないし、ドストエフスキー
の『悪霊』などももおさえられ、テーマの迫力で一杯なのだが、高村薫の社会に対
する思慮深い思考が好きな僕にとっては、物足りない終章で終っているように思え
る。さまざまな角度から「動機」に迫ろうとするが、真実に到達できないもどかしさ。
この異化作用が好いのかも知れない、、、。
現代社会(法治国家)において殺人は、あらゆる法、規範を動員して何がなんでも
動機を確定させ刑を執行するように仕組まれている。
このコトへの観念的不快感、肉体的違和感が、合田(『照柿』などにも登場)を通じ
て、ネット社会の単純な言葉で何か解決できた気になる、勘違いしている風潮にあ
るのではないかと。
小説家高村薫の言葉への挑戦で、殺人者の「動機」を他者が言葉でどこまで表出
できるか、阪神大震災を体験して、(「サンデー毎日」連載)、3・11大震災を経て、
(『冷血』刊)、助かった人と、助からなかった人の差はどこにあるのか、と不条理を
追求し続ける意味で同じ行為の持続なのだ。

2012年12月2日日曜日

三軒茶屋でライヴを!



音楽ベタの僕がコンサートとかライヴへ出かけることはめったにないのに、ハル
のヴォーカルを聴きにイヴェント会場へ行ったのでした。
三軒茶屋太子堂の[Grapefruit Moon]だったが、会場の雰囲気は数十年前と
大差ないことに安堵と不思議なきがした。
古くは、新宿のアシベ(ACB)とかゴーゴー喫茶でドリンク付チケットを手に席に
着き歌い手と客の聴衆がカクテル光線のなかで次第に一体化する、あの光景で
ある。
僕はもって生まれたオンチに因る歌唱嫌いを自認しているが、今回、違ったのは
ステージで臆することなく実に軽やかにリズムに合わせて唄うハルの姿である。
こればかりは隔世遺伝してくれなくてよかったと心底から思っている。
盛り上がりのなかで皆が歌い終わって、彼にとって初めての表彰状(サンタクロー
ス賞)をもらったのである。
司会者の、外の雨は雪に変わるだろう の喋りが共鳴しました。


2012年12月1日土曜日

12・1は、、、

あきる野・落葉松並木(2012・12・1)

今日のあの日は、木枯らし吹き抜ける寒い朝だった。
新宿矢来町の洋泉社へ初出勤した日です。社の隣は志ん朝の家だった。
29年前のコトだが、必ずこの12月1日になると、当時のメンバーSnから電話か
メールで記憶をよびさませてくれる。
今年も違わず、「今年の12月1日は土曜日ですね。あ、84年も土曜でした」 と。
例年、業界、友人仲間が一席を設け互いの活動を喋りあったものだが、僕自身、
一区切りつけた身にあって今年はお断りしました。

にも拘らず、編集企画で協力してもらっていたKa君とは、この時期になると必ず
会って一献となる。
先日も、出版業界のことから読書、映画をめぐって論壇風発に相成った。
彼は、毎月月末の日刊紙に長期の本にまつわるコラムを連載しているが、喋り
とはニュアンスの違う仔細な文体で魅了させられる。今月は「鴎外とカフカのベル
リン」。

さて今日も木枯らしの吹く寒い昼下がりであったが、あきる野の唐松並木通りに
はちらほら人が訪れて、茶褐色の紅葉にカメラを向けていた。僕も邪魔になる看
板と電柱をできるだけ避けて写真を撮った。
そのあと、日の出モールのなかにある未来屋をゆっくり散策し、文庫本を一冊購
入したのであった。

2012年11月30日金曜日

新宿・でん八物語

でん八(三越裏桜通り)

被災地・大槌町へ僕の車に同乗して足を踏み入れたアキさんとは1964年から、半
世紀近いお付き合いになります。
このように長きにわたると、家族のように子供をスキーに連れって行ったり、結婚式
では主賓挨拶をさせられたり、グループ旅行に同行したり、、、と、家族以上に家族
的になっているように思うことがある。
彼は、3・11大震災に大変心を痛めており、亡くなった奥様のご意思として御芳志を
被災者へ寄付された。そして、大槌の風の賛助会員になっていただいてもいる。
(その長男が、今では2代目店長で仕切るほど、時は刻まれているのである。)
毎月の定例で会っているところ、先日は50年代から60年に掛けての新宿の街並み
を写真で見ることになった。
即ち、僕が東京へ出てきた前後のセピア色の懐かしい写真ということになる。
平屋の新宿駅、三光町交差点、新宿大ガード、高層前の紀伊國屋、新宿西口ロー
タリー、都電の終点角筈、そして歌舞伎町入り口、、、何処も此処も記憶をたどれる
場所です。
もっとも、僕が最初に暖簾をくぐった「でん八」は三越裏にあったのだが。

もうずいぶん前の頃から、この居酒屋で飲んでいると「でん八物語」があってもいい
ね、 と言う声がOn君らからしきりだった。
ところがなかなか一歩が踏み出せずにいた。
冊子の構成を、この居酒屋に集まってきた面々の募集原稿の文集にするのか、あ
るいはマツオ兄弟を中心にすえた年代記にするるのかで迷うところ。
前者なら数人の編集人を決めて、思い出、交遊録を原稿依頼して分類した項目立
てにする、後者なら店主アキさんへの取材を中心に「でん八変遷誌」としてまとめる
事になるのであろうが、、、。
60年代半ばの開店時の店主アニキは既に亡くなっており、今となっては激動の60
年、70年、80年代にマツオ兄弟と面対して杯を傾けていた面々にそれぞれの想い
を文章で寄せてもらうのが良いと思うようになりました。
来る2013年は、でん八50周年記念、そして、亡き松尾昭次郎氏を追想して、、、。

2012年11月27日火曜日

富士山マラソン



我が家の二階のベランダから冬化粧の富士山がくっきりと見える。
暁は富士マラソンの40代組にエントリーして完走した! 大阪マラソンに続き、
2回目のフルマラソンになる。
今回参加したのは、6月のEKIDENで応援したP走友会のメンバーたち。
応援には行かれなかったが、早朝のスタートからネットで速報記録を確認でき
た。ネットの進化には目を見張るものがある。

5kmスプリット*00:33:57/ラップ*0:28:56/
10km      01:00:28/     0:26:31/通過時刻*08:48:58   
15km      01:27:21/     0:26:53
20km      01:55:08/     0:27:47
中間スピリット  02:01:31                    10:16:32

このようにケイタイにゼッケン番号を打ち込むだけで、速報記録が表示される
から、棄権せず順調にラップを刻んでるなと、安心することが出来るのである。
自宅にいながらにして、富士山を横目に河口湖周遊コースをマイペースで懸
命に走り続ける姿を想像することなど、ちょっと前まで考えられなかった。
エントリーした選手たちが、早朝の渋滞に巻き込まれて多数スタートできなかっ
たニュースが夕刊に報道されていた。

ここまで、ネットで追跡できるということは凄いコトであり、怖い事でもあるかナ。

2012年11月26日月曜日

京都北山杉の紅葉便り

紅葉&北山杉(葉書の写真)


先日のY会へわざわざ京都からお越しいただいたSkさんから自前の写真が添
えられた葉書を頂きました。
便り:懐かしい方々とお会いできてサイコーの二日間でした。
追伸:その時の写真を拝受しました、記念になります。感謝!また、いただいた
「洋泉社私記」大変面白く読ませていただきました。特に会社設立から十数年
の部分は臨場感があってとても興味深く読ませていただきました。旧知の方々
が色々登場して、ご活躍ぶりが実感出来ました。、、、、、、、。お礼まで。

Skさんは現在、京都の書店の顧問をなさって業界でご活躍中ですが、僕の知
る限りでは、7年間に及ぶ充実したブログの発信が注目の的です。
四季折々の京都市街・近郊の風景や生活、祝祭を撮った写真は感動させられ
ます。
天に向かって真っ直ぐに伸びる杉の林立と紅葉のコントラストの美しさははこの
時期が最高か!
ぼくも5年前、この木立沿いにながれる清流に耳を澄ませながら焼き丹波栗を食
べながら歩いたことがあります。

九州支店長、京都支店長時代には、店売の充実、ご当地モノを刊行したときは、
配本計画と仕掛けをサポートしてもらった。
すでに過ぎし日は遠くなりにけりだが、この方々に支えられてこそ今の自分があ
ることをつくづく身に沁みて感じます。

2012年11月24日土曜日

寡黙で読書家の棚店長

近所の冬桜(2012・11・23影)



O信さんに初対面できたが、改築前の新宿紀伊國屋書店地下のデスクだったと記憶
しています。45年前のことです。
その後、未来社時代は山本安英の「夕鶴」(木下順二作)の公演に招待し観劇して
いただいたり、岡山支店長時代の棚前で時間を忘れて本談義にいたる快楽とか、
O信さんファンの集まる会に加わったその時々が懐かしく記憶されています。
自らを交際下手と仰っていますが、寡黙ながら発する言葉は適格で鋭いものがあり
ました。容姿が紳士で、半月前に久しぶりにお会いしたときも変わっておられない。
書店人でありながら、図書館貸し出し図書を利用して読書に勤しむスタイルも変わっ
ていないことでしょう。心底本が好きな方です。

小冊子から、、、、、、
O信:
私が「やすい会」に始めて出席したのは、昭和何年で、何回目か判
りませんが、新宿、歌舞伎町の「青梅雨」でした。当日は、北九州
市の金栄堂の柴田良一さんがメインゲストとして招かれており、私
はサブ的要素でした。ご出席の皆様の活発なお話を専ら拝聴し、和
やかな「やすい会」の雰囲気を味いました。
それから二十数年を経て、100回を迎えたことは、業界のこうい
う会では稀有のことではないでしょうか。安井さんの人徳と会員の
方々の会に対する愛情が継続を支えたものと想います。会にはその
後十回位でしょうか出席させて頂いていますが、会場の場所は少し
は判るのもありますが大部分は忘れており、お店の名称はほとんど
記憶にありません。振り返ってみると大変残念な気持ちです。どう
も生来の交際下手で色々なことで皆様のご要望に応えることが出来
なかったこと申し訳なく思っております。
完全リタイアして十年以上になります。健康はまあまあですが、物
忘れ等ボケの症状が出ている現状で、のんびり暮らしております。
皆様が健康で「やすい会」がまだまだ続くことをお祈り申し上げま
す。


【日々の一口メモ】
 11/20(火)   *ハルのスイミング見学へ。
           結構しっかりした基礎訓練をして
           いるのに驚き。猛トレにも水が好
           きなのか、ねを上げないで楽しそ
           うに就いていっている。
           来年の夏には競泳で負けそ~う!
11/22(木)   *先日半年振りに会った三省堂書店
           Mm役員から親しい数人で会食を
           持ちかけられた。
           大槌の話なども、、、と。
           電話で早速、Stくんと調整して12月
           に入って忘年会をかねて一献を、
           と相成った

2012年11月23日金曜日

震災写真の復元

復元過程・ぬるま湯洗い 


3・11直後の東北自動車道が開通した3月26日と4月、6月に町が津波に根こそぎ
流され消えている被災の大槌町へ足を踏み入れた。
こうして書くたびに、釜石から海岸線を走り大槌町へ入り瓦礫だけ残った荒野を見た
ときの言葉を失った衝撃と震えをおもいだします。今もって次から次に浮かぶ情景を
整理できていません。
まばらに対面する被災した人たちに表情がなかった。声もかけられなかった。
被災した義娘の母や祖母には「天災に遭遇したのであって自分だけでなく、亡くなっ
た隣人が多数いることを慮り、未来へ向けて踏み出すしか無いのだから、、、」 と、
やっと掛けられる言葉です。今日に至るまで、よく気丈に生気を取りもどしたと思う。

いち早く被災地に入り、津波に飲み込まれて瓦礫のなかに残った想い出のアルバム
を探し出して、再生に取り組むボランティアがあった。今も続けられている。
Gyoたちは、ヘドロ化する写真を化石堀のように丁寧に復元して被災者に手渡す様
をCM(Fフイルム)でドキュメント展開した。
被災した直後の当事者たちは、写真を見ることに関心が及ばなかった。今に至って
まだ未処理のモノがあり、復元して渡したいと思っているが、、、。


【日々の一口メモ】
11/4(日)   *冊子「やすい会」の編集作業に
          終日ついやす。
          Yuが助っ人してくれる。
          最終でSkさんの原稿も落手。
          題字をお願いしていたYkさんの
          直筆が届き感激!
11/6(火)   *冊子の印刷・製本先を迷った末、
          アサヒ印刷が突貫で受けてくれる
          ことになり、データ入稿する。
11/7(水)   *正午からの「水曜会」を欠席して、
          印刷所につめ、一部抜きを見て 
          完全校了。   
          11日からの100回記念会に間に
          合うことを確認。
11/10(土)   *被災地行きにも活躍したMPVを
          修理(後輪破損)に出す。
11/11(日)   *一泊の会へ正午過ぎに,中央線
                      「かいじ」で出かける。高尾から 
          相模湖、勝沼の山々の紅葉真っ
          盛り。
11/13(火)   *Mtさんに月曜会に出られなかっ
          た事情を話し、あわせて入院した
          友人Onくんの具合を聞く。
11/16(金)   *Snくんより、ある企業が積極的
          に復興支援をサポートしている情
          報・紹介あり。
          NPO<大槌の風>活動経緯と今
          後の支援趣意書を準備すること
          にする。

2012年11月21日水曜日

すぐ応える!Uaさんのこと



Uaさんとのなにげないお喋りのなかで、手紙の返事、依頼事への返答おめぐって
即日に応答処理しているんだよ と言われて、さに有何と思うことがあります。
会の出欠の返事、このたびのY会の冊子原稿にして、いつも一番速く受け取って
いるのである。
こういした行為を日常生活のなかで心がかけておられると云う事は、賛否、許諾
を迅速に判断されてこられたことでしょうから、社内での風通しもよかっただろうし、
交渉ごとの相談も多く寄せられていたに違いない。
Uaさんが仙台、広島の取次支店時代は付き合いがなかったのですが、本社に帰
られてから『実録・仁義なき戦い』をはじめ地域エリア関連本を出したとき、即交渉
を受けていただき、ご当地書店対策で助けられ成果を上げた。
今では、定年退職されたあと地元の町で社会実習されボランティアで嬉々として
活動されている。
役者やのう~ 10月に亡くなった大滝秀治に見えてきた。

小冊子から、、、、、、、
Ua:
老いを楽しむ 現役を離れて十余年、会社組織から開放されて
自由な生活を満喫したのも長続きはしない。話す相手も日常会話
も多くなく刺激も少なく孤独感を味わう毎日に気分も沈みがちな
生活に飽きていた。
あるとき一枚のチラシに目が止まり、心が動く。サラリーマン時
代は地元や近所との結びつきも薄く会社中心の生活だった。退職
してふと気がつくと地域や近所とのつきあいがいかに大切か身に
感じ、今まで家内任せだったことを反省し地域地元のために何か
出来ないか考えるようになった。
多分、「終の棲家」であろう現在地で日常生活を安心安全に暮ら
すために、高齢化が急激に進む我が地域でのコミュニティ活動の
場が、近隣センターであり町づくり協議会だった。地元の祭りや
サークル活動など諸行事で多くの人々との触れ合いに喜びを感じ
輪が広がっていく。何か地域の課題があれば参画し、会を立ち
げ、皆で楽しみながら活動している。出版界を離れ、各界の人々
との出会いに多くを学び新たな視点で行動できることは喜びでも
ある。
「やすい会」との出会いも心温かい人との交流にいつも感謝して
いる。
私の小学校時代の恩師が米寿を迎えて、今も健康で多くのゼミナ
ールなど受講し情熱を燃やしている姿に刺激され、少しでも近づ
けたらと思うこの頃である。
何事にも情熱を失わなければ老いは来ない、との言葉を胸に健康
生命が続く限り、ポジティブに老いを楽しみたい。
いつまで続くか、、、。

2012年11月19日月曜日

震災の記憶を 継ぐ とは、、、



庁舎(2012・5・13日影)


大津波で職員40人が犠牲になった大槌町旧庁舎について、解体か 保存か を巡
って混沌としていることをニュースで知った。
津波で破壊された庁舎の前に立つと、亡くなった町長が津波襲来を告げ避難対策
を指示している最中の一瞬の出来事が悪夢のようによみがえる。
その庁舎を、残して記憶にとどめ津波被害を出さないモニュメントにするのか、破壊
された建物を見るたびに悔しい思いを呼び覚まされずとも、他に方策があるのでは
ないか、と犠牲職員の家族の意見が分かれているもよう。

上の写真の瓦礫後方に昭和8年震災津波の記録と犠牲者慰霊碑が建立されてい
るのを見て、「災間」のことをおもい残念でならなかった。
モニュメントをめぐっては同じように、津波で大槌赤浜地区の民宿2階に乗り上げた
姿で知られ、しばらくそのままだったが、昨年5月に下ろされ解体された観光船「は
まゆり」については、現地での復元再現をめざしている。
大槌町では瓦礫を使った防潮施設「鎮魂の森公園」も計画している。

3・11大震災を経て、震災の風化を防ぐための保存・復元をしたいとの要望に一段
と難しい問題を被災地が背負っているように思えてならない。

2012年11月18日日曜日

大漁旗を京都丹後から大槌町吉里吉里へ



丹後の山奥で修行して、今はろくろ漆器職人として名を成すOmくんから、三年に
一度熊本市で開催する個展の案内と、毎日新聞京都版が送られてきました。
一筆添え書きで、「丹後と大槌の関連記事が載っていたのでお送りします。記者の
塩田敏夫さんは友人です」と認められていた。
友人とされる記者は、Omくんが丹後に住み着く前に筑豊で三井三池炭鉱の炭塵
爆発によるCO中毒患者の救援活動のなかで知ったマスコミ関係者の一人かとも
思うが定かではない。

さてその記事の内容だが、京丹後市の女性が同市の「京の名工」の鯉のぼり職人
奥田さんに大漁旗の制作を依頼したというもの。婚約者が大槌町吉里吉里の漁師
で、津波で失った船を新造するためだ。すでに大槌新漁協の定置網魚が復活なっ
ているが、船は生活再建の第一歩を踏み出すもので、町の再生復興を明るくする。
震災前の吉里吉里ではワカメ養殖、鮭のはえ縄漁が盛んだったが、震災で船も施
設も壊滅してしまった今は、町内高台の仮設住宅で暮らしながら全てを共同で助け
合いながら前に進もうとする実情を聞いて、奥田さんは「よし、わかった」と快諾され
たそうです。
古くからの友人Omくんが、僕の大槌へのささやかなかかわりを知っていて、丹後
半島味土野と陸中の大槌を結び付けてくれる縁は奇なるものか。
日本海側秋田の漁船が重茂半島の漁場に届けられ、そして京丹後の名工による
大漁旗が被災地大槌の海になびく地域再生を願う絆、長い道程に忘れられまい。



2012年11月17日土曜日

出版記念会の打ち上げ

新宿駅東口から西口へ・旧甲州街道


夕方からの会へ出席する前に西早稲田の友人宅を訪ねた。
地下鉄早稲田、文学部校舎、正門の周辺は昨年の「6・15写真展」に出かけたとき
とか、夏目坂のお寺参りで街並みの変わりようは知っていたが、裏門からグランド坂
を歩くのは何十年ぶりで新しい道路が走っていたり、高層ビルが建っていたりで、風
景がすっかり変わっていました。

出版記念会の主役Dkさんの提案で、幹事世話役を務めたOk,Hmと僕が集まりに
誘われて食事会(いさみ)を新宿であいなった。
皆、それぞれ忙しくて遅ればせながらこの日になったというわけ。特に、Okさんは大
槌町の復興進捗情報を多方面から入手してメールしてもらっているが、超行動的で
多忙を極めているようだ。
Hmくんは、熊楠研究会で紀州に出かけたり、厄介な病気を抱えながら、関心の領
域を拡げ活躍中。東北被災地、大槌へも出かけることを約している。
出版記念会2時間余で、打ち上げ5時間のロングラン、さすがに翌日にひびいたよ。

2012年11月15日木曜日

斉藤Tさんのこと



Tさんはガンで2003年に逝ってしまった。
初めて会ったのが1966年で、まるすの仕入窓口にお二人居たなかの一人。
本好きで幅広い読書量に、年長ながら話が弾み仕事なのか読書談義なのか判らな
かった。
その後、K出版会から、YBCと変遷があったが、相談にはなんでも応じてもらった。
一泊旅行の入浴のとき肋骨を何本か切断した大手術の痕を見て、結核の手術と直
ぐ判った。
彼から「十代に中野結核療養所で手術した」と聞き、医者は中井(所長)ではなかっ
たですかと尋ねたところ、一瞬驚かれた。実は中井は僕の縁戚で、昭和の赤ひげと
いわれるほど手術の名医だった。
こんなことがあって、その後長い間付き合ってこられたのかもしれない。
その斉藤さんと上下関係があるにせよ同志的存在だったSgさんには、また長くお世
話になり今もお会いすることが多い。縁とは不思議なものと思っています。

小冊子から、、、、、、、
Sgさん:
斉藤さんと「やすい会」入会
鹿島出版会の斉藤さんから、八重洲BCの私が電話で誘われ、「やす
会」へ同行したのは90年7月、私の通勤途中の乗換駅巣鴨駅の
「陣馬」が初めてでした。
斉藤係長には、昭和33年4月鈴木書店に入社したとき仮配属の仕
入部で、1週間新人社員研修を受けて以来10年弱、この大先輩に
お世話になったのです。
「やすい会」のことは常々聞いていて、〝君の顔見知りも多いよ、
取次さんを知ってて今後にプラスになると思う〟と。同行した晩の
こと思い出そうとしても思い出せないのはやはり緊張していたから
でしょう。書店人は初めてのようでした。
斉藤さんは91年11月八重洲BCに参与として入社、3年間在籍
しましたが、「やすい会」2回目の92年11月は斉藤さんの代理
出席でこれも緊張記憶なし。
93年3月「鹿島建設ラウンジ」で斉藤さん提案で会員資格を頂い
たのです。06年6月27日白井さんが来店、斉藤さんが肺がんで
入院したと。翌日武蔵境からバスで病院へ見舞いに。7月26日は
ccs北京支店長の段さんと病院へ。
病室の扉を閉めても痛さの呻き声が体中に響くムンクの「叫び」、
泣きました。


2012年11月14日水曜日

久々に都心で活動


寸暇を惜しんでの全面展開で、ことごとく片付ける。
早朝、自動車が点検修理中につき、駅まで「はむらんバス」を使用する。
月に一度は取次訪問をしている。

まず日販へ行く。
雑誌担当Mさんと話す中で、9月以降毎月、帳合変更の新規の取引書店が増え続
けている様子が窺える。勢いが続いている。エレベーター前で役員のYさんと立ち話。

出版健保へ2ヶ月まとめて出してもらう痛風予防薬を受け取りに。そこで、広告代理
・昭通の代表(会長)に久々、偶然に合い、社屋を神保町から古巣の銀座に再移転
した具合と知人社員のことを聞く。このご時世がら広告業界の中堅はどこも厳しくて、
四苦八苦していると嘆く。先にあった「出版OB会」の話も出る。
僕は信濃毎日新聞の松木さんに40余年ぶりに会えたことを嬉々として喋る。

次に銀行によって、3件の振込み処理。振り込み手数料の普通振込みがなくなって
全て電信800円になっているのを知った。

先週、都合で欠席した恒例の正午の会へ参加。朝、都心に向かう途中に予感してい
た三省堂書店のMmさんが半年振りで顔出しあり。最新ニュースの楽天と提携販売
の電子書籍の進捗、八つ岳山麓での週末農業仕事を語ってくれた。12月に囲む会
を決める。今日、出席のシミズさん、タキイさん夫々から先日の会で撮った写真をもら
う。僕が撮った集合写真も渡す。

正午会を終えて、トーハンから大阪屋そして太洋社へ行く。
太洋社帳合だった喜久屋書店数店ほかがトーハンへ変更とかで、草刈場状態になっ
ている。トーハン近藤副社長が北海道トーハン会総会で、10月以降に取引書店獲得
を示唆したのはこの当たりの事らしい。太洋社はMs役員の退任、人員合理化などで
緊張感が充満している感じが漂う。
たった1ヶ月の訪問ご無沙汰だけで、人も変われば事も変化している実感する。

2日を予定したコトを1日に圧縮して追え、この後、孫の「先生」で世田谷へ向かう。

2012年11月13日火曜日

継続は力なり

小冊子の中から…………

Ykさん:
継続は力なり 人間には自分の好きな事を大事にして続ける習性がある。
今、自分の周りを眺めるとそんな事例が実に多いのに驚く、又これが
健康管理に大いに役立ってくれている事にも気がつく。主だったもの
を整理し並べてみると
◇ココロ・アタマの体操効果
1・新聞三紙の精読 2・書と学(あそ)ぶ(平成13年より) 3・
N響を聴く (平成16年より、年9回NHKホール)
◇カラダの体操効果
1・朝のウォーキング(平成7年より、1・4万歩週2回)2.出版同
代会 ハイング(平成13年より、年4回)3.出版OBのゴル
フ会二つ(平成13年より、年8回)4.GMGメンバー会ゴルフ
三つ(平成13年より、年12回)
◇酒と談論風発で抗加齢の効果
1.出版一日会(昭和45年より、年6回会合) 2.やすい会
(昭和58年より、年4回) 3.出版久米川会(平成2年より、
年1回会合)4.出版OBの会二つ(平成13年より、年2回ずつ)

こんな調子で忙しく今も盛会中なり。
大先輩のアドバイス、禁煙・運動・食事の三点は普段の生活の中で特
に意識し、続けている事柄である。お陰で元気!

  六十、七十ははなたれこぞう おとこざかりは百から百から
                 (107歳 彫刻家 平櫛田中)
100回に及ぶ「やすい会」のおつき合い 謝謝。


11/11撮影

Ykさんに始めて出会ったのは、私が出版業界に足を踏み入れた殆ど同時期で
あった。
50年経った今も大きくは変わることもなく出版社と取次の仕入れ部数交渉がなさ
れているが、その仕入窓口の最前線での歯切れ良い立ち振る舞いに、出版社勤
めを始めたばかりの僕は別世界を感じたものだ。
その後、広島支店長時代があって、本社に帰えらて間もない時期が洋泉社立ち
上げと重なって側面支援をいただいたご恩を忘れることはない。
ゴルフなどの共通の遊びごとはないが、本会を通じて変わることなく親交は深ま
っているように思う。
それにしても、心身の自己管理には驚くばかりで、ここまで出来れば80歳になっ
た人生も楽しいだろうな と感嘆しきり。


2012年11月12日月曜日

やすい会100回記念イヴェント

石和温泉駅近くの清流・掘割


1983年11月に第1回のヤスイさんを囲む懇親会(9名参加)として始まっ「やすい会」
は、今回、30年にして100回に到達した。
それを記念して、甲斐の山々紅葉真っ盛りの石和温泉郷に泊まりで催された。
冠とするYkさんを始め京都からSkさん、最初の会立ち上げの長老Ktさんらが集ま
って宴は盛り上がったのである。会場の正面には幹事の作った横紙が掲げられ、そ
の前で記念撮影。100回を記念して制作されたYkさん直筆タイトルの冊子を配る。
この会の皆は、よく酒を飲み我もわれもと夜を徹して語り合うのを常としてきたが、さ
すがに平均年齢70歳前後になって酒量の低下が目立ち始めている。
継続は力なり と言われているとおり、自然解散とはならずお互い健康である限り顔
合わせを謳歌することになったのである。

次回に、冊子の寄稿から一部を転載しようとおもう。

2012年11月9日金曜日

社会福祉法人S和会・理事長Yyから一冊の本が

書影

大学時代の友人Yy女史から、新刊『震災と語り』を同封の手紙を拝受。
石井正己編著者で三弥井書店から10月に発行されたばかりの書籍。
僕のブログを見ていることの知らせと、彼女が運営する施設「まろにえ四季の郷」へ
原発被災者が数人避難を続けており、世話されている様子がしたためられていまし
た。
開封するなり、関心のある箇所から読み進むうちに、一気に読みきらされました。

礼状、、、。
4月の僕の会へも栃木からわざわざ出てきて頂きましたが、その時に何気なく3・11
の震災被災者を施設であずかっている事を覗いました。それからづっと1年8ヶ月に
及んでいるのですね。敬服します。
住むところを失った老人たちの衣、食、住の世話をされ、喪失感で生きる気力を失
せがちな方たちに、「語り」のボランティアと交流する試みの報告がありました。
被災地での医者や心理医療関係者の活動は目立ちますが、聞き取り語りの口承者
の受け入れがもとあって良いと思っていたところです。
10数年前になくなった宮田登が現代・都市民俗学として、災害のフォークロアを言
い、洪水や凶作を扱って災害の後の復興過程の活況を実証しています。未来志向
です。
宮古市の重茂半島の姉吉の漁業加工場は今回の津波で全部流出しましたが、大
槌町から足を伸ばし沢を津波が遡った爪あとを見てきました。姉吉集落から本州最
東端の魹ヶ崎(燈台)へも3回目の歩行になりました。本書、「津波と伝承」の項で写
真と文章で詳しく触れられおり、新しく知ることも多くありました。
また、大槌町安渡が故郷の阿部幹男さんのエッセイ「慙愧の思い」に出合い3・11
大津波襲来直後の様子と、大槌町の山林や鉱山資源によって形成された中世、近
世の南部藩大槌城の頃、そして三陸の海産物と北上山地の金や鉄で町の礎が築
かれた歴史をよりリアルに教えられました。
「いいか、覚えておけ、お前が生きているうちに必ず大津波に2回遭う。」の伝承と、
彼も2回の津波を経験した事実に驚愕する。
まだまだ、今夏訪れた八重山諸島に残る明和の大津波による巨岩伝説、等、、、。
すごい本でした!ありがとう。



2012年11月8日木曜日

入工から24時間で印刷に!

冊子の書影


先に冊子編集についてアタフタとしている様を話したが、実質、一日で印刷ま
でこぎ着けられた。僕の住まい近くの家族的経営ながら優れもののAs印刷・製
本所に巡りあえたことと、親身に対応してもらえた結果です。
経緯は、、、1日目、正午過ぎに直接交渉~15時にPCの原稿整理ファイルを
添付ファイルで送るべきを、コピーで送信してしまいとんでもないトラブル発生。
メール送信した段階でキーの押しミスで原本を消去してしまう~急遽、PCを持
ち込むが復元できず、結局、コピー送信を基に再度、編集のやり直し~その間
に、巻末につける<会の軌跡表>・会員名簿の体裁と割付、全ページの台割り
確認、造本の検討、用紙選択、Ykさん直々のタイトル文字のスキャニングを終
えて、この日の作業を終了。自宅に帰り、一部抜きの校正。大した朱入れする
ことなく一安心。
翌朝、あとがき、目次相当、奥付を作成し、添付ファイルで送信。急ぎ印刷所に
駆けつける。
再校が出る。画面を見ながら校了、一部抜き受け取る~表紙デザインを画面上
で校了。印刷・製本現場を見学し、14時に帰途に着く。
これまで、出版に関わる全てにわたって経験してきたが、今回この歳にして初め
て、原稿集稿から編集から制作から業者を決めから、そして完本一冊を受け取
るまで成し遂げたことになる。
それも、二日にまたがる一日で、「一夜城」のような感動が沸々と湧いてきた!

2012年11月5日月曜日

或る会の小冊子編集


(2012・4・7)


会の第100回開催を記念して小冊子(32頁)を製作することになった。
幹事であることで、編集を引き受けたが、結構、大変なことになってる。
編集子が100回の全会に出席していず、今年引退の金本知憲のように全試合に出場
していれば、記憶をたどることでなんとかなるが、個人的備忘録頼りで四苦八苦状態
になっております。
会員の大半から、思い出、身辺雑記、随想が寄せられ頗る嬉しいところですが、しかし
それぞれの原稿整理の途上で記憶違いとか、微妙な温度差の違いに気付かされ調整
に時間を取られ焦っています。

僕の冊子に寄せた小文から
私の出版業界50年における人生にも、それなりにさまざまな起伏がありま
した。ここで記すのは、1984年に未来社を辞して、休むことなく洋泉社
解纜した転換期に重なるころの、やすい会についてです。
本会は、83年(s58年)に、私より一回り上の鎌塚正、斉藤典さんと同
世代WkとSt両君の呼びかけで、東販(九段)の書籍仕入担当時代に付き
合いのあった安井一男さんを囲む懇親会としてスタートしました。
第1回目の開催場所は、新宿ゴールデン街路地裏の最奥にあった、青梅雨(
おつ)でした。この居酒屋で以後も数回、催していますが、学生時代から芝
居の集まりでも使っていたが、、、今は無い。
第4回目の青梅雨に小倉・金栄堂書店(現廃業)の柴田良一君と岡本信男(紀
伊國屋書店)さんが参され、第14回目の青梅雨からは、十十木(トーハ
ン)さんが加わるなどの光彩が、特に記憶に残っています。
この頃から、安井さん(他に堀、金田さん)には、取次の取引口座獲得交渉
でお世話になり、取引契約を締結することができました。
このことをバネに、若さで猪突猛進した日々が昨日のように思い出されます。

2012年11月3日土曜日

産業祭で復興支援の出店






わが家の隣に富士見公園があって、産業祭が2日間催されている。
あまり出かける機会がなかったが、珍しく、来宅中の孫を連れ出しお祭りの喧騒を
あじわった。
そこで見かけたのが、復興支援を呼びかける被災地・福島のブースで、地の山海
産物を販売するはっぴ姿と置かれていたチラシだった。
先日、大槌の「NPO・おおつちさいがいエフエム」のAsさんが、大槌町産の支援物
品を軽トラに積み込み東京に立ち寄った際に、被災地支援をつづけているSmさん
がグループへ購入を促したところ、大いに喜ばれた実績がある。
次の機会には市と掛け合って、是非、大槌町への支援と<大槌の風>で出来る
丈で羽村市でもネットワークを拡げてみようと思った。


2012年11月2日金曜日

4+1の会

東京駅南ドーム


今日、在京、4人の中学校同期会があった。
この会の顔合わせは、倉敷から東京に出て定住している女友達2人に男2人プラス
1,2人で、その時々で替わります。
催される場所は東京駅地下街の割烹で、なが~い昼食会が恒例になっている。
商社マンの男友達のYn君とは、この広い東京で僕が有楽町の朝日新聞学芸部へ
出かけた時の路上でだった。その後、彼が岡山へ転勤になれば、僕が岡山や広島
方面への出張したときは寄っていたし、東京へ帰ってきてからはお互い酒が好きな
ほうなので徹夜で一緒に飲み明かしたこともあった。
商社と出版社とは肌合いが違って、ものの考え方、嗜好をめぐっては、戸惑うことも
あった。が、行き着くところは中学校時代のわずかなlめぐり合わせの時間に返って
いくのが常になっている。

2012年11月1日木曜日

大槌町復興のなかで、小中一貫校に「ふるさと科」試み




村の伝統芸能と提携して、ふるさとの伝統芸能や地域民俗の伝承をこどもたちも
担う試み。
大槌町教育委委員会は2015年度を目指す小中一貫校の導入に合わせ、町の
伝統芸能や地域産業と連携した体験学習を学ぶ「ふるさと科」の実施を計画して
いる。
カリキュラムは小学1年生から中学3年生までを対象にした9年間。地域への愛着、
生き方・進路指導、防災教育の三本柱に、小学1年~4年をホップ期、小学5年~
中学1年をステップ期、中学2年~3年をジャンプ期と位置づけ、学年に見合った
体験プログラムを推進するという。

この6月に訪ねたとき、既に、小中を統合した春季運動会が熱い競技と歓声の中
で催されているのを観て感動したが、こlの天真爛漫こそが、これからの復興大槌
に寄与し続ける力になっていくと確信しました。

同町の小中一貫校は、現在同じ仮設校舎で学ぶ大槌、大槌北、安渡、赤浜の4つ
の小学校と大槌中を統合した町方地区、吉里吉里小と吉里吉里中を統合した吉里
吉里地区の2校体制で15年度にスタートを予定している。

遠野地方、陸中海岸沿いは歴史も古く民俗芸能の宝庫と言われている。
在野の郷土研究家・佐々木喜善や柳田國男の調査・研究に負うところが多いが、
その伝承を復興過程のなかで子どもたちに道筋をつくる発想がすばらしいと思う。

2012年10月30日火曜日

仮面ライダーとウルトラマン

変身して颯爽とバイクにまたがりどこからか現れる仮面ライダー。模型の町を壊す
モンスター怪獣。子どもたちはくぎ付けだ。
4,5歳児のこどもたちが、今、またと言うか見たり、まねっこしたり熱中中!
スクリーンの雄姿を物まねしたり、模型を作ったり、グッズ集めに熱中した初代の
仮面ライダー&ウルトラマンの放映が50年近く前だから、当時の子供も40代半ば
になっている。好みも微妙な時間のづれで、ライダー派、ウルトラ派に分かれてい
ったように思う。
綿々と続いてきて、今またブームなのは、公害、いじめ、差別、領土問題があって、
物語の隠し味になり表裏で大人たちが応援しているからではないだろうか。
かつてのウルトラマンシリーズのなかには、原爆に起因して怪獣に進化するテー
マの番組は封印されたままのものがあったとおもうが、、、。
第一次世代は、敗戦後20年余、騒乱の60年安保闘争を経て「高度成長期」の熱
狂も醒めて、尖閣を始めとする領土問題で逆流に面している。
「愛国」とか「正義」に誤魔化されないようにしよう。

わがハルは、トミーのプラレールが好きであらゆる型、車名、路線を覚えていて、
テッチャンになるのではと思いきや、この半年のうちに変身モノに移行して、演じ、


演出までしだす始末。 、、、ヒーローにはご用心!

(因みに、初期仮面ライダーの隊長役で、友人・濱田晃が出演している。)

2012年10月27日土曜日

ドタさんの出版記念会

アラスカ/朝日新聞社店於いて(2012・10.26)


今夕あるドタさんの出版記念会のことで、朝からスカイプ・グループ打ち合わせに
なった。追加の出席者、欠席者の事情、会場の備品をめぐって、、、等など。
便利な手段ができたものだ!

土田憲さんの『波濤を越えて―堀江謙一をめぐる半世紀』(言視舎・刊)出版記念
会が、朝日新聞社のなかにあるアラスカで催された。
オープニング前から旧交をあたためる人で盛り上がっていた。
今年は、1962年「太平洋一人ぼっち」の単独航行から50周年。
ドタさんは、1993年から2009年まで佐治社長(サントリー)の要請を受け堀江謙一
氏の5回の航行をサポートしたのであった。そのプロジェクトの舞台裏など、エピ
ソードを交えながら、1962年の最初の単独航行を振り返った。
出席者:元suntory宣伝本部長Wk、元共同通信ロス支局長Se、作家Kk、東海
大学海洋学部名誉教授Kh氏等に電通の仕事仲間、朝日新聞、毎日新聞マスコ
ミ関係者、、、。発起人で杉山、古谷、小澤に、松尾T氏等。

最初に発起人を代表して挨拶させられた。
本日は、土田憲さんの「波濤を超えて」出版記念会に多忙のなかよくお集まりい
ただきました。本日のこの会の出席は40名です。元電通副社長・松本宏氏もい
らしておられます。この会場の周辺はデンツウ村とも言われる所、なつかしく来場
された方もいらしたのでは…。
さて僕とドタさんとの出合いは25年前に始まった「カビ」付合いデス。そう、梅雨時
のカビです。カビキラーのジョンソン企画を、ドタさんとここに出席のエディターの
古谷君コンビで実現できました。電通健保で7千冊買上てもらえたよき時代でし
た!
ドタさんは90年代に入ると本書「波濤」に書かれている通り堀江謙一ヨット単独
航をサポートするグローバルプロデューサーとして活動されたのは、ここにお集
まりの皆さまの知るところです。
処女出版ですが、サントリー学芸賞/社会・風俗部門を狙ってみてもいい作品
です。是非とも皆様の周辺関係者にお勧め頂きたい。
本日の会へサントリーさんからお酒の差し入れをいただいています。旧交をあた
ため、ゆっくりご歓談ください。
僕が代表をしています<大槌の風>ご支援もよろしくお願いします。

2012年10月24日水曜日

おおつちさいがいエフエム

 



NPOぐるっとおおつち・おおつちさいがいエフエムのチーフ・Asさんとドライバー・
Uy君と立川で長4時間におよぶ 懇談ができた。
機会をつくったのは、6月に大槌町へ一緒に出かけたSm女史で、災害時の食糧
備蓄について取材を受けるので同席しないか というコトからだった。
Asさんは神戸で震災をを経験し、大槌へボランティアで入り今ではそのまま定住
して支援活動をつづける剛の女性に見うけた。
遅遅として進んでない大槌町の復興の要因に町民意識の温度差の表れをあげ、
住居問題、高台移転の賛否をめぐって、的確な見方を聞かされ助けられた。
彼女は神戸へ休暇帰りに取材をかねて、わざわざ高速道を途中下車して来てく
れたのだ。
車には大槌湾で採れた海産物から手芸物を積み込み、支援カンパの要請もあわ
せてあった。これらを、Smさんは雑穀愛好仲間へ勧めるのにまとめて仕入した。
お互いのアッウンの呼吸に感動した。
頂いた手作りの「酒入り」饅頭がなんともいえない美味しさでした。

2012年10月23日火曜日

都電早稲田車庫のころ

早稲田車庫・三ノ輪行き


都電、雑司が谷駅近くに、上京後住んでいる中学時代の絵友達から連絡があった
ことで、路面電車を思い出した。
都電は、現在東京には早稲田から三ノ輪までの「都電荒川線」一本しか走っていな
い。
その始発駅、早稲田車庫前の裏手に神田川が流れていて、側面の小さなマンショ
ンに結婚して最初に住んでいたことがある。
当時は、網の目のように東西南北に無数に走り回っていました。
古くから早稲田の裏門側に住んでいた大学で同学年だった女友Nmが言うには、
青山の高校へ通学は、都電早稲田車庫前で乗って、江戸川橋経由で九段下で乗
り換えて渋谷行だったと。学校帰りは、渋谷で映画をあさり、また、千鳥が淵で花見
して、路面電車のギィギー、ガッタンゴットンゆられての牧歌的自由時間の雰囲気
だったと聞いている。
僕自身の都電体験は、60年安保闘争のとき毎日のようにデモがあって、車庫前か
ら一両を貸切状態で、目的地の国会議事堂近くの集会場であった日比谷公園や、
清水谷公園へデモ隊を繰り出していたことである。53年前のこと。

2012年10月22日月曜日

次に 何が、できるのだろうか



大槌駅前から(2012・6影)



震災後7ヶ月以上が経過し、ブログで色々言葉をを紡いできてひっかかっている
ことがあります。
使う言葉においても、3・11大震災に被災した者と、そうではなかった者がまぎ
れもなくいることです。その時、僕は地震を身に感じ、三陸に押し寄せる津波と、
続けてタテヤが崩壊した原子力災害を映像で見たのであるが、それら全部を震
災と言うとき、「被災」したかどうかの区別がつかなくなるときがある。
僕の場合、義娘とその母親、祖母が大津波で消息を絶ってから生存が判るまで
10日間の捜索があった。その時の心象風景がこの戸惑いにあるように思える。
言葉を読み取ってほしいもどかしさの発露でありす。

近々、特定非営利活動法人<大槌の風>の登記が完了します。
第一義的活動と設定して取り組んできたところの、大槌町のこどもとお母さんへ
ほんを届けることについては、第一段階の目標を達成することができました。
森の図書館を主宰する佐々木さん御夫妻は集まった本の整理に追われている
のが現状です。この早い達成はマスコミ関係者の呼びかけによるところ大です。
やり残しというか、いまから、組織的にしっかりしたところで取り組んでみたいこと
が未だまだあります。
僕の友人・知人の演劇人、先生のなかに、本の読み聞かせや交流で被災地を訪
ねている者がおり、今後、大槌へも行きたいと申し出てくれています。

2012年10月20日土曜日

業界紙を読む





今日、機会あって「新文化」「図書新聞」7ヶ月を分まとめて入手し、半日かけて通
読しました。日頃も、二紙の主だったニュースは、ネットで拾い読みしていますが、
やはり本紙でゆっくり読めるのが肌に合っているようだ。
一時間半かけて週に一、二度の都心入りとなっている現況での、出版業界の情
報源は定期購読の「日経」と「文化通信」に、上記二紙から得る比重が大きくなっ
ています。
トーハンの人事をめぐる真意、丸善書店とジュンク堂書店と文教堂グループの一
部が帳合変更した経緯、明屋書店の帳合言えば日販だったが、トーハンと資本・
業務提携したニュース、被災地東北の復興レポート、吉本隆明追悼特集、教科書
・学習系出版社の電子戦略を語った知人(味噌造り仲間)のSy専務のインタビュ
ー等など、遅ればせながらより深く知ることができました。
僕の4月の会の発起人になっていただいたトーハン近藤副社長のことは気になり
ながら、直接聞けもせず激励も出来ず、気をもんでいたところ、一番リーダーシッ
プの取れる立場に落ち着いたのが良かったと思っているところです。東北被災地
の書店への積極的支援について、地元書店人は心強い支えとしている。

2012年10月19日金曜日

手拭買って、郷土芸能復興を応援!

大槌稲荷神社



「日経新聞」の「被災前の風景 手拭に残す」の見出しが目に飛び込んできた。
人形劇「ひょっこりひょうたん島」のモデルとされる蓬莱島や、浪板海岸でサーフィ
ンする若者、山と松を描いたくじら山、、、東日本大震災前の大槌町の懐かしい風
景をデザインした手作りの手拭を作り販売している記事だった。
僕もこれまで被災直後から、真赤な灯台がなくなった蓬莱島、波板観光ホテル・サ
イドの松林が失せた片瀬波の海岸(海水浴場)、森の図書館の裏山に眺望できる
鯨山を悲哀をもって見てきたし、その写真を多く撮ってきました。
オリジナル手拭を作る阿部恵子さんは、大槌町の自宅を失い盛岡で暮らしながら、
この販売資金で郷土芸能「安渡大神楽」の山車を入れる倉庫を再建するために一
念発起されたようです。
この前訪ねたとき、安渡の岬の高台に津波被害を免れ緊急避難場所になり炊き
出しをした大槌稲荷神社に、舞台もあって大神楽を撮った写真を拝見したが、この
芸能保存会のことであろうか。


浪板海岸と鯨山尾

2012年10月18日木曜日

新味噌開封!




昨年初めて仕込んだ自前味噌がを使い切ったので、今年二月に再挑戦した新味噌
を開封しました。
新味噌を早速、野菜たっぷりの味噌汁でいただいたところ、最高に美味しかった!
これまで食してきた味噌が底をついたから、新味噌を開封しがちょっと早かったかな
と不安になり、味噌作りに誘ってもらったOkさんにメールしてみた。
直ぐに次のような返事があって安心した次第です。


9月頃から食べ始める人もいます。
天地を返してから、
1/3位を取りだし、
後は元のようにふたをしておき、
無くなったら食べるようにしたらどうでしょうか。
昔は味噌蔵があって、
時々取り出しては、残った味噌樽に円錐形に盛り上げておいたのを覚えております。
味噌を売っているところでも円錐形のふたをしてあったものです。