2015年1月31日土曜日

富士山  眺遠望の復活!         903

(2015・1・31 影:Can)
今日で1月も終わる。
今朝、わが家のベランダから真っ白な富士山がくっり見えた。元旦や昨日の雪の
日、薄曇りの日を除いて、1月は25日富士山を眺望することができたことになり
ます。

東京の空は、明治時代(推測100日位)より今が最も澄んでいるといわれが、、、
本当なのか?
昨年の一年間で東京都内から富士山の姿が見えた日数は、138日に上り、50
年前の6倍に増えたことが調査報告されています。
大気汚染が改善されたことや、空気の乾燥が要因とみられる。
これまで、ビル密集によるヒートアイランド現象や地球温暖化、環境汚染が言わ
れているなかで、ちょっとヘンな気がする。

たしかにわが町は、Gyoの通った富士見小学校や富士見町という地名があった
り、富士山を眺望できるところが沢山あります。近く多摩川沿いの山脈はビルや
新しい住宅で隠れてしまったが、富士山だけは四季折々鮮明に見える日が多く
なったような気がします。今年一年、記録してみようと思う。

2015年1月30日金曜日

積雪5センチ!                902

今年の本格的雪!(2015・1・30 影:Can)

今日、夜明けから水分を含んだ綿雪が舞っている。
午後からは、小雪になったが玄関口に5センチほど積もった!

樹の枝に雪が積もってたわんだ雪景色を見ると、昔田舎の家をかこっていた檜に
つもった垣根の白銀世界を思い出す。雪がやんだ静寂のなかにいると、木が発す
る木魂で水滴が幹をつたって落ちる気配を感じる。
先日訪ねた酒蔵の樹齢数百年の欅に、体を預けたり触れている人を見かけたが
これもまた、木魂で癒されたい表れのように思えた。

子供の頃、庭で鬼ごっこや隠れん坊をするときも、それぞれの家の欅、楠の木、
銀杏の木を中心にして遊んで過したものだが、悠久の木には人間を引き寄せる
魔力がる。
雪でしなる山茶花は、35年ばかり前に上京した母が植樹した木で、ゆっくり成長
して樹液を発散しています。

2015年1月29日木曜日

年金機構事務所へ              901


「大槌の風」特定非営利活動法人の実態報告の件で、青梅年金事務所に出かけ
る。健康保険や厚生年金保険の加入についての確認要請にお応じてのことです。

当法人は、実質一人活動で成り立っており、働く従業員はいないし、報酬の支払い
も一切ない。
活動の開始は、3・11大津波被災の岩手大槌町に縁あって、被災地の子どもに本
を届け心の復興に少しなりとも寄与したい思いからの取り組みでした。
このことは、被災の年から一年ばかりの個人的活動と、周辺友人の支援で達成す
ることができました。

次に、現地の復興推進と地域文化・社会の活性化に、も少し組織的に活動するた
めNPO法人の申請になったのです。
申請のために、役員及び会員、賛助会員に友人、知人のサポータに名を連ねても
らいました。
申請から都の認可まで一年かかったことと、一人活動から脱しきれなくて被災地と
の組織な成果を生み出すまでに至っていません。

もう直ぐ、3・11東日本大題震災からまる4年になります。
被災者の復興のおもいをどこまで共有できるか不断に確かめつつ、一つでも具体
的な事で関わり続けたいと思っています。





2015年1月28日水曜日

日々の雑記                 900


水曜会に出席。
ランチは、アジのカルパッチョとコロッケ&コーヒー。
アジが新鮮で冷え具合がよく、コロッケとの組み合わせが美味しかった。

完さんから、奥只見で民宿を営んでいる女性オーナーが熊肉持参で上京されたと
かで、その肉をすすめられたが、丁重に辞退した。
というのも、昔、肘折温泉で猪鍋を食べて、酷いジンマシンに襲われたトラウマが
いまだに残っている。

トーハン・近藤副社長の近畿支社新春の会での激が話題に!
7日の二大取次ぎの新春の会の様子は先に記したが、9日のトーハン大阪支店
では、年末~年初の店頭実績で近畿エリアが最も低い91.7%に「背筋が凍る」と、
危機感をあらわにし、「もう普通のことをしていては生き残れない!」と、近藤さん
らしい戦闘宣言に。
ネット書店への流れ趨勢と、でも逆流に抗する「本の特急便・ブックライナー」など
の徹底的活用を説く、、、。


2015年1月27日火曜日

『長宗我部』を読む!            899


長宗我部友親さんの著作『長宗我部』を早速読む。

先日、日本橋の事務所で長宗我部さんと面談したのですが、後日にメールをもら
った。
「自分の事務所のせいか、なにか先輩にたいして横柄にふるまっていたのではな
いかと、反省いたしております。」
まったく、そのようなことはなく、かつてK通信社の経済部長まで経験された業界
通であるにもかかわらず、僕の出版界の常識を傾聴いただき、今在る企画の練
り合わせに資していただいた。続けて、
「この機会にしっかりした学生演劇史が作成できれば後世になにがしかの、イン
パクトを与えるものが、できるかもしれないとは思っておりますが、、、」と。

お互いの事ながら、年を重ねてきた年齢境界域の迷いを吐露されている。
確かに、難しい事案ながら、僕の演劇関係と未来社の演劇本出版の経験などで
協力できればとの思いでいます。

本の内容は、新聞社の一線を退いた後、長宗我部一族二千年に及ぶ血脈を膨
大な文献と地勢でさかのぼる、長宗我部元親のルーツここにあり!です。

柚子と自然薯                898


2015・1・25影:Can 

柚子も自然薯も今頃が一番料理や薬効に使われる季節で旬を味わえる!

自然薯は完全天然モノではなかったが、佐賀県武雄産を入手することができた。
天然モノの首苗を、限りなく自生していた地質に近い土に埋め込み横に這わす
細工をして、蔓は天高く伸び放題にして育てる究極の一本モノです。
自然薯は皮を剥かないで、ひげだけ火で焼いて料理すると天然独特の風味を
味わうことができた。
山椒木の擂粉木で丁寧に芋を摩り下ろし、カツオ昆布出しの濃い目のみそ汁
を少しずつ少しずつ合わせた自然薯汁が一番美味しいと確信している。

柚子は、例年より一ヶ月早く剪定バサミで300個以上を収穫しました。
我が家の周辺も、昔、雉やうさぎが草むらで遊んでいた当時の自然はとっくに
失せて、住宅が密集してきています。野鳥にとっては厳しい環境で、柚子や南
天の実でもあさらるほど食べるものがないのです。
数個残して採ってしまったが、そのうち鳥の飛来もなくなるのであろうか、、、。
柚子香る雑学はいっぱいある!

2015年1月25日日曜日

函館山 記憶の断層49          897


佐藤泰志の小説を読んだからではないが、青森から函館へ旅を続けた記憶から。

途中、青森側の野辺地駅を経由して函館湾沿いの茂辺地駅を見ながら函館駅に
静かに滑り込む。駅舎のなかに備え付けられたイケスにイカが猛烈な速さで泳ぎ
回っている姿が印象的だった。

佐藤泰志の「海炭市」とは架空の町だが、彼の故郷である函館であることは直ぐに
想像できる。半島のように突き出ていて、町のどこからも海が近く、港があり、路面
電車が走っている。海鮮市場も駅からすぐ近くにある。そして、街の先端に海に突
き出すように函館山があります。小説の地誌的な精密さの裏打ちにされている。
そこから観る函館湾と町の夜景は素晴らしく、皆がロープウェイで登る。
海の幸のグラタン、カレーが美味しかった!

歴史を語る煉瓦の館、中華会館と関帝廟、元町公会堂、ハリストス正教会をゆっく
り観て回る。

(←ブログ:2015・1・19 「青森市場&ねぶた祭り」記憶の断層48)

2015年1月24日土曜日

『そこのみにて光り輝く』を観て読む!  896

書影(小学館文庫刊:2010・10 )

迂闊にも、作家、佐藤泰志の名前は頭脳を素通りしていた。
新年早々に、『そこのみにて光り輝く』を観て、彼の作品映画化であることを知る。

作者の自死後(1990年)に、同世代で話題になり評価が高まったようです。
同世代の作家、中上健次や村上春樹とは違ってテーマや物語に軽やかさや神話
的風土性などはない。
自分の生きている現実に向き合い、リアルに人間関係を掘り下げ紡いでいく手法。
そのバックボーンは、作家を若くして目指す著者が、1970年代前後の熱い高揚
感から醒めて、厳しい実生活の喘ぎのなかから生まれた文体に思える。
といって、これは私小説では決してない。
本書は、作者の故郷の函館を舞台にした市井の人々の生活を凝視する長編小説。
描出される恋愛、友情、格差社会を見つめる底辺の暮らし、その異化作用に共感
できる。

他に、『海炭市叙景』は、1991年に集英社から単行本として発行されている。

2015年1月23日金曜日

酒蔵見学が期せずしてW新年会に   895


発足したばかりの「料飲稲門会」の「初」仕事につきあいました。
都内有数の老舗酒蔵見学・試飲会に参加しました。

昨年暮れのW忘年会の席でKs君から誘われ、蔵元・田村酒造を知っていること
もあって軽く応答していた。
ところが当日になってみると、酒蔵を見てまわり飲む試飲イベント企画で、そのな
かにW同人がシンパで参入したという訳です。

田村酒造・嘉泉の蔵元は、僕の隣町福生の多摩川に近い広い敷地の中にあり
ます。
大寒入りで、日本酒作りが佳境を迎える時期の見学。蔵元主自ら、歴史と、秩父
岩盤脈からの湧水・中硬水(嘉泉)を発見、山田錦米使用と35%までの洗米(大
吟醸)プロセス、麹作りと酵母と水との醸造過程を、特別、丁寧に冗談も交えて
案内してくれた。
敷地内に樹齢600年以上の欅の樹が木魂むきだしに立っていた。また、精米用
の水車小屋が残されており、玉川上水分水が小屋の中に流れ込んでいた。

松花堂弁当や試飲等級当てをしながら昼食しりの半日、至福の時間を過させて
もらいました。


2015年1月22日木曜日

長宗我部友親さんを訪ねる        894

(2015・1・21影:Tab)

友人の俳優浜田晃と長宗我部友親さんを事務所に訪ねる。

長宗我部さんは、自著『長宗我部』が文春から出版され話題になっている時期に
Hsの追悼集会で、一度だけ同席しているのを、面談当日になって思い出した。
これも何かの縁だし、親友浜田君と長宗我部さんとが「早稲田自由舞台」で激動
の1960年代に一緒に活動し、このたび又、僕とつながるのも奇縁です。

早稲田大学学生演劇劇団史を本にしたい話が進行中。
自由舞台と劇研をメイーンにした記録を軸に、そのほかのこだま、白鳥なども入
れる。演目(配役、スタッフ)、パンフ、劇団員、歴史(運動史)の記録は残されて
いる。
さらに、サークル劇団の熱気、背景は、インタビュー)、演劇界で活躍した人、して
いる人の語りから。

実現可能なプロセスについては、次回に。

2015年1月21日水曜日

記録を記憶に残すコモンズ!       893

大槌町「失われた街」模型復元
東日本大震災からまもなく四年目をむかえ、震災を風化させることなく伝承する
記憶の復興の取り組みがいろいろな形で現出してきている。

今日、雪がちらつくなか都心に出かけました。
カンさんの要請で「復興大学」を主催するハラさんと面談。そのハラさん、昨秋、
脳腫瘍の大手術をしたことで、これからの生きかたは決まった、と、被災地の
歴史と生きた民俗、文化財の復興につくす熱い覚悟を聞く。

大槌メディアコモンズの町民に公開して開催された10回余の活動の成果をま
とめ、広くアピールするサポート。
津波で被災する前の大槌街をミニ模型でリアルに復元して、そこで営まれてい
た人々の暮らしや儀礼の記憶を収集し保存する活動。この活動過程は、自分
の街への愛着と地域のコミュニケーション、つながりを取り戻すきっかけになっ
てきている。


2015年1月20日火曜日

東京で最も出かけた街・歌舞伎町    892

「映画秘宝」2015・2月号から

昨年暮れに、ミラノ座など新宿歌舞伎町の四つの映画館が幕引きした。

ミラノ座の巨大スクリーンで観た大作封切り映画の醍醐味は忘れられない。
かつて歌舞伎町広場の周りは一大映画館街だった。
新宿プラザ劇場、コマ東宝、新宿トーア、ジョイシネマ、オデヲン座、アカデミー
劇場、そして新宿ミラノ座(1064席)でひしめいていた。
オープンから半世紀以上たった建物の老朽化や新しいシネコンに客を奪われ
たといえ、ワクワク感を抱いてスクリーンに向かって心地のイイ椅子に座ったの
が懐かしい。

1961年ミラノ座ロードショー作品「荒野の七人」に始まって、「栄光への脱出」、
「カサブランカ」、「007/危機一髪」、「クレオパトラ」、「ネバダ・スミス」、「天地
創造」そして「JAWS/ジョーズ」「E.T.」と、大作を観続けたこともあったのだ。
流れはよくわからないが、新宿東急で公開されたヒット作が、新宿ミラノ座へ格
上げされて再上映されたりしていた。この時代の映画ファンの熱気の凄さがわ
かる。
映画館をおおう様な大看板も、これから出現することはないだろう。

そして、この春には新宿コマ劇場の跡地に、シネコン・12スクリーン、2500席
を備える都内最大の映画ゾーンが復活する。



2015年1月19日月曜日

青森市場から函館山へ 記憶の断層48 891


上野から仙台、青森へ。
喧騒の青森ねぶた祭りに圧倒され、青森駅前再開発前の魚市場で「じゃっぱ汁」
の美味に舌鼓し、そして海峡を越え函館山へ登る。

特に、何の予備知識もなくねぶたに出会って大感動しました。自然に、二拍子の
音が響く「ハネト」踊りの輪に入り時を忘れて踊っていました。

その数年後、秋田~風老不死温泉~竜飛崎・三厩を経て青森をへとドライブした
こともある。この時は、「ねぶたの里」に寄って、館内の擬似祭囃子のなかで跳ね
とを体感することができた。

(←ブログ:2014・11・17 「被災前の松川浦」記憶の断層47)

2015年1月18日日曜日

戦後20年の頃だった!           890


『新宿でん八物語』の序章は1960年代の半ばから始まる。
すなわち、戦後20年から10年余の居酒屋文化の披瀝である。

今年は、「戦後70年」、思えば遠くへ来たものである。焼け跡新宿闇市からの
復興、安保闘争、高度成長、バブル経済、そして破綻した今がある。
本では、戦後20年、経済白書に「もはや戦後ではない」と書かれた時代の、
生き様が実感できるから不思議。

かつて、稲垣足穂や対馬忠行と編集者として付き合い、伊那に隠居する直前
にはバリバリの営業部長役員だったA了さんから、「愚生も<新宿騒乱>の時
など「でん八」に逃げ込んだりしたことがあり、懐かしいところです。『でん八物
語』を是非読みたい」と、暮れから元旦の雪におおわれたなかでしたためられ
た封書を頂きました。
彼は、45年程前に「でん八」に出入りしていたのですが、この文を読むまでま
ったく知らなかった。そして、亡き門倉君との親友関係も、、、。

もう一人、広島出身で郷里に帰って久しい木村Mくんからは、「御本読みまし
た。でん八に一度連れて行ってもらったのではないかと思います。H氏賞を受
賞されたばかりの詩人の方(熱烈な巨人ファン?)と同席させてもらったように
想い出されます」と。彼の昔の記憶もさることながら、東日本大震災では、広島
から三陸を訪れ、数日かけて行脚している。


2015年1月17日土曜日

縁は異なもの味なもの           889

(2015・1・15影:Tab)
この度、「でん八」50周年記念本の刊行では、おもいがけない出会いや追想をも
たらしてくれました。

上記の本の編集委員を負った縁で、そのメンバーが酒処「きりん」に一昨日集い、
新年会をした。
このサロンを切り盛りしている主は、『新宿でん八物語』にも執筆しているスミダさ
んです。

その彼女が、僕の親友で木工轆轤師・大益くんの個展会場となる銀座煉瓦画廊
のオーナーと大変懇意だと云うことを知りました。
きっかけは、三年ぶりに12月の初頭一週間、木工展が煉瓦画廊であったさいに、
オーナーの竹内さんが、彼が手にしていた本を見てスミダさんの執筆を発見した
経緯からです。
スミダさんと大益くんは全く面識がないわけで、本を通じてのトライアングルが異な
ものにして急接近に驚いています。

久我山の神田川沿い住宅街の片隅に「酒房きりん」、と、あったが、きりんをキャ
ラクターにしたところのいわれは聞きそびれた。

2015年1月16日金曜日

取次回り                    888


長くサポートしている「RCFan」の取次部数決めで、本誌の代表と一緒した。
本誌は、1999年10月に洋泉社で創刊されました。

当時、洋泉社は新書の創刊準備で取次と条件交渉と配本パターンの調整に四苦八
苦していました。
そうしたなかで「RC」は、月刊化を目指して第一冊目を出し、翌年の9月には月刊10
月号を出すことができたのです。
その後、順調に実売部数を安定させる過程で、編集室自遊舎が出版社として独立に
成功したという経緯があります。

新年初めて、トーハン6階へ。フロワーで久しぶりの谷川取締役、佐藤部長と立ち話。
席で雑誌のページを捲る高木課長に挨拶。アマゾンの雑誌取引開始と月々の部数決
めについて聞く。
午後から、大阪屋に。
古市恒久取締役が東京支社長になった事を知る。古くは新書の立ち上げでお世話に
なり、昨暮れには、」『でん八物語』の配本手配で、当方の要請を受けてくれる。
難しい舵取り、活躍を期待しています。


追悼・永松Yさん               887

永松さん遺稿の一枚

昨日15日、永松Yさんの訃報を伝え聞いたとき、大変ショックでした。
というのは、11月末日の「でん八50周年」の祝賀会では、トミー野沢さんの歌う
「ダイアナ」のリズムにのってツイストする残像が鮮明だからです。

永松さんは芸大出の彫刻家ですが、40年前後前に「でん八」で同席してた頃は
深いつながりはありませんでした。しかし、この度刊行した本に素晴らしい追想
文を寄稿してもらっています。
その原稿を校正したとき、当時の社会に斜に構える若者のクールな立ち振る舞
いが上手く描出されているのに感心しました。なお一方、ちょっとニヒルな情念を
感じさせられもしました。

「二度と言えない、さようなら」と書き残して彼岸の人となってしまった先輩がいま
すが、自死はこたえます。合掌。

2015年1月14日水曜日

今年初の水曜会に             886

啓文堂久我山(2015・1・14影:Tab)
新年初の水曜会に出席する。

7日のトーハン(椿山荘東京)、日販(ザ・プリンスパークタワー)の新春の会の話題
になる。
年末(29日から)、年始(3日)の書店店頭売上げ動向の発表から。
トーハンは期間合計で前年同比7・5%減、日販は同5・7%減となっている。
内容は、全部の部門がマイナスで、特に文芸書や文庫二桁%の落ち込みで先行き
が暗い。確かに、雪と天候の影響もあるが、一喜一憂を超えた厳しさを感じます。

両取次の挨拶が対照的だった。
日販は、年々書店での買上客数の減少を憂い、マイナスの流れに歯止めをかける
ため、活字復興と複合業種で活性化を図る意気込みを語る。
その成功事例のモデル店をスクリーンに映像展示して見せていた。

2015年1月13日火曜日

未だ滑れることを嘉しとする!       885

新幹線軽井沢駅・アウトレット・プリンスイースト(2015・1・12影:Can)
スキー、三日にわたってよく滑り込んだよ。

Gyoとハルの師弟コンビと、Schの目標決めで黙々と滑る根性に煽られ、これまで
の自らの年期を思い出しながら繰り返しシュプールを描いてみた。
しかしながら、足腰の弱体化は顕著で、急斜面の対応はできなくなっている。
スピードを制御できないで、防御の網を突き抜けたり、急斜面で転倒して頭から滑
り落ちる泣き笑いシーンがあった。
さすがに最終日は、大分、感と基本スタイルを取り戻せて、冷静に反復滑降がで
きました。

Gyoと45年前に信州浅間温泉スキー場で滑り始め、そして、ハルにスキー板を履
かせて既に5年になる。
この歳で一緒に滑れることを幸せとしたい。
最後の締めは、純白の雪に囲まれた「星野とんぼ湯」の露天風呂につかる。


大槌町/定点観測2014年12月      884

大槌町2014・12・18(「広報大槌」から)
こと、新興工業地帯の工場建設の風景に見えてくる、、、。

さて、「風の電話」が倒壊した映像がTV、新聞に大々的に報道されたが、隣町
山田の大工さんが駆けつけて修復した電話ボックス写真を見て、素早い善意の
行動に震災後の絆のありようを感じました。
佐々木さんもほっとされたことでしょう。

佐々木格さんの新年挨拶には、
今年も「心の復興」の活動を行います。また、地域の将来活性化に向けたサポ
ートとして宮沢賢治の詩碑建立を目指し活動していきます」 と。
波板の日の出の写真が添えられていました。

2015年1月12日月曜日

スキーの限界を感じる!          883

ハル(2015・1・11影:Gyo)
2日目。
昨年までのスキーなら、未だハルに追い越されないだろうと、ある程度の自信を
もって一緒に頂上に立った。ところが、彼は斜度があるアルペンコースをエッジを
効かせてボーゲンで滑り降りてしまったのには驚いた!

年寄りの冷や水を自覚して、転倒して骨折するのが恐くなり、ゆっくり林間コース
を回り道して降りざるをえなかった。

毎年、新年早々に軽井沢でスキーすること5年になると、いろいろ合理的知恵が
つくものです。
リフト券は、初日に三日通し券を購入すること。(日曜の発券は小一時間要す)
ゲレンデは「ウサギ山コース」のリフトがフリーで乗れ、快適に滑降できる。
中央のプリンスゲレンデの高速リフトは、待ち時間で混雑している。
食事と休憩処は、スキーセンターの在るクリの木コース下の「レストランアぜリア」
が僕の好み。

(←ブログ2014・1・14 「星野温泉<トンボの湯>スキー2」)


スキーに!                  882

軽井沢スキー場頂上から(2015・1・10影:Can)
10日から3日間、軽井沢でスキーを楽しむ。

練馬から関越道にのり20分ほど走りと、高坂あたりからクルマの右手に雪を被っ
た浅間が視界に入る。晴天で綺麗な姿が見られた。

上里パーキングエリアで1時間、朝食をとり休憩する。
関越道と分かれ上信越道を一路、軽井沢に向かう。碓氷インターで下り、宿に着
いたのが10時半で、2時間半のドライブだった。
渋滞に巻き込まれることなく、碓氷峠は積雪なしで、順調にチエーン装着しないで
走行できた。

宿でスキー用に着替えを済ませて、軽井沢プリンススキー場へ。
早速比較的すいた高速4人乗りリフトで頂上に向かう。
昨年レベルの滑る感覚を取り戻すのに苦労する。

2015年1月9日金曜日

大槌浪板海岸の「風の電話」倒壊!   881


大槌町浪板海岸の「森の図書館」の入口に佇む「風の電話」が暴雪風で倒壊した
ニュースがもたらされた。
佐々木さんが主宰するベルガーディア鯨山の裏山から吹き降ろした風雪によるの
か、浪板海岸、船越湾から吹きつけた暴風によるのかハッキリしないが、相当頑
丈な基礎の上に立っていた電話ボックスがなぎ倒されたわけで、厳冬下陸中の厳
しさを感じる。

ザワさんが、昨日メールとSMSで知らせてくれました。そして、何かお手伝いする
ことはないか、と、加えてあった。
未だ、佐々木さんにはお見舞いメールだけで直接話せておらず、対処について
考慮中です。

3・11震災後の報道や文章を通じて、「風の電話」を知った被災者や全国のボラ
ンティアが訪れるようになった。今年正月も、おおくが訪れていたようです。
ボックスのなかに置かれたノートには、亡くしたお子さんや失った夫婦の絆を取り
戻したい慟哭の文章がページに重ねられていた。

倒壊した「風の電話」の奥に在る「森の図書館」とは、今や対のように復興の未来
にかける象徴で、何としても復元してもらいたい。

2015年1月8日木曜日

オールド・カンバイズ新年会        880

三人組あるいは三奴(2015・1・7影:Tab)
草野球チーム、カンバイズの初代監督をはじめ数人が急遽集まり、新年会に。

神田の放心亭に行ってみると、水曜正午会のメンバー数人の顔があった。
今日の急な招請はシライ君からで、先だっての「でん八五十周年」の会二次会で
現役カンバイズプレマネのカミムラ君と数年ぶりに一緒になり、オールスターの一
泊旅行の企画が持ち上がったらしい。僕は後で聞いてイイね、とあいなった。
現役組とオールドの半々メンバーがそろい踏みする模様です。

水曜会の新年会は14日に決めていたにもかかわらず、連絡不手際でグンゾウ
さんとタキイさんが来ていた。ほかに久しぶりにイデ君に会うことができた。
と云うことで、日頃の面子より変わり映えして結果的に楽しい新年顔合わせにな
りました。

この後、何時ものことながら場所を御茶ノ水ビヤホールに替えて、二次会の流れ
になる。
カズさんは還暦でハワイ旅行をした話をするなかで、昼に咲く月下美人を見た場
所の講釈がある。さらに、今年から三年かけて東海道五十三に挑戦する意気込
みを聞く。
シライ君はパソコン教室通い継続中の成果について。一方もの忘れの増幅が激
しいと。この状況はお互い同感で、取次の親しかったはずの役員の名前がなか
なか出てこない、、、。今日の報道によると、高齢者の認知症は5人に1人に達す
るという。
そして僕は、昨秋のタマリバーマラソンをサポートしてみて、次ぎは10キロロード
に挑戦してみたくなった夢を語る。


2015年1月7日水曜日

七草の節句                 879


七草粥(2015・1・7影:Can)
七草粥を食べた。

御節料理に飽きた頃に胃を休めるためにお粥を食べるのか、新春に芽吹いた若葉
の生命力を享受する古来からの慣わしなのか、、、。
我が家では、七草にお餅とあわせ粥が早朝の食卓に出る。

七草とは、セリ、ナズナ、ゴギョウ、ハコベラ、ホトケノザ、スズナ、スズシロの七種類。
セリは、羽村の堰の支流川で摘める。
ナズナは、ぺんぺん草のことだがなし。
スズナは、かぶで、スズシロは、大根、それぞれスライスして加えてある。
次の三種は、自家製なので加えられず。
ゴギョウ(五行草)は、別名スベリヒユ。葉、茎、花、根、種がそれぞれ違う五色。
ハコベラは、越年草で、ハコベ(繁縷)とも呼ぶ。
ホトケノザ(仏の座)は、キク科のタビラコ、カスミソウの別名。越年草で道端や畑に
自生している。



2015年1月6日火曜日

静かな正月松の内だった!        878

御屠蘇&幻の酒(影:Can)

今年は未年で、Gyoは年男と云うわけだが特別意識しているう風もなく、初詣にも
行かず例年の走り始めに多摩リバーをマラソンしていた。
僕はというと、初詣に出かけ、箱根大学駅伝を見て、ハルのバッテング投手をし、
本屋さんに行き、温泉に浸かり、、、松の内を終わろうとしている。

一年のうち最初の月である正月、それも松の内が、昔から一番好きな節気です。
正月の静けさが好きです。
特に今年の元旦は、10年ぶりの雪がちらつきひときわ静かななか、お屠蘇を頂
き、年賀状を見て友の親戚の話をする。眠くなれば炬燵でそのまま横になる。
羽村が都心から遠く離れていることと、仕事の一線を退いたことも相まって、年賀
の挨拶を相互にしなくてすまされることが、何もしないでのんびりできる幸と思う。

ハルは、クリスマスと正月を両天秤のように好む。賑やかさと静けさ、いずれも、
プレゼントとお年玉がもらえ、学校は休みで開放感一杯の共有時間があるからだ
ろう。

2015年1月5日月曜日

年賀状をもらい始めて知った!      877


大学の先輩で、一時期に苦楽をともにした同士ながら、20代後半に旅に出て最近
まで消息が分からなかった人がいる。

空白が30年ばかり経って駿河台下時代の会社を訪ねてきてくれ再会したが、その
間の経緯や内実を詮索することはしなかった。
ところが、今年の年賀状には、大槌町の海鮮工場に勤務先の関係で出入りがあっ
たことがしたためられていた。この奇縁には、驚きました。
彼に、直ぐに連絡して話してみたい気持に駆られるが、どうも電話、携帯を持たない
仙人のような生活をしているらく、さらに、昨年にはがん治療の知らせをもらってい
るので簡単にはいかない状況です。

「勤めていた会社で岩手県が担当でしたので山田線(JR)は月に二度は乗ってい
ました。佐藤善一先生が町長をしていた町役場をおたずねして、いろいろ話を聞き
ました。(『吉里吉里善兵衛』の作者)
魚屋をやっていた時、工場が大槌にあったのも奇縁です。地震後、北三陸には二
度参りました。岩手は心のふるさとです。~抗癌剤の薬害から、手足が不自由にな
り、自律神経失調症に苦しんでいます。」と。

(←ブログ2013・4・17 「赤浜から吉里吉里地区へ」)

2015年1月4日日曜日

年賀状                    876

ベランダから富士山(2015・1・2影:Can)

今年も、北海道、岩手、福島から東京周辺はもとよりの事、長野、京都、大阪、
岡山、広島、四国、九州、沖縄圏にわたって、新旧親交のある多数から一筆書
きの賀状が届いた。

11、12月の年賀状を書く時期に「でん八の本」ができたコトによるのか、本に
触れるたものが多かった。

*『でん八物語』購入しました。僕は68、69年当時は闘争の只中で行ったこと
 がなく、確か70年代に入って、故・大河内さんに連れて行ってもらった記憶が
 甦ります。ありがとう。
*飲み屋さんで時代の流れがあるんですネ。半世紀だからそれもありですか!
*ブログ拝見しています。でん八50周年のイベント写真素敵でした。
*『新宿でん八物語』、おもしろく なつかしく読みました。今年は精神力、忍耐
 力で文章を書いていきます!
*「でん八」本、協働できて光栄であります。
*『新宿でん八物語』を味読、60年代の思い出の数々を改めて思い起こし楽し
 い一時を過しました。
*『新宿でん八物語』面白そうで、ユニークな企画ですね。注文しました。

2015年1月3日土曜日

大槌町浪板海岸              875

新年の浪板海岸(2015・1・1影:Sch)
義娘は二日から大槌町に帰っている。
どんより曇った空の下、今にも雪が降りそうな、白波立つ浪板海岸です。
白く修理された「三陸はまホテルはまぎく」(旧波板観光ホテル)階段の手すり
が見えるが、津波は地階から3階の上まで押し寄せた。

浪板海岸には、半世紀、正確に云うと48年前の夏に陸中を旅したときに、降り
立っています。
その後にも、3・11大震災前に二度、震災後には大槌町を訪ねるたびに立ち
寄っている。運命的に惹きつけられる「場所」に思えてなりません。
(←ブログ2012・1・22 「波板観光ホテル」)
(←    2013・8・26 「浪板海岸駅前の<もりかまど>」)
(←    2013・1・28 「311大津波被災を写真で見るⅢ」)
(←    2012・4・1 「陸中へ 旅の記憶②」)
(←    2013・4・21 「大槌町浪板海岸地区の復興未来図」)
(←    2013・9・22 「陸中浪板海岸 記憶の断層3」)
(←    2013・10・12)「波板観光ホテル」から「三陸花ホテルはまぎく」に。)

2015年1月2日金曜日

駅伝、書初め、初詣            874


早朝から箱根大学駅伝を観る。
あの伝説の第1区一年生ランナーだったW渡辺監督が采配する最後の箱根駅伝
なのたが、往路を応援して観ている限り迫力不足で焦れる。

ハルの書初めにつきあう。

拝島大師に、yuとハルと三人で初詣する。昨年の破魔矢を焚き火供養し、護摩焚
きの前で手を合わす。ハルは何をこの一年に翔けたのだろうか、、、。
夕方だったせいか、人出が少ないように思えた。

賀状のなかに、ブログを見ている、読んでいる、と云ってくれる人が年々微増して
いる。そのなかには、被災地の大槌町に関心をもつ者が多くいて心強い。
遠方の幼馴染から「元気で前向きに活動されていますが、、、うらやましいとともに
どこからあの力が出るのでしょうか?!」、と言われると、恥ずかしくなる。

2015年1月1日木曜日

あけましておめでとうございます。    873


雪が降る!(2015・1元旦 影:Tab」
2015年元旦の朝、ベランダから定点観測した富士山は雲に隠れて見えなかった。
最近10年、元旦は晴天続きだったが、今日午後からは、風花が雪に変わった。

ドタさんから年始の挨拶あり。スイミングが病みつきに、、。Gyoのマラソンも同じか。
オザワKさんから、今年の味噌の寒仕込みは例年より一ヶ月遅らす、とのヒジカタ邸
からのお知らせが、年賀メールで届く。

夕方、黒く日焼けしたサイパン帰りのハルが、元気よく新年の挨拶をしながら玄関に
飛び込んでくる。俺の7歳の頃は、どうだったのだろう、と感慨に耽る。

今年はブログを365日更新した!    872


ブログ「大槌の風」をはじめて4年目になる。
2012年12月26日の『自著・洋泉社私記』が第一回目のスタートです。

立ち上げたばかりのNPO<大槌の風>の広報として、ホームページを模索
していたところ、ブログの書き込みで代替してみることの提案があった。
その提案者Syが、その場で直ぐに制作してくれ、キャッチコピーの「大槌町の
子供とお母さんへ本を送る様子を、、、」も咄嗟に書き込んだものです。

試行錯誤を重ねながら、4年で872日まで到達しました。
そして、2014年は365回更新しているので、ほぼ毎日記したことになります。
次第に被災地大槌の復興関係の書き込みが少なくなっていることに気付くが
震災を風化させることなく「復興」で継続的繋がっていきたい思いは強い。

最初の頃と最近とでは見出しが違っていたり、同じ言葉を頻繁に使っていたり
自分の語彙の貧困さをまざまざと見るようで気になっています。
、、、の思い出、とか、何の記憶、とか、歳、とか書きながら自分でも軽いなァ
と躊躇してしまう。

ゆく年にまったく悔いがなく、くる年に一片の不安もないわけではありません。
良い年でありますように。
除夜の鐘をきき終えて。

(←ブログ2011・12・26「自著・洋泉社私記」1)