2016年6月30日木曜日

孤高の政治学者を悼む       1422

書影(イザラ書房・1977・1刊)
或る政治学者の訃報の知らせがあったのは、6月18日のことでした。

いろんな思いがめぐりそうこうしているうちに、身内のひとから、本当にごく限
られた親族だけで棺をしめたとのことを聞きました。
亡くなったこの人が最初に、「マルクス主義政治学」を唱えた若かりし頃一度
だけ会っている。

最初の政治論文集として、『革命とコンミューン』がイザラ書房から刊行され
たのが1969年だった。
当時ぼくはすでに運動からは離れていたが、思想的影響を受けていた三浦
つとむや梅本克己の論究にこだわっていて、彼もまた三浦の「丸山政治学」
の論考のなかに、自らの直感を理論的に位置づけるのに大いに影響された
とことわっている。
そんなことで、本書の内容についてもちょっとインパクトがあって、一度の遭
遇のなかで、書評と期待を込めて語った記憶がある。
その後は、在野の学究としてブレルことなく、大著『国家論大綱』全2冊を著
に至っている。

新著が出るたびに、変わらない書体で、「謹呈」にはじまって僕の姓名、著者
名を几帳面に署名して送られてきた。 
出身が倉敷で同郷だっただけに、二度と話せぬまま旅立たれたのが残念。
合掌。

2016年6月29日水曜日

『この国の空』           1421

書影
読んで観るか、観て読むか。
今回は観て、再読しました。

高井有一の小説は少なからず読んできた。
と云ううより、高井さんに会ったのが共同通信の文化部記者時代で、書評の依頼
などさしたるアポ入れすることもなく面談してもらった。
ちょうどこの時期、『北の河』で芥川賞を受賞したのにはちょい驚いた記憶がある。
そして、昨年夏に映画化された「この国の空」の原作同名小説が刊行されたのが
1983年12月なので、随分経っている。

映画は、荒井晴彦脚本・監督、出演・二階堂ふみで、舞台となる1945年の東京
空襲下での19歳少女の「一番美しいとき」がなんとも言えないリアリティーを放つ。
毎日のように「この国の空」をめざして飛来する爆撃機の不気味さや、隣人社会
にただよう厭戦感などが静かな映像で迫ってくる。
父のサイパンと重層して、アメリカがマリアナ諸島攻略後の基地化で本土空襲が
過激化したであろうことを再認識させられる。

敗戦から70年たつ今も、「この国の空」がイラク、シリア、パレスチナ自治区に厳
然としてあると云う事実と想像力をかきたててくれる。

(←ブログ:2016・1・29 「『駆け込み女と駆出し男』を観る」1269)
(←    :2016・2・7  「『バンクーバーの朝日』を観る」1278)
(←    :2016・2・18 「『チャイルド44/森に消えた子供たち』1289)
(←    :2016・3・12 「『ブレイキング・バッド』を観ている」1312)
(←    :2016・5・8  「「あん」を観る/樹木希林と市原悦子」1369)
(←    :2016・5・22 「『海街diary』を観る」1383)
(←    :2016・6・21 「「ブリッジ・オブ・スパイ」を観る」1413)


2016年6月28日火曜日

采配にブレはないか        1420



引退して解説者になった彼は、結構和田監督の采配のブレを批判しておきなが
ら、いまどうだろう、、。

まず、負けたときの敗因分析がほとんどなされない。先に広島カープとの3連戦
を無様な逆転負けを喫しているが、9回一死1塁3塁の場面で新井お兄ちゃんを
敬遠して満塁策をとり、あえて1打サヨナラの場面を提供してしまうのか、腑に落
ちない。ここまで投げてきた岩貞が同点にされると救援投手にかえる采配は、最
後まで任せきれず足が地についていない感じだ。
岩貞を8回、9回まで続投させた意味は何だの、と云ううことです。

鳥谷が連続打席安打で久々に復調した姿を見せてくれているが、、。
相手の山口投手に対いて、一度対戦して2安打1ホームランで相性がいいので
期待して観ている。
で、今夜の対De戦はどんな結末があるのか。

(←ブログ:2016・3・1 「トリが変わった」1301)
(      :2016・3・25 「143分の1試合」1325)
(      :2016・4・3  「飛んだⅤ打 桜が咲いた!」1334)
(            :2016・5・2  「寄居「京亭」とキャッチャー原口文仁」1363)
(      :2016・6・4 「鳥谷選手の自制心」1396)




クラス会の様相に         1419

夕暮れ歌舞伎町(2016・6・27影:Tab)
今日は月末の例会に出た。

アキさん&セツ、エミ、アイ、モリとエフ、、が出席。
アキさんを囲む会のようなものなので、彼は御茶ノ水の病院でリハビリ中の結果
診断を受けて後駆けつけて来る。
都心の端から無理しているところがあるが、元気な登場を見ると安心する。

「風の電話」を観て、みな注目していた。涙が流れたと、、。
アキさんとお寺の泥出しを終えて、佐々木さんの家を訪ねた日の話になる。

前にアイちゃんが紹介してくれた小説「あん」(ドリアン助川著)と映画をめぐって、
ハンセン病の話に及ぶ。
ぼくの幼おんな友達が岡山県瀬戸内の長島に在る愛生園の看護学校で研修した
何の心配もなかったこと。
伝染力の極めて弱い病原菌による慢性の感染症であること。
接触しても感染することはない。
遺伝病ではない。

(ブログ:2016・5・31 「アキさん83歳か!」1391)

2016年6月26日日曜日

悠久の多胡の碑/記憶の深層4   1418

多胡の碑の堂&カブラギ川(影:Pen)
自家用車で旅するなどとんでもない昔、電車とバスを乗り継いで群馬から長野へ
旅したことがある。

多胡の碑を訪ねた最初のときは、上信電鉄の吉井駅下車して舗装道路から田圃
道を30分ぐらい歩いてたどり着いた。
近くには利根川水系の鏑川が寒々と流れていた。
国文学の研究課題として、多胡の入野、万葉恋歌の「多胡能、、」が刻まれた石
碑の実地検証でだった。
近年、上越からの帰りや、信州方面、軽井沢からの帰路あえて普通道を走って
みるが、碑のある場所の静かな佇まいは全く変わっていない。

(←ブログ:2016・2・22 「記憶の深層/東京で最初の川苔山登山」1293)
(←ブログ:2016・2・25 「犬吠碕へ/記憶の深層2」1297)
(←ブログ:2016・6・18 「関の五本松/記憶の深層3」1410)


サイパン島のグロット        1417

サイパン島のグロット(影:Cas)
ダイビングについて記した翌朝、村上龍のイメージを掻き立てる美しい文章に接
した。

マレーシアの首都クアラルンプールから、さらに高原に向かったところに、ジャン
グルに囲まれたフレイザーズ・ヒルというリゾート地がある。
村上龍はそこに滞在中、気晴らしにロッジ前をしばらく歩きジャングルに入って行
く小道があって、奥に歩を進めた。しだいに枝葉が頭上を蔽い、足元がおぼつか
ないほど暗くなり進退きわまる不安になっていたところで、ジャングルの円形の隙
間から差し込む光を見た。自由と希望と云う言葉を連想した、と。

この感動を、サイパン島のグロットという海底洞窟のダイビングで太平洋の外洋か
ら差し込む光のシャワーを見たときも、似たような感慨を持ったと思いだしている。

ぼくも、このグロットに挑戦するために重いエアタンクを背負い地上から数十メート
ル降りて地底岩場に立ったときの怖さと、ダイヴして体をひねりながらグロットを進
むと、ぽっかり空いた海中に自分の気泡と乱反射する光のシャワーの光景を見て
開放感に浸った。

(←ブログ:2016・6・23 「スキューバダイビングに魅せられて」1415)



2016年6月24日金曜日

ことしも三関からのさくらんぼ🍒    1416

(2016・6・24 影:Sm)
ここ数年秋田三関のさくらんぼを数人に贈っている。

このさくらんぼ産地、秋田湯沢の三関(みつせき)の果樹園地帯を流れる雄物川
沿いをMPVで走ったことがある。
この地が、かつて一緒に働いた同僚の故郷であることは当時知らず、定年後、
本格的に果樹園を始めて収穫物のご相伴にあずかってからのことです。

聞くところでは、低木化の研究が進み、さくらんぼの実は大人の目線から頭上に
かけてスズナリになるようです。
剪定が腕のみせどころなのでしょう。5年、10年、さらに先の枝ぶりをイメージす
ることがポイントになるのかな、、。
品種改良は年々進んでいるが、今回の物は「佐藤錦」だそうです。
新鮮、粒そろい、甘くて美味しい!

早朝三時起きで、完熟の最高な食べごろの実を一つ一つ傷をつけないで摘み、
芯を残した選定に神経を集中する姿に既視感があります。

(←ブログ:2015・6・19 「雄物川とさくらんぼ」1044)



2016年6月23日木曜日

スキューバダイビングに魅せられて  1415

サイパン/ラウラウ
仕事の第一線を引いて、自由な時間ができスキューバダイビングの再チャレンジ
を計画していた矢先に3・11の津波震災に遭い、しばらく曳いてしまった。

サイパン島との縁で60歳から始めたダイビングですが、自分のペースでゆっくり
海中を楽しむ経験がたまらなくイイ。
この遊びは、シニアたちも若い人も一緒にダイヴして、パディの指示のもとで回
遊し交流できるのが楽しい。

レニ・リーフェンシュタールではないが、年を越えてえ楽しんでやろうとおもってい
たが、何より重要な健康管理面での問題が出てきて、さてッと思っている。
血圧の安定化が必須だし、動脈硬化現象があると減圧症・潜水病になりやすい
縛りがあるので、自己管理の再構築をめざす決意をしているところです。

(←ブログ:2016・5・23 「ハルのサポーター/スイミング篇」1384)

2016年6月22日水曜日

凝縮した時間感覚          1414


きょうは、月に一二度たて込む御茶ノ水&神保町の日になった。

午前中、飯田橋で週例の打ち合わせをすませ、御茶ノ水駅から駿河台下に向か
う坂をゆっくり下る。少し湾曲したさして急な坂道ではないが、腰の鈍痛を気にし
て歩行が狭まりそろりと歩く。
以前、会社への毎日の通勤で往復していたころの急ぎ足が羨ましい。

ちょっとひと休みのつもりで寄ったすずらん通りの地下喫茶店で、元岩波書店の
Ⅰさんに遭い、ボランティア活動のことやら近況を聞く。
次に三省堂書店のMDへ、急だったので調整がつかず、帰宅してみると、添付
資料で送ってくれている。つくづく、便利になった処理能力を実感する。

時間をぬって、一年ぶりに胃がん手術後のTさんと駿河台下三省堂地下の「放
心亭」で落ち合う。さほど大きくない体格が10キロ近く細り痛々しい。だが、スイ
ミングを継続しているので、筋肉隆々だった。
ボケ防止のためと云う原稿100枚を預かる。

続けて2階に上がり、新刊『アマチュア落語に挑戦する本!』の著者を言視舎・
杉山社長から紹介される。7月の三省堂書店イヴェントについて進行経過を聞く。
その後、店内で洋泉社編集者Nと偶然会い、近くのコーヒー店で活躍ぶりを聞く。

2016年6月21日火曜日

「ブリッジ・ オブ・ スパイ」を観る    1413


米ソ冷戦下の1960年、アメリカのスパイ機U-2がソ連上空を飛行中に撃墜
された。雪どけムードの米ソ関係、一転して凍りつく。
「米ソ核実験反対闘争」を行っていたさ中の事件だったので記憶している。

その裏に隠された史実がスピルバーグ監督、コーエン兄弟の脚本でサスペン
スドラマに仕立てられている。俳優は、トム・ハンクス、マーク・ライランス。

物語は、撃墜事件の3年前(57年)、ソ連のスパイ、アベル(ライランス)が逮捕
され死刑が暗黙の了解の裁判で、被告の弁護士を国に押し付けられたブルック
リンの弁護士ドノヴァン(ハンクス)は判事に生かしておけば役に立つときがくる
と説得した。
スパイ機U-2の撃墜で、彼の提言が生きることになる。
収監された飛行士と、死刑を逃れたソ連スパイと捕虜交換する。
ドノヴァンが立会人に指名されて、62年にソ連の指定するベルリンのグリーニ
ッケ橋の上で両者の交換が実現した。

アベルは、「帰国したらウオッカを飲む」と言い、獄中でドノヴァンを描いた絵を
渡す。

米ソの官僚的役人たちへの批判を込めながら、体制が違うが誠実な二人の間
に通じ合える気持ちをヒューマンに描いている。

(←ブログ:2016・1・29 「『駆け込み女と駆出し男』を観る」1269)
(←    :2016・2・7  「『バンクーバーの朝日』を観る」1278)
(←    :2016・2・18 「『チャイルド44/森に消えた子供たち』1289)
(←    :2016・3・12 「『ブレイキング・バッド』を観ている」1312)
(←    :2016・5・8  「「あん」を観る/樹木希林と市原悦子」1369)
(←    :2016・5・22 「『海街diary』を観る」1383)


2016年6月20日月曜日

鮎                1412

(影:Pen)
6月はアユ釣りのシーズンになり、近くの秋川も待ってましたとばかりに一斉に
にぎわう。

友人のカンさんが静岡の川で、数十匹の好釣果を挙げた写真がネット上で紹
介されて大いに話題になっている。
むかし、オヤジや伯父が吉井川上流で友釣りをしていたのを見たことがあるが
せいぜい10匹止まりで、普通に23十匹釣りあげるカンさんの腕は見上げた
ものです。

オヤジが凝って作っていた「潤香」の思い出があって、彼に御所望したところ、
魚体が小さいのでまたの機会に、と言われてしまった。
成魚は川のコケだけを食べるため、身にはキュウリのような一種独特の夏の
爽やかな香りがある。ウルカは子供のころは生臭くて食べられなかったが、今
では、酒の肴に最高に贅沢な逸品です。

一度だけ、アユ釣りに魅せられたことがある。
釣具はすべて用意してもらって、富士川の支流ではじめて友釣りを体験した。
鮎が針にかかった瞬間、手元に強いヒキがくる。忘れられない感触です。

(←ブログ:2015・6・1 「鮎の日」1026)

2016年6月19日日曜日

オヤジの酒と僕の酒         1411


オヤジは無類に酒が好きな方だった。
しかし、昭和19年にサイパンから引き揚げ帰国させられ、家に帰ってきてから
数年は飲酒する姿を見なかったように思う。

その間の教師に復職できない時期を様々なことをして過ごし、戦後5年ほど経
って小学校の先生として教壇に立つことになりました。
この前後から酒を浴びるほど呑むようになったと記憶しています。内心の機微
については分からないが、僕は、「教師の子として」嫌な思いを多々した。

さて自分のことだが、学生の頃はオヤジの酒癖がトラウマになりほとんど酒を
嗜わなかった。その後は、父や祖父などの血筋を受け継いだのか、酒豪では
ないが酒を飲む部類になってしまった。
さすがに、仕事の現役ではなくなって、外で飲む機会と酒量も次第に減りつつ
ある。
酒の好みも年とともに変遷してきた。ビールやハイボールなどのウイスキーに
はじまって、居酒屋の燗酒、スナックやバーではバーボンにズブロッカときて、
いまではもっぱら焼酎から限定イモ焼酎をヨシとしている。
下戸の弟の無理して「場」をつくろってつきあう姿を見ると申し訳なく思う。
血筋説も怪しくなってくるが、、。

(←ブログ:2016・6・9 「オヤジのこと」1401)

2016年6月18日土曜日

関の五本松/記憶の深層3      1410

(1963・8影:Pen)
島根県美保関漁港の西の突端に「関の五本松」があって、境港から小型ポン
ポン船で渡ったと思い込んでいるが、ルート上正しいのだろうか。

1963年8月、田舎のお盆に帰郷して、その帰りは山陰周りで上京した。
その際、途中、境港に寄ったついでに民謡で「関の5本松一本伐りゃ4本、あと
は伐らぬ夫婦松、~」と歌われるクロマツをみたくなり舟に乗った。

2005年4月にも境港へ行き、海鮮れすとらん「四季庵」を訪ねている。
この店の、「ピチピチした新鮮な海の幸」をキーワードにしたCMがTV地方局で
放映されたことに縁あってのことです。
このとき、国の天然記念物にも指定されていた「関の五本松」について聞いて
みた。台風などによる倒伏が相次いで1本にまで減少したため、指定解除にな
り、その後、最後の1本も伐採されてなにも残っていないと、侘しいものです。

(←ブログ:2016・2・22 「記憶の深層/東京で最初の川苔山登山」1293)
(←ブログ:2016・2・25 「犬吠碕へ/記憶の深層2」1297)

2016年6月17日金曜日

書店と花屋さん           1409

(2016・6・13影:Tab)
いま書店は競って、本と文具と雑貨にカフェのある空間をつくっているが、これ
だけ書店の正面を綺麗にフラワーショップとみがまふのを見たことがない。

実はインテリアではなくて、れっきとした有隣堂書店の「花屋」さんであることが
わかった。
この景観が見られるようになったのは古く、35年余り前から変わらない御馴染
みらしい。きっかけは、1978年にイセザキ・ショッピングモール計画の進む中
で、外装を一新したころの登場。
外国の書店研修から帰ってきた松信泰輔社長の発案とも聞いているが、、。

こうした空間は、地べたで自前のスペースを持っているからこそできることなの
だろうが、全国一万数千店ある新刊書店のなかでも珍しい。
本好きな読者は勿論のこと、社員も清清しく気持ちよく働けるのではと思う。


2016年6月16日木曜日

イワシ一色のリスボン        1408

ババへお土産の缶詰(2016・6・16 影:Can)
Gyoのポルトガルからのお土産は缶詰でした。
6月のポルトガルリスボンは、「イワシ祭り」で町中が飾り付けや屋台や縁台風
食台で埋め尽くされ、老若男女が夜を徹して楽しむ様子がメールで入ってき
た。 「檀一雄も大好きだったイワシです。」と。

リスボン発の芝居の連作は観ているが、イワシにまつわる風俗は初めて知っ
た。この話を聞いて、魚大好き人間の自分としては、飛んで行ってイワシを焼
く油煙と漂う香りのなかを食べ歩き、満足、満足感いっぱい、酔っぱらってみ
たい誘惑にかられる。

そういえば、昨秋、「ホテルリスボン」(作演出・桃井章/友人浜田晃出演)の公
演が、恵比寿の「テアトロロジャージャン」であったが、この小屋にはBar「ジャ
ージャン」が併設されており、リスボン名物のジンジーニャ、ポルトガルワイン
にサーディンのホットドッグがウリだったが、、。
次回の公演の案内が、偶然今日郵送されてきた。
やはり、はるばる来たぜリスボン、、の延長演か。
出し物は、『お棺発子宮行き鈍行列車』。死者と生者のリスボン旅行記、とある。 
現役、浜田晃に乾杯!

(←ブログ:2015・10・31 「「ホテルリスボン」を観劇」1179)


2016年6月15日水曜日

56年目の6・15           1407

書影(1960年/現代思潮社刊)
きょうは、1960年6月15日から56年が経っている。

今朝からしとしと雨が降っているが、この日になると僕の気持ちは、一瞬60年
6月15日のサーチライトが照らし出す国会議事堂構内にもどって居る感じに
なる。

60年は「安保改定」に対してであったが、いまは、ますますモンスター化する
自衛隊の「安保法制」の問題が危機的にある。
安保法制に反対するデモについては、半世紀以上たって「若い人」も結集して
ニューウエーブの兆しがあることに期待しよう。

(←ブログ:2016・6・16 「6・15と安保法制」1041)


2016年6月14日火曜日

ひょうたん島まつり         1406

ひょうたん島(2016・6・6「広報・おおつち」)
3・11震災により休止されていた「ひょうたん島まつり」が4月29日に復活、
催された。

1964年から5年間に及んで放送された「ひょっこりひょうたん島」を、大槌湾
に浮かぶ島影がひょうたんを横に寝せたような形の無人の小島(蓬莱島)に
投影して、町おこしのシンボルになっている。

廃墟になった町が最初に取り戻した日常も、正午になると、小曾根真さんが
アレンジしたNHK人形劇「ひょっこりひょうたん島」の歌が大槌町に流れ出し
た日のことがよみがえる。

津波で蓬莱島は陸地、赤浜とつなる防波堤を失った痛ましい姿を見続けて
きたが、5年が経ったなかで修復が完了して港では「大槌赤浜 春の収穫感
謝祭」の実現までこぎつけている。

だけどボクらはくじけない 泣くのはいやだ 笑っちゃおう 進め!

(←ブログ:2016・5・15 「3・11から波板海岸再生」1376)




2016年6月13日月曜日

雨上がりのユリ           1405

スカシユリ系(2016・6・13 影:Can)
一気に玄関先のユリが咲いた。

花の名前に関心を持つようになったのは、40歳を過ぎて野山や地方へ旅する
ようになった頃からだが、子どものころから百合の花はすきだった。
初夏からお盆の時期になると、裏山を登った中腹の湿地帯に咲く鉄砲百合や
透かし百合や鬼百合や山百合を探して採ったものです。
数本抱えて山を下りわが家に持ち帰ると、祖母が喜んでくれました。

ユリの種類によって、旅先の風景がよみがえる。
ラッパ状の花形をしている〔テッポウユリ〕は、6月の沖縄石垣島平久保崎の海
辺に純白の花が香っていた。

近年人気の高い「カサブランカ」園芸品種群の交雑親のひとつ、〔ヤマユリ〕は
8月上旬、信州霧ヶ峰の山中で花を大きく開いて華麗に咲いていた。

〔スカシユリ〕の花は杯状で橙色の斑点があり花被片基部が狭まって隙間がで
きている。別称イワユリとも言って、鯔ヵ碕灯台の岸壁に咲くを見た。お盆時期
三度訪ねている。

8月中旬、北海道サロマ湖の半島の端れで燃えるように咲く数本の〔オニユリ〕」
を見た印象は強烈だった。そのとき、真夏の日差しにやられ水アタリもして意識
朦朧とするなかでの清涼剤になった。

(←ブログ:2015・6・9  「紫陽花と梅雨入り」1034)
(←ブログ:2015・6・15 「変わらない千年の岬・鯔ヵ碕」1040)




2016年6月12日日曜日

やすい会雑記            1404

幸ちゃん寿司(2,016・6・1 影:Tab)
持参酒の紹介。6本持ち込んだ酒、酔心、雪椿、鶴亀、東村山、黒霧島、澤ノ井
と揃う。

雑談半ばの時間経過で近況報告に。
ウチヤマさん:進行性大腸ガンと診断されながら、余命30年と笑い飛ばしてい
るが、、。

タキイさん:東海道53次歩け歩けツアーに挑戦して二回目でダウン。そこで、
身の丈歩きに切り替えて、まず蔵の街栃木市へ浮世絵探索マイペースの旅を
始めた様子を。
ほかに、「大取次5社職制一覧」昭和39年(1964・4)の珍しい資料コピーを
提供してくれる。

福ちゃん:仲良し夫婦で二度目のベトナムへ。見聞した急激な変貌を語る。
(僕から、彼がかつて贔屓にしていて、この会でも何度か使った池袋「幸ちゃん
寿司」の跡を見たこと、その裏に路地があり、サンシャインビルがのぞく風景を
新発見したことを伝える。)

トドキさん:諏訪大社の末裔の神社の御柱祭に、本家の杉の大木が選ばれた名
誉ある話。

シライさん:大量の薬のお世話になっているが、飲むのを忘れる。良いのか、悪
いのか、、。

ヤスイさんの締め:それぞれの生きざまを感得させてもらっている。
晩酌は、いまは焼酎派になって毎日ヤッテいる。
新聞は三紙、毎朝3時間ぐらいかけて目を通している。
N響は年間生で10回は聴いて、澁谷で食事。
要は、継続を生きる証にしている感じ。

2016年6月11日土曜日

やすい会メンバーの様々な情報    1403


第114回の「やすい会」に出席する。

幹事役のトドキさんから、会の突端で小島俊一著の『崖っぷち社員たちの逆襲』
(WAVE出版・刊)を手にかざしながら紹介があった。
僕もこの本は、トーハンから松山の書店に出向した小島さんが小説、すなわち、
フィクションの形式で著した体験ストーリーであるらしいことを知らされていた。

「週刊ダイヤモンド」の<地方元気企業>ランキング1位の社長が、企業再生ノウ
ハウと発想のすべてを披瀝した経験ドラマと云うところか、、。
彼はトーハンの仕入れ時代から、トドキさんが出向していた石川県の「王様の本」
へ引き継ぎ行って、その後、大阪支店へ転勤していたところまでは知っていた。

さらに西国のH書店再建要員として乗り込んで、早い時期に複合書店の形態を
生み出し促進して着実に実績を積み上げていることは、業界紙情報で見ていた。

(←ブログ:2012・11・12 「やすい会100回記念イヴェント」169)
(←ブログ:2015・12・17 「継続する「会」には理由がある」1226)
(←ブログ:2016・3・19   「今年初の「やすい会」へ」1319)


2016年6月10日金曜日

加藤登紀子サイン会に続いて、、    1402

(2016・6・10 影:Tab)
午前中に神田三省堂書店によったところ、先日記した言視舎の『アマチュア落語
に挑戦する本』刊行記念のイベント・インフォメーションが掲示されていた。
打てば響く感じイイね!

神保町を徘徊していると、食べたくなる 「南海」のカツカレーに惹かれてすずらん
通りを歩く 。昼時は行列ができる人気店なので、通常なら正午前後の時間をず
らすところを、21人待ち20分でやっとありつく。
しっかり煮込んだこげ茶色のルーと厚くない7ミリのカツが絶妙のバランスで最高
の食感を堪能できる。30年来のコック長がにこやかに挨拶してくれる。

次に神田村を回り、駿河台下から明大前通りを上がり、「おちゃのみずばし」を渡
り、定期検診を予約している東京医科歯科大病院にたどり着く。
そして、夜の本郷、天喜での「やすい会」へ。



2016年6月9日木曜日

オヤジのこと            1401


サイパンと父のことを、この数年さぐり探りしながら接近を試みているものの、影
の部分(謎)は未だ見えてこない。

大正初頭生まれの父は、7歳の時に父親を亡くしている。母親ひとり子ひとりの
なかで育ち、戦前、軍国少年だったと思っている。その延長で師範学校に入り、
僕が生まれて間もない時に、自ら望んで教師としてサイパンへ渡っているわけ
で、ナショナリストであったのだろう。

それは、長男である僕を「建二」と名づけたことから素朴に想像するところです。
昭和15年(1940年)、紀元「建国」2600年です。友人に「基」君がいますが、
やはり同じ傾向のはずです。
オヤジも祖父に続いて早く他界したので、戦前戦中を語り下ろしできないまま
終わっています。

オヤジとの戦後のわずかな期間の生活のなかで、感じ取っていることがありま
す。
町の本屋さん(津山市の柿木書店、久保書店)にバスで出かけては、サイパン
の戦記本と江藤淳や大江健三郎らのエッセイ、小説本を購入し、しきりに」読
んでいた姿を鮮明に覚えています。
ほかに、毎年8月6日にはニュースのヒロシマ平和祈念式典を見ながら、ある
いは外に出て空を仰ぎ黙とうをする姿がありました。
思うに、オヤジはナショナリストから左翼転向もしなかったが、虚無感漂う個人
主義に徹していったように思う。(→つづく)

2016年6月8日水曜日

イベントのお手伝い         1400


三省堂書店神保町本店で、僕がサポートしている言視舎から6月末に発売になる
『アマチュア落語に挑戦する本!』の刊行を記念して、イベントが決まった。

店長に提案したところ、いくつかクリアの要件があったが即決に近い対応をしても
らった。ありがたいことです。
趣旨は、昨今のアマチュア落語ブームのなかで少しでも話題を提供して、本を売
りたいと云うことです。
こうしたイベントを仕掛けるときに常に気をもむのは、集客がどの程度できるかの
不安です。

著者の室岡ヨシミコさんが、素人落語のてほどきをトークしながら実際に演じて見
せるという昼下がりのひと時です。
どうぞ、聴いてらっしゃい! 見てらっしゃい!

2016年6月7日火曜日

6年ぶりの再会           1399


新宿西口の「がんこ寿司」で、かつて新宿歌舞伎町の或るバーに集っていた連中
が一堂に会した。

このお店は、新宿区役所通りの風林会館近くにあった。
最初に連れていかれたのはシライ権八さんだったが、ママが大阪十三育ちのトラ
キチだったことに託けてよくカウンターに座った。
オーダーのボトルには阪神タイガースのユニホームを着せてもらい悦に入ってい
たものだ。
また、取次・書店に出版人の顔ぶれがそろう処でもあったのが、気楽に足を踏み
入れられやすかったように思っている。

そもそもマスターは将棋関係の出自で、二上達也さんなどプロの棋士が常連で居
合わせた。そんなこともあって、アマチュアながら高いレベルだった友人の長田君
を連れていき盛り上がったこともある。

2016年6月6日月曜日

アキさんからのことづけ        1398

(2011影:Can)
アキさん等数人から、「風の電話」がNHK/BSで放映されているとの、リアル
電話をもらった。

アキさんの電話からの声は人工発声のため聞こえづらく戸惑っていたら、ファッ
クスで「風の電話](NHK)今再放送ですが、やっています」と、流してきた。
彼にとって、3・11から5年が経過しても、あのとき被災した江岸寺のひび割れ
倒れ掛かった墓石を洗い泥掻きをした真夏の一日の記憶が事あるごとに想い
だされるようです。
さらにその翌日に、「風の電話」が備えられた浪板海岸を眼下に鳥瞰できる、
佐々木格さんの「ベルガーディア鯨山」を二人で尋ねた瞬間の出会いもインパ
クトがあった。

BSで放映された「被災から5年の歳月」は、残された人々の歳月でもあるわけ
で、その何組かの生存者が電話線のない「風の電話」ボックスで思い想いを語
りかける様には寂謬感が漂うが、ますます忘れることのできない伝承性を感じ
ました。

妻が不明のままで、まだ信じられない、、。

失くした妻、娘、祖母に、、さびしいぞ、とひとりむせぶ男。

両親と妻と一歳の子を失くして、生きる意味がない、返事も聞きたいのに聞こ
えない、、ごめん。

大槌で生きていた証の家族を忘れない、ひとりで死ぬまで。

漁師の亭主を失くしているが、一言もしゃべらず、沈黙、、受話器を置く女性。

(←ブログ:2011・12・30 「大槌町浪板海岸の佐々木格さんから電話」5)
(←    :2012・1・22   「波板観光ホテル」19))
(←    :2012・4・28  「大槌町波板の「本の森」オープニングに祝電」82)
(←    :2012・6・13    「浪板海岸の民宿サトウ」99)
(←    :2012・8・26    「浪板海岸駅前の<もりかまど>」)
(←    :2013・1・28    「311大津波被災を写真で見るⅢ/浪板海岸松林)
(←    :2016・5・15 「3・11から浪板海岸再生」1236)


2016年6月5日日曜日

たかが金魚されど「飼育」       1397

(2016・6・5 影:Can)
朝起き掛けに水槽の金魚を見て少し元気ないなとおもい、濁水の取っ替えように
水道水をカルキぬきするのためプールして、午後まで待った。
3年前にハルがお祭りで金魚をすくい上げ自分で飼っていたが、外国に出かけた
とき、我が家に預けられてそのまま居候している。

ところが、いざ水槽メンテナンスを始めようとした時には、金魚が鰓呼吸せず無口
で倒れ掛かる姿を晒しているではないか、、あわてる。
同居している小魚とドジョウは比較的元気に回遊しており、金魚は3歳の寿命な
のかと、諦めかけた。
薄塩水が弱った金魚の蘇生に効果的と云うことを思いだし、カルキ抜きした水に
塩を入れてみた。なんと、復活して尾ひれを動かしゆっくり泳ぎ出したのには吃驚
し感動した。

水温にも注意して、室内の水槽の水と汲み置きの水道水と水合わせもした。
水槽、小石、水草を丁寧に洗い、一度水切りをして、準備した水を注ぎこんだ。
反省事項は、エサの与えすぎかもしれない。
毎日、少量ずつ水替えが必要なようだ。



2016年6月4日土曜日

ネオ立飲み酒場大繁盛!       1395

(2016・5 影:Tab)
月に一二度、渋谷桜丘に出かけている。

それも夕方で、待ち時間の調整をする時があって、大概は近くの書店で暇つぶし
していた。
ところが今回は、間口1m幅の階段を地下へ吸い込まれていくところの、それらし
き人種にひかれて、立飲み酒場で飲むことにした。
入口には、レトロな「富士屋本店」の看板が掲げられている。
地下の空間は明るく、巨大なコの字型カウンターが真ん中に広がり、立飲み客が
スズナリに囲み、にぎわっていました。

客は一人もいれば、二人組やグループで、男女問わず若者も交じり、狭い店内
で即興で生まれる予想外の出会いを楽しめるのも大きな魅力のようです。
僕の隣は当店の常連さんらしく、澁谷の立飲み酒場の老舗である歴史を話しな
がら、ホッピーやハイボールの飲み方まで指南してくれた。
話しているうちに、おたがい出版に関係あることでつながって、マガジンハウスの
「クロワッサン」の編集者であることがわかる。
さらに、「クロワッサン」に執筆のある町山と親しいと言うに及んで、点が線になる
瞬間に出合った。

戦後、街の横丁で生まれた大衆酒場の価値をうまく残しつつ、今風に刷新する
ことで「新酒場」の人気は上昇中に見える。
先に、似たようなネオ酒場が豊田駅前路地に在ったし、新宿駅西口の横丁に、
吉祥寺駅前ハーモニカ横丁にも、古き時代を疑似体験できる空間と今の感性と
の融合にマッチングしているからこそ開かれているのだろう。





2016年6月2日木曜日

一気に20紙あまりの頁を繰る     1394

(2016 影:Tab)
送られてくる新聞や雑誌の類で出版業界の動向や人の動きなどを知ることができ
る。

先日、八重洲ブックセンターの代表取締役社長にトーハン前社長の山崎厚男氏
が就くことを知り驚いたが、それには既に「ほんをうえるプロジェクト」で繋がってい
ることを推測できる記事を見た。
八重洲BC本店が隣接する企業の明治屋とコラポ企画をトーハンの「ほんうえ~」
の協力をえて実現している。
明治屋の商品コーナを設けたりトークショーを行うなど、業種を超えたマッチング
で売上効果を上げている。

2月には、首都圏でチェーン展開する老舗書店である芳林堂書店が自己破産申
請をし、書店事業をアニメイトの子会社である「書泉」に譲渡して、全10店は営業
を継続できている。

「丸善&ジュンク堂書店、立川高島屋に旗艦店」の目を惹く記事。
立川高島屋にワンフロア―1000坪で出店。
これまでにも、紀伊國屋書店が出店する話や、立川オリオン書房の防衛出店の
話題は尽きなかったから、意外性に驚いた。
平日の落ち着いた日に訪問してみたが、思った以上にシニアの男女でにぎわっ
ていました。
立川駅周辺はノルテ、ルミネ、サザン店など数店舗を展開しているオリオン書房
の牙城だった。売上ダウンは免れようもないだろうが、高田専務の対策に期待。

ほかに、ライフスタイル提案型書店、梅田蔦屋書店のこと、「料理レシピ本大賞」
実行委員会の加藤勤委員長(ブックスタマ社長)の行動力、熊本地震被害と長崎
書店の再建をめぐって、の記事拾い読み雑記は後日に。

2016年6月1日水曜日

トーハンさんもヤリマスネ       1393

八重洲ブックセンター1階
オザワさんからのさきほど情報では、八重洲ブックセンターがトーハンの傘下に
なると、、。

トーハンは鹿島建設グループから八重洲ブックセンターの株式49%を譲渡契約
したとのことで、早速、代表取締役社長には山崎厚男氏が7月1日付で就く決議
した由。
八重洲BCは、鹿島建設の「文化」への投資で1977年7月7に創業し、当時、出
版社が搬入する補充の本が間に合わない勢いで売れて一世を風靡した。

返事。
八重洲BCの件、驚きです。
トーハンもヤルな、って感じですが、鹿島建設本体も厳しいはずで「文化」の大義
だけでは、年々売上ダウンのリスクを背負いきれなのでしょう。
紀伊國屋書店新宿南店の7月撤退(洋書売場は残す)も、歴史ある誇りを捨てて
防御せざるを得ない現実にさらされているのでしょう。
と云うことで、出版・取次・書店に大きな地殻変動が急激に起こっている現状を
強く感じます。
他に、ナショナル書店で多展開している派手さが目につくところも、内情は相当
厳しいと聞いています。
乞う教示。

(←ブログ:2015・10・8 「八重洲ブックセンターへ」1156)