2014年7月31日木曜日

カブト虫が来た!              718



Gyoたちが海外に出かけるので、ハルが飼育しているカブトムシとトマト類を預か
ることになった。
今、スーパーや花屋さんに、飼育ケースや虫取り網やプランタンが並ぶのは夏の
は風物詩になっている。
そして、至れり尽くせりの小道具にエサも豊富なのにビックリさせられます。

昔は、カブトムシには、スイカの皮や胡瓜、ナスを飼育ケースに投げ入れておけ
ばイイと、そうばが決まっていました。今では、昆虫用食にはゼリーが普及してお
り、飽食過ぎてあつかいに迷ってしまう。死なすわけにいかず、あたふたしている。
しかし、こうしたエサの進化で、飼育箱のなかの汚れは飛躍的に減り、衛生上喜
ばれていることを知りました。生活環境の変化に合わせた近代化によって、夏休
み宿題文化も新しい形に移行していると言える。
それは、人工的無菌社会と云う危険領域に移行しているコトでもあると思いうの
だが、、、。

2014年7月30日水曜日

小石川の取次と書店             717

(2014・7・30影 ケイ)
小石川の伝通院は、江戸に設置した無料医療施設小石川療養所、赤ひげ先生
としてしられる。
そして、僕が出版界に入るきっかけとなった未來社が在るのも伝通院裏でした。
飯田橋で下車して、安藤坂を上り伝通院を正面に見ながら20年間通いました。

その文京区小石川に、あゆみブックスと大阪屋が同じビルの一階と六・七階に在
ります。
今日、大阪屋に行く機会があってフロアに入るとヒラノさんが話しかけてくれ、課
長にも挨拶。業界で注目されているところの、同社の経営立て直しのこともあっ
て、言葉少ない。

一階の下りて、あゆみブックスに寄り店内を一巡して見た。フロントに地元本『文
京区の100年』(郷土出版社)が積まれていた。一万円するこの写真集の予約購
読者が200人いたこと、常連さんよりまして初めての人の多さに感激と反省が相
半ばしたことを、店長は語っていました。
この店長の、地域の新しいニーズを発見し、ジャンルを超えた棚作りの着想に生
かすところがイイと思った。
長い経験からすると、書店人にはいろんなタイプの人がいる。自分の本好きを棚
ぞろえに生かす、スリップから単品管理の徹底化、テーマで本の物語化、状況に
機敏に即応する、、、等など。これらのスキルにも「経営」の観点からすれば、二
面性があると思っている。
あゆみブックスには、30年来の友人スズキさんが陣頭指揮しているいる。彼は、
本屋とは何か、書店とは何かの原点と利益向上の目指すところを、往還しながら
実践している。

2014年7月29日火曜日

D八同期会                 716


月例の編集打ち合わせは、暑気払いを兼ねたD八同期会と相成りました。
80歳の高齢の人もいれば、喘息発作を克服し正常な生活をやっと取りもどした
セッチャン、狭心症で病院へ検査検査で通院している人ひとで、ためつすがめつ
全うに健康な者は皆無になりつつあります。

まず前回、体調不良などで欠席の方の回復の経緯などを聞くことから始まった。
セッチャンの喘息発作の厳しい対処療法の話が出ると、一成さんが同調して、さ
らに自分の無呼吸症候群の恐い話に及ぶ。そんななかで、僕の何年かに一度ぐ
らい発症する痛風なんて、病気のうちに入らないね、と云うことになった。

僕が昼間にハルと習字をした習作を手持ちしていたところ、批評されるはめにな
った。今日の課題は、楷書「父母兄弟」「米麦牛馬」と、小筆を使って漢字の姓名
を書く練習でした。
皆が見るなり、「7歳にしてはかなり上手いよ!」と、お褒めの言葉をもらう。
又他の人は、「この母や馬なんて、こんなにしっかりした筆順と、はね具合にはい
かないよ。」と過剰に言われたが、、、。
習字をするきっかけは、左利き手(ギッチョ)を、右も使えるようにの主旨で筆を持
たせてみた。
ところが、日常生活でも有効に機能していることが判り、良かったと思っています。

次に、「50周年記念文集」の進捗状況の報告と、全体の組見本だしを検討する。
末尾を飾る店主松尾さんのメリハリの利いた原稿もうけとる。
口絵に使う写真のセレクトと挿絵について最終調整の段階にきている。

ここで、「おかしくなっちゃて、、」と、検査通院のことを喋りながら長田君が登場。
過日、東京女子大講堂を満杯にした「丸山眞男講演会」の様子を聞く。

2014年7月28日月曜日

丸山眞男に関する追記            715

(2014・7・28影 Can)

今日、友人長田直樹さんから、「丸山眞男生誕100年」の講演資料をもらう。
急に丸山眞男づいた感があるが、気にしていると周辺情報や記述された物が集中
してくるから不思議に思う。
落手にしたのは、冊子「丸山眞男記念比較思想研究センター報告」と、講演のレジ
ュメに当たるパンフです。

先に、TVで偶然見たNHKの<知の巨人たち>シリーズ放映の丸山眞男特番で、
肉声を聞いいたことと、戦前、戦中の発言で再認識させられたことが多々ありまし
た。その辺のことが、レジュメ(10ページ)で良くまとめられている。
出発点としての1945年で、庶民大学三島教室のこと、教える教えられるの「知識
人」と庶民の関係を語っている。永久革命としての民主主義の成長過程に寄り添
う主張。生活のなかから思想形成重視の姿勢を貫く。
衝撃的論考「超国家主義の論理と心理」が「世界」に発表されたのもこの時期だっ
たのだ!
1946年、雑誌「思想の科学」創刊に当初から参加している。
未来社から刊行『日本近代化と宗教倫理』の著者・ベラーを丸山さんが一部批判
していることを知る。

現在の日本、3・11東日本大震災後の原発事故に象徴される非民主的体質=後
進性の持続、先進国においても民主化が課題で、丸山眞男のいう「永久革命とし
ての民主主義」が、一層、今日的課題になってきているか、、、。

(多く引用されている丸山眞男著『増補版 現代政治の思想と行動』の発行元が、
岩波書店となっているが、未来社の間違い。)

2014年7月27日日曜日

忘れモノを思い出すか、出さないか。    714

3・11前の大槌町浪板海岸、忘れまい!/旧波板観光ホテル前(影:Can)

贔屓にしている「フクシマヤ」に暑いさなか一人で買出しに出かけた。
ナス、キュウリ、トマトや桃など果物類を籠に入れ、最後に自分の酒の肴に刺身
を加えレジで勘定する段になって、何か忘れている、と感じながら思い出せず、
結局、買い物袋に入れ初めて、はたと気付く。
夏風邪をもらい絶不調のyuに頼まれたポカリスエットを買うためにわざわざ、コン
ビにではなくフクシマヤまで来たことを思い出した。

こうしたことが歳をとったせいか、最近になってたびたび生じている。
物に対してだけでなく、事にまつわる約束ことなどについても、スケジュール表を
見ながら「何か欠落があるのではないか」、と不安になってしまうことがある。
また、知識の蓄積についても同じ現象として現われる。縮小の再生産過程かと
も考えてみる。

自分では、忘れることができるから生きていられると思っているので、この事態
に決定的な不安を抱いているのではない。
適当に、何の前触れもなくフイに思い出すことがある。この間、忘れていたのだ
から、なんの障害もない。勿論、重大な予定をすっぽかすような「忘れ」を思い出
すと、忘れていたことに気付くことになる。

2014年7月26日土曜日

大潟村から八郎潟水路。 記憶の断層35 713

北緯40度の入道崎&大潟村水路

宿の男鹿萬盛閣を早朝発って、北浦港、海岸線を走って、開拓された大潟村を
通り八郎潟の水路と一面が緑の水田に感嘆!

男鹿北浦漁港は、冬の漁のハタハタの大漁で「昭和40年代をおもいだすよ」と
漁師がつぶやくほど、低調期を脱して賑わいを取り戻しているよう。
このところ、出てくる鮮魚店のハタハタの盛り付けの量と形にも大ぶり感がある。

遅咲き菜の花がいたるところに咲き水田を一層美しく見せる。
道端には、なでしこ、からすえんどう、ふうろなど、自然のなか咲きほこっていた。

2014年7月25日金曜日

アサガオの引継ぎ。             712


ハルが昨年学校で、鉢植えで色鮮やかに咲かせたアサガオを自宅に持ち帰り、
種を採集していた。
そのタネをyuが、とがった部分を下にして、ビワの木の根っこの地面に丁寧に植
え込んでいました。朝夕水の散布を続けているうちに、まず双葉が出てきて、その
うちアサガオ特有の本葉が揃ってきた。ぐんぐん伸びるつるがビワの幹にからま
せて勢いよく上昇している。
数日前から、群青色の花が陽を浴びて咲き始めました。昨年、鉢植えで観た花と
違う風情がある。

夏休みで来たハルも、自分で咲かせた花の種が、木にまきついて再生する花に
感動して見ていた。

2014年7月24日木曜日

鮎の南蛮漬け!              711

(2014・7・24影 Can)

完さん先の正午会に、釣りたて鮎を自分で南蛮付けした物を携帯冷温庫に入れ
て持参。
出席者全員に振舞われました。酸味に甘みが適度に効いた玉葱タレに浸かった
小振りの天然鮎を皆貪っていた。

さて釣った場所は、静岡安倍川(水のきれいな川)を河口から5キロばかり上流
とのことです。釣り方は、餌釣りだったようで、10センチ余の小型だったが、匂い
味も絶品でした。
僕は子どもの頃、釣りが下手くそで鮎の捕獲はもっぱら水中で手作りチョンカケ
の引っ掛け専門でした。こませを撒いて餌釣りで、今回こんなに釣れるとは、全
く予想外でした。
彼は僕が魚好きのことを知っていて、持参の鮎をいただくことになった。途中、
夜の会合があったが、丁寧に氷ボトル入りされていたので鮮度を落とさず帰宅。
完さん、ありがとう。


2014年7月23日水曜日

柳田A君を偲ぶ会、100ヵ日。     710


柳田君を偲ぶ会が、中野駅前の力酒蔵であった。
彼が亡くなって115日になるかと思うと過ぎ去る日々の早さに圧倒されます。
友人が集まり、彼の彼岸をそれぞれが想い、語り合いました。
勿論、梅雨明けの暑さ真っ盛りのこと、本来ならお互いが誘い合って暑気払いと
なっていたところですが、残念ながら彼が居ない法要というところです。

スノさんは、柳田君の酒飲みのハシゴ癖、もう一軒、二軒となる様子を重ねて言
うが、当方との付き合いにそんな強い経験がないので戸惑う。そばから、サト君
がアル酎ではなくて酒が強かっただよと。
どうも、学生時代からの古い友人と、キャンパスが同じだったにもかかわらず、
学生時代に会ってない友人とニュアンスが異なる。

早稲田の125周年稲門会のベントで、「125キロ圏内歩け歩け」のプロデュー
スの初耳になる話とか。
柳田君のあとを継いだナベさんに対して、PR会社はITに長けた人を使いこなさ
ないと生きていかれないよ、と助言するもの。クライアントのなかに、ネットでは落
ち着かない企業が出てきたのも事実で、いきつくところはアナログとの共存か。
今問題のヘイトスピーチについて、クラくんが30分ぐらい喋ってくれたが、差別
問題の深層で、なかなかの迫力だった。
ぼくは柳田君が好きだったという「あさり酒蒸し」に箸をつけた。

2014年7月22日火曜日

続々・丸山眞男のこと            709

書影/本棚から

1968年の東大紛争では一転、丸山眞男は「戦後民主主義の申し子」であるはずの
学生たちの矢面にさらされた。
大事な資料を守るため大学に泊り込んでいた丸山は、研究室を占拠する全共闘の
学生らに「ファシストでもやらなかったことを、やるのか」、と激高したと言う。
全共闘的主体性は、内なるロマンの爆発だけで、自由に行き交う思想と結びついて
いないのではないかと、疑問を呈するにいたる。

インタヴューで丸山と親交のあった折原浩は、尊敬する教授が紛争に沈黙され続け
る姿勢に、意見を文書で出すことになる。この「沈黙」こそが、目に見えない壁を乗り
越えることができない、現在の大学の退廃ではないかと。
そして加藤尚武は、丸山の姿勢を古き良き大学を維持したい方だから必然の帰結、
と言っているが、、、。さて、、。

丸山が海外から帰国して戦争体験について重い口を開いた意味。
広島宇治の陸軍司令部の建物の裏側に居て被爆はしてないが、三日後には爆心
地に入り救援と調査に携わっている。被爆者への特別なおもいは強く、また核兵器
に対する、被爆国であるからこそ世界に向かっての発言は辛辣です。
「なんって、お前たちは馬鹿だ!」

東大紛争後に、自責の念と失望から大学を去り、かつての三島市での庶民大学など
を引き継ぐ形で、全国行脚する丸山塾を実践活動の場としていった。
仲間意識だけではダメで、他者と横につながることを勧めている。
永久革命としての民主主義、世界を見てもこの形態にフィニッシュはなく、永続過程
にあると。

2014年7月21日月曜日

続・丸山眞男のこと             708

書影
丸山眞男について、も少し記してみます。
丸山さんと埴谷さんは吉祥寺に家があり、中央線を挟んで交流が盛んだった。
また、未来社の新社屋落成パーティーや観劇など、一緒に連れ添って登場する姿
を見かけることもあったが、二人とも、本当によく喋り、自分の専門外の事につい
ての豊富な博識に驚かされたものです。それらの批評や議論が空回りすることな
く、常に精神の冒険に誘うように、引き込まれる魅力あるものでした。

先の<知の巨人たち>での、丸山眞男の肉声と、丸山ゼミ、丸山学、外国の政治
学者、そして最も身近な息子さんのインタヴューを通じて、著作から認識していた
以上の人間丸山眞男を知ることができました。

丸山ゼミ出身の江田五月は、
岩波新書『日本の思想』を読むことが、丸山ゼミのスタートでした。議論好きの先
生は、台風襲来で停電した暗闇の教室で、講義内容を黒板に書き、自分たちは
ノートをとる関係を懐かしんでいた。
安保闘争後、しきりに言われた戦後民主主義の虚妄についても、大日本帝国愛
国思想を払拭して積み上げてきた民主主義を、「虚妄」のレッテルで無造作に否
定されることに居た堪れなく、これから進むべき道はこれしかないではないか、の
確信でした。
虚妄の方にかける、骨太の民主主義者であったと。

そうした父親丸山さんのことを彰さんは、
偉い家庭教師の先生が長く家に居た感じで、息抜きできなかったと。
自分も日大全共闘で仲間と共にストライキに参加し、新宿駅騒乱では歯を折った
こともある。このような状況に対して父親は、特に口を挟むことなかったが、次第
に高度経済成長と対峙する全共闘運動の両極が、民主主義を踏みにじる方へ
向かいだしたと認識したとき、全共闘運動から退かせる方へ意見されることで対
立したことを語っている。
このとき、民主主義の多様な選択ができなくなる状況を憂いたのではなかろうか。
→続く。

2014年7月20日日曜日

丸山眞男『現代政治の思想と行動』を読んだ頃 707

書影(未来社刊/増補・合本1964年初版)
テレビからであるが、久しぶりに丸山眞男の肉声(録音)を聞いた。
丸山眞男の著作は、60年代安保闘争のとき、全共闘とりわけ東大闘争の時代、
そして現在でも時に本棚から出して、読むテーマや著作によってインパクトが異な
る。
今回の<知の巨人たち>で放映された、丸山眞男の広島被爆・敗戦・60年安保
闘争・東大闘争、、、は、緻密に編集されており、丸山政治学から、その人隣りま
で新たにするモノがありました。

60年安保闘争が敗北した翌年に、丸山の岩波新書「日本の思想」を読み、当時
「民主主義の神話」が言われているとき、敢てその価値を強調する「敗北の政治
学」に、一部影響されました。民主主義の永久革命を、、、と。
「主権者となった国民は、その権利に安住して、権利の行使を怠っていると、ある
日目覚めてみると、もはや主権者ではなくなっているという事態が起こるぞ」と、警
告しています。
選挙で投票しない人を棄権者と呼ぶ。文字通り権利放棄者である。「権利のうえ
にねむる者」であり、丸山によれば保護に値しないとなる。
議会制民主主義に異議を唱えている者にとって、厳しく受け止めるところだが、、。

未だに超ロングセラーの増補版『現代政治の思想と行動』(未来社刊)の初版は、
上1956年刊・下巻1957年刊二冊で刊行されていた。政治の季節に誕生したこの
戦後日本の代表的古典には、多くの秘話がある。

いまもって護憲派だけでなく、保守政治にまで援用されている「丸山政治学」は、
憲法改正や直近では集団的自衛権をめぐる民主的手続きの問題で「民主主義」
の再考とあわせて援用されている。良質な復権であって欲しい。


2014年7月19日土曜日

寒風山から八郎潟を望む! 記憶の断層34  706

寒風山展望台/八郎潟、大潟村を望む

男鹿半島へ向かう。40年余りまえに、民話で知られる男鹿半島の八郎潟に行った
ことがあるが、当時の開拓途上の風景はすっかり変わっていた。

秋田市郊外、脇本バイパスを走り、寒風山に登り着いた。(行程→37k)
周囲がすべて緑の芝に覆われた休火山。回転展望台からは、大潟村、入道崎、鳥
海山がぐるり大パノラマに広がる! ウォー、ウォーと奇声を上げる「なまはげ」も
いたよ。

次に目指す入道崎へ向かう途中の椿港南端に、北限の自生椿の残り花を見る。
男鹿半島の最北端、北緯40度に位置する入道崎の草原台地から、日本海が一望
の下に見渡せた。
これまで、燈台を数限りなく見てきた中でも、緑の半島台地の景観と調和を図り、
美しかった。また、海中所要時間30分の、海底透視船に乗り、バラエティーに富ん
だ魚や奇岩を見ることができた。

この日の最後は、戸賀湾背後にある八望台から、沈む夕陽を絶景のなかで見る!
網元・萬盛丸の豪快磯料理を堪能した!



2014年7月18日金曜日

再度、風の電話!              705

(2011・8影 Can)

今朝、完さんの電話で目が覚めました。
「今、NHKで大槌の<風の電話>やってるよ」よ、と言って切った。
画面には、佐々木さんが、大槌町浪板海岸の高台にある白い電話ボックスの脇
に立って、インタヴューに穏やかに応じる様子が映った。

しばらくご無沙汰しているが、あい変らずかくしゃくとした姿で元気に見えた。
佐々木さんとは、震災後の御祖母ちゃんのお墓参りと、泥掻きのボランティアで
大槌町に足を踏み入れた際に、高台に訪ねたのが最初です。
きっかけは、知人の溝口敦が、サラリーマン生活後に、ガーデナーの仕事と趣味
の庭造りをする佐々木さんをインタヴューした文章を読んだのがきっかけでした。
佐々木さんは、自宅の庭に作った心で話す<風の電話>が、3・11東日本大震
災後、新聞、雑誌の記事やTVで取り上げれ始めたとき、ノン・フイクション作家・
溝口敦の書いたモノが、自分を一番よく捉えてくれていると感心していました。

今朝の途中から観た特集は、被災から三年が過ぎた今、亡くなったお兄さんの遺
影を置くことができないでいる女性が、もう一度、「風の電話」を訪ね兄と向き合い
たいと思っている心情の吐露。
もう一人の人は電話ボックスに入って亡くなった夫と、どこで暮らせばいいか迷っ
ている。今改めて話してみたい思いでゆれている。
復興が進むなか、自分だけが取り残されているような不安にかられる被災者の心
の襞がひしひしと伝わってきました。

被災者は、誰かに語り、胸の内を話せる事がますます大切になってきているよう
に実感する。
なくなった大切な人とをつなぐ「風の電話」が今日も、静かに訪れる人を待ってい
ると、結んだ。


2014年7月17日木曜日

雄物川河口、秋田湾へ。記憶の断層33    704

にしめのひまわり迷路&雄物川河川敷の風力発電

先に、弘前から青森、下北半島ぐるり尻屋崎から太平洋側海沿いの東北旅を記
している。

今回は、日本海沿い東北の周遊を記録して、海岸線をつなげてみようと思う。
夕方に発って、夜の東北自動車道を走り、前沢SAでガソリンを満タンに補給し、
横手IC(~513キロ)を出て、本庄方面へ走る。鳥海山の裾野にある道の駅「に
しめ」で、[にしめ湯の娘ランド]に浸かり仮眠する。目が覚めると、周辺はひまわ
り迷路のじゅうたん模様にビックリ。
穀倉地帯である横手盆地を経て秋田湾に注ぐ雄物川河口の砂浜に車を停めて
遊ぶ。白鷺が砂に足を取られて埋もれそうになったが、自力で脱出したよ。
風力発電が数十基林立するのが、新屋海浜公園からよく見える。

秋田港を回って、秋田駅により珈琲店「駅舎」で焼きたてパンのトーストとコーヒ
ーで軽食をとる。男鹿半島大潟村に入る前に、久保田城址、千秋公園二の丸に
ある市立「佐竹資料館」に入館する。秋田藩の藩政時代とその関連資料のほか
に竿灯祭りの模型も展示されていました。
(←ブログ672 2014・6・15) 

2014年7月16日水曜日

水曜日の話題、、、。            703


太洋社が8月末に、秋葉原(地下鉄末広町)に移転する。
本社は銀座、営業は九段の頃を薄っすら知っている。
面識のある古くからに人がほとんど居なくなってしまった。
11時半に飛び込んで用件のみ済ませ、正午からの食事会に向かった。

ここしばらく、タクシーを利用することがなくなり、駿河台下に向かうためトーハン前
のバス停へ。九段行きのバスを待つ人が6、7人居たであろうか。
ところが、ベンチに座っているそのなかの一人が、親しい知人である出版社の営業
部長Kに横顔がよく似ていて、喉元まで声が出掛かって躊躇していた。
数年あっていないこと、白くなったもみ上げを蓄えていたこと、メガネのフレームが
違ったことなどで、人違いだと思った。ところが、おもむろにカバンから「デイリース
ポーツ」を取り出し、名物コラム・松下さんの<松とら屋本舗>に目を移し読み始め
た。そこに、バスが到着。彼の後から乗り込み着席と同時に面対した。お互い、誰
にも負けないタイガースファンが、一瞬間おいて、声かけしたという経緯です。

早速、トーハン近藤副社長を交えるところの話題になり、このところの阪神タイガー
スの絶好調ぶりは、毎朝の寝起きにイイね、と。九段下までの車中、好調にトーク
が弾んだ。仕事の話はそっちのけだったが、彼を見まがうたのは久しぶりに会った
ことばかりでなくて、立場も変わり苦労も多かろう変貌振りによってだと思う。

水曜会は、病院から大量の薬を抱えて参加のシライさん、元気な姿で着席のグン
ゾ―さんらが参集し賑やかだった。



2014年7月15日火曜日

カワウとゲンジホタルと鯉川         702

鯉川(中央奥)が平井川本流に交わる!(2014・7・13影 Can)

13日の真夏日のさなかに、カメラを持って鯉川が平井川に合流する堰に立った。
鯉川にゲンジホタルが自然増殖していることと、わがお墓の脇下がこの川の中流
にあたることを知って、も少し探索しておきたくなった。
(←ブログ:2014・7・4「鯉川、平井川、多摩川へ。」)

鯉川が平井川に流れ込む所は小さな堤になっており、丁度、近所の農家の人が
二人出張って前日の台風による増水の調整をしていた。
僕がカメラを抱えていることもあって、立ち話になった。鳥でも撮影していると思っ
たのか、カワウが増えて小魚が減り、田螺までやられることえの嘆き節を切々と聞
かされた。
過日の「鵜の岬」への旅で、鮎捕り鵜飼に使う海の岩礁に巣作りする鵜は見たが、
昔から日本に住むこの地域のカワウは、養殖鮎を好む大食漢で他の魚や貝類ま
でさらう被害をもたらしているらしい。
ニセ卵を抱かせたり、あの手この手で追っ払う作戦で効果を期待するが、清流の
復活に見合うほど未だ魚が戻ってきていないようだ。
ゲンジホタルは、これから小さな輝きを放ちながら浮遊する光景が見られるという
から、ハルを誘ってみようと思っている。

2014年7月14日月曜日

6月の大槌町と大槌湾            701

電柱が立ち、作業車の行き交い盛んに!(2014・7「広報 大槌)

城山から見下ろした大槌復興の景観。

今夕6時過ぎから、ある編集会議があって、3時間ほどで終えた。
JR新宿駅を10時頃に乗車して、いま少し前に帰宅したところです。
ブログの更新について、何時、書き込んでいるのかとのクエスチョンをもらうが、
このように、外から帰宅したときも、自宅にいるときも、次の日に繰り越さないよう
に自らを律してPCに向かっている。

先日、新聞記事で、大震災で大きな被害に遭った大槌町が、新しい「津波避難マ
ップ」を作成したとの報を見たが、そのなかでも、緊急持ち出し品リストに家族写
真の一項が加えられていた。

当時94歳の御祖母ちゃんが助かったのは、日頃の備え小荷物一式のみもって、
大きな地震の揺れの直後に福祉士のサポートで高地に向かったからです。
家族の安否をきにしたり荷物を取りに低地に戻ったりして逃げ遅れた知人を思い
残念がっています。
そんななかで御祖母ちゃん曰く、食糧や衣類はなんとかなるが、唯一後悔してい
るのは家族の写真をセレクトし一帖にして持ち出せなかったことを、しみじみと語
ります。
でも、幸いに流出した家の隣が県立大槌病院で、病棟が防波堤になって潮水に
浸かった写真帖を、救出に行ったGyoとSchによって発見することができました。
大半が酸化して復元できたのはわずかですが、大変貴重な遺産になっています。

2014年7月13日日曜日

〝2014 味噌の天地返し!          700

(2014・7・13影)
梅雨明けも近いので、新味噌の天地返しをしました。
山梨北杜の土方邸で、寒仕込した甕の味噌を床下から引き上げて、指導されて
いるままに、ヘラで丁寧にひっくり返した。
少しカビが浮いていたが、薄皮を剥ぐよううに取り除きました。
昨年は、雑菌を入れないようビニールの手袋を着用して処理したことを、元の床
下に収めてから、今回素手でやったことに気付いた。回を重ねるごとに万全にな
ってしかるべきなのに、手落ちが悔しい。

昨年仕込んだ二年ものをまだ、毎日の味噌汁に、酒時の胡瓜のたたきに、いい
風味と最高の美味しさを味わっている。
今年の物は秋口から開封できるが、全体が均一に熟成してくれるのが楽しみ。
土方ご夫妻に感謝です。

2014年7月12日土曜日

電子書籍の波は高くなっているのか、、。   699


「東京国際ブックフェア」での注目は出版界の生き残り策やネット社会との共存
をテーマにしたシンポジウムやセミナーが多かったことで、今日的な象徴なので
しょう。
では、電子書籍がネット社会とどこまで共存できるまで来ているのか。電子書籍
は、現売上1000億超えの広がりを見せており、1割を占めるまできている。
KADOKAWAの発信基地プラットフォーム化までいかなくても、いろんな組み合わ
せの実績が試されている。
見本市に韓国の出版社バイヤーと同道した完さんの話だと、韓国の教育現場で
は電子書籍端末利用に勢いがあると。日本の伝統文化に比べ、文化(ハングル)
の違いから身のこなしが早い。

電子書籍の売上は、前年度から30%近く増えている。4年後に予測される成長
規模は3000億円とも云われ、そうなると2割近い占有になる。
自ずと従来型の本作りでは、売上の低迷続きを打破できず、読者との共生の方
向を見失うことになるように思える。
もう一つ、ネット経由でも見られる電子書籍にも関心がいくが、又の機会に。

2014年7月11日金曜日

クルマ旅の事始は、、。記憶の断層32   698

白樺湖(1974・1影 ペン)

40代半ばから趣味で出かけるようになった旅の記憶を、その時々に撮った写真
や走り書きを基に「記憶の断層」として再度、記憶をあらたにして記録を続けてい
る。

1985年の春先にドライヴがてら、五日市から一山越えで相模湖に出て中央高
速で八王子インターで下りて帰る一周コースの予定だったのが、たまたま相模湖
の入口を右に信州白樺湖方面の進路を取っていた。
そうなった気分は、20代、30代前半にGyoをつれて車山スキー場に頻繁に行っ
ていたことと、霧が峰高原の野花が美しいことに惹かれてのことであったと思う。

それ以来、僕とナビゲータは、四季の珍しい花の開花と、未知の土地と風景を探
して目的地を特定しないで気ままに走り続けてきました。
僕の場合、一箇所の名所、旧跡にとどまって念入りに見て回るということではなく
て、一日に数百キロ移動しながら景観を楽しむ度合いの方が強い。
さらに加えて、海岸線を走り、車を停めて潮水に浸り、暑い時期には泳ぎ、また、
走り出す快感が好きです。
これまで、本州の日本海側、太平洋側沿岸全域(山口県のみ未踏)と、北海道函
館から東北海道・網走サロマ湖まで、小樽から積丹半島までと、四国の瀬戸内海
側をドライヴし見聞してきた。沖縄の一部もレンタカーで周遊しているので、残るは
九州ですが、何時になるか、全く不明です。
このドライヴは、余暇のなかで、走ることを目的化するのではなく、あくまで気まま
な「風船の旅」です。
よって、未だまだ「記憶の断層」は、終わりなく続きます。

2014年7月10日木曜日

マモちゃん、あるいはウエちゃんのこと。   697

書影(1975.7刊)

『「現代思潮社」という閃光』を購入した日に、同時に手紙をもらって、旧友を思い
出したことを記したが、そのコトに、も少し触れておきたい。

手紙にある文中の現代思潮社入社の経緯、勤務・業務内容、書籍の出荷・返品の
プロセス、人間関係、企業化に伴う労働争議、そして辞めてサンマークへ転職する
過程の披瀝で、知らなかった部分を埋め合わせさせられました。
内容は具体的で、ディテールが良く解るまとめに頷きました。

彼とは大学は違ったが、60年第一次安保闘争後の消耗戦にある時、政治的意識
の上で同じ現場にいたことがあった。また、その後、足を置いた場所が偶然同じ出
版業界で、一緒になる会合も多々あった。同時代感覚を共有する気分で長きに亘
り付き合いをさせてもらっている。
また、今回手にした陶山幾朗が上梓した本書は、閃光、まさに現代思潮社が一番
輝いた一時期、著者自身がかかわったところの自分史であるが、60年代初頭から
70年代にかけて、その周辺にいた者にとっても、一気に「現代思潮社という風」に
吹かれて甦らせてくれるモノでした。その真っ只中にウエムラMはいたのだ!

本書のなかには、多くの面識ある人が登場するが、その中で、荒川了さんだけは、
編集者時代を知らず、ずっと後の、再就職先サンマーク時代からですが、実は最
近になって、キャンパスの中でも出会っていたことが判りました。
それは、今年亡くなった門倉H君を通じてです。
その彼は今、出版稼業を引退して信州伊那谷に引きこもって、読書三昧、悠々自
適に暮らしている。


2014年7月9日水曜日

『「現代思潮社」という閃光』を読む。    696

書影(2014・7・9影)

帰宅すると、見覚えのある宛名書きの封書を手にする。
葉書はもらうが手紙で届くとは怪訝に思ったが、開封前に予測してみた通りだっ
た。
今日、水曜会の後、ハルの予約本の申し込みついでに、チェックしていた書籍の
在庫を聞いてみたところ、直ぐに四階から持参してくれた。
陶山幾朗著『「現代思潮社」という閃光』で、現代思潮新社の新刊です。
僕は、この本のコラム記事を読んで気になり、先ず手にとって見てみたかったの
ですが、目次仕立てを見て即購入しました。
(212頁、2400円(税別)は、ちょっと高いかなと思いながら。)

帰りの車中で、本の頁をめくりながら、まず最初に、学生時代からの友人で現代
思潮社に勤務したことのあるウエムラM君のことを想い出した。
手紙の主は彼で、しばらく会ってなかったが、自らの健康と近況を綴り、「さて、と
ある記事に注目しました。」と、「毎日新聞」の<今週の本棚>コピーが同封され、
本題が展開されていました。
お互い歳を重ね、50年の時を刻んでいるのに、又この一時、今日と云う日に「現
代思潮社」をめぐって記憶をあらたにするのが不思議でならない。

僕自身、20代前後、現代思潮社の本は大半を読んだか、傍らに置いておくモノ
になっていた。僕の在籍した未来社が文京区の伝通院裏にあり、現代思潮社の
商品部門が伝通院下(安藤坂)にあったから日常的に直接購入していた。
本書の著者(陶山)、登場する石井社長、酒井、安藤、久保、松田、笹本、そして
荒川さんらを、密度の程度こそあれ知っている人のノンフィクションなので一気読
みしました。
「現代思潮社という気分」が昨日のように甦ってくる本でした!

2014年7月8日火曜日

瀬戸内のスズキ絶品!            695

スズキ&メバル(2014・6・27影 Can)
旬の、完熟サクランボと香りのスズキをたて続けに食することができた。
サクランボについては、先日、秋田湯沢のサクランボ果樹園で日夜(朝は3時起
き)精を出す高山M君から送られてきた赤い味覚に舌鼓しました。
(←ブログ:2014・6・21「さくらんぼの産地から」)

今日記すのは、弟が瀬戸内で釣ったばかりのスズキが、氷詰めで届き、開けて
見ると、目が輝くように澄んでいて、口を真一文字に結び、胴体はしろがねいろ
で美しく光沢があり新鮮そのものでした。
スズキの泳いでいるのを見たことがないが、子どもの頃水中眼鏡越しに見た川
魚の大型「イダ」が回遊している姿に似ていると思った。
早速、刺身にして賞味することにした。スズキは香りのある魚で、以前、刺身を
洗いで食べた時の香りが忘れられず、同じ包丁捌きにしてもらった。
yuが、細身に柵切りしサワチ料理皿に並べると、脂肪がよくのって白身にうすい
ピンク色が光沢を放つ。

焼酎のツマミ肴と熱いご飯にあって、味と香り、絶品でした。
yuの嗜好では、ムニエル系を好んだのでしょうが、、。



2014年7月7日月曜日

半夏生/一年の後半が始まる節目の日!   694

石垣全日空Hビーチ(2012・8影 Can)

7月7日は小暑。
七夕、短冊に願い事を書いて子どもたちが喜ぶ行事がありますが、雑節で「半夏
生」ハンゲショウズとも言います。この日は大雨になるとも言い伝えられて「半夏
雨」の別称もあります。
(半夏生は、葉っぱの半分が白粉を塗ったようで、地味な花より目立つ。)
また、ちょうど一年の半分、節目の時期に当たります。時が経つのが早い!

大型で非常に強い台風8号が、沖縄の南海上を北西に進路をとっており、明日、
8日には風速54メートル以上の猛烈な勢力で沖縄に接近する恐れがあると、、。
気象庁は「7月としては過去最強クラス」として、今夜にも、沖縄は暴風圏に入る
特別警報を発表する模様。

宮古島と石垣島のいずれでも台風に遭遇した経験があります。空便欠航で数日
ホテルに閉じ込められ、陸の孤島状態におかれて慌てたことがあります。
梅雨明け前に、自然の猛威、台風の襲来は避けられないのか、、、。

2014年7月6日日曜日

錦帯橋と音戸大橋と猿橋、、、!?       693

錦帯橋
勘違いと云うべきか思い違いというべきか、トンチンカンな発言に、さらに上塗
りして「絶対!」をつけて多勢に顰蹙を買ってしまった。

先だっての居酒屋の席で、ローカルの場所めぐりが話題になった。
岩国の「錦帯橋」が、川に架かっていると言う三人に対して、僕は、海、すなわ
ち本土と小島か、岬と岬に架かる太鼓橋のはず、と主張して譲らなかった。
その内、完さんがパソコンで検索してくれ、岩国市郊外を流れる錦川に架かる
三大古式橋の一つであることで、多勢の通りに軍牌が上がったのであった。

では何故、「自信を持って」間違った記憶になってしまったのか、、。
一つは、一九六一年に完成した同じ広島の呉市の本土から倉橋島を結ぶ、
音戸大橋の映像が錦帯橋と一緒になって記憶されていたこと。広島には、原
水禁大会に、未来社時代に中国新聞社へ、九州・四国への出張、途中下車、
など等で数十回にわたって行っているはずなのに、広島の両橋を観光してい
ない。にもかかわらず、写真などを見て、同一の景観として間違って「記憶」さ
れてしまったようです。
もう一つは、二度行ったことのある橋脚のない甲斐の「猿橋」が木材だけで造
られた太鼓橋で、写真で見る錦帯橋と類似している。それが、やはり一緒にな
って記憶されていたようです。
大月の「猿橋」
錦帯橋は、中国の島づたいに橋が架かる絵図にヒントを得て構想されたと云う
から、まんざら、「箱庭」のような瀬戸内海の小島に架かっていると錯覚していた
ことが、トンでもないことではなさそう、、。
音戸大橋

     

2014年7月5日土曜日

熱中症に注意!               692


歳を重ねて外気の温度に順応が鈍くなっているようだ。
先日、JR水道橋で下車して一駅地下鉄に乗るところを、ドームを横目に大阪屋ま
で上着を抱えて歩いた。各地で真夏日が続くのに、自分はあまり汗をかかず暑さ
を感じなくなっているのに気付く。
暑さに対する感覚がにぶくなりがちで、のどの渇きを感じなくなっているようだ。

北海道を旅したとき、吐き気がして意識朦朧の症状が出て、初めて熱中症を体験
したことがあります。
その時の原因、体温調整がうまくいかなくなり、脱水症状や体内機能の異常に陥
った経緯を思い出しながら、今回は適切に対応することができ、事なきを得た。
まず、珈琲店に入り休憩して自然体で身体を冷やし、コップの冷水をお替りして補
給した。
炎天下でなくても、屋内外を問わず発症する危険性があるようで、疲労感、脱力
感や節々に痺れを感じたら即対応することが肝心。クワバラくわばら。

2014年7月4日金曜日

鯉川、平井川に、そして多摩川へ。      691

平井川/上右が鯉川の出口(2014・7・4影 ケイ)

本屋さんに行くのに、距離にして5キロあまり走るのだが、四つの河川を渡る。
まず羽村の堰から多摩川橋を渡って、鯉川、平井川、秋川を経て日の出の未来屋
書店にたどり着くと云う具合です。
羽村にも中堅のT書店、Y書店があって利用しているが、川と山浪を見ながらのドラ
イヴで日の出まで行くのがイイ。

今日の多摩川(一級河川)は、昨日までの雨で少し増水していた。
過日、秋川が多摩川に合流する交点を葦を踏み倒しながら見ることができたことを
記したが、今回は鯉川が平井川に吸収される所を見ることができた。
そして、平井川は1キロ余下流で多摩川に合流する。

鯉川の両岸は、雨上がりに映える紫陽花が見ごろで、川底が綺麗に透通っていた。
未だ、ゲンジボタルが自然増殖する豊かな生態系を含む自然環境が. 残っているの
がうれしい。

囲む会の続き、、、。             690


「有薫酒蔵」のメニューが面白い!
高校1年コース、2年コースとか、、、。とりあえず、高校1年コースを注文。
メインの盛り付けられた刺身のなかでも、今が旬のキビナゴの新鮮な銀色に輝く、
一匹一匹をパクパクといただいた。

月に二、三ど八ヶ岳の麓のログハウスに通う田舎暮らしを満喫するモリさんの近況
から話は始まった。
数年前にハウスを訪ねて、畑の草取りを手伝った事があったが、その当時より耕作
地が格段広くなっているように見えた。その畑のキレイな盛り土に苗植えされたジャ
ガイモ、サトイモ、トマトの写真も見る。(読書と作業日誌と写真のファイルを見せて
もらいながら。)
読書から、吉村昭論に発展する。白水社から刊行された『評伝 吉村昭』(笹沢信著)
新刊書を熱く語る。前回にも、時間の余裕ができたら吉村論を書きたいと宣言して
いた。日暮里界隈を棲家とする吉村とモリさんの生活圏が一緒であること、歴史を
切り取って物語する小説作法に強く惹かれているようだ。大いに期待しよう!

体長維持、(痴呆症にならないために、)それぞれの健康管理術を披瀝、、、。


2014年7月3日木曜日

新橋、有薫酒蔵へ              689


書影

三省堂書店の「森Mを囲む会」が、新橋の「有薫酒蔵」であった。
集まったメンバーは、偶然だが、毎年寒味噌仕込みに参加している四人衆。
二日から開催されている、国際ブック・フェアーに出て、その足で駆けつけた人も
いた。

「有薫」は、『奇跡の居酒屋ノート』(2010年/洋泉社刊)を著した松永洋子さん
が女将の店。
1987年から綴られた「高校ノート」、2000校余、1万人を超える本音が記録さ
れた話題のノートが店内に整然と備わっている。
本を出した当時から見ると、高校の数が倍近く増えて全国の7、8割の高校が網
羅されたのではないか。

さっそく、カズさんは、自分の出身校・福島安達高等学校のファイルを抜き出して
書き込みや写真を閲覧しながら丁寧に記帳していた。

2014年7月1日火曜日

遠くまで来てしまった!           688


自衛隊発足60年と云う今日、歴史を逆流させて「戦争をする国」に逆戻りして
しまった。集団的自衛権の行使容認が閣議決定された。
法整備に名を借りて、多勢に無勢をいいことに勝手に憲法を解釈するアベの
アタマは妄想に取りつかれている。

僕が10歳の時、1950年に警察予備隊ができ、この時は未だ災難救助などを
主たる任務とする今の機動隊の様なものと思い、52年発足した保安隊のとき
は戦争放棄からまたまた再軍備に向かうのかと、子ども心に引っかかりを感じ
取り始めていた。
早稲田の「建設者同盟」で活動する伯父さんが身近にいて、休暇に帰郷した
ときの振る舞いなどに影響されつつあったのかもしれない。
既に、この時代から、保安隊から自衛隊に変容する過程で少しずつ「軍隊」に
慣らされつつある情況に危機感を抱いていた。
それにしても、60年後に「戦争放棄」から、こんなに遠くまで来てしまうとは、孫
たちに笑えない。