2016年12月31日土曜日
ゆく年2016*大晦日 1606
師走の大掃除は年々手慣れてきて余裕で終え、大晦日をゆっくり過ごせると思
っていたところ、どん詰まりになってしまった。
と云ううのも、この歳でよろず忘年会につきあったおかげで、翌日、家で予定し
た仕事がママならなかった。
さて今年は内々どんな感じの一年だったのだろう。
初春は、働き盛りのGyoを要に若いハルたちと、穏やかに迎えました。
2月は、太洋社破産で取次の再編が進む。
3月、北杜市のヒジカタ山荘で恒例の味噌造り。
4月、震度7の「熊本地震」で書店にも甚大な被害がでる。
5月、リスボンやリオに身軽に仕事で出かけるGyoを見て世代のグローバル化
を実感する。
6月、友人たちの訃報に接す。年下の死は堪える。
7月、初めて甲子園球場で阪神対巨人戦を観戦。西岡選手アキレス腱断裂。
8月、リオ・オリンピック開催。
9月、「戦後雑誌」展を観に久しぶりに早稲田大学へ。
10月、「お江戸」水巡りで日本橋の本籍地発見。
11月、初雪が54年ぶりに降る。
12月、船中会に始まり、本郷会、やすい会、水曜会、Wの会、でん八忘年会
でやっと了。
くる年に何か託せるものがるだろうか。
この混迷の時代、ハルたちのためにやりたいことをやる。
2016年12月30日金曜日
自前の写真で見る2016年 1605
【2016年・1月】
新年早々に衝撃的な映像ニュースを見ることになる。
軽井沢スキーツアーバスの転落事故で若い学生たち14名死亡。
長距離バスの運転経験が浅い運転手の過失は重いが、ツアー企画会社とバス会社
の使用(管理)責任の軽視によって、起こらなくてすんだであろう人命事故だけに怒
りを覚える。
僕もこの碓井峠はよく利用するだけに、一年経っても風景として記憶されている。
【2月】
2月5日太洋社の自主廃業の情
報。
出版社と書店とを卸仲介して信用
を担保している取次のシステムは
こうした取次破綻で二進も三進も
いかなくなってきている。
さらには、雪崩をうって栗田問題
が浮上してきた。
【3月】
3・11震災から5年がたった。
一年周期と云ううことではないが
あの日どこに居てどのような行
動をとったのか、頭脳に焼き付
いた像や音や匂いを追憶する。
新年早々に衝撃的な映像ニュースを見ることになる。
軽井沢スキーツアーバスの転落事故で若い学生たち14名死亡。
長距離バスの運転経験が浅い運転手の過失は重いが、ツアー企画会社とバス会社
の使用(管理)責任の軽視によって、起こらなくてすんだであろう人命事故だけに怒
りを覚える。
僕もこの碓井峠はよく利用するだけに、一年経っても風景として記憶されている。
【2月】
2月5日太洋社の自主廃業の情
報。
出版社と書店とを卸仲介して信用
を担保している取次のシステムは
こうした取次破綻で二進も三進も
いかなくなってきている。
さらには、雪崩をうって栗田問題
が浮上してきた。
【3月】
3・11震災から5年がたった。
一年周期と云ううことではないが
あの日どこに居てどのような行
動をとったのか、頭脳に焼き付
いた像や音や匂いを追憶する。
2016年12月29日木曜日
忘年会のオオトリ「でん八」 1603
2016年12月27日火曜日
震度7を生き抜いた人たち 1602
レポートを聞く。
そもそも彼女は、高校まで熊本市で育ち生粋の肥後っ子ということになるが、上
京して既に60年近くになり、「帰郷」の言葉がかすむ域に達しているようだ。
「熊本激震!」の報が飛び込んできて、心傷む日々を過ごしたことは十分察せら
れる。
「3・11東北大地震」で僕が被災地の岩手県大槌町へ足を踏み入れているとき、
彼女もいち早く気仙沼、石巻の被災現場にやっとの思いで立ち、生々しい報告
書を認めている。
熊本入りも宿を確保することがままならず、アノ日から45日後に帰郷して、「静か
な無言の街」を歩き、路地裏は赤紙だらけの実情を見て回っている。
僕も数十年前に行ったことのある「長崎書店」の周辺のことだろうか、、。
(この書店はいち早く仮営業している。)
その後、震源地である益城町と西原村の全壊地区でボランティア活動に参加し
ているが、ここでの交流や、神戸、東北地震と続く大規模災害のなかでボランテ
ィアの人やその運営がシステム化されてきていることを実感している。
東京の直下型地震の不安と、大規模災害の周期が狭まっている「災間」を考え
させられる。
W+αの忘年会へ 1601
昨年は新宿駅東口で、今年は西口が会場になった。
この十年、この会の忘年会は一度として同一場所だったことがない。
幹事が持ち回りで毎年変わると云うこともあるが、とくに決め事があるわけでは
ない。
メルモンテ・日光→蔵・西荻窪→ホテル犬吠・銚子一泊旅行→海・神楽坂→ひ
ょうたんなべ・吉祥寺→えん・秋葉原→魚猿・吉祥寺→染太郎・浅草→美々卯
・新宿東口→がんこ寿司・新宿西口。
これが、ここ11年の変遷であるが、それぞれの時系列に想いがあります。
Dy、Kh、Ya、Utらが鬼籍に入ってしまったが、銚子・犬吠への一泊旅行や、
「魚猿」での宴を通じて、それぞれの姿が浮遊する。
語らいのなかで校長経験のあるオオイ君から、彼の仲間に幼少時サイパン島
で生まれ過ごして昭和19年にやっとの思いで帰国できた知人がいることを聞
かされる。
この知人の親が代用教員をしていたらしく、僕の親父と何らかの接点がないか
取材してみたい思いを募らせています。
(←ブログ:2014・12・27 「恒例のW忘年会は「染太郎」で」867)
この十年、この会の忘年会は一度として同一場所だったことがない。
幹事が持ち回りで毎年変わると云うこともあるが、とくに決め事があるわけでは
ない。
メルモンテ・日光→蔵・西荻窪→ホテル犬吠・銚子一泊旅行→海・神楽坂→ひ
ょうたんなべ・吉祥寺→えん・秋葉原→魚猿・吉祥寺→染太郎・浅草→美々卯
・新宿東口→がんこ寿司・新宿西口。
これが、ここ11年の変遷であるが、それぞれの時系列に想いがあります。
Dy、Kh、Ya、Utらが鬼籍に入ってしまったが、銚子・犬吠への一泊旅行や、
「魚猿」での宴を通じて、それぞれの姿が浮遊する。
語らいのなかで校長経験のあるオオイ君から、彼の仲間に幼少時サイパン島
で生まれ過ごして昭和19年にやっとの思いで帰国できた知人がいることを聞
かされる。
この知人の親が代用教員をしていたらしく、僕の親父と何らかの接点がないか
取材してみたい思いを募らせています。
(←ブログ:2014・12・27 「恒例のW忘年会は「染太郎」で」867)
2016年12月25日日曜日
『狂うひと「死の棘」の妻・島尾ミホ』 1600
![]() |
| 書影(新潮社刊/3000円) |
が梯久美子著の『狂うひと』でした。
672頁の大著を、時間に余裕ない暮れのなかで読み切れずツンドクになってしま
うように思えたからです。また、衝撃的だった『死の棘』の読書体験を蒸し返される
ような気がして、先延ばししていた。
ノンフィクション作品である本書は、戦後文学の名作でベストセラーにもなった、
島尾敏雄の『死の棘』に描かれた、著者の妻・島尾ミホの生涯を11年余の長期取
材し、「書かれる女」から「書かせる女」さらに「書く女」へと変容していく様を、「本当
に狂っていたのは妻か夫か、、」と迫る。
これまでの神話を解体する謎解き評伝の極北か。
39年前に刊行された『死の棘』の装丁者・司修が、本書でもミホさんの写真を使っ
た装丁をしているのが因果めく。
(←ブログ:2016・12・14 「『証言と抒情』野村喜和夫著を読む」1588)
2016年12月24日土曜日
ハル トマムでシュプール! 1599
![]() |
| トマム(16・12・24 影:Gyo) |
羨ましいかぎりなのだが、僕が暮れで多忙と思ったのか、あるいは年かさで足手
まといと避けたのか、連れてってもらうことができなかった。
それにしても、僕たちがスキーをはじめた頃の日帰り行程とは違って、ずいぶん
贅沢で余裕のあるレジャーになったものだと思う。
北海道にひとっとびして、正午前には「トマム山」を眺めながらゲレンデに立てる
のだから、ビックリです。
さて、どこまでレベルアップして次なる挑戦をしてくるのだろうか、既に体力的には
負けているが、も少し一緒に滑り降りてみたい気力だけはある。
想うに、Gyoが4歳でスケーリングからゲレンデスキーに乗り換えた同年齢にハル
がなった時、彼にもスキー板を初めて履かせて同じ経験を楽しみたいという企み
だった。
年月を経た、9歳、40代、70半ば代のスラロームを見てみたいものだと、外野は
囃すが、実現するだろうか、、。
(←ブログ:2014・1・13 「スキー」)
( :2014・1・14 「星野温泉「トンボの湯」スキー②)
2016年12月23日金曜日
さんまと目黒川 1598
![]() |
目黒川と対岸の桜(2016・12・21 影:Tab)
|
正午過ぎにJR目黒駅でウメダさんに会った後、次の移動先まで余裕ができたの
で、「権之助商坂店街」を抜けて目黒橋を目指した。
目黒駅は山手線など4車線が乗り入れるステーションで、周辺では大開発が進ん
でいる。オフィスビルやツインタワーの住宅など高層の建物が建築される。
駅から歩いて10分ほどで目黒川に出た。想像していた以上に幅広で綺麗に整備
された立派な川だった。
目黒川の対岸ににも25階建てのマンションが建っているが、古い街並みと同居し
て落ち着いた雰囲気を感じた。さんまや桜など親しみやすい特色を生かした街づ
くりに注目が集まるのだろう。
「やすい会」忘年会に 1597
恒例の師走にある「やすい会」の忘年会に出席。
(←ブログ:2016・3・19 「今年初の「やすい会」へ」1319)
(← :2016・6・12 「やすい会雑記」1404)
(← :2016・9・24 「115回「やすい会」に出て)1506)
2016年12月22日木曜日
洋泉社に寄る 1596
急な訪問だったが、いつものことながらみなさん個々に参集してくれた。
映画秘宝編集部や歴史書編集部、資格もの担当者、ネット情報関係から実用
書の担当編集者らと小間切れに懇談できた。
映画▪歴史▪資格関係の本は、中堅以上の書店で今や十分に認知され、平台や
面陳列として目立つ展開になっている。
この一年は、従来のムック本主導から一部単行書籍にも力を注いできたようで、
話題になるものが出てきているのがうれしいい。
そんな中で、一読者として偶然にも書名に惹かれて一気読みした感動本がある。
『道徳感情はなぜ人を誤らせるのか』で、単行本としては長めの書名と、アダム・
スミスの『道徳情操論』(未来社刊)(岩波文庫『道徳感情論』)と、どう関係するの
だろうという即物的なリアクションからです。
冤罪を作り上げていく背景を圧倒的資料を基に、「人の心の変遷」(感情)として
解き明かす手法が斬新で、犯罪ノンフィクションの白眉と言える。
ほかにも、『塚本晋也 『野火』全記録』は映画製作現場を記録した、勇気のいる
出版で拍手したくなる。
暮れの大掃除を全社員で取っかかているところで、退散した。
映画秘宝編集部や歴史書編集部、資格もの担当者、ネット情報関係から実用
書の担当編集者らと小間切れに懇談できた。
映画▪歴史▪資格関係の本は、中堅以上の書店で今や十分に認知され、平台や
面陳列として目立つ展開になっている。
この一年は、従来のムック本主導から一部単行書籍にも力を注いできたようで、
話題になるものが出てきているのがうれしいい。
そんな中で、一読者として偶然にも書名に惹かれて一気読みした感動本がある。
『道徳感情はなぜ人を誤らせるのか』で、単行本としては長めの書名と、アダム・
スミスの『道徳情操論』(未来社刊)(岩波文庫『道徳感情論』)と、どう関係するの
だろうという即物的なリアクションからです。
冤罪を作り上げていく背景を圧倒的資料を基に、「人の心の変遷」(感情)として
解き明かす手法が斬新で、犯罪ノンフィクションの白眉と言える。
ほかにも、『塚本晋也 『野火』全記録』は映画製作現場を記録した、勇気のいる
出版で拍手したくなる。
暮れの大掃除を全社員で取っかかているところで、退散した。
五右衛門風呂を想ふ柚子湯かな 1595
![]() |
(2016・12・20 影:Tab)
|
薪で炊いた五右衛門風呂に浮かぶ柚子湯に浸かって、「冬至」の夜を過ごした田舎
を想いだす。
僕が幼少の頃の田舎の家には、未だ水道を引いてなくて台所には水甕、風呂の水
は、裏庭に山から曳いた水が落ちる貯水槽があって、そこから大きなバケツで汲ん
できていた。
そして、湯桶は鉄丸出しの「五右衛門風呂」でした。
当時の風呂桶は近所どこも彼処も五右衛門風呂だったように思う。
大家族の家は、庭先に青天井で設置されており、子どもたちが入れ替わりの入浴で
燥ぐ風流な風景を見られた。
を想いだす。
僕が幼少の頃の田舎の家には、未だ水道を引いてなくて台所には水甕、風呂の水
は、裏庭に山から曳いた水が落ちる貯水槽があって、そこから大きなバケツで汲ん
できていた。
そして、湯桶は鉄丸出しの「五右衛門風呂」でした。
当時の風呂桶は近所どこも彼処も五右衛門風呂だったように思う。
大家族の家は、庭先に青天井で設置されており、子どもたちが入れ替わりの入浴で
燥ぐ風流な風景を見られた。
燃料の樵と水汲みは僕の役割だったが、特に水汲みは毎日の単調な作業できつか
った記憶がよみがえる。
2016年12月20日火曜日
わが家の煤払い 1594
![]() |
| (2016・12 影:Tab) |
っている大掃除は手を付けたばかり。
民間の古くからの煤払いは、「正月事始め」ともいって、お正月を迎える準備の始
まりの日ということになるのか、、。
毎年のことながら、30日までに終えるように細かく刻んで予定を立てるが、最後
に追い込まれてしまうのが当たり前のことになっている。
さて初日は、ふろ場と備え付けの換気扇から、キッチンの換気扇まで比較的順調
に終えることができた。
年々、便利な掃除グッズが揃ってきて、段取りよくはかどり時間も昔の半分程度
で終了するようになっている。
軍手雑巾などがその典型で、薄いゴム手袋の上に軍手を装着して、細かいところ
の拭き掃除から、照明器具、TV・PC配線コードなどに付着した埃を指先感覚で
拭き取れて便利。
外回りで使うのが強力掃除ワイパーで、これを使うことで庭から2階や屋根際ま
での壁面を一気に清掃できるようになった。以前、外回りに要していた時間は一
日一杯使って疲労困憊したものだが、本当に楽になった実感がする。
(←ブログ:2015・12・25 「年末の大掃除」1234)
(← :2016・11・7 「初めて挑戦!障子&襖の張り替え」1551)
2016年12月19日月曜日
ジネンジョの食べ頃 1593
数十年前頃は、田舎の祖父から自然薯(山芋)がヒノキの葉っぱと藁にくるまっ
て届いていた。
ジネンジョの食べ頃は、秋の深まりに始まり春先にかけてがベスト。
食べ方は、山椒の擂り粉木ですり鉢ですって、昆布だしの効いた味噌汁を丁寧
にブレンドしたものを、飯にかけてすするのが最高に美味。
僕が小さい頃から山芋堀につきまとい、すり下ろしの汁入れを手伝っていたこと
を覚えてくれ、かつ滋養強壮、健康増進を願っての送りモノだったはずです。
ところが、長いもやヤマトイモ(手イモ)はどこでも手に入るが、何年もかけて山に
自生する「ジネンジョ」は貴重でなかなか欲しくても手に入らない。
そこで、趣味のドライブで郊外へ旅したときには、「道の駅」や農家の出店などに
必ず寄って、限りなく「ジネンジョ」に近い品種を見極め買うことにしている。そして
入手したブランド名と土地のラベルを残すか明記しておくようにしているが、田舎
で食べたアレに当たったことはほとんど無い。
友人に誘われて秩父の山で「山芋堀」に挑戦したこともあるが、地質のせいか微
妙にアレとは風味が違う。
昨日JAで、あきる野台地で採れた「自然薯」と称する外面は限りなくアレに近い
ものに手を出し、さっそく、「とろろ汁」にしてみたが、どんぶり飯の追加とはいか
なかった。
(←ブログ:2015・1・27 「柚子と自然薯」898)
( :2015・2・28 「じねんじょ」930)
て届いていた。
ジネンジョの食べ頃は、秋の深まりに始まり春先にかけてがベスト。
食べ方は、山椒の擂り粉木ですり鉢ですって、昆布だしの効いた味噌汁を丁寧
にブレンドしたものを、飯にかけてすするのが最高に美味。
僕が小さい頃から山芋堀につきまとい、すり下ろしの汁入れを手伝っていたこと
を覚えてくれ、かつ滋養強壮、健康増進を願っての送りモノだったはずです。
ところが、長いもやヤマトイモ(手イモ)はどこでも手に入るが、何年もかけて山に
自生する「ジネンジョ」は貴重でなかなか欲しくても手に入らない。
そこで、趣味のドライブで郊外へ旅したときには、「道の駅」や農家の出店などに
必ず寄って、限りなく「ジネンジョ」に近い品種を見極め買うことにしている。そして
入手したブランド名と土地のラベルを残すか明記しておくようにしているが、田舎
で食べたアレに当たったことはほとんど無い。
友人に誘われて秩父の山で「山芋堀」に挑戦したこともあるが、地質のせいか微
妙にアレとは風味が違う。
昨日JAで、あきる野台地で採れた「自然薯」と称する外面は限りなくアレに近い
ものに手を出し、さっそく、「とろろ汁」にしてみたが、どんぶり飯の追加とはいか
なかった。
(←ブログ:2015・1・27 「柚子と自然薯」898)
( :2015・2・28 「じねんじょ」930)
2016年12月18日日曜日
献体についての驚き 1592
![]() |
| 書影(装丁・中村宏) |
したものかと逡巡していたところに電話をもらった。
大久保さんとは、彼の最初の著作を上梓してからもしばらく交流があって、
その後、この45年ぐらい賀状のやり取りですませていました。
在野の言語学者である大久保さんは、とにかく僕の印象によると、家にこも
って研究と小説に取り組んでいる孤高な姿でした。
原稿の受け渡しや打合せでも、自宅以外だと国分寺駅前の喫茶店でした。
唯一、新宿で前衛的ルポルタージュ絵画の中村宏さんと門倉君と一緒の時
に同席した記憶があります。
知るところによると、肺マック(肺MAC)症で一年ほど通院して治癒に向かい
ながら、肺炎をこじらせたようです。
故人の意思で、病院に献体されており、美代子さんのもとに帰ってくるのは
まだ先のようです。僕には、その様な状況にあることがなかなか想像できず、
肩の荷が下りないだろうな、とかいろいろおもんばかっています。
(←ブログ:2016・12・7 「追悼 大久保そりやさん宅を訪ねた頃」1581)
2016年12月17日土曜日
S書店の人たちと 1591
![]() |
| (影:Can) |
のアイディアマンたちとの懇親でした。
昔からの知人を介しての宴席になったが、若い書店人と話題をオープンに話せた
のが一番だったかな。歳の差、平均25歳か、現状認識できてよかった。
先ず出たのが、「文庫ⅹ」について。最初にやった、アイディア手法勝ちだが、二
番煎じは無理だよね、と。
次に出たのが、亡くなった信山社柴田さんのこと。I書店との2000年前後の関係
から、厳しい現実の経営がいよいよになれば、何とかしてくれるだろうと云う淡い
期待があったのではなかろうかと、うがった分析。ところが、そんな余裕はどこにも
ないだろうと。
書店の営業企画には、柱が一杯あるはず。売れ筋は売れ筋として追っかけるの
は当たり前で、自店の独自な商品セレクトと変動激しい出版社の発掘とかに積極
的に取り組むようしていると。
さらに、出版社は、若いのを積極的に動かさないといけないよ、と忠告される。
焼酎「三岳」を2本空けてお開き。
「大衆割烹なにわ」と阪神タイガース 1590
![]() |
| 地下にあったころの「なにわ」 |
7年ぶりに「なにわ」へ。
十数年前、野球の納会や出版関係の会合でよく使っていた頃は、現在の場所より
少し離れたところに在ったが、いまは、「和亭なにわ」の看板で金華通りの中間を入
ったところで再開店している。
足が遠のいてしばらくになるが、店の女将は空白の時間を忘れて優しい立ち振る
舞いで、店を移動した経緯や僕の知っているお客さんの出入りを懐かしく一気に
話してくれた。
贔屓にしてかよっていた頃は、あまり思ってもみなかったが、落語会や新内、俳句
会、歴史の文化講座など多彩な催しを実現し、サロンスペースとしても有効利用し
ている雰囲気が漂っていた。
常連客からの提案をいち早く取り入れて、居酒屋で「落語会」をやるようになったの
も「なにわ」だったように思う。
女将にご主人が従うような感じだったが、とにかく大変なタイガースファンで、星野
監督と岡田監督で優勝した年などは、数回の出版社、取次、書店人の「出版虎の
会」の集まりを盛大におこなってきた。そのとき、女将はタイガースグッズを準備して
振る舞った。
その最愛のご主人は、難病で亡くなった。
供えてあった、ご主人の小さな写真に合掌。
2016年12月15日木曜日
富士山仰げず 1589
![]() |
切通峠から(2016・12・15 影:Can)
|
け、切通峠から丹沢山系越に見たが残念ながら雲で遮られていた。
富士山はいろんなことを思い出させてくれる。
2010年に仕事の現役を辞したとき、Gyoが僕たちを箱根芦ノ湖に連れ出し細や
かな慰労をしてくれた時は、湖の先に残雪をかぶった富士山がクローズアップさ
れた。
その富士山に僕は未だ登頂したことはないが、Gyoは既に高校生時に冷雨に煽
られながら友達と登った写真がある。そして、近い将来に彼はハルと一緒に挑戦
する計画を立てているようだ。四季で変貌する富士山の頂上を眺めながら、極め
た人の実感には到底及ばないが、想像に難くない気持ちになる。
また、東海道新幹線に一年に一、二度乗る機会にはE席の窓側に座り、小さな富
士山から大きな堂々とした富士山を目のあたりにできる富士川鉄橋付近まで車窓
を愉しむのが常です。
家のベランダからの遠距離でも、湖畔の至近距離でもズームアップ・アウトで旅の
記憶、食の感触までをよみがえらせてくれるのが富士山。
2016年12月14日水曜日
『証言と抒情』(野村喜和夫著)を読む 1588
![]() |
| 書影 |
明15日に、日ロ首脳会談が山口県長門市で開かれる。
思い出されるのは、第二次世界大戦後の(旧)ソ連によるシベリア抑留のことで、
石原吉郎が敗戦の1945年にソ連内務省軍隊によって連行されて、哈爾濱郊外
経由でソ連領に運ばれる。シベリア抑留という苦難の始まりである。
詩人・石原吉郎がシベリア強制収容所いわゆるラーゲリでの極限状況を経験し、
1953年のスターリン死去にともなう特赦でようやく、ナホトカから真鶴へ帰国を
果たす。
本書は、帰国後数年して衝撃的な詩を次々に発表し、1964年には、第一詩集、
『サンチョ・パンサの帰郷』によってH氏賞を受賞するなど、戦後の詩壇に特異な
地歩を築くに至る。さらに、ラーゲリ体験を「証言者」としての立場からエッセイで
語り始める。石原の1973年に刊行された『望郷の海』のころ、清水昶から「石原
は誰も経験できない極限状態を生き抜いた存在であり、自分の想像力を越える
遥か向こうにある」と聞く。
惹きつけてやまない何かを熱く追い求めていたように思う。
最近になって、なぜこれほどまで石原吉郎に関心が向くのだろう。
中島敦がそうであったように、彼らが1940年前後に、「満州国」や植民地南洋
諸島に行っているとき、親父もサイパン島に行っていることが通底しているのは
間違いない。
とはいっても、親父はなにもサイパンで生死の極限をくぐり抜けて帰国したわけ
ではない。
(←ブログ:2016・9・29 「石原吉郎と哈爾濱特務機関」1512)
(←ブログ:2016・10・2 「終わりの始まり」1515)
2016年12月13日火曜日
珊瑚礁が隆起してできた島 1587
![]() |
| 竹富島(影:Can) |
八重山諸島の石垣島から定期便で10分で竹富港に着いてしまう。
美しいエメラルドブルーの海に囲まれた人口300人余りの島。港から白いサンゴの砂の道を踏みしめて少し歩くと、「なごみの塔」が在る。
のぼって、集落を俯瞰すると、サンゴ石灰を積んだ石垣に囲まれ、赤煉瓦屋根に
シーサーの睨みをきかせた平屋が建ちならんでいるのが見える。年間を通して気
温が高いため、蓄熱しにくい素焼き赤瓦を使っている。
台風の通り道になる島の環境風土に適した伝統の建築様式であるが実に美しい。
さらに、年に二回浜から砂を運んで、道と庭に敷きつめる習慣があります。
他の離島と同様に、この島も本土資本によるリゾート開発が進み、島民自らの「竹
富島憲章」も無力化しつつあるようだ。時よとまれ。
「石西礁湖」と台風のことから、竹富島台風通りに想いをはせてこんな語りになって
しいました。
(←ブログ:2016・12・12 「サンゴ 健康を回復するか」1586)
2016年12月12日月曜日
サンゴ 健康を回復するか 1586
石垣島と西表島の海域に広がる国内最大の瑚礁、僕もダイビングしたことのある
「石西礁湖」でこの秋、約6割のサンゴの死滅が確認された、との記事を見た。
オーストラリアの「グレートバリアリーフ」に匹敵する約400余種類のサンゴが生息
する沖縄の美しい海でなにが起きているのか、気にかかる。
潜水観察したレポーターによると、僕も3年前に泳いだ経験のある竹富島の南の
海中は、一面に広がる真っ白なカリフラワー畑さながらだった、と。
それは、知らないで見ると、--純白ドレスがなびく心ときめを誘う態かも知れな
い。
サンゴの生態に詳しい地元の人によると、この地域周辺のサンゴは過去の白化や
オニヒトデの食害で2005年に大半が死に、10年かけて少しずつ復活してきたが、
今年の白化でほぼ全滅を予測する。
2012年に石垣に行った時は、ホテルに足止めされるほどの大型台風に見舞わ
れたが、今年は沖縄地方を通過する台風が少なかった。台風は深海の冷水をか
き混ぜて浅瀬の珊瑚礁周りの水温を下げる絶大な効果があると云う。そうした自
然環境のなせる技が、今年はマイナス要素になって大量死につながったと分析
されている。
サンゴが死ぬと魚が寄り付かなくなり、その荒廃は漁業・観光いずれにとっても大
きな痛手のはず。
そこで、ダイバーたちは、漁業者たちによって養殖されたサンゴを別の場所に移
す(挿し木)プランが進められて、すでに11月末には実施され始めている。
こうした実践、感動的です。
「石西礁湖」でこの秋、約6割のサンゴの死滅が確認された、との記事を見た。
オーストラリアの「グレートバリアリーフ」に匹敵する約400余種類のサンゴが生息
する沖縄の美しい海でなにが起きているのか、気にかかる。
潜水観察したレポーターによると、僕も3年前に泳いだ経験のある竹富島の南の
海中は、一面に広がる真っ白なカリフラワー畑さながらだった、と。
それは、知らないで見ると、--純白ドレスがなびく心ときめを誘う態かも知れな
い。
サンゴの生態に詳しい地元の人によると、この地域周辺のサンゴは過去の白化や
オニヒトデの食害で2005年に大半が死に、10年かけて少しずつ復活してきたが、
今年の白化でほぼ全滅を予測する。
2012年に石垣に行った時は、ホテルに足止めされるほどの大型台風に見舞わ
れたが、今年は沖縄地方を通過する台風が少なかった。台風は深海の冷水をか
き混ぜて浅瀬の珊瑚礁周りの水温を下げる絶大な効果があると云う。そうした自
然環境のなせる技が、今年はマイナス要素になって大量死につながったと分析
されている。
サンゴが死ぬと魚が寄り付かなくなり、その荒廃は漁業・観光いずれにとっても大
きな痛手のはず。
そこで、ダイバーたちは、漁業者たちによって養殖されたサンゴを別の場所に移
す(挿し木)プランが進められて、すでに11月末には実施され始めている。
こうした実践、感動的です。
都内最西端の田舎の本屋さん 1585
![]() |
| (2016・12 影:Tab) |
そのと途中の青梅線二俣尾駅を通り過ぎて少し走ったところに、主婦の友の朽ち
た看板が目に入った。
これまで、何度も何度も往復した青梅街道ながら、この東京最西端の「多摩書房」
を見過ごしてきた。
さっそく、年季の入った店舗を概観して店内を見て回りました。
僕の田舎の吉井川沿いにも、駄菓子屋と本屋が一緒になった一軒家があったが、
佇まいが妙に似ていて懐かしさを感じさせられた。
店内は、10坪弱の板張りの床に平台と周囲を天井まで棚で囲い、話題の新刊の
「ハリポタ」や旅行ガイド、料理・釣りの実用書、児童書から新書、文庫と地の利を
生かした吉川英治本の棚など目配りされていた。
最奥には、成人向け雑誌コーナもありました。
午前中に、奥多摩町の図書館や個人の注文を毎日納品にクルマを30分ほど走ら
せ通うと、今日も帰ってきたばかりの店主・萩原さんと話した。
書店で残ったのは多摩書房だけになり、周辺にはコンビニが次々と開店し、雑誌の
売行きは急減して、子どもも少数になり厳しい状況にあるが、これからも変わらず
継続していく意思をにこやかに語ってくれた。
趣味の釣りを眼下の多摩川で楽しみながら、「本屋」ができる生業にすこし羨ましく
思った。
(←ブログ:2016・10・3 「居心地いいだろうな!「街の本屋」」1516)
(← :2016・10・6 「長い付き合いの書店人」1519)
(← :2016・11・10 「本とのであいのきっかけは様々あれど」1553)
(← :2016・11・12 「ハリポタとくまざわ書店八王子店」1556)(← :2016・11・26 「立ち読みしたくなる棚」1570)
2016年12月11日日曜日
追悼 ジュンコウさん 1584
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| 妙高高原にて(影:Can) |
接しました。
出版社を定年退職してからは、渓流釣りを趣味にして、東北地方や信州、紀州
の渓流に釣りに入ったら一、二週間は釣りの旅を愉しむと云う風でした。
あるときは、彼を取り巻く三人組と称されていた一人のカマさんと鳥海山山麓の
岩魚釣りに出かけた。そのクルマ旅で二人は台風雨に遭遇し、標高1200㍍の
鳥海山登山口の誰もいない駐車場の新築したばかりの公衆便所を炊事場にし、
恐怖の風雨の音を耳にしながら夕食をとり酌み交す酒の勢いで一息ついたエピ
ソードを別々に聞いたことがあります。友人関係がリアルに語られた身に染みる
話です。
僕もまた、かつてクルマで象潟から海岸線を下がり、鳥海山ルートを登り朝焼け
の日本海に浮かぶ飛島をまじかに眺望したことがある。
ジュンコウさんが60歳の頃かと思うが、八重洲ブックセンターと人文会(1969
年設立)で親睦野球を挙行したことがある。そのとき、革靴をスパイクにして軟投
ながらコントロールよく投げ込む雄姿を見て、この年までは僕も草野球ができる
思いにさせてもらったこともある。
そしてまた、会社を興したとき、以降も経営についての助言がありがたかった。
冥福を祈ります。
2016年12月9日金曜日
ハヤシライス賛歌 1583
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| (2016・12・9影:Sca) |
食べ物の話のなかで僕がハヤシ好きであることが知れわたったのか、あるいは、
贈り主である彼のこだわりの品定めが、そもそも、丸善「新厨房楽・ハヤシライス」
に決めているのかは定かではありません。
それにしても、一瞬、分厚い事典でも送られきたのかと思いながら、開封して出て
きたハヤシライスにびっくりでした。
知る人ぞ知る贈答品なのかもしれませんが、なかなかセンスいいなぁ、と感心させ
られました。
ハヤシライスの語源、発祥説は様々だが、その一説に丸善創業者の早矢仕有的
のエピソードにもとづき、牛肉と野菜のごった煮にご飯を添えたものを友人に饗応
し、それが有名となってハヤシ生みの親と称されるようになったとも。
「日本の洋食」とも呼べる「味文化」を生み出したところまで、蘊蓄を傾けられると、
ノスタルジックで一層賞味したくなる。
Suさんありがとうございました。いただきます。
いままで、ハイシライス・ハヤシライス追っかけをしてきて、僕のなかのベストは、。
倉敷の西洋軒、早稲田諏訪町の洋食屋、駿河台下の瓢、神保町のランチョン、上
野精養軒、浅草のハヤシ30’、吉祥寺のシャポールージュ
2016年12月8日木曜日
或る忘年会での、あえて一冊と一本 1582
![]() |
| 『シン・ゴジラ」原点が存在す(2016・12・7影:Sca) |
していた。
Um:『侍』 遠藤周作(新潮文庫)/「この世界の片隅に」 片淵須直
Es :『百年の孤独』 マルケス(新潮社)
Oj :『龍の鸚鵡』 辻原登(新潮社)
Os :『百歳の叡智』 大橋美恵子
Ds :『日本会議とは何か』 (合同ブックレット)
Ky :『背信の都上・下』 J・エルロイ(文藝春秋)
Kh :『パリはわが町』 グルニエ(みすず書房)/
「喜劇 女の泣きどころ」 瀬川昌治
SJ:『最後の秘境 東京藝大』 二宮敦人(新潮社)
Ss:『頼山陽上・下』 見延典子(徳間書店)/「君の名は」 新海誠
Sy:『死ぬべき定め』(みすず書房)/「青春の殺人者」 長谷川和彦
Jt :『食う寝る坐る永平寺修行日記』野々村馨(新潮文庫)/
「利休にたずねよ」 田中光敏
St:『まわり舞台の上で』 荒木一郎(文遊社)/「シン・ゴジラ」 庵野秀明
Tk:『ツンドラ・サバイバル』 服部文祥(みすず書房)/
「エヴェレスト神々の山嶺」 平山秀幸
Th:『城の崎にて』 志賀直哉(新潮文庫)
Ny:映画「シーモアさんと、大人のための人生入門」 イーサン・ホーク
Bt:『赤ヘル 1975』 重松清(講談社文庫)
Ha:『「諸君!」「正論」の研究』 上丸洋一(岩波書店)
Fk:『道徳感情はなぜ人を誤らせるのか』 管賀江留郎(洋泉社)/
「サウルの息子」 ネメシュ・ラースロー
Mk:雑誌「サライ」購読
Mt:『日本会議の研究』 菅野完(扶桑社)/「さざなみ」 アンドリュー・ヘイ
Ym:『下町のロケット2』 池井戸潤(小学館)/
「すれ違いのダイアリーズ」 ニティワット・タラトーン
Yk:『保守主義とはなにか』 宇野重規(中公新書)/
Wk:「本の窓」連載巻頭の菅原文子エッセイ
Ym:『ポロポロ』田中小実昌(河出書房新社)/「この世界の片隅に」 片淵須直
Es :『百年の孤独』 マルケス(新潮社)
Oj :『龍の鸚鵡』 辻原登(新潮社)
Os :『百歳の叡智』 大橋美恵子
Ds :『日本会議とは何か』 (合同ブックレット)
Ky :『背信の都上・下』 J・エルロイ(文藝春秋)
Kh :『パリはわが町』 グルニエ(みすず書房)/
「喜劇 女の泣きどころ」 瀬川昌治
SJ:『最後の秘境 東京藝大』 二宮敦人(新潮社)
Ss:『頼山陽上・下』 見延典子(徳間書店)/「君の名は」 新海誠
Sy:『死ぬべき定め』(みすず書房)/「青春の殺人者」 長谷川和彦
Jt :『食う寝る坐る永平寺修行日記』野々村馨(新潮文庫)/
「利休にたずねよ」 田中光敏
St:『まわり舞台の上で』 荒木一郎(文遊社)/「シン・ゴジラ」 庵野秀明
Tk:『ツンドラ・サバイバル』 服部文祥(みすず書房)/
「エヴェレスト神々の山嶺」 平山秀幸
Th:『城の崎にて』 志賀直哉(新潮文庫)
Ny:映画「シーモアさんと、大人のための人生入門」 イーサン・ホーク
Bt:『赤ヘル 1975』 重松清(講談社文庫)
Ha:『「諸君!」「正論」の研究』 上丸洋一(岩波書店)
Fk:『道徳感情はなぜ人を誤らせるのか』 管賀江留郎(洋泉社)/
「サウルの息子」 ネメシュ・ラースロー
Mk:雑誌「サライ」購読
Mt:『日本会議の研究』 菅野完(扶桑社)/「さざなみ」 アンドリュー・ヘイ
Ym:『下町のロケット2』 池井戸潤(小学館)/
「すれ違いのダイアリーズ」 ニティワット・タラトーン
Yk:『保守主義とはなにか』 宇野重規(中公新書)/
Wk:「本の窓」連載巻頭の菅原文子エッセイ
Ym:『ポロポロ』田中小実昌(河出書房新社)/「この世界の片隅に」 片淵須直
2016年12月7日水曜日
追悼 大久保そりやさん宅を訪ねた頃 1581
また、喪中の挨拶状が届いた。
夫・靖生が八十三歳で他界いたしました、と奥方からの文面でした。
1960年後半に度々び原稿を貰いに国分寺駅に降りていた。
そして、三年あまりをかけて念願の主著、『言語学批判と共産主義』を刊行する
ことができました。(1971年11月刊)
著者が京都大学文学部言語学科の卒業論文製作のためにテーマにしていた言
語観を、その後徹底的に再考し直すなかで独自に概念化した「言語体」を表出
する時期でした。
梯明秀の諸労作を手引きにして、「経哲草稿」や「ド・イデ」をして生産的労働に
関してだけでなく、資本主義社会の言語生活全体を支配する考えを示したところ
が一部の人に注目され始めていた。
「言語活動」については、ソシュールや時枝誠記らの言語学者によって概念的に
は明らかにされているが、、。
当時、吉本言語論の「自己表出」と「指示表出」や、三浦の「言語図式」や、中井
正一「委員会の論理」など注目されていた。それらを評価する一方で、陥穽、ほこ
ろびを旺盛に批判する立場をとっていた。
出会いは、「芸術国家論集」同人仲間の門倉、田中、辻野たちとの編集会議でし
た。他に中村宏さんや織田達郎さんが同人の周辺にいました。
大久保さんは在野の言語学者でしたが、志は一貫して持続され変わらなかった
ったと思います。訃報に接して僕が残念に思うのは、後半長く直接お会いして課
題にされていた「言語共産学」による「超小説」の完成を聞くことなく、空白の時間
をつくったままであることです。 合掌。
2016年12月6日火曜日
昼は神保町ランチョン夜は新宿忘年会 1580
神保町すずらん通りの「文房堂」での中原淳一小展を観に、都心に出て来た、
薩摩おごじょをbeer hall「ランチョン」に誘って、ビール&オムライス。
二階の窓際の席で靖国通りのユリノキの落葉を見ながら、店主の御兄さんが注
いでくれたジョッキーの生ビールをゴクリと飲む。やはり、うまいビールだ。
人気メニューの一つであるオムライスは、昔、倉敷の「西洋軒」で食べた味が忘
れられず昼食にわざわざ行くことがある。
若い女性が一人で、本を手にしてジョッキーを持っている姿を見て、楽しみ方も
変わっているなと思った。
その後、打合せを一つすませて夜の新宿での「忘年会」(セッちゃん会)へ。
業種がまちまち、男女半々の春暮れに召集されるオープンで楽しい集まり。
薩摩おごじょをbeer hall「ランチョン」に誘って、ビール&オムライス。
二階の窓際の席で靖国通りのユリノキの落葉を見ながら、店主の御兄さんが注
いでくれたジョッキーの生ビールをゴクリと飲む。やはり、うまいビールだ。
人気メニューの一つであるオムライスは、昔、倉敷の「西洋軒」で食べた味が忘
れられず昼食にわざわざ行くことがある。
若い女性が一人で、本を手にしてジョッキーを持っている姿を見て、楽しみ方も
変わっているなと思った。
その後、打合せを一つすませて夜の新宿での「忘年会」(セッちゃん会)へ。
業種がまちまち、男女半々の春暮れに召集されるオープンで楽しい集まり。
西谷和歌子さん墓前に 1579
![]() |
| (2016・12・3 影:Tab) |
「歩け歩け」の企画にのって、文京区小石川へ行き会食、散会後に、小石川伝通
院裏の「真珠院」を一人で訪ねました。真珠院には、未来社創業者・西谷家のお墓があります。
西谷能雄さんの奥様が8月に亡くなってご家族だけの見送りであったことを後に
知りました。
未来社に入社したころは、何度か2,3泊の社員旅行があり、社長夫人も同行し気
さくに皆に接していた立ち振る舞いを思い出します。
また、僕が20年間在籍した未来社を去るときも、わざわざ山王の自宅に招かれて
西谷社長(当時)共々に、寿司をつまみながら激励されたことが忘れられません。
傳通院の裏手、未来社の隣にある真珠院は由緒あるお寺で、西谷さんが好んで
自分のお墓まで同じ場所に決めた経緯だったと思います。
今までも境内に入ったことがあるのですが、西谷家の墓とならんで「鈴木茂三郎
夫妻」の墓石が建っているのに気づき、何か縁があるのかなと思って手を合わせ
ました。
2016年12月4日日曜日
上田毅君を悼む 1578
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4・7の会(2012・4・7 影:ピクト)
|
昨年の便りで療養中と知らされていたが、まさか亡くなっていたとはついぞ思わ
ず、ショックです。73歳。
僕が一線から引退する際「囲む会」を開催してもらったが、その時わざわざ京都
から駆けつけてくれた。
そのうえ、深夜までW時代の旧友と親交をあたため、翌朝はかつて下宿が一緒
だった馬場下の「東京荘」(現、ライオンズマンション)周辺を散策して、京都へ帰
って行ったのである。
学年は僕より3学年下で、辺見秀逸と特に仲が良かったように思っているが、彼
はフランスに遊学して直接の付き合いは絶えていた。
その後、京都で「フグ料理店」をやっている親父さんが亡くなり、料理見習い経営
者になることを決断して帰国したはずです。
そうこうしているうちに、関西に出張すれば彼が調理場に立つ「末廣」に寄り仕事
が跳ねるのを待って一献と相成ったものです。
また、洋泉社から『おそめ』を出版した際には、上羽秀(おそめ)とは近所で、子ど
ものころからの付き合いがあると云うことで宣伝で一役買ってもらったこともある。
Gyoが京都へ遊びに行っては、お世話になっています。
ずっと、僕は丁寧に接してくれる上田君に親しみを感じつづけ、なにかあるごとに
東京にさそい、関西方面へ出かければ京都に宿を取り一緒に呑み惚けをこの年
まで良しとしてきました。
人は必ずや彼岸にいくものながら、親しい人、殊に年下の人の死は堪えます。
今年中にできれば京都に行ってきます。
(←ブログ:2012・4・8 「4・7~囲む会に126名が出席」71)
2016年12月3日土曜日
小石川・茗荷谷の文京の地を歩く 1577
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| 国際文化会館(2016・12・3 影:Tab) |
小石川・茗荷谷は江戸時代、大名や旗本の屋敷が甍を接し、明治以降は、お茶の
水女子大学、東京教育大学(現・筑波大)、拓殖大学、跡見学園などが集まり、緑
豊かな文京の地となりました。
その由緒ある建造物やお寺を見て歩き、小石川植物園を回遊する15㌔3時間余
りのコースでした。天気に恵まれたが、最終ではあせがジワリと噴出した。
茗荷坂→林泉寺・しばられ地蔵(現住職江田和雄和尚は学生時代の知人)、古くか
らの女友だち・セキネちゃん宅もこの辺り→蛙坂→深光寺・滝沢馬琴墓→拓殖大学
国際教育会館→お茶の水女子大学本館・正門→茗溪会館→都バス大塚車庫跡地
→窪町小学校→湯立坂→旧磯野家住宅→教育の森公園→占春園→共同印刷本
社→小石川植物園→播磨坂、極楽水跡、石川啄木終焉の地、高橋泥舟・山岡鉄舟
旧居跡→茗荷谷駅
イタリアン市場食堂で会食。
(←ブログ:2016・10・8 「朝霧の水の都をたずねる 1」1521)
(←ブログ:2016・10・9 「運河と掘割り/水巡り2」1522)
(←ブログ:2016・10・10 「堀部安兵衛・写楽・伊能忠敬/水巡り3」1523)
(←ブログ:2016・10・16 「江戸港発祥跡を目視しながら/水巡り4」1529)
2016年12月2日金曜日
一日三杯のコーヒー 1576
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| (影:Tab) |
僕は一日に家で飲むコーヒーの量を三杯ぐらいと決めている。
すずらん通りの「豆香房」で、焙煎したばかりのストレート「カロシトラジャ」を
200g分粉にしてもらった。
入りたての新鮮な香りがたつトラジャを早速、ドリップして飲んでみる。
まろやかな苦味と独特の香りが最高によく、あとまで余韻を楽しめた。
酸味の強いものも好みだが、この豆は指数が低い。
会社人間であった頃、神田駅西口通りの店が社に近かったので、オープン
から打ち合わせなどでよく出入りしていた。
焙煎士のオーナーは、ブラジル、ハワイ、インドネシア、エチオピアなど世界
の産地農園に頻繁に出かけて買付けた徹底したセレクト豆を提供してくれ
る。
また彼は現地の農園主と交流を深めて、土壌の保全や天然水源と動植物
の保護や、年々の生産に自然環境の永久サイクルとして生かされる実態を
見聞している。
(←ブログ:2015・5・16 「こだわりの一杯のコーヒー」1010)
黄褐色のカラマツの並木道 1575
2016年11月30日水曜日
西本忠成さん よくぞ言ってくれました! 1574
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| 『キャプテンシー』から/鳥谷敬 |
と辛辣な投げかけをしている。
僕も同感です。70年間近くずっと阪神タイガースの応援をしてきて、シーズン
中盤から今年ほど不愉快になったことはない。極端にいうと、糸井選手の加入
などどうでもよくなっている。
予兆はあった。
7月20日に、これまで一度も足を踏み入れたことのなかった甲子園球場に行
き、アルプス席銀傘の下で応援した。ところが、試合が始まって間もない2回
に西岡選手が適時打で1塁へ向かう途中でアキレス腱断裂というアクシデント
に見舞われるシーンを見てしまった。いまもリハビリ中。
この当たりから、鳥谷選手のプレーに精彩がないように感じられるた。
さて、鳥谷敬内野手だが、ポジション未定で2月からのキャンプに臨むことにな
るようだ。「レギュラーに決まっているのは右翼の福留、中堅の糸井だけで、あ
とは白紙」と明言している。今年こそ、打率・236だったが(四球出塁率は高い)、
それまで3年連続ベストナインの守備力に何の不足があるのか。と云うより春
のキャンプで長打力本塁打アップを要請して、監督自ら打法の指導をする光景
を見ている。それでいて、シーズンに入ってなかなか打率が上昇しないと打順
を8番にまで下げてみたりする有様。鳥谷にすればモチベーションダウンにみ
まわれても致し方ない環境に置かれたと思う。(→も少し後日に)
(←ブログ:2016・3・1 「トリが変わった」1301)
( :2016・3・25 「143分の1試合」1325)
( :2016・4・3 「飛んだⅤ打 桜が咲いた!」1334)
( :2016・5・2 「寄居「京亭」とキャッチャー原口文仁」1363)
( :2016・6・4 「鳥谷選手の自制心」1396)
( :2016・6・28 「采配にブレはないか」1420)
( :2016・7・21 「初!甲子園球場に」1442)
( :2016・7・21 「フルイニング出場記録は途絶えたが」1449)
( :2016・8・25 「やはり、月一度は猛虎阪神タイガース」1477)
( :2016・9・4 「鳥谷12年ぶりに遊撃を離れ先発」1487)
2016年11月29日火曜日
あれから2年~「でん八」 1573
![]() |
ホルン奏者/大貫ひろし(2016・11・28 影:Tab)
|
アキさん、声を絞り出しながら、「でん八・50周年」を記念する祝賀会を催し
てから丁度、2年になる月日の流れと酒席ながらそこでの出会いが財産に
なっている、としみじみと話し始める。
幅広い人脈やそこから発信される情報などで長いあいだコミュニケーション
がとれ信頼関係を築いてくることができた事が貴重な自分史のなかで生き
ていると。
そしてまた、年を重ねるスピードのせいか、このわずか2年間のうちに亡く
なった新宿デラシネ長田君や彫刻家永松、そしbe-sisyto江藤勲さんを偲
ぶ話におよんだ。
二代目弘史の「でん八」らしい、常連客による即興演奏を聴かせてくれた。
その演者は、カウンター席で一人で杯を重ねていた大貫ひろしさんで、酔
客の要望を受けて立ち上がって、ホルンを吹いて奏でてくれた。
信山社・岩波ブックセンター破産 1572
が破産したことを知らされ、やっぱりと思った。(負債1億2700万円)
先週末、神保町に出て信山社の前を通った際、店舗休業の張り紙をみつけて、
嫌な予感がした。
柴田会長が2000年70歳で信山社・岩波ブックセンターの経営を引き継いだ時、
既に多額の債務を抱えていたと聞いている。(2002年代表取締役社長)
この難関を、彼独特の屈託のなさで帳場にたつ現場主義を貫き通して、資金繰り
も何とかなっていたのだろうが、急逝されたことで店舗展開が困難になったという
ことだろう。
それにしても、「本の街・神保町を元気にする会」を率先して創り育ててきた柴田
さん(岩波ブックセンター)を、その書店人、出版人、飲食経営者、周辺の支援者
をもってしても如何ともしがたい、単色専門書店の厳しい書店業界の諸相を見せ
つけられている切迫感があります。
2016年11月28日月曜日
この一冊と一本の映画、、 1571
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書影(2016・5刊/544頁・2500円)
|
或る会の幹事から、出・欠席の返事に添えて「今年読んだ本と、観た映画で面白
かった作品を教えてくれませんか。」とあった。
本では、管賀江留郎著*『道徳感情はなぜ人を誤らせるのか』(洋泉社・刊)
表紙表題を見て咄嗟に経済学者アダム・スミスの『道徳情操論』(岩波文庫では
『道徳感情論』)を援用した犯罪ノンフィクション作品かと思った、、。
戦中戦後に起きた、少年による大量殺人事件「浜松事件」と「二俣事件」という
連続性のある二つの事件を題材に、冤罪をつくり上げていく背景を圧倒的資料
で、「人の心の変遷」として浮上させてくれる。
一般的にいわれてきた冤罪の背景には、初動捜査のずさんさや司法、法医学
やメディアの動向が問題にされるが、この著者の視点には政治・哲学や心理学、
進化論、プロファイリング、サイコパス、、総合知を不断に援用して、人間の道徳
感情や共感にその解明をもとめるところに衝撃をうける。
500頁を裕に超える文字ぎっしりの大冊だが、最高の推理小説に当たった感動
で一気に読了した。
(←ブログ:2016・7・14 「『道徳感情はなぜ人を誤らされるのか』を読む」1436)
映画は、*「サウルの息子」(監督はハンガリーのネメシュ・ラースロー)
カメラアングルが斬新で、何気なく聞こえる言葉や音響が不気味に迫ってくる。
1944年10月、アウシュビッツ強制収容所の二日間の記録。
ハンガリー人で時計職人であったサウルが、黙々と死体処理の清掃作業をして
いる背後(上着の背には朱色の×印)からの姿が映し出される。
クローズアップされるのはサウルの目の動きだけで、背景は霧がかかったよう
に不透明で音響だけがあるので不気味さが増幅する。
サウルはゾンダーコマンドといって、同僚をガス室に送り込む任務のユダヤ人、
数ヵ月働かされたあと抹殺される。
ラストシーンの脱走した途中、子供を土に埋葬しようとする場面と、逃げ込んだ
小屋の外に一瞬現れる子供の姿は、ホロコーストの暴虐残虐の極みを伝承す
る象徴なのか。
森に響く銃声と霧のなかに、ジエンド。
(←ブログ:2016・8・2 「「サウルの息子」を観る」1455)
2016年11月26日土曜日
立ち読みしたくなる棚 1570
![]() |
(2016・11・25 影:Tab)
|
1980年代に開店したときから、人文書や芸術書の品ぞろえに注目しよく通っ
た。神楽坂で解覧して間もない出版社であったが、『クラシックの快楽』や『映画
の現在形』などを平積みしてくれ、他店への売れ行き好調の火付け役を果たし
てもらった。そのうちに当時店長の鈴木さんと、二階の喫茶店で話し込むことが
度々あった。
あゆみBooksは現在東京と仙台に十数店舗展開するが、当時、彼の構想でも、
早稲田店をモデルに80坪までを限度とする中規模店を目指すという考えを聞い
たが、ほぼその通りに推移したように見えた。
商品構成で、人文、文学・芸術書のほかにアレっと思うほどコミックス棚が充実し
ているのも、彼のビジネス感覚と豊富な知識のなせる技がそうさせたと思う。
さらに、当時ではユニークなスリップデータベースをつくり、社員に徹底して活用
させていた。いまのPOSシステムの先取りで、大学生協書籍売場に負けていな
い的確な客層と本のセレクトができていたのに感動したものです。
だが、2014年に僕の知らない経営陣の入れ替えがあって、その後日販の傘下
になっている。
久々に早稲田店、小石川店を訪ねたが、従来の個性的書店の色は残っていた。
ワンポイントの特設棚もしっかりあって、この日、数冊立ち読みさせてもらった。
(←ブログ:2016・10・3 「居心地いいだろうな!「街の本屋」」1516)
(← :2016・10・6 「長い付き合いの書店人」1519)
(← :2016・11・10 「本とのであいのきっかけは様々あれど」1553)
(←ブログ:2016・11・12 「ハリポタとくまざわ書店八王子店」1556)2016年11月25日金曜日
3・11震災の内なる伝承を 1569
![]() |
| 江岸寺と城山 |
にびっくりして、一瞬未だ夢うつつでした。
目が覚めたのは、3・11の東日本大震災の津波が襲いかかってくる猛威で、
三陸の家もビルも鉄道もことごとくまくり上げられる、おもちゃ箱をひっくり返
したような映像を思ってです。
そのリアルな被災の様子を見たのは、飯田橋駅のテレビジョンに映し出され
るもので、大槌町に住むお祖母ちゃんのことが過りました。
津波が襲いかかってくるときは、「津波てんでんこ」の伝え(伝承)が生きてい
て、お祖母ちゃんは日頃準備した小物だけ体ひとつで、菩提寺の上の城山
に逃れて一命をとりとめることができました。
発見されたのは、5日後のことでしたが、、。
とにかく、まず逃げよ、の教訓化が今回の切迫したテロップとして衝撃的だ
った。
3・11、あの日から5年8ヵ月、また起きた大きな余震におびえながら、被災
地の人たちはひたすら高台に逃げる姿があった。
東京は遠い地域ではない。
自らに、テレビを見て足がすくんだあの日(時)の感覚を伝承せよ、と呼び掛
けている。
現実はまだ、復興半ば以下だと思っている。
2016年11月24日木曜日
54年ぶり 11月の初積雪 1568
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庭のツバキに初雪(⒗・11・23 影:tab)
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早朝から降りつづき、正午には5㌢、3時頃ボタン雪を最後に降り止み6㌢の初雪で
した。
昨日から上空に真冬並みの寒気が入り込んだ影響で、関東甲信越の広範囲で積雪
がある予報がしきりに流れていたが、朝起床するまで半信半疑でした。
1962年以来、54年ぶりとなる初雪の観測。
秩父地方で12月初頭の初雪はよくあることだが、東京では12月にチラつけば早い
ほうで、この終日降りつづいた雪は、「あっと驚く為五郎」です。
54年前と云うと、未だ早稲田馬場下に下宿していた頃になります。
そしてちょっと唐突ですが、11月1日には、カストロ・キューバ首相がキューバ内ソ連
ミサイル基地の国際査察提案を拒否して、米キューバ海上封鎖による三週間に及ぶ
緊迫した世界情勢にあったことを思い出したりしました。
2016年11月23日水曜日
東京と岡山の交流 1567
同世代のたくさんの友人に恵まれて、それぞれ、この年まで交流がつづき何かと
刺激になってきたと思っている。
そんな友人の一人が、いま大阪で税理士をしているヨシダkさんだ。
僕が津山の山奥から倉敷市(現)に転校して間もなくから親しくなって、映画(洋画)
を観に街にでかけたりして、なぜか気が合った。
僕が東京に出てから空白期間が長かったが、人生半ばからは彼が同期会や出張
で上京のときとか、関西に出かける機会に近況を語りあっている。
なによりも、彼は筆まめでメールでも、便箋にしたためた封書なみの文面を受け取
ことになるので、SMSで済ますわけにいかず宿題を受け取った様になる。
この度も、ブログで作州の「鶴田藩」について関心をしめしたことに触れて、早速の
メールで、「懐かしい地名を聞きました。」と来た。それも、彼の親父さんの生まれ
故郷だという。鶴田の墓参に行ったこともある、と書かれているに至っては、僕の
作州、奥津の菩提寺への墓参りと一になることで、ここまで一気に場所が身近に
なるものかと、偶然性に驚いています。
他にも、倉敷、柳井原の横溝家と横溝正史の関係とか、関心ある宿題をわたされ
ている。
刺激になってきたと思っている。
そんな友人の一人が、いま大阪で税理士をしているヨシダkさんだ。
僕が津山の山奥から倉敷市(現)に転校して間もなくから親しくなって、映画(洋画)
を観に街にでかけたりして、なぜか気が合った。
僕が東京に出てから空白期間が長かったが、人生半ばからは彼が同期会や出張
で上京のときとか、関西に出かける機会に近況を語りあっている。
なによりも、彼は筆まめでメールでも、便箋にしたためた封書なみの文面を受け取
ことになるので、SMSで済ますわけにいかず宿題を受け取った様になる。
この度も、ブログで作州の「鶴田藩」について関心をしめしたことに触れて、早速の
メールで、「懐かしい地名を聞きました。」と来た。それも、彼の親父さんの生まれ
故郷だという。鶴田の墓参に行ったこともある、と書かれているに至っては、僕の
作州、奥津の菩提寺への墓参りと一になることで、ここまで一気に場所が身近に
なるものかと、偶然性に驚いています。
他にも、倉敷、柳井原の横溝家と横溝正史の関係とか、関心ある宿題をわたされ
ている。
2016年11月22日火曜日
長老・松本昌次さんとしばし閑談 1566
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| (2016・11・21 影:Kei) |
柴田信さんのお別れの会で、わが未来社時代の師・松本さんと同席。
足を痛めて杖でサポートして歩く姿が、昔、サッカーをやっていた人だけに心外で
あろうと察する。
前日、松本さんが編集担当だったはずの、井上光晴小説集『ガダルカナル戦詩集』
を読んだばかりのところで、数年ぶりに会うのがこの場所である奇遇に不思議さを
感じた。
文庫版があるが、初版で読んだ経緯を話す。
この本が出ることによって、井上さんは著名人になった、と松本さんは語る。
新宿の「ナルシス」で井上さんのおごりで飲んだことなど思いだす。
60年代は編集者が一番できた時代、今は編集者はいらない時代と揶揄する。
さらに、「大槌の風」の近況を問われる。
第一次の目的は終え、行き来のみしている事情を話す。
未来社の現在の仕事、沖縄と3・11被災地の問題にアプローチはしているが、突
っ込み方が問題ありと批判的。
yuによろしくと、、。
柴田信さん お別れの会 1565
11月21日に「柴田信さん お別れの会」が如水会館で行われました。
発起人は、岡本厚(岩波書店)、亀井忠雄(三省堂書店)、相賀昌宏(小学館)
ら他6氏で、実行委員長は八木壮一(八木書店)でした。
柴田さんは、信山社(岩波ブックセンター)の代表であり、「本の街・神保町を
元気にする会」の事務局長でもあって、本の街、神保町をこよなく愛し活性化
するために、衰えを知らぬフットワークで豊富な人脈を駆使して尽力されてき
た。神保町はかけがえのない人を失ってしまった。
それだけに、哀惜の念を抱えて全国から、僕など知らない人や数十年ぶりに
会う大勢の人が献花に訪れていた。
挨拶&話した人~
松本、安井、松下、白井、山下、柴野、清水、渡辺、瀧井、森、川上、今村、
佐々木、持谷、加賀美、鎌内、梶浦、持主、副田、福嶋、島田、横井、高梨、
清田、宍戸、阿部、菊池、片岡、深谷、細野、古市、、。
発起人は、岡本厚(岩波書店)、亀井忠雄(三省堂書店)、相賀昌宏(小学館)
ら他6氏で、実行委員長は八木壮一(八木書店)でした。
柴田さんは、信山社(岩波ブックセンター)の代表であり、「本の街・神保町を
元気にする会」の事務局長でもあって、本の街、神保町をこよなく愛し活性化
するために、衰えを知らぬフットワークで豊富な人脈を駆使して尽力されてき
た。神保町はかけがえのない人を失ってしまった。
それだけに、哀惜の念を抱えて全国から、僕など知らない人や数十年ぶりに
会う大勢の人が献花に訪れていた。
挨拶&話した人~
松本、安井、松下、白井、山下、柴野、清水、渡辺、瀧井、森、川上、今村、
佐々木、持谷、加賀美、鎌内、梶浦、持主、副田、福嶋、島田、横井、高梨、
清田、宍戸、阿部、菊池、片岡、深谷、細野、古市、、。
2016年11月20日日曜日
『ガダルカナル戦詩集』井上光晴を読む 1564
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| 書影 |
刊行当時に一度は読んでいる記憶が残っていたが、最近サイパン島に執着し始
めて、レイテ戦(大岡昇平著作)とかガダルカナル島の戦記まで読書してみたくな
っていた。
今日の「日経」書評欄で、井上荒野著『綴られた愛人』を、父・井上光晴の作品へ
のオマージュとして評されている一文に引っかかったのをきっかけに、父上の初
版本を書棚の奥から探し出し一気に読んだ。
ほぼ60年前に書かれた初期の作品ながら、全く古びていない。
戦争を潜り抜けた著者自身のなかに悶々としてある戦争や、自分のなかの伝統
と血、祖国、エゴイズムを行ったり来たりすることで噛み合わせ、これから文学の
世界で生きる出発点にしようとする苦悩を感じさせられる。
(←ブログ:2016・7・30 「井上光晴について」1085)
2016年11月19日土曜日
学芸会今昔 1563
ハルの学芸会を見物する。
大人が子供や孫の学芸会や運動会参観するのは、精々小学生までであろうか。
時雨れのなか、その孫の小学校にクルマで向かったが、到着した頃には晴れ男
ハルの面目躍如というところか、雨は上がっていた。
演目は、「半日村」(斎藤隆介絵本)。
村は山深いなかにあり、あまりにも高い山なので、お昼頃まで陽の照らない半日
村。その貧しい村に陽をあてようと、村の後ろにある高い山を子どもたちの手で
削る物語を、唄あり踊ありの群集劇仕立て。
ハルは、花や稲や風役のなかの稲になり、口を一杯開けて大きな声で見事に演
じていた。
自分は、小学4年生の学芸会では超脚色された「にんじん」(ルナアル原作)を演
じたことを想い、年を取らなければ、感動しない事が多々あるのに気づく。
(←ブログ:2014・11・19 「学芸会」826)
2016年11月18日金曜日
御徒町に「寿司幸」あり 1562
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(2016・11・18 影:tab)
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どちらが声をかけるでもなく年に数回会うと、文学や映画の話に始まって出版業
界の話題や世情話に及ぶ。大事な話をするわけでもないので、ときにカウンター
越しに板長さんと寿司ダネのおすすめや旬はどんなものかなどを聞くこともある。
とくに、寿司幸へ行くときは暖簾を開ける前から、盆に山もりで出される中トロの
タタキにありつける楽しみがある。
開口一番の話題は、マルセル・デュシャンの「階段を下りる裸体」についてであっ
て、僕がついていけるとすれば、中村宏のシュールな汽車や女学生の絵に引っ
かけて喋れるぐらいだった。
次々に今関心をはらっているないしは批評の対象として、柄谷行人や中上健次、
平出隆、村上龍らの名前が出た。
最初ビールで始まって、麦焼酎に変わり、彼は途中から燗酒に移るのがいつもの
流れで、滞在時間3時間余り「あがり」。
2016年11月17日木曜日
古めかしい話のついでに 1561
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なったついでに言うと、わが家には一振り一刀がある。
70年以上前のことですが、父が桐ダンスの奥からやおら取り出して見せたのは
その後も、僕が長男ということで当時のままの古い布切れにまかれてついて回っ
ている。
サイパン島から帰国した父は寡黙だったが、間違いなく祖父方の家系が津山藩
の士族であったということを語り伝えようとするのだった。
結婚するときに戸籍謄本を取ったが、それに基づいても明記されていた。
20代の頃はこうした事実については、むしろ心にかけないで無視してきた。
巻き付けられた紐をほどき、傷んだ鞘から「一振り」を抜いて目のうえにあげて見
ると少し錆が来ているのがわかる。すこしばかり怖くて長く持っていられないが、
僕の知っている祖父よりさかのぼる前の時代を経て手渡されてきた時間を感じる。
未来にではなく、自分の前に今ある歴史があり、点の存在が線になる感覚は、年
を重ねてきた生だと思う。
2016年11月16日水曜日
飛び地領作州鶴田藩とは 1560
昨日の熱をおびた語りのなかで、「鶴田(たづた)」という地名が津山にあるかと
尋ねられたが、聞き覚えのない地名だった。でも、気になった。
話の流れからして、関ヶ原以来の徳川と、大国長州藩と外様小藩津和野藩と親藩
浜田藩の、動きと時勢に振り回された、一族が迷走する軌跡の事だったとおもう。
慶長2年(1866年)の第二次長州征伐の際、長州藩の軍に撃破され第4代藩主
松平武聰は戦わずして浜田城を放棄する。
戦いの始まりは、益田を中心とする藩領内であったが、城と城下を焼いて退く。
その後、敗走し飛び地領作州の鶴田領(現岡山県津山市)に逃れ、鶴田藩を興し
て明治維新を迎えたという。鶴田陣屋門が現存する。
僕が興味をもったのは、津山藩の極めて近隣に聞いたことのなかった「鶴田藩」
が廃藩置県まであったということです。
(←ブログ:2016・11・15 「今はまぼろし わが一族」を読む」1559)
尋ねられたが、聞き覚えのない地名だった。でも、気になった。
話の流れからして、関ヶ原以来の徳川と、大国長州藩と外様小藩津和野藩と親藩
浜田藩の、動きと時勢に振り回された、一族が迷走する軌跡の事だったとおもう。
慶長2年(1866年)の第二次長州征伐の際、長州藩の軍に撃破され第4代藩主
松平武聰は戦わずして浜田城を放棄する。
戦いの始まりは、益田を中心とする藩領内であったが、城と城下を焼いて退く。
その後、敗走し飛び地領作州の鶴田領(現岡山県津山市)に逃れ、鶴田藩を興し
て明治維新を迎えたという。鶴田陣屋門が現存する。
僕が興味をもったのは、津山藩の極めて近隣に聞いたことのなかった「鶴田藩」
が廃藩置県まであったということです。
(←ブログ:2016・11・15 「今はまぼろし わが一族」を読む」1559)
2016年11月15日火曜日
「今はまぼろし わが一族」を読む 1559
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会うなり開口一番、半年前にあずかっていた自分史を中心とした出生地・益田の
一族周辺と石見の国益田の歴史に及ぶ。校訂に時間を要したようです。
彼とは一時、空白期があったが1987年に本のプロデュースを受けてからで30
年の友人に近い付き合いになる。
堀江謙一の太平洋単独横断航海(『太平洋ひとりぼっち』)の後、MALT'Sマーメ
イドⅡ号の航行をプロデュースし、その活動をサポートしてきた彼自身の仕事は、
躍動感溢れていた。そうしたときは、故郷の一族の歴史を文章にまとめてみよう
など、思いもよらなかったという。
会社人間を卒業したいまは、個人と歴史が深く関わり合う場を、この一族に感じ
ノンフィクションを仕上げ、さらにグローバルな体験に基づく歴史の深堀に挑戦し
てみたいようだ。
2016年11月14日月曜日
68年ぶりのスーパームーン! 1558
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| スーパームーン/富士見公園(2016・11・13 影Tab) |
満月、68年ぶりの大きさはスーパームーン!
国立天文台によると、1948年(昭和23)以来、今年最も小さく見えた満月
に比べて直径は1.14倍ほど大きくなる。
地球の周りを楕円軌道で回る月との距離は、平均約38万4400㌔うだが、
14日夜には約35万6500㌔まで近づいた。
僕が8歳だった68年前に、話題になったり天を仰いだ記憶もないが、次に
ここまで近づくのは2034年になると云うから、今日の満月が見納めになる。
それにしても、14日は雨のところが多いという天気予報を察知して、前夜、
大きな月をたのしめて幸運だった。
ハルも見ているはずだが。
2016年11月13日日曜日
木枯らしがやって来た! 1557
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| カキと落葉(2016・11・9 影:Tab) |
凩は低気圧が発達しる影響で西高東低の冬型気圧配置が強まったとき、強風が
吹き荒れる現象をいう。さらに、気象庁によると最大風速が8メートル以上の北寄りの強い風が吹いた際
に「木枯らし1号」と発表するようです。
わが家の隣の運動公園から舞い上がった土埃が玄関の三和土を覆うと、木枯ら
し来たるか、と冬の兆しを感じる。
カキの木の葉っぱが一気に散り始めます。「凩」とも書きますが、木に吹きつける
寒風のイメージがあります。
田舎の生活のなかで経験した、中国山地の山(泉山)から吹き降ろす「颪」と、瀬
戸内のピタリと無風になる夕「凪」を想いだします。
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