2014年6月30日月曜日

吉祥寺                   687

吉祥寺京王線口(2014・6・30影 ケイ)

吉祥寺は50余年前に、奥多摩の登山に行く待ち合わせで井の頭口に降り立った
のが初めてで、当時は東京の外れと云う印象でした。

今日ではハルの研修で、京王井の頭線の明大前を週に一度は利用して、吉祥寺
経由で帰っているので、すっかり沿線の風景と吉祥寺駅の人の絶えない賑わいは
慣れっこになりました。
さらに、今回の大改装でステーションがモダーンに一層の変貌を遂げて、人の集
客と流れが変りつつあるように見られます。

未来社時代に吉祥寺駅で下りて、埴谷さんのお家に月に一度伺った日々のこと、
また前進座の女形、河原崎國太郎さんに本を届けたこともあった。
その帰りに、井の頭線ガード下にあった小料理屋「豊後」に寄ると、ミズノヤ君や吉
祥寺弘栄堂のコヨウ君ら、誰がしかが居たものです。
そう、二ヶ月前までは、柳田君が井の頭に住んでいて、駅周辺でしばしば一席もっ
たものだが、、、。

2014年6月29日日曜日

三本の高速道路が直結する!         686


圏央道の高尾山ICと相模原愛川IC間、14・8キロが昨日開通した。

今日、急におもいたって雨上がりのなか、圏央道、青梅(羽村)ICから入り海老名
JCTまで、ドライヴした。
この区間延長で、東名高速道路と中央自動車道がつながり、さらに関越自動車
道も含めて、都心からの三大高速道が結ばれたことになる。今まで、都心に入ら
なければならなかった東海地方と北関東方面のアクセスが飛躍的に向上する。

乗っかって10分余で高尾ICで、ここまでは東京方面に向かう場合と山梨、信州
方面に旅するときに日頃利用する中央自動車道の合流点。
この度は、高尾ICを右にとって、高尾山のトンネルを抜ける。真新しい道路と明
るい照明のなかを走りながら、自然破壊と環境問題で長く揉めた事情を想ってみ
た。
いくつかのトンネルを抜けると、相模平野をゆっくり蛇行する相模川を高速道から
高見に眺められるのがイイ!
海老名で下りて、今日のところは何処を散策することもなく、普通道を厚木方面
に向かい、相模原愛川インターチェンジで再度圏央道に入り、羽村へ帰った。
約2時間の優雅な「通り始め」でした。

2014年6月28日土曜日

阿寒湖と丹頂鶴。 記憶の断層31      685


次の旅先、阿寒湖は、しっかりした観光地で大きなホテルに囲まれ、どんよりし
た湖だった。
豊な森と湖が広がる先に眺望できる雄阿寒岳と雌阿寒岳は、アイヌの人々に、
ピンネシリ(男の山)、マチネシリ(女の山)と呼ばれ、四季折々の景色を見せて
くれるはずです。

最後に行く丹頂鶴自然公園までの道路は、左右に大きな牧場を眺められる、な
だらかな起伏が続く直線道路だった。快適に飛ばし、自然にスピードオーバーに
なっているのに気付く。
途中、スポーツカーが牧場に投げ出されて、4台のクルマが横転する大きな事故
を見てしまった。

入場料600円を払って、丹頂鶴自然公園を一周する。ケージの中には、つがい
一羽とけっこう獰猛な鳥が同居。
冬の雪にすっくと立つタンチョウツルを想像してみた!

釧路空港でレンタカーを返却。全行程、1100キロ。
乗りなれたマツダ車だったが、トラブル一切なしで目的帰路空港に乗り捨てでき
たのがイイ。
知床半島の「地の果て」と概観をオホーツクの海に出て見られなかったのが残念。

2014年6月27日金曜日

倉敷の弟から、瀬戸内で釣った魚が届く!  684


アカメバル

弟は、海釣りを趣味としているが、最近は週に2日は出かけているらしい。
クルマですぐの所に高梁川河口があったり、四国への架橋下周辺の漁場も豊富で
釣る場所に事欠かないようだ。
時には、高知の太平洋側岩場まで行って、チヌ(黒鯛)釣りもする凝りよう!

今日、クール便で届いた魚は、すずき(セイゴ)、黒めばる(ウキソ)、赤めばる(ホ
ゴ)とママカリ数十匹。セイゴは海面近く、ウキソは中ぐらい、ホゴは深いところ回遊
する近海魚と教えてくれる。
刺身と煮付け料理が楽しみ。
この夏は、Gyoたちが帰郷して瀬戸内海で釣りに、泳ぎに、島巡りに、興じることが
できればイイのにと思っている。

Tさんから訃報が入る。河出書房新社前社長の若森さんが今月20日に亡くなっ
た知らせ。74歳、同世代の知人に去られると、侘しさが一層つのります。 合掌。


2014年6月26日木曜日

青から、黄色の虎にもどって!         683


サッカーW杯のお陰で、阪神タイガースのセパ交流戦での不甲斐なさは少し緩和
されたが、明日からのリーグ戦で憂さ晴らしして欲しいところ。

毎日、都心への出勤がなくなり、フルでテレビ観戦できる日が多くなった。
ビジターで勝てていないが、ホームの甲子園では力投するメッセの心技を分析した
り、悪い流れにホームランを打って活を入れ、荒削りな守備力ながら溌剌プレーの
若虎、緒方の出現にこぶしを突きあげたり、一喜一憂している。緒方は、二塁踏み
忘れとか、自打球を見忘れ再スタートするとか、未だ未熟というかオッチョコチョイ
なところがあるが、掛布の打撃指導もあってレギュラーとして定着が近いよううに思
える。
福留に期待してきたが早く見切りをつけて、隼太と緒方を競わせるコトがベター。
今回とった良太の二軍降格は腑に落ちない。
後半戦、ゼロからのスタートを選手に言いながら、実際は春先と何ら変わっていな
いことが杞憂される。
ザック日本の青には、4年前から積み上げてきたモノが何だったのか見えなかっ
た。

わが愛すべく、タテジマの猛虎の伝統を生かす次世代につなぐ軸に藤浪、上本、
大和、隼太、梅野、緒方の飛躍に期待する。
何度でも言わせてもらう。僕は、藤村・別当、村山、江夏、田淵、掛布、、、の時代
から、阪神タイガース・タテジマファン。そのことを趣味としています。

2014年6月25日水曜日

グンゾウさんが、さゝまの最中持参で登場!  682


病気静養中だったグンゾウさんが、知る人ぞ知る、「さゝま」の松葉最中持参
で元気な姿を見せてくれました。
駿河台下の交差点近くに「さゝま」和菓子屋さんがあって、「最上の原料と昔な
がらの製法で一つづつ心を込めて作り上げましたものが「さゝま」の和菓子」、
の栞の口上に違わず、評判の一品です。

水曜会の正午からの集まりに、二ヶ月ぶりに顔を出した元気な体調ぶりに、
皆がほっとしました。まだ、味覚が相当低下しているようで、汁物が水のよう
に感じられると言ったり。体重はほぼ元通りにもどり、足の平衡感覚も取り戻
せつつあるようで、階段の上りもしっかり踏んでいた。
グンゾウさんの快気を祝っている最中、今度は、皆と共通に親しいHkさんが、
ガンでD大学病院に入院したとの報告がありました。
4ヶ月前に会った時、そんな予兆を感じさせる会話をしているので心配です。

2014年6月24日火曜日

大原孫三郎も凄いが、林原一郎も遣った! 681

書影(日経BP社刊)

林原美術館から、本能寺の変の一級資料が出る。
先日、「カバヤ文庫」のことで、古い記憶が呼び覚まされ、その仕掛けをしたの
が「林原」だったことを記した。

岡山の「名門企業」でありながら一度は破産した林原は、2012年にナガセグ
ループとなったが、独自の技術を生かして、医療、食品、健康への展開を加速
させてることを知った。

そしてまた、今日のニュースで、林原美術館所蔵の古文書研究における新知
見について、、、本能寺の変・四国説と関連する書簡を含む、が注目される。
本能寺の変、謎に迫る資料見つかる! 光秀が信長の方針転換に不服だった
か?戦国時代に土佐の武将だった長宗我部元親が四国の領土をめぐり織田
信長の命令に恭順する意向を示した内容の手紙が見つかり、所蔵する林原美
術館と、共同研究する岡山県立博物館が23日、発表した。(林原美術館は、
岡山県立美術館ができる1986年までは、岡山美術館(1964年)と呼称して
いた。)

信長は、四国は元親の自由にさせるとの方針から一部しか領有を認めないと
変更。手紙は明智光秀の家臣斎藤利三に宛てたもので、元親が従う姿勢だっ
たことが確認されたのは初めてと言う。
手紙は1582年5月21日付で、直後の6月2日に起きた本能寺の変は、織田
と長宗我部の仲介役だった明智光秀が信長の方針転換に納得しなかったこ
とが原因だと考える説もあり、美術館館長は、「本能寺の変に大きく影響した
要因ではないか」と話した。
NHK歴史観もいいが、このようなリアルな原典が発見されると、歴史を見直
す、ワクワク感があってイイ。

2014年6月23日月曜日

今日もいろいろのことが、、、        680

(2014・6・23影ケイ)

新聞記事から。岡山弘栄堂なくなる!
業界紙の記事で、岡山ステーション地下街に在った「弘栄堂書店」が、既に1年
前に閉店していることを知った。
未だ、人文書が売れている時代に、駅地下の100坪ない立地の店でビジネス書
とあわせて人文教養書の販促に力を入れていたカワタキ店長がいた。紀伊國屋
書店や丸善書店があるなかで、気になる書店として注目されていた。
彼とは、吉祥寺弘栄堂時代から懇意にしており、岡山に帰ると新幹線の改札を出
て直行したものです。
その彼が数年前、全国展開するM書店に転出している噂を聞いているが、元気
であってほしい。

都心に出れば、1万円札をSuicaのチャージに使い、残りの千円札が財布のなか
から消えていく。決して無駄な買い物をしているつもりはない。案件、二、三の打
合せと、ハルに逢う事ぐらいですが、交通費、コーヒー代、昼食で半分が飛び、
ハルの本代で消えてしまう。もっとも、住いの羽村から都心へのJR、地下鉄、京
王線、バス代に掛かる交通費がママならない。これまで、定年後の交通費負担
についての嘆きはしきりに聞かされていた。都心から離れているわが身としては
今さらながらひしひし実感させられている。

耳が遠くなった。視力については、生まれつき片方の目が相当弱いが茶目なの
で、長年気に留めてきたが、耳については注意してこなかった。ところが「加齢難
聴」に注意!の新聞記事を読んで、自分が該当者ではなかろうかと思うようにな
った。
以下次に。

2014年6月22日日曜日

ベゴニア                 679

ベゴニア(2014・6・22影 Can)

玄関先の花壇に、ベゴニアを植え込みました。昨秋から咲きつづけたパンジーか
らのリレーです。例年は初夏から秋にかけて、百日草が咲いていました。

雨上がりの夕方の光で、少し赤みをおびて可愛い表情に撮れた。一株モノも撮影
したが、一列に数株、植えたことを強調したくて、このアングルの写真を選びまし
た。グリーンの艶のある葉っぱとピンクの花とのコントラストがイイかな!

ベゴニアは、交配園芸種で種類が大変多いと聞く。
ところが、球根性なのか根茎性なのかよく判らないまま根付けしてしまった。
地中に球根を作るタイプのベゴニアは、豪華な大輪の花を咲かせる球根ベゴニア
の元になった品種。
他にレックスベゴニアなどがあり、根茎性ベゴニアの一種で、葉に美しい模様と色
を持つ交雑種と、多種多様のようです。
葉に模様がないので多分、球根性だと思うが、これから秋いっぱい花を咲かせ、
楽しませてくれるでしょう。

2014年6月21日土曜日

さくらんぼの産地から。           678

秋田三関さくらんぼ(2014・6・21影Can)

「品質日本一」を自負する湯沢市三関の自家農園産、さくらんぼ「佐藤錦」のもぎ
たてが届いた。甘酸っぱく、美味しい!

届けてくれたのは、一年の半分を果樹園農業に専念しているタカヤマM君からで
す。彼は、未來社時代から、その後の出版業界でもつき合ってきた友人だが、現
役引退後は、東京と秋田を行き来して田舎暮らしを楽しんでいる風です。
もともと、山好き、菜園趣味があったから、8年になる今の生活スタイルを、満喫
している様子がうかがえる。

3月の「未來社OB会」でも、農村社会の高齢化を憂いつつ、70歳間近にひかえ
る自らを、「村では青年のよいな存在」、と自虐的に言っていたが、勢いがあって
覇気が感じられた。
(←ブログ:2014・3・1「写真」)

2014年6月20日金曜日

御茶ノ水界隈                677

ランチョン(2014・6・20影Can)

今日、急に都心に出ることに。
三省堂書店によって、「ランチョン」でオムライスにビール。

日頃、打合せで使う御茶ノ水駅直近の「喫茶穂高」がいっぱいで、「御茶ノ水ビア
ホール」に移動する。
喫茶店に入れず待っている大阪からの出張族らしい人曰く「学生時代、行き交う
電車を眼下に見ながら、コーヒーしてた頃が懐かしい。」と。
僕も10代で上京して直ぐのころ、高校を中退してコック見習いの友人がいて、今
も大して変らない御茶ノ水駅線路沿いの食べ物やさんが並ぶ一軒の洋食屋の厨
房を訪ねたこと思い出した。大盛りのカレーライスをご馳走してくれた!

先日、シライ君とシコタマ飲んで、すっかりファンになった「御茶ノ水ビヤホール」に
案内して、「大槌の風」を何かとサポートしてくれている盟友二人と懇談。
ビールで乾杯して、さっそく種子島の芋焼酎「タイガー~」を独断と偏見で宣伝した
ところ、完さんが試飲して、香りもよく美味いと、、、。

次から次に話題はつきず、ソフトバンク、アスキー、インプレス、ジャストシステムな
どのヨコモジ出版社の盛衰を聞く。
ワールドカップに絡んで、渋谷若者街論の展開も。
仕事ができても年頃の娘さんには手を焼き、話がかみ合わないどころか相手にさ
れず排除に面くらい「この歳になって」と、ユーモアを交えながら、彼の深刻な語ら
いに、何も言うことができず。
映画「ラストミッション」でも観て、父親に共感してもらうしかないか。

2014年6月19日木曜日

いつまで経ってもパソコン苦手!       676


トーハンから九段経由、正午からの水曜会へ。
昨日の水曜会は参加人数が少なく、もっぱら完さんに、コピー機の操作で写真を
指定スキャンする手続きと、それをパソコンのピクチャーに送り込む手法を、個人
教室してもらった。

スキャルピング/アクセサリーのなかのペイントアプリを使用する。
古いカラー写真を切り取って、ペイント画面に貼り付けて、白い余白部分を排除
した写真を再度切り取り、新しくファイルに貼り付ける。
今どきのデジタルカメラの場合は、内臓ソフトで修正したものをパソコンに取り込
めるが、古い写真を再生する場合のスキャニングの入口は、いろいろな手法が
使えるというコトか、、、難しい。

又、数枚の写真を一斉にコピーして、ペイントで必要な一枚を切り取って貼り付け
pictureに保存することも可とか。

まだ、メカはXP使用中だが、アドビはバージョンアップしてるみたいと知らされる。
(←ブログ:014・5・28 「未だに悩み多きパソコン!」)

2014年6月18日水曜日

6・15とサイパン            675

書影(東和社刊・昭和26・1・1刊)

今日は何の日?となると、1960年6月18日を思い、6・15安保闘争に行きつく。

54年前の今日は、国会が日米新安保条約反対の抗議デモ(参加者33万人)に
よって包囲された。
だが、何することもなく翌19日、午前零時に自然承認された。
最終最大の局面は、6月15日の全学連の国会議事堂内、流血の第二次抗議闘
争で「樺美智子さんが死す」日にあったと思う。その時、僕も国会構内にいた。

1960年から遡ること16年前の6・15は何の日なのか。サイパンの戦い。
若いとき、あまり気にかけることはなかったサイパン島であるが、Gyoの仕事上か
ら関係ができて、次第に島に渡航した亡き親父の教育者振りを知りたくなった。
それぞれ時代も環境も違う三世代が「サイパン」に、全く異なる意識で関るという
ことは稀有なことだと思う。

サイパン島は、戦前は国際連盟の委任統治を経て事実上の日本領だった。そこ
に、1944年6月15日、米軍が圧倒的戦力で上陸。親父が持っていた「サイパン
本」数冊を読んだことがあるが、日本軍の組織的戦闘は7月7日(サイパン玉砕
の発表は7月18日)の総攻撃で終わり、その後は、米軍の日本本土空襲のベー
ス基地となった。

岸首相の自邸まで「安保反対!岸を倒せ!」のデモが押し寄せ、孫の安倍晋三
まで「アンポーハンタイ」と叫んで遊んでいたというが、、、。さて、さて集団的自衛
権の行使(戦争をする)まできてしまった。

2014年6月17日火曜日

鮎釣り、水田、檜の古木、、、         674

多摩川(上)に秋川(下)静かに合流/右下流→(2014・6影Can)
秋留台地を走る五日市街道沿いの農協で朝採りの新鮮なトマトを買う。
五日市街道の、拝島から圏央道を結ぶ陸橋道路を横切って、秋留橋に出た。
橋の下を秋川が流れ、そのたもに鮎釣り場があり、7日の全面解禁により釣り師
たち賑わっていた。


秋川東秋留橋/鮎友釣り場(2014・6影Can)
そこから、1キロばかり蛇行する川沿いを下ったところに高月堤があり、河原は
日ともなると家族連れでいっぱいになる。
さらに、川に沿った土手を少し歩いたところに、数百年は経っているだろう檜、
木、榎が立つ木陰で、そよ風に吹かれながら、仮眠した。
夕方近くなって、秋川と水田に挟まれて続く土手から下りて、自分の背丈以上に
蔽い茂るブッシュの道なき道を掻き分けて、やっとの思いで秋川が多摩川にブツ
カル合流点に出ることがでた。
日頃、周辺は頻繁に車で走っているにもかかわらず、見ることができない隠
風景に触れてうれしくなった。次も、暇をみつけて支流の交点巡りに行くぞゥ。
(←ブログ:2014・6・16「秋川と多摩川との合流点!」)


2014年6月16日月曜日

秋川の多摩川との合流点へ!         673

高月堤(2014・6・14影Can)

「多摩川最大の支流・秋川を多摩川との合流点から遡っていくと、最初は川沿いに
秋留台地の広い段丘面が広がる。」と記述された文章に接して、秋川の源流を訪
ねてみたくなった。

僕は日常生活の買い物や本屋さんに行くとき、多くは多摩川・羽村の堰を渡り峠を
越えて「秋留台地」を通る。川とか水とか魚に強く惹かれる性癖からか、多摩川に
交わる秋川の源流にあたる南秋川と北秋川に、急に関心を抱くことになった。
まず、はじめに秋川の多摩川にあたる合流点の探索に出かけた。


中州を挟んで秋川が第一級河川多摩川に合流/右へ東京湾(影Can)

2014年6月15日日曜日

摩周湖は一面、霧だった!記憶の断層30   672


霧の摩周湖と言われるとおり、一面に霧が沸き立つ感じの風景に遭遇。わずかな
隙間から湖面が見えたかな。晴れていれば、透明度世界一を誇るカルデラ湖の美
しさに引き込まれるのではと思わせる湖は、見晴台の底にあった。
足元には、白いワレモコウが霧に吹き上げられ震えるように佇み、野生のシマリス
が顔を出していた。

硫黄山の麓に広がるツツジヶ原を眺めながら、川湯温泉へ向かう。途中の牧に馬
がいて草を食べさせたりして一休み。

屈斜路湖は大きくて、とてもきれいな水!湖の真ん中に「中島」があったり、半島
が突き出し、遊覧船が周航する観光スポット。
湖の周りは、大小たくさんの温泉が砂場をちょっと掘ると湧き出る。その中の「池
の湯」に入浴。白くにごった池の水はぬるま湯ほどの温度。皆、ウエットスーツを
着ていた。その近くに、「コタン温泉」があり、湖に接した岩風呂で水がきれいで、
湖面を眺めながらの入浴は時間を忘れささせられる。そして、どこも入浴、タダ!


2014年6月14日土曜日

文壇バー「風紋」のこと。          671



埴谷雄高のアンドロメダ忌(2月19日)があり、太宰治には6月19日、桜桃忌が
ある。
新宿で文壇バーと言えば、まず歴史ある「風紋」が懐かしい。そのお店の経営者、
林聖子さんは、お母さん共々少女時代から太宰治と親交が深く、桜桃忌を前に思
い出をインタヴューに応えている。

僕は「風紋」へは、最初、岡本潤さんと、次に連れて行かれたのが埴谷雄高さん
でした。1961年に開店していたのですが、1960年半ばには名たる編集者、著
名作家がカウンターを占めていて、近寄りがたい感じでした。

それはさて置き、限られた入店で僕自身は「林聖子」さんに挨拶程度しかしたこ
とはないのですが、いくつか接点があって記録に留めて置きたくなったと云うコト
です。もう少し頻繁に通っていればとも、思っているところです。
林さんのご母堂は太宰治と同じ三鷹の禅林寺が菩提寺。わがyuも近くの下連雀
が学生時代に過した場所で、また羽村にはGyoの友人のお寺「禅林寺」がありま
す。(名称が同じと云うだけのコトですが、、?)
さらに、聖子さん親子は、戦後、お母さんの故郷・岡山の津山へ疎開して一時過
され、三鷹に帰られたようで、このコトにも惹き付けられました。
まだまだ、津軽の疎開先からかえってきた太宰と親子して邂逅したのも三鷹駅
前の書店とか。(石田さんの第九書房ではないようです。)

30余年前に刊行されている、『風紋25年』で読んだ記憶を手繰りながら。

2014年6月13日金曜日

「命の釜」があったが、「命の道」実現へ!  670


最新の「おおつち広報」に、住民の悲願だった「命の道」が実現する見通しとの報
告が載っていた。
大槌町の城山を挟むように流れる大槌川と小鎚川の流域を結ぶ、横断トンネル
道路の完成を目指して、調査・測量に着手する大きな復興事業になるようだ。

僕には、この横断トンネルの発想はなかったが、町民の生活するエリアは高台に
移し、生業の拠点となる漁業加工工場や生活必需品供給市場など定住を必要と
しない場所として、防波堤周辺地域を活用することをイメージしていた。
着工すれば、4年ばかりで完成するようで、津波震災の浸水区域を経由せずに、
文教の拠点と医療の拠点(新県立大槌病院)との行き交いができ、安全性、利便
性、防災に頗る有効で、未来町づくりの一歩のように思える。

娘の御祖母ちゃんの家は中心市街地にあって、二波の大津波と夜にかけての火
災で根こそぎ流出してしまいました。
山に逃げながらも、数日にわたって孤立したままでした。
いま、大槌町から出て暮らす御祖母ちゃんは、お墓参りで菩提寺を訪ねることはあ
っても、生活する場所ではなくなりました。だが、大槌町の復興に夢を共有すること
はつづくのです。

「命の道」の仮称は「三枚堂・大ヶ口トンネル」だそうです。娘たちの姓も、三枚堂で
す。 不思議な縁です。
(←ブログ:2013・11・10「被災と家族写真」)




2014年6月12日木曜日

グンゾーさんを見舞う。           669

グンゾーさん快気祝い(2014・6・11/オザワ影)

4月の緊急入院から自宅療養になっているSグンゾ-さんを訪ねる。水曜会の
後、シライ、ワタナベ、カンさんら四人で行った。

お見舞いにしては、大挙して押しかけたカッコウになったが、自宅に帰って数週
間経過しているので、元気付けに丁度いいタイミングだと思った。
案の定、扉を叩いた時はパソコンに向かって、作業されている様子がうかがえ
た。
緊急入院される前の意気消沈、生気が失せた姿に接した時とは、うって変わっ
て顔色もよく、喋る語気も健在で、一同皆ほっとしたと思う。

グンゾーさんご贔屓の近くのレストランで、お茶でもという誘いでしたが、このメン
バーのこと自ずとビールで、祝!快気、の祝宴になりました。

2014年6月11日水曜日

大槌町3・11から3年3ヶ月         668

大槌町旧役場庁解体(2014・6「広報 大槌」)

城山からの定点観測写真を見ると、手前の嵩上げの向こうに旧役場庁舎の解体
作業中の囲い壁が分かる。

震災から3年3ヶ月の11日、少しずつ破壊された遺構が取り壊され、残る部分も
復興工事の進展で嵩上げされて消えると云うことは、復興が進むことでもある。
もう既に、御祖母ちゃんや娘たちの実家のわずかに残っていた玄関部分タタキの
跡形もない。
家族の歴史を刻んできた家が消失することは、家にせまってあった美しい緑の山
も真っ青に広がる大槌湾の海も、自然のままのようでありながら違って見えてしま
うことでもあります。

2014年6月10日火曜日

袖摺坂                   667

神楽坂・袖摺坂(2014・6・10影ケイ)

会社のメインバンク時代から、現在、個人でも利用している神楽坂のR銀行に事
務処理上のことで寄った。
ところが、地下鉄・神楽坂の登り階段を出て目指す銀行の看板を探すも見当たら
ず、改築中で仮営業を知らせる案内看板だけがあった。
大久保通りを1キロほど柳町方向へ行ったところの仮営業所を目指して、歩き始
めた。

神楽坂には、夏目漱石や稲垣足穂など多くの文士や小説家が散策した路地裏や
坂がある。弁天坂、五味坂、乞食坂、、、。
その一つ、足穂の文中にもある、袖摺坂に久しぶりに出合った。両脇が高台と垣
根の狭い坂道で、すれ違う人がお互いの袖を摺り合わしたことから、この呼び名
になったようです。
30年以上前から、この段を踏んで通りの向こう側にある出版クラブや製本所に
行っていた。当時は、今の様な小奇麗な黒塀や手すりはなかった。近くには、地
下鉄大江戸線の出口ができていたり、時代の移り変わりを感じた。

R銀行仮営業所は、案内の場所にはなく、なんのことはない飯田橋駅お堀端に再
移転していたのだ。最初の案内看板ごとシートと塀で被い、改修工事をして、完成
近くで解体した結果、旧看板がそのままになっていたと、申し開きがあった。
とんだ不都合で、懐かしい「袖摺坂」を踏みしめさせてもらったので、これ以上文句
は言わないでおこう。

2014年6月9日月曜日

秘密基地における禁断の夜会         666

『新宿 でん八物語』に若い世代、藤竹Sさんの寄稿から──39



僕が初めてでん八を訪れたのは、21歳の時、昭和58年のことである。
前年から「でん八」で働き出していた松尾弘史君は、僕の小学校、中学校の同級
生で、やはり同級生の清水K君に連れられて行ったのだった。清水君は、松尾君
とは幼稚園、小学校、中学校、高校が同じだったという松尾君のマブダチである。
その年の春、清水君と僕は二年間の浪人生活を経て、やっと大学に入学したの
だった。

僕たちは、「でん八」を自分たちの新しい基地として認識していた。なにせ新宿の
歌舞伎町にあるのである。東洋一の歓楽街にあるのである! その歌舞伎町の
路地に入り、怖そうなお兄さんや美しいお姉さんのお誘いを断り、怪しげなビルの
階段を一段飛ばしで軽快に駆け上って、二階の扉を堂々と開ける。これは、まさ
しく大人の世界に足を踏み入れる行為であった。僕たちは、二回目に訪れた時か
ら、常連客の気持ちでいた。「でん八」は松尾君がいるのだから、日本で一番安
心できる場所だったのである。

当時の僕たちが注文したのは、ビールは二本目まで行けば上出来で、料理だっ
て三品くらいだったろう。そんな状態でも僕たちは我が物顔で腰を落ち着け、互い
の大学の様子や熱中している本の内容等を語り合っていた。
松尾君の伯父にあたる社長さんは、そんな僕たちを、いつも快く迎えてくれた。
社長さんは、気っ風がよくて優しくて、そして、とても知的な方だった。僕は、こんな
感じの人になれたらいいな、と思ったものだ。
松尾君はというと、僕たちに気づくと、小学生の時と同じように一瞬はにかんで、
あれこれと歓待してくれた。今にして思えば、学生生活を満喫し出した僕たちに対
して、松尾君は、社会人として生活し出し、慣れないことばかりで大変だったはず
だ。僕たちを甘い存在として捉えていたところもあったのではないだろうか。
僕たちは、そんなことは一切考えずに、お気楽に通っていた。

「でん八」に行き出してから、そんなに回数が経っていない頃、閉店時間が過ぎた
後もふたりで残っていたことがある。社長さんも板前さんもお帰りになり、お店は、
僕たちと松尾君だけになった。秘密基地は本領を発揮し出した。禁断の夜会が開
かれたのである。松尾君は饒舌になり、果てには、「何か食うか」と言って、いくつ
か料理を出してくれるようになった。やってはいけないことを始めたという意識は、
三人とも抱いていた。そのせいだろうか、松尾君が出してくれた豚の角煮のおいし
かったこと! その時、僕は初めて白子を食べた。美味であった。あの夜以来、
数回、禁断の夜会は開催された。

あれから30年以上が経った。松尾君が南青山の「傳八」から歌舞伎町に戻ってく
ると、僕は再び、怪しげなビルの階段を上るようになった。松尾君は、若い時のよ
うに禁断の夜会を開いてはくれなくなったが、今も一瞬はにかんで、僕を迎え入れ
てくれる。
                                 「ROCKJET」  藤竹S

2014年6月8日日曜日

ハルの2キロ走、完走!           665


YOKOTA2キロ(2014・6・8影ケイ)

昨年のYOKOTA EKIDENは、炎天下で走る人も、応援する者も日射病続出で
大変だったが、今年はうって変わって、降り続く梅雨雨で休む場所が確保できな
いほど混雑していた。

それでも、晴れ坊やハルが生まれて初めて長距離を走るとあってか、スタートライ
ンに着いた一時だけ、雨が止んだ。
当人は、朝から自信満々の口ぶりなのだが、なんたって高学年の子も参加してい
るので、スタート直後に煽られてペースがつかめず息切れすることを心配した。
途中わき腹が痛くなったようだが、イーヴンペースで走りきり、10分の記録がでた。
初体験の記憶として、永く残るはずである。

Gyoたち会社の走友会、参加の二チームは、年々、前年の記録を塗り替える競争
力をつけてきているが、今回も100分を大幅に切って歓喜していた。
負けチームが、後の宴の奢りになるらしい。

2014年6月7日土曜日

入梅!                   664

雨上がりに咲く紫陽花(2014・6・7影ケイ)

街路樹の若葉が眩しく、紫陽花が彩ってくれる梅雨の季節です。
東北まで一気に入梅宣言が出た。さっそく、雨の日が多くうっとうしい日が続く気配
です。梅雨に入る最初の日のことで、沖縄がトップバッターで入り、次に九州からつ
ぎつぎ、東上して東京から東北へ広がる。青梅の実が黄色みを帯び、赤く熟してい
く時期とも重なります。
小学校の頃、下校の途次、未だ青い梅の実をかじりお腹を壊したこともありました。

この二日間、梅雨雨というより集中豪雨のような勢いで降りつづけている。
さて明日、Gyoたちの走友会2チームが毎年参加している「YOKOTAEKIDEN」が
ある。雨が心配だ。そこに、ハルがはじめて加わって、子どもグループで長距離走
することになっており、弁当を持参で応援する。
さてさて、当人より僕らの方が気を揉んでいる。

2014年6月6日金曜日

二人の女性を囲む同期会           663

海賓亭(2014・6・6影Can)

前回の同期会は8月だったが、その時、次回はY大賀さんの誕生日を祝って11月
を予定しながら、担当の怠慢で今日になってしまった。

山本Nちゃんから今日の日を決め、女子二人に回状がまわされた。
気のおけない友達が四人、東京駅地下の割烹居酒屋「海賓亭」に集まりました。
割り勘で、食べ、飲み、もっぱら船穂(倉敷)時代を語り合う会です。メンバー四人が
一年に二度、誰れ欠けることなく顔が揃う。
凄く食べる会として伝統になりつつある。

毎回、出る話は、身辺雑事に始まって、必ず小中学校時代の旧聞に及ぶ。よくまあ
繰り返し回顧話になりながら、ネタが尽きないものだと思う。
今回は先日、新しくなった大阪阪急百貨店レストランで行われた関西エリアの同窓
会の情報が、吉田Kくんからもらっていたので、その会への出席者の面子の推理で
盛り上がった。
他に、今の時代、タバコを吸う人、意志が強い人と、、、。
自分のお墓と、「家」意識の濃淡について、、、。
息子、孫の接し方、接しされ方など等。

3時間たらず、皆、飲んで、海鮮に舌鼓を打って満足した一時でした。






2014年6月5日木曜日

キャラメル買うと「カバヤ児童文庫」が貰えた!662

(2014・6・4影ケイ)

『林原家─同族経営への警鐘』林原健著(日経BP社)を購入。
今日、記すのは本のことではない。「カバヤ児童文庫」に熱狂したことです。

一個10円のキャラメルを買って、点数を記したカードが付いており、50点分を
集めると一冊カバヤ文庫がもらえる仕組み。(今のポイント・システムの元祖の
よなものか。)

世界的に名の知れた名門企業、林原の三代目元社長・林原健が倒産後初め
てその全貌を明らかにした『林原家』だが、そのなかにカバヤ食品が1979年
までは林原グループだったことを知る。菓子類の生産に多くの研究成果が実
用的に寄与している事が分かる。
キャラメルのアピールをかねて、カバヤ文庫なるユニークな宣伝手法をとった
ことが、「子どもの夢」を抱く精神をもち続けるお菓子づくりという、物不足の時
代に受けたと思われる。
総タイトル数は、174。『シンデレラひめ』、『ジャックと豆の木』からディケンズ
の『クリスマス・キャロル』など世界文学作品、『たけとり物語』、、、名作がそろ
えられていた。戦後の紙のないなか、このような児童書が付録でもらえ、読む
ことができたのは驚きです。今こそ、このアイディアを越える、子どもに夢を抱
かせる文化が甦って欲しいと願う。

戦後直後に、岡山駅前に誕生した菓子メイカーである。それとなくカバヤが、
ハヤシバラトと関係があるらあしいことは知っていたが、これでまた、深いつな
がりを再認識した。

2014年6月4日水曜日

大槌町の被災庁舎の解体を見て。      661

旧役場庁舎・中央白い建物(2011・8影Can)

311東日本大震災で被災した大槌町の旧役場庁舎の解体作業に動く重機の大き
な音が響いた。正面玄関などの一部を遺構として残すことが決まっている。

なんといっても、この建物は、当時の町長を陣頭に緊急避難対策に動き出した矢
先に、自らと職員40名が津波にのみ込まれている。
犠牲になった親族中心に、庁舎を保存し後世に遺して自然の驚異を伝承したい者
と、無残な姿を永く見続けることを避けたい人とに意見が分かれていた。
結論は、「二度と悲劇を繰り返さないために」、正面玄関など一部周辺部分を震災
遺構として遺すことになった経緯があります。

(←ブログ:2012・1・19「大槌町役場跡)/2012・11・19「震災の記憶を継ぐとは、、」

復元なった!五浦の天心「六角堂」へ    660

五浦天心美術館/2014・6・3入館

五浦は10年前にも訪れている。太平洋に臨む岸壁の上に立つ、岡倉天心遺跡の
象徴的建物。
311東日本大震災の地震大津波により流出、復興予算と多くの人たちの支援、寄
付金によって、一年余りで、創建当初の建物の姿で再興されたことをニュースで知
った。

東京を離れ新天地を求めた天心が、いずら(五浦)に出会ったのは、明治36年の
頃で、翌々年には自らの設計で邸宅と六角堂を建築して、さらに翌年、横山大観ら
を呼び寄せ、精力的に活動をしている。天心や彼等は、太平洋の波音が聞こえる
優れた景勝地で、思索に耽り絵画の制作に没頭していたことを、十二分に感じさせ
てくれます。
近くに、五浦天心美術館が建っており、この地で活躍した岡倉天心や日本画家、作
家たちの活躍の足跡が辿れる。

前後するが、午前中まず、童謡・民謡詩人として知られる、野口雨情の生家と雨情
記念館を訪ねました。雨情直系の孫にあたる野口不二子さんに案内される。3・11
の大津波が床上まで押し寄せ大きな被害を被ったが再興された生家の、道路向か
いに在る野口雨情記念館にも寄る。
童謡、赤い靴、雨降りお月さん、シャボン玉、七つの子、青い目の人形などで知られ
誰もが口ずさむノスタルジーを呼びさます作品の資料が展示されていた。
記念館入口に立つ雨情像が「シャボン玉」のメロディーにのせてキラキラ、シャボン
玉が吹き出しで迎えてくれた!

未来社から、定本『野口雨情』(全8巻・補1)が出版されていることも、何かの縁か。

2014年6月3日火曜日

鵜の岬 UNOMISAKI            659

311大津波襲来!鵜の岬7メートル地点(2014・6・2影Can)

第106回の「やすい会」が北茨城、鵜の岬でありました。
参加者はいつもの例会より、若干少人数になったが、その内第1回目からのメン
バーが半分以上を占め懐かしい話に花が咲きました。
特に、出版業界の生き字引といわれるほど、ミクロからマクロのことまで詳細なデ
ィテールまで記憶力が確かな先輩カマさんの参加で盛り上がりました。


上野から水戸を経由して目的の常磐線十王駅着まで、自宅から4時間を要した。
国民宿舎「鵜の岬」は、前々から、いばらぎ観光大使を自認する内山さんが推薦
していただけあって、太平洋に向かって建つ全館オーシャンビューの素晴らしい
宿でした。
宿泊した6階の部屋から眺望できるきらめく砂浜。最上階のワイドな展望風呂か
らは太平洋が一望でき、早朝には水平線から昇る朝陽に見惚れた。

夕食前の散策では、岬の崖に飛来して休息する鵜を捕獲する特異な場所が宿の
敷地内にあるのを見た。この鵜は、岐阜長良川などの魚獲りの鵜匠に渡り調教
されることになる。
さらに一巡すると、敷地内の池一面に紅白の睡蓮が咲き誇っていた。
(←ブログ:2014・3・19「今年初の<やすい会>」)





2014年6月1日日曜日

釧路湿原を散策! 記憶の断層29     658


早朝、釧路「和商市場」へ。
この市場では、白飯の丼の上に、市場の獲りたて新鮮な売り物を少しずつトッピ
ングした食事が楽しめる。 倉敷の弟宅に花咲カニを送る。

釧路港の埠頭に立った後に、いよいよ釧路湿原に入る。
釧路湿原は、昭和55年にラムサール条約国内登録第1号に指定されています。
展望台から見渡す壮大な景色に圧倒させられる!
周遊道から探勝歩道に迷い込んだお陰で、湿原のなかに入り込み、野生のリス
や鳥や昆虫や、多品種の花に出合う。

トモエ草、エゾオオヤマハコベ、キタノコギリ草、ホザキノシモツケ、アザミ、サワギ
キョウ、ヒルガオ、バアソブ、カラマツ草、オトギリ草、トリカブト、ヒヨドリ花、イヌゴ
マ、小川に水芭蕉などなど、湿原のお花畑といったところです。


(参ブログ:2013・9・19「気まぐれ車旅&記憶の断層を掘る!<1>」)