2017年8月31日木曜日

8月日照時間が観測史上最短、、   1849

美作・山伏谷/歌川広重画
今日も、日没まで太陽の顔を観ることなく夕立ちとともに暮れた。

東京の日照時間が、観測史上最短で記録更新したはずです。
これまでの最短は、1977年の85.8時間で、今月は84時間に終わるのか、、。
気象庁情報だと、日照時間は1890年から観測しはじめてから、過去にない雨
日続きだったことになる。

その原因は、太平洋高気圧が例年より弱く、オホーツク海高気圧の勢力が強い状
態が続いたこととみられる。そのため、冷たく湿った冷気が東日本に流れ込んだ
ほか、上旬に滞留時間の長い大型の台風5号が上陸した影響もある。

「水曜会」の暑気払い        1848

(2017・8・30影:Tab)
会社名の頭に、「前」や「元」がつく仲間たちの集まりがあった。
元学習研究社、前八重洲書房、元未来社、三省堂書店、元東大出版会、元社会
思想社らの面々です。
場所はこの頃、気軽に集まれて重宝している「御茶ノ水ビアホール」でした。

皆それぞれにセカンドステージがあって、多忙である。
暑気払いをやろうよ、の発声をもらったカンさんからは、散会後日メールをもら
った。
「皆さん元気でビックリしました。リンさんは同じ年なのに新規書店の立ち上げ
に当面無給で参画するとのこと。そのバイタリティには驚きます。皆さん気持ち
はまだまだ青春ですね」と。
そして、都市型の書店の経験はあっても、未経験の地域での書店展開のこと、、
コンサルの立場から協力の提言もあった。

2017年8月29日火曜日

映画「ニュートン・ナイト」見る   1847

「ニュートン・ナイト」(自由の旗をかかげた男)を観る。
主役はマシュー・マコノヒー 共演にググ・ンパータ₌ロー、マハーシャラ・アリ

「ハンガー・ゲーム」のゲイリー・ロス監督が、今から150年余り前のアメリカ
南北戦争当時、或る理不尽な事実に直面し、自由のために起ちあがり搾取され放題
の白人や逃亡した黒人奴隷たちと友情を築いて両者が一になって、南軍に反旗を翻
して果敢に戦った実話を基にした映画化。

1862年、南軍の衛生兵として泥沼化した地獄の戦場を駆けずり回る日々だった
ニュートン・ナイトは、金持ちの戦争を貧乏人が闘う義理がないことに、また追い
打ちをかけるように14歳の少年の夢を砕いた1発の銃弾に愕然とする。
彼は甥の遺体を家族に届けようと南部軍を脱走し故郷のミシシッピ州に戻る。

そこでも追われる身となったニュートンは、逃れて湿原に身を隠す。
この沼地を覆う緑の森林が静謐で実に美しい。
そこに隠れ住む黒人の逃亡奴隷たちと心を通わせていったニュートン・ナイトは、
反乱軍を結成し、ついに暴虐無人な騎兵隊に反撃すべく、武器を手に決起するのだ
った。

(←ブログ:2017・1・6 「『海よりもまだ深く』を観る」1612)
(←ブログ:2017・1・21 「時空を超える映画体験ってイイな!」1627)
(←ブログ:2017・1・29 「浅丘ルリ子主演の『執炎』を見る」1635)
(←ブログ:2017・3・1 「鈴木清順監督の美学」1666)
(←ブログ:2017・3・2 「『関東無宿』と『殺しの烙印」を見る」1667)
(←ブログ:2017・3・28 「『若者のすべて Rocco』観る」1692)
(←   :2017・4・22 「映画『黙秘』を観る」1718)
(←   :2017・4・28 「『湯を沸かすほどの熱い愛』を観る」1724)
(←   :2017・5・3 「『ちかくてとおい』映画観る」1729)
(←   :2017・6・18 「『誰のせいでもない』を観る」1775)
(←   :2017・7・7 「『けんかえれじい』を観る」1793)
(←   :2017・7・29 「映画『哭声/コクソン』を観る」1816)


それぞれの夏休みは、、       1846

今はABC‐MART→60年前はワシントン靴店、その先に紀伊國屋書店
(2017・8・28影:Tab)
二ヵ月ぶりに新宿歌舞伎町へ。
新宿駅東口に降り立って、その界隈をぶらつくことも年月々稀になってきた。

今日も東口の駅前で信号待ちしていて気づいたのが、「ABC‐MART」の目立
つ看板でした。さて、ほぼ60年前はこの場所に「ワシントン靴店」があって、
一足や二足はお世話になったことを想い出したりしてみた。
その先の並びには当時と変わらない場所に、厳然と紀伊國屋書店が在る。
駅周辺は高層ビルが建ち並んだが、道筋はほとんど変わらず、行き交う老若男
女の人波の賑わいもそう違和感がないのが不思議に思える。

キャップ帽のアキさん、元気に登場。
     

2017年8月27日日曜日

『沖縄と国家』を読む        1845

辺見庸と目取真俊という二人に惹かれて『沖縄と国家』を、一気読み。

この二人、いずれの組織や集団に属さないで「単独者」としてモノを書き、発言
もしてきた。本書は、「本土復帰」しても圧倒的米軍基地は存続しつづけ、幾重
にも差別される沖縄のありようを本音で解き放つ言葉、言葉、、。

作家であり表現者である沖縄今帰仁生まれの目取真は、辺野古の海でカヌーを漕
ぎ辺野古基地建設への抗議を間断なく続ける。その彼の行動にヤマトゥ辺見は、
頭脳をけずる言葉で肉薄する。
(巻末の辺見の文章に、「目取真がカヌーを漕ぎ過ぎて指紋が薄れてきたという
掌紋のあさい手の内側がふたつ闇に浮いた。~それにさわってみた。一閃の青い
彗星のような暴力を、なぜかおもいうかべた」、とある。
目取真の掌編小説「希望」が差し出す「暴力」を抽出して、辺見自身が身体化し
ようとするが、反芻することになる。

沖縄の基地問題から噴き出す、国の名の下の差別と暴力、さらに沖縄戦と天皇制
の構造、歴史まで白熱の言葉であぶりだす。

(←ブログ:2015・12・7  「『もう戦争がはじまっている』を一気読み』1216)
(←ブログ:2015・12・8  「辺見庸の臭覚」1217) 
(←ブログ:2015・12・13「『1*9*3*7』の衝撃」1222)
(←ブログ:2017・7・23  「西村佑子著『魔女学校の教科書』を読む」1810)
(←ブログ:2017・8・3 「『影裏』を読む」1821)

8月の記憶             1824

1965・8・28記
今朝は、広島原爆投下から72年が過ぎた8・6です。

今朝8時15分を前にして、TVでは広島の原風景を映し出していた。
平和な日常のなかに突然、天が裂け真っ暗闇が落ちてきた。閃光と衝撃波で水都
広島は一瞬にしてのっぺらぼうになってしまった。

きのこ雲の暗闇の下をさまよい目にした惨状を原民喜(当時39歳)は書きとめ
ています。
「スベテアツタコトカ アリエタコトナノカ パツト剥ギトツテシマツタ アト
ノセカイ」。72年前の朝。
この生々しいリアルな光景を、死しても描きとめたい、と「夏の花」などの連作
小説に結実している。
けれども、被爆体験者の高齢化と歳月は忘れてはならない記憶をも風化させる。
そんな危機感を抱えながら、新たな試みも始まっている。
被爆者の今発する記憶の聞き取りから、子どもたちが深くイメージ図化して「原
爆の絵」として描き始めたことである。永遠の伝承になると思う。

(←ブログ:2012・8・8 「67年目の<原爆投下>」)
(←ブログ:2013・8・6 「ヒロシマ・原爆投下された日yu」)
(←ブログ:2014・8・6 「8・6<広島平和記念日>におもう。」724)
(←ブログ:2015・8・6 「8月6日は暑い夏の日」1090)
(←   :2016・8・6 「誕生日ってなんだ、、、」1459)


2017年8月26日土曜日

「思い出横丁」を想う        1844

(2017・8影:tab)
新宿で地下鉄大江戸線へのりかえる途中で、ちょっと「思い出横丁」に寄った。

僕が東京へ出てきた1960年代の頭の頃の国鉄新宿駅西口は、バスターミナルで
賑わっていたが、高い建物はなく商店街も線路沿いに在るぐらいで広々と野っぱ
らが広がているかのようだった。
その外れから東口を結ぶトンネル(地下道)の左右に「思い出横丁」は誕生し、
戦後のカオス的雰囲気を、未だ変えることなく時代の空気を吸いながらレトロな
熱気が立ち込めている。

2017年8月25日金曜日

倉敷の「船中会」へ         1843

影:2017・8・25tab
きょうは、恒例になっている夏の同期会。(海賓亭~マイアミにて)

最近、私的な会合に参加する機会が度々あるようになった。
その一つが同期、同窓で、東京在住者による倉敷の中学時代の男と女友だちの集
まりは間断なく続いている。

僕をはじめ当然のこと皆が後期高齢者で、話題もほぼ同じパターンになりつつあ
る。先ずは、それぞれの近況報告になるが、夏このシーズンなので岡山の旧盆を
めぐってだった。
昔だと儀礼絡みと楽しみ半々で大概帰郷していたが、今年当たりは皆が東京自宅
在か、子どもたちと旅行を楽しんで過ごしたようだ。

この話の延長で、家族構成上の相続問題や、自分の老齢化と合わせて行くゆくは
子供掛かりになるのか、ならないのか、、結構シビアな話題で盛り上がった。
数年前には、株の話とか、「健康でありたい」話が常時でていたが、風潮が変わ
たように思う。
他に女友だちが、カード詐欺まがいの電話に対する対応をリアルに喋ってくれる。
過去と現在、見せなかった別の顔が見えたり、新しい発見があって面白い。

2017年8月24日木曜日

ナイスゲーム            1842

俺のナイスショット/鳥谷ホームラン(影:2017・8・24can)
続くときはつづくもので、またまた猛虎スペシャル席を頂戴したよ。
今シーズンは阪神タイガースの試合を球場で4戦観戦したことになる。
おとといの今日なので、タイガースダックアウト上のバックネット裏の指定席が
お迎えしてくれている感じ。

試合は、鳥谷敬が1-1の2回に右翼へ勝ち越しのソロホームランを久々に撃つ。
昨日の試合で、若虎中谷、大山の二人が連続アーチをかけた場面で、続く打席の
トリに三連発の期待が一気に膨らんだ、、。あわやホームランかと一瞬思わせた
が2塁打で終わった。
このシーンについて、鳥谷がコメントている。「力不足」を実感したと。
この悔しさを秘めたのが今日のホームランだっただろう。
ダイヤモンドを一周した後、ベンチで出迎えた笑顔のナインとハイタッチを交わ
す背番号1を、僕も目の前で歓喜して迎えたよ!
2000安打まで残り11本となった。

阪神タイガース 6対2 ヤクルトスワローズ 勝利投手:秋山

2017年8月23日水曜日

宮古~釜石間鉄道の復旧とマイレール 1841

(影:pen)
先月、3・11で全壊した「大槌駅」の再建の吉報を得て、自分が初めて降り立
った2004年の駅舎を想い感無量でした。

大震災により、JR山田線・宮古~釜石間(55.4km)は、駅舎、鉄路、橋梁の流出
など全滅の被害をうけた。むき出しのホームに立って唖然としてしまった。
それから、7年の紆余曲折があるも、被災住民の熱意で来年2018年度末には
三陸鉄道へ移管・開業をめざして復旧工事が進められている「復興通信」を受け
取った。

被災当初には、JR東日本から提案された「バス高速輸送システム」で、経費節減
と、高台路線になることで、住居と安全性が連動する未来志向ではないかと思っ
たが、この復旧案は潰れた。

復旧なっても、沿線地域の人口減少や車社会のなかで、第三セクター鉄道の経営
環境は厳しい実情のはずで、被災地域住民の足として「自分たちの鉄道」意識を
より強く持ち活用し、観光客の誘致とも率先連動させ支えることが必須になるで
しょう。

(←ブログ:2013・9・22 「大槌駅 記憶の断層2」)
(←ブログ:2017・8・2 「3・11全壊の「大槌駅」再建に向けて」1820)

2017年8月22日火曜日

残念ながらサヨナラ、、       1840

鳥谷軽快な守備(2017・8・22影:tab)
またまた、明治神宮野球場の「猛虎応援シート」に招待される。
さて、新人ながら150キロ以上のスピードボールと制球力で評価されるが、未だ
に勝ち星のない小野投手、初勝利なるか、、。

1点を追う4回に若き4番中谷外野手、大山1塁手の連続ソロホームランで逆転。
続く鳥谷も、あわやバックスクリーンに飛び込むかの2塁打。
また逆転され2点を追う5回には俊介外野手が同点2ランを放つ。
小野は右足の不調で4回に途中降板するも、打線は一発攻勢で燕投手陣に襲いか
かったが、救援投手桑原がサヨナラ打を許しジエンド。

次代の猛虎打線を背負うこと間違いなし、二人の豪快な連続アーチ競演と俊介、
梅野そしてトリの好守を目の前で観られた至福イイね。

(←ブログ:2016・7・21    「初!阪神甲子園球場へ」1442)
(←ブログ:2017・1・13    「きょうは何の日/岡田監督に会った日」1619)
(←   :2017・2・6     「鳥谷内野手の動きが軽快!」1643)
(←   :2017・3・3     「鳥谷選手実戦3番遊撃初出場」1668)
(←   :2017・3・14「上本内野手が凄い」1679)
(←   :2017・3・31「今シーズンの鳥谷は復活を予感」1696)
(←   :2017・4・9  「上本選手の内なる闘争心イイな!」1705)
(←   :2017・4・18「鳥谷敬内野手1767試合連続出場」1714)
(←   :2017・4・30「鳥谷の心技をウエポンが引き継ぐ」1726
(←   :2017・5・6  「梅ちゃん神がかってるよ~」1732)
(←   :2017・5・21「観戦記・棚ぼたの逆転勝ち!」1747)
(←   :2017・5・26「トリ!不屈のバットマン」1752)
(←ブログ:2015・5・14「2年ぶり神宮球場に!」1007)
(←   :2017・8・20「右へ左へ、トリの打球が飛ぶ」1838) 

2017年8月21日月曜日

禅寺「延命寺」へ          1839

きょうは、日の出の未来屋書店で一時を過ごし、青梅市へ山越えして行った。
急に思い立って、昨年亡くなった清水純孝さんの墓参をしてきた。

先日、岡本さんとの席で、東京創元社時代の清水さんと昵懇ながら逝去を知った
のが最近のことで驚いていた。
その際、お寺の名前と青梅駅からのアプローチの説明が不確かな言い回しになっ
てしまったので、再確認する再訪でした。
臨済宗の延命寺でした。

墓碑に四代目と刻まれていたが、横浜在住だったジュンコウさんから奥多摩青梅
についての話を聞いたことがなかったので、不思議に思っています。
彼が、渓流釣りを絶対趣味にしていたのは、お墓の下が多摩川の清流でそんなと
ころにも縁があるのだろうか、、。
親友だったカマさんも、石井さんも知らないところだろうと思う。

(←ブログ:2016・12・11 「追悼 ジュンコウさん」1584)




2017年8月20日日曜日

右へ、左へ、トリの打球が飛ぶ    1838


2000安打へのカウントダウンが一気に加速する。
4回に鳥谷の適時右中間2塁打がナゴヤドームの芝生で勢いよく弾んだ。


通算2000安打まで残り17で到達。新人の一年目から積み上げてきた歴史的偉業
へまた一歩近づいたよ。この日3本で[1983]。猛虎復活のため鳥谷はいく。
8月に入り58打数23安打、打率も▪397に。ホームランこそ少ないがコンパクト
に振る意識が冴えている。昨季の遊撃から三塁に定位置譲りなど、打撃不振に
陥った苦境は払拭され、プロ14年目今シーズンのベテランは、輝きを取り戻し
て活躍中。

阪神タイガース 8 対 1 中日ドラゴンズ

岡本Nさん(元紀伊國屋書店)と玉河で1837

2019・8・19影:Tab
87歳になる岡本さんが、わざわざ立川まで出て来てくれる。
住まいが近い白井さんの発案によって実現。
僕より10歳も年上なのに、言葉に張りがあり風貌も若い。

岡本さんとの初対面は、1960年代後半で紀伊國屋新宿店の地下にあった仕入
部の部屋で商談と云うよりは、木下順二の「夕鶴」など演劇について話が弾んだ
のを覚えている。
その後、岡山店の店長や渋谷店店長と要職に着いてからも、教えてもらうことも
多かったが、年に数回催された彼を「囲む会」が懐かしい。
社を興したころは岡本さんが参事役で、毛利四郎副店長と同席する機会があり、
紀伊國屋書店の各店舗の情報からキーマンを教えてもらい大変有難かった。

「玉河」では、懐かしい話で盛り上がった。
当時、紀伊國屋書店の平根mさんら女性スタッフを「囲む会」が、数社の版元と
継続してあった。そのメンバーの一人新井tさんが退社して大阪の方へ行くと云う
ので、岡本さん出席に加えて平根、瑞慶村、中芝三女性陣が音頭を取って送別会
と相成った。今でも岡本さんは、彼女たちとの交流がありそれなりの消息を披歴
してもらった。

2017年8月18日金曜日

ざわつく気持ち           1836

ニューヨーク/日本降伏を、、
15日の敗戦の日をして、鎮魂の気持ちにうたれていたが、最近になく今は何か
心がざわめく。

トランプ米大統領と北朝鮮の警告と挑発の言葉の応酬が激しさを増し、それに加
えて日本の防衛・攻撃システム化の無制限な拡大が、現実に進行している事に対
する無力感のせいだろうか。
僕は岡山に田舎があり、兄弟や縁者たちの多くが倉敷に住んでいる。

政府はきょう18日、北朝鮮による米領グアム周辺への弾道ミサイル発射に備え、
上空を通過する恐れがある中国、四国9県の全202市町村で全国瞬時警報シス
テム(Jアラート)の情報伝達訓練を実施した。機器が正常に作動するかどうか
確認するのが目的だが、一部地域で防災情報メールの文字表示が崩れたり、防災
行政無線から音声が流れなかったりするトラブルがあった。

こんなニュースが飛び交うと、ミサイル「危機」の狂騒曲なのか、、踊らされて
いるのか逡巡する。
空虚な文句が破局へ導いたと云う先の戦争の虚しさを、未来の子どもたちへ費や
すことこそが、人の社会の営みだと思う。


2017年8月17日木曜日

新聞連載小説を読み始める      1835

Gyoの家で、高村薫が「毎日新聞」8月1日付けから連載小説を開始したことを
知った。

高村薫の小説は、長編がテーマと人間関係の構築がリアルに描かれていて好きで
す。
1990年代に書かれた初期の『黄金を抱いて翔べ』、『神の火』、『わが手に
拳銃を』、『マークスの山』に続いて、1994年の書下ろし『照柿』が最高に
魅力的な作品です。

さて久々で、日々新聞連載され長丁場にわたる小説手法ではどんな展開になるの
だろうか、期待される。
『照柿』の序章が、暑い夏「沿線の工場街の空に浮かんだうろこ雲が濃い臙脂色
シミのようだった。その下に複線になって分かれていく鉄路が伸び、拝島駅のホ
ームの端が見えてくる。」だったように、「我らが少女A」では、西武多摩川線
沿線の風景描写に始まって「多摩駅のホームでは若い駅員が一人、目を細めてそ
の薄青の空を仰ぐ。(調布飛行場を離陸した小型機)」。
この高村薫流の独特な導入部に、殺人事件の端緒がありミステリアス度のアップ
グレードが楽しめるはず、、。

2017年8月16日水曜日

晴れオトコって本当にあるよ!    1834

空中回転飛び込み(2017・8・13影:can's)
都心は、8月1日以降きょう16日まで連読して雨。
(24時間のうち一部の降水まで)

こうした天候を「戻り梅雨」とも言う。台風5号やオホーツク海高気圧の勢力が
活発化して再び梅雨のような天気になっている。
今年の6、7月は空梅雨だったせいか、8月の長雨がヤケに目立つ感じ。

ところが、ハルがわが家に来たり、レジャーで出かけたときに、雨に全くと云う
ほど遭遇したことがない。偶然とはいえ、学校の行事で課外授業で出かけたり、
運動会などでも、朝までぐずつき模様の天気が晴れるから不思議、、。
先日、ハルと川遊びやラフティングレジャーに二日にわたって熱狂したが、前夜
の雨も翌朝には止んで、一転してすっぽりと青空が見える天気になった。

偶然なのだろうが、今までずっとずっと雨が降らない状況は続いているので、途
切れるまで面白く、「晴れ男」を信じてやろうと思っています。

(←ブログ:2017・8・13 「ラフティングに挑戦」1831)

2017年8月15日火曜日

8・15と親父           1833

サイパンの小学校校門
敗戦の日と馴染みの旧盆が重なるこの数日、多くの人たちの鎮魂の気持ちで満た
される。

教育者だった父は敗戦の日を待たずして、サイパン島から内地に強制的に帰還し
させられる。
それは、婦女子子どもに、教育者率先の先乗り帰国措置によってだった。
その後、1945年6月のサイパン島玉砕までどんな気持ちで過ごしたか、聞き
出すことなくすれ違ったママになったのを悔やむ。

戦後は、価値観崩壊の不安とただ惨めな虚脱状態から抜け出すべく、自分で炭小
屋と窯を作り、雑木林を切り拓き木炭作りに精を出していた姿が目に浮かぶ。
晴耕雨読ではないが、雨の日には手造り煙草をくゆらせながら、福田亙存、小林
秀雄の評論やら開高健、大江健三郎の小説などの読書で息抜きしていたように思
っている。

教師として復職出来ないのには理由がある。GHQから出された通達によるのか、
戦争中、植民地教育に携わっていた者は教職に就くことができなかった様です。
復職できるのは数年後です。
教育者一族で校長先生だった伯父さんの尽力で小学校の先生で復帰するにはした
が、自分自身への悔恨と国家に対するやり場のない憤怒を内在したままの無頼教
師だった。

参考:アメリカでは8月14日に日本が降伏することが報道されていた。その日
にトルーマン大統領はポツダム宣言の内容を国民に説明し、日本がそれを受け入
れたことを告げ、VJデー(対日戦勝記念日)は9月2日の降伏文書調印を見届けた上
で布告するとしていたのである。
日本の降伏調印式は1945年9月2日、東京湾上に浮かぶ米戦艦ミズーリ号で行われ
その状況はラジオの実況中継で全世界に流された。トルーマン大統領は、ラジオ
の実況中継後、全国民向けのラジオ放送で演説。その中で9月2日を正式にVJデ
ーとし、第二次世界大戦を勝利で終えたことを宣言したのである。したがって、
アメリカの第二次世界大戦の終了は1945年9月2日ということになる。

2017年8月14日月曜日

お盆の想いで            1832


今夕は、ハルと三人で葡萄をもって、あきる野の墓参りをした。

昔田舎でこの14日は、親戚同士が団子などをもって参りあっていたのを思い出
す。
そして15日は、盆棚閉じで彼岸へ帰っていく。
この送り出す行事は、家風それぞれで複雑な儀礼があったようです。
お盆の間供えた物は、麦わらの船を作りのせて、ローソクを立て吉井川に流して
いた。
旧庄屋だった母親方の家では、夜十時ごろ三々五々集まる送り人から離れて、深
夜になって特別行動する。里芋の大きな葉にお供え物をのせ川に浮かべ精霊流し
するのを不思議に思いながらながめていた。

(←ブログ:2013・8・13 「お盆の風景」)
(←ブログ:2014・8・13 「お盆の入り」 731)
              「も少しお墓参りについて」 732)
(←   :2015・8・13 「盆開き」1099)


2017年8月13日日曜日

ラフティングに初挑戦        1831

ラフティング(2017・8・13)
生涯初めて、上長瀞でラフティングを経験することになった。

距離は7キロコース。
秩父鉄道のSLが走る鉄橋の上流から激流を下るスリリングな「救命ボート筏」
下りだったが、想像以上に緊張度沸点のアドベンチャーワールドでした。



アユの塩焼き三昧          1830

ハルにGyo・Sch&yuが加わり5人で連チャンの川遊びへ。

荒川の上流は川に生息する生態系が豊富な清流で、鮎が捕れる。
泊りの夕食は、天然鮎ではなかったが、生きのいいアユ15匹を串刺し焼きで
出てきたのをはじめ鮎づくし料理を超堪能した。

2017年8月11日金曜日

「山の日」に川へ          1829

昨日はハルのセミ捕りにおともして、今日は午後から川遊びに興じた。

遊んだと云っても、70歳半ばの老人がまだ10歳になったばかりの子どもと
一緒になって、小石がゴロゴロした川にバシャバシャ入るの少しバカげている
かもしれない。
かつて暮らした場所の懐かしい川と羽村の堰の周辺が似通っていることが先祖
返りするのであろうか、、。
こうした行為に出ると云ううのは、過去を持つようになったものと現在の自分
の対比をしているようなもの。
しかし、それがわずかな年の差ではなくて60年もの昔になると、今一度確り
その頃の自分の感覚や気持ちや体力をよみがえらせて、考えてみると云うこと
、、今日のハルとの競い合いで大いに怪しくなってきた。


2017年8月10日木曜日

セミ捕り名人来る          1828

(2017・8・10影:Tab)
夏本番、朝から隣の富士見公園のセミ声が家まで響きわたってくる。
きょう、ハルはやって来るなり、さっそオイラを公園に連れ出した。

4歳ころから、よくセミをネットを手に追っ駆けまわって捕るのを楽しんでい
た。捕るまでが面白く、籠にいれてしまうととりたてて愛想があるわけでない。
アブラゼミ、ツクツクボウシ、ヒグラシと種類は地域や時期によって、捕獲の
難易度も違ってくるが、ハルは腰を引いて網を伏せる間の取り方が絶妙で感心
する。



2017年8月9日水曜日

車中での読書習慣の衰退       1827

書籍と雑誌の売上は、毎年著しくマイナス傾向にある。
そうしたなかで、児童書だけは健闘している部類に入るのが救いか。

ライトノベルやミステリーや学術書などは、電子書籍の年々の伸びの影響に取っ
て代わられている。
都心に出るときの電車や地下鉄でスマホをのぞき込んでいる老若男女が如何に多
いことか、不安を覚える。きょう昼前の井の頭線車中の光景だが、対面席に座っ
ているか窓際に立っているほとんどの人が、画面に向かって指を動かしていた。
ちょっと前までは、本や雑誌、新聞を読む人を結構見かけた。いまでは、読み捨
ての新聞、雑誌類が棚に残るのを見ること皆無に近い。
Wi‐Fiなど通信環境が整い、本を読む環境が駆逐された感ありです。

ところが、書店空間としてコーヒ常設店は当たり前になりつつあり、さらに子ど
もの読書環境作りとして、のびのびと本選びができ、その場で読む戯れスペース
をもつ書店をチラホラ見かけるようになった。

2017年8月8日火曜日

岡山の桃届く            1826

ほんのり桃色がかった色白美肌(2017・8・8影:Tab)
毎年この時期、旧お盆前に熟れた捥ぎ立ての「水蜜桃」が倉敷の弟から送られて
くる。

「白桃」のことを水蜜桃とも言うが、この桃は非常にデリケートで傷つきやすく
旬の時期がとても短く一週間。完熟で採り立ては皮がツルっとむける。中心の種
に果実がしっかりついて離れないのも特色の一つ。

一年に一度「いま食べたい」とおもうときに、以心伝心で東京に届けてくれる。
お店に出回る夏の間は、いろんな地域のいろんな種類の桃は最盛期だから、7月
8月くらいは味覚を楽しめる。ところが、果物の王様白桃の旬は本当に短いのだ。

旧盆に、あと数日でやって来るハルたちを白桃たちは待ちきれるだろうか、、。




2017年8月7日月曜日

敗戦直後のサイパンの生徒たち    1825

目も覚めるような色彩の珊瑚礁。
人影もないビーチに照りつける乾いた灼熱の太陽。
珊瑚礁のサイパン島は自然を満喫でき、無限に美しい。
僕がGyoに誘われるまま、今世紀初頭かの地に上陸したときの率直な思いです。

敗戦直後のススピイ収容所内の学校には、400人前後の子どもたちがいた。
校長は日本人僧侶だったという。
授業は早朝の体操と唱歌で始まり、午後は遊戯と鉄棒や相撲に興じ、野良仕事に
も精をだしたと、、。

親父はこの収容所の小学生たちを見て、どう思っただろうか。

(←ブログ:2017・8・5 「サイパン島の資料提供者に感謝」1823)

2017年8月5日土曜日

サイパン島の貴重な資料提供者に感謝 1823

ガラパンの戦前(上)/米軍上陸侵攻直後(下)
先日の会合で会った時に、遠藤さんから、サイパン島関係の冊子や写真に、古い
ガイドマップまで掘り出し揃えてくれた貴重な資料を受け取る。

彼とは大学時代に演劇で接点をもっているが、その後、近世における鎖国時代の
国際交流史に関心を持ち、共同研究を続けている知識人。

「太平洋の美しい島サイパンの歴史上、短い割に極めて意義深い?第二次世界大
戦という時代の姿を、今日の写真と比較しつつ描き出す、、」、の序文にはじま
るアメリカ軍少尉の『サイパン昔と今』を早速読み始める。

父が最初に赴任したのが、このガラパン市街にあったガラパン国民小学校です。

2017年8月4日金曜日

或る理事会にオブザーバー参加    1822

暑気払いの誘いかと思って応じていたら、「歴史・文学散歩」活動法人の中間総
括と、これからの事業活動の方針を話し合うまっとうな会議の場だった。
二次会は四谷三栄通の蕎麦居酒屋に繰り出し、美味しい酒をシコタマいただいた。

事業の事務的報告の後から参加する。
このために招待されたのかと察するほど、本に関するイベント事業の発案があっ
た。最近流行りにもなっているが、書評ライヴのイヴェント企画で、40人規模の
軽いノリで楽しめるもの。

当面のテーマは、これまで継続している「歴史・文学散歩」とリンクする歴史系
<新書>の発見で。
参加者の対象は、30代~50代のビジネスマン。
スペースは、地域性を考慮した小規模文化施設や書店。時間は、夜7時以降から。
ネットと連動させる話など、、尽きない話だったが、マダマダ詰めの要素が多分
にありそう。でも、皆元気だ。



2017年8月3日木曜日

沼田真佑『影裏』を読む       1821

芥川賞受賞作を発売と同時に読むのは、辺見庸の『自動起床装置』が発売された
1991年以来になる。

日頃、何々賞を受賞したからといって小説の類を勇んで購読する習慣はない。
『影裏』を読んでみようと思ったのは、著者が岩手県盛岡で作家活動を始めてい
ることと、3・11東日本大震災に向き合った小説であることに惹かれた。

デビュー受賞作は、東京から盛岡市に異動した主人公(わたし)と、同僚で酒飲
み仲間であり釣り仲間でもある男との出会いから別離の物語。
冒頭の川釣りの場面(風景)は、多摩川の支流秋川が本流に交わるブッシュや流
木がある釣り場をイメージできる。河原を覆う下草からはヤマカガシがはい出す
姿の描写があるが、巧いなと思う。
この自然のなかでウグイやアユを釣る二人の情景が生き生きと描かれる。途中で
ちょっとした感情のずれが生じたり、相手の振る舞いに謎めいたこともあって、、
そのうち東日本大震災に遭遇し、男は行方不明になる。

突然やってくる自然の不気味さと、人間相互の関係性の不確かさを通底させた不
気味さがある。

2017年8月2日水曜日

3・11全壊の「大槌駅」再建にむけて1820

3・11被災前の大槌駅とロータリー(影:Pen)
東日本大震災の津波でホームだけ残して全壊した岩手県大槌町のJR「大槌駅」は
第三セクターの三陸鉄道に移管されて2019年春に再開される見込み。

大槌駅を通る山田線宮古~釜石間だけが、未開通のまま残り心配されていた。
僕は震災から間もない時期、高台にバス路線を通す新しい交通網で、鉄道の復旧
に巨大なお金と時間を費やさずとも、高台住居衛星圏のような未来志向の構想を
夢みたが、、。

いま進行中の第三セクターによる大槌駅は、外観のデザインを住民らの「デザイ
ン総選挙」の投票で決めようと云ううわけで、駅に親しみがわき利用の安定も見
込めそうだ。
大槌湾にある蓬莱島(ひょうたん島)の倒壊後再建なった新灯台のデザインが、
やはり市民の応募によるものだった。「小さい国」もイイもんだ。

僕は3・11被災前、2004年9月に大槌駅に降り立っている。
小さな駅舎は、緑の山脈と真っ青な大槌湾に囲まれた忘れられない景観のなかに
在った。

(←ブログ:2013・9・22 「大槌駅 記憶の断層2」)

2017年8月1日火曜日

岩波 直木賞受賞作を「返条付」で出荷  1819

今日の「日経」のコラムに、岩波書店は佐藤正午著『月の満ち欠け』の直木賞受
賞をうけて、返品可で出荷と、トピックスになっていた。

岩波の書店への出荷条件は、通常、本の返品を受け付けない買切り注文制だが、
今回は特別に一定期間販売後の返品(10月以降?)を受ける処置らしい。
返品可即ち「返条付」という言葉だが、業界では知られているが一般的には解り
づらい。こうした本の買切り制をとっている出版社は、ごく少数しかない。
大手出版社のほとんどは委託販売制に依拠している。
岩波書店と言えども、本書が直木賞候補になり7月19日の受賞決定後、8万部
の増刷を決め出荷条件を変更してでも増売にシフトしたようだ。

前回の受賞作、恩田陸著『蜜蜂と遠雷』(幻冬舎)が、いま数十万部に到達し、
大、中、小の書店の店頭を席巻している状況で、『月の満ち欠け』も販売部数を
伸ばす好機と、従来の殻を破った感じで受け取った。
累計発行部数は、10万5000部