2017年10月31日火曜日

小瀬温泉と山の怪 記憶の深層12  1910

白糸の滝/小瀬温泉(影:pent)

ずいぶん昔になるが、信州軽井沢から小瀬温泉へ行き逗留した。

そのとき、宿から小一時間かけて「白糸の滝」を散策した。
緑の樹木がたくわえた浅間山の地下水が白糸の滝となって、この美しい景観を作
りだし、たえまなく千曲川に流れ込み、悠久の大河となっている。
凍てつく寒さであったが、雪景色のなかに白糸と透きとおる水面のコントラスト
が目に焼きついている。細い本当に糸のような、、すばらしい。

この場所に長居したために、夕闇せまる泥道を小一時間かけて宿へ向かって歩く
ことになった。舗装されないでこぼこ道の両側には、鬱蒼と樹木が茂り枝の擦れ
合う音だけが不気味に聞こえてくる。
都会育ちの相棒は、「夜の山は怖くていやだ」と、震える。

(←ブログ:2017・2・18 「小諸なる古城のほとり/記憶の深層8」1654)
(←   :2017・2・25 「その昔東京荘があった/記憶の深層9」1661)
(←   :2017・7・26 「高田南町・のぞき坂の頃/記憶の深層10」1813)
(←   :2017・7・30 「映画「秋津温泉」の奥津峡/記憶の深層11)1817)


2017年10月30日月曜日

台風一過 木枯らし1号       1909

瓢湖(影:pen)
気象庁は、例年より早い冬到来の知らせ「木枯らし1号」が東京で吹いたと発表
した。
昨年より10日も早いというが、10月なのに寒い日がつづいてきた流れなのだ
ろう。

例年なら今ごろ冬支度に追われるのが通例となっているが、10月頭には、掘
り炬燵を開き中旬に火入れしている始末。年をとったせいかなと思って許容し
ていたが、気候の勢もあることがわかって安心したよ。

わが家の住居環境が良くなったことに驚く。
石油ストーブは引火の危険とオイルの匂いが気になって、ある時期から、電気
ストーブを使用するようになったが、またここ数年で、デロンギのオイルヒー
ターを各部屋に備え替えした。これは、部屋が温まるまで少し時間がかかるが、
空気を汚さず乾燥もしないうえに電気代が節約できる優れもの。
さらに、ジュータンのピンポイント暖房まであって、デスク仕事や食卓椅子で
くつろぐのに寒さを一切感じないのがイイ。

でも、子どもの頃は、山奥の寒さを経験しており、後々の雪中でのスキーは寒
さを好んでシュプールしていたわけで、室内の暖かさに戸惑うことがあります。

2017年10月29日日曜日

本との出合いの良しあし       1908

書影(2015年/新潮社刊)
先日、偶然立ち寄ることになった毎年恒例の神田青空古本市で、高村薫の『空海』
を入手したことを記したが、、。

この本は新刊の予告が出たときに、購入予定メモに残していたが小説ではないこ
ともあって忘却されかかっていた。
ところが、歴史・宗教書を専門とする古書店らしき棚に汚れがなくスピンがその
まま入り新刊然の書籍として在った。書店散策好きの僕には、僕なりに本に対す
る妙な直感があって、本を手に取って表紙に触り、目次を見てページをパラパラ
とめくり奥付を確認しただけで、永く自分の手元におかれ対話できる著作か、積
ん読本になるかどうか大体にして予想できる。

そうした思いを抱いて買ったこの度の本は、わが家であらためて読み始めてみる
と、無宗教者であるはずの高村さんが巨人・空海の足跡を辿り時空を超えて対峙
する真剣なまなざしが伝わってくる。また、いままで知らなかった高村ワールド
がひろがりに驚愕する。
未だ開いたばかりだが、僕のデスクサイド書架のルネサンススペースに記憶本と
して集積するだろう。

(←ブログ:2017・8・17 「新聞連載小説を読み始める」1835)
(←ブログ:2017・9・1   「高村薫『作家的覚書』を読む」1850)

松本清張小説も映画も        1907

文藝春秋版
松本清張は、小説も評論の類もほぼ読んでいるが、さらに、映画も全部観ている
からよほど相性がよく好きなのだと思っている。

『点と線』が光文社から出たのを初めて読んだのが清張作品で、倉敷の書店で手
にしたは60年も前のことになる。
同年に、この長編推理小説は、南廣主演で映画化され観ているが、よほど「4分
間の空白」のインパクトとトラベルミステリーに魅せられたのだろう。

清張映画は、10年に一度観なおしても、リメーク版にしても僕にあっては傑作
が多い。そのなかから選ぶと、、。
「点と線」1958作品/南廣&tv版2007作品ビートたけし
「張り込み」1958作/野村芳太郎・宮口精二
「ゼロの焦点」1961作/野村芳太郎・久我美子
「影の車」1970作/野村芳太郎・岩下志麻・加藤剛
「鬼畜」1978作/野村芳太郎・緒形拳・岩下志麻・小川真由美
「天城越え」1983作/三村晴彦・渡瀬恒彦・田中裕子・平幹二朗
「霧の旗」1977作/西川克己・山口百恵
「あるサラリマンの証言」」1960作/堀川弘通・小林佳樹
「砂の器」1974作/野村芳太郎・丹波哲郎・加藤剛・加藤嘉



2017年10月27日金曜日

本の回廊めぐりから         1906

青空古本市(2017・10・27影:Tab)
☆早朝から。S書店に行きデータをもらい打合せ。
二週間前に行って見てきた、オープンしたばかりの那須ブックセンターについて
店内の感じなどを話す。
「普通の本屋を目指す」として、リアル書店は本に触ってみられる出合いの場所
なので、好奇心をそそる本だなとか、意表を突くコーナーなどを、落ち着いたと
ころで、購読者層に合わせて作ってほしいと思ったと、、。

☆青空古本市。三省堂書店前から神保町交差点中央舞台を経て九段まで(500m)
靖国通りが本の回廊になっていた。きょうが初日で、この日を待っていた多くの
読書人で溢れていた。150店舗以上が出店する世界で稀なイベントで外国の人
も右往左往するのが目についた。
新刊で買いそびれていた、『空海』(高村薫著)を入手できた。

☆ほかに会った人:神保町で上村君、阿佐ヶ谷で茂木さん、吉祥寺で坂本さん。

2017年10月26日木曜日

業界情報マガジン雑感        1905

気が付いた記事をアトランダムにPICK UPしてみると、、。
☆気がはやい話、今年の出版界はめぼいいヒット作がなく、電子書籍をめぐる動
 きが目立つ。
☆「街の本屋」の減少は年々まして、地域によっては一軒も存在しないところが
 ある。雑誌の売り上げが著しく減少しているのも要因の一つか。
☆洋泉社・歴史新書『なぜ、地形と地理がわかると江戸時代がこんなに面白くな
 るのか』(2014・5刊)を対象例として、時限再販商品(再販期間:2017・8
 ・31)と<話題の本(profit企画)>が同一扱い本であることを知る。
☆岩波新書は、来年創刊80年を迎えるという。
 1938年(昭和13)の創刊以来、約3200点の新書を刊行。
 自分がy新書の創刊に関わった頃を想いだし感慨深いものがある。
☆僕もかつて乗ったことのあるロータリーエンジンマツダ・コスモ(RX7)が、
 週刊「マツダ・コススポーツ」として創刊されていることを知る。ロータリー
 エンジン誕生50周年とはいえ、完結100号出し続けるパワーに驚く。
☆各社の主要企画や刊行スケジュール通覧。
☆週刊&月間話題のベストセラーから、書店店頭の展開の温度差を想起してみる。

2017年10月25日水曜日

同化政策とは            1904

サイパンの学校跡(影:Pen)
第一次大戦後のベルサイユ条約は、日本に南洋群島の<委任統治>(1922年)
を正式に認めた。
こうしたことに伴い、教育機関として「島民学校」を作り、「これから人となろ
うとする未開無知なものを教化」するために、「日本化教育」(日本語教育)を
施すことになった。

南洋庁を設置して本格的な民政を開始するのだが、その政策の一つに<新植民地
の住民の日本人化>があった。
そして、20年が経過した1941年、各小学校は国民学校と改称され時を同じ
くして「大東亜戦争」突入となる。
こうした状況下で、父はサイパン島の学校に赴任したわけで、同化教育の先導者
であったことはまちがいなかろうと思う。
同化政策の理念が、サイパン島の場合、チャモロ原住民に日本民族と平等の権利
を与えるための教育はほんの一部で、むしろ、在留日本人子弟の皇国教育が主た
る目的だったはずです。
幸いにして、先住民族の文化は圧迫したり、消滅することも無く遺されている。

実のところ今日は、最近のネット上で頻繁にそして激しくヤリトリされる「在日
同化差別」について、むかし、「故郷」での経験をいま確認しておきたい思いが
擡げていたのに、親父のサイパンにずれてしまった。



2017年10月24日火曜日

健康という病について        1903

GBRで
70歳になるまでは、健康についてどちらかというとあまり考えないで過ごして
きたように思う。生来のガチャ目と40歳前に発症した痛風・腰痛持ちを除外し
てのはなしだが。

内臓疾患に関して、歯や難聴についても、気になり始めたのはここ数年のことで
ある。それまでは自信過剰でややもすると非常識であったと言った方がいいかも
知れない。
小中学生では短中距離を走っていたし、高校で器械体操に転じいいレベルまでい
っていたと思う。20代以降は、スキーに草野球に興じ、ごく最近まで、シニア
ダイバーとしてエアタンクを背負って海中にダイブしていた。
そんなことで、病院に大病で入院するようなことも無く、自分の体は自分で面倒
見る勝手なスタンスでやってきたが、、。
あえて暴露すると、以下のようなざまである。

「会席と難聴と滑舌と」  (2015・4・4記)
「聴力に黄色信号!」  (2015・5・31)
「障害感覚を抱くようになって、、」  (2016・4・12)
「歯痛で駆込む」  (2016・4・22)
「肩関節周囲炎」  (2016・5・6) 
「腰痛改善の裏ワザ」 (2016・11・3)
「ボトックス注射と先端恐怖症」 (2017・6・21)
「さて、大学病院内科呼吸科では、、」  (2017・9・27)

或る作家の死            1902

イマイキミオが亡くなった知らせを受け取った。 合掌。

大学では同学年ながら、一歳年上だった。公務員生活を二年経てからの入学だっ
たことと、両親が浅草生まれの浅草育ちで、ともに地方に親類・縁者がいない生
粋の東京人で、何となく兄貴分という感じのつきあいだった。

彼が「新日文」の雑誌編集に関わっていた40代の頃は、神楽坂の会社に寄って
くれ、かつての組織活動に触れることはなくもっぱら小説執筆と文学談義に熱を
おびた。

その後、彼自身の『序章』で「群像新人長編小説賞」を受賞してからも、思い出
したように会っていた。賀状だけのやり取りはずっと続いていたので、5年前に
「今年は、一度お会いしたいものです。」としたためた。
以下は、返ってきた長文の一部です。

「いよいよFもそういう心境になったのか。」というのが率直な実感です。
ワセダに行ったときは「労働者」として働き始めて二年経っていたのでいささか
「老けた」同期生だったはず。そのおりはむろんのこと、(その後いろいろあっ
て)50歳になっても七十歳まで生きている自分を考えてみることはなかった。
こうした発想が「ひょっとすると七十ぐらまではいけそうだな。」と思うように
なったのは、六十過ぎてのことである。この感慨は、七十になっても未だそれま
でと同様にアタマが働いているということ。
(中略)
脊柱管狭窄症という疾病のために、歩くことに難がある。で、外に出かけるのは
旧友たちとの歓談のために外出するとき以外は滅多にない。が、兄がいうとおり
で今年あたりは、一度お会いしたいとは思う。死んじまってから「あのときに会
っておけばなあ。」と思いたくないから。ということで、暖かくなったら、お茶
の水あたりまでならオーケーです。
だが、会うことはなかった。後悔の念におそわれています。

イマイは、1月1日に「年一新聞」を発行(年賀)していたが、この二年届いて
なくずっと気がかりだったにもかかわらず、会うことはなかった。後悔の念深し。



2017年10月22日日曜日

旬をむかえた柚子          1901

秋の深まりとともに、ゆずの懐かしい匂いが記憶をよびさます。

いま、裏庭のゆずと、羽村大橋を渡った所の畑の深い緑の繁みのゆずが、熟す前
の青光りの輝きを放っている。
ゆず独特のさわやかな香りが大好きで、わが家の日本料理には古くから使ってい
ます。
ゆずのしぼり汁は、11月から12月下旬の成熟した黄柚子を、新鮮なうちに果
汁を絞って「柚子酢」にする。更にその一部を、冷凍庫でブロックシャーペット
にして、家伝・バラ寿司の合わせ酢に使ったりしている。

柚子の原産地は、揚子江上流域とみらている。日本に伝えられたのは奈良・飛鳥
時代といわれ、主に薬用として広まった。
肺結核を長く患った母は、ゆずの果汁も皮も種子も擂り潰して飲み、薬効がある
として、日常の食用としてばかりでなくありがたがっていた。

種から育つ柚子の木は、実のつくまでの歳月が長く花芽がついたとき感動する。
台地に根を下ろした樹の寿命は永く、毎年、美しい実を育て、香りとともに次々
へと伝承されるはずです。

2017年10月21日土曜日

記憶の継承             1900

北朝鮮都市部を攻撃するB29(1950・11)
小学6年生のとき、南北朝鮮が戦争状態に入り、子ども心に戦争はもうないもの
と思ていたところで驚く。

そうしたとき、早稲田大学の学生にして「建設者同盟」で活動していた叔父さん
が、夏季帰郷したさい反戦・平和を説いてくれる。
強い気持ではなかったが、そのことが中学、高校と年を重ねるなかで、自分の向
かう途だと信じるようになった。

学生時代の激流はさておいて、1960年代半ばに出版業界に就職。僕は、それ
から50年近い同一業種でのなりわいが、自然に貴重なモノにおもわれ70余歳
まで全うできたのは有難いことだと満足している。

ところが、二世代若いハルはかつての自分と同じ小学5年生だが、世情の現状は
酷い逆流です。
政治が顕わに権力ゲームになってしまった状況で、若い人たちに抗すべき術があ
るのだろうか。秘密保護法や戦争法(安保関連法制)やら共謀罪法(改正組織犯
罪処罰法)やらを、多数の権力行使で有無も言わせない、横暴で姑息で狡猾な手
法を駆使して強行採決してきた「民主主義」ならざる無法国家に成り下がった負
の傷を健全にするにはどれほどの時間がかかるのだろうか。

解散総選挙の結果は、「大義」うんぬんするつもりは毛頭なく、政権与党の有利
な流れで終わるだろう。
この選挙を通じて唯一ハッキリしたのは、これまで自己主張ままならず屈折した
民進党内の人たちが、幸いにして「排除の構造」(赤坂憲雄)によて解放され、
思いを一に旗幟鮮明に戦えることになったこと。


2017年10月20日金曜日

秋の「大槌まつり」         1899

大槌秋の大祭・神輿(広報・おおつち/2017・10)
先月、15日~17日三日間、大槌稲荷神社と小鎚神社例大祭があった。

稲荷神社は、大きな被災があった安渡地区の小高い突きだした岬にあって、3・
11被災から一年後に訪ねた。被災直後から炊き出しや、仮宿泊施設として使わ
れた大広間で、禰宜・十王館さんの芯に迫る話を聞くことができた。
その部屋のぐるり周辺には、神楽や虎舞に使う大小の道具が陳列してあった。
大槌町の民俗芸能の歴史と、継承の深淵を肌で感じさせられた。

祭典の日には、神楽、虎舞、鹿子踊りや手踊りの団体多数が参加し、神輿と一緒
になって町内を練り歩く様に、去年よりは今年、、再興の迫力を感じさせる。
かつて、田舎、美作の「大津さん」秋祭りに神輿が川に入り揉む勇壮な儀式や、
わが羽村堰の神輿の水中渡御を固唾をのんで見てきている。今年の大槌の神輿は、
例年にも増して大勢の担ぐ手の声が響きわたり、橋やと手から囃す観客の大きな
歓声が上がったという。

2017年10月19日木曜日

銀座ライオン・クラシックホールへ  1898

クラシックホール(2017・10・19影:Tab)
雨のなか、二年ぶりの「出版OB会」に出席。

今回25回目ぐらいになる歴史のある会だが、年々高齢化が進み参加者が減って
いる模様。この度は30人余りだった。
出版広告・宣伝携わった出版社、広告代理店、新聞社の関係者OBの親睦会とし
て歩んできている。

出版社では、小学館、文芸春秋、岩波書店、講談社、新潮社、集英社、旺文社、
祥伝社、誠文堂新光社、有斐閣、未来社(洋泉社)等々。
代理店は、昭通、博報堂、電通、とうこう・あい等。
新聞社関係では、秋田魁新報、河北新報、山陽新聞、中日新聞、信濃毎日、朝日
新聞、北海道新聞、毎日新聞、日本経済新聞、神戸新聞、デイリースポーツ等々。

会員のなかでも、信毎のマツキさんと対面するのは3年ぶり。1960年代後半
から付き合いだが、当時、地方紙の一面ヤツワリ広告で「信濃毎日」を媒体効果
がいいからと、担当の彼を通じて定期出稿していた。
そんな機会と、大学が一緒だったりして、プライベートに酒をヒクことも多々あ
り、信州でのスキーでもよく面倒みてもらったものだ。
彼を東京駅新幹線乗り場に送りがてら、曰く、「遂に80歳になった。上京は、
今年が最後になるかもしれない。次は信州長野で会おう」と。


2017年10月18日水曜日

フランクアイランド諸島巡り 記憶の断層 1897

影:Can
ケアンズからバスで広大なサトウキビ畑を縫って走ること1時間で船着き場に到
着。
MULGRAVE RIVER両岸のマングロウーブや海嘯を見ながら下って、6諸島の一
つノーマンベイ島に本船から離れタグボートに乗り換えて上陸。

美しい砂浜に上がると、空気は乾燥しているのに直射日光で汗がにじんでくる。
半日過ごすために準備されたテントを素早く張る。
小さな無人島ながら、豪州固有のめずらしい野生の生き物が暮らしている。一寸
した密林を探検しながら、セミや角が反対向きのカブトムシ、青い舌をのトカゲ、
食用にもなるアリの木、アダンの実に触れながら、マングローブ林の誕生の海辺
に出た。

この辺りの島は、世界遺産指定のグレートバリアリーフに浮かぶ珊瑚でできた、
トロピカルパラダイスとして一度でも行けたら夢成就というところです。
いっとき、スノーケルを楽しんだ。珊瑚礁、色とりどりの熱帯魚、ウミガメ、貝、
クマノミなどが生息する感動的水中世界をウオーキング。


2017年10月17日火曜日

ケアンズのキュランダ 記憶の断層   1896

ケアンズのホテルを出て、早朝から郊外の町キュランダから世界有数の熱帯雨林
を一望できるロープウェイ・スカイレールに、富士山い登ったことのあると云う
地元の人と同乗した。

40分余りの空中散歩。一万平方キロの広さといわれる、うっそうと緑で覆われ
た世界最古の森がフロントガラスに迫ってくる。
最初の観察ポイントで下車し、ホームから見上げた樹木は、天を突く高さだった。
シメゴロシの木。太い幹に別の木がスネークし、たこ足状に分かれた根が地面を
盛り上げている。草木にも生存競争の厳しさがあるあるのかと、思える。

2017年10月15日日曜日

泥んこ野球の結末          1895

サード鳥谷敬選手 足元を確認
プロ野球CSファーストスS第2戦は、これまで見たことのない泥んこ遊び仕様
の試合になってしまった。

阪神タイガースのホームグランドでの試合でありがら、ゲーム開催判断はNPB
に委ねられていることを知った。試合中は審判団が判断する。
ただ、グランド整備の後、試合開始を1時間3分遅らせプレーボールになったが
グランド状態は序盤からダイヤモンド内に水が張って、外野は田植えが終わった
ばかりの一面グリーンの田圃と見間違うほどの悪コンデションになるばかりだった。

両チームともに条件は一緒。底冷えのする雨地獄のなか、黒光りする泥ドロ内野
に田植えグリーンの滑る外野、ヒットもバンドも途中で止まる打球、、踏ん張れ
ない足元、この劣悪な環境のなか選手は黙々とプレーしたが、、。

わが猛虎は、雨中の壮絶な戦いに敗れた。ちょっとダメージの残るような黒星で
DeNAとは1勝1敗。
今日も早い時点で雨天中止になり、明日17日がファイナルS進出をかけた総力
戦になる。

カズオ・イシグロ『日の名残り』読む 1894

書影
那須ブックセンターのお祝いで駆けつけた人たちで賑わう店内を一巡して、レジ
カウンター前の平台に積まれた、ノーベル文学賞受賞のカズオ・イシグロさんの
一冊『日の名残り』(ハヤカワ文庫)を購入した。

長崎県出身の日系英国人で作家のカズオ・イシグロさんの小説は、これまで読ん
でいなかった。
にもかかわらず、アンソニー・ホプキンズ主演の「日の名残り」は映画で観てい
る。(1994年公開)

本書の主人公スティーブンス(語り手)は、以前に貴族の英国政界名士に仕えて
いて、有能な執事である。
働きづめのスティーブンスが、ある機会に数日旅に出ることになる。その旅で、
彼が眺めるイギリスの田園風景と物語は同化するようにゆるやかに展開しつつ、
自分自身の私生活の過去への自省になる。
この主人公を通じて、イシグロは大英帝国の栄光が失墜した今日のイギリスの倫
理と風俗に対して洞察する。
この小説が書けるのは、才能は置いて彼が外国系の作家なので英国及びイギリス
人に対し客観的になることができる要素もあるように思える。

(←ブログ:2017・7・23  「西村佑子著『魔女学校の教科書』を読む」1810)
(←ブログ:2017・8・3 「『影裏』を読む」1821)
(←ブログ:2017・8・27 『沖縄と国家』を読む」1845)
(←ブログ:2017・9・1 「高村薫『作家的覚書』を読む」1850)
(←ブログ:2017・10・12 「『ルビンの壺が割れた』の販売戦略」1890)

2017年10月14日土曜日

珈琲&ギャラリー 「りんたろう」へ 1893

正午過ぎに、那須ブックセンターを後にして、那須高原大橋を渡り戸田交差点を
板室温泉方面に右折して上り坂を少し走った道沿いに、親友の庵「りんたろう」
が見える。

二週間前に、彼の東京個展会場で奥方両人に会ったばかりだったが、急な訪問で
挨拶するなり、「見違えるほど元気になられて、、」と、奥方に言われた。
先日は、肺炎のしょっぱなで、自分ではほとんど意識していなかったが、動きや
喋りに異変があったのだろうかと、今さらながら思う。
早速、一枚ガラス窓から紅葉前の庭の広がりが眺められる茶室に上がる。
外気は10度ぐらいに冷え込んでおり、薪ストーリーの炎が気持ちよい。

彼は、那須板室に永住を決めて、すでに30年になるのだろうか。
いつものことながら、近況がてら健康について、僕の知人の来訪者たちを巡って、
そして本の話へと熱をおびてくる。
丸山眞男さんの主著、『日本政治思想史研究』から荻生徂徠と皇国史観の絡みへ
と語られつくすと、最近の丸山学派批評本と重なって一方的に拝聴することにな
ってしまった。でも、刺激的で心地よい一時でした。

建物の前の庭のはずれに、本職である陶器を焼く「薫」が目につく。

2017年10月13日金曜日

那須ブックセンターへ        1892

那須ブックセンター(2017・10・13影:tab)
この厳しい逆境のなかで、海抜500mの那須高原に書店がオープンした。
B出版社のウチダさんが私財を投じ、地元の人の支援もあってコンビニ跡地での
事業の展開となった。
裏方で、これまでの書店経営を存分に生かし準備してきた三省堂書店の森さんの
尽力が大きい。

朝6時半に発ち、愛車MPVをけって那須高原に向かう。
家から近い、圏央道の「青梅IC」から入り、最近開通した新高速道路を走り「久
喜白岡JCT」を東北道へハンドルを切り一路「那須IC」へ。所要時間は2時間。
一度、外環道を経て東北自動車道へ向かった時代と比べると、時間の短縮は勿論
だが渋滞にあわず快適にドライブできるのがイイ。

「那須ブックセンター」オープンのセレモニーに余裕で間に合った。
最近、多く言われるようになった「街から本屋さんがなくなっていく」。どんな
街にもごく普通に在った本屋さんは、子どもも大人も気軽に利用できる意義深い
空間でした。
活字文化の衰退がささやかれるなか、地本の子どもが絵本や児童図書を通じても
一度その魅力に接するスペース、地域の人のコミュニケーションの場作りを目指
すと、スタッフ一同夢みている。
地元自治体の人が、新規書店誕生を喜び、サポートしていきたいと語っていたが
地域の読者が「本屋」を育てる関係性になるモデルケースを期待する。



2017年10月12日木曜日

「おちゃのみずばし」からの心象風景 1891

おちゃのみずばし/昭和6年施行(2017・10・11影:Tab)
御茶ノ水駅は、上京の時から古くから長い付き合いになる。

駅のホームから見上げるところに洋食屋「キッチン×××」があった。そこで、高校
を中退してコックの修行をしていた友人Yを、受験で上京した日に訪ねた。
彼が料理したオムライスを奢ってもらい、旧交をあたためたことを思い出す。

そうした日から今日まで、東大本郷へ、本郷界隈の出版社へ、そして定例となった
本郷・「天喜」での<やすい会>へ、神田川の対岸に入口のある地下鉄「新御茶ノ
水駅」に向かうとき渡るのが「おちゃのみずばし」です。

また、東京医科歯科大病院の通院でも、橋と途中で欄干から20m余りの神田川を
見下ろして、瀬戸内岩場の高所からのダイブの恐怖に震えてみたり、聖橋方面を眺
めながらJR中央線、地下鉄丸ノ内線のトンネル出入りをぼんやり眺めること数分。
これから50年、100年変わらないのは風景だけではあるまいに、橋を行きかう
人たちの妄想も変わらないはずだ。



『ルビンの壺が割れた』の販売戦略  1890

書影
著者は新人・宿野かほる、素性は一切明かされていない。
8月に刊行(新潮社)したばかりなのに、どこの書店の店頭でも見かける。

電子メールを使った一組の男女の往復書簡形式で話が進められる。
50代の男が、フェイスブックで学生時代の行方知れずの恋人を「検索」して、
思わずメールを「送信」したと云う設定だ。
今風にインターネットの特性を生かした、お互いどこに住んでいるのかわからな
いのに、お互いの気持ちを伝えあうことができる不思議、、。
「結城未帆子様 突然のメッセージで驚かれたことと思います」の書き出しで始
まった、大学の劇団活動での甘く切ない恋の思い出から、次第に雲行きが怪しく
なり、壺が割れる結末へと引っ張っていく。

著者が無名の新人でプロフィールが分らないこともあって、「この小説、凄すぎ
てコピーがかけません。代わりに書いてください!」と、インターネット上で全
文無料公開する奇策が功を奏して、著名人から無名までツイッターで情報が拡散
された。

町田の書店で購入して、南武線と青梅線の車中で読み切った。

2017年10月10日火曜日

阪神タイガース一筋16年 安藤優也選手1889

今夕、阪神タイガースのシーズン最終試合が阪神甲子園球場で行われた。
この試合は、猛虎一筋16年、一時期のエース投手だった安藤投手の引退セレモ
ニーが用意されていた。

あわせて、突然引退を表明した熱血プレーヤー新井良太選手のラストゲーム引に
もなった。中日ドラゴンズからの途中入団だったが、直ぐ猛虎に馴染み最も熱い
選手だった。
安藤投手は大歓声につつまれるなか8回に登板し、サード強襲打を鳥谷に替わっ
た新井良太が横っ飛びでキャッチしワンアウト取ったところで、最後のマウンド
を降りた。

2002年4月、初めて甲子園で投げた日のことを今でも鮮明に記憶している。
初勝利もこの甲子園でした。あれから「背番号16」と同じ16年が経って今日
が最終章となった。
「必死に全力で駆け抜けてきた。まさか40歳まで現役で投げ続けられるとは思
ってもいなかった。現役生活に悔いはない。三度の日本シリーズに出場しながら
一度も頂点を極められなかったのが、あえて言えば心残りです。
その見果てぬ夢を、一軍の選手はもとより二軍で必死に努力している後輩たちに
託して、ユニホームを脱ぎたいと思います。甲子園で最後にユニホームが脱げる
わたしは幸せ者です」と、甲子園のマウンドで挨拶。

福留選手、藤川選手、鳥谷選手が花束を渡し、熱い握手。

2017年10月9日月曜日

そろりそろりと活動再開か      1888

Tt医師から「強い肺炎だったが、白い丸い影は小さくなり、血液炎症反応も1.4
(最高値15)まで下がったので、通常生活OK」のお墨付きをもらった。

週末には那須行きの予定があり、次週には「出版OB会」の通知をもらっている
が、どうしたものか迷っていた。
とりあえず久しぶりの外出になる、出版の会(事務局)には、一言添えて返事を
出した。
「喜寿を迎え、気のせいか体にホコロビを感じるようになりました。異種肺炎に
なったが、なんとか持ち直し静養しながらやっと、活動開始。
一ヵ月前、ライオン・クラシックホールの裏通り画廊での出版・取次業界の趣味
人の「Tパティオ・あんでぱんだん展」に出かけて懐かしい人たちに会い歓談す
ることができた。
その時、一かヵ月後には、一年一度の定例「出版OB」が、近所で催されること
に気づき、二年ぶりの出席を決めた。限られ知人たちなのだが会うと、40年前
後の密度の濃い会話が弾む。楽しみにしています」。
特に、信濃毎日新聞のマツキさん、ぜひ出席を期待しています。


2017年10月8日日曜日

酒断ち               1887

9月半ばからの胸部疾患で、何となくこれまで欠かすことのなかった晩酌を断っ
ている。

医者に言われたわけでもなく、ただ吞み口が悪く気持ちよく酔えないのである。
体調もだいぶ回復して、今夜一杯と思いながら、結果的にヤメル日が続いている。
今夜は、ずっと肉を食べてないので、上等な牛肉スライスを買ってしゃぶしゃぶ
の夕餉になった。ふと、しゃぶしゃぶにビール一杯がないのは寂しい、とおもっ
たが躊躇して、も少し断酒してみたくなった。

煙草は、母の死をきっかけに帰りの新幹線車中でなんとなく禁煙を決めた。
それ以来14年、凄い覚悟をしたわけでもないのに一本も喫煙していない。
といって、適度な酒は百薬の長、また友との酒席は人生そのものなのでやめるわ
けにはいかない。




核兵器廃絶国際CANのノーベル平和賞 1886

ビキニ環礁核実験/1946年
「NGO・核兵器廃絶国際キャンペーン」のノーベル平和賞受賞の決定に思う。

広島・長崎の被爆者、そして核兵器の恐ろしさや非人道性を訴え活動し伝承して
きた人たちへの「賞」だろう。ノーベル平和賞の歴史的経緯や受賞者をみると、
違和感を覚えることもあるが、核兵器完全廃絶という一点で僕の内々では納得で
きる。
核保有大国アメリカに追従する日本の、7月に採択された「核兵器禁止条約」に
核抑止力を理由に参加しない姿勢は噴飯ものです。

世界100ヵ国の非政府組織・NGOからなるICANは、核禁条約制定への若い
世代の市民活動がジワリと評価され受賞につながったのだろう。
この国際的アピールは、核保有国やその影響力下にある国に、否応なく条約を無
視できない通告になるはずだ。

2017年10月6日金曜日

神楽坂の袖摺坂を登って       1885

きょう午前中、T医科歯科大学病院で2週間にわたった治療の最終段階での検体
で、肺炎の治癒と他の呼吸器系部位に異常なしとのお墨付きを医師から聞いた。

少し気楽になって、御茶ノ水駅から飯田橋駅で下車して、神楽坂へ足が向かう。
善國寺の毘沙門天前を通って、大久保通りを左にとって少し歩くと「袖摺坂」。
会社の最初の住所が、神楽坂矢来町だった。取引銀行への通いでよく利用した裏
路だった。
すれ違う人の袖が触れあうほど狭い坂道であったことからついた坂名だという。
26段の階段部分の幅は、1.4mほどしかない。当時は階段脇の塀は土塀だった
とおもうが、今は黒い板塀に替えられている。もっと以前は、芸者さんなどが行
きかう黒塀の景色だったのだろう。
稲垣足穂のエッセイにも、この「袖摺坂」の狭い階段を登って一息つく文がある
が、また多くの文人が行きかった坂名の由来を想ってみた。
矢来町94番地のビルを経て神楽坂本通にもどり、牛込台地北端の新築された赤城
神社の鳥居の前に立つ。

2017年10月5日木曜日

中島敦と親父            1884

教師の家と水槽(影:Pen)
親父がサイパンを目指した同じ時期、昭和16年(1941年)に南洋庁の官吏
(国語編修書記)として、サイパン島経由でパラオに赴任した中島敦(32歳)は
持病のぜん息を南洋の島で治癒したいとの思いもあったようだ。

ところが、いたって健康体であったはずの父は、日本が「大東亜共栄圏構想」で
南に向かうエネルギーにわきたっているとき、それに同調して熱風にあてられて
しまったのだろうか、と思ったりする。
母が生前に語ってくれたわずかな、教え子たちの様子と食生活の一端を、写真や
冊子などから推理してみるばかりである。
住んでいたのは学校に隣接する所に、高床式トタン屋根の戸建てを与えられてい
た。庭にはサイロの様なコンクリート製タンクが設置され、屋根で受けた雨水を
溜めて飲料水や生活用水としていたようです。

(←ブログ:2017・10・4 「サイパン島の古地図や資料から」1883)

2017年10月4日水曜日

サイパン島の古地図や資料から    1883

遠藤hより
玉砕のサイパン島で教師だった親父の経験を追ってくるなかで、数人の友人や知
人から貴重な珍しい資料や写真を提供してもらっている。

これまでにもあちこちの日に、紹介したり文章中に使わせてもらった。も一度、
整理しながら想像力を働かせて、アップグレードできればと思っています。

現在のサイパンはアメリカ信託統治領でアメリカ文化の色濃い島となっている。
16世紀にマゼランが発見して以来、スペインの統治が長く続いた。次いでドイツ
が引き継ぎ、第一次世界大戦後は日本の委任統治領となった。

日中戦争から、第二次世界大戦、太平洋戦争へと突入していく厳しいさなかに、
父はサイパン島に教師として赴任した。日本を離れるとき、東京の従兄や縁者に
会っているが、新天地に赴いた経緯や動機は聞かされてないし、僕も生前に敢え
てたずねることも無かった。
岡山師範学校を出て、母一人子ひとりの環境で早めに結婚し、二歳の子どもがい
ながら、南洋への「教育」を夢みたであろうことは間違いなかろうと思うように
なった。(→後日に続く)

2017年10月3日火曜日

飽きない食事            1882

年のせいもあるし、歯を痛めたこともあるし、一番は最近痛めた呼吸器の治療中
によるところが要因なのだが、シンプルな「一汁一葉」に先祖返りしつつある。

ご飯と味噌汁、漬物に一品添えただけの食卓。
お米は新潟のコシヒカリ(魚沼産ではない)で、無洗米は使わない。
味噌汁のだしは、イリコを使用したこだわりの出し汁。
漬物は、農家直送の無添加商品をセレクト。
お米は十二分に手で水磨ぎしたり、出汁とりと具づくりで若干時間を要すること
になるが、この程度なら毎日作ることができる。(yu)
むかしの一汁一葉は、貧しさと倹約から日常の暮らしのなかで自然なところだっ
たはず、、。

これまでは、毎日どんな違う料理をつくるかに意識が向かい、創造する楽しみも
あり、ファイルも増えつづけた。
節気や儀礼にあわせる料理作りは備え置いてもらって、日常の食は、そぎ落とす
べきはそぎ落として、飽きない単純食にしていきたいと思っている。

2017年10月2日月曜日

『漫画 君たちはどう生きるか』にふれて1881

書影/新潮社版(1977・7刊)
ハルが、吉野源三郎の名著をマンガ化した、「マガジンハウス」から発売した本
を読んでいた。

本書、発売一ヶ月で10万部に達し、話題になってきた。
これから、読売、朝日、毎日、日経、そしてブロック紙に次々と半5段広告を掲
出するのと合わせて、tvでもとりあげられ、さらにツイッターで拡散するなど、
ミリオンセラー予感。

Gyoが、新潮社刊の『君たちはどう生きるか』を購読していて、いまだに古びも
せず棚に残っていた。
奥付を見ると、1977刊・第16刷とあるから、ハルと同じ年頃によんでいたこと
になる。不思議な縁続きに感動する。

『君たちはどう生きるか』という、本作品がはじめて出版されたのは、昭和十二
年(1937)7月で、80年前のことでした。
この年にどんな事が起こっているかと云うことは、辺見庸の、『1☆9☆3☆7』
の日本の近現代史の暗部に触れた本で衝撃を受けたが、北京郊外の盧溝橋で日本
軍と中国軍が衝突、長い日中全面戦争のはじまった年です。

いまの時代の若者ハルたちに、十分通じる普遍性があり、4、50代がかつて読ん
だり、もっと前のぼく世代がこの本の存在を記憶していて手に取っているのだろ
う。

2017年10月1日日曜日

「木守り柿」になってしまった    1880

裏庭にGyoとともに成長した甘渋柿があり、今年もまた、食べられる時期になっ
ているが極端に少ない。

柿は生り年と、そうでない年がめぐりあわせとしてあるが、選定する時季あるい
は基準を間違えたのか、それにしても十数個とは少なすぎる。
切り詰めたわけでもないし、、。
すでに、すべて取ってしまわないで数個残しておく「木守柿」状態です。
残念ながら、身がとろけて透きとおるまで熟させる「照柿」も、渋柿は吊るして
「干し柿」に挑戦することもできない。

(←ブログ:2015・12・20 「yu吊るし柿に挑戦」1129)
(←ブログ:2016・11・1  「甘柿食べ始め」1545)