2012年1月31日火曜日

1/30

心で話す風の電話
佐々木さんは 津波を予測して脱サラで高台を入手して移り住んだのではない。
大槌湾をはさんで並ぶ船越湾に開ける海嘯の調べに 朝夕耳を澄まし佇むことが
できるこの土地が気に入ったのだ。夏になれば 浪板海岸が海水浴を楽しむこども
たちでにぎわう微笑ましい光景を目にすることであったにちがいない。
最初の津波が襲来し、波が沖に引いたとき波板海水浴場の海底が露になるのを見
たという。しばらくしての第二波が凄く この世の出来事とは思えなく 魂まで抜かれ
ていかれる怖ろしさだったと語る。
写真の電話ボックスには 電話線がつながってない黒い電話がおかれている。
佐々木さんは詩人なのだ。「風の電話は心で話します 静かに耳を閉じ 耳を澄まし
てください 風の音がまたは波の音が あるいは小鳥のさえずりが聞こえたなら あ
なたの想いを伝えてください 想いはきっとその人へ届くでしょう」 と。
いまでは 風の電話で身近の誰かをを失った人を想う オブジェに見えた。
そして、写真の左斜め裏には 石の家・森の本館がすっくと在る。

[『私記』に寄せられたコメント&批評1] 
今夜、食事中に栃木で特養老人ホームを運営するWからの友人・YY女史から電話
があった。『私記』の行間まで読みこんであわただしく受話器を握ったのであろうか、
うれしい評と奮闘を労ってくれた。

2012年1月30日月曜日

1/29 何を物語るや


玄関前に漂着した時計
 高校生の孤児へ奨学金支援をしたいが、あしなが基金方式がいいのか 注意する点は
なにか、そして大槌高校生に対象となる震災孤児は如何 とアドバイスを求められていた
友人SMへ遅ればせながら返事をした。
彼女は雑穀や伝統的作物を調査、普及するのに沖縄石垣、高知、会津、岩手に足繁く通
い、その情報をもたらしてくれる。この度も、大津波の襲来を何度となく味わってきた大槌
の住民の昔からの知恵で準備された緊急炊き出し用の巨大釜がこのたびの3・11震災で
も部落の食を救ったのであるが、この事例に民俗学的に関心を持っている。
もう一人の友人、FH教授も震災後の大槌町へ2回にわたり、カンボジアで活動した仲間を
連れて、支援物資の配布、残骸撤去、倒壊墓石の整備などにあたった。今後も継続して復
興過程を見届けたいと、、、、彼については未だまだ多くのおもいがある。謝々。

2012年1月29日日曜日

町長が亡くなった大槌町役場跡(写真中央の白い建物)

中央の白い建物・大槌役場跡
前に、大槌湾に広がる大津波で廃墟と化した町の全景を城山高台から撮影したものを
掲載したが 上の写真は、3・11から5ヵ月後に訪ねた時の定点撮影です。早くも、夏草
茂る静寂がいっそう鎮魂の悲しみを誘います。
この俯瞰写真の前の地に あの無情の津波が押し寄せる瞬間まで S家の比較的新し
い檜造りの家があり一家団欒があったのだから、、、。山や川の風景は同様─しかし前
とはまったく異なるレンズで撮られた─<隔絶>の写真だ。

[読書の周辺]
鈴村和成『ランボー全集 個人新訳』(みすず書房刊)の「イリュミナシオン」から入り、解
題で触れられている、僕が1970年に企画・編集に携わった鈴村氏の処女出版『ランボー
叙説』の記述を発見する。40余年前というわけで、当時の著者と編集の熱気を彷彿とさ
せられた。

2012年1月27日金曜日


プラットホームだけが残る大槌駅に立つ でん八・あきさん
一昨日、新宿歌舞伎町・でん八で新年の集いがあった。顔合わせは長田、当山、森本氏らみな
40余年なんなんと酒を酌み交わしてきた連中ばかり。その居酒屋のオーナーがあきさんの愛称
で慣れ親しんできた松尾T氏だ。
彼と昨年8月4日から灼熱のなか 被災地大槌を訪ね 全焼した江岸寺(義娘の菩提寺)の倒壊
した墓石の復元、掃除のボランテアに参加したのだった。僕より一回り年上なのでぶった倒れな
いか心配したが、元気に東京に帰り子供たちへ 体験とリアルな被災現場を伝承された。
NPO<大槌の風>への加入も申し出てもらっている。

2012年1月24日火曜日

新年会

玄関前の積雪10センチと氷柱
『洋泉社私記』(ISBN978-4-9906154-0-6)の編集で協力していただいた川口昭氏との新年会を終えて自宅に帰る途中で、雨が雪に変わる吹雪に遭遇する。
佐々木格氏から寒中見舞いの葉書を拝受。「昨年震災直後に被災者の心の復興の一歩になればと<風の電話>立ち上げました。この春には建設中の石の家を<森の図書館&ギャラリー>としてオープンの予定です。今後とも御指導 宜しく> と」。石の家の写真が添えてあったが、外観はほぼ完了して、見事に樹森のなかに溶け込んで姿を現している。そのなかに子供たちを夢中にさせる本があることを想像するだけで夢が広がる。佐々木さんありがとう。

2012年1月22日日曜日

東京わが羽村雪!

今夕、吉祥寺アトレで友人・桑原才介の著作『吉祥寺 横町の逆襲』(言視舎刊)の刊行を記念して
トークイヴェント(主催:ブックファースト)があった。桑原氏は大学時代からの友人であり、かつ、彼の初期著作『六本木高感度ビジネス』を洋泉社創立草創期に刊行している手前もあって、久々の新刊の販売促進に一役買ったというわけ。聴衆120人が集まる盛況だった。彼は、NPO<大槌の風>の正会員になる予定。
なおこの会場に、日経新聞に連載した「陸前高田からの報告」に注目していた記者・足立氏も見えており、取材がリアルに聞けた。

2012年1月19日木曜日

被災地に開く夢の図書館!



大槌船越湾に開いた傾斜する庭に佐々木さん自力で石積みをした家が、この夏には完成する。
ここに、被災から立ち上がるこどもたちが自由に本を読み、語り合える広場ができる。建築の当初から本の森を構想していたわけではなく、僕が佐々木さんを訪ねこの建物を見て、即座に本があるスペースの夢がひろがり提案をしたところ、それはいいね ということになり話は弾んだ。
すでに、僕が200冊余、編集者・藤原くんが児童書を一括送り始めています。佐々木さんからは本が着くたびに感動的な返答が帰ってきます。

2012年1月16日月曜日

浪板海岸の佐々木格さんから

毎年恒例になっている1月の信州でのスキーを孫たちと楽しんだ。
帰途中の車に大槌町ベルガーディア鯨山の佐々木さんから電話があった。
新年の挨拶に始まり、活動を始めている<本の森>を促進する人の輪のつなげ方、運営でNPO法人化が課題になってきていることに話が及んだ。僕の進めている<NPO法人・大槌の風>をどう結ぶかを定款に盛り込む必要がある。
佐々木さんの電話の先から聞こえる声から、今日も零下のなかで建築に精を出されておられる様子がうかがわれた。

2012年1月13日金曜日

被災したマスト

被災後のスーパー・マスト(8月撮影)
大津波で2階まで浸水し破壊されたが、瓦礫は取り除かれていた。
先にも書いたが、ここに昨年12月末、一頁堂書店がオープンした。
道路をへだてて向かいにこの地域唯一のスーパー・ローソンがあって長蛇の列だった。
3・11から10ヶ月経って本屋さんが生まれたのだから、町の皆さんであふれた様子が眼に浮かぶ。

2012年1月12日木曜日

銀賞


大津波にのみ込まれ流出した貴重なアルバムを探し出し、再生に取り組む富士フイルムを中心にしたボランテア活動があった。ヘドロ化した塩水に侵され始めた思い出の写真を丁寧に復元して被災者に届けるドキュメント風CMがいち早く四月に視られた。(制作:ピクト)
消費者に良かったコマーシャルで銀賞を獲得した。

2012年1月11日水曜日

奥多摩湖へ初ドライブ

1/9に急におもいたち奥多摩湖周遊ドライヴにでかける。我が家から近いので
春夏秋冬に風景の移り変わりを楽しむ。同じ東京で奥ゆきがあって静寂な場所が 
行くごとに新発見されて愉しい。
今回は樹氷かなとじっと見るとハンショウズタが斜面一面をおおっていた。この奥多摩湖を
見下ろせる月夜見峠にカメラを据え狙っている10組ほどの写真愛好家が居たが、オオタカの
飛来を待ち受けている様だった。
春にはカタクリの花の群落を見に、夏には孫を連れて都民の森を訪ねてみようと思う。

2012年1月7日土曜日

米次郎君、病院に入院

在りし日の出口y君(左・鈴村和成氏)

彼は上顎右洞がん第4ステージながら、陸中海岸被災地を一度見ておきたいと、7月末に弁護士ら知人と出かけた。大槌町へ入り崩れ落ちたお寺、線路が曲がってホームだけ残った大槌駅、町長が亡くなった町役場、人っ子のない荒野の町を見て唖然とし深いふかい無情を感じたと。
僕も同じように感じ涙した。新花巻から何度か行った遠野を抜け千人峠を越え釜石市街に入るととたんに大津波で壊滅した街並み、岸壁を乗り越えた外国の1万トン級タンカーを横目に海岸線を走って大槌湾に出たとたん20メートル級の瓦礫の山にクレー車の音が聞こえるだけの風景のなかで
止めなく涙があふれた。3月11日大津波襲来までは1万6千人の人たちの平穏で平和な暮らしがあったのであるから、、、。
米次郎君が復調できたあかつきに、今夏、開放されるであろう佐々さんの<本の森ガーデン>へ一緒に行けることを願っている。

大槌マストに一頁堂書店が



1/6(木)
大槌町のシーサイドタウンマストに一頁堂書店が開店した。マストについては3・11の翌日にに義娘の妹から、マストの2階まで津波で浸水だそうです、と最初のメール情報が入った場所で、なお大槌へ救援に入りトンネルを抜けると鮮明にマストの看板が眼に飛び込み鉄骨むき出しの残骸が被害の甚大さを物語っていた。
大槌には金崎書店があったが金崎社長は行方不明、奥様はなくなられ、町に本屋がなくなる状態だった。そこに、会社をやめた夫婦によって一念発起で新しく書店が誕生した。
この書店の後押しサポートしたのがトーハンだ。
6日のトーハンの新春の会で近藤社長は多くの時間を割いて、一頁書店のにぎわいが本のある場所を待ち望んでいた証であり出版界あげて書店の育成に努める役割が課せられていると述べた。
大槌浪板海岸の本の森ガーデンが何らかの形で一頁書店とも提携できて、被災した町のこどもたちの心が癒され活性化につながっていけばうれしい。

2012年1月6日金曜日

松原治氏(元紀伊國屋社長)死去

心不全のため3日に死去。94歳だった。創業者の故田辺茂一氏を支え、新宿本店を拠点に
超大型書店を全国に進出させ積極的に海外出店を推進した。最後に会ったのは紀伊國屋
書店ゆめタウン広島店のオープニングパーティーであったがかくしゃくとされていた。

2012年1月3日火曜日

大津波襲来後のひょっこりひょうたん島

鮮明に大槌湾に浮かぶ蓬莱島(ひょっこりひょうたん島のモデル)を再アップしました。
3.11の大津波の被災を受けるまでは、向かって右端に真っ赤な灯台があり左端から
架橋があって陸続きであった。この島を町の象徴にすることで、町民による新灯台デザ
インも決まり、復興とともに近く浮かび上がることでしょう。


本の樹森(きりん)について

津波被災地、大槌町吉里吉里(浪板海岸)で佐々木格さんが主宰するベルガーディア鯨山は幸いにも大津波の被害から逃れられた。佐々木さんはガーデンデザイナー・実務園芸士・樹医でこれまでコツコツと手造りの北欧風庭園を造ってきている。そこにこの度の大津波が眼下に襲来した。
僕たちが3・11大震災後にたびたび大槌をたずねるなかで、佐々木さんに今夏出会い、こどもたちへの本の受け入れとスペース提供を快諾してもらった。大津波襲来の前々からコツコツと北欧風石造りのどっしりした建物を建造中だった。その建物が木木が茂り野草花のなかにこの夏にはほぼ完成するという。図書館とはちょっと違った癒しのスペースが誕生するはずです。

2012年1月2日月曜日

迎春






















迎春。
旧年は3・11超大震災に遭遇し、今は混乱から混沌状況にある。
昨年は出版社の経営から一戦を画して初めての一年でゆったりゆとりある生活ができるはずであった。それが、一変した。義娘が岩手大槌町出身で家も菩提寺も一瞬にして失くしてしまったのである。毎日出社することがなくなった解放感から他人の評価を気にすることなくやりたいことだけをやるつもりが、NPO法人を立ち上げるなどやや忙しくなった。
古希を過ぎてもじっとしていることができず、外に向かって動いていなければ気が晴れないのは、もって生まれた性格のようだ。出版の相談役的仕事は従来通りこなし、歳を考え無理することなくほんの少しだけ<大槌の風>を拠りどころに罹災地のこどもたちとおやごさんに本を届ける活動を続けたい。

2012年1月1日日曜日

忘れられない2011/3・11を乗り越えて

2011年は忘れることの出来ない大変な年でした。震災被害に遭遇された当の方たちにとって、年越しの感覚なんてなきに等しく未だまだ打ちひしがれた状況にあると思います。でも、年があらたまることで少しでも生活のリズムを取り戻し活力が湧くことを願うばかりです。
僕個人としては、①出版界に足を踏み入れて48年の、とりわけ洋泉社を創業して代表取締役退任までの27年間の軌跡をまとめることが遅ればせながら出来たこと ②3・11後、罹災した義娘の家族の救出から始まった岩手県大槌町への救援の関わりから、NPO<大槌の風>を立ち上げ支援の継続をわずかに踏み出せたことを記せるかなと思っています。除夜の鐘をききつつ。