2017年7月31日月曜日

大賀ハス始開を観る         1818

(2017・7・31影:key)
神経性筋肉痛のため室内でゴロゴロ過ごしていたが、5日ぶりに外に出て散策す
る。そして朝陽とともに蕾が開花する「大賀ハス」を観に、羽村の堰側水田へ。

倉敷市柳井原湖畔(自宅が在った所)の引き込み池に、7月半ばには蓮根の花が
一面を覆う風景を見慣れていたが、大賀ハスはそれにも増して花も蕾も、清らか
で清楚な美しさをたたえています。
縄文ハスと言われ、古代からそれらが泥沼からすっくと立ち上がる姿は永遠で、
ロマンを感じます。
また、葉に踊るキラキラした水玉までが輝き一層引き立てる。
天上の花というゆえんか、、。
病み上がりには、極上の清涼剤になった。


2017年7月30日日曜日

映画「秋津温泉」の奥津峡 記憶の深層111817

洗濯ダンス左下(影:Pen)
1965年の正月、yuに奥津峡を見せるため初めて奥津温泉に行った。
僕の故郷である。

京の西奥座敷として文人など一部には知られていたが、吉田喜重監督「秋津温泉」
で一躍有名温泉地になった。
旧美作の国には、湯原、湯郷、奥津温泉の美作三湯がある。
そのなかの一つ奥津温泉は、津山藩主の湯治湯だった。母方祖母がリュウマチ持
ちで奥津温泉に長逗留することがあったのを覚えている。

宿は吉井川の源流に沿ってこじんまりとして佇む。
与謝野晶子が詠んだ自筆の書が残る宿は、藤原審爾の小説『秋津温泉』(1947
年刊)の舞台になり、のちに岡田茉莉子がヒロイン役の松竹映画(1962年公開)
にも登場する。
棟方志功ら多くの画家文人がリピーターとして好んで滞在したのが、「河鹿園」
や「奥津荘」です。

yuは、両岸の温泉宿を結ぶ橋の上から、川に湯煙る露天のわきで軽快に足踏み
洗濯する姉さんかぶりに赤い腰巻をしたおんなたちに見惚れていた。

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(←   :2017・7・26 「高田南町・のぞき坂の頃/記憶の深層10」1813)


2017年7月29日土曜日

映画「哭声/コクソン」を観る     1816

國村隼が韓国映画に出演した、サスペンススリラー映画「哭声」(ナ・ホンジン
監督)を観た。

平和なある村にやってきた正体不明のよそ者の男(國村隼)。村じゅうにその男
のうわさが広がるなか、村人自身が家族を虐殺する事件が頻発する。
國村が「謎の男」を名演して、韓国の映画賞で外国人俳優として初男優助演賞と
人気スター賞のダブル受賞を果たし注目されている。

やはり、國村隼演じる日本人はいったい何者として見たらいいのか、逡巡すると
ころで、迷路に迷い込む。
韓国特有のフォークロア的要素が生々しいサスペンスのなかに混在しているのこ
とで、戸惑うが面白くもさせている。

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(←   :2017・7・7 「『けんかえれじい』を観る」1793)


腰痛持ち              1815

この三日ばかり「脇腹筋肉痛」にそうとう悩まされている。
しばらくぶりの発症なので、最初は内臓疾患による腹痛なのかと慌てて、都心の
大学病院行きを考えてしまう。
が、冷静になりとりあえず近所の整形病院の院長先生に相談した。

一昨日、帰宅する駅からサイド鞄を左右にかけ替えながら歩いた。腰や肩のバラ
ンスを偏らせないためのいつもの仕草だ。
いま思い返せば、この時から左の坐骨うえの部位の不確かな場所に鈍痛を感じる
ようになってた。
数年前とおなじ様な事の起こりなのに、外傷がなく内臓近辺の得体のしれない痛
さなので、ついついガン系の不安が擡げてしまう。

腰痛の最初の発症は30代後半だったと思うが、その後寝込むような痛みに遭遇
したのは50代の時一度あっただけで、その後はストレッチ体操などで折り合い
をつけてきている。
今回のきっかけは、齢をわきまえず、暑さのせいで好きな冷水風呂に入ったりし
たことによるようだ。年寄りの冷や水とはこのことか、、。
元に戻るには少しかかりそうだが、グラスに挽きコーヒを注ぎ氷を浮かせて楽し
んでいる。まさか、冷えた氷が治癒を長引かせることはなかろう、、。


2017年7月27日木曜日

雨上がりミョウガと初顔合わせ    1814

初採りミョウガ(2017・7・27影:Tab)
土がじっとりとして蒸し暑くなる時季です。そんな溽暑の雨上がりの裏庭に茗荷
の小坊主が見えた。

さっそく、冷やしソーメンの薬味にして爽やかな香りをいただいた。味噌汁に刻
で調合すると香りたって美味しさをひきたてます。
それに、茄子とキュウリを塩もみし、細切りしたミョウガを合わせると、僕好み
のフルコースです。

田舎にも、夏の真っ盛りから秋にかけて、家の周りを流れる小川の水気を吸った
土手に顔を出す茎と葉が緑鮮やな景色があったのを想いだす。
祖母から、「ミョウガを食べ過ぎるともの忘れする」と云う言い伝えを聞かされ
ていたが、さてこの年になるとどうなのだろう、、。

2017年7月26日水曜日

高田南町・のぞき坂の頃/記憶の深層10 1813

のぞき坂
1966年の一時だったが、都電面影橋駅から神田川に架かる橋を渡ったところ
で生活したことがある。

その神田川の場所から、目白通り(目白台地)の雑司ヶ谷へ坂道を登って出られ
るのだが、伸びる道を「のぞき坂」と呼称していた。
急勾配と起伏の長さは都内最大と聞いている。下から眺めると壁のように見え、
上からだ谷底を覗くようで、一見の価値あり。
クルマでのぼったことがあるが、途中で止まると後退りする恐怖感に襲われ闇雲
にエンジンを吹かして登りきり安堵したことを想いだす。

この高田周辺、神田川沿いに業界の先輩で亡き富田さんの家が在って、後に訪ね
たことがある。

(←ブログ:2016・2・22 「記憶の深層/東京で最初の川苔山登山」1293)
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(←   :2017・2・25 「その昔東京荘があった/記憶の深層9」1661)


2017年7月25日火曜日

わが家の水にあった金魚たち     1812

わが家の玄関口の水槽には、三年目になる和金と鯉系金魚の二匹が仲良く遊泳し
ている。

朝起きて階段をペタペタと降りてくると、忙しく泳ぐ金魚と目が合う。
なんとも言えない愛嬌がある。
人間に確実に反応するのを知ったのは、最近のことです。
僕自身、日常の金魚との付き合いは、とくに凝ったものではない。朝起きたら餌
をやる。水温が高い時季は多めに、寒くなるとひかえ目に与える。
そして週に一回カルキ抜き水を入れ替える。アブク排出のポンプモーターも使用
している。
という具合に、日々一緒に暮らす生き物。

この一緒に暮らす金魚は、数万円もする高級なものではなく、ハルが夜祭ですく
い上げた由緒あるものです。だから愛着が一層増す。
二匹の金魚の動きには緩慢の差があるが、人影を見るとぎょろ目を動かしながら
寄ってきて、指を差し出すと口先でつつく。

(←ブログ:2016・6・5 「たかが金魚されど「飼育」1397)


手紙か電話かSNSか,,        1811

焼酎れんと/一本空けてお開き
久しぶりに権八さんから、smsが入った。
暑中見舞いと、立川で暑気払いの誘いだった。

僕も乗って、そくsmsで返事を返した。「翌日の夕4時に「玉河」で」、と。
昨日から、お互い4時に居酒屋でビールジョキ―を合わせるまで、電話するでも
なくすんぷん違わず約束の時間に遭えた。
最近は、かく斯様に電話を掛けることがほとんどない。
仕事にしてもプライベートな連絡にしても、電子メールのほかフェイスブック等
のSNSのアプリを使ってすますことが多くなった。

ところが、タイミングのズレが生じて戸惑うこともあります。
例えば、著作や贈答品などを頂き、即手紙(葉書)をと思いながら、日常雑記と
してツールアプリで先行記録したものが相手に知れて気まずくなるケースがあり
ます。

さて、席の方はと云うと、彼の近況はゴルフを半年ばかり中止していることと、
ヤスイさんも膝を痛めて以来クラブを振ってないとの情報あり。あれだけ二人共
元気で90歳ぐらいまでは、悠遊グリーンにでて楽しむのだろうと思っていたが
急な落ち込み様にいささか驚いています。

2017年7月23日日曜日

西村佑子著『魔女学校の教科書』を読む1810

書影(静山社/2017・7刊)
西村佑子さんから新著作が送られてきた。

著者の西村さんは『グリム童話の魔女たち』(1999年刊)を著して以来ずっと
ドイツの魔女を追求し「追っかけ」もしている。
そうした軌跡のなかでの最新刊本の美質は、研究者ぽい堅苦しさのないことで、
のびのびと楽しげにかみ砕くように「授業」している。
しかも、その中身は魔女の正体を晒すように語りかけ、著者年来の学問的な積み
上げの豊かさあってこそ、、を感じさせます。

この表出は、毎年ドイツに渡航しつづけ魔女のイヴェントに参加したり、日本で
「魔女展」や「グリム館」をコーディネートしてきた経験がモノ言うことになっ
ていると思われる。
経緯は知らないが、今回の出版元(ハリポタの静山社)がベターで喜ばしい。
本づくりも、ハンディで装丁の醸し出す雰囲気が良い。そして、本文中の挿絵の
貴重な文献・図版、魔女の小道具、薬草が的確に挿入され魅力的で魅入ってしま
う。

2017年7月22日土曜日

神宮球場 猛虎会プレミア内野席で観戦  1809

今シーズン早くも二度目の、阪神タイガース戦を明治神宮球場で応援。

7月未勝利で14連敗中のチームに負けるか、といさんで神宮球場に乗り込んだ
が、一方ではいや今日、阪神タイガースが幕引き役になるのでは、と一抹の不安
もあった、、。

信頼する投手、能見は初回の先頭バッターから四球をだしたのを皮切りに、同点
にした直後の2回裏も同じ轍を踏んで崩れる。
また、クリーンアップの一翼で先発する中谷にスリーバンドをさせるも空振り三
振。(2対4の6回、無死1、2塁のシーン)
何のための三番、バンド指示なら俊介とか、、?

しょうがない結果になった。ヤクルトだっていつかは勝ちます。
だが、負けるにしても見るべき、ものがない試合運びだった。
阪神タイガース 2対6 ヤクルトスワローズ

(←ブログ:2016・7・21    「初!阪神甲子園球場へ」1442)
(←ブログ:2017・1・13    「きょうは何の日/岡田監督に会った日」1619)
(←   :2017・2・6     「鳥谷内野手の動きが軽快!」1643)
(←   :2017・3・3     「鳥谷選手実戦3番遊撃初出場」1668)
(←   :2017・3・14「上本内野手が凄い」1679)
(←   :2017・3・31「今シーズンの鳥谷は復活を予感」1696)
(←   :2017・4・9  「上本選手の内なる闘争心イイな!」1705)
(←   :2017・4・18「鳥谷敬内野手1767試合連続出場」1714)
(←   :2017・4・30「鳥谷の心技をウエポンが引き継ぐ」1726
(←   :2017・5・6  「梅ちゃん神がかってるよ~」1732)
(←   :2017・5・21「観戦記・棚ぼたの逆転勝ち!」1747)
(←   :2017・5・26「トリ!不屈のバットマン」1752)
(←ブログ:2015・5・14  「2年ぶり神宮球場に!」1007)

2017年7月21日金曜日

海の日とサンゴ           1808

ダイブするのは吾輩(影:水中カメラk)

海と川と水をこよなく愛でる衆のあつまりかと思えるほど、夏は瀬戸内や沖縄、
岡山県吉井川や高梁川、そして奥多摩川でよく遊んだ。

そんな海の日に、昨年につづき石垣島、宮古島のサンゴが白化によって激減して
いる調査結果が出た。
八重山諸島と宮古島は再三往き、ダイビングとシュノーケリングを楽しんでいる
ので、海底を覆う珊瑚礁の美しさは目に焼き付いている。
そのサンゴが、両島の一部エリアでは昨年生きていた半減以下しか確認できない
悲しい状態になっている。

サンゴの白化は、海水温度が高い状態が長く続くと生じ、光合成を担う共生藻類
を失って骨格が黒ずみ死に至ることが多い。
夏から秋にかけて海水温が上昇しないことを願う、天頼みだけとは情けない。

(←ブログ:2015・7・20 「<海の日>に想う!」1075)
(←   :2016・12・12 「サンゴ健康を回復するか」1586)
(←   :2016・12・13 「珊瑚礁が隆起してできた島」1587)

2017年7月20日木曜日

怪奇秘宝・「山の怪談」編を通読   1807

書影
”怪奇”研究読本と銘打った「山の怪談」編を通読する。

異色のベストセラー『山怪』の著者・田中康弘インタビューを巻頭に、ロシアの
雪山で起こったなぞ多き「ディアトロフ峠事件」に、この「秘宝」誌シリーズに
は必ずと云っていいほど登場する「津山事件」のいま現在レポート、、などを編
んでいる。

僕が嫌負うなく惹きつけられるのは、「津山事件」の都井睦雄と周辺の人物や、
山あいの小集落の原風景と変貌である。
その地域を「加茂」と称していた記憶があるが、、。
多数の人殺しをした睦雄なる決して許されざる人物、亡くなった人を哀悼しつつ
も、憎み切れない自分がいることに気づく。
今年また現地ルポをしたライターの石川清は、79年前に起きた惨劇の痕跡が、
現在では草木が生い茂って様変わりしてしまった風景として埋もれていると記し
ている。

2017年7月19日水曜日

ゾウのはな子と井の頭公園      1806

ゾウのはな子の一周忌は5月でした。

きょう吉祥寺駅で下車することがあって、駅前ロータリーの一画にはな子さんが
居るのを発見した。
ほとんど原寸大の彼女は、右前脚を半身に上げ小さな目でこちらを見ていた。
昨年5月に亡くなった時の年齢が69歳。

yuの生家は三鷹上連雀だったので、井の頭公園は自然文化園でもあり身近だっ
た。小学生の時、ゾウのはな子をテーマにした作文で入賞し、ご褒美に公園で鯉
にエサを与えるなど終日楽しく遊んだ記憶があると言う、、。

こうした銅像はいいねぇ。雨にも風にも雪にもめげずにすっくと立って、これか
ら長くそれぞれの思い出を残し続けてくれる。
花見で弘栄堂書店の皆とどんちゃん騒ぎしたこと、植物園で珍しい花を教わった
日のこと、公園内の冷たいプールで泳いで震え上がったときの快感、埴谷雄高̪氏
の散歩道でもあったことなど、、を想いだす。

(←ブログ:2016・5・28 「「はな子」が逝去されました」1389)

2017年7月18日火曜日

あれから一年 帰ってきたウル虎剛  1805

昨年7月20日、吾輩、阪神甲子園球場へ生涯初見参。

その対戦相手ジャイアンツとの試合で、2回タイガースの攻撃中にアクシデント
が起きた。二死3塁で西岡選手が左翼線適時打で同点となったが、一塁のベース
手前で倒れ落ちた。ちょうどその時、僕は一塁側アルプス席で観戦していたが、
立ち上がれない姿からアキレス腱をやられたな、と嫌な予感がした。
それから、362日目の一軍先発復帰となる。それも、一年前に倒れた甲子園の
一塁、まさにその場所の守備ポジションで不死鳥のごとくよみがえったのだから
感動的でした。

試合の流れは6番鳥谷が起点に。二回中前打を放つと、四回には2000本安打まで
あと48本にせまる中前打。続く糸原の打席で感よくスタートを切り、糸原の打球
が右翼線を切り裂く間に一気に同点のホームイン。
阪神タイガース 2対1 広島カープ

(←ブログ:2016・7・21 「初!阪神甲子園球場へ」1442)
(←ブログ:2017・1・13「きょうは何の日/岡田監督に会った日」1619)
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2017年7月17日月曜日

「大槌町津波避難マップ」から    1804

送られてきた「広報・おおつち」に、津波避難マップが添えられている。

3・11東日本大震災での避難の教訓から、避難場所(数字)、3・11の津波
浸水域(赤色)などを掲載し、身近な避難場所やそこに至る安全な避難路を確認
できる仕様になっている。さらに「想定外」の津波も予備知識化して、より安全
な避難先を確認しておくよう促している。

6年前の津波襲来時に御祖母ちゃんのとった避難行動を再確認するようだが、大
きな揺れと津波警報発令で、迷わず持ち出し風呂敷包みだけ携行してお寺の裏山
へ誘導された。

続く教訓として、、。
行動指針のため、「情報待ち」で逃げ遅れるは逆鞘。→率先避難。てんでんこ。
家族の安否が気がかりで、逃げ遅れ。家族の最終避難場所を確定。てんでんこ。
車避難は避け、徒歩避難を原則。(わが家の場合は、羽村町富士見運動公園)
避難途中でモノをとりに、安否確認のため低地にに戻り逃げ遅れ。救急小荷物。

2017年7月16日日曜日

野趣たっぷりの尻焼温泉/湯けむり記憶1803

夏の温泉は、露天風呂よりも野湯がもっとイイ。

行くまでに時間と費用もかかるものの、唯一そこでしか味わえない湯具合と風景
を堪能できる北海道のコタンの湯や海中温泉があるが、わが家から圏央道を走れ
ば1時間半で目的地に到着し即飛び込める、草津温泉に近い「尻焼温泉」が山峡
の川に湧き出している。

二つの堰の間に自然のまま広がり、深さが2メートルを越すところもある。
子どもたちが浮き輪をつけて悠遊とはしゃいでいた。
雨の日は入浴不可だが、冬の雪見浴にはぜひ行ってみたいと思っている。

2017年7月15日土曜日

「出版クラブ会報」と『おそめ』   1802

カマさんから「出版クラブだより」(7月1日付)が送られてくる。
その12頁の冊子のなかで、ノンフィクション作家・石井妙子さんが「出版人大
会」で講演した模様の囲み記事を、わざわざマーカーボードにしてくれている。

石井妙子著『おそめ』を洋泉社で刊行したのは2006年1月でした。銀座文壇バー
の華やかな世界で名を成した上羽秀(おそめ)を緻密で独特な取材力で360頁
の大著に上梓し、話題になりました。
(先に、石井妙子著『囲碁の力』あり。)

本書は、「大宅ノンフィクション賞」の選考委員会で最終まで残り惜しくも逃し
たエピソードがある。
移転したばかりの社屋を着こなしのいい和服姿で訪ねて来ていた記憶がああるが
当時から10年余過ぎている。

また、『おそめ』上羽秀さんの後年は、出自の京都河原町に在った。
わが親友上田毅は、彼女の家が近所で幼少の頃、よく見かけたという。




2017年7月14日金曜日

どこへ行くにもカメラを携行     1801

新旧愛用の2台
旅行やドライブするときにカメラ(今はキャノンEOS)をぶら下げるのは勿論
のこと、ちょっとした外出にもタブレットカメラやデジタルカメラがないと落
ち着かない。

60余年前に、厚紙ボデイにレンズを付けただけの模擬カメラで写真を撮って
成功したのが初体験でした。ピント合わせなどなかったけど、、。
次にフェンダーを上からのぞき込む様式のボックス型カメラを払い下げてもら
って、もっぱら人物写真を撮るようになった。小学高学年のに頃か、、。

初めてペンタックスを買ったのは、東京に出て来た春先に新宿駅前の「さくら
カメラ」だった。とにかく、カシャと落ちるシャッター音が魅力的だった。
自分で買ったカメラだったので愛着も強く長いあいだ活躍してくれた。
被写体は、ファミリーや交友関係の人物から、旅に出たときの風景が多くなっ
ていった。特殊に花と樹木へのこだわりは40歳半ばからのドライブスルーに
よるところがある。

2017年7月13日木曜日

岡山県美咲町を走る廃線路線     1800

片上鉄道/旧吉ヶ原駅
岡山の「片上鉄道」廃線の風景写真を見て、この鉄道で長距離通学していた友人
や小学校時代の女友だちの嫁ぎ先であることを想いながら、実は一度も乗車した
ことのない未知のラインであることに気づいた。
津山から近く、クルマで30分もかからない。

そもそもこの鉄道は、同和鉱業の採掘した鉱石を瀬戸内の片上港まで運ぶ鉄道と
して開設され、旅客運行もしていた。が、平成に入り廃線になった。
だが、30年近い歳月を経て、片上鉄道保存会と地元ボランティアの熱意で大切
に守られ修復と整備が続いているという。

廃線路線ベスト風景の第3位になっていたが、山あいを走る鉄道の駅舎が懐かし
い映画のような風景の佇まいがいい。
僕が昔々東京に発ったときの津山駅も全くと云っていいほど同じ風景だった。
ホームに立って、おもわず深呼吸!




2017年7月12日水曜日

君恵さんと三味線と謡        1799

きょう、朝から日照なか町屋斎場に向かった。
この斎場は、57年前に僕のかけがえのない人命を亡くしたとき、町屋に住む縁者
のお世話になって葬儀を執り行った忘れることのできない所です。

この度急逝した義姉の葬儀もまた、二度目になる同じ斎場で意外な結びつきを感
じました。ごく内輪の親族だけが集まってしのびお別れするものでした。
君恵さんが亡くなったことも知らず、その朝、彼女は歌(歌謡曲から謡まで)が
好きな人で、家中で独唱したりしていたと、妹のyuが喋るのを聞いていた。
その話のきっかけは、新聞の告知で安西愛子が100歳で亡くなったことを知った
ことと、その安西さんが指導していた「杉並児童合唱団」で君恵さんが歌ってい
たことなどの思い出話からです。これもまた、未だ死を知らない時空を超えた偶
然にしては不思議な経験です。

初対面は学生最終年頃で、能舞台の袖で三味線と謡を発表するイベントでした。
最近は行き来が疎くなっていたが、今さらながら彼女の自宅で三味線と常磐津を
聴かせてもらっておけばよかったと残念に思いながら悼む。合掌。


2017年7月11日火曜日

「文藝春秋」&「小説 トリッパー」  1798

季刊「小説 トリッパー」
澁谷に出る機会があって、暑さ凌ぎに駅前の「あおい書店」に寄った。

先に「文藝春秋」(8月号)で、井上光晴の娘・井上荒野と瀬戸内寂聴の対談を
読んでいて、そこで取り上げられたテーマのことでもう一つの雑誌が気になって
いた。
飛び込んだのを幸いに、少し親しい店長にこれまで購読したことのない「小説?
クリッパー」って云う雑誌が在るかきいてみた。さすがで、即座に僕の頓珍漢加
減を修正するでもなく、「小説トリッパー」(朝日新聞出版刊)を文芸雑誌棚か
ら引き出してくれた。高値の雑誌だと思いながら、買ってしまった。

小説は単純に小説として読めばいいのに、その小説家が知人や友人であるとどう
しても「私小説」風な下世話な方へ関心がいってしまう。
そんことからして、私小説は一切読まないと云う人もいる。
まず先に接した「文藝春秋」の二人対談では、既に井上荒野さんが昨年冬号から
連載している「あちらにいる鬼」を前提に(話題になっているらしい)、瀬戸内
寂聴(晴美)に、父親光晴さんとの関係を母親と絡めてざっくばらんに聞き出し
ている。
瀬戸内さんが井上光晴さんとの関係でもっているエピソードと荒野さんが自分の
母親や父親・井上光晴の瀬戸内さんをめぐる振る舞いを感受してきたエピソード
を、お互い余すことなく披瀝しあう熱い対談だった。

そして、連載中の小説「あちらにいる鬼」は、瀬戸内さんと荒野さんの父・光晴
氏、お母さんをモデルにし、長年にわたる交友を摩訶不思議な世界として創作す
る。瀬戸内さんと荒野さんの母親の視点をかわりばんこに書き分ける創作手法を
上手く使っている。

(←ブログ:2016・7・30 「井上光晴について」1085)
(←ブログ:2016・11・20 「『ガダルカナル戦詩集』井上光晴を読む」1564)


2017年7月10日月曜日

「家」の歴史を書く難しさ      1797

御土居から益田川
わが友人と会うごとに、とくにサラリーマンを卒業してからは、彼の出自である
石見国益田の一族の歴史を文章化することに情熱を傾けている様子を察すること
ができた。
そして最近、80頁の冊子に仕上げた。

彼曰く、冊子を完成してからいろんなことが判ってきたと。
三家の一族意識の強いきずなで結ばれてきた江戸末期、明治、大正、昭和30年
(1955)頃までの盛衰記になっている。
新しい系図が出てくるとか、新しい資料の発掘もあったり、、。
実家が批判的に書かれていることに、激怒する人。個人情報に関わる部分がある
と抗議する親戚筋。いままで隠れていたとんでもないものまで判っちゃうとか、、
疑心暗鬼にさせる側面があるようです。

前に話したことのある、岡山県の飛び地藩・「鶴田藩」についてもしっかり書き
込まれている。

2017年7月9日日曜日

身近な人の死は夢か幻の像か     1796

堰(2017・7・9 影:Tab)
七夕の日に夫婦二人で夕餉しながらてTVを見て、夏バテ気味かなと言い残し早
めにふさった彼女は、日をまたいで彼岸の人となった。80歳。
ご主人と息子からこのような知らせをもらったが、悲しいと云うよりは夢のなか
にいるようでした。

学生時代に能の謡の発表会の舞台に招待されたのが初対面で、その後ずっと縁者
の儀礼事で会うことがあった。家族思いで優しい女性だった。
亡くなった当日の朝方、yuは新聞に告知された安西愛子が100歳で亡くなった
のを知り存命だったのに驚きつつ、その安西さんの杉並合唱団に彼女が10代の頃
所属し活躍していたことを聞かされたばかりだった。
何か引き寄せられる不思議を感じているところです。

裏の小さな瓢箪池の水を総とっ替えする。
そして、羽村の堰で潜りイダとじゃこ(カワムツ)4匹をゲットする。
川魚は池で飼うのは難しいが、池に放流し長命を願う。

2017年7月8日土曜日

水風呂               1795

東京は真夏日が続いています。
この時季になると、わが家では風呂桶に水道水を一日中張って置きます。
室内温度が30度前後まで上がらないと、エアコンのスイッチを入れないように
している。家に居るときは、胎内温度によって自覚し熱射病を避けるべく水風呂
入浴を適度にとるようにしています。

ところが羽村の水は美味しい地下水で、市の全区域に配水場から配給されている
ので風呂水も贅沢な冷水なのです。
年寄りの冷や水といって、この冷水かぶりや入浴は体によくないと非難を浴びま
すが、幼少の頃からの慣れ親しんだ習慣で健康の一助になっていると思って止め
ることはしません。

このまろやかでおいしい羽村の水道水と同じ原水を使用したペットボトル飲料水
として、「水はむら」を市販しているぐらい評判です。

2017年7月7日金曜日

七夕とデラウエア&キャンベルの違い 1794

きょうは、東京の七夕。

永井荷風が戦時下、それも昭和20年8・6の翌日の笹にそよぐ七夕を見て、「曇
りて風涼し。人家の庭に七夕の竹を立てたるを見る。この地一月おれの節句をな
すと見えたり。」と記している。
(このとき荷風は、岡山市から美作津山に滞在していた。)

そうなんだ、今日あきる野のモールに出かけ、七夕飾りとお盆用品が売り出され
ているのを見て、田舎では夏休み真っ盛りにする一か月先の大イヴェントなのに
と云う思いにかられました。
飾り付けの一対の盆にはデラウエアや桃が載っていたが、旧盆ではキャンベルの
大きな双房が定番でした。デラとキャンとの旬が一ヵ月遅れになる事情による事
でしょう。

キャンベルの嗜好が染みついているのか、未だに岡山特産マスカット・アレキサ
ンドリアや巨峰よりも、僕にとってはこの葡萄がナンバーワンです。
甘みに適度の酸味がマッチして、これぞ葡萄という濃厚な風味が大好きです。
お盆に供えられたぶどうは熟れるのが早く、精霊流しまでに隠れてポツリポツリ
食べたことが忘れられない。





「けんかえれじい」を観る      1793

初めて、「神保町シアター」で映画を観る。
普通の日の2時からの開映と云ううのに、70人ぐらいシニア中心の入場者が着席
していたのには、驚いた。

今でこそ「けんかえれじい」は名作の一つとして評価されているが、1966年の
上映時には、同じ鈴木清順監督の同時期上映「東京流れ者」が人気で、裏上映の低
評価感を拭えなかった。

60年を経て白黒スクリーンで観たが、清順監督の独特の美学で彩られたはしりの
一端が見えたり、戦前の時代背景への切込みの凄さがこの年にして解った。
筋は、岡山の旧制中学に通う喧嘩三昧の硬派の純情青年(高橋英樹)。
純情さや不器用さとあわせて、青年の欲望がユーモラスな立ち振る舞いとして随所
の場面に映る。
戦争へのの予感がする時勢のなかで、強靭な青年ながら軍事教練の将校に反抗する
ことなどから、一時会津の中学に転校させられる。
喧嘩を続けながらも次第に大人への歩を進めていく。
そんな成長過程で、北一輝や女性歌人と出合い、初恋の彼女とも別離し、2・26
事件を知って、戒厳令が敷かれた東京に向かった、、。

(←ブログ:2017・1・6 「『海よりもまだ深く』を観る」1612)
(←ブログ:2017・1・21 「時空を超える映画体験ってイイな!」1627)
(←ブログ:2017・1・29 「浅丘ルリ子主演の『執炎』を見る」1635)
(←ブログ:2017・3・1 「鈴木清順監督の美学」1666)
(←ブログ:2017・3・2 「『関東無宿』と『殺しの烙印」を見る」1667)
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2017年7月5日水曜日

コンテンツビジネスって、、     1792

偶然久しぶりに完さんと立ち話。彼は御茶ノ水駅から下って明大前にさしかかる
とき、僕は駿河台下から坂をゆっくり上って駅に向かっている時の偶然の出合い
だった。

魚の入ったクールボックスを片手に下げ、グループの会食イヴェントのリハーサ
ル会場に行くところだった。自分で素材を直接獲ったり市場で漁ったりして準備
するわけで、チョと見には分からない趣味の広さと野人性を感じる。

会うなり直近の、彼自のシフトしているコンテンツビジネスに関わる、6月末に
東京ビックサイトで開催された「コンテンツ東京」での商談の現況を聞かされた。
後日、資料としてパンフが送られてきた。これからの広範囲な可能性を示唆され
るも、未だまだアナログ人間を脱していない者にとって、客観的にしか見ること
ができない。

『島尾敏雄』評伝を読む       1791

書影
「日経」(7月1日)の<文化欄>で、島尾敏雄が生まれて今年で100年と云
うことで、『死の棘』島尾文学に新たに光が当っていることを記事にしている。

昨年12月に、新刊『狂うひと』(梯久美子著)を購入して、672頁の大冊を
一気に読んだ。それだけ引き込まれる深淵で迫力ある本だった。
そして、この度の「日経」記事中で、評伝『島尾敏雄』(言視舎/2016・6刊)
を著している比嘉加津夫が発行する雑誌「脈」(92号)は「島尾敏雄生誕100年・
ミホ没後10年」の特集号を紹介。
ここに出る雑誌「脈」の既刊号を偶然、言視舎で杉山さんに見せてもらう。
沖縄で発行する個・同人誌で90号以上も継続し、なお特集の充実ぶりに驚いた
ものです。

流れからすると梯本を読んだ時、比嘉加津夫の『島尾敏雄』は手元にあったにも
かかわらず、パラ読みしかしていなかった。

(←ブログ:2016・12・25 「『狂うひと「死の棘」の妻・島尾ミホ』1600)

2017年7月4日火曜日

出版営業代行Gさんと懇談      1790

昨夜、書店員から出版社を経て営業代行に転職したGmさんを囲んで一杯。

25年余、出版営業の代行(本のネットワーク)を生業とする彼は、経験上書店
業界の盛衰を知り、人のつながりも豊富。
だが、現場にいながらにして最近の書店が統廃合される様は急激で数年後は見通
せない。そして、この生業が生きのびる隙間はどのあたりまであるのか、悩み多
しと、、。
事前受注活動をめぐって、今昔事情。

彼のにこやかに喋る業界話にとどまらず、趣味の自動車談義などに乗って飲み過
ぎた。

2017年7月2日日曜日

節目の雑節~半夏生         1789


7月2日は七十二候の「半夏生」。

今年もちょうど半分が過ぎた。去って行く日々の速さに驚く。
明日からハルは、群馬県の山峡に「野宿」に行くが、僕の小学校頃なんて夏の
川遊びから夏休みが終わって、次に楽しみの冬正月休みまでの4ヶ月がながく
長く感じたものです。
大人と子どもで違う時間が流れているのではと思ってしまう。

そして、半年ともう直ぐの間に自分は一つ年を重ねるだけでなく、よそごとと
思っていた喜寿になる。
これから先のことを見直してみるも由か、、。

(←ブログ:2014・7・7 「半夏生~一年の後半が始まる節目の日」694)

2017年7月1日土曜日

10年ぶりの大工仕事        1788

(2017・7・1 影:Tab)
10年前にハルの水浴びのために、露店の縁側を作った。

すべて木造りだったので、一部が朽ちて危険にさらされる状態になってきた。
そんなことで、アルミ製かコンクリートブロックの既存の製品に買い替えを検討
中でした。
すぐに専門店へ駆込まずにいたのが幸いして、傷んだ個所を見ているうちにやは
り木の縁側に愛着がわき、自分で修理することをおもい立った。
僕は小物の大工事や自転車修理は嫌いではなく、それなりの技量があることを知
っているし、そのための大工工具一式が眠っていることを思いだした。

そうすると、いてもたってもいられず修理する方法を思案して、床になる材料の
木の幅、厚さ、長さを計測。ペイントの色を決め量を予測。
いまでは、便利になったホームセンターで素人でもだいたい思い通りのモノが手
に入る。
数千円の出費で、数万円の節約になった気分は上々なのだが、それ以上に発想の
転換で10年前の愛着ある木の匂いを復元できたのがイイ。

(←ブログ:2016・11・7 「初めて挑戦!障子&襖の張り替え」1551)