2022年4月30日土曜日

卯月 4月のBlogテーマ別更新歴   3455

①社会・歴史&時事:斜里町ウトロと海難事故を痛む 3450
②記憶の深層:いわきの海へ 塩屋崎 記憶の深層54 3435 
      :富山滑川/蛍烏賊の輝き 記憶の深層55 3421 
③読んだほん:隅田川の縁で佐多稲子『出会った縁』を読む 3428
      :松本清張「月」を読む 3444
④観た映画:吉田恵輔監督『空白』を見る 3432
     :映画『夜叉ヶ池』よみがえる 3436
⑤駅舎物語:青森~三厩~能代~亘理駅 駅舎⑫ 3431 
⑥猛虎コラム:サブマリン青柳投手 きみがエースだ! 3440
⑦友人帳:追悼 菊地信義さん 3434
    :コロナ禍で 友人からの手紙 3430
⑧日常雑記:「隅田川の桜」を散策~ 3426      
     :桜満開の下 祝❣高校入学 3433
     :ナツグミを植樹する 3451 

2022年4月29日金曜日

50年代後半から60年代の感覚とは   3454

1959年春、東京に出てきて、受験勉強の合間に歌舞伎町の生演奏をやっている
店にたまに通った。

うたごえ、ジャズ、ラテン音楽、シャンソンなんでもありの熱気渦巻くるつぼ
とかしていた。そんなところへ、珍しさも手伝って潜り込んでいたのだ。
新宿駅中央通りの先には、裕次郎の「嵐を呼ぶ男」の舞台ともなった「アシベ」
があって、ロカビリー歌手が競って歌い演奏していた風景が想いだされる。
「ともしび」や「白樺」など「うたごえ」の店もカオス状態だった。
今の状況では考えられないが要町の「どん底」には、新劇などの劇団員がよく
顔を見せ、<どんカク>なる安酒をあおりながら、地下では牢獄は暗いと合唱
したりコサックダンスに興じていたものです。

ちょっとした時間の流れのなかで、アシベ楽屋裏の路地に末永く贔屓すること
となる居酒屋「でん八」も誕生した。

2022年4月28日木曜日

命の感覚麻痺を懸念する       3453

災害、病、遭難、戦争など、心を乱され不安がつのる事態を前に、もっともら
しい声高な主張が目立つ。その際たるものが強まるSNSで、影響力を増すば
かりだ。

コロナ禍、ウクライナ侵攻、海難事故と、辛いニュースのたて続けの連鎖で、
命が消える場面を人ごととして凝視することに実存的怖さを感じるが、もう一
方にはお笑いが流れていることがあれば、プロ野球観戦になる。


とくにこの2ヶ月余は、テレビやネットで戦場の風景が大量に流布している。
これまで漠然としてしか知らなかったウクライナの地政学的把握は完璧になっ
てしまった。この風景が自分のたつ地上と同じなのかと思わされる、命の感覚
の麻痺が心配だ。
声高な主張ではなく、自分の小さな日常を思い込みで良いから主体的にすすめ
るしかない。

2022年4月27日水曜日

摘録 一日雑記           3452

知床で遭難した観光船乗客の必死の捜索はきょうもつづいている。
コロナ禍、ウクライナ侵攻、海難事故と、辛いニュースのたて続けの連鎖で、
閉じこもりの身にはよけいに日々こたえてくる。

午前中は晴れて外気25℃、室内22℃、水槽19・5℃。
定期的になった隣の整形クリニックへ。膝の部位はあと少しで治癒するところ
まで回復。右肩は腕の上げ下ろしができるようになったと喜んでいると、左右
の動作で痺れ再発症とか、もうすこし通院を要する状態。
半年近い通院になると、若い柔道整復師とも親しくなり、近隣でありながら欠
落している名所や食事処の情報交換をするまでになった。
きょうの話題は16号街道入間のアウトレットパークの食堂街の「酸辣湯麵」の
極辛ながら絶品の美味さで盛り上る。

午後一番で、4ヶ月ぶりの散髪へ。家に居ることが多くなったここ数年はやはり
近所の理髪店でお世話になっている。ぼくの十代頃に始まった定番「慎太郎刈」
の話になり、オイラもこの歳になるまで、長髪スタイルは一度もなく、ずっと
スポーツ刈で通してきたもんだと実感した。

頭スッキリして帰宅。昨日植樹したグミの木の根っこの植え方に不手際があり、
土を掘り返し腐葉土を混ぜ盛土しなおし。直ぐに萎れ気味の楕円形の葉っぱが
パッと生きかえった。

阪神甲子園球場での、阪神対中日戦ナイター中継を観る前に、朝読みそびれた
新聞三紙を読む。
晩酌は「虎斑」(とらふ)。これまでのお湯割りから「ロック」に切り替える。

2022年4月26日火曜日

ナツグミを植樹する         3451

2022・4・27影:ncan

いつの日か庭に花が咲き果実が熟す「グイビ」の木を植樹したいと思っていた。

紅い実をかめば酸く少し渋いグイビなるものが、じつはグミ・グイミがつまっ
て「えぐい味のする実」の意味と思っていた。
どっこい「グイ」とはとげのように硬い短枝を意味する「杭」のことであると。

念願かなって、高さ70㌢ほどのナツグミで果実が広楕円状「ダイオウグミ」を
入手した。さっそく、柚子の木の隣に地面を大きめに掘って、腐葉土と鹿沼壌
を敷き込み植えた。
来年梅雨時の鮮やかな紅いの結実が楽しみ。

2022年4月25日月曜日

斜里町ウトロと海難事故を痛む    3450


知床観光船の海難事故の第一報が飛び込んだときから、大変な捜索になるこ
が予想できた。

知床半島を一周した際に網走港のふ頭に立った後に海岸沿いを走り斜里町の
イベント広場で食事しながらしばし休憩したことがあった。
知床半島の突端岬へは地続きで行かれず、この斜里町ウトロ港発の遊覧船で
海側から近づいての見物しかできない、まさに地の果ての印象だった。
遭難現地がリアルに迫ってくることと、もう一つ感じるところがある。
自分はスキューバダイビングをやっていて、波長2mぐらいの時化る海で身
につけた機材操作トラブルによって、200mぐらい先に見える陸地をめざし
て必死に泳ぎ切った経験がある。一瞬の思いつきで、今回救命胴衣を着用し
ていれば陸地まで何とかなるのではと一縷の望みをもったのだが、、。
ところが、きょうのオホーツク海は流氷の季節をやっと脱して水温2、3℃。
海水温5度以下では1時間ほどで命が危険な状況になると云う。そして強風
波浪注意報下、波長3mを聞くと、悪天候下地獄に向かって出航したも同じ
だろうか。
命を預かる者が完全に安全管理ができていなかった人災で罪深い。
今夕には、一部の方々の死亡が確認されてきた。子どもたちも含まれ恐怖と
混乱を思うと胸が痛む。 

植村マモちゃんのこと 友人帳⑦   3449

湯河原温泉の旅(2008・6影:ツチ)
きょう、マモちゃんの奥さんから元気な声を聴くことができた。
昨年12月に亡くなったが、コロナ禍でサヨナラすることはできず、直接カスミ
さんと話すこともなく気がかりでした。

1960年、学生時代からのつきあいで声は大きく、酒も強く、剛健であることを
知っていたので、ここ十年近くなる闘病生活についてはカスミさんから聞かさ
れるまであまり信じられなかった。
電話口から発せられるさわやかなお礼の言葉のあとに続いた、「解放されホッ
として、旅行を楽しんでる」、との近況報告はまんざらでもない心情と受け取
った。彼女の日比谷高校、「社研」時代からの長い共生あっての本音なのだろ
うから、、。
ところがかつて会社の同僚だった荒川さんの死について、カスミさんは初耳で
マモちゃんも知る由なしだったようで少し驚いた。荒川さんと二人は会社から
家族つきあいまで50年ほど長きにわたるもので、ぼくとは後半のここ15年ばか
りだったので、どこでどう途切れたのか不思議な気がしている。

2022年4月23日土曜日

補聴器という魔物          3448

ぼくは今、眼鏡、補聴器、差し歯のお世話になっている。
と云うことは、眼科、耳科、歯医者さんに定期的に検診してもらっていること
になる。

補聴器の話からします。
突発性難聴をやって以来だんだん耳が遠くなって、東京医科歯科大病院の先生
にすすめられて補聴器を使い始めた。
補聴器という器具を通して入ってくる音は硬質だから、発声するぼくの声も硬
質で高めになっていると思う。ブーメランになって自分の耳に反響するのが何
とも嫌なものです。
夜寝るときはとります。そのときの外部の音は遠くなったのですが、スーッと
した自然の静寂は何とも言えない心地よさです。

補聴器は超軽く、ポロッと落としても音がしません。また、入浴や水いじりの
ときは外しますが、置き場所を忘れて大騒ぎになる。さらにスキーなどの衝撃
度のともなう運動では、吹っ飛んで見つけるのは容易でない。眼鏡と一緒で買
い替えればいいと、言ってはくれるが、ウン十万円は勿体ない悔やみになる。

2022年4月22日金曜日

懐かしい花や実を講釈してもらう   3447

サイジンコウ
グイミ(グミ)、イチナリ(スモモ・サンタローザ)、サイジンコウ(イタド
リ・スカンポ)について、写真と画描を閲覧しながら、その分布やジャポニカ
か⁉、形態、学名など講義を受ける。(yu)

まず上記名称のものは田舎暮らしの頃、正宗のわが家庭先や裏山で季節ごとに
見かける彩りあふれるものでした。
だが、日常的に接していたグイミやイチナリやサイジンコウと呼んでいたもの
が、東京での会話では通用しないまま気に留めないでやり過ごした。

イタドリのことを田舎では、なぜ「サイジンコウ」でなじんでいたのか未だに
不明。別にわずかにスカンポ(イタドリの芽)ともいっていた。親指ぐらい太
った茎が空洞になっていてポンと心地よい音を響かせ折れるイメージに合って
いたように思う。齧ると爽やかな酸味あり、お祖母ちゃんは塩漬けにしていた。
皮をむいて水につけると輪っかになり、それを棒に通して水車遊びができた。 

2022年4月21日木曜日

佐良山結核療養所と母④       3446


きょうは、母の命日です。

母はぼくが幼少の頃から結核になって、母方祖父母の実家にかえり一年ばかり
療養の後、サナトリウム病院で過ごすようになった。
その療養所は、津山線津山駅から岡山行に乗って二つ目の佐良山駅から近い、
「皿川」沿いに佇んであった。
春休みか夏休みに唯一母親を訪ね対面できる日があった。その日は祖母が作っ
てくれた「のり巻き」と水筒を肩に療養所にたどり着くと、待ち構える母が、
ベットから抜け出し皿川の河原に連れて行ってくれたものです。
この歳になって、その川の葦の生えた額ほどの砂丘をしきりに想いだす。

そのころの事はすでに遠い昔のことで、療養所はいまでは津山市二階町の津山
中央病院の名称になっている。
20代で発病して僕が高校三年のときに右胸肋骨全摘手術で助かり、85歳まで
生きた生命力に驚嘆しつつ感謝ています。

2022年4月20日水曜日

富山滑川/蛍烏賊の輝き 記憶の深層55 3445

滑川ほたるの海(1998 影:yu)
富山湾の道の駅「なめりかわ」の広場で車中泊して未明から薄明の時刻、海面
に青白い発光が一面に満ちる神秘的な光景にみとれた。
滑川市は富山湾に面して、東側は早月川を境界に魚津市。
地形は北アルプスを背景に台地と大浦の海岸線が広がる。

今が旬の蛍烏賊は、富山湾に位置する滑川市の水揚げ量が特に多い。
定置網で水揚げされたばかりのホタルイカを茹でてぷりぷりのものを、酢味噌
で食べた。極上に旨い。
さらに、漁師が生きたままのホタルイカを醤油出汁に漬け込んだまるごとを、
つるりとした食感で美味しさを味わった。

(←ブログ:2022・4・10「いわきの海へ 塩屋岬 記憶の深層54」3435) 

2022年4月19日火曜日

松本清張「月」を読む        3444

作家のタイプには、作品のなかに自分の影を消してしまう場合と、特定のキャ
ラクターに自分を仮託するときとがある。
松本清張ワールドは膨大な作品群によって築きあげられているが、そのなかに
自分の分身をおくことは基本的にはなかったように思う。
だが、自分の出自や不遇の新聞社勤務などを素にした、私小説的な空気を読め
る作品群がある。

「月」は、うだつの上がらぬ歴史・地理学者の悲哀を描いた一篇。
学者伊豆亨の師匠は「官学の大御所」であったが、真面目なだけで人づきあい
も下手な伊豆がその恩恵を浴することはなかった。ある女子大の教授として、
細々と地方史の研究にあたっていたとき、ひとりの女子学生に「新釈武蔵地誌
稿」の清書や資料の引き写しを手伝ってもらうことになる。
表題は、その女子学生が書く「月」という文字がいつもななめになっているの
を伊豆が気にすることに因る。
辺見庸の小説『月』は、精神異常や狂気と正常を感じさせずにはおかなかった
が、この伊豆もまた不安定な自分の位置がその字に表れているような気がする
と云う。
残酷な結末は、私小説的「余所者」としての悲哀を、仮構の世界に作りかえる
清張的流儀ならではのものだ。

2022年4月18日月曜日

同日異年 阪神甲子園球場      3443

影:2022・4・17
4月17日、ハル親子は甲子園球場アルプス席にいた。
37年前を思い起こさせる、バース、掛布、岡田のバックスクリーン三連発の日。
記者席で岡田さんは「うん!狙っていったよ」と。トリさんも言った。同世代の
糸井が2回、バックスクリーンに先制の3号、猛虎の超人や!と。
吉田阪神の85年、伝説の3連発と同日に決めた。ハルにとって記憶に残る一日だ。


2022年4月17日日曜日

向島の桜 「隅田川の桜」を散策③  3442

隅田川/桜橋(2022・4 影:en)
隅田川桜堤の散策で、吾妻橋~すみだリバーウォーク~隅田公園~牛嶋神社~
東側運河沿い桜見物の途中まで記してきた。

ちょっと、文学的横道に入り込んでかつての面影をもとめて街を歩いてみたい。
佐多稲子の「川の思い出」の文中に、「長崎から東京へ出てきて、住まいを定
めたのが隅田川の土手下の向島小梅町で、つまり、私としての東京がここから
始まった。」とある。
では、その向島小梅町はどのあたりか。なんのことはない、歩いていてわかっ
たが、東京スカイツリーの真下、<新しいタウン>ができていたと云うわけ。
江戸初期には、川の向こうに島のように見える土地で、あまり人も住んでいな
かったという向島。今では「鳩の街」の様な古い街並みとスカイツリータウン
との対比を面白く感じる。歩きながら顔を上げればそのつどアレが視界に入り
込んでくる。

東京に住みついてすでに60有余年になるというのに、こうしたエリアについ
て初めて知ることが多々ある。
『東京風土記』(現代教養文庫)などで古い地図を見ると土地の区画は当時と
さほど変わっておらず、路地は複雑に入り組んでいる。
昭和初期の古い民家を改装したカフェーなどもある下町の商店街を、日をあら
ため再度歩いてみたい。
そして、赤ちょうちんが灯るころ一杯キスひきたいものだ。

2022年4月16日土曜日

祖母の冊子から⑥          3441

泉岳寺庭内(影:yu)
歌に詠んだ祖母の言葉から、日々の暮らしや心情の片鱗がさまざまに浮かび上
がり想いだされる。

人はいざ 心もしらず ふるさとの 花わむかしの 香ぞ匂いぬか
むつの花 風にさそわれ まど打を ながめて老いの身 寒さ身にしむ
昼さがり ベッドの上で うとうとと 涼風うけてすごす ゆめのたのしさ
夕涼み 家族そろって縁台で 花火線香 皆で楽しむ

一時帰郷したときの住み慣れた家での安ど感が、不意を突かれて伝わってくる。
帰り見れば 庭のこすもす 咲き乱れ われをまつかと 嬉しかりけり
                     (昭和41年9月帰郷の節)

2022年4月15日金曜日

青柳投手 きみがエースだ❣     3440

57イニング目にやっと適時打。

青柳晃洋投手が、1回に1点先制されるも以後8回まで無得点に抑える好投。
その力投に応えたのが、中盤5回の2番に入った佐藤輝の右翼スタンドに運ぶ
逆転4号2ランホームラン。8回にはメル・ロハスが2号2ラン。
主軸が仕事を果たし、猛虎ファンのうっ憤を少し和らげてくれた。
そして岩崎が今季初セーブ。
まだシーズンが始まったばかりで、2度目の6連敗を喫していたが今日の1勝
で暗黒トンネルを抜けられたか⁉
夢が正夢になる大きなウエーブを期待しよう。

巨人 1対4 阪神タイガース勝利

2022年4月14日木曜日

モンブランの万年筆とWATAERMAN  3439


いまではパソコンで原稿や手紙まで書くことが圧倒的に多くなっているが、少
なくとも前世紀頃までは万年筆を使っていた。

万年筆を使うようになった最初のものは、父が使用していたセーラー万年筆を
ゆずりうけた。その万年筆は細字仕様であったが、中学、高校までお世話にな
った。東京に出てきて真っ先に行ったのが、神田神保町の「金ペン堂」。
ペン先の調整から使用する用途に準拠してサポートしてくれる大柄な職人店主
がいたのである。
そのとき購入したのが、モンブランのペン先中細だった。さらに三十代になっ
て、軸も太目のペン先太字用でランク上のモノを調整してもらった。
インクはずっと瓶入りWATAERMANをたっぷり入れて持続的に書け疲れない。 
もう40年は使いつづける愛着のある万年筆だが、一度だけインク注入具合が
スムーズにいかず、インク買い替え時に店主に相談したらちゃんと修理してく
れた。いまでは、年賀状あて名書きなどで根気を要するときでも、快調に使い
こなせてますます愛着につながる。

2022年4月13日水曜日

三春の瀧桜とはむらの三春桜満開   3438

はむらの三春桜
「三春桜」はいまが満開でテレビの画面に、古木からこぼれるような瀧桜が映
し出された。
はむらの堰の大正土手で大きく成長して咲き誇る枝垂桜は、福島県三春からや
ってきた子供滝桜だそうです。

三春滝桜の花見へは、十年ほど前にスゴイ渋滞をしのいでやっとたどり着いた
記憶がある。
古木の周りをゆっくりと一周しつついろいろの角度から眺めるうちに、この桜
を守ってきた部落の悠久の歴史へといざなわれる気分になったものです。 
三春滝桜

2022年4月12日火曜日

痛烈な印象として残る六島      3437

六島の麦畑
岡山笠岡諸島の「六島」を弟たちと訪れてから、すでに6年が経過している。
さらに57年前に親父が小学校教師として赴任して教鞭をとっていた離島の前浦
港の桟橋に降りたのは大学一年の夏でした。

6年前の印象で残っていることがある。
親父夫婦の離島教育はわずか二年間だったと思うが、僕たちが泊まった宿泊施
設を、二人のおばちゃん(三宅一二三さん)とおばあちゃんが、「昔の先生の
子供さんが来島している」と聞きつけ訪ねてくれた。
そして、懐かしい話をしてくれたた一刻を思い出す。そして、集落には家数は
あるのに若い者、男衆が島を留守にして京阪神に出稼ぎしているので、火の消
えたような淋しさを感じたものです。

そうした淋しさを振り払ってくれたのが、島へリターンした若者との出合いだ
った。彼はそのとき、大阪でのビジネスマン生活に一区切りをつけ祖母の住む
ムシマに地域おこし協力隊員(2016年)として帰島していた。
オープンしたばかりのゲストハウスで夜を徹して酒を飲みかわせながら、「六
島地ビール」醸造に取り組み、島を活性化する夢を熱く語ってくれた。
かつてこの島で盛んだった麦の栽培から取り組んでいる畑に案内してくれた。

(←ブログ:2021・12・17「井関竜平さんの<六島地ビール>に乾杯」3320)

2022年4月11日月曜日

映画「夜叉ヶ池」よみがえる     3436


1979年に公開した後、ほとんど上映されず、ビデオやDVDにもならなかった
幻の大作解禁。(4Kデジタルリマスター版)
監督篠田正浩は、大島渚、吉田喜重監督らと共に日本のヌーベルバーグの一人
と言われていた。
原作・泉鏡花の宇宙的世界(幽玄)を特撮と冨田勲のシンセサイザーはまり、
セットデザインも粟津潔、朝倉摂という尖鋭なデザイナーたちの前衛的な幻想
世界で、クライマックスの夜叉ヶ池の大洪水シーンへと解き放たれる。

福井県と岐阜県の県境の干ばつに苦しむ村から、夜叉ヶ池を目指す植物学者の
山沢(山崎努)は山中で出会った女、百合(坂東玉三郎)の閑居で一昨年に失
踪した親友の民俗学者、萩原(加藤剛)と再開する。萩原は池を鎮める鐘楼守
になっていた。村人たちは百合を雨乞いの生贄にしようとする。萩原は抵抗の
末、百合とともに死ぬ。鐘楼塗守の鐘はつかれず、大洪水が起こる。
クライマックスを飾るのは、山村が大洪水に呑まれるスペクタクルの特撮「水
落し」の特撮監督、矢島信男率いる特撮研究所スタッフ。その功績が大きい。
霊力をもった坂東玉三郎が超現実の世界の、性を超越した女、性を超越した男
を魅力的に表現してくれる。
さらに、阪神淡路大震災、3・11福島原発の倒壊、東日本大震災に遭遇した事
で、『夜叉ヶ池』の普遍的なメッセージを感じ取ることができる。
この映画はスゴイ。

2022年4月10日日曜日

いわきの海へ 塩屋岬 記憶の深層54 3435

いわきの海(’01・4影:pen)

常磐自動車道から鹿島街道を経て小名浜港魚市場へ。
「釣りバカ日誌」ロケ地にもなった小名浜港は新鮮な魚のおいしい店が競い合
っていた。「メヒカリ」を知ったのも、ここの市場食堂で、から揚げを食べて
美味しかったのがきっかけになっている。
いわきの海・サーファーの海なのに波はおだやかだった。 

塩屋岬
さらに海岸線沿いを北上すると、美空ひばりの歌碑・遺影碑が建つ塩屋岬へ辿
り着いた。
灯台から眺める左右の美しい砂浜と沖に広がる海は「塩屋の岬」を連想させる
夕日のなかの景観だった。
灯台まで登る茂みのなかに懐かしい「サイジンコウ」を見つけ、ポッキンと折
って齧ると酸味が口に広がった。

2022年4月9日土曜日

追悼 菊地信義さん         3434

洋泉社の菊地信義装幀本
洋泉社の最初の刊行書を手掛けてもらった装幀家の菊地信義さんが、心不全の
ため死去。78歳。

菊地さんが本、とくに文芸書の装丁者として注目され始めたころに初めて東銀
座の珈琲店(樹の花)で面談した。それは、洋泉社を解覧(1985年)して最初
の出版となる埴谷雄高の『死霊』論集(「死霊」論  頭蓋のシムフォニイ 思索
的想像力 あっは・ぷぷい)の装丁の依頼でした。

企画の趣旨や内容を話すうちに、菊地さんの方が乗ってきて、造本で新味を出
すことや起爆力のある本づくりの提案をもらった。樹の花の二階席から映える
新緑を見ながら伺ったことを思い出す。
いま手に取って見ても、カバー、表紙、見返し、トビラ、ピンまでの装と、書
かれた内容が読者を静かに誘惑する熱量を感じさせる。
2000年代になって創刊した、洋泉社・「新書y」のシンプルな統一デザインも
菊地信義さんにお願いして、新シリーズとして話題になった。
合掌。

2022年4月8日金曜日

桜満開の下 祝入学式        3433


4月に入ると何かと晴れやかな空気がただよう。

3年前桜の下での中学入学をお祝いした日のことが昨日のことのように想ううち
に、同じ4月8日きょうは高校入学式。
さてこれから三年間どう過ごすのだろうか、、。
中学では自ら武道の途を選択して、2年生の終わりに黒帯有段者になったのには
いささか驚きでした。
そんなこともあったので、高校生活を文武両道で楽しんだらいい、と言づけた。 

僕の高校入学の日(4月8日日曜日)はどうだったのか、、。
祖母が朝、赤飯を作って送り出してくれたこと。そして不思議にも親父が入学式
に同行していることが書き残されている。多分、数学担当教諭の平松先生と父が
知り合いだったことによるのだろう。
帰り市内のグランド劇場で映画「トロイのヘレン」(ロッサナ・ポデスタ)観る。

2022年4月7日木曜日

𠮷田恵輔監督『空白』を見る     3432


𠮷田恵輔監督・脚色の映画で、俳優が古田新太vs.松坂桃李の対戦ストーリ。
だが、個性派俳優古田のパンチにしどろもどろ状態に追い込まれる松坂桃李。

二人が対峙するきっかけになった事件は、街の個人スーパーらしい店内化粧品
売り場で、女子中学生が若い店長(松坂)から万引きの疑いをかけられる。
逃げる少女、追う店長。車道へ飛び出したところを車がはね、さらに対向車線
のダンプが引きづって無残な姿にしてしまう。変わり果てた娘と対面した漁師
の父親(新太)は慟哭し逆上する。
父親は、相当横暴な人間で妻には逃げ出され、一人娘にも生前小うるさくて避
けられていた。また学校では、おとなしい娘でイジメにあっていたようだし、
店主の過失も内向的な人格障害のせいにしたり、しだいに怒りがモンスター化
していく。
ほかの登場人物も多面的で、それぞれの関係するまなざしが加害者松坂、被害
者古田の見え方を推理小説のようにアングルを変えていく緊張感がイイ。
ラストの二人の和解もあり何と思わせる。

(←ブログ:2022・3・22「濱口竜介監督「ドライブ・マイ・カー』」3417)

青森~三厩~能代~亘理駅 駅舎⑫  3431

青森駅(左上)/能代駅(右上)
三厩駅(左下)/亘理駅(右下)

青森へは8月真夏の「ねぶた祭り」に行き、はねとを楽しんだことと、三内
丸山古墳遺跡を訪れ、八甲田山に登ったとき、いずれも青森駅ロータリーに
クルマを寄せている。

青森駅:青森駅舎は、2010年12月の東北新幹線新青森開通後は、「津軽海
峡・冬景色」の歌詞の「海峡」の始発・終着駅の役割を終えている。
能代駅:五能線に沿った海岸線を北上する途中で寄った。駅ロータリから国
道沿いに松並木が続き、車を走らせていて心地よい道路の美観が印象深い。
三厩駅:津軽戦の終着駅で、津軽半島の最果ての駅。辺り一面は原っぱが広
がり、線路の向かう青森方向の先には津軽海峡が広がっていた。
竜飛岬への起点でもある。
yuは学生時代に津軽半島への旅を計画し、「三厩駅」にたどり着くのを楽
しみにていたが、或る事情で出発できなくなった。今にして思い出す。
亘理駅:左後方の城郭の天守風の建物は隣接する悠里館で、それと一体感を
もたせるために、駅舎が土倉風に改装された。

(←ブログ:2022・1・9「軽井沢~上田~高田~柏崎駅 駅舎⑨」3343)
(←ブログ:2022・2・6「羽咋~珠洲~輪島~穴水駅 駅舎⑩」3371)
(←ブログ:2022・3・16「秋田~男鹿~飯田~越後大島駅駅舎⑪」3410)

2022年4月5日火曜日

コロナ禍で 友人からの手紙     3430


以前だと、ちょっとした話題や情報にことよせて、身辺の御茶ノ水・神保町や
新宿で一献とあいなっていた。ところが、このコロナ禍と重ねる歳で出不精著
しく、電話やメール、手紙でやり過ごすことが多くなりました。

50年を優に超えるつきあいの親友Wカズさんから近況と、佐藤泰志の『海炭市
叙景』に触れた記事が載った「朝日新聞」同封を落手した。
彼とは一年以上直接会っていないが、歩行困難になり手術したことは聞かされ
ていた。だが、いまでは「鵜の岬」へリハビリに行ったり、上野鈴本に出かけ
落語や桜見物している様子が毎度の達筆で綴られている。気分転換と言いなが
らも、足の具合いは快方に向かっているようで良かった。
本題は、同封の朝日新聞夕刊の記事にあったようだ。『海炭市叙景』の著者・
佐藤泰志に触れたなかで、忘れられた作家を追いつづけ故郷北海道函館を再生
させ佐藤泰志再評価の過程をまとめた、『佐藤泰志をさがして─<幻の作家>
はいかにして復活したか?』(成田清文著)が、言視舎(社主杉山尚次)から
出版していることに気づき、知らせてくれたようだ。
杉山君が弘前大学ということで縁があったのでしょうか、と。
結語は、うまい酒が飲みたい‼と。

(←ブログ:2021・8・4「成田清文著『佐藤泰志を探して』を読む」3285)

2022年4月4日月曜日

敗戦までの戦中5年 略年表⑬    3429

燃える東京市街(渋谷区氷川町付近)
⓬続き⇒
1944(昭和19)年
9・15    米軍、パラオ群島のペリリュー島およびニューギニア西方の
        モロタイ島に上陸。
        (ペリリュー守備隊は2ヶ月以上抗戦をつづけ玉砕)
10・10   米機動部隊、沖縄を空襲、10・12台湾沖航空戦、大本営大
        戦果を発表、(事実は戦果無し)。
10・18   大本営、捷1号作戦発動を命令(フイリピン方面に陸海軍の
        主力を集中し、決戦を行う作戦)。
10・20   フイリピン中部のレイテ島に上陸。
10・20   戦況日々悪化。日比谷で一億憤激米英撃破墔国民大会開催。
10・24   レイテ沖海戦(連合艦隊の突入作戦失敗(<武蔵><瑞鶴>
        など主力をうしなう)。
10・25   海軍神風特攻隊、レイテ沖で初めて米艦を攻撃。
10・25   中国基地のB29約100機、北九州を空爆。
11・1    マリアナ基地のB29、東京を初偵察飛行、11・24マリアナ
        基地のB29約70機、東京を初爆撃。東京郊外の武蔵の町に
        ある中島飛行機工場を爆撃。78人の死者と多数の負傷者を出
        した。「東京大空襲」の始まり。
12・1    閣議、中等学校の新規卒業予定者の勤労動員の継続を決定。
12・19   大本営、レイテ地上決戦方針を放棄。
この年     *戦況に関する流言、急増。
        *「若鷹の歌」(予科練)、「同期の桜」(ラバウル小唄)
         「ラバウル海軍航空隊」流行。
        *ワクスマン(米)ストレプトマイシンを発見。

隅田川の縁で佐多稲子『出会った縁』読む3428


吾妻橋を渡って、枕橋を経て隅田公園の桜を逍遥しながらの先に、佐多稲子の
旧居跡があった。
佐多さんからは、新刊を出すたびに丁寧な署名りで恵贈いただいていたので、
旧居住地に偶然であえたことを時を経て感動した。

その随想集『出会った縁』(1984刊・講談社)に、大川(隅田川)の思い出
として吾妻橋が綴られている。              「自分だけは、
隅田川へかかればいつもそこに、ぴたっと気持ちを寄せている。わが家が長崎
から東京へでてきて、住まいを定めたのがこの隅田川の土手下の向島小梅町で、
つまり、私としての東京がここから始まった。その十一歳から大震災までの十
年間を、家こそ移ったがずっとこの辺りに住んで、少女から娘時代の、感情の
ふくらむときをこの川になじんで過ごした。今私が、隅田川にすぐ気持をゆす
られるのはこの過去によっている。」

最近の僕は、今の年齢について思うようになった反映からか、これまで出会っ
た縁ある人や、事柄についての縁がしきりに気になりだしていることがLogの
なかで気づかされている。
今回は「隅田川の桜を散策の会」で吾妻橋との出合いがあり、そこから、再度
佐多稲子さんの本を書棚から抜き出し読み、佐多文学の精美を味わうことがで
きた。

2022年4月2日土曜日

隅田川の桜と橋②          3427

隅田川の桜とスカイツリー(影:ncan)
浅草駅⇒吾妻橋クランクして⇒すみだリバーウォーク⇒隅田公園、牛嶋神社、
枕橋、北十間川、水戸徳川家下屋敷跡、(堀辰雄旧居跡)⇒(佐多稲子旧居
跡)⇒三囲神社⇒桜橋、(長命寺桜もち~言問団子)~墨堤常夜灯⇒隅田公園
(台東区)⇒東京大空襲犠牲者追悼碑⇒解散、(ランチシートで昼食)

まず隅田川にでてみる。対岸にスカイツリーを見上げ、引き船や観光船、クル
ーザーの行き交うのどかな風景が見られる。
吾妻橋:1774(安永3)年に架橋。それまでは竹町の渡しがあり、橋が通
じたことにより浅草と向島方面の往来が頻繁になり、江戸近郊遊覧の地として
人気のエリアになる。大川橋とも呼称。
すみだリバーウォーク:東武鉄道の隅田川鉄橋に新たに設置した歩道橋。浅草
寺と東京スカイツリータウンの連携を一層強化する動線の役割を担っている。
隅田公園:隅田川の両岸に広がる広大な臨水公園で行政区は台東区と墨田区。
桜と柳の並木通り。
牛嶋神社:本所の総鎮守で、「牛の御前」と呼ばれている。

2022年4月1日金曜日

「隅田川の桜」を散策①       3426

隅田川桜堤(2022・4・1影:ncan)
早朝、天候が心配されたが昨夜からの雨は上がり、いそいそと2時間かけて都
心へ。神田駅乗り換えで銀座線浅草に着く。今回は特約があり、わが家に在庫
する「ビアリー」を30缶ばかり背負い無理して持参したので、ズッシリ堪えた。
こんな御時世なのでそのかいあって、皆に喜ばれた。

コロナ禍での「散策の会」は、昨秋の白金台「自然教育園」についで第2弾。
隅田川の花見宴は別の会で一度やっているので、まったく知らない場所ではな
かった。
さらにこの会は、文学・歴史散策の趣がつよく、事前に幹事理事が事前歩きと
資料を準備してくれるので関心がさらに深まるのである。
江戸時代、隅田川はいまより水量が多く頻繁に氾濫した。そこで墨堤と呼ばれ
る土手が築かれた。八代将軍吉宗がこの墨堤に桜100本を植え、行楽地化を図
ったのは、花見客が歩き回って地固めさせる狙いもあったとか。明治に入ると
洪水対策をかねた隅田公園だつくられた。名所となった桜や公園にはこの様な
水害との闘いの歴史が秘められている。