2024年11月30日土曜日

霜月’24・11月のblogテーマ別更新録 4497

①3・11大槌町:広報「おおつち」’24・11月便り/藻場再生活動 4479
②社会・歴史&時事:もう戦争がはじまっている 4486
③出版・書店:トーハンの「Lマチの本屋さん」に期待 4473
④記憶の深層:八ヶ岳連峰~赤岳鉱泉 記憶の深層別① 4469
      :天橋立~丹後の海 記憶の深層86 4477
⑤記憶の断層:
⑥読んだ本 :松岡正剛;田中優子『昭和問答』を読む 4483
⑦映画・音楽:小路紘史監督『辰巳』を観る 4485 
⑧交友録  :イデ  アキラ 交友録⑦ 4474
⑨追 悼  :川嶋好子さんの墓前に 4476
⑩会    :7・8・9の会 新宿西口/思い出横丁 4470
⑪猛虎コラム:休み
⑫おかやま :湯原温泉/おかやま⑭ 4489
⑬日常雑記 :自分が重なる街で 4478
       弟  徹志が続けて黄泉の国へ 4492

末弟の告別式へ(4/2)      4495


倉敷の「アーバンホール福田」で10時から告別式があり、長男として着席す。
Gyoも同席。

宗派は一応、仏式と言えるものだろう。
通夜は近親者中心の出席で行ったが、葬儀・告別式に至って個人と親しかった
人に加えて、多数の弔問客の出席が見られた。
出棺前のお別れで寝姿を凝視したところ、作夫祖父(母の父)そっくりだった
のにはドッキリでした。
霊柩車で鷲羽山近くの火葬場で荼毘にふした。 

2024年11月29日金曜日

従妹と四親族の御墓と菩提寺を巡回(4/3)4496


朝からイリエ家の御墓(伯母)、母や二月に永眠した弟の御墓、祖父母が埋葬
されている桜井家の御墓、そしてわが家の故郷の菩提寺を、従妹と連添いの悟
さんの誘いに甘えて巡回させてもらった。
備中、備前、美作を大きく円周ドライヴした気分になる貴重な出来事でした。
今は鹿児島に生活拠点を移している悟夫婦とは、この弟の葬儀で10年ぶりで会
う巡り合わせでドライブ中、間断なく話が弾んだ。

今年三度目の倉敷へ(4/1)    4494

入江家玄関脇に咲く曼珠沙華
今朝、弟の葬儀のために、新幹線で東京駅を発って倉敷の弟の家に来ている。
通夜は、近所のアーバンホールで18時から執り行われた。

参列の顔ぶれは、この二月に亡くなった弟(三男)の葬儀で知れてるので久し
ぶりに親族一同と会う感じがしない。
ただ、津山に住む隆之が体調不良で今日になって出てこられず残念でした。
「なん妙法蓮華経」の読経と合唱を聴きながら、僕は合掌し幼少のころの弟を
想っていた。
会席のあとは、従妹の家に誘われるまま寄らせてもらい、薩摩隼人そのままの
連添いと深夜まで献杯とあいなりました。

2024年11月25日月曜日

’24年後半の極私的近況       4493

書函影
7月は、郷原宏の「野沢啓は何を越えたか」で、吉本隆明の「言語美」批判を
読む。自分も吉本の「転向論」のなかの積極的転向という論旨に慧眼したこと
があったが、「言語美」については批判的に読んだ。
大腸がん再検査は陰性でok。だが、循環器系再検査が必要になった。
8月 2月に永眠した弟の新盆に当たり、墓参で岡山へ。倉敷と津山に三日間
滞在。そして、弟たち三家族とそれぞれ顔合わせ、食事会とあいなった。
9月 「秘宝新社」をサポートはじめて一年になる。「映画秘宝」の月々の実
績は凸凹あり。雑誌の売行きが極度に低迷しているなか、何とか編集スタッフ
の奮闘で壁を乗り越えられる体制ができつつあると見ている。臨増も一冊創刊。
10月 岡田彰布阪神タイガース監督退任。御苦労さんでした。
11月 或る会のレポートを準備しているところに、末弟の死去の知らせが飛び
込んできた。2月に一人、弟を亡くしており続け様なので愕然としている。
明日が通夜なので、明朝から倉敷へ出かける。
12月(予定)

2024年11月24日日曜日

弟 徹志がつづけて黄泉処へ      4492

双子の弟であるテツシが今夕に自宅で死去。
僕と5歳下の兄の方が、今年二月に永眠したばかりでした。
双子の運命たるや、こうも直近で後を追うように逝ってしまうものかと不思議
な気がしている。
サイパン島に教師として赴任していた父が、戦中に生まれた双子の子に「戦争
貫徹」を意味しているのか、貫志と徹志と命名した。当時の軍国教育のなかで
は死を覚悟して初志貫徹は本気で全うするところであったであろうと想像して
いる。
二人が生誕して間もなく敗戦になり、その後の丸々80年の人生を自分の名前に
惹きつけて考えてみたことがあったかどうかは知らない。
弟は横浜の中堅商社に就職していた時代に、東京のわが家に遊びに来ることが
たまにあった。その当時、彼は自動車免許取りたてで、新車カローラを運転し
て颯爽とやってきた。僕は未だ免許を持っていなかった昔の話。

その日、軽々しく日光の華厳の滝と東照宮へドライブを所望したでのあった。
夜通し走ったクルマ旅であったが、いろは坂の途中でエンストしてしまった。
弟は、ボンヘッドをあけてエンジン回りを点検するが原因がわからず、一人で
悪戦苦闘。結局、電気系統の応急処置でなんとか中禅寺湖に夜明けにやっと辿
り着く。
詳しくは藪の中だったが、自家用車の運転は試乗して数日しか経っておらず、
初歩的ミスだったようだ。上京していた岸野お祖母ちゃんが一緒に乗車してい
て、彼が無口だったのは皆を不快にさせたくないという気づかいだったと思う。
一事が万事、気持ちの優しい弟でした。 おやすみ─。

2024年11月23日土曜日

極上のタイちり鍋に仕上がった    4491


わが家では、贔屓にしている魚屋さんの店頭に新鮮なタイのカブトが出たとき
にはザックリ買って持ち帰る。

とくにいまの時季は、「鍋」でまず賞味して、後日に「かぶと煮」を肴にして
ちびりちびりやるもよし。
今日はその探し求めていた丁度ころ合いの目もしっかりした切身に当たった。
鍋用とかぶと煮にする下ごしらえは、魯山人の「星岡茶寮」で体験したことも
あるyuの登場だ。
まず鱗を削ぎ、身と骨の部分を選別して冷水でよく洗い、笊で水切り置く。

2024年11月22日金曜日

古い或る日誌から(365/3)    4490

11/23(金)晴 福山市の盈進高等高校での全国高校弁論大会に出場。
勤労感謝の日に当たり、出場校もおおくて僕の登壇順は47番目でした。
朝、倉敷西阿知駅で乗車し生水、田口さんたちと国鉄福山駅へ。
弁論部顧問の佐藤先生も、遅れて会場へ来てくれる。
今日より、オーストラリアのメルボルンで第16回オリンピック開催。
(1956)

11/23(土)晴 勤労感謝祝日を利用して、船穂中学校時代の同窓会があり、
50人余の参加者。
貸し切りバスを利用して、高梁の「自然動物園」と「豪渓」の紅葉狩り。
クラス担任だった牧野先生と、父の友人でもある石井先生の同行があった。
中卒後、二度目の同窓会だったが、久々の交流で盛りあがった。(1957)

11/23(日)晴 有本(芳水)先生の指導で旅行の作文を書く。回想記なので
苦労した。
昨日の続き「更級日記」を読む。(解釈と解答)
この日記の作者は藤原道真の子孫で菅原孝標、の女子(娘)。(1958) 

2024年11月21日木曜日

湯原温泉/おかやま⑭        4489


岡山には美作三湯と称して、湯原、湯郷、奥津温泉がある。

まず名湯の誉れ高い湯原温泉の歴史は古い。江戸時代の諸国露天風呂番付で西
の横綱に推薦されているのだから。なんと言っても高さ75㍍の湯原ダムの壁を
仰ぎ、山山を愛でながら入浴できる砂風呂の醍醐味は格別。
中国山地の懐に抱かれた蒜山高原に源を発する旭川の上流域の山峡で湯煙を上
げている。
湯原温泉街(真庭市)の旅館は、地場資本でやっているので人情味にあふれ、
琴線にふれる癒しの原風景がある。
推定湧出量毎分6千㍑がすべて自噴泉だというから驚きです。

古く平安時代、湯原周辺でたたら製鉄がおこなわれていて、過酷な仕事を終え
た鉄山師が、湯船に葉が浮かぶ露天風呂で疲れを癒したようだ。

2024年11月20日水曜日

霜月の花/パンジー 庭の花③    4488


二年もののパンジーが庭先に咲いている。
濃青色の花びらに蝶がひと休みしているように映える。

この花は、複数色の混合など多彩な色彩をもっている。だから、産業祭の展示場
で好んで入手するときはイエロー・タイガー色を選ぶことが多い。
表玄関の陽当たりがいいところだと元気よく生長し、これから霜が降りようが、
積雪でうもれて凍結しても、融ければ一段と活気を取りもどしたように美しい。

2024年11月18日月曜日

もう戦争がはじまっている      4486

この数日、映画を観たり過去の映画遍歴をたどるうちに、ふと、現実に進行し
ている戦争と重なってアンジェイ・ワイダの『灰とダイヤモンド』を想起した。

第二次大戦終了後、テロリストのマチェックがスターリニストによって射殺さ
れるまでの話だが、その散りぎわが当時の状況のなかで自分の心情に強く響い
たものです。
戦争は終わっていたが、開戦中だけが戦争ではなく、前後のプロセスに隠蔽さ
れた悪場所がある。
半世紀以上経った現在も、プーチン・ロシアのウクライナ侵攻は1000日たった
今も拡大している。
この戦争状態には先の見えないラウンドが続いている。どんな形にせよ戦争は
終わって、長いながい立て直しの必死のラウンドが待っているはずです。
日本にも大正時代、シベリアに「出兵」という侵攻の意図をオブラートにした
侵攻があった。
昭和にはいってからは、「ノモンハン事件」、1937年に始まる日中戦争は、
「支那事変」、そして「大東亜戦争」へ。
ロシア軍の「侵攻」ではもうすまされない、れっきとした戦争だ。

2024年11月17日日曜日

小路紘史監督『辰巳』を観る     4485

凄い自主制作映画を観てしまった。
監督:小路紘史
出演:遠藤雄弥、森田想、後藤剛範、佐藤五郎、倉本朋幸、渡部龍平

裏社会を舞台にした血なまぐさい復讐物語。
戦後日本の裏面史として高い評価を得た『仁義なき戦い』(深作欣二監督)が
「血のつながりのない仁義的兄弟関係」の忠誠と裏切りを背景にしていたが、
この映画では同時に「血のつながった兄弟の心情的軋み」にリアリティーを持
たせているところのに緊張感が走る。
主人公の裏社会に生きる辰巳役の遠藤雄弥の、抑えた眼瞼鋭い眼差し空気感が
ニュー。
『ケンとカズ』&『辰巳』を引っ提げての、1986年生まれの若い監督の登場
は、韓国ノワールに太刀打ちできる作家力がある。。

2024年11月16日土曜日

シネマ遍歴の記②          4484


50年代半ばにはフランス・ギャング映画、『現金(げんなま)に手を出すな』
を中学生のとき一学期の中間試験を終え、吉田公也君と玉島の洋画館で観た。
ジャン・ギャバン主演でギャング映画の古典的名作となる。アクションシーン
も含まれるものの、アメリカ製ギャング映画とはちょっと異質なタッチで人物
同士の会話や行動の祖語による心理的機微が際立つ作品だと思った。
後に個性的風貌で存在感たっぷりの俳優に進化するリノ・ヴァンチュラを知っ
たのもこの映画でした。キャバレーの踊り子ジャンヌ・モローも美しかった。

日本映画でも、演技力のある魅力的な女優が映えた時代が昭和30年代にあった。

2024年11月15日金曜日

松岡正剛;田中優子『昭和問答』読む 4483


岩波新書『日本問答』『江戸問答』に続く第三弾。
ほぼ同世代の二人による対談シリーズは、これで終了。
松岡正剛は、本書の「あとがき」が絶筆となり、今夏8月に急逝してしまった。

なぜ私たちは競争から降りられないのか、国にとっての独立・自立、そして人
間にとっての自立とは何かを追求する。
松岡正剛;──姿を消した昭和は、いろいろだ。 戦争に立ち向かい、敗北し
占領されていったのだから、喪失したもののほうがべらぼうに多い。問題は、
そういうことをいったいどう語っていればいいかという時代社会観をめぐる方
法が、昭和全貌にやたらめったらつきささったままにあるということだ。
(あとがき「ゴジラが上陸するまで」抄)
田中優子;昭和の深層に、少しでも、眼をとどかせたい。そう熱望しながら、
対話を重ねた。語り尽くせなかったことについて、言葉を交わし続けようと、
約束を交わした。 けれども、松岡さんは、突然、攫われてしまった。
この本に刻まれたひとつひとつの言葉の中に、私は次に行く光のかけらを探し
続けている。

同世代感覚で「生い立ちのなかの昭和」から読み始め、前後を一気読みした。
(←ブログ:2024・8・22 「追悼  松岡正剛さん」4396)

2024年11月14日木曜日

シネマ遍歴の記①          4482


10余年つづく或る会では、会員に「今年の収獲」の名のもとで本、映画、音楽
などの項立によりコメントを募るのが恒例になっている。
ほかにも、雑誌などで自薦映画のような特集記事を見かける。
そこで事前に自らの映画体験を列挙してみた。

戦後1945(昭和20)年から、最新の2024年11月まで観てきた邦画、洋画混交
と云うことになる。
映画を観ることが一番の楽しみだったのが僕らの世代です。
「戦争映画」は殆ど避けてきたが、1967年公開の岡本喜八監督、「日本のいち
ばん長い日」(三船敏郎)は公開時に観て、最近、ハルともみた。
昭和20年8月15日、玉音放送のあったこの日は太平洋戦争終結の日となった。
この24時間の軍首脳のドラマを鋭利な映像で描き迫力ある映画になっている。

人生で初めて接した映画は、「ターザンの怒り」(ジョニー・ワイズミュラー)
で津山の新地座(後に津山協映)のスクリーンでした。1947年のことです。

(←ブログ:2024・5・26 「懐かしの映画館①/岡山・津山篇」4311)

2024年11月13日水曜日

追悼録 控え① 2012・1~’13・10   4481


1.  松原治(元紀伊国屋社長)死去  2012・1・6記 (10)

2.  幼少からの親友・坂手恵基君逝く  2012・3・16記 (53) 

3.  追悼  松浦唯夫さんのこと  2012・4・17記 (76)

4.  出口米次郎君  追悼  2012・6・19記 (102)
   (出口君の最後の旅  2012・7・12記 (116))  

5.  追悼  北川友一郎 饒舌の魔  2012・9・20記 (143)

6.  齋藤典さんのこと  2012・11・15記  (172)

7.  河竹俊夫教授について  2013・5・7記  (299)

8.  未來社時代の同僚  秋山順子さんを悼む 2013・5・25記(314)

9.  高橋たか子さんの死に接して  2013・7・20記  (358)

10.  秋山駿氏の訃報に接して  2013・10・6記  (427)    

2024年11月12日火曜日

二重カーテンのクリーニングを一気に 4480

未だ暮れの大掃除期ではないが、ダイニング部屋のカーテンを大々的に水洗い
してクリーニング。
例年だとyuが単独でサラリと処理してすますところだが、加齢で高さのある
脚立に登り天のフック外し掛けが難儀になり、オイラに応援を求めてきたと云
うわけ。
ところが自分も足腰が次第に弱くなっており、実際に手伝ってみると上り下り
と上段での作業中フラフラしてヤバいと思った。

午後から外出して、夜帰宅してみると、真新しい二重仕切りの暖かく感じさせ
る感動的模様替えになっていた。終わった後のお楽しみと云うわけか、、。 

2024年11月11日月曜日

広報「おおつち」’24・11月便り   4479

地元大槌の海を守る藻場再生活動の報告あり。

岩礁に生息する海藻の群生が衰退したり消失する「磯焼け」現象が、大槌湾や
船越湾で3・11津波災害以降から少しずつ現れ始め問題視される。
大槌町の歴史ある水産資源を守るため、町と地域の住民有志で磯焼け対策活動
を開始。
藻場保全再生活動をするにはダイビングすることも必要で、その研修に取り組
む様子を数年前に見たことがある。

(←ブログ:2016・12・12「サンゴ健康を回復するか」1586)
(←ブログ:2017・7・21「海の日とサンゴ」1808)

2024年11月10日日曜日

自分が重なる街で          4478

先日雨のなか、新宿駅東口前のスクランブル交差点をいつも変わらぬ人混みを
横断する。

このカオスを象徴する場所は、僕が上京した65年ほど前と情景に違和感はない。
「二幸」が「アルタ」に変わり、一段と高層ビルが林立したぐらいだ。
東口から西口へビックリガードを歩いてくぐると「思い出横丁」入口。
戦後の新宿は闇市で活性化し発展した。東口の中核となる歓楽街・歌舞伎町に
対して、西口は高層ビルが立ち並ぶ窮屈なビジネス街に変貌しているが、線路
沿い裏の一画には今なお混沌たる雰囲気をたたえた好きな場所が残っている。
今日も居酒屋の二階窓際を占拠して、かつて山登りやスキーで憧憬の甲斐駒、
八ヶ岳、乗鞍・穂高へと、お世話になった中央本線の車両をながめる。
よく乗ったピンク色の「あずさ号2号」も、今では最新車両に進化したが懐か
しくチラリと見つめるのであった。

窓際で特急あずさ見てわが想い信濃路より望む雪の常念

2024年11月9日土曜日

天橋立~丹後の海 記憶の深層86   4477

余部鉄橋(影:pen)
続(4ー4)
敦賀「つかさ」朝食バイキング~8:10発→天橋立 verry good~丹後の海→
余部鉄橋(空飛ぶ鉄橋)→東郷湖→奥津16時着。

天橋立:松島、宮島とともに、日本三景の一つ。全長3・6㌔の砂州に約700本
もの松が生い茂る珍しい地形で、神秘な造形をなす。

川嶋好子さんの墓前に        4476


新宿駅で湘南ラインに乗って、栗橋で乗り換え東武日光線で栃木駅へ辿り着く。
十数年前に、川嶋さん招待の食事会ではうなぎ割烹「うなけい」で席をもった
があいにく休日で、移動して贔屓にしているらしい「成都酒家」で献杯して、
「偲ぶ会」になった。 

2024年11月7日木曜日

富士山 一ヵ月遅れの初雪化粧     4475

富士吉田市は6日、富士山の「初雪化粧」を宣言。

昨年より32日遅く、同市が宣言を始めた’06年以降で最も遅い。やはり、今夏の
記録的猛暑と夏日続きは、富士山の頂上気象にも反映されているようだ。
ちなみに、甲府市に在る甲府気象台で観測する「初冠雪」は未だ宣言されず。
理由は、6日は雲が多くて富士山を眺望できずとのこと。1894年の観測開始以降
最も遅くなっている。130年間で未だ初冠雪無しというのは驚きです。
さて、今シーズンの郷愁をかきたててやまない雪景色の情景はどんなものだろう。

2024年11月6日水曜日

イデ アキラ 交友録⑦        4474

小仏峠(’99・11・11影)
井出君とは、大学時代は二学年下だが、すれ違っている。
直接会って話すようになったのは、「日本読書新聞」の編集者になった彼が、
埴谷雄高の取材で未来社を訪ねて来てくれた機会からだったように思う。
彼が言うには、僕が自治会活動で処分をくらって大学構内のタテカンで名前を
知り、藤森成吉(小説・劇作家)の縁者かと推測していたと、、。関係ナシ。

この頃から、草野球・カンバイズを通じて一緒することが頻繁になる。同時に
編集者仲間や出版業界の情報交換にかこつけて、飲みながらの交流が定例化し
ていったのである。
そんななかでも印象深いのは、八王子西端にある小仏峠を三人で目指した日の
ことである。
井出彰の著作『休日、里川歩きのすすめ』(平凡社新書)に記ている。
「高尾や小仏は自分の庭みたいなもんだよ、と以前何かの折に言った白井さん
の言葉を覚えていた。~私にとって気やすく声をかけることの出来る、洋泉社
会長で羽村に住んでいる藤森さんとを誘って三人で小仏峠へ出かけた」。
この紅葉時季の三人合わせて160歳越の珍道中は、深掘りできる忘れられない
ものになった。

(←ブログ:2022・10・17 「写真は記憶の断層を掘り起す」3622)

2024年11月5日火曜日

トーハンの「Lマチの本屋さん」に期待4473


これまで日販とコンビニが連携して展開する併設書店、「LAWSONマチの本屋
さん」(新規展開+一部)への出版配送をトーハンが引き継ぐ。(文化通信社)

マチの本屋ブランドで展開するのは11店舗で、近々滑川森林公園駅前店をリニ
ューアルオープンする。トーハンとしてかかわる最初の店舗となる。
わが家の直近に在る店舗は、「狭山南入曽店」と云うことになる。

書店が一日一店のペースで街から消えるご時勢に、生活圏内の近場で本の購入
ができるのは何はともあれ良いことだと思う。

「文化の日」初実施日        4472


1948(昭和23)年(2-2) (8歳)
6・19    「グッド・バイ」を遺稿に太宰治(38歳)、富栄玉川上水水死
7・15    GHQが新聞の事前検閲をやめると発表。
7・18    パレスチナのアラブ・ユダヤ双方が国連の停戦命令を受諾。
7・29    ロンドンでオリンピック(14回)開催。敗戦国日本は不招待。
8・ 1    アラブとイスラエルがエルサレムの非武装化受諾。
8・ 6    古橋広之進1500㍍自由形で世界新をマーク。18分37秒。
        (ラジオ放送の波打つ波長に耳をかたむけ興奮!)
9・ 9    朝鮮民主主義人民共和国が成立。首相に金日成。
10・19    第二次吉田内閣成立。
11・ 3    「文化の日」が国民の祝日として初めて実施される。
11・ 7    中国の内戦、国民党軍が人民解放軍に大打撃(57万)受ける。
11・12    極東国際軍事裁判で25被告に判決。
12・10    国連総会が、世界人権宣言  採決。

公開シネマは、酔いどれ天使/破戒/王将/美女と野獣/イワン雷帝/海の牙。
歌では、岡晴夫の「憧れのハワイ航路」がヒット。

2024年11月3日日曜日

産業祭も変貌しつつある       4471

産業祭(’24・11・3影:And)
きょうは昨日と打って変わって、秋のスジ雲浮く快晴。(晴れ特異日)
正午前に隣の公園で開催中の産業祭会場をぶらぶら歩き見てまわった。

毎年早朝に出かけて、地場生産農家が出品した新鮮野菜を数種類購入するのを
楽しむのだが、今年は買いそびれた。
遅い時間帯に行ったばかりでなく、売り場が縮小されて活気を感じなかった。 

7・8・9の会 新宿西口思い出横丁 4470

’24・11・2(影:And)
きょうは朝から雨模様。

新宿駅駅東西オープン通路ができて便利になったが、西口地下街は大工事中で
地上に出るのにいまだに迷い込む始末。
先ずは、通いなれている東口地下のカフェ「BERG」の美味しいコーヒーで一
休み。めったに都心に出ない土曜日とあって、若者の人波は並はずれて凄い。
ビックリガードのちょっとした距離だけ折りたたみ傘をさして思い出横丁贔屓
の店へ急ぐ。

幹事のイクシ君とスパー老人は、中央線の電車が見える二階の窓際に陣取り、
すでにビール一本あけて談笑中。
さっそく乾杯!真澄さんの98歳の誕生日を祝し、イクシ君には息子さんの結婚
を祝す祝い酒で祝辞を、、。

2024年11月1日金曜日

八ヶ岳連峰~赤岳鉱泉 記憶の深層別① 4469

1976年5月2・3日の連休に、小学低学年のgyoとひろひこおにいちゃんを連れ
未来社関係者と本格的登山をはじめて経験。総勢11人。

コース:新宿駅特急あずさ/八王子駅乗車→茅野駅バス→1時間八ヶ丘農場→
10分美濃戸口──7㌔2時間  美濃戸──5㌔1時間50分  赤岳鉱泉(行者小屋一泊)
翌朝──2時間50分雪渓を踏みながら硫黄岳──40分  夏沢峠──50分本澤温泉
──1時間30分  みどりヶ池──1時間40分  稲子湯(森・ログハウス近隣)バス
→松原湖 
(gyoは元気で、登りも下りもリーダーの後ろについて疲れ知らず、、)。