2013年7月31日水曜日
続、座談会の集まり
先の、座談会の過不足を検証する会がありました。
On君から、ついに糖尿病で黄疸がでた、と。酒を完全にやめなければいけなく
なった。これは、辛いようだ。爆弾抱えているようなもので、表向きは笑い飛ばし
ているが相当に深刻。
ゴルフは変わらず、周一は芝生に出て、日常は、トレーニングセンターで2時間
ぐらい汗を流していると云うが、気晴らしの方便ではないかと思われる。
座談会で活発に喋っていた竹さんも、胃切除の大手術の後遺症で、出歩くことも
ままならなくなってきて厳しさそう。電話にも出ない状況が続いており、心配。
さらに、座談会の出席者、関根ちゃんの著作(おんな工芸家を取材した新刊)に
ついて。増田さんの著作『在来作物を受け継ぐ人々』柳田賞受賞について、話題
になりました。増田さんは、この前の東京四会場で催した、被災地大槌町おんな
たちの交流会の仕掛け人。主催は、大槌の風NPO。
座談会への補充。
当時、女は居酒屋も焼鳥屋に行かれなかった。行きづらかった。
海音寺潮五郎の息子で、サンケイスポーツ記者が「そのに」によくきていた。
座談語りの背景をフォローする文章が入ると、いいね。
結核談義~アキさんの喀血は浪人中で、人生30年と決めて実生活に復帰した。
アキさんの締めくくり、つぶやき原稿に期待する。
2013年7月30日火曜日
町のシンボル ひょっこりひょうたん島取得!
![]() |
| 今は、島への防波堤も大槌駅舎も流出跡形無し |
所有権を巡って注目されていた、ひょっこりひょうたん島こと蓬莱島が、大槌町の
所有に名実ともになるようだ。蓬莱島が第三者に渡り、観光ビジネスに利用され
たり、売買価格高騰などのトラブルだって生じかねなかったわけで、吉報です。
先日、ドタサンがぼくのブログを見て、所有者だった大槌町漁協が震災の打撃で
経営破綻して、島が破産管財人の手に渡っている事情を知って驚き、第三者に
売却される危機だってあることを憂いでいました。
周囲200メートルほどの島の先端にある赤い灯台は、3・11大津波で倒壊したが、
再興なって点燈されました。
島への防波堤復旧工事が進められており、完成すれば震災前のように歩いて渡
ることができます。
2013年7月28日日曜日
『新宿でん八物語』編集途上で
(7月16日経過報告から続く)
さて、この冊子のための編集過程でよみがえってきたことがあります。本書が、
新宿の一軒の居酒屋の記念誌にとどまらず、1960年、70年代の新宿文化、
酒場風俗の一端を浮かび上がらせることができたことです。
執筆いただいた一人ひとりの、思い出、テーマ、切り口は異なりますが、風貌容
姿が昨日のことのように目に浮かびます。
これほどまでに、「でん八」とマツオ兄弟を肴に熱気ムンムンの語らいができた
ことは望外でした。
「でん八」ご贔屓のなかで言付けていただければ、編集子一同、うれしいのひと
ことです。
ことは望外でした。
出会い*でん八梁山泊*酒癖*酒縁茫々*思い出*わが青春*走馬燈*
新宿遊侠伝*風景*最初に行った日のこと*三越裏のころ、、、。
なお、胸中に稿をあたためてあられる方も多いでしょうが、それは、これからの「でん八」ご贔屓のなかで言付けていただければ、編集子一同、うれしいのひと
ことです。
さらに、当時の雰囲気を伝えるために千代田さんにイラストを添えてもらいます。
最後に、「新宿・でん八物語──50周年記念」刊行に協力下さるすべての人々
に深謝いたします。(未だ、制作進行は半分程度で)
に深謝いたします。(未だ、制作進行は半分程度で)
2013年7月27日土曜日
増田昭子さん『在来作物を受け継ぐ人々』 祝!柳田賞受賞
| 大槌町被災者と支援交流会(2月東京会場) |
3・11の被災地でもある久慈で民俗調査中の増田さんから、柳田賞受賞の喜ばし
い知らせをもらった。
第48回の受賞となる。半世紀の歴史を有する由緒ある賞で、多年にわたり民俗学
研究に寄与した実績が讃えられたこと、本当によかった。
本書の刊行に合わせて4月に、三省堂書店で平台と面陳列に、創作ポップ付きの
展開で販売促進してもらった。その時のサポータ、森さんから祝辞をわざわざ電話
でもらった。
これまでに刊行された増田さんの著作は、『粟と稗の食文化』、『雑穀の社会史』、
『雑穀を旅する』等。
昨年7月には、八重山諸島の石垣島から黒島のフィールドワークに同行させてもら
いました。
また、被災地の大槌町に、昨年一緒して安渡集落の「命の釜」の聞書きをしていま
す。その時、「森の図書館」も訪ねました。「大槌の風NPO」の強力な支援者です。
さて、今回の久慈滞在は、「おんなめし、おとこめし」の追加調査とのことですが、
伝え聞くに、粟のごはんは女性の食べ物とされていたことから、女飯と呼ばれてい
たとか。
粟の粒は、小さな花が粒のように集まって咲いている女郎花・おみなえしに似てい
る。そして、男飯はどうでしょう。こちらは、白い花、すなわち白米をあらわすとか。
2013年7月26日金曜日
仮想ダイビング!
オーストラリアのケアンズでも、ハワイでも、繁華街の角地に巨大水族館を見か
けるようになった。
久々のダイビングに感激!泳ぎは自信をもっているものの、加齢と、3・11以降
潜れなかったので、パニックが怖かった。
60歳から始めたダイビングではあるが、潜り始めの最初の頃、同伴させてもらう
インストラクターからは、ログブックを記すと、「これからも、ダイビングをつづけて
世界の海を潜ってください。」と励まされた。それから、十数年が経っている。
オオウツボ、サメ、クマノミ、ハナミノサンゴ、チンアナゴ、スズメダイ、カサゴ!
ところが、大津波の被災以降からこれまで、ダイビング機材は仕舞い込んでいま
した。
プロのダイバー仲間が、海中捜索を決死で持続して活動するニュースを見るに
つけ、頭が下がる思いです。潜り続けること自体が、被災者の支えになっている。
そして、行方不明者は必ず海のどこかに眠っているのだから。
2013年7月25日木曜日
KanさんDotaさんとスカイプで
ここ、しばらく直接会えなかったKanさんとSkypeで話す。(40分)
短髪の映像を見るなり、「その頭、どうしたの?」、との問いかけだった。
ぼくは、散髪の刈り込みスタイルを、10代後半からづっと変えたことがない。散髪し
たばかりの超短い頭髪を見たKanさんには、一瞬、病気頭に見えたのかもしれな
い。(笑い)
7月に入って、東京ブックフェアーの韓国出展張り付きから、今週までずっと、国際
的コンサルで忙しかった様子。なかなか外国との商習慣が違うので、苦労事も多々
生じているようです。
その間にも急遽、僕の友人の会社の「電子出版の現況をめぐるアンケート」(電子
出版で可能な自費出版)へもレクチャーしてもらった。
出版物の電子からアナログ回帰の兆候の現実味を帯びたニュースを、添付情報で
もらったりした。
事案を四件ほど抱えたハードな活動をうかがえるが、いずれも規模の大きい事業
なので、絞り込んで間尺に合わないことは捨てていって欲しいと思う。
Dotaさんとは、前回、椎間板脊髄狭窄症で、えらい事になっている苦悩を切々と訴
えられてから二ヶ月ぶりにSkypeで病状談義。(45分)
ぼくの6月中旬に発症した「坐骨神経痛」のこの間の経緯を喋る。
Dotaさんの考えからすると、整形外科的には、痛みの原因は85%わからない。
神経的なものか、脳からの発信か解明できてない。
このところの彼自身は、騙しだましと云うか鈍痛を抱えながら共存している状況が
続いているらしい。この先、酷くなれば、整形の名医に手術してもらう以外ないと思
っている、と。
今は、水泳の基本を教わってゆったりと水中トレをやっている。
ぼくの場合は、アキレス腱を痛めたから良かったかもしれない。ジョギングを続けて
いて、真性椎間板脊髄狭窄症になってからでは、取り返しがつかなくなってしまって
いたかもしれないと思うようになった。
短髪の映像を見るなり、「その頭、どうしたの?」、との問いかけだった。
ぼくは、散髪の刈り込みスタイルを、10代後半からづっと変えたことがない。散髪し
たばかりの超短い頭髪を見たKanさんには、一瞬、病気頭に見えたのかもしれな
い。(笑い)
7月に入って、東京ブックフェアーの韓国出展張り付きから、今週までずっと、国際
的コンサルで忙しかった様子。なかなか外国との商習慣が違うので、苦労事も多々
生じているようです。
その間にも急遽、僕の友人の会社の「電子出版の現況をめぐるアンケート」(電子
出版で可能な自費出版)へもレクチャーしてもらった。
出版物の電子からアナログ回帰の兆候の現実味を帯びたニュースを、添付情報で
もらったりした。
事案を四件ほど抱えたハードな活動をうかがえるが、いずれも規模の大きい事業
なので、絞り込んで間尺に合わないことは捨てていって欲しいと思う。
Dotaさんとは、前回、椎間板脊髄狭窄症で、えらい事になっている苦悩を切々と訴
えられてから二ヶ月ぶりにSkypeで病状談義。(45分)
ぼくの6月中旬に発症した「坐骨神経痛」のこの間の経緯を喋る。
Dotaさんの考えからすると、整形外科的には、痛みの原因は85%わからない。
神経的なものか、脳からの発信か解明できてない。
このところの彼自身は、騙しだましと云うか鈍痛を抱えながら共存している状況が
続いているらしい。この先、酷くなれば、整形の名医に手術してもらう以外ないと思
っている、と。
今は、水泳の基本を教わってゆったりと水中トレをやっている。
ぼくの場合は、アキレス腱を痛めたから良かったかもしれない。ジョギングを続けて
いて、真性椎間板脊髄狭窄症になってからでは、取り返しがつかなくなってしまって
いたかもしれないと思うようになった。
2013年7月23日火曜日
あの日・あの時 オールスター試合になると想いだす!
江夏豊選手の9連続三振奪取のこと。
今日のプロ野球オルスターはややもすると単調でショー的イベントの趣が強くなっ
てきているように思う。
1971年7月17日のプロ野球オールスター第一戦に先発したタイガースの江夏
豊投手が投球制限の3回を投げ全打者9人から9連続三振の快挙!
さらにエピソードがある。最後の9番目の打者加藤秀司が田淵幸一捕手の後方
にファウルを打ち上げると、「追うな!」とさけび、その後三振に仕留めた!
ぼくは、この試合を新宿三光町交差点近くのパチンコ屋に飛び込み、ラジオ中継
で聴いていた。その時のインパクトが強烈で、タイガースの試合のなかでも、江夏
登板の試合は極力、観るようになりました。
もう一つ、左腕からの速球を武器に入団2年目の68年に記録した401奪三振の
シーズン最多世界記録は記憶に残り続ける!
フアンがこうじて、「江夏豊の本」(2005年刊)を作った。
引退後に江夏氏が、阪神タイガースの試合をめぐり戦評するなかで、「野球道」を
語った、エッセイを出版するにいたる。
ぼくのなかのプロ野球ナンバーワン投手は江夏豊!!
阪神タイガースのニューヒーロー、藤浪晋太郎投手よ、続け!
2013年7月21日日曜日
ミョウガ が出てきた!
| 庭先のミョウガ(2013・7・21影) |
文京区の茗荷谷は、かつてミョウガの産地だったんだ!
暑い夏が盛りになると、小豆島そうめんをザルにのせ刻んだミョウガをふって食
べると美味しい!ミョウガの独特な香りと辛みとシャキシャキ感が、真夏の暑さ
で鈍る食欲を刺激してくれる。
我が家の庭には香りものの柚子の木、山椒の木と茗荷が植わっています。
これらが、幼少の頃に過ごした津山市奥の田舎の風景と食生活を思い出させ
てくれます。
今では、夏だけのモノではなくなって四季感が失せてしまったが、薬味や、刺身
のツマや、胡瓜・茄子の塩もみや、鰹節ふりかけで、何時でもいただけるように
なった。 が、なんたって、自然に育った地の旬モノが、夏の香味やさいとして勝
るものはない。
昨年、八重山諸島石垣の平野地区を訪ねた時に、親しくさせていただいている
「浜ゆう」の奥さんから、カンゾウの酢漬けを土産でもらったが、これも、ヤブカン
ゾウという野菜の一種(ショウガ科)ではなかろうかと思っている。
2013年7月20日土曜日
高橋たか子さんの死に接して
| 『捨子物語』『文学の責任』書影 |
高橋たか子さんが心不全で亡くなったのを、一昨日知りました。81歳。
高橋たか子さんとは、一度だけ吉祥寺の埴谷雄高邸の応接間でお会いしたことがあり
ます。寡黙だった高橋和巳氏の、京大学生時代の文学者としての強靭な持続力を聞
かされました。
たか子さんは、1971年高橋和巳氏の病死後に本格的な作家活動に入った。
初期の『彼方の水音』( 講談社・1971年刊)と三原山での女子大学生の投身自殺を描
いた『誘惑者』などを読んでいるが、近年の著作には関心が薄れていました。
と云うよりも、ぼくが1960年代の高橋和巳の熱心な読み手だったことから、高橋たか子
作品も読む関係だったと思う。
高橋和巳の作品は、処女出版『捨子物語』(足立書房刊)から始まり、『悲の器』、『憂
鬱なる党派』、『散華』、『邪宗門』、『わが心は石にあらず』、『日本の悪霊』を当時とし
ては真剣に読んだ。エッセイ集では、『孤立無援の思想』、『文学の責任』が今もって、
本棚に鎮座しています。
2013年7月19日金曜日
寒仕込み味噌の天地返し
| 天地返しした新味噌(2013・7・15影) |
土方山荘で寒仕込した味噌の天地返しをしました。仕込みに一緒したシライ君は
とっくに終えているらしく、慌てた。入梅時にするよう指導されていたのに失念して
いた。
仕込んでから少し放ったらかしておき過ぎたことで、味噌の外側から熟成の汁が
甕の外に少し垂れだしていた。Yuが表面のカビを丁寧にすくい出してくれた。
雑菌を入れないようビニール手袋をしたうえで、全体を均一に熟成させるために、
天地返しを行なった。田舎で聞いていた話では、「味噌の白カビは毒にならないか
ら表面にカビが生えても気にしないで混ぜる」とのことだったが、Yuの手前、さすが
にカビを混ぜ込む勇気はなかった。
土方ご夫妻にお世話になって、三年目の完全な手造り味噌の誕生です。年々仕上
がりが良くなってきています。ほぼ、半年以上にわたって、この味噌による食生活
になるわけで、秋口の開封が待ち遠しい。
2013年7月18日木曜日
オオサダさんから
「でん八50周年」の座談会抄を読んだオオサダさんから、寄稿があった。(以下)
さっそくですが、私の知っている範囲のこと、記させていただきます。これは、私の
「でん八」での体験というか、巡り会ったことを、記憶のあるままに書いたものです。
そのなかで、二、三私なりの思い出というか、この辺はまず正確だろうという、個人
的な「でん八」体験を最初に述べておきます。
1: 私を「でん八」に連れてってくれたのは、竹村さん(竹さん)です。バイト先の責任
者だった人で、それからずいぶん長い付き合いをしていただきました。二番目の妻
と結婚前「その三」に行って、竹さんに会うことがありました。ふっと姿を消すので、
どうしたのかなと思っていると、三の角にあるアイスクリームクリーム店で、アイスを
買って来てくれて、「食べなさい」なんて。そんな優しさのある人でした。
その頃の「でん八」は、銚子3本に、鯵の叩きで400円弱。学生でも゛新宿゛で飲める
のが嬉しかった。当時の高級日本酒剣菱は100円でした。当時はまず、コップに
冷酒でもらって、あとから氷を入れてもらうという、非常にセコイ飲み方をしていまし
た。そのうち、始発電車で帰るのが、当たり前みたいになっていきましたが…。
2 :おおさだ(大長田)、ちゅうさだ(中長田)、こさだ(小長田)のこと。
゛さんさだ゛が揃ったのは、「そのに」ができてからだと思います。もっとも三人の長田
は、あまり面識もなく、顔を見て挨拶する程度の関係でした。ただ、マスターのアキ
ちゃんが、伝票の名前に大長とか中長とか書いていたのですが、大長がある夜、伝
票を見たらデブ長と書いてありました。こういう遊びを平気でやったり、やられたりし
てました。
新宿駅が明るくなるころ、道路に出してある料理屋の大きなポリバケツを、フタミ、
中長、大長なんかが、道路の真ん中に並べて、それをタクシーが、はね飛ばすのを
見て、喜んでた、なんて悪戯を何度もやった覚えがあります。
(さらに、座談会の行間に数項目の追記も寄せてもらった。編集の際勘案。感謝。)
2013年7月17日水曜日
地下鉄連絡通路で迷い込む!
今日乗った路線を列記してみる。
青梅線~中央線~四谷駅乗り換え南北線~都営三田線~都営新宿線~井の頭線~
そして、中央線で帰宅。このなかで後楽園駅の地上から地下に潜って別ラインの連絡
通路を歩くと、長いこと長いことヘキヘキした。長い東京生活ながらいまだに、地下鉄、
地下街が苦手で不安になってしかたない。うっかり潜ると、東西南北、左右、上下が判
らなくなって、時間の浪費を悔やむことしきりである。迷い込むと一駅間の距離になる
ような地下連絡迷路ができ続けている。確かに乗り換えはできるが、とんでもないとこ
ろに誘導されることがある。地上からは見えない都心の蟻の目状に張り巡らされる地
下風景を想像するだけで怖い。
こうした経験をしてでたどり着いたのがお昼の例会。
ぼくが病状と経過報告をしたものだから、皆さん、椎間板ヘルニアから足のしびれに悩
まされているとか、あるいは前立腺検査をしたばかりとか…。
2013年7月16日火曜日
「でん八」50年小史、経過
![]() |
いよ作ることがまとまり、編集打合せの座談会が進行している。
十年ほど前からこの居酒屋で長年飲んでいる面々から、アニキ、アキちゃんと呼
ばれ親しまれてきた松尾兄弟と「でん八」のために、「でん八 40周年記念」誌を
作る発案が出ていました。
そうしたなか、東関東大震災の被災地大槌町に、松尾豊太さんと御一緒して泥か
きなどをする機会がありました。この時、ちょうどお互い、仕事の一線から退き時
間的に余裕がある時期でした。この時の道中に、「冊子」をめぐってゆっく語り合
うことができました。
帰ってきて最初に相談をしたのが、「松尾昭二郎略年史」を著している長田直樹
さんで、早速、編集会議代わりの座談会の運びになりました。
言うまでもなく、酒場は、人と人との巡り会いの場所でもあります。これまでの座
談会の語らいが、そのことを如実に物語っています。
「でん八」のでん八たる由縁は、座談会の初頭に記した、「店を仕切るのは松尾
昭二郎、豊太兄弟で、カウンターに居並ぶ客は男っぽくて、文士たちが集まる処
の女将居酒屋と違って、一風変わった雰囲気が常に漂っていた。」と。
─→続く
2013年7月14日日曜日
ナンバーワンは何?
映画を巡って話すと、今まで観た映画で、ナンバーワンは何?と投げかけられる
ことが多い。
これに応えるのは大変難しい。洋画、邦画、そしてジャンルを問わず多義にわた
って、今ではDVDでも観ている。それぞれの映画には、歳の推移にかかわって、
受ける感動や良さが変化する。
「純愛物語」、「ローマの休日」、「トロイのヘレン」、「現金(ゲンナマ)に手を出す
な!」、「灰とダイヤモンド」、「アルジェの戦い」、「秋津温泉、」、「仁義なき戦い」。
とにかく、作品名を出したら際限がない。どれも、ぼくの内なるベストだ。
10代の時期は、純愛映画に涙した。監督・今井正、俳優が江原真二郎と中原
ひとみの「純愛物語」はそんな作品の一つ。原爆による被爆と云う社会的テーマ
を扱いながら、溌剌とした中原ひとみに存在感を感じた。
「トロイのヘレン」は、彗星のよううにデビューした女優ロッサナ・ポデスタがギリ
シャ彫刻のように美しく魅了させられた。
「秋津温泉」(吉田喜重監督)のシーンで、校庭(わが旧久田小学校)で村民が、
詔勅の放送を聞き入る場面がある。闇米を背負って通りかかった主人公の岡田
まり子が嗚咽するが、その当時のそれぞれの思いが重なる。
「仁義なき戦い」のシリーズは、何度も繰り返し観る傑作だ。フィクションでありな
がらドキュメンタリー手法の映像に凄い迫力とアリテイーを感じる。
そして、出演している俳優たちの存在感が際立っている。若き日の菅原文太、
松方弘樹、梅宮辰夫、成田三樹夫、田中邦衛たち面々の目力に圧倒される。
最近では、若い世代の監督作品になってくるが、園子温監督のものは逃さず観
ている。
そして今日、木下恵介脚色し自ら監督した「野菊の如き君なりき」をDVDで観た。
この歳でちょっと恥ずかしいか。
主演女優の有田紀子はこの映画一本のみの出演で話題になった。その後、大学
で同専修だったことを思い出す。
2013年7月13日土曜日
漁楽洞
漁楽洞は、出版社洋泉社の近くにある。
震災被災地・大槌町の復興を応援している割烹小料理屋さんです。
3・11大津波で亡くなった町長に代わって、復興に向けて尽力している碇川豊町長
の本が置いてある。
この情報をSmさんが1ヶ月ばかり前に知らせてくれた。昨日はタイミングがずれて
一緒することができず、なお支援の経緯を店主に聞きたかったが不在で次の機会
になってしまった。
ぼくは勤務時代、魚楽洞のお昼の海鮮定食が人気で 数回行ったことがあります。
刺身も焼き魚も天麩羅のいずれも、包丁捌きが見事で美味しかった印象が強い。
お酒を飲みながら復興について語ろう~。東日本大震災の被災者らが、日替わり
マスターを務める東京銀座の「復興バー」が盛況とも聞く。被災地の仮設で再興し
ている水産加工業者たちの生きる証となっているのか、つながりに期待したい。
2013年7月12日金曜日
久々に会社(洋泉社)を訪ねる
| 2013・7・12影 |
タカノが冷たい麦茶で歓待してくれる。変わらない社内の雰囲気が心地いい!
社長と大阪屋の楽天参入の現況について意見交換。なかなかよく分析している。
お互い両者が、異業種の流通網に期待しあっての接近なのではないか。
出版取次業界の改革に比べて、圧倒的スピードで変化し続けるIT業界との組み合わ
せだけに、図面は素晴らしいが、具体的戦略になると両者のバランスが崩れないか
危惧するところ。
次に僕自身、現役の時に苦労したムック本の市場、とりわけコンビニの仕入れ交渉
の具合について。
コンビニの書籍売り場の縮小がめだつ。セブンがターゲットをしぼった商品仕入れで
健全化にむかっている。営業担当も仕入の交渉で凄く苦労している様子はない、と。
無理して突っ込まないからかも知れないが。
これは、MOOK担当の編集者が著者をつかみ、着実にプロデユース力をレヴェルア
ップして、不特定読者を取り込む商品作りができているからであろう。
人事は営業部で一人採用し、7月から動かしている。活躍を期待しよう。
の町おこし共同ビルでの開放広場イヴェントでトリを勤めて大盛況だったとか!
編集のフジワラとは、宮古島に行ったみやげ話。残念ながら、民俗学の宝庫・池間島
の話は出なかったが、、、。
仕事で行っていたようだが、一日遅れれば台風で帰ってこられなかったところを運よく
脱出できたと。この時期の台風で昨年、ぼくも石垣島に数日閉じ込められ困惑した経
験がある。
今、気がついたが、「マンゴー」を「マンボウを食べた」と聞き間違えていた。相手のカ
ツゼツが悪いのか、いや、多分、ぼくの弱聴がすすんでいるのであろう。お笑いだ!
イノウエとは、電子書籍について。新聞に替わって、ニュース、経済情報などのビジネ
スマン向けのものは電子書籍化に向かってスピードアップするが、一般の活字書籍は
あれか、これかにならないのではないかと。
2013年7月10日水曜日
一歩進みだした!大槌町の嵩上げ復興計画
![]() |
| 中央運動場:(被災前大槌病院) |
NHKのアーカイブスの「大槌町 よみがえれ!ふるさとの記憶」を見た。
ジャズピアニストの小曽根真と大槌出身の歌手臼井みさきちゃんを交えた被災地
町民が交流するリアル映像だった。
さすが、大槌町にはジャズ狂が集まる喫茶店があった町で、新宿に安渡出身・丸
さんのスナック「ほうでなす」しかりか。(大槌の風、応援のセッチャンから)
復興の願いが込められた!ひょこりひょうたん島の愛称でしたしまれている蓬莱島
の話と、流されてしまった井上ひさしの「ひょっこりひょうたん島」の音源を復活する
ことで被災地をはげまし続ける小曾根さんの映像レポートだった。
次に、大学生ボランティアが被災前の大槌町中心街を立体模型で復元する製作過
程に被災してちりちりになっている家族が参加して、自分の家を再現する姿は痛々
しいが、被災前の街並み、折々の儀礼、家族団らんを記憶に蘇らせることで癒され
るとともに、未来へ一歩踏み出す勇気を奮い立たせているように感じました。
今、この模型に替わって嵩上げ町復興計画が一歩踏み出しているようです。
他の三陸被災地で、同じ嵩上げ計画が行政主導で強行しようとしているのか、町民
の反発にとどまらず、町民同士で何派にも分かれた諍いになり泥沼化の様相にな
っているところがあります。
何としても、復興がやや遅れようとも、被災者、町民の充分な納得できる環境で夢の
未来都市を作ってほしいと念願してやまない。
面影橋めぐり
| 背景が早稲田車庫 |
以前、都電早稲田車庫について懐かしい話をしたが、面影橋停留所の近辺を走る
荒川車庫行都電のセピア色写真が出てきたので再登場です。
先日、偶然にもyhが学生時代の下宿先が面影橋で、都電発着の車輪音を聞いて
過ごしていたことを聞かされた。
続けて、機会あって学習院下から面影橋に線路沿いに探索したルポが届いた。
「都電の件はともかく(__)ごめんなさい。私がいい加減でした。藤森さんの言う通り
でした。ただ、昔の面影橋の停留所がずいぶん違っているのではないかと思って
います。そのうち確認しに行ってみようと思います。気になりますのでね。」
「今日は岩淵先生の追悼会に参加するので学習院へ行ってきました。帰りは都電
の学習院下から面影橋まで行きました。確認しました。私たちのアパートは神田川
と都電の間に建っていたいたのです。アパートのあった通りがそっくり取り壊されて
大きな道路になったのです。神田川と都電の線路はそのままで、つまり都電の線路
は二本の道路に挟まれて走っていたのです。納得して帰ってきました。」
メールを引用させて頂きました。
実は、ぼくも面影橋の近辺、日本女子大から急坂を下った高田南町に一時期住ん
でいたことがあった。神田川を渡れば面影橋でした。45年も昔々の回想です。
神田川沿いの民家と民家の間を走っていた都電の通りは、今では、早稲田裏門を
出た都バス車庫から明治通りまで広い一直線に伸びた道路と高層ビルの風景に変
わってしまっている。
2013年7月9日火曜日
腎臓機能について曖昧で、いわんやノウホウなんて!
大腸外科のキクチ先生の断層写真、血液検査の詳細な分析結果から、手術の必要
はなくなった。紹介状を出してくれたモモセ内科医へ、診断報告書を携えて差し戻し面
談に行ってきました。
報告書の解読写真を再度、内科医の見地から分析してくれた。
腎臓ノウ胞の気があるが…、本来水が入っている左側のジンノウホウが白く丸く写っ
ている(普通黒色)が、出血の可能性あり。その場合は痛みを生じる。普通の映像でな
いように見える。ノウホウが破れた場合はかなり痛む。ノウホウ内に出血を繰り返すよ
うなら泌尿器科で最終検査がベター。と云うことで再度、東京医科歯科大学病院泌尿
器科の先生宛に紹介状を認めてもらう。
超音波で、ノウ胞に血流がないか、出血を繰り返していないか、などを検査することで
ほぼ充分な診察になるでしょう、と。
しかし、悪性なモノが発見されず良い結果が出ても、脇腹斜後の治まらない痛みは未
解決のままなのは何としたものか!
2013年7月6日土曜日
出口米次郎君の墓参へ
| 2013・7・5影 |
生前、「葬儀などはいいから、ぶらりお墓を訪ねくれ」と言付けられていたが、一
周忌の墓参でやっと果たせた気持です。
彼との最後は昨年、日蝕の日の佐倉の病院で、3・11被災地大槌町を訪ねた時
の写真を見ながら、長びくであろう復興を語り合ったことを思い出します。
墓参に同道したのはyh女史で、自身が企画した「ドイツメルヘン魔女街道」行に
出口君を数年前に誘導したことがある。
彼が眠っている場所は、千葉九十九里浜から山間部に入った盆地に位置してい
た。墓銘碑に「われ山にむかいて目をあぐ…」と刻まれていた。高校時代に過ごし
た山に囲まれ山形が大好きだったであろうことに思いを馳せた。
生前には聞いた記憶がないのだが、彼が熱烈な阪神タイガースファンであったこ
とを知って、献花がわりに1985年の優勝カップをそなえて、一拍し、しばし佇む。
つい先日、お互い被災地に思いをめぐらしていたかのようで、今日はもの言わぬ
人を訪ねる身、この彼岸と此岸の悲哀がいたたまれない。
2013年7月4日木曜日
国際ブックフェアーと電子書籍
| 国際ブックフェアー(2013・7・3/Ok影) |
朝一番、Okさんから今日から始まった<国際ブックフェアー>のオープニングを知
らせるメールが届いた。
電子書籍の勢いは、「日経」トップ記事になったり、毎日の関連記事にことかかない
状況にみられる。スマホなどの普及で、老若男女、メカ不得意としてきた人にいたる
まで、容易に参加可能ななせる業なのか、予想を超えて進化いちじるしい。
OKさんは、電子出版についてのリサーチと情報集積に、いち早く取組んできている。
先日、友人から「電子出版で可能な自費出版(SP)」に関するレクチャーの要請を受
けたが、興味と関心レヴェルの話にとどまった。
さらに、より具体的かつ、数字を示しながら、韓国情報などグローバルな視点からの
応答を依頼したところ、快く承諾していただいた。
ちなみに彼は、[大槌の風]の情宣を担ってくれています。
夕方、彼から再度連絡があった。
ちょうど今、PDFファイルが有れば百ページくらいのものなら、その日に仕上がるる、
と云う会社と話が終わった所です。
2013年7月3日水曜日
病は気からと言うが、、、
![]() |
| (2013・7・2影) |
御茶ノ水の病院へ行く。
これまで、内診からCT断層写真(2回)、血液検査をしてきたが、その総合診断
の結論を、キクチ外科医が丁寧に話してくれる。
経過は、アキレス腱炎症にはじまって、坐骨神経痛発症ときて、さらに、腹部に
突起物を発見して、急遽、消化器内科で応急検診したところ、大腸ヘルニアの
疑いから、大学病院の外科(大腸)を紹介され、現在、通院中。
数枚のCTスキャンを翳して、結論は大腸ヘルニア脱腸に至っていない。すなわ
ち、腹腔内の臓器が抵抗の弱い筋肉の割れ目から出ていない。腹の表面皮膚
から次の皮下脂肪、そして筋肉、腹膜の内側に腸管が重層にある。腹膜に包ま
れて脱出したのがヘルニア内容なのだが、僕の場合、右筋肉の帯が厚く左筋肉
の層が薄いことで臓器全体が偏って膨らみが出ている現象らしい。
先生曰く、「ヘルニア脱腸なら腹膜から筋肉層の外側に飛び出します。今の状態
では様子見でいいのではないか。痛みは後ろで、膨らみは前だからねー、因果
関係はないだろう。」と。
腹部裏の周期的激痛については未だ解決していない。
整形への差し戻しで長丁場になりそう。
2013年7月2日火曜日
親友
初対面からほぼ50年たっているが、いつの頃から親友と思えるようになったか
は定かでない。
仕事つきあいから始まった当初は、お互いけん制しあう間柄だったが、今では、は定かでない。
全く気兼ねすることのない極めてなかのいいともだちである。
元出版社営業部長の彼とは、僕自身、出版社務め駆け出しの頃、豊富な人脈の
紹介から、出張まで同行させてもらう仲にまでなった。仕事の手法を巡って意地
の突っ張りあいもなく、自然体で楽しく盛り上がることができた。
彼は僕のことを、最初会った頃は「恐かった」としばしば言うことがあったが、こち
らの方こそ仕事の上で有益なことが多々あって頭が上がらなかった。付き合い
の酒席がはね、帰りが中央線で同方向と云うこともあって、暫しお互い酔い覚ま
しに野次喜多道中で良いコンビになっていった。
半世紀のなかには、色んなことがあった。大阪への出張では、深夜になって木賃
宿に同宿した。
草野球を共に楽しみ、名古屋、新潟、大阪、仙台など等の書店、取次相手にわざ
わざ出向いき対抗戦をして、夜は祝杯をあげ大騒ぎ。
やすい会、福ゆう会、かんだ出版ゆけむり会、マルキ会、三省堂森会など、一緒
になる会も多種多様だった。
彼から何かにかこつけて会の発案があると、案内文の作成はだいたい僕がする。
秋の紅葉時期には、高尾から相模湖へ山越えしたこと、夏は夕暮れの高尾山頂
上でのビールバイキングを思い出す。
今では、月に一、二度、家族の話などを肴に一献となる。
が、この度の、鬼の霍乱には少々ビックリしたようで、CT断層診断、血液検査の
結果が未だ出ていないことで、心配してたびたび電話がある。
2013年7月1日月曜日
座談会まとめ・抄 2-2
*俺は「歌舞伎町・でん八」に、「でん八」原点の匂いを残した
かった*
Y 次から次に襲いかかる難病で満身創痍ながら、それを感じさせなかったのが
アキさん。
M アニキは病院好きでよく通ってたよ。医者のネットワークも豊富だったし。
呑んで深夜になって「でん八」が最後になると、アニキによく送ってもらったよ。
F 俺も府中まで同乗させてもらって、タクシーに乗りついで帰ってた。最後は入院
する少し前だったな~。
H アニキは、物件選びの目が良いんだよな。
N 「そのに」のあった場所なんか、今一番の繁華街になっている。
A 青山店のコンセプトの一つに、六本木辺りから渋谷へ向かって帰る若いサラ
リーマン、特にデザイナーらを、ちょっといっぱい、居酒屋への発想があった。
品書きは中華料理を中心に設定した。
F 50年たって、こうして同じ顔ぶれで喋りあえると云うことが奇跡で、とりもなおさ
ず大変な店だったのではなかろうか、と思っています。
Y そうよね。メンバーの皆が思っているし。
S ところで、従業員で島根グループの若者が何人かいたのはどの流れからなの。
O 中サダの関係だよ。
F 僕は遠野出身の彼(菊池)が印象に残っている。「遠野物語」の聞き取りをした
ので。
A 菊池は銀座店にしばらく居た。
H バブル地上げ時期の「でん八」はどうだったのかな?
A シローに従業員・店長として2年余務めた後、店をまかせた。
F 「でん八」開店から5年後に「そのに」をオープン。さらに、6年後に「そのさん」
歌舞伎町店オープンまで11年の歴史を辿ると、ここまでが第1勃興期でしょう。
H 「でん八史」は、ここまでが8割方を占めて、あとはちょっと稀薄になってしまう。
登録:
投稿 (Atom)




