2017年6月30日金曜日

梅雨空月締めは阪神タイガースで   1787

2年目に躍進・進化する鳥谷/『江夏豊の猛虎かく勝てり』
きょうのナイター、シーズン初トップバッターで鳥谷敬。
連敗脱出なるかの期待を込めて、独り画面を見つめる。

2回、1アウト満塁でトリ内野ゴロ、ダブルプレーの間に1点先制する。
(最低限の1番トリの効果出る)。
岡義朗のTV解説、鳥谷の打撃術と選球眼四球出塁を評して、未だ若手より大分
開きがあると言う。13年守りつづけた遊撃から、サードに転じてポジションを
よくとったものだと思う。

先発のサブマリン青柳が、1点でしのいでいたが中盤5回に四球と3死球に押し
出しで自滅する。イライラがたまって見ていられない残酷なシーン。
阪神 3対4 ヤクルト

(←ブログ:2017・1・13「きょうは何の日/岡田監督に会った日」1619)
(←   :2017・2・6 「鳥谷内野手の動きが軽快!」1643)
(←   :2017・3・3 「鳥谷選手実戦3番遊撃初出場」1668)
(←   :2017・3・14 「上本内野手が凄い」1679)
(←   :2017・3・31 「今シーズンの鳥谷は復活を予感」1696)
(←   :2017・4・9 「上本選手の内なる闘争心イイな!」1705)
(←   :2017・4・18 「鳥谷敬内野手1767試合連続出場」1714)
(←   :2017・4・30 「鳥谷の心技をウエポンが引き継ぐ」1726
(←   :2017・5・6 「梅ちゃん神がかってるよ~」1732)
(←   :2017・5・21 「観戦記・棚ぼたの逆転勝ち!」1747)
(←   :2017・5・26 「トリ!不屈のバットマン」1752)


2017年6月29日木曜日

古希と喜寿             1786

御茶ノ水駅から雨の神田川(2017・6・28影:Tab)
古希を迎え、喜寿を迎える御両人の出合いとは、、。

彼から「人生70古来稀なり」の年に達したよ、と会うなり報告されて、自分と
7つ下だったことをはじめて知った。
急きょのお祝いは、ここ10年来お決まりのコース、「寿司幸」になった。
ちょうど30年前。「日販通信」の連載を書籍化した、『本屋さんとの出会い』を
刊行したのが1987年。この時、日販弘報課にいたのが彼で、編集監修面で大いに
協力してもらった。
紀伊國屋ホールでの刊行記念トークイベントを、柄谷行人、三田誠広、平出隆で
催したが、進行役をしたのは川口昭君でした。

こうした縁をきっかけにその後、僕が埴谷雄高邸を訪ねる誘いをすると目を輝か
せて喜んでくれ、吉祥寺へ向かった日のことを想いだす。
間断なく友人付つきあいしてきた九州男児君も今年で還暦。
友人でいられるのは、年を重ねても最初の出合いの気持ちがお互い変わらず未だ
くたばらないぞと云う心意気がついいじあうからだろう。

さくらんぼ🍒可愛い!        1785

(2017・6・28 影:Sm)
倉敷からは、湯沢市三関産さくらんぼと言っても、ピンとこないらしく、「青森
県かのー」と、思っているようだった。
ミツセキ。下関、安宅の関、三関、、関所があったのだろうか?
青森のリンゴと三沢の地名がこんがらがったのだろうか、、、。

岡山県は、白桃やぶどうの果物天国だが、さくらんぼについては珍しく、弟の子
どもや孫たちが可愛い、甘くて美味しいと手にとりほうばる情景を伝えてくれた。

(←ブログ:2017・6・27 「夏至に三関のさくらんぼ」1784)

2017年6月27日火曜日

夏至に三関のさくらんぼ       1784

きょう、秋田湯沢市三関(みつせき)のさくらんぼ、「こまちの瞳」が送られて
きた。

今が旬の収穫時期で、陽の昇らない早朝に捥いだ一粒ひと粒を箱に手詰め、速や
かに発送されてくる。
そして、翌日にはハシリのひと粒を頬張れる贅沢な味覚を楽しめます。

熟す前に収穫する果物は多いが、スペシャルサクランボは完熟で採るのが基本と
か、、。また、熟れた実が雨にあたると弱いので、梅雨時の天候具合は気が気で
はないようです。

(←ブログ:2016・24 「ことしも三関からのさくらんぼ🍒」1416

2017年6月26日月曜日

春夏秋冬燗酒のススメ        1783


彼と一杯ヤルヤルときの当人の手元には、必ず燗徳利に銚子がある。
今夜もソラマメ焼を肴に、うまそうに燗酒を飲んでいた。

ながい贔屓の新宿の居酒屋「でん八」のどことなく懐かしさが漂うレトロモダー
ンな、カウンターでマスターを交えた三人の酒談議になった。
燗酒一筋のモリモトさんは、吟醸酒などの特撰物を好まず普通に在る酒を燗する
ことで、常温や冷酒で飲むときには味わえない、お酒の隠れた味や表情が猪口に
顔出すところをこよなく愛するという。
よく言われるお酒の「味が開く」のを、チビリちびり味わいながら実感すると。
熱燗から人肌燗までのはばは、外気や季節によるし気分と酒の種類にもよって、
愉しみ方の奥行きがあるという。

2017年6月25日日曜日

戦時下の日常最終章1945       1782

荷風をとりまく時代環境、文壇的雰囲気などがヴィヴィッドに記されているなか
のほんの少し部を自分に惹きつけて取れだしてみた。

昭和20年(1945)荷風散人年67
正月元旦:曇りて風なし。摂氏43度なり。この日誌も今は数重なりて29巻とは
なりぬ。感慨極りなくかへつて筆にはしがたし。~この夜空襲なし。
3月初8。:半陰半晴。~多町鍛冶町の辺一帯に焼原なり。須田町小川町駿河台
下も同じ、~家にかへるに木戸氏筑摩書房主人(古田)を伴ひ来り話す。小説
『来訪者』の草稿を交附す。
5月10日。:晴。ほ下散歩。小滝橋よりバスに乗り早稲田に至る。高田の駅を過
るに見渡すかぎり焼原なり。

6月10日。:晴。日曜日。明石の町も遠からず焼き払はるべしとて流言百出、人
心許きょう腕々たり。~明後12日未明の汽車にて岡山に行くことに決す。

8月初7。:くもりて風涼し。人家の庭に七夕の竹を立てたるを見る。この地一
月おくれの節句をなすと見えたり。
<欄外墨書>赤軍満州侵入。
広島市焼かれたりとて岡山の人々昨今再び宣戦々兢々たり。
8月15日。:陰りて風涼し。宿屋の朝飯、鶏卵、玉葱味噌汁、はや小魚つけ焼き、
茄子香の物なり。<欄外墨書>正午戦争停止。~日暮染物屋の姿、雛肉葡萄酒を
持来る、休戦の祝宴を張り皆々酔うて寝に就きぬ。

(←ブログ:2017・6・11 「太平洋戦争下の日常」1768) 
(←   :2017・6・13 「荷風の戦時下の日常Ⅱ」1770)
(←   :2017・6・16 「荷風の戦時下の日常~1943」1773)
(←   :2017・6・20 「荷風 下連雀「禅林寺」墓参1777)




2017年6月24日土曜日

関根由子さんから本恵送あり     1781

書影
書名は、『伝統工芸を継ぐ男たち』(論創社/2017・7・15刊)。
本書は、四年前に刊行された『伝統工芸を継ぐ女たち』につづく、これまた素晴
らしい本です。

以前から女性の職人さんの技を紹介したり展覧会は人気を呼んでいるらしい。
その仕掛けもしている彼女(著者)は、二年前から全国の伝統工芸に携わってい
る産地の若手男を訪ね、日常生活から、技術の研鑽や将来めざすところものは何
か、合理性と芸術性の一つひとつの微細を女性特有な視線でとらえ、浮き彫りに
してみせる。(同行のカメラマン氏の写真アングルが良い)。

技を表現する工房での姿には、周囲の環境や家族関係の仔細まで含まれるのだが
あくまでも具体的な形(商品)で示してくれる。
親から子への引き継ぎもある。その一篇、山中漆器・蒔絵師の場合、親の後姿を
見ながら、先ず下仕事から技法を習得していく、、。
そして伝統工芸師もまた、時代の空気を体現しなければならず、熟練の素晴らし
さとその裏側をダイナミズムに描出してくれる。

余談だが、最後の謝礼に記された野中文江さんと発行者・森下さんは古くからの
知人友人で接点の広がりを感じました。

この二人会うと時間を忘れてぐい吞み 1780

「吉池食堂」8階から/アメ横(2017・6・23影:Tab)
5ヵ月ぶりにカマさんと「吉池」で一献を交える。
貴重な『東京風土図』Ⅰ・Ⅱ2分冊(現代教養文庫)を頂いた御礼のつもりが、
すっかり散財させてしまった。

いつものコースで、生ビールからカマさんは秋田のこだわりの日本酒を冷酒で、
僕は薩摩の芋焼酎をロックで呑み続ける。
50年以上昔、出版業界の先輩として出会ってから、途切れることなくつき合い
させてもらっている。
会うなり、1960年に刊行された『東京風土図』の蔵書の経緯を聞く。

年取ったとはいえ、まだまだ業界の話題は尽きない。
先日読んだ、『本屋稼業』に登場する紀伊國屋書店創業者・田辺茂一さんと、
松原さんの関係を、本文以上の意味深なエピソードなどを交えながら語ってく
れる。
他にも、京都大垣書店や神戸喜久屋書店の歴史的成り立ちや人物論は、興味深
いものがあった。

中央卸売市場の贔屓にしている商店で仕入れた知多半島日間賀島産の天日干し
「ちりめんじゃこ」を手土産にもらう。

(←ブログ:2017・2・2 「グイグイ酒が進む」1639)

2017年6月22日木曜日

企業CMの物語性          1779

先日、PCを開けて何となくフェースブックを見ていたら、友人・浜田の写真が
飛び込んできた。映像を追ってみると、三菱電機が家電をテーマに描いたCMの
「ニクイねぇ!シアター」シリーズの最新版「father」篇だったようです。

なぜ、僕のフェースブックに突然三菱の宣伝動画がリイストアップされたのか、
未だ不思義に思っている、、。
それはともあれ、年老いた父役で登場する浜田が一緒に暮らす白猫ハナとドラマ
チックに演じる様からしてシンミリさせられる。ひとり暮らしの父の布団で眠っ
たり、活発にパトロールしたり、時に亡くなった母の面影を懐かしむような姿を
見せたり、物語のポイントになっている。

更に別に暮らす娘のシーンがかぶさる。日々の家事を独りでこなす父に、ひとり
娘は電話で「お父さん、こちらに来ない?」と心配する。
「ハナがいるだろう」と、、。猫のある行動によって、家族に教えてくれるもの
とは、、。ニクイねぇ!
ハマ、役者じゃのぉ!

2017年6月21日水曜日

ボトックス注射と先端恐怖症     1778

施療5日目(2017・7・25影:Tab
きょうは、慈恵医大附属病院で定期の眼科検診とボトックス注射。

ボトックス治療のため4、5ヶ月の有効スパーンで慈恵医大に通院するようにな
って、あれこれ20年になってしまった。その間、担当医師も三人替わった。
皆、技術力高レベルの医師で安心して施療してもらっている。

最初の頃は、毒素を持つ怖いポツリヌス菌を利用し注射することで、危険をとも
なうことが予測され第三者の保障許可が必要だった。さらに、血圧を測って注射
施療前に1時間ベットで安静にさせられた。それが、十数年の治療経験の実証か
ら、此のところ、いとも簡単に施注して終わる。

ところが、毎度のことながら施注のためベッドに横になって待つ間、看護師が注
射液カプセルを取り出す際のざわつく音や、目の周辺に塗る消毒液の感触などが
合い間って、刻一刻と狭まる極細針の突き刺される瞬間までの怖さ足るやない。
目は閉じたままで開けることなど到底できないが、まず最初の1本が目検の鼻筋
に近いところに突き立つ、(痛い!)後の数本は一気に緊張から解放されて、2
本、3本、、と指を折りながら終わるのを待つだけです。

(注:ポツリヌス菌自体を注射するわけではないので、ポツリヌス菌に感染する
といった危険はないと言われている。毒も薬になると云うことか。)



2017年6月20日火曜日

荷風 下連雀「禅林寺」墓参     1777

18年10月念七:~ふと鴎外先生の墓を掃かむと思ひ立ちて午後1時頃澁谷より
吉祥寺行きの電車に乗りぬ。~吉祥寺の駅にて省線に乗換へ三鷹といふ次の停車
場にて下車す。~構外に客待する人力車あるを見(下連雀)禅林寺まで行くべし
と言ひてこれに乗る。(縁ある羽村の「禅林寺」と兄弟寺か、、)
檜の生垣をめぐらしたる正面に先生の墓、その左に夫人しげ子の墓、、あり。
香花を供へて後門を出でて来路を歩す。

12月卅一日:今秋国民兵召集以来軍人専制政治の害毒いよいよ社会の各方面に波
及するに至れり。

19年1月初一:曇りて瞑く正月元旦は秋の夕暮れの如し。小鳥も鳴かず犬の声
もせず門巷寂寥たること昼もまた夜の如し。終日家にあり。
6・15:晴また蔭。~紫陽花の色漸く濃なり。
(父帰る)
欄外朱書:雑誌「改造」「中央公論」廃刊。
8月初六:日曜日。日は焼くが如く照り渡りたれど、涼飈颯々として庭樹を鳴ら
し、空には白き雲層をなして動き行くさま、既に立秋後の空模様なり。


(←ブログ:2017・6・11 「太平洋戦争下の日常」1768)
(←   :2017・6・13 「荷風の戦時下の日常Ⅱ」1770)
(←   :2017・6・16 「荷風の戦時下の日常~1943」1773)

2017年6月19日月曜日

大槌町の天然記念物・イトヨ     1776


「イトヨ」(糸魚)という珍しい魚が生息するのは知っていたが、大槌町の天然
記念物に指定されていることは初耳です。

このトゲウオ目の魚は、サケのように川で生まれ海に下っていく降海型と陸封型
(淡水型)に分布する。
大槌町の水の澄んだ源水川の湧き水地帯に見られとされる。この淡水型イトヨは
全国でもごく限られた5ヵ所でしか確認されず、生体数も減少してきていると、、

特徴は、背びれの棘が3本、体側の鱗版が鰓蓋の後から尾部まで連続している。
陸封型は全長7cmぐらい。
この希少種魚を地域の住民と大槌高校の生徒たちが、川の清掃活動や観察・生態
研究をおこなってきた貴重な背景がある。
復興まちづくりのなかに自然環境の再生、湧き水、イトヨの保護を図っていく道
筋は感動的です。

3・11の救援で泥出しをした後、源水川の岸辺で足を膝までつけ休んだ時の爽
快感を想いだす。あの時も、ウグイなど小魚が回遊していた。

2017年6月18日日曜日

「誰のせいでもない」を観る     1775

ヴィム・ヴェンダース監督の「誰のせいでもない」を、早稲田松竹で観る。
巨匠と言われるヴェンダース監督の映画は、昔、「ベルリン・天使の詩」を観て
いるぐらいで、「パリ、テキサス」や「さすらい」などはまだ見ていない。

最新作のこの映画は、観終わってリプレイしてみたくなる映像がいくつかのシー
ンであった。
小説家を目指す男が、雪でおおわれたモントリオール郊外の山荘から車で移動す
る際、突然滑り落ちてきた小さな子供ソリに衝突し事故に巻き込まれる。
男は、子どもの生死に別条なく安堵し肩車して、近くに住む母親の家に届けるが
、、。(実は、事故に遭遇したのは一人ではなかった。うまくカムフラージュさ
れ一瞬、車の外と運転席が消失した感じにさせられる)。
誰のせいでもない一つの事故が、運転していた一人の男トマスと街で暮らす恋人
サラと文藝担当編集者アン、そしてソリに乗っていた小さい男の子の母ケイト。

この三人の内面の感情が表立った諍いにならず、静謐に12年の年数を重ねる過
程に独特なサスペンスを感じさせてくれる。
ラストシーンの、肩車した少年が学生になって、小説家として自立した男とのや
り取りは、何かほっとさせられる。

(←ブログ:2017・1・6 「『海よりもまだ深く』を観る」1612)
(←ブログ:2017・1・21 「時空を超える映画体験ってイイな!」1627)
(←ブログ:2017・1・29 「浅丘ルリ子主演の『執炎』を見る」1635)
(←ブログ:2017・3・1 「鈴木清順監督の美学」1666)
(←ブログ:2017・3・2 「『関東無宿』と『殺しの烙印」を見る」1667)
(←ブログ:2017・3・28 「『若者のすべて Rocco』観る」1692)
(←   :2017・4・22 「映画『黙秘』を観る」1718)
(←   :2017・4・28 「『湯を沸かすほどの熱い愛』を観る」1724)
(←   :2017・5・3 「『ちかくてとおい』映画観る」1729)



2017年6月17日土曜日

時間差で読む「出版情報誌」     1774

書影
先日、神田三省堂書店本店のフロントで見かけた大きなポップの始末記。

一ヵ月超遅れできょう読んだ新聞コラムに経緯が書かれていた。
今年3月に閉店したあゆみBOOKS(小石川店)の歴史を遡るまでもなく、ポップ
の有効性を日頃から実証してきた三省堂書店の「新井」さんが、「引き継がせて」
もらったと云ううことらしい。

小石川店で長く一等地に展開していた哲学者・ショーペンハウアー『読書につい
て』(光文社古典新訳文庫)。
日本一売りつづけたその展開の熱を、閉店とともに消してしまうのが忍びなく、
「三省堂書店で引き継がせてください」とお願いした、と云うこと。
僕も見ているが、知る人ぞ知る伝説のPOP《キレ味抜群‼超ドS読書術。》を神保
町本店と有楽町店で展開することになったと、、。
ドSなショーペンハウアーとドM読者の思考の迷宮を誘うアライさんの提言に乾杯。

(←ブログ:2017・6・14 「これからの本屋さんは」1771)

2017年6月16日金曜日

荷風の戦時下の日常1943       1773

18年正月一日:炭を惜しむがため正午になるを待ち起出で台所にて焜炉に火を
おこす。火付けは割箸の古きものまたは庭木の枯枝を用ゆ。暖き日に庭を歩み枯
枝を拾い集むる事もことも仙人めきて興味なきに非らず。~これ去年12月以降
の生活。唯生きてゐるといふのみなり、、。

街談録で、小説家としての荷風は緊迫した世情のなかで、男女の艶隠者の好奇の
視線を向けることを止めない関心となってあらわれる。それが「玉の井」の女を
めぐる「淫」な噂話のリアリティとなって記される。

18年6・15雨:午後に霽る。今日もまた浅草を歩す。帰途月佳し。
8月初6。:秋近くなりて風の音のみ騒がしけれど炎暑昨来やくが如し。晩間物
買ひにと浅草松屋に行きオペラ館楽屋を訪ふ。
9月9日:上野動物園の猛獣はこのほど毒殺せられたり。~夕刊紙に伊太利亜政
府無条件にて英米軍に降伏せし事を載す。

(←ブログ:2017・6・11 「太平洋戦争下の日常」1768)
(←   :2017・6・13 「荷風の戦時下の日常Ⅱ」1770)




2017年6月15日木曜日

6・15強行採決          1772

1960・6・15国会正門前
「安保闘争6・15」から57年になる。
2010年の50周年には、国会前の記念集会や関係行事も多種再々行われたが、
今日に至っては、「共謀罪」法案強行可決の暴挙のシーンを見ることになる。
何という歴史の皮肉かと、想ってみる。

「強硬な採決」だ、「民主主義を蔑ろにする暴挙」だ、「希代の悪法」だと野党は
それぞれ言うが、1960年代から保守政治の基盤は固められ、逆流は度し難い勢
いだ。
といって、喜寿をひかえる自分に何ほどのことができるか、自問自答するようにな
っている。

(←ブログ:2015・6・16 「6・15と安保法案」1041)
(←   :2016・6・15 「56年目の6・15」1407)

2017年6月14日水曜日

これからの本屋さんは        1771

三省堂書店神田フロント(2017・6・14影:Tab)
今日は朝から吉祥寺、御茶ノ水、神田神保町、水道橋と打ち合わせや、久々の懇
談やらで充実した一日だった。でも、家に帰ってぐったり、加齢のせいかな、、。

JR御茶ノ水駅から駿河台下に下って、神田三省堂本店に寄った。
店の正面を入ってすぐの平台に立てかけられたボードのキャッチコピーに目が留
まった。
「2017年3月超惜しまれつつ閉店したあゆみBOOKS小石川店~この熱を引き継ぎ
ます→」、とアピールしたものだった。詳しい内容は分からない。
だが、ナショナル書店が閉店に追い込まれた中堅書店に注目し、一部の意志を本
の並びに生かすとは、どんな事なのか考えてみた。

僕も、この3月に突然あゆみbooks小石店が閉店したのには、驚きとともに残念に
思っていた。そして、店長は数年前まではクレさんだったはずで、彼は独自の単
品管理と既刊書の隠れたロングテール商品の掘り起こしで自店の評価を高めてき
た実績があるのに、と思ってみた。
さらには、クレさんの師匠だったあゆみbooks発祥の「早稲田店」のカリスマS
さんのことをずっと想っている。

2017年6月13日火曜日

荷風の戦時下の日常Ⅱ        1770

真珠湾奇襲・太平洋戦争に突入
僕にとって戦時下は、未だ意識が鮮明ならざる5年間であり、その間の親父の大半
はサイパン島で暮らす教師生活と云ううところ。

さて続きの永井荷風が記すところの、年初、季節の折々、6・15、8・6、社会情勢
折々との、鏡合わせで抜き取ってみると、、。
昭和16年12月8日:辱中小説『浮沈』第一回起草。哺下土州橋に至る。
日米開戦の号外出づ。(12月7日午前7時49分/日本時間8日午前3時19分)
帰途銀座食堂にて食事中燈火管制となる。街頭商店の灯は追々に消え行きしが電車
自動車は灯を消さず、省線は如何にや、、。

17年正月元旦:~空晴れ渡りて一点の雲もなし。郵便受付箱に新年の賀状一枚も
なきは法令のためなるべし。人民の従順驚くべく悲しむべし。
風聞録:土方与志、中条百合子、村山知義らは去年より市中各処の警察署に今なお
留置中なりといふ。
17年6・16:晴。柘榴夾竹桃既に花あり。忍冬の花また馥郁たち。金兵衛に夕
飯を喫す。燈火『其角七部集』をよむ。
8月ー日:くもりて蒸暑し。夜向嶋を歩す。
12月12日:晴。島中氏返書あり。小篇『軍服』は掲載中止となす。
→続く

(←ブログ:2017・6・11 「太平洋戦争下の日常」1768)

  
 


                                                                                          

「図書新聞」のこと         1769

冊子影(1989・5刊)
きょう、(株)図書新聞発行の「図書新聞」は6月から武久出版に移管して発行
することになったことを知った。

書評紙・図書新聞は、田所太郎によって1949年(昭24)に創刊された。一貫し
て「書評ジャーナリズム」という、出版物を通した言論メディアでありつづける
ことと、<自立した企業体を維持する>ことで存在を主張してきたと思う。
そして68年の軌跡は、社会や出版界の激動のなかでさまざまな苦難と曲折があっ
たはずながら、自立ジャーナリズムの初志を貫いてきて今がある、、。

親友である主幹だった彼から、この度の経緯を直接聞いてないので解らないが、
編集スタッフはそのまま移籍することなので、歴史と伝統の辛口ラジカル批評を
堅持してくれるだろうと期待するしかない。

2017年6月11日日曜日

太平洋戦争下の日常         1768

書影
「荷風日記」は、さり気なく読んでいるうちに面白くなって時間を忘れさす魅力
がある。

今日もまた不意に、戦前の5年間、すなわち僕の出生(1940・8月)からと親父
のサイパン島と敗戦までの5年を想い、荷風の「太平洋戦争下の日常」を記した
『断腸亭日乗』(岩波文庫)の頁をめくっていた。
荷風自らは社会の時勢に対して超現実主義的アウトサイダーであろうとする姿勢
が日記の随所でわかる。

昭和15年(1940)8月初一:この日街頭にはぜいたくは敵だと書きし立札を出
し、愛国婦人連辻々にたち通行人に触書をわたす噂ありたれば、その有様を見ん
と用事を兼ねて家を出でしなり。(何事もなし)

16年正月:風なく晴れてあたたかなり。炭もガスも乏しければ湯姿子抱き寝床
の中に一日おくりぬ。~心の自由空想の自由のみはいかに暴悪なる政府の権力と
てもこれを束縛すること能はず。人の命のある限り自由は滅びざるなり。
16年6・15:余は万が一の場合を憂慮し、一夜深更に起きて日誌中不平憤惻
の文字を切去りたり。また外出の際には日誌を下駄箱の中にかくしたり。今日以
後は余の思ふところは寸毫も憚り恐るる事こなくこれを筆にして後世史家の資料
供すべし。
(この後、「日本軍の満州侵略に始まる、独伊の旗の下に追随し南洋進出を企図
するにいたれるなり云々。」の書き込みもみられる)。
→続く

2017年6月10日土曜日

梅雨入りとナンテン花穂       1767

南天の花穂(2017・6・10影:Tab)
気象庁によると、関東甲信エリアは梅雨入りしているらしい。
ところが、わが家の周辺はまだ雨模様の気配すらない。
日差しの強い青空の日がつづいている。

6月の梅雨時期になると、茎の頂に花穂を出し白い小さな花が円錐状に密集して
咲き始める。
わが家の南天の小粒な実は、鮮紅色の球形で晩秋から冬にかけてつける。
柿の葉の赤銅色と南天の紅葉が木枯らしが吹くころに映える。

南天の発声が、難を転ずるに通じると、祖母は縁起物として赤飯のお重に小枝を
添えて近隣縁戚に届けさせられたりしたことを想い出す。勿論、雪だるまの目入
れにもした。
鬼門除けとして手水鉢のある少し日陰に植えられていた。
そのヒコバエの芽を田舎から移植したのが藪ツバキと南天で、すでに40年近く
育ち続けているのが不思議に思える。






2017年6月9日金曜日

大原美術館で眠った頃        1766

書影
もともと絵を見ることは好きで、中学二年の夏津山から倉敷に転居したのを機会に
倉敷「大原美術館」に頻繁に入館できる時期があった。

親父が体育と絵画を得意とする教師であったことも影響して、静物を描いたり石膏
作りをして遊んでいた。
そのころ、新任の美術担当の女先生の指導で、津山城裏の蓮池に休日出かけて睡蓮
を写生させられたことがある。
いま思い出してみるに、構図や色彩から筆触まで大原美術館のモネ油彩「睡蓮」に
似ている仕上がりになったのは、女先生が既に何度か美術館で鑑賞してきた影響だ
ったのだろう。
だから、その後もずっと自然の色彩を重視する印象派の画家たちの作品が好きだ。
ルノワール、マネ、ピサロ、タナ―、セザンヌ、、、

僕が上京した1960年代、さらに新幹線が開通したころから、倉敷市には私立の
「大原美術館」があることで知られ、全国から観衆が訪ねるに至っている。
昭和5年(1930)に本館のみで解纜した大原美術館も90年近い間に、分館
や工芸館、東洋館、オリエント室、西洋絵画室等々を増設してきている。

本館の二階でソファーに沈み、前面にモネ「睡蓮」やルノワール「泉による女」
を見て、背後にシャガール「恋人」を感じながら一時眠るのが好きだったが、今
ではそんな贅沢な時間は与えてくれないだろう。

2017年6月8日木曜日

六島の1960年と2017年    1765

1960年の六島小学校の生徒と父
&小さな漁船が見える前浦港(空撮下)

5月に瀬戸内の「六島」に行き、六島小学校を訪ねた際に校長先生の好意で貴重
な初めての写真を閲覧できた。

「島小屋」のある湛江港と六島全景(左)/六島小学校のある島の表玄関前浦港(右)


「憲法公聴会」から遠くまできたもんだ1764

書影(童話屋・刊)
1962年9月に、「憲法公聴会阻止」をかかげて国会近くの「清水谷公園」で気勢を
上げた行動を鮮明に記憶している。

その時から55年余の今、多勢に任せて増長を続ける安倍さんは、「2020年を
新しい憲法が施行される年にしたい」と、公言してはばからない。国会で真意を問
いただされると、「議論を活発化するため」などと答えたが、自身の改憲について
の考え方を披瀝しようとはせず、多重人格者のごとくはぐらかしけむに巻く姿勢が
常態化している。
こんなことはいまさら言いたくないが、国会のトップは憲法を遵守、擁護すること
こそが役目のはず。

敗戦から2年後に、「日本国憲法」は国民の多くが疑うことなく晴れやかに民主主
義憲法として受け入れた。
そして70年、僕たちが憲法を感じるのは、ある具体的な事柄や事態について合憲
か違憲かなどの憲法判断が問われる種々の訴訟裁判の場合である。
かくして、憲法は憲法としての本来あるべき機能がほとんど停止状態に成り下がっ
てしまっていると云ってもいい。セミの抜け殻みたいなものか。

今国会を見てもわかるではないか。国会になっていない、民を愚弄、公私混同が平
気で罷り通る現政治権力の下では、改憲大津波、絶対御免被りたい。
さて逃げ道をどうする、、。

2017年6月7日水曜日

波打ち際 疾走できる砂浜      1763

(影:Pen)
能登半島海岸線を一周したときにどうしてもドライブスルーしたい場所があった。

それは清張の「ゼロの焦点」にも出てくる能登、羽咋市の全長8㎞にわたる風紋
のある砂浜・「千里浜なぎさドライブウェイ」です。
砂場をランクルする程度の場所なら酒田市の最上川河口の一部海岸もあったが、
波打ち際を思いっきり走行でき、フルシーズン楽しめる海岸は日本で唯一。

恐る恐るゆっくりと、愛車「トリヴュート」を砂場に突っ込んだが、硬く引き締
まった均一の角ばった砂によって立ち往生することなく、よくもまぁ走行できる
ものだと感動している。

(←ブログ:2016・2・22 「記憶の深層/東京で最初の川苔山登山」1293)
(←   :2016・2・25 「犬吠碕へ/記憶の深層2」1297)
(←   :2016・6・18 「関の五本松/記憶の深層3」1410)
(←   :2016・6・26 「悠久の多胡の碑/記憶の深層4」1418)
(←   :2016・7・2  「由緒ある場所/記憶の深層5」1424)
(←   :2016・7・12 「洛北の寂光院~三千院/記憶の深層6」1434)
(←   :2016・7・13 「猊鼻渓舟下り/記憶の深層7」1435
(←   :2017・2・18 「小諸なる古城のほとり/記憶の深層8」1654)
(←   :2017・2・25 「その昔<東京荘>があった/記憶の断層9」1661)

2017年6月6日火曜日

倉敷水江に喜久屋書店あり      1762

喜久屋書店倉敷店(2017・5・12影:Tab)
5月のゴールデンウイーク明けに郷里岡山に帰り、倉敷の弟の家をベースにして
10日間ばかり滞在していた。

行ってみたかった瀬戸内の島(六島)でのんびり過ごしたり、海から離れた中国
山地の出雲街道山陽側起点になる津山市の奥にある菩提寺をたずねたりした。
さらに、いろいろ動き廻った行動のなかで、目的の一つもクリアーすることがで
きた。中学半ばから高校時代に過ごしたのは、倉敷郊外でさらに高梁川も渡った
「柳井原湖畔」だった。
当時は予想だにできなかった、一級河川高梁川を渡し舟で渡った土手の向こうが
田んぼや畑の広がる牧歌的風景の場所(水江)だったが、いまでは巨大「イオン」
が進出している。

その中に喜久屋書店は在った。なかなか魅力的な棚構成とゆったりと落ち着ける
書店でうれしくなった。
十数年かわらず地元に馴染んでいるセザキ店長の対応も素晴らしく、全国の喜久
屋書店直営グループの規模やキーマンの話も聞かせてもらった。
充実した郷土史コーナの棚に、「岡山文庫」も200冊余り揃っているなかから
『大原美術館』(藤田慎一郎編)を購入した。

(←ブログ:2017・1・9 「さて今年の出版業界はどうか」1615)
(←ブログ:2017・1・16 「書店のキーマンと」1622)
(←ブログ:2017・1・31 「書店の出店、閉店は」1637)
(←ブログ:2017・2・17 「アマゾンが取次をしのぐ勢い」1653)
(←ブログ:2017・2・21 「書店人ビブリオバトルってなに」1657)
(←ブログ:2017・3・6 「「TIBF」中止だって」1671)
(←ブログ:2017・3・9 「紀伊國屋書店・出版社と直取引・買切り」1673)
(←ブログ:2017・3・9 「いよいよ時限再販にも、、」1674)
(←ブログ:2017・3・24 「二大取次の傘下に入る書店の未来は」1689)
(←ブログ:2017・4・11 「ブックスルーエのサカモト店長と」1706)
(←ブログ:2017・4・21 「名古屋本店を1000坪でオープニング」1717)
(←   :2017・5・8 「名古屋三省堂書店本店による」1734)


2017年6月4日日曜日

ショウスケさん「サイパン・グアム記」1761


先日、戦前のサイパン島体験のあるショウスケさんと京都で懇談した際に、尊父の
サイパン・グアム島の戦地体験を記録した、原稿(400w)にして60枚余りを読
ませてもらえることになった。

尊父(リュウゾウさん)は、敗戦前に帰国した教師だっ父と違って敗戦後1946
年(昭21年)に復員している。
リュウゾウさんは、昭和17年に発足した南洋庁サイパン島の民生部に書記官とし
て勤務する。
そして戦火を避けられず多くが亡くなり、「私が戦傷を負いながらも復員したこと
は、不幸戦没された同僚に誠にすまない気持ちで、、」、と記す。

教員の赴任ではIさん(男)18年2月、Aさん(女)12月にそれぞれあったと。
戦局の悪化に伴い、各村の学校も閉鎖同然の様そうになる。
人気は全くなく、死の町と化していた。
7月4日頃、防空壕を撤退して自然洞窟に移転することになった。
防空洞窟の様子がリアル。
海岸付近の椰子の木は一本残らず焼けただれて裸となり、、。

職員や家族の内地疎開についても記されている。この方針辺りで親父たち教育者
が対象になったようで、来船した玉鉾丸の名前なども出てくる。
リュウゾウさん自らの「私は記録と云うものを大切にする性分であった」ことが、
僕の関心を一歩も二歩も深めてくれる。

2017年6月3日土曜日

活字の魔力/新聞斜読から      1760

書影
「新聞」の書評欄に限らず、文化欄やコラム、広告からも気になった書名を抜き
書きして、後日に行きあたりばったりの書店でまず手に取ってみるのが、僕の読
書法の一つ。

その引っかかる密度も、その日ごとの新聞を捲るスピード感によってまちまち。
新聞の1ページ目から順番に最終へと読み進めるのが普通だが、今朝はなぜか、
テーブルに置かれたママの裏面文化欄から読み始めた。
それは、韓国の「1970~80年代舞台の小説翻訳」出版相次ぐのコピーでした。
読み進むうちに、チョ・セヒ『こびとが打ち上げた小さなボール』(斎藤真理子
訳、河出書房新社16年刊)が目にとまる。韓国では、増刷を重ね130万部と読み
継がれているとレポートされている。

目に留まったのはベストセラーのことより、翻訳者の斎藤真理子さんです。
数年前に仕事を一緒したことがあり、韓国に強い関心を寄せていたことは知って
いた。その探求心が翻訳の動機になって一冊の翻訳書を上梓したところがスゴイ
なと思った。早速、購読します。(くまざわ書店八王子店で購入)

他に、新宿の居酒屋「AGE」で面識のあった車谷長吉さんの回想記『夫・車谷
長吉』(高橋順子著、文芸春秋)と、唐十郎の近畿大学での講義を演劇評論家の
知人西堂行人が聞き手で編んだ『唐十郎 特別講義』(国書刊行会)をチェック
した。

2017年6月2日金曜日

ロータリーエンジンRX₋7疾走   1759

愛車だった2代目RX‐7(影:Pen)
先日、鎌塚さんは、僕が江戸時代に「鉄砲洲」と呼ばれた所に関心を持っている
と知るや、貴重な蔵書から『東京風土図Ⅰ・Ⅱ』(社会思想社/1961刊)を探し
出し、贈ってくれた。この「現代教養文庫」については、後日改めて記してみた
いことがある。
そして今日は、全然本や出版とは関係のないが、「ロータリーエンジンファンの
藤森さんへ」と云ううことで朝日新聞の記事が同封されていた。

30余年前に、マツダの2代目RX‐7としてデビューしたクルマに乗っていた。
「寝た子を目覚まさせられる」感じで、直列2ローターエンジン搭載のすぐれた
パワーの疾走感を否が応でも思い出させられた。
今こうして、写真を見ても全然色あせないでオーラを放つ素晴らしい名車だ。
もう一度乗ってみたい思いに駆られるクルマだよ。

いま、エコカー全盛のなか、ロータリーEでは3代目RX‐7の次に2012年に
「RX‐8」生産終了をもってRE搭載車はマツダのカタログから消えた。

(←ブログ:2017・4・8 「わがクルマと今昔駆け巡り」1704)

2017年6月1日木曜日

最初の記憶・乳母車         1758

湯盥のなかで見た月がこの世の最初の記憶、と言った作家がいたが、僕の記憶で
は母親に押される乳母車の中で体感する車輪の振動だった。

2歳前後の夏の日差しの強い日で、発熱した僕をほろ付きの乳母車に入れて1里
ばかり離れた村の医者を訪ねる道程だった。
(皆から、三村先生と呼ばれて親しまれていたなぁ。)
その道すがらのことなどは全く思い出せないが、乳母車が籐製で長方形のソフト
なハンモックの籠に、体を沈めていたように想う。
藤蔓のアイボリーホワイトの網目が目線にあった。

今になって思うのだが、戦前の1941年(昭和16)頃、ベビーカーなど登場
しない時期に、レトロな藤製の乳母車でシトシトビッチャンシトビッチャンであ
ったことが、記憶を妄想化したように思っている。

藤製の乳母車は、今でも高額なベビーカーとして製造され人気があると云う。
ソフトでぬくもりがあり部屋でもそのままベビーベッドとして利用しても華やぐ
人気ものとか、、。