2015年3月31日火曜日

『出版とは闘争である』を読む。    963

(論創社/2015・4・25刊)
西谷能英さんから自著『出版とは闘争である』が届く。

未來社の創業者である西谷能雄さんの著作に『出版とは何か』がある。
その未來社、現社長・西谷能英さんの新著が『出版とは闘争である』、とくれば
出版理念をよりラディカルに披瀝したことになるのだろう。
本書は著者個人の出版界への意見として、ここ3年間のブログを書いた一冊
である。
といっても、未來社の学術的専門書、人文書を創業時から継続して刊行する
出版社の代表であることは変わらないので、一編集者の発言ではないと思わ
れる。
出版社が継続的に新刊を出し続けるには、編集と営業が両輪で転がっての、
再生産の構造が不可欠であると思っています。
即ち、出版「社」は活字を通して(これまでは)出版文化を創出するコトに価値
ある意味があったし、生業の姿でもあるはずです。
武士は食わねどたかようじ、ではダメなのです。

「未來社の固有名表記について」とか、鈴村和成、柴野京子、古田一晴、小泉
孝一さんのこととか、僕についても一文あるので、一度、語り合ってみたいもの
です。

刺激ある活字から遠ざかりつつあるとき、本書の落手、感謝します。


2015年3月30日月曜日

「マクベス上演」を観る!        962

あうるすぽっと(2015・3・30 影:Tab)
芝居を観ること、即、最近では大学時代のクラス会の趣になってきた。
そっれも、年二回ペースなので頻繁な集まりといえるだろう。

cast25人が演ずる、「マクベス」上演までの役者志望の人間模様なのだが、老
演出家に扮する友人・浜田晃が準主役で熱演していた。

2時間の公演が終わって、フロアーに顔見せ。一日二回の公演はシンドイヮ!と
洩らす。
ストレス解消能力抜群で、血液検査では43歳レヴェルとお墨付きをもらったと、
喜んでいたが。
明日が楽日で、早稲田「自由舞台」の昔の仲間たち、長宗我部さん等も集結とか。

いつか、生涯俳優を目指す「浜田の俳優修行」の一端を聞きたいものだ。

2015年3月29日日曜日

「永松勇三君を偲ぶ」と直筆原稿    961

旧コマ劇場跡地新ビルにゴジラ出現!
(2015・3・28 影:Tab)
ここに、永松勇三さんの直筆がある。

彼は芸大での彫刻家ですが、ラクビー愛好家でもあり、その仲間たち中心の偲ぶ
会が昨夜ありました。

直筆の原稿に添えられてあったのが、「殆ど売れない彫刻家。日々海を見ながら
焚き火して、夕日をあびてシラスを肴にビールを飲んでいる。前ボケ老人のささや
かなゼイタクとはなさけない。その内、皆様と飲める日を期待します。」と、編集子
への近況報告でした。

永松さんにまつわるエピソードは数限りなくありながら、直接僕との接点はないに
等しい。
亡くなってから再度、原稿を読んで受けた衝撃を一言追悼とさせてもらいました。
原稿執筆当時の現在から、もうやってこない若い20代の過去と、3・11を意識し
た未来の放射能を背後に感じる悲壮感が痛ましい。
最後の言葉、「、、、の階段から落下した時から体は宙に浮いたまゝ」。

(←ブログ2015・1・16 「追悼・永松Yさん」 887)

新春「船中」同期会が          960

(2015・3・27影:Tab)
今年初めての[船中会]を、27日に東京駅地下街の「海賓亭」で行う。
みな元気!

その中学校の周辺事情を記すと、、、。
僕は、中学二年の夏、二学期に津山市の奥から、倉敷市に編入合併(2005年)
された船穂町に転居しました。
学校へは一山越えて通学する辺境の集落の湖畔に家がありました。小学校だけ
が分校になっており、両親はその学校の先生でした。

この柳井原小学校は家と近所だったので、卓球をしたり鉄棒にぶら下がったり、
遊び場にしていた。
学校がある場所が、松林の里山で常録だったように思う。山を囲むように高梁川
の支流(小田川)が、堰になって豊富な清水をたたえていた。今は高品質の金時
人参や大根を栽培しているようですが、当時は、ぶどう、もも、なし、スイカが豊に
丘に稔る牧歌的な素晴らしい郷でした。
今の教育現場からすれば禁止事項なのでしょぷが、親の特権で野菜に果物は満
載いただきました。

現在も、父親作詞作曲の「柳井原音頭」が運動会やお花見時期になると唱和され
ているという。





 


2015年3月28日土曜日

阪神タイガース初戦逆転サヨナラ!  959


野球は怖い、おもしろい!
中盤まで4対0で完璧に山井投手に押さえ込まれて、勝ち目がないイヤナ流れだ
った。

2リーグ分立後で66度にして球団初のオープニング、サヨナラ勝ち。中盤までは
劣勢。85年吉田監督の優勝も、03星野、05年岡田の優勝の時も開幕戦に勝
っていないことにかこつけて、「負けていい」と思い始めていた。
ところが、打つべき1番鳥谷からクリーンアップ、6番福留が終盤から延長戦で
機能して劇勝を呼びこんだ! 過去3度の優勝のジンクスは破られた。
今シーズン、143試合のペナントレースの猛虎はイケる! と、テンションが揚が
る。

今シーズン、陰ながら注視したい選手、守屋功輝投手。球歴は倉敷工~ホンダ
鈴鹿で新人です。
阪神ファンの小説家小川洋子さんと「同じ」で、どうしても岡山出身のプレーヤー
に活躍してほしくなる。
和製大砲の期待もあった関西高校出身の森田一成選手は、今年の名鑑から消
えた。
選ばれし、きら星の運命の悲哀を球春に感じる。

2015年3月27日金曜日

「きりん」の夜会              958

(2015・3・26 影Tab)
1月、2月に続いて月例会になりつつある。発案者はオサダN。

毎回、Aさん、Eさん二人の手作りの小料理がテーブルにのるが、美味しい。
二人とも酒席好きが高じて、自分たちで「店」を作くっちゃった、というだけのこと
はあって思いやりを感じる。
また、事前に希望メニューを申し出ておくと、応じてもらえるらしい。

昨年暮れに亡くなったナガマツさんを偲ぶ語らいが多発した。

アキサンの快気祝いを、『でん八物語』編集仲間で泊りがけ計画の提案がある。
将棋道場の開設を検討してもらえることになる。師範代はオサダ。
正座、将棋倒し、、、から。

中身の濃い小冊子「図書」        957


先日、三陸沿岸の震災被災地を自転車で数回にわたって見聞している長井さんと
対面談したが、その彼から岩波書店PR誌「図書」が送られてきた。

開封して見ると、彼の寄稿「「戦後」の風景と網野善彦」が収録されており納得した。
内容は、自分の自転車での三陸海岸の取材旅で見た風景と、出逢った人との交流
を前ぶりに、「支援」、寄り添うと云う気持ちの問題を、時代を越えた若者の共通性
として思いを巡らせる。

すこし飛躍するが彼の論考は、強い関心を寄せる若い網野善彦の戦後の精神に迫
るもので、よく言われる「転向」についてである。
文中に引用される、石母田正、丸山眞男の著作は未來社版で1960年代に多く読
んできたので、網野善彦との絡みを理解できる。
50年を経ても、名著は生き続けるものなのだと今さらながら思った。

「図書」を定期購読しなくなってひさしいが、収録されている斎藤美奈子、津村節子、
高村薫、赤坂憲雄の文章は一気読みさせてくれた。
やはり、ザラツク紙をめくりながら活字に接するのはいいもんだ!

2015年3月25日水曜日

杜氏はいなくても、、、          956


40年余り前に「幻の寒梅」がもてはやされたが、最近高品質の大吟醸として知
る人ぞ知る岩国市、旭酒造の「獺祭」が注目されている。

この酒蔵には、発想の転換から杜氏がいないらしい。
ではどのようにして、新酒が生まれるのだろうか。ITをフル活用し、酒造りの全
工程でミクロなデータを取って分析し、最適化した酒造りを実現している。

過日、福生の田村酒造を訪ね、歴史を刻んだシックな酒蔵を見学して、伝統を
感じたが、西の「獺祭」は近代的な工場その物のようです。
本来、仕込みは寒い冬場にするものという慣わしがあるが、、、。
人の勘に頼る酒造りと比較して、品質に温度差がなく信頼できるという。

酒類販売の熾烈さは聞いているが、そうとうな勢いで拡販しているのか、酒場
で目立つラヴェルになってきている。
僕が最初に「だっさい」の一升瓶を見たのは、「でん八」のカウンターだった。

糸魚川 記憶の断層56         955

雪に埋もれた高田駅

新幹線・上越妙高駅の次は糸魚川駅なのだが、高田や上越市はどうなったのだろ
うか。
北陸新幹線長野~金沢開業の影で、最速列車の「かがやき」が新潟県の駅を素
通りするとか、上越市(高田や直江津)が軽んじられていることに怒ってる!

これまでクルマで、中央道にのり松本を経て白馬村から山越えして姫川沿いを走
って糸魚川へは何度も旅している。逆コースもありました。
姫川の支流、小滝川にヒスイ峡があり、クルマで行けるところまで上り河原で遊ん
だこともあります。
この河原では石の採取を禁じており、ここから流れ出たヒスイは姫川を下り、市内
の海岸に打ち上げられる。このことからこの付近の海岸はヒスイ海岸とも呼ばれ、
ヒスイを探してみるのも一興。

北陸新幹線の糸魚川駅は、日本海に一番近い新幹線駅になった。


2015年3月24日火曜日

お彼岸                   954


光がさしこみ暖かくなりはじめる3月早春の頃が好きです。

田舎から持ってきた山椿のつぼみが開き、一輪二輪咲いていく。
多摩川土手に白梅が匂い、もも色の桃の蕾も開花がすぐそこにきている。そんな
早春の日和に誘われてお彼岸の墓参りにでかけました。

歴とした菩提寺は岡山津山の奥町に在って、多摩川対岸の墓地は墓石を立てて
おらず、その高台から眺める風景は古里とリンクする空間に想えるのが不思議。
佇む春日は暮れずともよし。

2015年3月22日日曜日

八ケ岳清里の「ロッジ物語」       953

八ケ岳山麓清里高原・「伊予ロッジ」
ヒジカタ邸での味噌造りを午前中で終え、クルマで近くの南八ケ岳麓の「八ケ岳
倶楽部」へ。(1350m)

白樺を中心に種々雑多な樹種が生える雑木林がが芽吹きをまっていた。軒下
の残雪から蕗のとうが顔を出し、枯れたように見える枝先に冬芽がついた膨ら
みを見た。
ラウンジで、果物たっぷりの紅茶をおかわりしながら、一時を過す。

つぎに、八ケ岳山麓清里高原の敷地2000坪のなかにあるロッジへ。少し早め
に到着。
今でこそ清里は四季を楽しむ美しいリゾートとして、若者や家族連れでにぎわっ
ているが、100年ばかり前は熊笹が茂る未開の原野だったそうです。
そこに、1940年(昭和15年)、二つの教室しかない分教場が建つ。

開拓を担ったのは、東京市民の水を確保する水甕のため小河内地ダム(現奥
多摩ダム)建設のために出て行くことを余儀なくされた丹波山村と小菅村の運命
をともにし、新天地を求めて入植した人たちでした。
開拓を始めたが、苦難の連続でした。
そして分教場が開設でき、数年後に開拓も成功した。

しぼりたての牛乳と採りたて野菜のふんだんの料理は大満足でした。

恒例の寒味噌造り!           952

(2015・3・21 影:Can)

早朝早く豊田駅で待ち合わせて、シライT君のクルマにカズさんと同乗して北杜
市のヒジカタ山荘に出かけた。

八王子から中央高速に乗り、釈迦堂で軽い朝食をとり一路快調に走って、山荘
に着いたのが9時半だった。
すでに早く到着したメンバーは、大豆が煮立った大鍋の周辺で待ち構えていまし
た。

秋に収穫された自家栽培の大豆が昨日からたっぷりの水に翌朝までひたされ、
その十分吸収した大豆を、たっぷりのお湯で3時間ばかり煮て、ミンチにかけら
れるのを待つばかりのところでした。
分業で大豆を潰して、無農薬の糀を混ぜる。それに赤穂の天然塩を加えてさら
にかき混ぜる。
混ざった三種混合を、空気が入らないように甕に入れていく。(投球する)
塩をビニール袋に入れて重石にする。
自宅に持ち帰り、風通しが良く涼しいところ、床下に保管して熟成させる。4ヶ月
経った梅雨時に天地換えをする。さらに3ヶ月ほど経ったら、再度天地換えに愛
情を注ぐ。

(←ブログ:2014・2・1 「4年目に入った寒味噌造り挑戦!」)

2015年3月20日金曜日

知名度の高い妙高山!記憶の断層55 951



登山に、スキーに、高原の花、豊富に湧く温泉で、「妙高」という名が響きわたっ
ている。
四季折々の観光地をさらに盛り上げる、上越新幹線の新駅「上越妙高駅」誕生
なのでしょう。

相当以前の一泊旅行になるが、「福ゆう会」で妙高温泉に、クルマを連ねて行っ
たことがあります。日販の(元)副社長を囲む会のイベントで、渓流つりの愛好家
でまとまった出版社の長老さんたちの誘いにお付き合いさせてもらった。
その夜の宴会に出された見たことのない大きな岩魚が、一匹ずつ串焼で出され、
さらに刺身、骨酒でいただく豪勢な振る舞いに驚嘆するばかりでした。
挿話によると、宿の主人しか知らない清流の奥地源流で捕れる秘密の魚場が
あるらしい。
さらに、食卓には採り立ての山菜も多種多量に盛り付けられていた。

上野から夜行列車に乗って翌朝、眠気を断ち切って登ったり、滑らなければなら
なかった時代は、遠くになりにけりか。



今年初の「やすい会」           950

109回(2015・3・18影:Tab)
今年初めての「やすい会」に十余人が出席。

いつものように会長の挨拶にはじまり、古川くんの体調不順と検査入院の経過が
報告された。
早速、先日亡くなった近藤さんの話題になり、それぞれの人によって付き合いに
温度差があることがわかった。
話は佳境に入り、神田の食べ処談義に。喫茶店の老舗で昔ながらのナポリタンの
「さぼーる」、カレーの「ボンデイ」、luncheon、カツカレーの「南海」、揚げたて天麩
羅の「いもや」、お袋の味の「ふらいぱん」、おすすめもやしラーメンの「徳満殿」、、
僕も大概を知っており、実際にやみつきになる店がそろいも揃って、という感じ。

新年の一言として。
フクちゃん:暮れ窓拭きで大怪我…恒例の海外旅行を中止せざるをえなかった。

シゲミっちゃん:庭に、桃、チンチョウゲが咲き始めて春の息吹を感じる!今日の
会に来る前に神楽坂五十番へ、、、散策。湯島から御徒町まで歩き、また引き返
して神楽坂に、、、約2万歩・19キロ歩いたことになると。(スゴイ!)

オカさん:ピケティの『21世紀の資本』とその周辺本を読んだが、、、。

僕は:3・11、一日何をして過したか、何があったのかを語ってみました。先ほど
会った自転車で三陸を回っている編集者と石巻の製紙会社のこと。北陸新幹線
の開通と自らの旅について。

グンゾウさん:何故か、鹿島の河合さんと二宮金次郎の像と岐阜の生産地をめぐ
って熱弁を奮う。さらに、劇場で観ている映画の批評、「アメリカン・スナイパー」を
観て反戦を強く意識した。(クリント・イーストウッドの戦争論として観てみたい。)

カズサン:明日から、東海道五十三次の幕開け。三年かけて歩ききりたいと。近く
富山へ日帰りで「御輿」の買付けにでかける、地元での活動の披瀝あり。(温泉好
きなのに、日帰りなんて変更して宇奈月温泉でイイ湯だな! どう。)

シライさん、習字の進化具合を報告。後期高齢者一割負担をめぐって。この歳に
なってゴルフ絶好調!(皆がエッ! 凄い!)

シマちゃん:リブロ撤退の経緯、ニッパンとトーハンのサヤアテか。4月8日開催の
「柴田さん激励会」の呼びかけ。

タキイさん:白馬から富山へ美味しいもの食旅行に出かける。今夏には、恒例の
ハワイ避暑海外旅行も予定していて、元気溌剌の生活スタイルを継続中。

トドキさん:北陸新幹線開通と嘗て野々市の書店へ出向していたことから、ご当地
の話題を語る。富山が回転すし発祥の地であること。金沢の「21世紀美術館」が
素晴らしいこと。(タカノも絶賛で、僕も早い機会に行きたいと思っています。)

シュウちゃん:60半ばで色んな部位に痛み発症で憂鬱と。
(僕も、坐骨神経痛になったり、一方の足をかばうと他の一方の腰から足先まで
鈍痛に悩まされたりで、消耗戦を強いられている。今では加齢病としか言いよう
がないと諦めているが。)

ヤスイさん:シュウちゃんは若いのに病んでいるが、自分は漁師町の黒潮育ちで
高校卒業までの自然環境によって生涯の体の骨格を作られたと思っていて、人
それぞれの健康管理術があるはずで、それを探す以外の処方箋は無いのでは
ないかと。
そして、この会のメンバーの元気なエネルギーに刺激されて併走しているところも
ある。



2015年3月19日木曜日

ナガイ編集企画室を訪ねる        949

(2015・3・18影:Tab)

ナガイさんが、自転車で八戸から三陸海岸を南下して3・11津波被災地を訪ね
聞書きを残していることを知った。

彼からもらった年賀状で、自転車のサイドにリュックを背負って立つ写真に「大
槌入り」と認めてあったので、早い機会に新事務所を訪ねたいと思っていた。
会うなり開口一番、僕の大槌体験を聞かれ、一通り経緯とかかわりの現況を喋
った。

そしてナガイさんの発端は、編集柄、書籍用紙に関心があることとから、3・11
震災被害にあっている日本製紙石巻工場の現場を実地見聞したかったらしい。
自転車愛好家ということで、今回のような不特定エリアを取材、聞書きするには
大変便利良く機能しているらしく、なるほどと感心しました。
被災地の三陸に出かけたのは、すでに九回に及ぶことを聞き、恐れ入り矢の
鬼子母神です。
被災地復興の現況についても、防潮堤や嵩上げを疑問視する目線に共通性を
感じました。

もう一つ、宮古トドが崎半島の被災集落に立つ石碑に刻まれた、「ここから下に
降りたらあかん」のリアリティに胸を打ったことでも一声した。
















2015年3月17日火曜日

飯山駅近辺から 記憶の断層54    948

野沢温泉・威風を放つ大湯
北陸新幹線の停車駅に飯山駅が決まった背景は定かでない。

草津から志賀高原を横切って野沢温泉街へ下ったことがあります。
野沢は新潟との県境、山すそに朦々と湯煙をあげる北信越の古湯の地で知られる。
日本のスキー発祥の場所であり、野沢菜発祥の寺もある。

共同外湯が多く点在し、古くからの風情ある湯屋建築が温泉情緒を満喫させてくれ
ます。なんといって野沢温泉は、驚くべきことに内湯も外湯も地球から生まれたまま
の源泉を「かけ流し」で浴することができる!
温泉の恵みを中心に、山里の文化、民俗を継承する人々の感性が素晴らしい。
毎年1月15日に行われている伝統の「火祭り」を、雪深いなかで再訪してみたい。

野沢温泉で一泊して翌朝、飯山へ向かった。

2015年3月16日月曜日

長野善光寺 記憶の断層53       947


長野駅から石畳を歩いて善光寺へ。

長野善光寺は、以前に出版「人文会」で平安堂長野店と長谷川書店を訪問した際
に、初めて参拝したことがあります。

善光寺は約6万平方mの敷地を持つ境内に、天台宗と浄土宗の大寺院がある。
「牛にひかれて善光寺参り」で全国的に知られファンも多い。一生に一度はお参り
しないと極楽に行けないと、参拝者が絶えません。
僕も本堂の床下に潜って境内に出た経験がる。
書店との研修より、門前の山坊でフルコースの精進料理を食した記憶が鮮明に残
っている。

その後にも長野経由や逆のコースで、志賀高原ゲレンデや、湯田中温泉に行って
いるので親しみがわく所です。
また、長野市街から30分ばかり走ると、修験道の修行の場として知られる戸隠山
にたどり着く。
戸隠は、雪解け水に恵まれ清楚な水芭蕉が見られる時期と、連峰が緋色に染まる
紅葉狩の頃に行ったことがある。

2015年3月15日日曜日

北陸新幹線八つの駅と周辺       946

懐かしの山陽新幹線(影:Pen)
北陸新幹線が14日に開業した!

東京、関東圏と北陸が時間的に接近するのを機に、大きな人の流れが生れるの
は間違いなさそうだ。
新大阪から山陽新幹線が岡山まで延びて、倉敷の町が一気に観光化され人が押
し寄せた頃を思い出す。
これから、豊富な観光資源を持つ金沢が脚光をあびる風景を十分に想像できる。
太平洋側とは違う北日本海周りのルートとして盛り上がりが活発化するでしょう。

行き先を決めず風船になった気分で車旅をするのが好きなおいらとしては、新幹
線が開通しても、急ぐことがない限り、日本海側へはヴィークルになると思う。
従来の東京から長野間を延伸して金沢につながった事を機に、停車駅の車窓か
ら見られる「風景」を、これまでクルマで旅してきた記憶の断面から記しておきたい。

①長野駅・善光寺~②飯山駅・「阿弥陀堂便り」~③上越妙高駅・妙高高原~④
糸魚川駅・ヒスイ~⑤黒部宇奈月温泉駅・「ゼロの焦点」~⑥富山駅・富山湾白エ
ビ、魚津蜃気楼~⑦新高岡駅・鱒寿司~⑧金沢駅・歴史資産兼六公園、近江市
場、近くに安宅の関、白川郷高山、、。


2015年3月14日土曜日

嵩上げ! 定点観測            945

菩提寺のある城山から(2015・2・21 影:「広報大槌」)
一ヶ月の嵩上げの勢いが加速したように見える!

震災から4年経った。「世代」でいうと結構、丸ごと入れ替わった感覚を覚える。
4歳だったハルが8歳で小学校3年生になろうとしている。大学生が社会人になる
くらいの歳月なのだから、当然の時間の流れか。
ハルは2011年3月12日、開業した青森新幹線で青森に連れてってもらうことに
なっていた。
そに前夜、テレビに映し出される三陸津波襲来と御祖母ちゃんの存命がわからず
家内テンヤワンヤ、現実とは思ええない状況に遭遇したのだが、「震災時まだ4歳
だった」と言われれば、僕の時間感覚とズレを痛感します。

僕のなかでは風化する意識は全く無いのだが、発災直後から機会あるごとに被災
地で接してきたことを話していて、少しずつその場の空気が違ってきているように
思える。経験を共有する違いがあるという隔たりなのだろうか、、、。

2015年3月13日金曜日

本郷会で                  944


本郷会の発案者は、ワタナベk、タケウチy、サワハタkらだったことを知った。
最初のころに、有燐堂の村越さんを囲む「越しの会」と呼称したことがあるように
思うが、、。

今回は、そのメンバーの一人タケちゃんと同席したが、昨年1月に亡くなった共
通の親友・門倉弘を偲ぶ話になった。
彼は山やさんで、冒険家でもある。東大出版会時代、門倉より年下であったが
山登り同士のリーダーで、年数回は国内外の旅に誘い出していた。

昨年の夏には、遺品のメガネを谷川岳頂上に納めてきたことを聞き、胸にジン
とくるものがあった。
一人で谷川天神平を縦走して頂上から一ノ倉沢に下る行程だったようです!
話によると、最初の登山が谷川岳で、最北の利尻富士から最南の屋久島宮之
浦まで一緒に極めているという。
確かに門倉は、山をめぐる「景観論」や「物質論」として、初期マルクスや稲垣
足穂から中村宏を語るとき、具体的な山岳名も必要に突き詰めるところがあっ
たが、、。

クルマで日本海側に出るときには、水上から三国峠越えで、谷川一ノ倉沢を眺
めながら走るが、その時これからは、門倉を想うことになるのだろう。

2015年3月12日木曜日

「岩手日報」号外を手に          943

「岩手日報」後外(2015・3・11 影:Can)
あの日から四年、東日本大震災が発生した3月11日がふたたびめぐってきました。
生涯忘れ得ぬ光景というものが確かにある。

迫る津波を目の前にしたわけではないが、2時46分以降、徐々にテレビに繰り返
し映し出される三陸各地の被害状況。病院の窓という窓が打ち抜かれ空洞になっ
ていった。ビルの屋上に観光船が乗り上げていた。赤い鉄骨がむき出しになった
建物。お寺の本堂で留まり反転した自家用車。この信じられないような風景こそが
津波襲来あとの、三陸沿岸であった。

今日は水曜会の後、JR有楽町駅前広場で街頭配布された、「岩手日報」の特別
号外を手にしていました。
県外版の特別号外は、今回で7回目になるとのこと。被災地元紙が現状を支援者
へしっかり報告するという趣旨にそったものです。
直接、手に渡した読者とのコミュニケーションも盛んな風景をみて、新しい連帯の
芽生えを感じました



2015年3月11日水曜日

御祖母ちゃんの「津波てんでんこ」!  942


大槌町の旧「ふれあいセンター」広場に碑文が、津波に流されることなく建ってい
る。それに、昭和8年の三陸津波の遺訓が刻まれている。

大きな津波が来たら戻らず高台へ。
また、この地方には、「津波てんでんこ」という伝えが口承されている。
92歳の御祖母ちゃんは、3月11日の大地震の揺れを柱にしがみついてしのぎ
第二波襲来前に、日頃から準備していた必要最低限の小荷物を入れたリュック
を背負い近くの峠に向かい無事だった。
途中で家に引き返す近隣の人に出会ったが、大半の人はそのまま津波にのみ
こまれて帰って来なかった、と。
このことからして、「高台へ、てんでんこ」を日頃から意識して対処できた証に思
え大切さを実感します。

先に、被災者の避難場所になった岬の高台に鎮座する大槌稲荷神社の貢献に
ついて記した。教訓として言えることは、「津波が来たら神社に逃げろ」。
神社の歴史は、過去の津波被害を踏まえてより高台へと遷都し、被害を受けな
い場所に落ち着いているのではないかと。
事実、東日本大震災の津波では、古い歴史ある神社まで津波は達していない。

(←ブログ:2015・2・14 「も少し、津波と神社のトリビア!」 917)

2015年3月10日火曜日

近藤晃治さんのこと            941

(2015・3・9付 影CanS)
近藤晃治「文化通信社」会長が亡くなった報に先ほど接した。

僕と同年代であり、マスコミ、出版業界に入ったのもほぼ同時期でした。
最初会ったのは1960年後半、未来社に西谷社長(先代)を訪ねてきたとき、
同席したのが最初でした。
話題は、注文買切制、出版の理念をめぐって等など、だったと思います。

そして最後に会ったのは、「若森繁男さんのお別れ会」(2014年9月)だった
ので、半年前のことです。
彼は癌に侵されながら、取材活動では東奔西走する凄まじい行動力をコラム
「拾った話題」で見知っていたので、急逝はやはりショックです。

僕の2012年の「囲む会」にメッセージを寄せてくれたり、色んな会で顔を合わ
せると丁寧に接してくれる近藤さんに親しみを感じていました。
お互い歳はとったが、未だくたばらないぞ、の漲る気力が電話でのやりで解り
あったものですが、、、。
だが、二人で酒を飲み交わすことはなかった。
埴谷雄高の『死霊』文庫版を読み直しているのをコラムで知ったが、読書家だ
った近藤さんと大酒を呑んでみたかった。 
冥福を祈る。



2015年3月9日月曜日

虎舞/星野仙一記念館前ステージで舞う!940

倉敷で舞う大槌町の「虎舞」(2015・3・8 影:Yosuke)
大槌町の「虎舞」が、倉敷の星野仙一記念館前の特設ステージで舞う!

倉敷の弟夫婦と、息子たちに孫娘が虎舞を観て、大感動したらしい。
周りの人も大変な迫力に喝采! と。
弟テツの古里にも、全国にファンがいる大津神社(愛称オオツサマ)の勇壮な神輿
祭がある。信州戸隠神社から奉祀したと聞いているが、定かではない。
彼は倉敷の都市に出て久しく暮らしているので、こうしたお祭りのイベントは懐かし
かったはずである。
また、甥っ子が土建の仕事で仙台など関東大震災の被災地へ出張して、被災現
場に接していることもあって、関心が深いはずです。

「虎舞」は、漁師町の漁師たちが威勢よく舞ったところから、虎は千里往って、千里
帰る、の故事にちなみ、海上の安全を願って舞うといわれている。

2015年3月8日日曜日

津村節子さんの田野畑村         939

書影
東日本大震災からもう直ぐまる4年がたつ。

被災地の復興の様子を伝える記事や報道が集中してきています。
吉村昭さんと夫婦作家の津村節子さんが、二人共々3・11大津波襲来以前か
ら岩手県田野畑村と深くつき合い、日々を懐かしみ、復興を願う記事に接しま
した。

吉村昭さんが田野畑村をはじめて訪れたのは1962年ということなので、4年
後の8月に僕は宮古から鯔ヶ崎を旅したことになります。
上野駅を夜行列車「北星」に乗車して、翌朝に一ノ関駅に降り立ちました。
大船渡線で陸中松川から陸前高田へと海岸沿線をさかのぼり釜石駅にたどり
着きました。
当時は、ここから先は陸の孤島で、鉄道とバスを乗り継いで行くことしかできな
かった。
宮古へ向かう途中、吉里吉里駅で下車して浪板海岸で子どもたちと一緒にな
って泳いだ記憶が甦る。
松林に囲まれた自然と海岸は、3・11の津波で浸食されてしまった。いま、町
とボランティアの人たちが懸命に復興に取組んで少しずつ進んでいる。

吉村昭さんは、古老から聞いた津波の経験に衝撃を受けて執念深く記録して
います。津波は忘れた頃に必ずやってくる! 自然災害はくり返す!

僕自身、安渡集落の被災を免れた旧安渡小学校で見せてもらった、3・11前
の街並みと被災後の荒野化してしまった風景写真は、身震いするショックでし
た。高台の小学校と稲荷神社を残してほとんど壊滅で、道路は歪み水が噴出
している状態でしたから、、、。
家族住宅は高台には、鉄則に思えてなりません。



2015年3月7日土曜日

花粉症はこどもまで!           938

手入れされた京都・北山高雄の台杉 (影:Pen)
毎年のことながら、花粉症アレルギーに悩まされている人には憂鬱な季節がやっ
てきた。

昨日から今日は、スギ花粉が飛来してきてベランダ一面が薄化粧したように黄色
くなっている。今日も外で見かけるのは、年々マスクする人が増えている光景だ。
下校したハルの顔を見ると、左目が充血して腫れているのにビックリ!
今どきの心配から、学校でけんかでもしたのかと訊ねたところ、花粉にやられた
症状でした。

目がかゆい、涙が出る、くしゃみが出て鼻水も止まらない、頭を重く感じる、、、。
僕はこんな苦痛で悩ましい状態から、数年前に脱出することができた。
母親が亡くなったのを界に、喫煙を完全に絶ちました。自分のアレルギーは煙草
と花粉の相乗培養によって発病していることを確信することになる。

ハルは、早速、体力の消耗を和らげゆっくり効力を発揮する漢方薬を調合しても
らっていた。現状より酷くならないことを願うばかりです。

2015年3月5日木曜日

倉敷から                   937

「山陽新聞」記事から

倉敷の弟宛に出した手紙と入れ違いに手紙が届いた。

同封されていたの「山陽新聞」掲載の、<大槌虎舞>で、倉敷音楽祭のイベント
に登場する案内でした。
毎年9月に開催される岩手県、大槌まつりで、町内をお囃子にあわせて跳んだり
跳ねたり寝転ろがったり、二人一組の舞い手が躍動する最も勇壮だとされている。
僕は、実は未だ映像でしか見ていない。
わが古里、倉敷美観地区の水上ステージで虎舞するとのことなので、弟たちには
是非、見物して囃し立ててもらいたいものだ!
このように東日本大震災被災地の伝統芸能を招き、西日本の町が交流を深める
ことが風化に抗することにもなると思う。

弟テツへの手紙は、今年初採りワカメとひじきを送っくれたので返事を添えたもの
でした。
瀬戸内の潮が引く早朝3時頃に出かけ刈上げする、結構厳しい漁らしい。
取りたてだから、刺身にしても、しゃぶしゃぶ鍋に入れても、酢味噌和えで食しても
潮の香りがひろがり美味しい。

人事の季節                 936

(2012・4・7 影:Pen)
今日の水曜会で、日販 の親役員に決まったヘンミさんが話題にのぼる。

時間の流れは勢いを加速する感じです。
彼と初めて面対したのは、1990年代になってからだと思うが、書籍仕入窓口だ
った。その後、静岡支店長をへて本社に帰り、総務系の部署も経験して販売の
中枢を担っていた。
洋泉社が九段だったとき訪ねて来てもらったり、販売企画のサポートでもお世話
になりました。
出版の一線を退きこの歳になると、多くの人が職場を去っており、見知った役員
も退き、ずっと年下の役員が登場する時代になっているのに気付く昨今です。
でもこうして、窓口時代から永延と知っている若い世代の人と未だ関係があると
思うと嬉しくなる。
トーハンの近藤副社長や谷川役員なども若くして、今、奮闘している。
仕事のつながり、人と人との知遇はリレーされるか、、、。

2015年3月3日火曜日

今日は雛祭り                935

(2015・3・3影:Can)
しきたりとしてのもとは、桃で邪気を追っ払う行事(節句)と伝えられてきました。

青梅吉野街道沿いの桃の花は、ちらほら咲き始めています。
残念ながら、吉野梅郷の梅はウイルスの伝染で全滅して淋しい限りですが、そ
んななかでも沿道や路地の縁台で、桃の花を漬したお酒を飲む景観が見られ
ます。これが、桃の節句の由来でしょうか、、、。

雛人形を飾る3月の節句を、おんなの節句という謂れは、わが家が男家族の
係累が続いていいるせいか、うかつにも聞きこんだことがない。

五節句の一つとされるわけですから、雛人形に託して女のこの幸せを祈るしき
たりになっているのはまちがいないでしょう。
我が家は、昔から本格的な雛飾りはしないが、折り紙などでモドキを飾り、ハレ
日としてバラ寿司をふるまう。

支笏湖一周! 記憶の断層52      934

北海道・支笏湖(影:Pen)
小樽から札幌にリターンして、北大のポプラ並木を歩き、シコツ湖へ。
北大の構内に入るのは、洋泉社を興して大学生協を訪問して以来のことだった。

シコツ湖は、千歳市にあるカルデラ湖で、東西に長い眉形をしている。そして、
真冬でも氷結することのない日本最北の不凍湖でもある。
シコツは、アイヌ語で、大きな窪地という意味。
周囲が40キロあり、所々のスポットから岸辺に下り立ちながら周遊すると、結構
な時間を要した。
十数人の人が湖上で水上バイクを楽しんでいるだけで、静かな佇まいでした。

(←ブログ:2015・2・「運河とランプの魅力いっぱい!記憶の断層51」 922)


2015年3月2日月曜日

「釜石」決まる!               933


2019年に日本で開かれるラグビーワールドカップの試合会場が今夕決まる。

東日本大震災の被災地、釜石市も選ばれた。その瞬間、期待して待つサポータ
から一声に喜びの歓声が上がった。
釜石市は被災地の海岸に近い場所に新しいスタジアムを造り、これまでの復興支
援に感謝の気持ちを「釜石ラグビー」で伝えたいと盛り上がる。
新日鉄釜石が、昭和60年に未到の7連覇を遂げてから、製鉄所の衰退に併せる
ように弱体化したが、その後クラブチーム・シーウェブスと改称して活動をつづけ、
復興のシンボルとして地元の熱烈なサポートがあります。
また、海外からのサポーターたちを、被災地三陸への誘導に大きな役割を果たす
と思われます。

釜石の町には多くの想い出があります。
最初に釜石を訪ねたのは、学生時代に陸中海岸を旅したときです。「盛駅」から汽
車でしたが、トンネルを出ると釜石製鉄所の高炉からもくもくと出る煙と火の威勢に
驚きながら釜石駅に降りたちました。
その後も、宮古から、さらに年を改めて八戸から石巻への車旅があり、そして3・
11震災前に、釜石に一泊して大槌町への初訪問があります。

東日本大震災後は、花巻から遠野経由で仙人峠を越えて「釜石シーウェイブス」の
ラグビー場を右手に見ながら釜石市街を抜けて大槌町に行くこと数度になりました。

2015年3月1日日曜日

新聞大好き!                932


新聞が大好きなのはこどものときから変わらない。
今では、早朝ポストから取ってくるなり、N紙から目を通す。次はD紙の順番に
移っていきます。
yuのように、関心ある記事順に読み埋めしていくのではなくて、フロントから最
終面に向かって適宜に読むスピードを加減しながら、一枚一枚めくります。
読んで気になった記事はメモかコピーで残します。

僕も年を重ねて次第に会う人や友人が減って得る情報が狭まっており、新聞
活字に頼ることが増えている。政治、経済、企業情報、事件、文化・出版・芸能
そして小説や広告いたるまで、ボケ防止をかねて速読します。
特に、「日経新聞」は経済、企業、株を得意とするオピニオン紙だが、ラスト面
僅か一頁ながら文化欄の充実はうれしい。担当記者の苦労がわかる。

相方とはルールがあって、自分にどんなに関心ある記事であっても当日の切り
抜きは厳禁と取り決めしています。