2014年9月30日火曜日

創作理屋「みや平」で二次会        780

みや平(2014・9・29影 Tabu)
個展を見た後、松尾Aさんの誘いで近くの創作料理「みや平」へ皆と寄る。
生前、出口くんも「朝日新聞」の仕事帰りによく寄っていたと聞いている。
N女も来店したことがあると。
桑原くんも、個展会場から後で追っかけ参加。「神が降りた」と言われる、長谷川
利光の絵について一過言を聞く。

先日、新宿の店で久しぶりに会って話を交わしたばかりなのに、又数日後に彼の
店に行こうとは、、、偶然の出合いが続くものだ!
さっそく、僕のブログの話題になり、彼の故郷、慶良間諸島(座間味村)を「ケラマ
ブルー」の楽園と賞賛しているので、ありがとう、と言われる。
彼の親父さんがダイバー姿で伝統漁している精悍な雄姿の写真が、店内に飾って
あった。彼は一時、故郷に帰り、民宿とダイビング・ショップの生活を夢見たことが
あったようだが、一念発起、東京で今の小料理店開店に舵を切って成功している。
同席のI女は、僕のダイビング歴を知らなかったので、一しきりキッカケについてお
喋りする。

まず、栗のチップの前菜が出る。一見ポテトチップに似ているが、取り立ての栗の
香りが広がる。次に、北海道で獲れた新鮮な鰯の串焼きが、旨い!そして、メイン
に刺身の盛り合わせが出る。なかでも、新鮮なしめ鯖が食べごろで美味しかった。
さらに、エビシンジョウの天麩羅に舌鼓をうつ。
焼酎、イッコモンを2本空ける!

桑原才介油彩展へ           779


友人、桑原君の個展を見に行った。
地下鉄東銀座の出口を出たところに目指す展示場はあった。

前回あたりから小さい号数の展示が多くなっているが、大小で価値が変わること
はないという。
確かに 画布に向かい絵筆に込める画魂に差異はないのだろう 。
それから、今回の出品作で目立ったのが、「Yの風景/Yの歓び」のように、絵にY
が封じ込められていることだった。
呪術的で天啓を意識しているように思えたが、この傾向は続くのだろか、、、。

2014年9月28日日曜日

焼酎党に!                 778

(2014・9・28影 Can)
20代半ばからは毎日外で飲んでいたが、最近次第に「我家飲み」する傾向が
強くなってきた。
付き合う相手も狭まり、自ら進んで機会をつくる関心が薄れてきている。世のな
かの趨勢に近づいていると云うことか。
勿論、歳を重ねて体力も落ちてきていることは自明のこと。

痛風で十年ほど前に、ビール党から本格焼酎米を好んでのんでいたが、数年
前から芋焼酎に切り替えて俄然気に入っている。
今では、我家近くのスーパー、「福島屋HUKUSIMAYA」の樽買い量り売りを
注文している。
この店の社長は、40年前の酒屋さん時代から知っているが、今では全国を飛
び回り、醸造元はもとより、農園、果樹園、駄菓製造元に至るまであらゆるモノ
の良品を直接仕入れている。地元消費者ばかりでなく近隣遠路から来客があ
るほど評判がイイ。少しでも売値を抑えるため、一切投げ込みチラシなどに宣
伝費は使わない、と著書で語っています。

この店のおかげで、芋焼酎の真髄と味の深みを教育された。
樽のコックをひねると、ほとばしる焼酎。ノンラヴェルビン2本に常備して、切ら
さないように補充注文する。乙なものです。

2014年9月27日土曜日

夢、慶良間諸島でダイビング!        777


銀座で小料理屋をやっているミヤヒラくんが、古巣の「でん八」に居合わせた。
彼が独立してお店を出して随分になるが、会話するのも久しぶり。

沖縄の故郷を離れて独立するまでは、一時期「ケラマブルー」のなかでの生活を
夢見ていたようだったが断念して、今では人気店に成長させている。
同郷の出身、ジョーさんがミヤヒラ君を「でん八」に紹介したのは自分で、座間味
村の出身と語っている。
慶良間には、しばらく帰っていないと、、、。僕は、もったいないと思った。

タンクを背負い、海に入る魅力に取り付かれて未だ10年余。サイパン、オースト
ラリア・グレートバリアリーフ、宮古島、八重山諸島、ラウスでダイビングを楽しん
できました。
ところが、沖縄慶良間諸島(座間味村、渡嘉敷村)に行っていない。つい沖縄市
から西に高速船に乗れば直ぐ行かれる思い込みで、チャンスを逃している。
世界屈指の透明度を誇るケラマブルーの海。冬にはザトウクジラが見られるとか。
国内のサンゴの6割にあたる250種が生息する海として知られている。

どこまでも青く透通った亜熱帯の海に広がる色彩鮮やかな珊瑚礁と、熱帯魚の
群れに、いつの日かあってしてみたい。

2014年9月26日金曜日

日の出未来屋書店のフェアー!       776

未来屋書店日の出(2014・9・26影 ケイ)

洋泉社の歴史書フェアーの平台が目立った!

書店に行くと、未だ洋泉社の新刊を探したり棚を探索する習性が抜けない。
新刊を見ることで、その本を担当した編集者の顔が浮かび、活動状況まで想像で
きる。
今日遭遇した歴史書ムックの平台には、20タイトルが平積みで並んでいたが、週
刊誌大のビジュアル版なので壮観でした。よしんば、売れることを願うのみ。

フェアーで忘れてならないのは、営業が日頃仕掛けている見えない奮闘のことで
ある。僕が見た企画平台は、東京郊外の未来屋書店だが、この一店舗だけでは
なく、他のチェーン店でも展開されているはずで、起承転結にかかわる労力の大
変さが解るのである。

2014年9月25日木曜日

古代アンデスより継承された音楽に出合う! 775

バンドSISAYのライヴ(2014・9・25影 ケイ)

SISAY(シサイ)全国コンサートツアー前座のライヴを偶然に聴く!

エクアドルのガラバゴス諸島については、ドタさんの「航海語り」で知っているが、
アンデス山脈の高地の民族音楽独自のワールド・ミュージックははじめて聴いた。
最初は、静かに聴いていたが次第に民俗楽器が奏でる赤道直下の情熱的リズ
ムに惑わされて自然に身震いした。
日本の地球裏側に当たる、コロンビアとペルーに挟まれた地理的には小さな国
ですが、変化に富んだ地形、様々な気候に恵まれ多種の植物と生きものの宝庫
で、一度は行ってみい魅力的な所です。

僕の人生で、音楽は縁遠いものと思い遠ざけてきたが、現代音楽を聴くのは惹
かれるものがあるのかなと思うようになった。





2014年9月24日水曜日

八甲田山に抱かれた酸ヶ湯 記憶の断層43 774


八甲田を下って、標高約900メートルの高地に湧き出る、山の温泉宿・すかゆ
(酸ヶ湯)に一泊。

手負いの鹿が温泉に入り元気になったことから、江戸期より、薬効のある「鹿の
湯」として湯治客でにぎわったと記されている。
今では酸ヶ湯と改められ、昭和29年国民温泉第1号に指定されている。

酸ヶ湯を語るならば、「千人風呂」。総ヒバ造りの大浴場は、聞きしに勝る超大
きいのにビックリ!
熱の湯、冷えの湯、四分六分の湯、滝湯など5つの浴槽が一同にあります。
そして、混浴が生活からくる自然のなせる業ときているのがイイ。
大浴場のほかに、玉の湯や自炊施設の整った長期滞在用の湯治棟が連なる。

素朴な風情を残す山の一軒宿・酸ヶ湯は、八甲田山から下りて蓄積した適度の
疲労を十二分に癒してくれた。

2014年9月23日火曜日

馬場下町の頃。              773

雪の「東京荘」
今の、地下鉄東西線早稲田駅を出ると「夏目坂」があって、のぼりきったところに
「宝祥寺」という古刹がある。
ここが、親しくさせてもらっているアキサン家の菩提寺である。昨日、彼からお彼岸
の墓参ををすませてきたという話を聞いた。

その話を聞きながら、その昔、馬場下町の夏目坂途中にあった下宿で過した頃を
思い出しました。未だ地下鉄の東西線が開通する前の話です。
馬場下町の交差点を見下ろす丘に、「穴八幡宮」の社殿が見えた。鳥居の横に、
交番があったのも覚えている。元々は高田八幡宮と呼ばれていたらしいが、詳し
い伝承は知らない。戸塚、早稲田の周りは江戸時代からの伝説、伝承にこと欠か
ない地域のようです。他に、水稲荷神社や諏訪神社がある。

60年代を知っている者からすると、高いマンションや新しい戸建て住宅が密集し
学生街の姿は消え、古い土地の魅力も埋もれていくのが少し残念。
坂上の、居酒屋「源兵衛」は、いまも健在のはずだが、、、。

羽生善治名人の紺染扇子を恵贈いただく!772

(2014・9・23影 Can)
先日、長田Nくんの古希を祝して、一献を交わしました。
そのお返しに、名人羽生善治署名の紺染めの扇子をいただいたのですが、貴重な
薩摩焼酎1本を持ち込み、場を盛り上げたのはS池谷さんで、同席した僕たちは、
同調者に過ぎなかったのに、ありがとう。

新宿デラシネを自称するオサダNくんは人と人とのつながりをつくる機微に長けてい
る。僕より若く年齢差があるのに、冊子の編集を通じて集まる新宿の居酒屋での対
面から波長が合い、思いの丈の調整をこなしてくれる。
これまで、新聞専売店のかたわら苦学生の面倒みたり、加藤登紀子のサポートを
したり、囲碁将棋麻雀では予見力を備え、新宿デラシネとくれば、幅広い交流が生
まれるのは当然か。
2010年暮れに、新宿の居酒屋で1960年半ばから常連する多彩な面々に呼びか
けて「28忘年会」を二人で発起したが、これも未だ続きそうです。彼が実質の幹事
長。
そして、この度の冊子編集でも彼の広い人脈に助けられています。昔の出合いの
回顧から時空をこえた付き合いなり、声を大にはしないが、この「場所」をこよなく好
んでいるのだろう!

ハルに、将棋指南をしてもらうことを約束してくれている。

2014年9月21日日曜日

育児中の女性社員は仕事ができる!   771

御茶ノ水ニコライ堂(2014・9・17影 Tabu)
経営に携わっていた時はさほど思わなかったが、今どき外から見ていると、「子
どもを育てながら働く女性」は、時間配分が上手く効率よく集中力を発揮している
ように感じることがある。

「大槌の風」を陰ながらサポートしてもらっているから言うのではないが、会社の
同じ部署に務めながらテキパキと仕事をこなしている女性を知っています。
育児しながら仕事をするという事は、朝晩の世話を男親と分担することがあって
も、会社での労働時間は限定されるからこそ、集中力は一層高まり成果を確実
にしているように見受ける。
その結果、会社と家庭の天秤も上手く保たれ、社員間にもイイ関係をもたらすの
ではないかと期待して見ている。
一寸した雑感でした。



2014年9月20日土曜日

クラス会&「デンティスト」を観る!     770


以前に増して、演劇専修クラスの集まりが頻繁になってきています。
それと云うのも、まだ友人、浜田、y寺村二人が現役の俳優、役者で舞台に立っ
ていることによります。
そして、しっかりと幹事役を果たす後藤君の存在が大きいかな。

今回の演題は、「デンティスト」(作・演出桃井章)。
浜田晃と水沢有美の二人芝居です。テアトロジャージャン第1回作品で、舞台は
ビルの一室(Bar)と突出ベランダを効果的に使った、観客同化のイイ芝居でした。
幕を閉じた後、ベランダでワンコインメニューから芋焼酎水割りを片手に、いつも
のように、浜田を交えて後藤H、内藤S、梅原Hと合評会で盛り上がる。
近く公開される、浜田親娘での出演映画、「クアラルンプールの夜明け」(監督・
細井尊人)の話も出る。

今週は毎日都心に、遠方へと、夜までかかる超ハードな行動が続いた。
(←ブログ:2013・10・20記「W専修クラスの仲間たちのことを、少し」)

「やすい会」に               769

本郷交差点の老舗(2014・9・17影 Tabu)

2012年11月に100回記念「やすい会」が山梨石和で開催され、昨年の9
月には清洲白河駅近くの「清洲庭園」で会席でした。そして今回は、先の北茨城
「鵜の岬」(今年6月)いらい、第107回を定席本郷「天喜」に集まりました。

歳のせいだと思うが、一昨年か、昨年だったのか、前後ごちゃ混ぜになったり皆
さんの想いが錯綜することが多くなっている。
時間感覚にズレが生じている。

(←ブログ:2014・6・3「鵜の岬」)

2014年9月18日木曜日

「とちぎし」を訪ねる!           768

太平山頂上から(2014・9・18影 Tabu)

海岸線の大半をドライヴしており、知らない所のほうが少ないと言い切れるが、
今日訪ねた栃木市などは内陸部で未知の魅力的場所でした。
今回はぶらり旅ではなくて、友人の見舞いと云うか、快気祝いが目的で、東武
浅草駅に三人が落合い栃木市へ出かけました。

栃木市は明治初頭まで県庁所在地だったが、外れでなくて真ん中に位置する
今の宇都宮に変更されたと説明してくれる。
東武栃木駅前の左右に立ち並ぶ古い戦火にあわず残った「蔵の街」を眺めな
がら、広いまっすぐに伸びる道路を走って行くと、小運河か堀割かに見える石畳
の道路に出る。
蔵の街のルーツは、江戸から日光御用の荷や潮などが運ばれる船運で交易が
盛んになり、豪商が生まれ白壁土蔵が運河(巴波川ウズマガワ)の両岸に建ち
並んだことのようです。
戦災にあってないことで共通する倉敷の白壁と、堀割の街に似た風景を見た感
じがした。
途中に、『路傍の石』『真実一路』で知られる「山本有三ふるさと記念館」があった。

いよいよ、蔵の街と掘り割りとトチジョ正門前を通り過ぎ、彼女、推薦の鰻屋で昼
食。元気な姿に接することができ、一同安堵し一献!

出てきたうな重は産直の活鰻をさばいて炭火で香ばしく焼き上げた絶品てした。
小川の女郎鰻、霞ヶ浦の天然ウナギ、浜名湖の老舗、そして神田うな正に仲間
入り。
お見舞いに訪ねながら、大判振る舞いの昼食会に招待されることになりました。
次に、太平山に登り、頂上で栃木市を一望する。小屋では夫々の様々な話題で
盛り上がる。
営々55年余、何度会っても、斬新な話しに及ぶから不思議な仲間だと、つくずく
感心する。

若森繁男お別れの会に            767


今日、河出書房新社元代表の若森さんの「お別れの会」に参列しました。
若森さんとは大学が同期であったり、年齢も同じにもかかわらず、出版業界で
の個人的付き合いが無かった。朝日新聞や讀賣新聞などの公の会では顔合
わせし、談笑することがあっても、それ以上でなかったのが不思議に思える。

それは、河出書房には1960年代に坂本一亀さんや寺田博さんなど「文藝」を
中心とする凄い編集者が雨後のたけのこいて、僕自身その方たちと一緒する
ことが多かった所為かもしれないと思っています。

会場に展示された写真を見るにつけ、1960年代、1970年代に多くの記憶
に残る文芸書を刊行した軌跡に圧倒させられる。
文藝の名門河出にあっても厳しい状況に何度か遭遇してきたでしょうが、その
舵取りに尽力されたことがわかります。 献杯。 

2014年9月16日火曜日

平井川源流へ                766

日の出町を流れる平井川(2014・9・15影 Can)
多摩川の支流、平井川の源流を求めて、あきる野から日出町に出て川沿いを走っ
た。途中で、お彼岸より一週間早く、平井川の土手に咲いた深紅の曼珠沙華を見
た。
この時期になると、高麗川の「巾着田」の群生を、今ほど人波がなかった昔、散策
したことがあった。通い慣れるうちに、あまりにも強烈過ぎる絨毯模様に食傷気味
になってしまった。
昨年、江東区の「清澄庭園」で見た雨上がりの花も良かった。また23日のお彼岸
には、あきる野本願寺のヒガンバナが見ごろのはず。

先月は、秋留台地を縫うように流れる平井川下流が、JR五日市線の「多摩川鉄
橋」下で一級河川多摩川に合流する景観を、三角洲に立って見た。
今回は、その上流篇、源流探索と云うことになります。
川は道路を右に左にS字型に刻みながら、次第に山間を遡っていくが、源流に近
づくにつれて判ったのは、「つるつる温泉」脇の清流と同じであると云うことだった。
この沢を伝って行くと、標高900メートルの「日の出山」の水源にたどり着くはず。
昨年、梅雨時にGyoとハルと三人で温泉登山口から日の出山に登頂して、御岳
まで尾根歩きをしており、平井川水源地をイメージすることができました。

(←ブログ:2014・9・1「二百十日と関東大震災」)

2014年9月15日月曜日

八甲田山へ 記憶の断層42        765          

三内丸山遺跡・大型掘立柱建物前で
天はわれ等を見放した、の『八甲田山死の彷徨』(新田次郎著)と、その映画化
で知られる八甲田山へ向かう。
八甲田ロープウェイで山頂公園駅に着く。

八甲田山と雪中行軍遭難の碑(影 Penta)
ロープウエーで田茂萢岳の頂きにたどり着いたが、そこは、冬の吹雪く季節でな
いにもかかわらず、冷気漂う魔の山があった。

僕の友人も出演している映画『八甲田山』(森谷司郎監督)と云うこともあって、そ
の映画は数回観ている。そして映画の原作となった新田次郎の小説も読んでい
るが、観測史上、記録的極寒のなかでの死の行軍の事実は、凄まじいものであ
ったらしい。
映画のロケでも、事実に限りなく近いリアリティを映像化するため、八甲田山に長
期撮影を敢行し、出演者のなかには脱落者が出る困難があった、と浜から聞かさ
れている。
スキーでは雪を楽しむが、一方で襲いかかる豪雪の恐怖を知らされるることにな
る。
じごく沼、まんじゅうふいかしをハイマツを踏み分けて1時間ばかりかけて散策。
アオモリトド松の大きな実が目立ったが、もう、花はなかった。

2014年9月14日日曜日

シャツ出しとボケ老人!          764


「シャツ出して十才(とお)は若いと誉められる」、新聞の投稿川柳が目に入る。

最近、僕の軽装、特にジーンズのとき、シャツを内に入れていたら、シャツ出し
が当たり前のように、宴席の同世代の男、女にすすめられた。
たしかに、街中で見かける50代以上のファッションの大勢が「外出し」で占め
られているようだ。勿論、若者はあたりマエダのクラッカーになっているが、、。

ところが、僕も従来の慣習を切り替えて、シャツ出しにしてみているが、どうも
落ち着かない。
戦前生まれといわず、60、70年代世代の共通感覚として、男のシャツは丁寧
にズボンの内に押し込む習慣に馴染んでいるからだろうか。
流行といえばすむのでしょうが、若者の真似をしてシャツが外にヒラヒラしてい
る様は、手の動作が鈍くて押し込むことすらできないボケ老人に思われることを
危惧してしまう。
さて、今後、ニューファッションを踏襲か、元に戻すか迷いどころ、、、。

2014年9月13日土曜日

復興の大槌町/14・8月の定点写真    763

(2014・9「広報・大槌」)

8月23日、大槌町城山からの定点観測写真です。
一ヶ月前の定点観測写真から上記風景まで、ほとんど進捗は見られず雑草の緑
が濃くなったぐらいか、、、。

いま、東京から全国の都市部では建築ラッシュの活況を呈している。震災直後に
は想像できなかったこと様相です。あのバブル時期を越える勢いだと云う。
オリンピック誘致の決定直後には、被災地の人たちも明るい活力を期待して喜ん
だが、今では逆ザヤになっていると言っていいだろう。
人件費は天井知らずの高騰が続いているし、建築資材もほぼ2倍に跳ね上がっ
て推移しているようだ。
被災地は、国の復興予算の基準設定のなかで、復興再建住宅や土木工事を仕
切ってきているので、業者が決められない入札不調が続出して停滞を余儀なくさ
れている。
良い例えではないが、悪貨が良貨を駆逐する現実で、都市部の建築バブルに比
して被災地の復興は厳しい状況下に置かれている。予定の8パーセントに満たな
い現状を知るにつけ、3・11の地震、津波は忘れられた感じになります。

倉敷の甥っ子は基礎建築請負で、東北被災地にも出かけているようだが、見積
もりの高きのみに流れず、復興支援のビジネスで行動してほしいと願っている。

2014年9月12日金曜日

大槌町浪板海岸「風の電話」を観る!    762

(2012・3影 Can)


早朝、Gyoが電話で「佐々木さんの<風の電話>を4chで放映してるよ」、と知ら
せてくれた。

昨日から続く、3・11から3年半の震災特集でした。
途中からしか観られなかったが、佐々木格さんのベルガーディアの庭作業に勤む
元気そうな姿を見ることができた。そして、何より庭に佇む白い電話ボックスの中
に置かれた黒い手動式電話機が、良く手入れされて黒光りしていたのが印象的
でした。

「風の電話」の映像を見て、3・11大震災から3年余の歳月が流れるなかで、被
災者の生き残ったいろんな人が、いろんな想いを抱いて多く訪れているのを肌で
感じました。
風の電話が在りつづける理由は、3・11大津波で親、子ども、親戚縁者、友人を
亡くした喪失感を埋めてくれる不条理だろうか。


2014年9月11日木曜日

『幻の街に あの娘が」を聴く!      761

被災大槌駅から中心街へ(2012・3影 Can)

311東日本大震災の発生から、今日で3年半を迎えました。
朝から、その特番がしきりにながれている。

そのなかで、NHKの「大槌ロックバンド物語”幻の街”」を観た。
記憶が甦るときには様々なキッカケをともなうが、縁あって大槌の町を震災前か
ら知り、被災後も足を踏み入れている者にとって、このドキュメンタリーは胸を震
わさせられるものがあった!
被災地大槌町のロック/バンドが3年半振りにメンバーがそろい、新曲を披露。
被災前のよ市には、彼らのバンドなくしては始まらない人気グループになってい
たようだ。
大槌町のアマチュア・バンド「大槌ムーミンズ」のメンバー全員が被災後、始め
て集まった。これまでは、カバー曲のみだったが、始めてオリジナル曲に挑む経
緯を追っていた。

被災後、大槌町を出て花巻で新しい仕事についているヴォーカルの人、江岸寺
の亡くなった家の墓石を写真で撮りつづけているリードギターの人を、バンドリー
ダーの40代半ばになった赤崎(喫茶店・夢宇民オーナー)さんの呼びかけで再
結集する。
曲目は、「幻の街に あの娘が」。
津波で消えた大槌の町が、嵩上げなどで新しく変貌する姿を映像で追いながら、
3・11震災前の街並みや、亡くした友を記憶に残したい気持ちを込めるオリジナ
ルソングに取組む赤崎さんの日常を追う。
「何年かかるかわからないが、よ市をやりたいと仲間とも話している」と語った。

(←ブログ:2013・1・3「ほうでなす!199」
大槌町安渡出身・忠丸さんオーナーのjazz barが、東京新宿に在る。)

2014年9月10日水曜日

「水曜会」の出入り!            760

(2014・9・10影 tabu)

「水曜会」の前身は、1999年の春先だったと思うが、白井T、渡辺K、森Mらと
それぞれの会社に近い珈琲店に早朝集い、雑談する会でした。
すでに、15年になるわけで、いまでは三省堂書店「放心亭」に移して、出版業界
関係者がお喋りする正午からのオープン食事会になって久しい。

今日は、瀧井さんがハワイ帰りでガーリックの効いたナッツみやげ持参で出席。
別荘代わりにしているフォー・パトルの前に高層ホテルが建築されるらしく、そう
なると、宿の窓から眺望できたワイキキの海が見えなくなることを嘆いていた。
彼の三世代ファミリーが「別荘」にしてきた「気分」を大いに損なうことと思われる。

最初からのメンバー三省堂書店森さんが途中登場。
八ヶ岳東斜面1200メートルの白樺林にあるRHと季節の農作業の話が出る。
数年前に、畑の開墾と草取りで汗を掻き近くの温泉に浸かったことがあります。
他に、『吉村昭伝』(笹沢信著・白水社刊)の著者の話が出る。
森さんは二年ほど前に、吉村昭について熱く語ったことがあり、今年刊行された
上記の評伝を評価すると同時に、著者笹沢信が亡くなったことに衝撃を受けて
いるように受け取りました。
最後に、運動不足の話題になり、皆さん結構、早朝のラジオ体操をやっている
ことを知ってビックリ!

東五軒町にKanさんと一緒に行く途中で、牧野S(ブリッジ)に逢い立ち話し。
3・11被災した大槌町の書店(金崎書店)に昔縁があったことなど、、、。


二夜連続の午前様はキツイ!        759

(2014・9・影 Tabu)
一昨日は、編集会議のあとナオキさんの古希を祝って薩摩焼酎を開けてしまった。

昨日は異業種仲間の集まり。魚が飛び切り美味しい居酒屋(神田)で飲み交わす。
居酒屋は、千葉千倉の漁師のお店で、まずKanさん指定の新鮮なかつおやマグロ
の刺身の盛り付けが出る。取り皿が、わさび用と摺りおろししょうが用、別々に配慮
されているのがイイ。
自家製の、熱々の丸てんは小腹を癒すのに絶品だった。他に、いなだかぶと焼き、
あさり蒸しと、、舌ツツミしたが、いずれも美味しくお酒がすすんだ。

同席の面子は、企業PRコンサル、出版コンサルに、ジャズ批評を得意とする女性
で、ほとんど始めての顔合わせながら途切れなく話がつづいた。
不動産鑑定士など育成の専門学校再建問題と代ゼミグループの新展開をめぐっ
て。
研究社、ランダムハウス、ジャストシステム(一太郎)を経験するKanさんに強い関
心を示すEhさんの聞き込みが続いた。辞書制作の裏話など丁寧な話に、、、。

ほかに、朝日新聞が立ち上げた「自分史制作サポート」事業部の背景について。
自社の豊富な資料と記者の取材力・作文術を駆使して、自分史を残したい需要者
を組織化するビジネスモデルと思えるが。
硬軟入り乱れて、1960年代に出入りしていた新宿のジャズ喫茶の話に、、、尽き
ることなく続く。



2014年9月9日火曜日

最北端「三厩」経由で三内丸山遺跡へ 記憶の断層41 758

津軽半島終着駅三厩(影 ペン)
三厩駅(みんまや)経由で青森市内に入り、駅から10キロ余郊外の森に囲まれた
「国際芸術センター青森」に入館。
芸術センターのそばにある「ねぶたの里」にも寄る。薄暗い館内には、過去のね
ぶた祭りの優れもの「竜飛の黒神」「船弁慶」などが並べられていた。

一度だけ、仙台七夕を見て青森まで足を伸ばし、本番を道路端で見ている。曲が
りくねるねぶた、二拍子で猛ける跳人。北国の短い夏の空を突き抜ける圧倒的響
に身震いした記憶がある。祭りが跳ねた後の静寂感がまた独特のものだった。


大規模な縄文集落、三内丸山遺跡へ。
大型掘立柱建物跡に想定復元を見る!
約1500年以上継続して営まれた日本最大の縄文集落跡として、例を見ない貴
重な遺跡。縄文の鼓動が聴こえてくる不思議ワールドでした!

2014年9月7日日曜日

『従軍慰安婦と靖国神社』を読む!    257


(2024・9・7影 tabu)

田中克彦著『従軍慰安婦と靖国神社』が、未来屋書店(日出店)で目に留まり、
購入する。

田中克彦の初期著作に『モンゴル革命史』(1971年未来社刊)やモンゴル革命
史関係の翻訳書がある。その後、比較文化論、言語論で、闘う言語学者として
名を知られるようになるが、初期の本読みから久々にタイトルに惹かれて、購
読した。

最近主流になってきている「従軍慰安婦」を歴史認識問題からとらえる風潮に
違和感を抱いていたところに、タイミングいい本に出あった思いです。
戦中生まれの僕の感覚からは、疎開や、在日朝鮮人問題や、教科書の統制を
知る最後の世代ゆえに、敗戦を境に日本の社会が一変していく様が皮膚感覚
として残っている。この感覚を歴史認識で一刀裁断されても困るのであります。

著者の言う「ココロの問題」は、今大勢になりつつある慰安婦問題や靖国神社
問題に異化作用を起して、黙っていられないことからの発言である。
ゆっくり、再読します。

2014年9月6日土曜日

八ツ目ウナギ!               756

入池前のヤツメウナギ(2014・8影 Can)

わが家の小さなひょうたん池には今、ハルが夏休みに捕った八ツ目ウナギやイダ
やスナモグリにメダカ、そしてカワエビが生息しながらテリトリ争いをしています。
ナマズモも一緒にいたが獰猛で共食いを始めたので、ハルの了解を得て堰の川
へ返すことにした。

八目ウナギがちょっと変わり者で、ほかは川に生きる何の変哲も無い身近な川瀬
の生き物です。しかしながら、東京メダカは今や絶滅危惧種の仲間入りというから
ビックリしています。
いつの頃か、ハルの周りでも子どもたちが、観賞用のメダカの種類や色を楽しみ
ながら飼育しているのを見かける。
華奢で小さな魚体でありながら、以外や生命力があるのに驚きます。

「八目」について子どものころ教えられたのは、眼の後に7対の外鰓孔を持つの
で合わせて八目と呼称されると。ウナギ型の体つきをしているが、体長は20セン
チから30センチぐらいの成魚しか知らない。
さて、既に池で生活を始めて一ヶ月たつ野生の八ツ目ウナギは、これからどこま
で生き果せるのか楽しみになってきた。

2014年9月5日金曜日

二つの証言をめぐって。           755


今週も「週刊文春」、「週刊新潮」、「週刊ポスト」が、「朝日新聞」特に木村社長に
フロント記事で批判をあびせている。

従軍慰安婦の根拠付けになった「朝日新聞」の記事の一部を8月6日(慰安婦問
題を考える)、朝鮮人慰安婦強制連行の吉田清治関連(虚偽)の記事「取り消し」
にした。
これまで、朝日が従軍慰安婦有無を立証する拠りどころにしていた経緯の見直し
故に、週刊誌は一斉砲火に転じたきらいがある。

また、朝日新聞は福島第一原発の吉田昌郎所長の「調書」にかんするスクープ
記事を打ちあげたが、問題が指摘されています。
僕は朝日新聞を購読しておらず、図書館、公共のラックからも読む機会を逸して
いるので、情報が一方的なになっているのかも知れないが、他紙や週刊誌のバッ
シングの異常さを感じる。

このところ、「朝日新聞」の対応の拙さで矢面に立たされている、広告拒否や池上
彰の慰安婦報道の検証記事の掲載打ち切りトラヴル、、、。
姑息にならず、堂々と、墨消した広告や拒否などせず、池上コラムも載せて論陣
を張ればいいと思うのだが、ドツボにはまる何かあるのだろうか、、、。

未来社から1960年半ばに出版した、パク・キョンシクさんの『朝鮮人強制連行の
記録』(朴慶植著)があります。本書が出て手にしたときの衝撃を今も覚えていま
す。
炭鉱、鉱山労働者として、九州から東北で多くの朝鮮人が徴用されていたのは、
記録・史料で明らかです。この「連行説」は、当時、広がりを見せなかったが、今、
慰安婦連行と同じ捏造として断じる多勢が不気味です。
パクさんとは、来社すると面対して話す機会が多くありましたが、穏やかに「和解」
を語る裏づけをもった方でした。不審な交通事故で亡くなりました。




2014年9月4日木曜日

弱り目にたたりめ。             754


目に涙が溜まることが多くなってきた。
特に視力が低下しているように思えないのに、涙が視界をさえぎる。そのために、
神経が一点に集中することで疲労がいちじるしい。

僕自身、生まれつき左右の目が極度にアンバランスで独眼に近い状態で過してき
ました。
ところが、絶大な信頼をおいてきた良い目のほうに弱り目を自覚するようになって
きた。遠近の感覚に微妙なずれが生じて、焼酎お湯割の茶碗を取り損ねるコトと
か、読書で行間が飛んだりとか、辞書を引いて拡大鏡を使うとか、歳の所為にして
いるうちはいいが、文字が読めなくなったら冗談では済まされなくなるだろう。

視力低下の原因は、老人性進行があるだろうが、パソコンや特にここにきてタブレ
ットの小さな電子文字に接するようになってから、涙目になっているよううに思う。
自分は、恒常的に同一の大学病院付属眼科と、メガネ屋さんに継続してサポート
してもらっているが、今の状況は眼鏡の調整でどうなるものでもないように思える。


2014年9月3日水曜日

昌平橋あたりから神保町へ         753

昌平橋から(2014・9・3影 Tabu)

午前中、外神田に移転した太洋社に行く。要件を早く終え次の例会先の神保町へ
向かう。

正午まで少し余裕ができたので、蔵前通りを歩き始めたら神田川にかかる昌平橋
に出た。運河沿いの高架を有効利用して立ち並ぶ居酒屋やコーヒー店やカラオケ
の看板 、ネオンが新しい都市の風景に変貌していた。
20余年前、洋泉社で『街はクロスワード』(松井雅彦・藤井経三郎・浅井義泰著)と
『都市と色彩』(吉田慎悟・藤井経三郎著)を刊行しているが、当時がちょうど街づ
くりのハシリで、二冊とも話題になったことを思い出す。
海岸埠頭のロフトや高架線下の倉庫をモダンに造りかえる事例をカラーで展開し
たものだった、と記憶しています。

この昌平橋から約250メートル上流が万世橋(肉の万世)になります。
神田川に架かる橋は由緒ある名前の多いことに気付く。
旧太洋社の前が、神田川上流に架かる石切橋だったから、縁あって、川伝いに
昌平橋近くに移ったともいえます。


2014年9月2日火曜日

羽村の水田!                752

稲穂たなびく!案山子(2014・9・1朝影 タブ)
羽村には、一年中、有効に活用されている水田があります。

過日、水田の一画で8月上旬に咲いた「大賀ハス」について愛でたが、本来のお米
作り、秋から冬を越して春にチューリップを栽培、睡蓮畑になり、子どもたちの野外
体験教室、そして、観光を不断に楽しませてくれます。

立て看板に、羽村の子どもたちが、苗を手にする春の田植えから稲刈りまで、生き
た「学習」と、農家の皆さんやボランティアの人たちの交流する「場」になっている、
と。
羽村は、村から町へ、そして市制が引かれて、人口は増え続けているが、水と川と
花と、僕が知る50年以上にわたって、この地域の景観が全く変わることなく保たれ
ています。
東京田舎という由縁です!

2014年9月1日月曜日

二百十日と関東大震災。           751

鯉川源流(2014・9・1影 ケイ)

今日は9月1日。関東大震災による惨禍の日。すでに大正時代から歳月が流れ
て悲惨な体験を語る人も少数になっていく。僕の父母が生誕した時代で、すでに
この世に居ないのだからもっともなことにも思える。

また、今日は立春から二百十日。台風襲来、暴風雨盛んな厄日とされている。
昼前に急遽思い立ち、「鯉川」の水源を目指して、たどり着いた頃、小雨から強
い降雨に変わった。引き返し帰る途中、羽村大橋から見る多摩川は、魚道が隠
れる濁流に変わっていた。多摩川でも、かつて対岸の民家が流出する災害を経
験している。
関東大震災に遭遇したのが、朝から強風で、地震が襲った正午前は、昼餉で火
を多用する時間帯、一気に火の海と化した悲惨な状況が語り継がれている。
さらに、東日本大震災の体験を考えるなら、風化に抗する難しさ、見たもの体験
したことを記録する力、記憶するリアリティを引き継いでいかなければならない、
と思う一日だった。