2013年10月31日木曜日
書店の棚卸し
10月30日。いつもの豆香房に寄って、トラジャーコーヒー豆を挽いてもらう。
水曜会へ
サーモンサンドとコーヒーで昼食をすます。サンドを二切れ残す程、少食になっ
てしまった。アキレス腱を痛めてから、運動量を極度にひかえていることと、歳の
せえかと思われる。
隣の皆さんが食する昼定食の皿にのる料理の量を見るにつけ、そのボリューム
感に圧倒される昨今です。
書店の棚卸しの話が出た。
いつの頃か、紀伊國屋書店や八重洲ブックセンター等の定期的に行われる棚卸
し作業の応援に、出版社、取次から出向くことがあった。
当時の雰囲気は、要請されれば嬉々として受け、次の営業活動につなげると云
う功利的考えがあったように思う。
結構その場が、他社版元、取次ぎとの、日頃ない交流になったりしたものだ。
ところが、応援出版社のなかには、「A社やB社など大手版元が参加していない
のはなんでや」、と言う者もいた。
その後、小売業で棚卸しなどに社外労働の要請は違反とのオフレが出て、現在
では、バーコードの完備などによって、アウトソーシングに委ねることができるよう
になったようだ。
当時は、外部助っ人支援で大いに恩恵にあずかっていたはずです。
2013年10月30日水曜日
「ヴェルヴェット・アンダーグラウンド」の頃
ルー・リードが10月27日、死去した。71歳だった。
アメリカのロックバンド「ベルベット・アンダーグラウンド」(1965年~70年)創設
メンバーの1人で、ロック界を代表するミュージシャンだった。
ロックに詳しくないぼくですが、洋泉社で『ヴェルヴェット・アンダーグラウンド』を
1993年に刊行した関係で、その頃を思い出す。
そのとき、不慣れな版権取得の手続きで音楽担当編集者と苦労した経緯がある。
(著者はディヴ・トンプソン/訳者・伊藤英嗣)
その編集子は、音楽全般を手掛けるのを得意としていたが、特に、ルー・リードを
好んでいたように思う。
グループとしての活動は1970年までの5年間ぐらいで、後にソロで活動をはじめ
た以降のリード崇拝者ではなかったかと思っているが、どうだろう、、、。
いずれにしても、本にまつわる不思議を感じる。
出版にたずさわってきたと云うこともあるのであろう。一冊の本が、その時代の雰
囲気や本の周辺にいた人から、勿論、書影までが蘇ってきて魔物になる。
2013年10月29日火曜日
座談会を終えて
![]() |
| 2013・10・28影 |
豊太さんと、記念冊子について打合せ。森本さん、馬場園さんも加わってくれる。
遅ればせながら、第一部に当たるエッセイの集稿段階にきたので、手分けする。
第二部の座談会は打ち切られることなく、5回に及んで終了した。
座談開始までは、途中で打ち切りにならないか、不安を抱えていました。
司会役のぼくは、着席した数人の座談相手を知り尽くしているわけではなくて、
別々の常連客だったことが、幸いしたと思っています。こちらの予想される答え
を引き出すのではなく、それぞれの引出をさらして喋ってくれたことによる。
聞き出したい話が過不足なく出て面白い内容になったように思っている。
一応、キメたテーマにそって進めたが、小難しい話しをする座談ではなかった
ので、「ではあの時の話をしましようか…」と、だれそれとなく声がはずんだ。
最初の出会い、松尾兄弟をめぐって、酒縁茫々梁山泊、青春の坩堝、路地裏
の風景、、、尽きない回想録になりました。
ヒトはだれでも本来、機会があれば誰かに話してみたいコトを多かれ少なかれ
潜在的に持ち合わせているのではないだろうか、実感させられました。
2013年10月27日日曜日
映画のハシゴ
今日、息抜きに映画2本をブルーレイで観た。
*クロユリ団地 (中田秀夫監督)
監督は、Jホラー映画の旗手で国際的に認知されており、ファンも多いらしい。
団地を舞台に看護研修をしている一人の少女が恐怖と孤独におちていく物語。
戦後高度成長の花形だった団地が、第一次「終焉」を迎えているように見える。
その団地と中庭のブランコがある風景のなかで起こる、日常生活の不気味さを
期待していたが、幽霊と音響の過激なオカルトには、ちょっと、ついていかれな
かった。歳をとったせいかな~。
主演は、名前はよく見聞きするが、映画ではじめて観る前田敦子と成宮寛貴。
*藁の楯 (三池崇史監督/大沢たかお、松嶋菜々子、藤原竜也)
三池監督の作品は、結構、新作が上映されるたびに劇場で観ている。
前に観た「十三人の刺客」はリアリティーがあって、なかなか面白かったのに、
この映画は格落ちだ。なぜだろう、、、。
「映画秘宝」の三池特集でも評判よかったはずなのに、プロットが荒く中折れ感
が強い。凶悪犯の藤原竜也は相変わらず良い。
三池崇史監督に邦画サスペンスアクションの可能性を期待しているのに、映画
作りに荒さが目立ち後退か。
2013年10月26日土曜日
本州最北端・大間崎/記憶の断層11
| 大間崎と大間崎燈台・弁天島 |
に入って佐井港に出ました。佐井港と仏ヶ浦は定期海上観光船で結ばれている。
さらに、海岸線を走ること1時間半で大間崎にたどり着いた。
悪天候のなか、レストハウスから海峡の向こうに北海道をまじかに見ました!
津軽半島、函館山、湯の川まで見渡せられる。
大間のマグロはチト有名で、一本釣りで大物マグロを仕留めて建てたといわれる「一
本釣りの館」が在った。
海岸沿いの民家では、石が敷き詰められた庭に、この時期が最盛期のこぶ干しに
大忙しの風景に接しられた。
夜は街に出て、海鮮料理「海遊亭」で、まさに釣り上げられたばかりの「大間まぐろ」
湯引きと握り鮨を堪能しました。
あがり!二人で1万円余り、感激!
2013年10月25日金曜日
小雨降る、仏ヶ浦/記憶の断層10
2013年10月24日木曜日
わが洋泉社へ
昨日は、「水曜会」の前に友人のプランニング会社により、さらに、わが洋泉社に
も立ち寄る、あわただしい半日でした。
ワタナベ社長と、中堅映像制作会社の昼夜なしの勤務環境について話がおよぶ。
彼の知人の子息が事情あって転職を希望しており、なお且つ、これまで携わって
きた好きな映像制作の仕事を継続できる居場所探しの相談を受ける。
こうした頼まれゴトは極力お断りしているが、この件は再就活にあたって、門とを
開いている即戦力採用有るや無しやのについての問いだったので、こころあたり
の関係者に募集情報をもらことを約す。
たい焼きを手土産に洋泉社に寄った。営業のエース小池から近況を聞く。
営業促進で一人、最近、採用した新人がフットワークよく動いており戦力になって
きていると。さらに一人、異業種からの戦力増強が図っているらしく、上昇機運を
喜びたい。
編集部にも動きがあった様子、、、。
映画秘宝編集部の松崎に「映画秘宝別冊」で、Wの先輩で脚本家として60年代
半ばから活躍する山浦弘靖のインタヴュー掲載の経緯について聞く。消息が分
かったので、久々に逢ってみたいと思う。フタミが亡くなったことを知っているだろ
うか。
古株、田野邊の席へ。彼の健康について、気がかりなところであったが、膵臓の
ヤバさ加減は相変わらず悪い、と。くれぐれも自己管理を徹底して欲しいと思う。
彼の刎頚の友・園子温監督の311被災を主意にした映画「希望の国」に、村人
役で浜田晃が主人公と共演していることなど、最新作の評判についてお喋り。
2013年10月23日水曜日
水曜会
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| (2013・10・23影) |
甲斐駒ケ岳が望める北杜市の駒眺望荘から馳せ参じてもらった土方さん。
散策趣味人、土方さんは昨日、蔵前の江戸東京博物館から東京湾を水上バスで
遊び、接岸してからは浅草寺まで足をのばして、東京スカイツリーを見上げてきた
と、、、。
先日電話で、「日経」に紹介された『凸凹を楽しむ東京スリバチ地形散歩2』(洋泉
社刊)について「見たよ!」の知らせを早朝にもらったが、実は以前から隠れた地
形に関心があって、一人歩きをよくするらしい。(本書を贈呈しました。)
また、草思社時代から日本書籍協会に移ってからも、資料開示や、「大槌の風」の
ISBNコード取得などでサポートしてもらった沿野H君が初出席。
現在は秋葉原の職場に勤務。
小沢さんの自社スタッフが送ってきた、第64回フランクフルト・ブックフェアー会場の
写真を見ながら現地の商談の様子を聞く。
清水さんからは、紀伊國屋書店を定年後の皆川さんや、岩波書店専務だった今井
さんの消息などが出る。今井さんとは先日の「出版OB会」で二十余年ぶりに会った
ばかりだが、違う角度からの微妙に違う話には新発見があって面白かった。
清水さんからは、ぼくのブログに一言もらえるのがありがたい!
2013年10月22日火曜日
「虚」が難しい!
| 仏ヶ浦 |
ぼくは、睡眠をとるとき二つのコトをします。
その一つが自らリラックスし意図して、白のイメージの空白を瞑そうする。
床に横たわって、真っ暗闇にする。静寂であることにこしたことはない。
もう一つの行為、両手を開き手のひらを上に向けて軽く開くこと。
ところが瞑そうが難しい。現実の邪念が浮き沈み生じるが、徐々に虚へ虚へ入っ
ていくよう、トレーニング慣れすることである。
埴谷雄高さんが、想像力は真夜中にこそ有効にいきづくと言っている。
ここで云う熟睡法は、小説家の作法と異なる。
床に横たわって考えるコトは、次から次にとりとめもなくカオス的で生産的な思考
に向かうことがないように思えてならない。
あれこれ考えた末、寝不足の目覚めで浮かぶことに、重要な要素があった験しが
何もない。
2013年10月21日月曜日
脇野沢村鯛島&九艘泊/記憶の断層9
2013年10月20日日曜日
W専修クラスの仲間たちのことを、少し
| 青梅軍畑へ立川駅(1960年影) |
先日の集まりについて少し追加を。
芝居がハネた後、舞台に立っていた浜田も加わって下北駅前の居酒屋で終便までコンパとなった。
後藤、内藤、浜田、梅原、井家上、寺村、竹下とぼくの8人が座敷に座る。
梅原に会うのは50年ぶりぐらいか、懐かしい!
2011年4月のイヴェント、ぼくの会で司会をしてくれた寺村の、パリ公演(さいたま
ゴールド・シアター蜷川演出)が絶賛だったことと、NPO[大槌の風]の現況について、
相互の話しになる。
大阪で手広く美容院を展開する仲間の横川Jの消息が出る。大学では小説家志望
で劇団に参加しなかったが、女優・岡田嘉子のロシアへの逃避行補助をしたとされる
親父さんのことが、トラウマになっていたのを覚えている。
ほかに、この日参加していないA工藤の話題が出た。新島(闘争)に行ったり、インド
にヨガ修行で出かけたり、ちょと過激だった彼女!
フランス語ペラペラだった暁星出身の原田Hの話しと、、、つづいた。
後藤、内藤は学生劇団「ゲッケン」で照明を極めて、づっとそれを仕事にしてきた。
現在でも、大劇団の照明に名を連ねているのをみかける。
50年ぶりに出てきた梅原は、実習公演「署名人」(清水邦夫・作)で演出担当で指揮
を執っていた当時を、思い出すとともに風貌まで浮かんでくるから不思議だ。
卒業後は、演劇から離れて公務員生活を全うしたらしい。
浜田晃の次の公演は、桃井章遺作シリーズ「パラソル」で、若い滝沢めぐみとの二人
芝居が11月に迫っている。(桃井章は桃井かおりの兄)
初老になった友人の皆が、未だ、活き活きしている!
2013年10月19日土曜日
政治の風景 日常の風景
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| 下北沢シアター711(2013・10・18影) |
早稲田演劇専修クラスの後藤H、内藤M、N井家上、Y寺村、M竹下、梅原Hが
集結して観劇することになった。要は同窓会の雰囲気になっていました。
小屋掛けされた芝居は、ハロルド・ピンターの短編戯曲をスケッチするように並
べた、「政治の風景 日常の風景」が演目だった。
ノーベル文学賞受賞作家であって政治活動にも熱心だったピンターの作品と云
うことで、不条理演劇のなかに不気味なリアリティーが立ち昇り切迫感がある。
前編の五つのシーンでは、軍事独裁政権下にあるらしい国で少数民族の言語が
禁止される状況を演じる。後編は、大都会に暮らす青年と彼の両親が交わす手
紙の朗読が続くが、手紙が実際に投函されることはないらしい。
いずれのシーンも時間間隔(感覚)のづれが観客に異化作用を起させる。
久しぶりの芝居小屋だったが、刺激をもらった。
浜田は、長廻しのセリフも難なくこなし、老いてますます演技力に冴えが出てきて
いるように思えた。
2013年10月17日木曜日
台風26号/伊豆大島を襲来!
| 背景、元町港と三原山(2011影) |
先月、台風18号が京都の嵐山、渡月橋などに被害をもたらしたとき、京都の友人
二人に安否の電話をかけたが、また一ヶ月の内に今度は28号が関東太平洋沿岸
部を襲い、伊豆大島では山津波で多くのひとが犠牲になっている。
今年は台風の襲来が例年より多いと思っていたが…。
昨日、洋泉社から刊行している『東京スリバチ地形散歩』や講談社刊の『江戸の崖
東京の崖』について記したばかりだが、視点を変えれば、崖とスリバチの怖さに辿り
着く、とも思ってみた。
大島には毎年、三省堂書店モリさんたち釣り人に同行してダイビングに行っていた。
大島元町港で下船して三原山の麓の宿泊先に向かう途中に、今回の土砂災害に遭
った集落を見てきました。その周辺は、火山台地に椿、松、竹、シャクナゲ等がおお
い茂り、緑の森が広がる自然のままの風景なのである。
突然襲われた災害でありながら、なぜこんな痛ましい大事になったのだろうと、思う。
人口増加と近代化のなかで、埋め立て、都市開発、郊外の住宅建設、こうした人工
的な開発は、自ずと自然環境の「破壊・改変」を伴うわけで、常日頃から危険を見失
わないようにしよう。
存命の時間なんて悠久の自然にあっては短い。
ちょっと飛躍するようだが、隠された崖や坂や谷を注視してみておきたくなる。
2013年10月16日水曜日
北杜市の土方Sさんから
今朝、台風26号が弱まるなか、都心に向かって出かけていたところが、中央線
が不通で二進も三進も行かなくなって、引き返しました。
御茶ノ水での約束事は、週末に延期を取り付けて自宅に。
帰宅するなり、毎年、味噌造りでお世話になっている元紀伊國屋書店のヒジカタ
さんから電話あり。
「日本経済新聞」朝刊、町ち歩き お供に「地形本」、の見出し記事中に洋泉社発
行の『東京「スリバチ」地形散歩2』を発見してのことだった。
本書は、昨年2月に刊行され東京の凹凸地形歩きの火付け役になった第1冊目
の対象地域拡大篇である。
他の版元からは、『東京凸凹地形案内』(平凡社)、『江戸の崖 東京の崖』(講談
社)など、20余冊出ている。
ヒジカタさんも、山から下りて東京に出てくると、ぶらり町歩きを愉しんでいるらし
く、かつての小山と谷が今の町の起伏とつながる薀蓄語りに熱をおびる。
紀伊國屋書店時代には、細々とした情報から大型商品の販売促進にいたるまで
大変なサポートをいただいた。
次回の、水曜会には顔出しするとのことです。
![]() |
| 書影(洋泉社刊・2012年) |
2013年10月15日火曜日
フランクフルト・ブックフェアから
O完さんから写真メールが届く。
「フランクフルトブックフェアが始まりました。弊社のスタッフが送ってきた会場の
様子です。」
井の中の蛙ではないが、世界の文化が動いていることを実感させられます。
写真から、フランクフルトブックフェアが重ねてきた歴史を見て取れる。
2013年10月14日月曜日
恐山・極楽浜/記憶の断層8
| 恐山霊場&宇曽利湖極楽浜(2002・8・11影) |
弘前SAを出て弘前市から青森市街を抜け、夏泊半島へ向かったところが、前日
からの大雨で行き止まり。
むつ市横浜を経由して本州最果ての深山に在る霊場恐山に登った。
お盆なので、ほとんど人に出会うこともなく、静謐のなか、足を踏み入れることに
なりました。
小雨降るなか宇曽利湖を囲む白浜の極楽浜をそろり歩いてみた。
地獄の形相を現しているようであり、風光明媚な浄土の相にも見えました。
映画「飢餓海峡」の、恐山が映し出されるシーンで観たときの不気味さは、実際の
地獄巡りの、み魂石にたつ風車の音に感じるこはなかった。
永きに亘り、庶民心情の発露として様ざまな「祈り」の姿が繰り広げられているの
だろうと、想像してみました。
2013年10月13日日曜日
旧家と柿
| 旧家跡(2005・4・23影) |
一気に秋の訪れを感じさせる柿が店頭を飾っている。
柿は日本古来からの「果物」で、古く平安時代には甘味材の貴重品として珍重され
てきた。
わが家の庭に旧家から分け木して育った45年物の富有柿が、黄色に色づいてい
ます。
旧家では、自然のまま茂るように枝を張り出し、秋には鈴なりの収穫があったと記憶
しています。柿の枝は硬いが折れやすく、幼少わんぱくの頃、上に上に登って一瞬
にして落下したこともありました。
わが家の庭先の丸みをおびた柿は、一本の樹なのに枝によって甘柿と渋柿が成る。
甘柿は成熟すると渋みが抜け、渋柿は熟しても果実が硬いうちは渋いままのはずが
比較すると甘柿が多い中に渋柿が混ざっている解せない現象です。
柿が大好きです。アルコールの分解を促すタンニンが含まれ、二日酔い防止のほか
血圧抑制に効くなど、柚子とあわせてありがたい味覚モノとなっています。
柿の葉が紅葉しながら、ヒラヒラ落ちて、晩秋にカキだけが残ります。
負けられない、こんあところでシーズンを終えていいワケがない、と手を握り締めるも
わが猛虎は敗れたり。
しています。柿の枝は硬いが折れやすく、幼少わんぱくの頃、上に上に登って一瞬
にして落下したこともありました。
わが家の庭先の丸みをおびた柿は、一本の樹なのに枝によって甘柿と渋柿が成る。
甘柿は成熟すると渋みが抜け、渋柿は熟しても果実が硬いうちは渋いままのはずが
比較すると甘柿が多い中に渋柿が混ざっている解せない現象です。
柿が大好きです。アルコールの分解を促すタンニンが含まれ、二日酔い防止のほか
血圧抑制に効くなど、柚子とあわせてありがたい味覚モノとなっています。
柿の葉が紅葉しながら、ヒラヒラ落ちて、晩秋にカキだけが残ります。
負けられない、こんあところでシーズンを終えていいワケがない、と手を握り締めるも
わが猛虎は敗れたり。
2013年10月12日土曜日
「波板観光ホテル」から「三陸花ホテルはまぎく」に。
いた「浪板観光ホテル」が名称を変えて再出発したといううれしい知らせがあった。
ぼくにとって浪板海岸は、最初、50年前に降り立ち、そして8年前には縁あって、
このホテルに宿泊したことがあります。
3・11大津波襲来で、きれいな砂浜と美しい松林に佇むオーシャンビューホテル
は3楷まで水没し、社長が犠牲になっている。
当日、ホテルにいた秋田県五城目町のツアー宿泊客42人を、高台の集会所に
当日、ホテルにいた秋田県五城目町のツアー宿泊客42人を、高台の集会所に
誘導し救命して、3日目には秋田まで送り届けたホテルマン、小笠原弘孝さんの
「日経」掲載記事も先日読みました。
旅が結んだ縁は、被災を共有する町と町の絆に発展して、五城目町はコメなどの
支援物資を大槌町に送り続け、さらに互いの町の特産品販売と雇用の輪が広が
っているようです。
亡くなった社長の弟さんによって復興再開したホテルからは、以前のように雄大
な船越湾の光景を望むことができる!と。
3・11以降、これまで数度の大槌町滞在は、釜石市泊まりで行き来していたが、
次回は是非とも「三陸花ホテルはまぎく」に宿泊したいと思っています。
2013年10月11日金曜日
尻屋崎 記憶の断層・写真から7
| 寒立馬(2002・8影) |
東京を朝7時に出発して、一気に東北自動車道を北上し、津軽SAを下りたのが
18時でした。709キロ。
8月10日から16日、一週間の海岸線を走る旅でしたが、時系列にこだわらず、
まず、最も鮮明な残像がある寒立馬(カンダチメ)放牧の尻屋崎から記すことに
します。
本州北端の下北半島にある東通村尻屋崎の早朝は、真夏だというのに15℃の
寒さだった。
小雨のなかに25頭の寒立馬を見たが、中に群れから外れた孤児の子馬を見か
けた。
冬は雪に埋もれた草を掘り起こして食べながら、すっくと立って越冬するという。
この年に、青森県の天然記念物に指定された。
尻屋崎ゲートを通って、放牧の寒立馬を身近に見ながら遊歩の先に津軽海峡と
太平洋に突き出して尻屋崎燈台がある。
| 尻屋崎燈台(2002・8影) |
【記事からの風便り】
*奥村弘志さん。わが草野球チーム・カンバイズ
と書店チームの対戦で、投打の主役で活躍を知
っている。高齢ながら今は、「書店大商談会」の
実行委員長として、第四回を盛況に尽力されて
いる。
*高田鉄さん。立川オリオン書房がステーション
内に大きく開店した30余年前から懇意にしてい
るが最近はご無沙汰。今回、会社分割で新会社
設立の専務就任の記事。時の流れを感じる。
2013年10月10日木曜日
出版OB会で今井Y、松木Sさんらと、、、。
| 出版OB会/銀座ライオン・クラシックホール(2013・10・10影Kc) |
出版OB会で今井Yさんに、20年ぶりに会った。
今井さんには、1992年に出した『監督術』(洋泉社・刊)に「草」監督術「長瀬高行・岩波書店野球部を率いて」を執筆してもらった。
彼自身、上出来のエッセイと認めている。
昨年に続き、信濃毎日新聞の松木Sさんが上京して会場に居た。一年一度の七夕
の出会いのようなものながら、話が途切れることはなかった。
正午から2時間余の銀座ライオン・クラシックホールを離れて、二次会は東京駅の
居酒屋に繰り出した。
昨年には、トンデモエピソードが付随していることを聞かされた。長野市在の彼は、
長野新幹線に乗ったつもりが、東北新幹線に乗車していたと。
このたびは、夕暮れの、長野新幹線乗車をしっかり見届けて、ぼくも相当酩酊して
帰路についた。
2013年10月9日水曜日
東京スカイツリー
| 2013・10・9影/KC |
今日は、サポートしている出版社の新社長と、トーハン、太洋社、大阪屋を訪ね
た。その後、淡路町から三省堂書店に移動があって、途中の路上から、「スカイ
ツリー」をビルの谷間に見ました。
いが、東京タワーに四度登っていることだし、特に拒否している訳でもない。長蛇
の列が解消して落ち着いてからでいいだろうと思っている。
見るだけなら、スカイツリーの足元の押上駅まで行かなくても、都心でいくらでも
眺められる。
前に浅草雷門で間近にスカイツリーを見たが、今日は神田淡路町から雲のあい
まいに銀色に輝き屹立して見えた!
登る楽しみを少し先に延ばしておこう。
2013年10月8日火曜日
ロックグループ/交客録 3
(10/4日より─→)
「でん八」で最初の頃のお客は××のロックグループでした、若くて女性フアンに
囲まれる存在は、羨ましい芸能人の世界でした。
演奏を終えた彼らが「でん八」による最初のきっかけは、私の知りあいの女性が
同伴できたドラム叩きの勝美竜郎君でした。二十歳ソコソコの酒好き、女好きで、
だらしがないが憎めない、皆に好かれた男。(私の仲人で結婚)。
ほどなく、彼の所属するブルーメイツ、ジャッキー吉川のブルーコメッツ、トミーの
シャープフォークス、ブルージン等、当時、人気メンバーが出入りする毎日でした。
次第に、女性客を連れてきたり、人づてに知ったのか水商売の女性がスポンサー
になったりと、人気はあれど給料取りの彼等には、心おきなく飲める店が日常に
なったようでした。
時は、日劇のロカビリー全盛期。しかし、世界の流れはプレスリーからビートルズ
の時代へと流れて、ブルーコメッツもプレイヤーが歌う。井上大輔は、曲を作り歌
うスタイルに変貌する。一方、関西から少年のようなグループ、ザタイガースが頭
角を現し始める。 (松尾豊太・記)
2013年10月7日月曜日
駅伝・Ekidenサポーター
![]() |
| 2013・10・6影 |
朝から相模原に、駅伝の応援にまたまた出かけました。
第24回東日本国際駅伝にエントリーのDピクト走友会2チームを、サポーターと
して。
Yuの準備した太巻、煮物、野菜、から揚げのお重と果物をリュックに詰め込んで
グランド設営の相模原に向かった。
会場には、応援者のパスがないと入場できない厳しい警備チェックがあって時間
を要した。
スタート&ゴール近くの芝生にテントを敷き、お重を広げて、かつてあった運動会
の風景さながらのなかで、A・B二チーム8人、それぞれの選手を応援した。
Gyoが長老で、他は20代、30代の職場混成チーム。
先月、北海道フルマラソンを走ったばかりのGyoは、目標の10キロを40分台走
が達成でき、タスキリレーしたことを喜んでいた。
若い世代がまとまって長年、持続して長距離走に挑戦している姿を感動しながら
観ている。
2013年10月6日日曜日
秋山駿氏の訃報に接して
10月2日、83歳だった。
秋山さんには、洋泉社創設第一冊目の刊行書、『「死霊」論』にエッセイ収録と編集
に協力いただいたことがあります。
収録稿は「小説は改変する」で、作者と読み手の緊密な関係性が鋭く提示されてい
る。
秋山さんの著作で最初に読んだのは単行初版本、『内部の人間』だったとおもう。
埴谷雄高『死霊』に感動したり、近代文学派の評論や小説に傾倒していた頃でした。
小松川女子高校生殺人事件の加害者の内面に肉薄して、個の探求から発する斬
新な評論に関心があったのだろう。
近年では、毎日出版文化賞、野間文芸賞受賞の長編歴史評論『信長』(新潮社・刊)
を読み健筆ぶりに驚きました。
友人、井出彰が「歩行」の同人だった。
2013年10月5日土曜日
今日、桧山進次郎の引退セレモニー!
今日は10月5日。甲子園では、桧山選手の引退試合が行われました。
ぼくは、TVでしか参加できなかったのですが、入場券は前から完売し、当日券
の発売は無かったようです。
背番号24番、阪神タイガース一筋、チームを支えてきた22年の花道に乾杯!
時代の変わり目を感じさせるように、対ジャイアンツの先発投手は最年少19歳
の新人藤浪晋太郎が、最年長44歳男の先輩を盛り立てて気合をこめて投げ込
んだ。
試合は、ぼくが大いに期待している、次代のセカンドを担うであろう上本選手が、
逆転のスリーランをバックスクリーンンに打ち込んで決めました。
彼の、バース・掛布・岡田のバックスクリーン3連発を想起させるようなメモリアル
アーチになった。
桧山選手最後の挨拶も立派だったが、スタンドのフアンへの礼と別れの一周、二
週は異常な盛り上がりで、マッキッキの紙テープで埋めつくされる風景は印象的
だった。
かくして、桧山進次郎引退試合の祝祭は、絵に描いたような若手によって幕が下
ろされたのであります。
2013年10月4日金曜日
「そのに」の頃/交客録2
| ありし日の「そのに」/背景に角瓶ボックス |
一時期、上野の芸大のたまり場のようになったこともありました。
最初は平瀬君(建築)が三年生の頃でした。確か、大阪の高校同期三人で来て、
後日また、四、五人でテニス部の集まりで流れてきたのだった思い出されます。
以降、建築をはじめ各学部「油絵、日本画、彫刻、音楽などなど」芸術祭の時は
貸しきり状態で教授共々の賑わいでした。
「でん八・そのに」開店の折は、まだ学生だった永田君と数人の合作図面で、店
が出来上がったのです。
当時としては珍しいコの字型のブース・ベンチの、なかなかの出来栄え、またサン
トリー角瓶キープボックスを備え、本格中華(ラーメン屋でない)のメニューを提供
するコンセプト。いずれも兄貴のアイデア。当時、スナックで中華料理が夜中に食
べられる店は皆無だったと思います。
「そのに」開店に関して当初は兄貴がやることになっていたが、当日の招待客の
ほとんどが、俺の客だったこともあり、その日、即決で交代することになる。
いよいよ営業となると十坪のスペースは、前の店のカウンターだけ、十人余の商
いとはチト様子が違った。「そのいち」では三名一緒に座れなかったが、「そのに」
では大歓迎、盛況となる。お客には、それぞれ使い分けてもらえるようになったよ
うです。
学生だったのが生徒や後輩を連れて来るように。芸術家の卵は制作発表に燃え
る。油絵の高山君の個展会場に行くと、枕木がただ無造作においてあるだけ。
あるときは、四谷荒木町の待合で前衛舞踏家・田中泯とのコラボと。奇妙な試み
に参加したのも懐かしく思い出される、と共に当時の手探りの時代を感じる次第
です。 (一部)
(─→次回に)
2013年10月3日木曜日
松尾豊太さん/「でん八」交客録
(2013・6・10影)
肝の部分を抽出して発表させていただきます。
開店当初のお客で皆が知っている人に、通称シゲさんこと飯田重正くんがいまし
た。背も高くスマートで、私より一歳年下の新潟男でした。
新潟の男は寡黙でまじめと言われているが、彼は正反対のお調子者の感じでし
たが、頭の回転が速く、だれかれなく合わせる天才と思われる人気者でした。仕
事は、ビル清掃の社長でした。
でん八のお客でアルバイトのガラス磨きをした者も何人かいました。
その頃、通称熊さんこと、佐藤康太郎君も皆に愛された一人でしょう。
彼は、外洋船の船長という触れ込みで、月に一回ほどの感じで来店。バシー海
にくると日本の短波が聞こえホットする、などと言いながらグイーッと飲み干す。
同業の木下君と二人の話に我々はすっかり思い込まされていた。
そのうち頻繁に来店するようになると、次は機長の帽子等かぶって来たりしたが
真面目で、今思い出しても笑える楽しい一時でした。次第にバレても、悪意の無
い冗談で終わったのも楽しいカウンター越しの遊びでした。
同じ頃、東京オリンピック開催当時からみえていた山本教授が、熊さんに大学の
ラクビー部コーチを依頼したのでした。彼は名門秋田工業高校ラクビー部だった
といって、それはそれは見事に成りきっていました。
熊さんの本当の仕事は、電気工事会社社長でした。
現在、脳梗塞で倒れ若干、不自由していますが、元気です。 (一部)
(─→次回に)
2013年10月2日水曜日
定期ボトックス注射を
| (2013・10・2影) |
朝、しっかり食事をして出かけたので正午の例会では、初めてのオーダーで
デザート盛り合わせとコーヒーセットにしてみた。ところが、ボリュームの割り
に料金が700円と安い。冷菓にヨーグルトにアイスクリームまで添えてある一
皿、腹具合によっては、これが良いかとおもった。
新規に出版社を起業する際の取次口座取得をめぐる難易度について。
かつての元気出版社が、現況では在庫管理だけで新刊活動を休止している、
半身不随の厳しい版元の話題など等。
慈恵医大病院の眼科神経科で予約のボトックス注射を。
最初に、ぼくの特殊な眼瞼麻痺治療でボトックスを薦められた敷島先生から、
現在、サカイ先生にお世話になるようになって十余年になる。
当初は、危険が伴う注射液と云うことで、相当、慎重に施された印象ですが、
今では技術もあがったのであろうか、スムーズな処置に隔世の感があります。
これから数ヶ月は、視界が開け日々がスガスガシク過ごせる。
2013年10月1日火曜日
アートディレクター・千代田R
![]() |
| (2013・9・30影) |
開店時の、でん八「そのに」のマッチ箱や銀座店のメニューファイルのデザイナー
千代田さんに会った。
十数年ぶりになるが、若々しくて80歳近くで現役である。時の変化を感じさせない
雰囲気があった。
ライターの森本Kさんが50年前の出会いの風景をなぞっている。「昭和39年8月
末かな、開店してまだ一ヶ月しかたっていない時に、新しい提灯を見て、気になっ
て飛び込んだ。たまたま、その時、新宿ガイドのネタ記事を探し歩いていた。一緒
にいたのが千代田だった」。
その翌年には、ぼくもカウンターで同席をしているが、中間にしばらく空白がある。
彼は、村上春樹のブックデザインからビジネス書まで、幅広いジャンルの装丁を
手掛けて、多忙のようだ。
今進行している『でん八物語』(仮)の写真に代わる挿絵を引き受けてくれることに
なった。
いち居酒屋のオープンの時のマッチを製作して、終着の記念誌でもまた、協力を
惜しまない、縁の不思議を思う。
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