2018年1月31日水曜日

いま 皆既月食を観ている!      2003

ベランダから(2018・1・31影:Tab)
21時50分に完全に地球の影に隠れた。

2015年4月以来の荘厳な天体ショーが観られるかどうかの空模様だったが、
冷え込みが幸いして澄んだ天体に、赤黒い赤銅色に染まった月を観測できた。
地球の影に隠れてから、1月から2月になった午前0時10分頃には元の姿に戻
り、今は明るい満月です。
悠久の宇宙は奥深い。

玄関口の水道から垂れた分厚い氷は解ける様子もなく、あっという間に2月。
今夕はまた、雪がチラつくという。東風解凍はまだ先のように感じる。

2018年1月30日火曜日

網走市沖で流氷現る 記憶の断層73  2002


北海道網走沖に南下してきたオホーツク海の流氷が、初めて陸上から肉眼で見え
る初日となった。平年より七日遅く、昨年より三日早かったと。(網走気象庁発)

網走監獄に近いオホーツク流氷館で、流氷とそこで暮らす動物たちの世界を見た
ことがある。とくに、ダイビング経験から流氷の天使といわれる「クリオネ」の
幻想的な姿に感動し、「流氷鳴り」をリアルに耳で聞いたことを思い出す。

その流氷館の屋上から沖合に、びっしりと白い線のようにせり上がる流氷が見え
てることでしょう。
これから、流氷がゆっくりと接岸して船舶の航行が厳しくなるシーズン入る。

(←ブログ:2016・3・7 「かわいい天使のクリオネ 記憶の断層64」1308)

ℳ明弘さんのこと          2001


きょうは、盛りたくさんの行動形態でした。
八王子から横浜線で町田へ出て、Smさんに会う。
途中、戸塚まで行き、ひっくり返して夕方からの或る理事会に遅れて出席。

最後に遅れてはせ参じたのが、アキさんを囲む新年会。
今夜は、新年会と云うこともあって何年振りかで会う懐かしい顔ぶれでし
た。それに、店のお客さんの入りがよく珍しく満席でにぎやかだった。
モリモト、せっちゃん、愛ちゃん、ミエさん、タムラ、アベ、、、。

「でん八」で会うのは5年ぶりのタムラyさんも来ていた。実は、84歳で亡く
なった「ガミさんのお別れ会」で先日会っているのだが、はなし足りなくて月末
のこの会で会うことをそれとなく約していた。「プレーボーイ」の記者だった彼
はガミさんを師匠とし、店のカウンター越しにアキさんを交えてよく呑んでいた。
古い話におよんで、アキさんも84歳でガミさんと同い年、急逝に驚き、しみじ
み追悼していた。

アキさんは、18歳で結核発病し、喉頭がん、膀胱がん、食道がん、それに脳梗
塞に自然気胸などありとあらゆる闘病生活をしているが、現在に至る生命力は驚
くばかりです。未だまだ元気であってほしい。
なんといっても、3・11東日本大震災地の大槌町の現場に同行して、泥カキの
ボランティア活動にも参加したアキさんの勇気ある決起に圧倒されたものです。

お開きになって夜が更けるなか、歌舞伎町ゴジラロードをトボトボ歩きJR新宿
駅東口改札口で後姿を見送ったが、さすがに衰えは隠せないなと思いました。

2018年1月28日日曜日

2000回更新した今日の日は    2000

大槌中央病院3・11直後と1年後(影:Can)
二千回に達したブログは、当初3・11東日本大震災の、とりわけ岩手県大槌町
の地域復興レポートの「広報」手段として有効に使ってきました。
その咄嗟につけた名称が、「大槌の風」です。

その経緯から、惹句は「大槌町の子どもとお母さんへ本を送る様子をお伝えして
います」と付していました。
ブログ=日録の開始日は、2011年12月26日(月)でした。
最初は、広報用のウエッブサイトとして「ホームページ」を、暮れもおし迫った
日に立ち上げたと云うわけです。
このアイデアを提案しサポートしてくれたのはSmさんで、助けられています。

第一日の書きこみは、試験的にということで「自著『洋泉社私記』」を取り上げ
関係者への送本を準備していた事柄でした。
それから、7年かけて2000回の更新ですから、東日本大震災と並走してきた
とも言え、感慨深いものがあります。
記録のテーマは、歳月の流れと日々によって変遷し濃淡が表出しています。

*大槌町、釜石を襲った津波被害の実情と、復興へのおもい。(写真構成)
*去り逝く友人の死を想う
*業界(出版・取次・書店)の情報と動向
*旅、ドライブ・スキー・ダイビングへ
*新旧の風景、景観の記憶と断層
*読んだ本&観た映画・芝居評
*交流する友人、知人と「会」の記録
*父親(サイパン島)のこと、「家」のこと
*わが猛虎・阪神タイガース応援詩
*旬の72候と生活雑記


2018年1月27日土曜日

祖母の遺した三十一文字       1999

祖母は、ボクが上京した後のしばらく「政宗の家」で独りで暮らしていた。
そのとき、力を注いで書き遺したであろう短歌が古いノートと一緒に出てきた。

おし迫る 師走の日々は あわただし われはベッドで 過去を偲びつ

初日の出 胸はりきって 新呼吸 幸多かれと 祈る元旦

流れくる ラジオのニュース 雪だより 老いのきゅうに 寒さ身にしむ

老いの身に おしよせて来る 年のなみ さけるすべなく またも重ねる

85歳の新年に詠んだものです。
58年の時空を越えて、この歳になってこそ胸に迫るものがあります。

2018年1月26日金曜日

13年連続の前年比割れの出版    1998

(2018・1・17影:tab)
「日経」の誌面によると、昨年2017の出版市場が前年比7%の落ち込みだと
いう。(出版科学研究所)
販売総額は、1兆3701億円。

前年割れは13年連続で、1996年をピークにしてずっと縮小傾向にある。
先日には、暮れから新年の三が日の出版物売上概算の取次報告でも、昨対比5%
程度のマイナスと出されていたので、この後の上昇は見込みうすと思った。

数年前は、販売減少の主たる要因を大手出版社のコミック定刊誌にあるとされて
いた。ところがこの三年ほどで、マンガ単行本の売上低下の占める割合が極端に
高くなっているという。
昨年一年の販売実績は2ケタも、15%にも達している。(二大取次とも)
原因は、出版社が始めた漫画の電子化もあるようだが、ネット・スマートフォン
の総人口下で、海賊版サイトが容易にアプローチできることにもある。
違法でありながら、需要者にはその認識はほとんどなくアメーバのごとく侵食
され、出版不況にある厳しい業界相互への影響がすこぶる大きいと言える。

(←ブログ:2018・1・10 「60年代は「歴史」になりにけり」1982)
(←ブログ:2018・1・12 「出版社も書店も生き残りの画策は」1984)


2018年1月25日木曜日

新年の御徒町「吉池」恒例会     1997

昨年1月の新年会と一日だけ早い、カマさんとの一献会となった。

決定版『邪馬台国の全解決』を先行読書 1996

 
書影(言視舎/2018・2刊)
決定版・『邪馬台国の全解決』(孫 栄健著)が、2月中旬に発売になる。
それに先立ち、抜き刷の一部を読んだ。

邪馬台国をめぐっては、神秘的な卑弥呼(女王)や、ヤマト政権の成り立ちの解
明糸口になるかもしれないという存在が、歴史家や作家からわれわれ皆の関心の
的になっている。

著者は、いままで誰もやていない発想+論理に基づいて、邪馬台国のナゾを解き
明かしている。
よって、既存の「邪馬台国」モノにない魅力があること、
そして、ミステリーを読むように謎解きの面白さがあり、
歴史学術書に負けない緻密な論証を事柄ごとにしている、
ということで、優れて説得力があり、納得の一冊です。

2018年1月23日火曜日

白根山想定外の噴火         1995

きょう10時過ぎに、ノーマークの本白根がマグマ水蒸気爆発した報が飛び込
んできた。噴石が吹き上げ宙を飛んでいる様は、不気味な光景でした。

草津国際スキー場に近く、数回行っている地域で身近に恐怖する。
草津温泉のシンボル、大量の湯を噴出する「湯畑」は、白根山の東麓1200
mの高地に強烈な硫黄臭をただよわす。

もう半世紀も前になるのか、、中公労組の深夜スキーツアーバスで白根峠越え
して夜が白むとき、旅館に着くや飛び込んだのがこの硫黄温泉でした。
この機会はスキーを始めた初期のころで、以後も子どもたちと滑っているし、
最近では紅葉のころ白根神社から噴火口の硫黄湖に降り立っている。

2018年1月22日月曜日

大寒に大雪しんしんと        1994

2018・1・22 16時影:tab
早朝、9時半頃から雪が間断なく深々と降りつづけている。
いま現在、3年ぶりの大雪か、の勢いあり。深夜にかけて未だ積雪がある模様で
す。

田舎で過ごした子供の頃、初雪(とくに新年の)の降った朝が楽しみでワクワク
感がありました。ボクが生まれ育った津山市から中国山系に入った所(泉)は、
雪が降る地域だった。
そんな朝の気配は、目が覚め静寂のなかでみる縁側の引戸から漏れる陽光で予感
できたと思っている。
戸を引き戸袋にしまうと、裏山が斜面いっぱい白銀で盛り上がった別世界を見せ
る雪の息づかいに感動したものです。

雪害になる豪雪は困りものだが、自分にとって一晩で世界が一変するような感覚
を抱かせる雪は、記憶の深層を想うホットなものです。

(深夜、降雪のピークは越えたが30㎝以上に達した)。

2018年1月21日日曜日

映画の見方が変わるマニアック雑誌  1993

書影
マニアックな映画雑誌が、いまや主流の座を占めつつある。
先月に続き、「映画秘宝」3(2018)を覗いてみると、、。

この雑誌のほぼ創刊時(2003年)からだが、毎年この時期(3月号)には、昨年
2017年度のベスト&トホホを、160名超の映画マニアが独断でランキング
している。
賛否両論入り混じっての内容は、年々充実して注目度は高まるばかり。
『ブレードランナー2049』が、NO.1でベストもトホホにも爆選されたり、年
にいちどのお祭り騒ぎ──NO.2、『新感染ファイナル・エクスプレス』、NO.3、
『ベイビー・ドライバー』、、、
恒例の新春大放談は、町山智浩vs柳下毅一郎。ほかに、ベストを選ぶ人、語る人
で、のん、内山昂輝、二階堂ふみらが登場。
先月号に続き、またまた『霊的ボリシェビキ』(高橋洋監督)の見開きインタビュ
(田野邊・構成:山崎圭司)記事あり。2月10日からの公開だが、、。

(←ブログ:2017・12・23 「映画の見方が変わる雑誌」1964)

2018年1月20日土曜日

大槌町のシンボル「鮭まつり」の報が 1992

大槌の御祖母ちゃんが、3・11被災前の正月に「曲がり新巻鮭」を送ってくれ
た。

被災後の一時期、東京に身を寄せ避難生活を余儀なくされていたが、そのとき、
故郷家のそばを流れる大槌川を鮭の大群が遡上する様子を話してもらったことが
あります。
さらに、大槌ではどの家でも市場で買った鮭を軒に吊るし「新巻鮭」を自家加工
する慣わしを聞いています。

「おおつち鮭まつり」のイベントが被災後も続けられ、先月、町内外からも多数
集り盛大に開催された。(広報・おおつち)
メインイベントである「つかみ取り」は、参加者が水しぶきを上げる活きのいい
鮭に体ごとぶつかり四苦八苦しながら抱え上げる笑顔が、復興への若い人の元気
な息吹に見えてたのもしい。

2018年1月19日金曜日

覚醒させられるコーヒー店      1991

「日本経済新聞」朝刊のページをめくっていたら、全5段広告で「珈琲が呼ぶ」
とワンカップコーヒの絵柄が目に留まった。

コーヒー推奨協会(?)の宣伝広告かと、一瞬おもって見ていると片岡義男の囲
みが添えられており、光文社の書籍広告であることがわかった。
ボクは、コーヒー愛飲家ではあるが、いまコーヒーの蘊蓄をしたいのではない。
広告文のエッセーのなかに、コーヒー二杯目100円で提供するチェーンカフェ店
の話が出てきたところで、さらに、「JR飯田橋駅の東口を出て目白通りを南へい
くとすぐ、珈琲館という喫茶店がある。」と、本文から引用されている。

この「珈琲館」は、3・11東日本大震災、自分が最初に激震遭遇のまぎれもな
い場所です。同席した若い出版人も、会うと必ずこの日を語る。
わずか次月で7年目を迎えるが、3月11日同時刻にこれまで二度珈琲館で過ご
しています。あァあコーヒーが、、、。

2018年1月18日木曜日

目前に優雅なタンチョウの舞い    1990

(影:pen)
<記憶の断層72>
厳冬の時季になると、雪に映える二羽のつがいの写真がTVや紙上で報じられる。

数年前になるが、北海道の太平洋側、霧多布~厚岸湖を経て釧路空港から帰路に
つく直前、丹頂・タンチョウの舞いを見ることができた。
羽を広げながら関節を折って大股に歩く姿は優雅で愛らしい。「雪原の貴婦人」
の名にこの上なくふさわしい。
「ツルの一声」と言われるとおり鳴き声は大きい。「カー」とカラスのように鳴
くのが雄で、それにこたえて「カッカッ」と短く鳴くのが雌。

一日中眺めていて飽きないが、クルマレンタルの決済手続きもあって、飛行場に
急いだ。

(←2014・6・28 「阿寒湖と丹頂鶴」 記憶の断層31)

2018年1月17日水曜日

南洋群島・日本関係年譜(明治~敗戦)1989

戦争の惨禍を繰り返さないために過去に学ぶ
1.
親父のサイパンをもっと知るために、略年譜を補填しながらたどることにしまし
た。

1890年 南洋貿易を志して、ポナペ島に「南島商会」
(明治24)
1891年 恒信社、トラック諸島中心に貿易を促進。
1898年 米西戦争により、米国がフィリピン群島とグアム島を割譲。
(明治31)
1899年 ドイツがスペインよりマリアナ、カロリン両群島を譲り受ける。
(明治32) ポナペ島に総督、ヤップ、サイパンに地方庁を設置。
1906年 南洋貿易日置合資会社が村山商会を合同して南洋貿易会社となる。
(明治39)
1914年 第一次世界大戦勃発 日本は連合国側にたって参戦。
(大正3)  ドイツ領南洋諸島を占拠
       第一南遣支隊ヤルート島占領~占拠について米国内に反日論高
       まる。
       第一南遣支隊クサイ島占領
       第一南遣支隊ポナペ島占領
       第二南遣支隊ヤップ島占領
       第二南遣支隊パラオ島占領
       第二南遣支隊アンガウル占領
       第二南遣支隊トラック島占領
       軍艦香取サイパン島占領 
(⇒続編に)

追悼 ガミさん ありがとう!    1988

ケータイの受信(留守)控えの「イケガミT」をあわてて開いたところ、「Tが
昨日亡くなりました。」と、奥方の声が残されていた。
84歳でした、合掌。

出版界での大先輩ですが、美作津山が同郷の好と、奥方が演劇専修で同学年と云
うこともあって、様々な局面で心強いサポーターになってもらった。
ガミさんは、『人間の条件』発行の出版社を辞して在野のエディターになった。
その転機のとき、何か新しいことをはじめるのではないかと、多く育ててきた作
家や取材記者仲間は期待をもって見ていた。そんな突出した編集者でした。

彼の著作に、『量書狂読』なる圧倒的読書量のみならず、博識を不断に駆使した
書評大全がある。
そこれには、歴史と社会状況を常に正面から捉えようとする、書く姿勢の熱量が
すごい。




2018年1月16日火曜日

イノベーションについて       1987

最近では、目に留まらない日がないほど、「イノベーション」という用語をよく
見かける。経済用語であるが派生していろいろのジャンルでも使われ始めている。

革新と云うことだろうが、ビジネスモデルと関係なさそうな既存要素を組み合わ
せるニュー・コンビで、未知の商品を生み出すことがイノベーションの本質のよ
うだ。

クルマの運転は、オートマチックトランスミッションがいまや普通になっている
が、ボクは好んでマニュアル車で運転しつづけている。
ところが、これまでの常識を一変して、自動車運転技術の進化は驚くばかりです。
ボタン一つセットすれば、目的地まで渋滞も避けてスイスイ行ってしまうところ
までに、そう遠くないようにおもえる。運転する快楽はなくなるが、、。
これは洗濯機の登場がそうであったように、これはもう「家電クルマ」に革新さ
れた事になる。
これがイノベーションの現実と言われれば、言葉のイメージに迫力がある。

イノベーションを「珍結合」と表現すると、先日ハルから「チョコ味の焼きそば」
をコンビニから買ってきて「食べてみて、、」と渡されたが、完食はきつかった。
自分にとっては異様な食べ物だが、子どもたちには話題性とコミュニケーション
ツールとなり、ビジネスでは膨大な売り上げ成果をもたらすのだろう。

2018年1月14日日曜日

中里介山と禅林寺          1986

書影
羽村の堰から羽村駅に向かって段丘にのぼる右手に臨済宗「禅林寺」は在る。

この度、遊学舎の回数を重ねてきたウオーキング部会で、近々に東京郊外にも足
を運んでみようということになっている。
そこで、ボクが羽村の在で禅林寺にも縁あるゆえに、『大菩薩峠』は知っている
も介山については未知の部分が多いとのことで、江戸の水取り口羽村堰周辺を歩
きながら、少しばかり深堀してみることになっています。
新年早々に、若い住職にあって懇談できることになっているので、その前の予備
勉強中というところ。

お寺の境内裏ガケから階段を上ると、世界最長の小説『大菩薩峠』の作者・中里
介山が眠る墓がある。
介山は1885年に西多摩郡羽村(現羽村市)の農家に生まれ、1913年に「都新聞」
で連載小説「大菩薩峠」を執筆開始。
そして1944年(昭和19)に大作の未完のまま60歳で亡くなっている。
墓石は全部、大菩薩峠の山中からわざわざ運び出したものと云うから、こだわり
が凄いと思う。墓地に佇む五輪型の墓は、年月を経て特殊な趣をかんじさせる。

恒例の新春スキーを楽しめそうにない 1985

この数日、新潟から北陸日本海側は記録的大雪で、被害が続出している。
スキーを楽しむどころではないだろ。

一昨年暮れに、ハルたちは北海道のリゾート地「トマム」でゲレンデスキーを楽
しんで以来、滑りから遠ざかっている。
そうこうしているうちに、スキー場環境が目覚ましく進化している情報が入って
くる。
そのことで思うのは、「ゲレンデ食」についてである。
これまでも、ハルがスキー初級レッスンをした「軽井沢ゲレンデ」のレストラン
は、従来のカレー&ラーメン中心の簡易食堂を脱して、雄大な雪景色とゲレンデ
をパノラマに眺めながら、ゆったりとイタリヤ料理や中国料理に、お酒も嗜める
趣向になってきている。

スキーヤーからは白眼視されそうだが、時間を惜しんでリフトを何本熟したかで
競う年でもなく、これからは、雪景色のなかでかつての自分の滑りを見せてくれ
るハルの姿を追う楽しみがあってイイと思うようになってきた。

2018年1月12日金曜日

出版社も書店も生き残りの画策は   1984

  1. 書影
大型書店のみならず中型書店でも、文庫本の棚差し、面陳、平台が一等地で目立
つ。おのずと、文庫の陣取り合戦が激化しているように見える。

書店のなかにはベストセラーだけでなく、上手く関連付けされ、凝視させられる
スペース作りに出合うこともある。
例えば、渡辺京二の新刊『バテレンの世紀』(新潮社刊)が発売されたばかりだ
が、文庫平台に『逝きし世の面影』が積まれ、『黒船前夜』に続くJ待望の書と
して紹介している、くまざわ書店グループの一店舗で目に留まったが、目利きの
優れものがいるということです。
文庫でも売行き格差は激しく、スペースから消える(返品)サイクルは早まって
いる。

話は飛ぶが、友人の出版コンサルからよく聞かされてきたことで、出版社は世の
なかの動きに疎い。蓄積された自社コンテンツを異業種と協業して、製造業から
現在・未来的情報産業へ意識を切り替えて脱皮すべし、という。
すでに、印刷業界や広告代理店関係や健康コーポレーション、情報配信事業など
の紙のメディア以外の業種が積極的にコンタクトしてきている。
このような状況に、KADOKAWAなど大手総合出版社はさらに資本提携を強め企
業集団化へと進化する。

いつの世でもあるように一方で、拡大路線をとらず紙の印刷本に特化して縮小す
る業界のなかで合理化を図りつつ、出版理念に生きる人も間違いなくいる。

2018年1月11日木曜日

日記と雑記とブログについて     1983

わが家は、、
情報機器の進化によって、或る情報告知のツールとして使っていたモノが、その
趣旨が希薄になるにしたがって日常雑記に移行し、さらには日記風に個的な部分
まで立ち入ることになる。

出版の現場を離れて既に7年が経つ今の日常は、比較的淡々と過ぎ記すべき劇的
な事も少ない。雑記が減ってくるぶん、日記することが曖昧になりながら時間的
余裕で継続しているようなものかと思うことがある。
よく、深夜までおきていますね、と言われることがある。元もと自分は夜型人間
なのだが、このところは特に朝から約束でもない限り自由なので、夜更かしして
しまう。

日記は、日付曜日確認、天気マーク、そして日常の事実だけを書く。ときに新聞
切り抜き、郵便物をメモ。極力、思った、感じたは書かないことにしています。
ところがブログに至っては、3・11東日本大震災ボランティア活動の発信ツー
ルとして、7年前に開設した経緯があって、現地(大槌町)レポートになったり、
エッセイ、随筆評論風な表出で流してきました。
最初のころは、被災地の実情に圧倒されて感情がモロ出たり、前ののめりの感が
あったと思います。
今では身辺雑記の類が多々あり気になっていますが、やはり、3・11を時間の
流れとともに記憶を風化させたくない心底からの気持ちを内面化して表出してい
るつもりです。


2018年1月10日水曜日

60年代は「歴史」になりにけり   1982

1960年代ではなく、70年代からの「世代ブックフェア」
(2018・1・10影:tab)
元旦から9日間、家の周辺に出るぐらいでゆっくり休んでいるうちに2018年
の正月も過ぎた。

早朝、満員電車にゆられて都心の駅に降り立ち喧噪のなかに出ると、足がふらつ
く。人波を避けながらゆっくり駿河台の坂を下って、三省堂書店へ。
待ち構えるUtさんと、今年初面談となる。
毎月、準備してもらう資料を受け取る。

さらに、暮れから新年三が日の書籍、雑誌、ニューメディア商品などの本の活況
について意見交換。トーハンの新春の会での報告だと、総合平均で昨対5%程度
マイナスだと云う。昨年の出版は厳しい一年であったが、そのまま今年も引きず
る、不安増幅の数字に見えるが、、。

このあと異動しながら、狩野さん、西原さん、松田さんそれぞれに予定した通り
あって話すことができた。





2018年1月9日火曜日

「日本のいちばん長い日」を観る   1981


新年早々にみる映画が、岡本喜八監督の「日本のいちばん長い日」とは、の感が
あるが、観ておいてよかった。

自分は、「戦争映画」をあまり観てこなかった。意識的に避けてきたようにも思
える。
この映画も、観る前はポツダム宣言受諾をめぐる政府、軍部と天皇の動向をエピ
ソードを交えて描写した戦争映画と予想していたが、まさに玉音放送に至る緊迫
戦時下の24時間が濃密なドキュメンタリータッチで描かれている。
(その日、5歳になったばかりのボクは、祖母たちの「松根油」作りの現場に居
た、とうすうす記憶している。)

ポツダム宣言が発せられ、これを受諾するかどうかで「戦争首脳会議」が行われ
ているなか、8・6広島原爆投下、8・9長崎原爆投下で人も町も壊滅に陥れら
れ、さらにソ連の参戦で最終局面に追い込められていた。
阿南陸相(三船敏郎)ら陸軍の本土決戦で紛糾し、そこで天皇の発言となる,,,。

太平洋戦争に赴いた1000万人(日本男子の4分の1)。戦死者200万人、
一般国民の死者100万人、計300万人(5所帯に1人の割合で肉親を失う)。
家を焼かれ、財産を失った者1500万人。






2018年1月8日月曜日

七草がゆ              1980


今朝七日、七草粥をいただいた。

セリ、ナズナ、ゴギョウ、ハコベラ、ホトケノザ、スズナ、スズシロとお餅。
芹は羽村の堰上の小川湿地で、薺、御形、繁縷、仏の座は堰の対岸土手で探すこ
とができます。

正月三が日が過ぎ、七草までの早いこと、星野さんの訃報などあってとくにそん
な気がしています。

『諏訪信仰の発生と展開』を読む   1979

書影
田中基君から著書、『日本原初考・諏訪信仰の発生と展開』(古部族研究会 編)
が手元に届いた。

本書は「古部族研究会編」となっているが、ボクが初めて諏訪信仰と藤森栄一の
「銅鐸」の話を聞いていた頃、この日本古層の追究がどう深化されていくのかは
不明でした。
ところが40年後、「日本原初考」三分冊として一部加筆や新稿を加えた1170頁
の大冊文庫版で復活したと云うことは、田中君たちの弛まぬ執念の到達点だと思
う。

彼には、縄文中期土器図像の世界観を記紀神話とのかかわりで考察した著書『縄
文のメドゥーサ』(2006年6月/現代書館刊)がある。
「この図像解釈のなかで、縄文人の大地感、生命観について考えざるを得なくな
り、折口信夫のまれびと観や他界観と習合させて、諏訪の神事を改めて見たとき
に、その根底には同じものを見いだすことができると、今ならはっきり言うこと
ができます」。と序に寄せている。

2018年1月6日土曜日

星野仙一さんの死を悼む       1978

書影
星野仙一元阪神タイガース監督急逝の報に接しました。
70歳でした。

星野元監督とは倉敷(旧水島)で同郷です。そして根っからの阪神タイガース
ファンが高じて、『星野タイガース読本』を星野監督を迎えた一年目に刊行し
たことを想いだす。
二年目の03年には、闘将の選手人心掌握術よろしく猛虎は復活し18年ぶり
の優勝をもたらしてくれた。
昨年、野球殿堂入りしたのを祝す会で盟友田淵幸一や山本浩二らと、はにかみ
笑いを浮かべ鏡開きをしていた姿を見るにつけ、あまりにも急で残念至極です。

11年には、楽天監督になった開幕前3月11日、東日本大震災が発生した。
被災地東北を勇気づけるを合言葉に、一途に野球プレイに取り組み、一部で被
災地の支援をしてきた。3年目の13年にはチームを初優勝にみちびき、震災
復興に向かう東北の人たちをなんと勇気づけたことだろう。

監督を退いてからも、被災地を訪ねつづけ、子どもたちの手を握って「ガンバ
レや!」の掛け声のなかに、岡山弁が混じっているのが響く。 
合掌。

2018年1月5日金曜日

ことしの年賀状アラカルト      1977

年々年をとってくると、東奔西走の毎日を日々新たにして、、と賀状につづ綴る
御仁はいなくなった。

それにかわって、加齢でもの忘れが多くなったとか、足腰が弱くなって階段の上
り下りがままならない、そして病気報告といった具合です。
自分は昨年、喜寿を越えたが、今年還暦や、古希、喜寿を迎える人も多く、「遂
に、、」と必ず一言添えてある。
皆に温度差があるといえ節目を越える危機感が漂う言葉が頻出する。

でも、まだ未だ活動できる範囲で行動している友人も多い。
国際的なNGO活動に一貫して尽力しているFh君の、社会正義と平和への信念。
遠い昔、スキーを共にしたこともあるKtくんは、朝日新聞を離したあと大学へ
出講する傍らパレスチナ再訪、社会的関りを継続している様子が知れる。

こんな微笑ましいうれしい賀状も。大学のおんな先生Ksさんは「ゼミに虎ファ
ンの女子が入って来ましたが、当方のことは秘にしています」と、必ずわが猛虎
の話題が添えられている。球春近しを感じさせられる。


2018年1月3日水曜日

賀状片々 ’18            1976

8ポイント活字で400字、賀春に始まりほぼ400字詰まった一枚の年賀状に
毎年、ひきつけられる。

今年の賀状では、昨年夏に意を決して四国八十八カ所巡りを始めたこと。道中の
彼岸と此岸と往還する空気にふれ順調に巡礼したが、途中で息切れし今年また再
挑戦する決意のほどが書かれている。

この主文よりボクが琴線に触れたのは、「先生から貰った『君たちはどう生きる
か』を、中二のとき以来、当時の小型・上製本で読み直した」と云うくだりでし
た。そして、「18歳で上京し最初に行ったのは、銀座ではなく国会議事堂でし
た」と、、。結論、「以来半世紀、ガッチン君のままで生きてきたようです」。

彼は優秀な編集者だが、さっさと現役を退いた後は信州伊那で隠遁生活を送って
いた。このときの手紙のやり取りで、故カドクラと親友関係にあったことを知っ
て奇遇に思った。

(←ブログ:2017・10・2 「『漫画 君たちはどう生きるか』にふれて」1881)

春の書初め             1975


ハルの書道の先生らしきことを、数年前にしたことがあった。

彼に与えられた墨筆のテーマは、「豊かな心」。
自身、正座して筆を握るのは一年ぶりで、元の感覚を取りもどすのに手間取る。
スキーで前の滑りを取り戻すのに半日かかるようなものだ。
「豊」はバランスの取れた書体ながら、書いてみると縦長に間延びして画数の間
の取り方が難しかった
相手は、普通の利き手は左ながら、筆を持つのは右手だがいまでは全く違和感を
受けない。ところが、硯の墨をするのは左で始めるので面白い技に見えてしまう。


2018年1月2日火曜日

箱根大学駅伝を観て夕には富士見の決闘1974

(影:pent)
新春恒例の箱根大学駅伝は早朝のスタートから観る。

何十年も二日の日は、5人の選手がタスキをつなぎながら箱根芦ノ湖のゴール・
テープを切るまでのドラマを見続ける、その忍耐にわれながら驚き。
毎年ずっとほぼ同じコースを走るのだが、天候は晴、曇り、雨に雪と変化が様々
なことと温度の変化が激しいので、劇的なる展開に魅了される。
だが、昨年に続き今年も、比較的淡々としたものでした。
往路1位は、東洋大学。

次は、ハルと隣の富士見公園運動場で鉄棒、エセエベレスト登頂、そして極め付
けは、ライトセーバーで決闘。久々に手合わせするが、背が伸び腕力に足腰が一
段と強くなっているので、真剣勝負するも圧倒的に負けてしまった。
もちろん、色んな型に合わせて機敏な立ち回りをするので、ついて行かれるわけ
もなく一本取られる流れになるのであった。

2018年1月1日月曜日

あけましておめでとうございます。  1973

空気が澄んだ寒い朝の新年です。

午前中、新聞二紙と年賀状をみてすごす。
新聞広告(「日経」本紙)で出版社の全面広告は、一社だけで他に見当たらず。
年々減少してきていることは気づいていたが、残念ながら衰退の象徴のように思
える。

正午すぎに、年越しを「花園神社」で過ごしたハルが、元気に躍動感いっぱいで
年賀にやってきた。
例年と少し空気がちがうのは、問題集持参で自主的に勉強を始めたり、息抜きに
Legoに熱中してみたり、スケジュール管理できるように一段と成長していること
か!
全員揃ったところで、御屠蘇をそれぞれの杯に注ぎ新年を賀す。