作家のタイプには、作品のなかに自分の影を消してしまう場合と、特定のキャ
ラクターに自分を仮託するときとがある。
松本清張ワールドは膨大な作品群によって築きあげられているが、そのなかに
自分の分身をおくことは基本的にはなかったように思う。
だが、自分の出自や不遇の新聞社勤務などを素にした、私小説的な空気を読め
る作品群がある。
「月」は、うだつの上がらぬ歴史・地理学者の悲哀を描いた一篇。
学者伊豆亨の師匠は「官学の大御所」であったが、真面目なだけで人づきあい
も下手な伊豆がその恩恵を浴することはなかった。ある女子大の教授として、
細々と地方史の研究にあたっていたとき、ひとりの女子学生に「新釈武蔵地誌
稿」の清書や資料の引き写しを手伝ってもらうことになる。
表題は、その女子学生が書く「月」という文字がいつもななめになっているの
を伊豆が気にすることに因る。
辺見庸の小説『月』は、精神異常や狂気と正常を感じさせずにはおかなかった
が、この伊豆もまた不安定な自分の位置がその字に表れているような気がする
と云う。
残酷な結末は、私小説的「余所者」としての悲哀を、仮構の世界に作りかえる
清張的流儀ならではのものだ。

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