2016年4月30日土曜日

『待っている人』を大槌「森の図書館」へ  1361

書影(2014・12刊)
友人吉田K君から、『待っている人』(藤田順子著)をあずかった。
帰りの新幹線の車中で一気読み。

ミツバチや倉敷駅、テーマパーク、カブトガニ、吉備真備、それに岡山弁が懐かしく
頁をめくった。
自由詩でありながら、私小説のように読めた。
テーマの状況は私的世界で、描かれているのも一貫して私的な状況ばかりと云う
のが胸にジンとくるものを誘う。

収録中の表題作は、第9回「木山捷平文学選奨」を受賞している。
ぼくは私小説にあまり関心がなく島尾敏雄や梅崎春生、吉行淳之介ら数人しか読
んでこなかった。
なかでも木山捷平が岡山笠岡市出身の作家であることは、「木山捷平文学選奨」
ができて、出版社に応募要請が届くようになった頃に知ったぐらいです。

著者の申し出通り、さっそく被災地大槌町浪板海岸の「森の図書館」に届けました。



2016年4月29日金曜日

或る書店の現場           1360

書影(1981・9/未来社刊)
このたび、同窓会から菩提寺への墓参を機会に、余暇を利用して書店を訪ねた。

僕の経験からする50余年を経た書店の今昔に、驚くほどの変容があったとは思
えない。だが、リアルに書店人に接してみると、かなり変わってきている事象に出
くわす。

中小の出版社は大型書店を相手にしなければ本が書店に並ばない流通構造に
なっている。
独立系の専門書店は別として、読者指向の名の下に、品揃えの上で売り上げ効
率至上主義に大概がなってしまっている。ここにも問題はなくはない。
そうなる背景には、防ぎようのない活字文化の衰退があるとともに、高度に進化
する商品管理システムの導入で、売れるか売れないかで選別される役割分担が
できているようにおもえる。

今回の訪問で、こうした厳しい状況のなかでますます棚占有率が狭まる「人文書」
を扱う担当者の苦労とやりがいを感じさせられる接客姿勢に接することもできた。
主要都市にあるナショナルチェーン店の一店だが、教育が行き届いているからだ
ろう。
帰宅して、日ごろブログにリンクされる「M書店情報版」にそれとなく、完全な品揃
えと今後の開けた対応にツイートしたところ、
「お世話になります。こちらこそ、お忙しい中ご来店いただきありがとうございまし
た。今後とも、、、。」 K&Y 17時 と。
コミュニケーションの形も変わってスピードを感得しました。
【ぶら書店/10】

(←ブログ:2015・10・8 「八重洲ブックセンターへ」1156) 別
(←    :2016・2・18 「仕事としての本屋さん」1288) 1
(←    :2016・2・21 「25年ぶりの面談」1292) 2
(←    :2016・3・2   「横浜へ」1302) 3
(←    :2016・3・4   「あるナショナル書店の場合」1304) 4
(←     :2016・3・16    「書店・カフェ~どうなる書店格差」1316) 5
(←     :2016・3・22   「変わらない有隣堂伊勢佐木町本店」1322) 6
(←   :2016・4・4 「LIBROの人と面談は十数年ぶり」1335 7
(←    :2016・4・7  「書店訪問をたのしむ」1338) 8
(←    :2016・4・18 「本屋大賞実行委員の書店人と」1349 9




2016年4月28日木曜日

法然と美作国「誕生寺」        1359

書影
昔なら、津山から岡山へと云ううことになるが、今は倉敷から岡山経由で吉井川
にそって津山に向かって北上すると、途中に「誕生寺」が見える。
この誕生寺こそ、法然上人生誕の地に建立された浄土宗の寺院で山号は栃社山。

法然房源空は1133年(長承2年)に、美作国(現材の岡山県久米誕生寺)に武士
の子として生まれる。9歳のとき夜襲で父を失い、出家。15歳で比叡山に登り修行
に入る。43歳のとき、中国・善導大師が記した著書を基に「専修念仏」の道に入り、
浄土宗を開宗。

ここにきて、新創刊の「法然思想」を読んで納得するものがあり、現代思想誌として
の扱いを書店へ提案している。
このことで、いままで個別の宗教にあまり関心がなかったせいで、誕生寺を素通り
していたが、今夏には寄ってみようと思うようになった。
僕の先祖の四代前本籍が岡山久米郡で一致することも、関心の拠り所。

本誌の趣旨は、「後期法然」の言説、「専修念仏」の精髄を読み解くことを主眼とし、
「前期法然」は捨象すると。

(←ブログ:2015・9・18 「「小出版社」は悪戦苦闘中、、」1135)

2016年4月27日水曜日

三菱自動車の罪           1358

三菱水島製作所/1300人一時帰休(2016・4)
三菱自動車のあきれた不正な燃料データ計測が発覚して、連鎖倒産が心配され
ている。

軽自動車や日産自動車向け車種の燃料目標を達成するために、燃料データの
改ざんに走ったということらしいが、直接従業員に及ぼす影響は計り知れない。
10年ばかり前に、リコール隠しが発覚して相当のダメージを受けたはずなのに
それにも増して経営危機は深刻になるはず。
さらに追い打ちをかけるように、今夕の新聞によると同社の筆頭株主である三菱
重工も大型客船の建造遅れで3月期決算に508億円の特別損失を計上すると
発表している。そのことで、よりどころの支援も厳しくなりるだろう。

先日まで倉敷水島に逗留していていたが、その場所がまさに「三菱自工水島」の
ある場所で、住民の生活に直結している事をもろ感じさせられた。
工場をぬって走る縦横の道路から、工場や授業員の駐車場が見渡せるが、今回
走っていて見えたのは、人気も少ない静寂が漂う風景でした。

この町は、川鉄と三菱自工が花型企業で、高校生の目指す就職先であったり、関
連の中小企業や二次三次の下請けで成り立っている。
従業員の自宅待機も出ており、業績悪化により景気や雇用に打撃を与える可能
性は十分にあると思える。
多くの社員や家族の生活基盤を一瞬にして窮地に追い込む。この企業の罪は深
く責任は重大です。

2016年4月26日火曜日

20年以上ぶりに紀伊國屋書店梅田本店へ1357

丸善岡山シンフォニービル前(2016・4・26影:Tab)
丸善岡山シンフォニービル店から紀伊國屋書店梅田本店へ。

今回の「ぶら書店」の趣旨は、サポートする出版社の認知度向上のためで、キー
マン探しの訪問です。
書店の日進月歩があったにしても、書店の対応はすっかり変わってきている実感
が強い。

市電に乗ってシンフォニーホール前でおり、20年ぶっりぐらい経っていると思うが
丸善を訪問。店舗入口のロゴも受け取る名刺も「丸善」に「ジュンク堂」が併記され
ているのに何か違和感がある。
アポも取らず午前の早い時間に行ったにもかかわらず、最近まで人文う担当から
洋書に変わったÝさんと引き継いだKさんの対応はすばらしかった。
初対面で当出版社の著者である山崎::さんや渡辺京二の名前が連ねて出るし、
棚ざしの場所への案内も的確で感銘させられた。
これだけ常備(不寄託)してしていると、逆に売れてないのではないかと不安になる
ものだ。

5高速道を走破して          1356


神戸での「船中」同窓会のあと、急きょ倉敷へ。

母親の12回忌の墓参をすませて、廃船になってしまった後の「水江の渡し」の
遺構を見に行く。

その後、瀬戸内道、倉敷道、山陽道、中国自動車道、出雲道の五つの高速道路を
ジャンクして、わが家の菩提寺に詣でる。
さらに奥に4キロ、70年前に通学した「泉小学校」の校庭に立つ。

2016年4月24日日曜日

神戸元町「南京町」で         1355

H関西の会(2016・4・24影:Tab)
「木造のあの校舎をして60年。喜寿を迎える年となったので、久しぶりに集まろ
うではないか。」との声に誘われて神戸の南京町へ出かけました。

神戸は十数回訪ねている。最近では、神戸新聞社に「江夏豊の本」をつくると
きによっているが、元町通りを越えた南京町商店街へは初めて行きました。
東西270㍍・南北110㍍のなかに中華街を形成し飲食店と物品店がカオス状
にひしめき合っている貌は横浜中華街とそん色ない。

2階の会場に入ると、すでに12人が集まり談笑していた。今回の呼びかけの一
人キミヤ君にあいさつすると皆が、「遠くからよく来てくれた」と、いっせいに歓待
してくれた。
中学校の在った地元を離れて、大阪や神戸周辺を生活拠点とする気心の知れ
た仲間の同窓会のせいか、近況や健康具合の喋くりに終始する和やかな雰囲
気で進行した。
それにしても、僕にとって60年前から(キミヤ君を除いては)、これまでの数回
の同窓会でしか会っていない友なので、想いだすだけで距離感があった。
小学校は別で同窓ではないしね、、。

(←ブログ:2015・12・5 「遠方より来たらず」1213)

2016年4月23日土曜日

『お殿様は「今」』を拾い読み      1354

書影
手元にある新書の頁をめくっていて、有馬頼義「有馬家」の項目に惹きつけられ
た。

有馬頼義については、推理小説『四万人の目撃者』を読んだことがあることや、
1970年頃の「早稲田文学」編集長であったことを知るぐらいで、久留米藩の第
15代当主であったことがハッキリしたのはこの本によってです。
埴谷雄高は自著を親しい関係者に贈るときに寄贈リストを作って渡していたが、
そのなかに有馬頼義があり、頼義が主宰していた文学サロン「石の会」の常連
だったらしい五木寛之、高井有一、後藤明生、渡辺淳一、立松和平らも含まれ
ていながら、埴谷さんからあまり有馬頼義の話が出ることはなかたようにいまさ
らながら思ってみる。

大名として存続し、明治には華族になり、各藩当主のその後の生きざまは様々
ながら、頼義は旧家の家柄や血統、権威主義を否定し、旧満州に渡り軍隊生活
を体験して帰国後も小説を書き続ける。その背景には、父への大反発があった
と、、。
父頼寧は競馬界への貢献を称えて、中山競馬場で年末開催される「有馬記念」
レースの冠にもなっているが、、。


2016年4月22日金曜日

歯痛で駆込む            1353

庭のつつじ(影:2016・4・22)
午後から歯の痛みが激しくなり、夕方になってもいっこうに治まらず歯医者さんに
緊急駆込む。

雨上がり庭に咲いている桃色の花で盛り上がるツツジを眺めてながら、奥歯の痛
みが和らぐのをまったがますます酷くなる。
阪神対広島戦のナイターTV観戦をはじめると、初回3点先制してヨシよし、となる
はずが、脂汗が額に滲み出る始末。
かかりつけの歯科に電話すると「すぐいらっしゃい」、との応対に接し、感謝感激
で自転車を蹴ってN医院に飛び込みました。
と云ううことで治療後、先ほどまで寝込んでいました。

(ブログ:2016・4・12 「障害感覚を抱くようになって、、」1343)

2016年4月21日木曜日

定点観測/大槌シーサイドタウンマスト 1352

マスト駐車場広場(2016・3・11 影:広報おおつち)
手づくりのペットボトル製の灯籠にローソクを灯し、3・11の犠牲者を追悼し
た「マスト」の広場の写真を見たとき、大震災直後に大槌町に足を踏み入れ
て目にし驚愕したその日の光景がよみがえってきます。
そして、いち早くオープンした「一頁堂書店」が、このマストのなかにあります。

灯籠には、町外の支援舎たちの被災地大槌への思いの共有と当事者大槌
町民の支援者への感謝をつづったメッセージが寄せられている。
大槌町は古くから伝統ある漁業の町です。漁港のふ頭では海に向かって手
を合わせる姿も見られ、町全体が震災から5年目の静かな鎮魂でつつまれ
た、と聞いています。

3・11の自然災害は、災間でまた熊本・大分地方、そしてほぼ同時期南米の
エクアドルで生のエネルギーが噴出し襲ってくる不条理を実感します。
被災したシーサイドタウンマスト(2011 影:Can)
(←ブログ :2012・1・1 「忘れられない2011/3・11を乗り越えて」6)
(←   :2013・1・10 「復興まちづくりは住民の入魂で」)
(←      :2014・1・14 「「森の図書館」、鼻曲がり鮭」)
(←   :2014・8・12 「大槌町と大槌湾 7月の定点写真」730)
(←   :2015・2・14 「も少し、津波と神社のトリビア!」 917)
(←   : 2015・3・9  「虎舞/星野仙一記念館前ステージで舞う!」 940)
(←   : 2015・4・13 「震災から4年 定点観測」977)
(←   :2015・5・15  「復興予算 一部被災地自治体の負担に」1009)
(←   :2015・6・12  「中心市街地再生計画動き出す!」1037)
(←   :2015・7・12  「大槌湾からアメリカ西海岸へ漂着!」1067)
(←   :2015・8・15  「5年目を迎えるお盆」1101)
(←   :2015・9・13  「大槌町の<再興>は」1131)
(←    :2015・10・12 「<大槌まつり>復興への希望をのせて!」1161)
(←    :2015・11・12 「4年8ヵ月~嵩上げの大地を見て」1191)
(←    :2015・12・16 「六串商店の復興への歩み」1224)
(←   :2016・1・10 「5度目の新年を迎えたが、、」1250)
(←   :2016・2・15 「大槌町の小中一貫校に夢のせて」1286)
(←   :2016・3・16 「定点観測/慰霊施設「鎮魂の森」1315)

2016年4月20日水曜日

「のらぼう」をめぐって         1351

あきる野のノラボウ(2016・4・20 影:Tab)
羽村に住むようになって、もう50年近くなる。
越してきたころは家の周辺は野っ原で、キジや野ウサギが雑木林と草むらにいて
畑作りもさかんだった。もちろん、まだ農家もあって農協活動も盛んです。

多摩川を渡った峠の向こうにある「あきる野農協」は、野菜の種類が豊富で生産
者がとっかえひっかえ出品するから新鮮で美味しいことうけあいです。
今は旬の「のらぼう」が山と積まれています。
前振りが長すぎたが、先日ゴンパチさんと一献傾けたとき、彼の「土方さんの庭で
採れた葉っぱのオヒタシ美味かった!何って言ったっけ?」にはじまって、ノラボ
ウの名前を思いだした。

はじめてその名を聞いたのは、日販元副社長らと出版社仲間で妙高高原に旅し
たことがあって、その日の晩餐ではじめて見る巨大なイワナのフルコースメニュー
に野蒜と一緒に盛られていたのがノラボウと教えられたときのことです。
最近になって、こののらぼうは、あきる野市や青梅、羽村、飯能付近に多く栽培さ
れているらしいことを知った。
アブラナ科の野菜で耐寒性に優れ繁殖力があるので、オヒタシや炒め物など多彩
なレシピでこれからもっともっと口にすることが多くなりそう。

(←ブログ:2015・3・20 「知名度の高い妙高山!記憶の断層55」951)

譜代村の人に聞く          1350

北山崎 (影:Pen)
岩手普代村出身のマサタニさんに郷里の話を聞く。

譜代は3・11の大津波で防波堤の外側にあった漁業施設や加工場は壊滅し
たにもかかわらず、人命を失うことが奇跡的になかった。
その海岸に面したところから6キロぐらい山に入ったところが郷里らしい。
岩手県の北端に位置するリアス式海岸特有の奇岩を露出する北山崎にも近
いと。

譜代村の奇跡は、過去の大震災・大津波、明治・昭和初めの三陸地震で多
数の犠牲者を出した経験を生かして造られた譜代水門と太田名部防波堤が
集落への津波襲来を防いだためとされている。

被災前に下北半島から釜石に海岸線をクルマで旅したとき、第三セクターの
三陸鉄道譜代駅で休憩したことがある。
そのとき小さな駅ロータリの「イチゴ煮」を宣伝する看板に誘われて食べた。
ウニとアワビのお吸い物で、この地方の伝統的メニューにして超美味しい。

(←2013・11・11 「北山崎・鵜の巣断崖/記憶の断層14」)


2016年4月18日月曜日

本屋大賞実行委員の書店人と     1349

定点写真(2016・4・18 影:Tab)
書店員が年度ごとに一番「売りたい」と思う本を投票して大賞を選出する
13年目の「2016本屋大賞」が決まった。
宮下奈都『羊と鋼の森』(文藝春秋・刊)が受賞。

本賞の選定委員でもある書店人に会う機会があって話を伺ったところ、もう13
回目、13年が経過していることを知った。
こうした賞が発足したとき、妙な違和感があって疎んじてきたが、年々市民権
を得るとともに賞にパワーがつき、必ずと云っていいベストセラー現象を助成
する貢献度を認めなければならないだろう。

僕は小川洋子の小説は結構好きで、『揚羽蝶が壊れる時』に始まって『博士の
愛した数式』から最新刊まで読んでいるが、後者が本屋大賞の第一回受賞作
であったのを知ったのは読了後日のことです。
そして、受賞をきっかけにベストセラーになったのもピンときていなかった。
彼女の小説構想と筆力そのものがイイからこそ読者であるのは前提だが、一
番は彼女が少女時代からのタイガースファンであること、そして岡山の出身や
早稲田の文藝であったことなどが、身近に感じさせてくれる心因になっている。

受賞した著者のことばは毎年のことだが、「本を愛する最も本に身近な書店員
の方によって受賞できたことは嬉しく励みになる」と、大体こうした本音を語っ
ている。
文藝書籍が売れない不振は深刻で、なんでもイイから新しい神話づくりのきっ
かけになれば越したことはない。
よしんば、一極集中にならずすそ野の広がりを願う。

2016年4月17日日曜日

三毳山のカタクリ           1348

三毳山のカタクリ(影:Can)
圏央道で東北自動車道に入って、佐野藤岡が最寄りのIC。
その近くの「みかも山」(230メートル)北側にカタクリの群生地が広がっている。
小山のなだらかな斜面に、薄紫のカタクリの花が咲きそろう光景に圧倒されまし
た。

カタクリの花の群生と、花一輪に感動するよううになったのは、桜が散って青葉を
出す頃、羽村堰対岸の雑木林に静々と咲くのを見るようになってからのことです。
発見した最初のころは、知る人も少なく秘密の場所にしていました。
それからは、4、5月になると近場の御岳や瑞穂の峠をさきがけに、秩父などへも
ザゼンソウとあわせて花ヴィークルするようになりました。

2016年4月16日土曜日

フォト絵/消える渡し         1347

倉敷岸乗船(2016・4 影:陽)

高梁川一級河川



柳井原対岸
開通したばかりの「倉敷大橋」

(←ブログ:2016・3・5 「故郷・水江の渡し舟」1305)
(←    :2016・4・15 「最後の倉敷「水江の渡し」1346)


2016年4月15日金曜日

最後の倉敷「水江の渡し」       1346


倉敷の弟が、90年の歴史に幕を下ろす「渡し舟」を特集する「山陽新聞」記事と
写真を送ってくれた。

60年余り前、通学に、倉敷の街へ映画や本屋に出かけるとき、愛用の自転車
を乗せてくれる木造の小舟が艪で川面を進む風景を想いだす。
いまは、背景に1月完成した「倉敷大橋」510㍍が見上げられる様で、景観は一
変していることでしょう。
僕が利用していたころはまだ生活航路としての利便性から、ひっきりなしに往復
していた。

住んでいたのはわずかな年月なのだが、その柳井原の湖畔に手作りの瀟洒な
わが家があった。上京からしばらくして、貯水湖と高梁川を堰き止めるダム建設
の話が持ち上がっていたが、とん挫した。その代わりではないのだろうが、巨大
な大橋が造られたということか、、、経緯は知らない。
でも、地域の遺産として存続してほしかったところだが、倉敷大橋の開通で役割
を終え廃止に追い込まれたのは残念です。
柳井原は、赤りんご以外なら何でも採れる果物畑が一面に広がる牧歌的な古里
の郷愁いっぱいのところだけに、「柳井原の渡し」に乗れないと思うと感慨ひとし
おです。

(←ブログ:2016・3・5 「故郷・水江の渡し舟」1305)

2016年4月14日木曜日

多摩平の森で「花見」         1345

(影:Can)
豊田駅の前に広がる「多摩平の森」は、樹木の伐採を禁じている。
そもそもこの地域は、山と森で覆われていたはずで、戦後、急激に開発が進み「野
猿峠」のように峠がいたるところにあったはず、、。

ゴン八君の家はこの「森」の一角にあるが、周辺には高さが30㍍は優にある欅の
木が芽吹き始めていた。
酒をうけつけないヒジカタさんと別れて、二人はこのまま帰途につくことはなく焼酎
を買い込んで、「花見」になった。
いつものことながら、こうなると一時間やそこらで跳ねることはなく3時間に及んだ。

酔いがまわって最後は、横丁を入ったところに在る、彼行きつけの立ち飲み焼き鳥
屋で仕上げ。
行きつけの店。店内に入るとこの場だけで意気投合できる店。
地縁云々以前に彼は、「行きつけの店」を持てる精神性を持ち合わせていることに
納得した。
「いつもありがとうございます」、と言われて店を出た。

(←ブログ:2013・7・2 「親友」)
(←    :2016・1・23 「ゴン八さんと新年会」1263)

土方歳三ならぬ土方Sさんと      1344


早朝、都心で打ち合わせを終え、引き返して豊田へ。
北杜の山荘から出てきた土方さんとゴン八君が会食しながら待っているレスト
ランへ。

先月、ご夫妻にお世話になった味噌寒仕込みについてのお礼から、6月に行
う仕込み味噌の天地返しについて聞きこむ。昨年はその時期をずらしてしまっ
たり、少し塩を加算するのを忘れる不手際が重なってしまった。要、注意。

前紀伊國屋書店のヒジカタさんのこと、きょうもまた話は次から次に派生して、
草創期の田辺茂一さんのこと、満州帰りの松原さんの関係などを、これまで聞
いてきた視点を変えて語り部してもらえるので、新発見があって面白い。
僕たちより古い紀伊國屋書店の古参は限られてきているので興味津々。

(←2012・1・6 「松原治氏(元紀伊國屋書店社長)死去」10)

2016年4月12日火曜日

障害感覚を抱くようになって、、     1343

(2016・4 影:Can)
生来の感覚障害が一部にあったが、おおよそ60歳ころまでは障害を障害とし
て感覚したことがなかった。
ところが、いまは視覚→臭覚→触覚(=痛覚)→聴覚の順に弊害の度合いが
進行しているように思う。

まぁ、視覚は生来の障害に眼瞼麻痺が加わり、それをボドックスで抑える習慣
にならされている。
つぎに臭覚だが、スキーで木に衝突し鼻骨を骨折したのが原因で若干呼吸障
害がある程度で臭覚そのものに影響は少ない。
そして触覚に痛覚を含むと歯周病で一部痛みが出ている。
にいま一番の消耗は聴覚で、この一、二年で急激に聞き取りが難しくなって、
ハルが耳に手を添え、「えっ、のオジイチャン!」と、揶揄するほどに、相手の
皆に迷惑をかけている。

というw具合で、五感のうち残りの味覚は未だ健全なので良しとしているが、既
に蝕まれている四感の崩壊から病気でも発病すれば、五感全部にガタがくる
ような危機感があります。
わたしたっちの身体は一生のなかで、何らかの障害に遭遇するように形成され
ているのであろうが、自分としてはいまそこにいるように思えてならない。

(←ブログ:2015・4・4 「会席と難聴と滑舌」968)
(←    :2015・5・31 「聴力に黄信号!」1025)

2016年4月11日月曜日

統合した大阪屋栗田の始動に接す   1342

柳が切られていた!(2016・4・11 影:Tab)
今日は都心に出て忙しく移動した。
トーハンから新オフィスに移った出版社を訪ね、神保町の魯迅がこよなく愛した
酒店で食事をし、神田村から最後のアポ所「大阪屋栗田」で完了。

新スタートした「大阪屋栗田」に行くのに、久々地下鉄春日町で降りる。
手違いで目的の人に会えず、急きょ仕入企画部Sj次長が面体してくれる。
大阪屋栗田はサブネーム「OaK出版流通」の別称があるが、「樫の木(OaK)
のように、しっかりと大地に根を張った信頼される会社」、としている。
大手版元の祝生花も飾られ、社内が明るいイメージ。そして何より、社員に思
っていたより活気が感じられた。

人事はすっかり若返り、かつて窓口で商談していた人たちが部長や次長、課
長でバリバリやっているのに接することは、自分がいかに年をやり過ごしてし
まっているのに気づかされることでした。
出版業界に入って長いが、現在は本当に厳しく大きな転換期なのだろうとヒシ
ヒシとおもう。それにしても、大阪屋栗田が誕生する事態がおきると予想などし
ていなかった。
だが、インフラという実質面では、いまや日販とトーハンの二大グループ体制
と云ってもいい状況になった。

今日のところは、戸田書店チェーンの情報を得ることだったが、同一フロアー
に担当部長がいて、今後の関係構築にむけてイイ話になったと思う。

(←ブログ2015・6・26 「栗田出版販売、民事再生に!」1051)
(←    2015・7・6   「栗田出版販売のその後」1061)
(←   2015・11・10 「栗田出版販売の「再生計画案」」1189)

2016年4月10日日曜日

勇壮な御神輿の水中渡御       1341

桜/羽村郷土館前(2016・4・10 影:Can)
毎年行っている羽村の堰の花見に出かける。
12分咲きで花吹雪が舞うなかを散策。

今日は、羽村の八雲神社の春祭りがあり、多摩川の羽村堰で恒例の神輿の川入
れ「水中渡御」が行われた。大勢の見物客と花見衆が河原と土手に詰掛けていた。
まだ冷たい多摩川の清流に入っていく勇壮な水中渡御を固唾をのんで待っていた。
岡山県真庭市の弟の田舎でも、神輿を水中でもむ「オオツサマ」の大祭があって、
その日を待ちのぞんだものです。

朝から町内を練り歩いた神輿は羽村大橋を渡って郷土館側の水辺にたどり着き、
まず、こども神輿が元気なかけ声に囃されて川を渡りきる。つづいて白装束の若者
たちがかつぐ大御輿が対岸に出現すると歓声が上がった。
祭は一気にクライマックスに達して、白装束の男たちの肩まで浸かる水中を神輿が
上下左右に揺れ動き雄叫びがあがる。

3・11被災地大槌町には、鎮魂の祈りと復興への希望を託した祭りが復活し、2基
の神輿を約100人で担ぎ渡御する一大祭事がある。



2016年4月9日土曜日

柳田昭彦君3回忌に墓参       1340

2016・4・9:影
柳田君3回忌でお墓参りは初めて。
やっと墓参を果たせたという感じです。
なだらかな坂道の桜のトンネルを登り切った奥に柳田家のお墓は佇んでいた。

奥方に事前に報告しての墓参だったが、あとで「藤森さんと久しぶりにお酒を酌
みかわし、ニコニコしている昭彦さんの顔が、桜のなかにはっきりと見えます。」
と言ってもらい、少し元気になって過ごされている気配を感じ取りました。

柳田家の墓なのだが、建立は柳田君自らがした刻印があり、お墓の話などした
こともなかったので驚きがあった。
場所は、多摩丘陵の尾根を通る両側のソメイヨシノ数百本が樹齢70年の大木
になり、一面桜色に染まった風景に圧倒される高台です。
いまは花見客でにぎわうのだろうが、午前中早かったので屋台の準備を始め
ているぐらいで、静けさがあった。
彼が好んで飲んだビール缶を石塔に供え、なかま5人と献杯した。

(←ブログ:2013・7・6 「出口米次郎君の墓参へ」)
(←    :2013・12・27「W+恒例の忘年会・柳田のことづけ」)

2016年4月8日金曜日

隅田川の桜に誘われて        1339

(2016・4・8 影:節)
今夕は「セッチャン会」に誘われて、浅草へ出かける。

浅草にはめったに出かけないが、ゆっくり時間をかけて散策したい街です。
いまでは超高い展望施設をもつスカイツリーができて、多くの人を集めているが
これらのルーツともいえるレンガ塔(凌雲閣十二階)が、明治の浅草に現れた。
1890年(明治十二年)のことです。

浅草寺裏の日本堤に広がる吉原遊廓の歴史をさかのぼれば、江戸に公許の
遊郭が誕生した1618年からのことで、遊女屋たちが幕府に要望して今の日本
橋に設けられた。
葭が茂っていた場所なので葭原と名付けられ、後に「吉」の字を当てたとつたわ
る。明暦の大火後、今の場所に移転し新吉原と呼ぶようになったと。

宴は、眼下に隅田川を行き来する雪洞を下げた舟を眺め、土手の夜桜に浮か
れて、酒杯を重ねるうちに盛り上がった。

(←ブログ:2013・10・9 「東京スカイツリー」)
(←ブログ:2014・12・30 「浅草に行ったついでに」871)

2016年4月7日木曜日

書店訪問をたのしむ         1338

フェア台&棚(影:Can)
未来社時代に始まって、洋泉社をはじめてから引退するまで、僕はかなりの全国
の書店を、時々の理由によって訪ねてきました。
時に特約注文制契約で、「日本の民話」販促で各地へ、新社創業の挨拶まわり、
数回のフェアー開催見聞に、新規オープン内覧会へ、また一書店を100回を下ら
ないほど訪ねたこともあります。

この業界50年有余、僕の訪ねた書店の数はどれくらいになるのだろうか。その数
だけ物語があるはずなのだが、、、。
訪問にはそれなっりの目的があって、ぶらりとはいかなかったように思っている。

ちょうど引退と3・11東日本大震災とが重なり、それから5年経過したが、その間、
「大槌の風」を基にボランティア活動などで日々過ごしてきました。
そしていま余裕ができたので、縁あって少しばかり書店へのかかわりを復活させ
ているところです。

これからの書店訪問のスタイルは目的は一部にして、気ままに嫌な思いをしない
好ましい形を僕なりの原則としておきたい。
書店は変わったとおもう関心事を、直面する事例から感想として、飛び飛び記し
ていきます。ストレスになったらヤメマス。

(←ブログ:2015・10・8 「八重洲ブックセンターへ」1156) 別
(←    :2016・2・18 「仕事としての本屋さん」1288) 1
(←    :2016・2・21 「25年ぶりの面談」1292) 2
(←    :2016・3・2   「横浜へ」1302) 3
(←    :2016・3・4   「あるナショナル書店の場合」1304) 4
(←     :2016・3・16    「書店・カフェ~どうなる書店格差」1316) 5
(←     :2016・3・22   「変わらない有隣堂伊勢佐木町本店」1322) 6





2016年4月6日水曜日

神楽坂から神田川へ         1337

(2016・4・6 影:Tab)
午前中、G出版社で打ち合わせをすませて、東五軒町の取次に出かけたが、神
楽坂の頂上を越えて歩いていたら懐かしい毘沙門天の門前に出た。
芝正伝寺、浅草正法寺とともに江戸三毘沙門と呼ばれた。

朱色の社殿に入学を終えた親子連れや、新しいスーツに身を包んだビジネスマン
らしい若者が手を合わせている光景が、いかにも桜吹雪く4月の雰囲気を漂わせ
ていた。

解覧した会社が神楽坂にあった時代、毎日のように通勤や取次に行くとき横目で
見ていた赤城神社は、大々的に建て直されて樹齢数百年の古木の向こうに荘重
に鎮座していた。そしてその周辺は高層マンションが林立して、際立っていたトー
ハンの建物が沈んで見えた。

神田川に向かって坂を下りきった所に、昔よく立ち寄った「タロー」という定食屋が
あったのを思いだして探した。道筋を一本間違えて、廃業しちゃったかなと諦めか
けたところ、昔のままの白地の暖簾を発見。寄らなくなってずいぶん経つのに、老
夫婦が、「いらっしゃい!」と、笑顔で迎えてくれた。
変わらないメニュー、エビ、クリームコロッケ、ミンチコロッケの「ミックスフライ」定食
を注文。その場で手作りし、揚げたてフライのキャベツ付き盛り付けに味噌汁、沢
庵三切れ。昔と一切変わらない、素朴で美味しく、満足の昼食でした。


2016年4月5日火曜日

「地の果て」羅臼 記憶の断層65    1336

知床峠より国後島をのぞむ/羅臼岳 (影:Pen)
北海道北東端、知床半島の東岸に位置する羅臼については、二つの忘れられな
いことがある。

詩人の清水昶が知床半島に旅して、歩いてしか行かれない熊も出没する海辺の
温泉宿にたどり着き、まさに「地の果て」に来た実感を切々と語ってくれた。
知床はアイヌ語で「シリエトク(地の果て)」。
番屋からの運ばれたサケやウニなどの海の幸を肴に酒に酔いしれて過ごした日
日が忘れられないと、、。

僕も夏の終わりに、サロマから西側の斜里町を経て羅臼岳(1660㍍)の麓を越え
て羅臼湾を眼下に見ながらやっとの思いでたどり着いた。
と云ううのは、斜里の道の駅でソフトクリームを食べたのと熱射病がかさなって、
ダウンしてしまった。
そびえ立つ知床連山の青葉も国後択捉も朦朧のなか幻影としてしか記憶にない。
宿泊は、尾岱沼温泉シーサイドホテル。

火山活動で深海から一気にせり上がった知床半島は中央を1500㍍級の山塊が
貫き、急な陸から続く海底は根室海峡で深さ2000㍍を超すといわれている。
ハマナスの咲くころ、ダイビングできれば、夢のまた夢か。

(←ブログ2015・5・19 「禄剛崎から能登島④ 記憶の断層63」 1013)
(←ブログ:2015・5・29 「滑川でほたるいか! 記憶の断層64」1023)


2016年4月4日月曜日

LIBROの人と面談は十数年ぶり     1335

書棚/渡辺京二(2016・4・4 影:Tab)
池袋から急だったが、リブロの業務マネージャーと懇談することができた。

僕の住む隣町福生の西友にリブロがあって、本を買ったついでにレジで話し込
んでしまった。
そのうち常駐店長をおいていないことを知るとともに、エリア長が店長を兼任して
いることが判った。
早速、これを機会に池袋の本部を訪ねてみたくなったというわけです。

店長を兼務のタカハシさんは、パルコからリブロの社歴経験豊富な方で、リブロ
ブックセンター時代のキーマンと事象のディテールに詳しく、懐かしかった。
しかしながら、かつての専門書にも強かった「リブロ」の迫力は消えている。
読者の変遷からする趨勢で、仕方ないことだと思う。
本部で推進商品を検討するうえでも、専門書はほとんど対象外で、一般書でも
社名の認知度に左右されることが多く発注しずらくなっている。そして自動配本
なしを前提にチェックするようにしていると、、。

後、リブロブックセンターの後に入店オープンした三省堂書店池袋を巡回する。
【ぶら書店へ7】

(←ブログ:2015・10・8 「八重洲ブックセンターへ」1156)
(←    :2016・2・18 「仕事としての本屋さん」1288)
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(←     :2016・3・22 「変わらない有隣堂伊勢佐木本町」1322

2016年4月3日日曜日

飛んだ V打 桜が咲いた!       1334


前夜のDeNAに延長サヨナラ負けしたイヤな流れのなかで、やっと鳥谷Ⅴ打!
自著を出したりしたのが、逆流になったか、なんていらぬ心配していたよ。

開幕戦から絶不調だった鳥谷敬が、DeNAの久保康友から6試合ぶるの安打
となる中前適時打を放ち2点を先制。9回には高山が2点適時2塁打で勝負は
決まった。
投げては岩貞が毎回の12三振を奪う無失点快投で、先発の一人に名乗りを上
げた。投打が揃い5対0で勝ち。

ルーキー高山満開!バント0攻撃型2番打者横田!得点圏高打率のヘイグ!
4番打者福留~ゴメスはgood!鳥谷敬上昇気流めざせ全イニング出場! 7番
打者西岡の完全復活か上本、大和、北條のアヴェレージヒッターの奪取か! 
捕手は梅ちゃんでgo! (上本がちょっと心配どころ)。
投手は球児の完全復活と、石仏より上をいく髭魔神マテオに6番手岩貞誕生で
信頼できる布陣がしける。
夢は桜とともに春開く!

(←ブログ:2016・1・30 「祝!「とらのしっぽ」の改発さん」1270)
(      :2016・3・1 「トリが変わった」1301)
(      :2016・3・25 「143分の1試合」1325)

2016年4月2日土曜日

6年に一度の御柱祭         1333

御柱/諏訪大社秋ノ宮(影:Pen)
きょうから諏訪大社の奇祭・御柱祭が始まり、佳境に突入する。

諏訪には1960年半ばから何度となく訪ねたり、「風船」の途中で寄っている。
今回は旅行記ではなくて、ちょうど御柱の山出しと里曳きの時に、どんな発想
で始まった祭りなのかをたどりたくなる。

友人田中君は、諏訪に引きこもって井戸尻考古館につとめながら、古諏訪の
ミシャグジという原始的な精霊を、龍蛇信仰と宇宙樹の壮大かつ深遠な思考
回路で結実している。
また、「『芸術・国家論集』(群遊同人)をはじめた頃─田中基『縄文のメドゥー
サ』に寄す」、という門倉弘君の衝撃的な論評がある。

(←ブログ:2014・1・15 「門倉弘君を悼む」)

2016年4月1日金曜日

人事の時期             1332


企業にとって、きょうは年度初めなんだ。
昨日、あわただしい年度末のなかで挙行された歓送迎会の話題が飛び交うことで
一昔前が思いだされた。

いま取次の機構改革と人事が発表されているが、知人は限られた人数になってし
まった。
若かりしときなら、青森や新潟に赴任する人の送別会をし、上野駅に集団で送っ
たものです。勝ってくるぞと勇ましく、の雰囲気に違和感があったが、、。
大きな企業の場合、いつの時代も人事異動時期になると当事者は気も漫ろで、
ドラマの渦中にいる感じになるのだろう。
僕などは小さい出版社育ちで、最終は経営者の道をたどったので、そうした経験
は全くない。