2018年12月30日日曜日

三段重ねの「おせち」を届ける    2335

(2018・12影:tab)
もう二つ寝るとお正月、と浮き立つころ、この家は都合あって年越しどころでは
ない。
そんな厳しいなかで、yuが一週間かけて精魂込めた手作り「お節」を、クルマ
で届けた。家にあがると、そのときだけは皆の「笑顔」で迎えられた。

これまでは、家族三人が久しぶりに我家にやって来ると、ハルが真っ先に家に飛
び込んで笑顔をふりまくのは珍しくなかったが、この一年は、電話だけで行き来
が途切れていたこともあって、笑顔千両でした。
2月半ば過ぎには、久しぶりにスキーに行かれそうなので、それを楽しみに早々
と退散しました。

2018”私的ワンポイント        2334

来春3月に大槌駅復興運転再開(影:can)
今年をワンポイントでふり返ってみると、、。

1月:星野仙一元阪神タイガース監督がすい臓ガンで死去(70歳)。同郷倉敷
で、『星野タイガース読本』(2002年刊)をつくった頃を思う。
2月:大槌の御義母百歳のお祝いに仙台へ。大槌の家屋流出を思うと悔しい。
3・11から七年目。人間の忘れっぽさに、ふっと立ち止まる。
4月:文学・歴史散歩(遊学舎)で、「中里介山と羽村の堰巡り」のガイド役。
5月:身近な親友がつづけて彼岸の人になる。
高岡武志君、斎藤晶子さん、森雅夫君を悼み偲ぶ会、お別れ会に参列。
6・15 その昔は「安保」、59年後のイマは「改憲」へ。

7月:故郷、倉敷真備町が豪雨水害で家屋浸水被害甚大。
8月:「喜寿」一年越え!論創社『大菩薩峠』(全8巻)恵贈あり。楽しみに読
み始める。
9月:追悼・岡本修一君(青蛙房社)。
10月:出版クラブビル完成。
11月:MPVで奥多摩紅葉狩り/石舟橋。
12月は、同郷「船中会」に始まり、「出版記念」「がんこかい」(ススム君を
囲む)「潮かい」「歩くかい」「W演劇専修」そして「でん八」忘年会で了。

2018年12月29日土曜日

ことし最後の忘年会・でん八会    2333

師走の忘年会も今年あたりからは、出席を減らしていこうと思ったが、最終的に
そう変化はなかった。

ニッパチは、「でん八」を贔屓にしてきたおいしい酒に出逢うひとたちの忘年会
になっている。今年で11年目になる。

2018年12月27日木曜日

スタローン主義の映画雑誌  映画秘宝② 2332

「映画秘宝/2月号」(2019)から

*巻頭特集は、歴代『ロッキー』完全クロニクル(愛蔵版)
クリード  炎の宿敵』究極攻略
町山智浩:85年の「ロッキー4 炎の友情」のドラゴはボクシング・サイボー
グだったが、「クリード  炎の宿敵」(18年)で33年ぶりに現れたドラゴ
(ドルフ・ラングレン)は、人生の苦労と悲哀を十分刻ん顔でロッキーに言う。
「お前のせいで、俺は何もかも失った。祖国も、尊厳も」
そして、これはドルフとスターローンの人生の鏡!だと。
いろんな角度から物語化できるが、ベストヒット・ロッキーに進化している。

*哀悼/ベルナルド・ベルトルッチ
『1900』がもたらした成果とベルトルッチの作家的転換(尾崎一男)
『ラストタンゴ・イン・パリ』スキャンダルから名作へ昇華したベルトルッチ
の淫夢(石熊勝己)
ほか、『暗殺の森』、『ラストエンペラー』にふれて、、。

*昭和の実録モノが怖い!『眠る村』と『子供たちの復讐 開成高校生殺人事
件』



2018年12月26日水曜日

Wの演劇専修忘年会         2331

女性陣のことを勘案して、昼食を兼ねた酒席になった。

歩いた歩いた ! 10㌔裕に       2330

今日は朝から挨拶回り、三省堂書店、洋泉社へ、出版社で打ち合わせ、夜は理事
会&忘年会へ。と云ううことで、御茶ノ水~駿河台下~九段下~飯田橋まで歩き。
飯田橋駅⇒四谷駅~大木戸~四ツ谷駅へ、往復歩き。
最後の海鮮居酒屋での忘年会は、大いに話が弾みいい一日の〆でした。

三省堂書店では店長と、恒例の年末の会が森さんの急逝でできず、新年にもち越
し仕切り直しでやることになった。
ほかに店内フロントで展開中フェアの人文書出版社の販売実績を年々上げてきて
いることを、喜んでいたのが印象的でした。

2018年12月24日月曜日

「あゆみbooks」が「文禄堂あゆみbooks」に2329

(2018・12・23影:tab)
きょうは、東京駅八重洲地下居酒屋での忘年会前に、地下鉄東西線を使う都合上
新装オープンしたばかりの「文禄堂あゆみbooks」の店長を訪ねお祝いの挨拶。

あゆみbooks早稲田店は、東西線早稲田駅から徒歩2分のところ。早稲田大学文学
部のオープンキャンパスを出てすぐで、購読者はやはり学生が多い。
j店員もアルバイト学生を時差で使っているようだ。
とにかく、この本屋さんには、出版社を起こして間もないときから当時の店長に
大変お世話になりました。情報発信力が的確で提案も有意義なモノが多かった。

今回の新装では、他の文緑堂と違わず小さないイヴェントスペースを店内の奥に
設置されていた。豊富な読者層を抱えているので、ニューブックストアーの形が
期待できそう。
最初からこの書店グループは、店舗スペースを100坪以内で展開してきている
だけに、店長の差配による色合いが強く、一冊一冊の棚づくりに無駄がないのが
特徴だろう。

余談だがこの地、地下鉄早稲田駅の場所(馬場下)に一時下宿していたが、勿論
「あゆみbooks」はなかった。




柚子湯に入り南瓜をたべた      2328


きのうは、冬の24節気冬至でした。

冬至は、一年で一番昼の長さが短いので、夕方4時過ぎにすでに暗くなり始める。
一方の夏至に比べると、昼の長さは5時間近く短いことになり、夜長になるのは
当然のことか。

柚子を取り、10個ばかりお風呂に浮かべてゆったり気分で入浴した。
そのあと、田舎時分からの風習を引き継いで、煮南瓜を食べることができあた。
気分的なものか、南瓜の風味を感じ美味しくいただけた。
冬至を境に春が巡ってくる「一陽来復」というが、寒さは厳しくなり冬中どころ
か、これからが本番になる。

2018年12月22日土曜日

阿部球場の名残り「グランド坂」   2327

             ↑グランド坂上
「早稲田グランド坂上」に立つ。  

早稲田へはめったに行かなくなっていたのだが、最近「早稲田小劇場どらま館」
にかかる浜田出演の芝居を観に出かけたり、「文禄堂早稲田」(あゆみbooks)
に寄る事があって、ついでにその界隈を散策することがある。

早稲田大学のキャンパス北側を東に下るグランド坂は、学生が行き交うなだらか
な坂です。
坂の名称は、北側にあった阿部球場(旧戸塚球場)にちなむもの。
1902(明治35)年に開設され、大学野球などの球場として1987年まで
使用されていた。僕も一度だけ入り応援席に坐ったことがある。
現在は図書館や国際会議場のある「総合学術情報センター」になっている。

グランド坂(↑)の名は今も残り、昔はここにしっかりした門塀で閉じられた野
球場があったことが伝わってくる。
そして、グランド坂上の左側は今ではメイン道路になっているが、昔はまったく
なかった路で風景が一変している。

2018年12月21日金曜日

「タメトモユリ」讃歌!       2326


冬至の日に、タメトモユリにお目にかかるとは珍しくあり、幸運だ。

駐車場でクルマの後部に回ったところ、なんと陽ざしをあびて「タカサゴユリ」
(テッポウユリ)が一輪下向きに可憐に咲いているではないか!
今夏は暑い日がつづいて、秋口も冷え込む日が少ないまま、秋が深まる気配を感
じなかった。立冬になっても木枯らし1号も観測されないまま比較的暖かい日が
過ぎていく。
そんななかで、このタカサゴユリは7月中旬のお盆前に一度咲いて枯れると、花
被片が花形を保ったまま自家受精し、急成長して変異し開花したものと思われる。

源為朝が愛でたテッポウユリ。

2018年12月20日木曜日

2018”出版界ワンポイント②      2325

書影/「図書」
8月:西日本豪雨で倉敷市真備町(吉備真備、横溝正史の縁処)の3割が水没し、
   書店にも被害が出る。
9月:ワンテーマ単行本としての「新書」生誕80年で、岩波新書フェア大々的
   に展開。「図書」臨時増刊で「はじめての新書」特集。(無料)
10月:出版活動交流の拠点「出版クラブ」ビルは神楽坂から神保町へ引越し。
11月:出版情報総合誌「出版ニュース」は、来年3月下旬号で休刊に。
12月:通してみると、電子書籍が年々着実に伸びている。本格的にスタートして
   4、5年しか経っていないが、僕の感覚より勢いがある。
   だが、電子が伸びたからと云って紙がダメかと云うと、そんなことはなく
   新電子書籍派のデジタル読者が成長してきているわけで、読者層は広がっ
   ているとさえいえるのではないか。

ニューメディア商品について     2324

出版における、ニューメディア企画の流通について話をきく。

Gyoと同世代、と云ううことは僕と親子ほど年齢差がある彼とは、3・11の大
地震発生時に水道橋の「珈琲館」で、創業間もない出版社の様子を聞き激励して
いた。
と云ううわけで、3・11の衝撃を記憶しその共有を伝承する「盟友」と、いま
は思っている。

あまり役立つほど、会社サポートをしているわけではないのに、この時期になる
と忘年会と称して一席もうけてくれる。
場所は、わざわざ立川まで出張ってもらい、最初に予約できず「旬采・玉河」で
一次会、次に無理して贔屓の「酒亭・玉河」とあいなった。
日ごろ、此処はシライ君との常連酒場だが、いつ行っても50席以上あるの卓席
と座敷がほぼ満席で活気がある。

社主ウシオ君とのお喋り。
来春の新しい期はこの数年の在庫・財務管理上、シコシコやらざるをえなかった
消極策から、優良商品の再発掘とNM新企画を、書店連携を強化するなかで打っ
て出る意気込みに熱気を感じた。
ほかに、「鉄筆文庫」の文庫戦略の話題から、一時期の絶対的カリスマ書店人・
スズキさんの目利きの評価で一致。
何はともあれ、彼とはしきりに会ってみたくなった。

2018年12月18日火曜日

2018年出版界ワンポイント時評    2323


(4桁数字の並び  偶然の面白さ!)
1月:昨年暮れから新年の書店実績は、総合平均で昨年対5%マイナスで厳しい
   スタート。年々、マンガ単行本の売上低下が影響していると。
2月:アマゾンジャパンは、出版社との直取引にふみ出す。
    代々木上原の幸福書房とBM新百合ヶ丘店の閉店は、地域にねざした本屋
       さんだっただけに残念でした。
3月:岩波書店、自社ビルを小学館に売却。
4月:楽天が出版取次3位の大阪屋栗田を買収。業界における急速な資本流動化。
5月:3・11震災で流出した大槌町中央図書館は、文化交流の場として再開館。
6月:トーハン社長へ近藤氏覚悟の再登板は、新事業イノベーションにも期待。
   六本木・青山ブックセンターがあえなく閉店。
7月:本の「スリップ」短冊を全廃しようとする動き。アナグロツールが消えて
   いく。
8月:新会社リブロプラスへの経営統合すすむ。

2018年12月17日月曜日

運転免許証を返納するとき       2322

ミレーニア(影:Pen)
yuは喜寿を境に運転免許をキッパリと返納した。
僕にも身近な周辺が、80歳をひかえて「視力、聴力の衰えで判断能力低下は、
間違いないので今のうちに返納すること」を、すすめること姦しい。

だが、僕は車の運転そのものが好きなのと、遠方の見知らぬ土地へ分け入ること
を趣味としているので、足としてクルマの利便性を考慮せざるをえません。
岩手県東和遠野の遠縁にあた方に会ったとき、年齢は90歳をひかえていたが、
田畑の仕事から、さらには役職をこなすのに堂々と自分で県道から農道まで運転
する矍鑠とした姿に感心したものです。
僕も生ある限りこうありたいと思ったものです。

そんなとき、同世代で実業家のおんな友だちが数日意識不明になるような自動車
運転事故を起こしたと云う報が入ってきた。その後が心配だ。
さて、どうする!若い時代とは運転環境は変わってきているし、自らの健康の衰
えを十分自覚するのはもちろんのこと、でもなお、当人に判らないところが出て
くるわけで、その危惧を的確に発せられたときはキッパリとおさらばしよう。

温泉宿場町/下諏訪温泉 記憶の断層80 2321

下社秋宮御柱前(影:Pen)
先日、「記憶の深層」として、むかし初対面した「万治の石仏」のことを記した
が、そこを訪れたときの源泉旅館「みなとや」を思い出した。

江戸から京へつづく中山道、同じく甲州経由で下諏訪に至る甲州道の二つの街道
が、諏訪大社の門前町である温泉宿場町で合流する珍しいエリア。
その合流点の近くに、江戸中期創業の「みなとや旅館」がある。
古くは貝原益軒が投宿し、新田次郎が執筆に滞在したともいわれている。綿のよ
うにやわらかな源泉露天風呂に入浴できたのは幸運だった。

そして翌朝はカラコロ下駄の音を響かせて、中山道合流点近くの共同湯、「旦過
の湯」に浸かったが、「熱湯」が伝統だけあって、飛び込んで慌てたものもいた。

(←ブログ:2018・11・25 「万治の石仏」2300)
(←ブログ:2018・1・30 「網走市沖で流氷現る 記憶の断層73」2002)
(←   :2018・4・7   「黒部→魚津→滑川を走る 記憶の断層74」2068)
(←   :2018・4・23 「境港の海鮮レストラン 記憶の断層75」2084)
(←   :2018・5・6  「ハイジの村へ 記憶の断層76」2097)
(←   :2018・5・12 「奥多摩の三頭山 記憶の断層77」2103)
(←ブログ:2018・8・8 「Cairnsダイビングへ 記憶の断層78」2191)

2018年12月15日土曜日

追憶                2320

書影/ガミさんの署名本
きょうはダウンコートを取り出した 
東京から50キロ圏内もやっと冷え込む
早朝にベランダから見る真白き富士 
だが空は雲で閉ざされている 
閉塞成冬

師走も半ば各地の煤払い行事が伝わる 
この日を「正月事始」ともいう
気分はその気になれず 
今年はヤケに彼岸へ行った友が多く想うことしきり

ガミさん タカオカくん モリさん ショウコさん 
シュウちゃん イッちゃん、タッちゃん 
追憶すれど 何もできなかった思いが残る

2018年12月14日金曜日

手作りの「吊るし柿」をいただく   2319

友人・エモさんが、自宅の庭にある渋柿を取って、丹念に皮むきし「吊るし柿」
を手作りしていることは、彼のFacebookの書きこみで知るには知っていたが、ま
さかご相伴にあずかろうとは思ってもいなかった。

一風変わった忘年会         2318

或る人は、忘年会の案内に対して、「ちょっと怪しげな呼びかけなので躊躇して
いたが、サイトウ君に合いたいので出席する」、との返事をもらった。

そんなわけで、職場も年齢も違い、上下関係やビジネスに影響されることもなく、
数十年ぶりに合う人もいたわけで、ざっくばらんな雰囲気で会席は盛り上がった。
出席者は、
斎藤s、白井t、田本h、竹内k、瀧井t、古谷m、渡辺k、E瑞慶村、杉山n
岡橋w、石川k、横山y、江森kと僕でした。

2018年12月12日水曜日

豊多摩刑務所の所在は/中野を歩く③ 2317

中野結核療養所に続いて、どうしても確認したかったのところは、埴谷雄高らが
下獄していた「豊多摩刑務所」である。

そこは、「平和の森公園」と称して、下水道処理場とともに、緑の広場と避難場
所として防災公園となっていた。
刑務所表門が遺構として見学できるのだが、公園一帯は工事中で残念ながら見ら
れず。

中野刑務所は、明治43年から昭和58年(1983)まで73年の歴史がある。
豊島監獄時代(明治43~大正11)、豊多摩刑務所時代(大正11~昭和21)、中
野刑務所時代(昭和32~昭和58)と三代の歴史がある。
ルーツは、江戸時代の小伝馬牢屋敷にその端を発する。大正14年制定の治安維持
法による、政治犯や思想犯を多く収容していたことで知られる。

埴谷さんは、治安維持法に引っかかり下獄したが、昭和30年代になると学生運
動が活発になり、60年安保闘争当時は公安関係の被告の収容にあてられた。

JR中野駅からこんなに近い場所に、「豊多摩刑務所」と「中野結核療養所」が
隣接してあろうとは思ってもいなかった。在ることは知りながら、直に歩くこと
によってもう一度、過去の経験が物語性をおびて認識できると云うことです。

(←ブログ:2018・12・8 「歴史散策/中野を歩く①」2313)
(←   :2018・12・9 「国立療養所中野病院/中野を歩く②」2314)


2018年12月11日火曜日

TVドラマ松本清張「砂の器」を見る 2316

新聞TV欄を見ていたら清張モノ番組が目に留まり、夕方6時半から11時まで
「砂の器」を通して見てしまった。

小説の序章で出てくる蒲田操作場構内の撲殺死体シーンから始まり、ズーズー弁
のカメダの謎を追って、捜査する者と、犯人の「人生」をかけた宿命の対決に向
かう最終章へのドラマは、野村芳太郎監督/加藤剛主演の1974年映画版と大き
く変わらない。でも違った。
松本清張のもっとも重要なキモとなる社会性(差別、村八分にされた親子の悲痛)
へのアプローチが、この長尺ドラマには欠如しており、一流どころを使った俳優
のみが目立ちすぎてもったいない感じ。

刑事役の玉木宏に絡む女性記者・中谷美紀を登場させているがとってつけたよう
でサスペンス性を緩慢にしている。
ファーストシーンで音楽家・和賀英良の佐々木蔵之介と玉木宏は逆かと思った。


2018年12月10日月曜日

メールの言葉が生きかえる      2315

もう10年も前になるのに、いまは亡き友人からのメールの返事が甦る。
今ここで、耳元でしゃべっているかのように、、。

メールを有難う。俺もよく鈴木からガンの話を聞いていたら、ある日突然「うつ
って」しまった(笑)。彼に言うと気を悪くするだろうから、言わないでな、、。
どうも俺たちはすぐ伝染しやすいらしいから、俺のガンの話はあんまりきかない
ように。(義兄弟のような関係だった。)

もっとも、膠原病の関節リウマチは別で、なにをトチくるったか、自分の細胞を
異物とカン違いして攻撃してしまう免疫異常。この自己矛盾的な「いのち」が、
ほかならぬこの俺だとおもうと、悪たれ口をたたく元気も失せてしまいます。
おまけに抗リウマチ薬は副作用として間質性肺炎を引き起こすので使えず、弱い
薬で心棒づよくガマンするしかないらしい。

それでもなんとかやってますので、春になったら御茶ノ水で会いましょう。鈴木
にもよろしく伝えてください。彼とは、会えなくなってからはもっぱらメールで
すが、出来たら折を見てメールをくれと。ずいぶん弱っているのではないかと心
配です。(2009年12月××日)

2018年12月9日日曜日

国立療養所中野病院/中野を歩く②  2314

今回の中野の散策で、最も訪ねて見たかったと所は「中野結核療養所」です。
僕が上京して、しばらく居候することになったのが療養所の院長だった亡き伯父
さんの家でした。

この江古田の結核療養所は、松など木立のなかに幽閉されたかのように佇んでた。
守衛に挨拶して所内に入るそのプロセスが、幼少の頃に母親が入院していた「津
山皿山療養所」を訪ねるときの、不安をともなうドキドキ感と似ていたことを想
いだっしたものです。
おじさんは、「昭和の赤ひげ」と讃えられるように、医師として患者の結核との
戦いに明け暮れる一方、敷地内に総合福祉施設コロニーをつくって患者の社会復
帰をサポートもしていた。

きょうのコースである沼袋氷川神社から、「江古田の森公園」へと歩いてきたとこ
ろ、その一角に療養所があったと案内されてもピンとこなかった。
療養所は、1993年に新宿区の国立国際医療センターに移転統合し、跡地が公園
として整備されていると云ううこと。
隣接して、福祉保健施設があるのが名残りか、、。
新宿西口から哲学堂経由で終点江古田丸山車庫行のバスに揺られて、伯父さんの所
へ行っていた頃が回想される。


2018年12月8日土曜日

歴史散策/中野を歩く①        2313

哲学堂・六賢台(2018・12・8影:tab)
きょうの散策場所は、近くて遠いところと云うか中野周辺だった。

室町後期、関東は戦乱が相次いでいた。そうしたなかでも、武将太田道灌は戦い
の渦中にあり、当地に多くの足跡を残している。
その一端が、自性院、江古田沼袋古戦場、沼袋氷川神社などである。

大江戸線・落合南長崎に集合。東中野で大江戸線への乗り換えなど予測より戸惑
い多くギリギリに到着。

コース:自性院(ねこ地蔵)⇒四ツ塚跡⇒野方配水塔⇒蓮華寺/井上円了の墓⇒
哲学堂公園⇒江古田沼袋古戦場碑⇒山崎記念中野区立歴史民俗資料館⇒明治寺/百
観音⇒禅定院⇒沼袋氷川神社⇒平和の森公園⇒新井薬師・梅照院⇒あいロード商
店街⇒御囲跡(犬屋敷)
4時間の充実した散策も、中野ブロードウェイに着くころは、腰にきた。

2018年12月7日金曜日

ハルの動物アイドル         2312


ハルは学校で、兎ちゃんの飼育係をつづけて、可愛がり育ててきた。

先日も通り道に在る彼の小学校によって動物飼育部屋をのぞいてみると、まだ生
まれて間のない子ウサギ2匹が、ぴょんぴょん跳ねて金網に寄ってきた。
早朝早めに登校したときは、この兎たちのために部屋を掃除してエサを与えたり
水補給をしている彼の姿を思うと、微笑ましい。

週刊誌のグラビヤを見ていたら「シブヤギ」が、浜松に引っ越した写真に惹きつ
けられた。
ハルは、渋谷桜町に補習勉強に行く途中のカフェにサクラの愛称で店で飼われて
いた人懐っこい人気のヤギを見たくて、わざわざ寄り道していたぐらいです。
yuがハルに引越ししたことを伝えると、最近見かけず心配していたところで、
納得の様子だったとか、、。

第二の人生をスタートした浜松では、(都会育ちのせいか)原っぱに連れ出して
もなかなか草を食べないようです。

追悼 福島達男くん         2311


大学時代からの友人、福島タッちゃん永眠の知らせをもらう。

二年ほど前までは、校閲のできるすぐれた校正者として仕事を熟していたが、最
近は病で自宅にこもり気味との消息でした。
直接会って話したのは、確かya君をしのぶ会が中野であったその席ででした。
その時はまだ元気で、yaやKh君らとラグビー場で一緒にワセダを応援した様
子を想いだし、話題にしてくれたものです。

タッちゃんは僕より年下で学部も違っていたので、さしで飲むこともなっかった
が出版業界が同じで話す機会はあった。
生来きまじめで正義感強く、口は重いほうだが、打ち解けると人懐っこく長い付
き合いを思わせる友でした。そしてでしゃばることをいたく嫌った。
その後、彼が生きた出版業界自体について、どんなものだったのか、聞くことも
なく終わってしまった。

また彼は、ことラグビーについては博識で、世界のラグビーチーム、プレーヤー
を隈なく知っているのはもちろんで、特に戦術分析に至る蘊蓄は並外れていた。
これは、校閲力からくる探求心によるのだったのかもしれないと思っている。
合掌。

2018年12月5日水曜日

『スリー・ビルボード』を観る    2310

僕は今年一番の映画は、きょうやっと観ることができた『スリー・ビルボード』
を推す。

監督/脚本;マーティン・マクドナー
愛娘を殺された怒りのあまり型破りな抗議行動に出る母親をフランシス・マクド
ーマンドが素晴らしい演技で熱演。

物語は、アメリカ中部の架空の町の物寂しい郊外の道路沿いに突如出現した3枚
の大きな立て看板。それは、地元警察の捜査がいっこうに進展しないのに業を煮
やした母親・ミルドッレドが、広告クライアントに自らなって、警察を告発する
キャッチコピーの掲載だった。

抗議のメッセージに慌てたのは、町の人々の信任厚い警察署長ウィロビー。名指
しで批判されることに困惑し、どうか冷静にとミルドレッドに泣きを入れるが、
彼女の怒りは容易に収まらず、、。

「道々、決めて行こう」とかたり、物語は余韻を残して幕を閉じる。

(←ブログ:2018・1・9 「『日本のいちばん長い日』を見る」1981)
(←ブログ:2018・2・26 「『用心棒』(黒澤明監督)を観る」2029)
(←ブログ:2018・4・8 「黒澤明『七人の侍』を観る」2069)
(←   :2018・4・13 「スリラー映画『ゆりかごを揺らす手』」2074)
(←   :2018・5・10 「『ゲルニカの木』を観る」2100)
(←   :2018・6・16 「映画『存在の耐えられない軽さ』を観る」2138)
(←   :2018・7・14 「ドキュメンタリー調映画「否定と肯定」2166)
(←   :2018・10・14 「黒澤明&三船敏郎の「椿三十郎」2258)
(←   :2018・10・26 「是枝裕和監督「三度目の殺人」2270)
(←   :2018・11・4 「スピルバーグ『ペンタゴン・ペーパーズ』2279)
(←   :2018・11・10 「読んでみるか 観て読むか/孤狼の血}」2285)

2018年12月4日火曜日

秩父を彩る幻想のダシ        2309

秩父夜祭/山車(影:Pen)
祇園祭、高山祭とともに日本三大曳山祭りとしてつどに知られる秩父夜祭の例大
祭が三日夜、開かれた。

この日の夜がメインイヴェント。夜空を冬の花火が焦がすなか、極彩色の彫刻を
施した「屋台」と「笠鉾」の山車がぼんぼりに照らされて、法被姿の男女に引か
れて秩父神社を出発。
秩父夜祭の日は、これまで何度か小雪が舞う冷え込みの夜に遭遇することがあっ
たが、今年は暖冬だった。
最大の見せ場は、山車が御旅所手前の急勾配の「団子坂」に到着すると、花火の
爆裂とダシ引手の数百人が「ほーりゃい」の掛け声とともに、人車一体となって
坂上の広場に引き上げた。
歓声が響きわたった。

秩父困民党が蜂起したとき、その一群もこの秩父神社に集結した歴史が想念とし
て過った。

2018年12月3日月曜日

弟が墓参してくれる         2308

72歳の養子に出た弟とその連れ合いが、実家の先祖の墓を訪ねてくれる。

岡山県美作山間部に点在する伯母(養子先)のお墓や、庄屋だった母方の広い墓
地、そしてわが生家の墓などを、姪っ子のクルマで一巡したようだ。
弟はそもそも、元をただせば僕と同じ屋根の下で暮らしているずが、生誕して直
ぐから伯母と暮らすようになった。

弟は倉敷にいる関係で、お彼岸やお盆に僕が帰郷しなくても、気をきかせて榊と
花を立ててくれるので気が休まる。
そして時には、僕の大好物、自然薯や特産品を特別ルートで入手して送ってくれ
たりもする。母方のお墓の裏山で松茸狩りをした日のことを想いだす。

写真で見る 御茶ノ水今昔       2307

1959年に上京して、はじめて在京の友人を訪ねるために市中に出た行き先が、
御茶ノ水駅でした。
それから、ここ数年の駅大改装が始まるまで当時とほとんど変遷のない小ぶりな
駅のままでした。
いまでも、おちゃのみず橋とひじり橋が駅をはさんで在るのは変わらない。
その、おちゃのみず橋の欄干から神田川上流を望んで、1872、3年頃(145
年前)に撮った貴重な写真です。

井の頭池を水源とする神田川は、何回かの改修工事をへて江戸城の外濠としての
形を整えたことになる。今では土手の右上に順天堂医院のビルが聳える、景観の
信じられない変わりようです。

2018年12月1日土曜日

年末に向かって何から手にするか   2306

きょうからは師走、だが、これまでに冬の使者木枯らし1号は吹かなかった。
東京では、1979年以来39年ぶりのことだという。

だが、裏庭の柿の葉っぱは紅葉をへて風葉で、きれいさっぱり丸坊主になってい
ます。冬芽を準備して冬を越し、じっと春をまつのです。
そして72候では、立冬、小雪から大雪、冬至と慌ただしく過ぎていくのは毎年
のこと。
東京では未だ、雪のイメージングできないのですが、北海道、北日本や山岳地帯
からは、つぎつぎと初雪の便りがとどきはじめている。

柿の木と対照的に黄色が色鮮やかな柚子の木と陽射の
伸びを見ると、「冬至」が
近くに迫っているのを感じる。
さた、忘年会をこなしつつ、煤払い(掃除)、賀状書き、買い出し、旅なしと、。