2016年12月31日土曜日

ゆく年2016*大晦日        1606


師走の大掃除は年々手慣れてきて余裕で終え、大晦日をゆっくり過ごせると思
っていたところ、どん詰まりになってしまった。
と云ううのも、この歳でよろず忘年会につきあったおかげで、翌日、家で予定し
た仕事がママならなかった。

さて今年は内々どんな感じの一年だったのだろう。
初春は、働き盛りのGyoを要に若いハルたちと、穏やかに迎えました。
2月は、太洋社破産で取次の再編が進む。
3月、北杜市のヒジカタ山荘で恒例の味噌造り。
4月、震度7の「熊本地震」で書店にも甚大な被害がでる。
5月、リスボンやリオに身軽に仕事で出かけるGyoを見て世代のグローバル化
    を実感する。
6月、友人たちの訃報に接す。年下の死は堪える。
7月、初めて甲子園球場で阪神対巨人戦を観戦。西岡選手アキレス腱断裂。
8月、リオ・オリンピック開催。
9月、「戦後雑誌」展を観に久しぶりに早稲田大学へ。
10月、「お江戸」水巡りで日本橋の本籍地発見。
11月、初雪が54年ぶりに降る。
12月、船中会に始まり、本郷会、やすい会、水曜会、Wの会、でん八忘年会
     でやっと了。

くる年に何か託せるものがるだろうか。
この混迷の時代、ハルたちのためにやりたいことをやる。

2016年12月30日金曜日

自前の写真で見る2016年      1605

【2016年・月】
新年早々に衝撃的な映像ニュースを見ることになる。
軽井沢スキーツアーバスの転落事故で若い学生たち14名死亡。
長距離バスの運転経験が浅い運転手の過失は重いが、ツアー企画会社とバス会社
の使用(管理)責任の軽視によって、起こらなくてすんだであろう人命事故だけに怒
りを覚える。
僕もこの碓井峠はよく利用するだけに、一年経っても風景として記憶されている。


                                【月】
2月5日太洋社の自主廃業の情
報。
出版社と書店とを卸仲介して信用
を担保している取次のシステムは
こうした取次破綻で二進も三進も
いかなくなってきている。
さらには、雪崩をうって栗田問題
が浮上してきた。
月】
3・11震災から5年がたった。
一年周期と云ううことではないが
あの日どこに居てどのような行
動をとったのか、頭脳に焼き付
いた像や音や匂いを追憶する。



2016年12月29日木曜日

ブログを更新し続けて6年目に     1604


3・11東日本大震災をきっかけにして開設したブログ「大槌の風」は、1600
回余更新を続けてきました。

忘年会のオオトリ「でん八」      1603

新宿駅東口(⒗12・28 影:tab)
28日を「でん八忘年会」と決めて第9回にあたる。
アキさんを囲んで、モリちゃん、セッちゃん、ミエさん、アイちゃん、ミノルさ
んにフジさんら、田舎の小学校で呼び合うような面々、古くからの居酒屋仲間が
年の瀬に恒例の会席。

アキさん、未だまだ元気で歌舞伎町に登場!

2016年12月27日火曜日

震度7を生き抜いた人たち       1602


もうすぐ80歳になるわが友人の、熊本地震、震源地を往くボランティア活動の
レポートを聞く。

そもそも彼女は、高校まで熊本市で育ち生粋の肥後っ子ということになるが、上
京して既に60年近くになり、「帰郷」の言葉がかすむ域に達しているようだ。
「熊本激震!」の報が飛び込んできて、心傷む日々を過ごしたことは十分察せら
れる。
「3・11東北大地震」で僕が被災地の岩手県大槌町へ足を踏み入れているとき、
彼女もいち早く気仙沼、石巻の被災現場にやっとの思いで立ち、生々しい報告
書を認めている。

熊本入りも宿を確保することがままならず、アノ日から45日後に帰郷して、「静か
な無言の街」を歩き、路地裏は赤紙だらけの実情を見て回っている。
僕も数十年前に行ったことのある「長崎書店」の周辺のことだろうか、、。
(この書店はいち早く仮営業している。)
その後、震源地である益城町と西原村の全壊地区でボランティア活動に参加し
ているが、ここでの交流や、神戸、東北地震と続く大規模災害のなかでボランテ
ィアの人やその運営がシステム化されてきていることを実感している。

東京の直下型地震の不安と、大規模災害の周期が狭まっている「災間」を考え
させられる。

W+αの忘年会へ            1601

昨年は新宿駅東口で、今年は西口が会場になった。

この十年、この会の忘年会は一度として同一場所だったことがない。
幹事が持ち回りで毎年変わると云うこともあるが、とくに決め事があるわけでは
ない。
メルモンテ・日光→蔵・西荻窪→ホテル犬吠・銚子一泊旅行→海・神楽坂→ひ
ょうたんなべ・吉祥寺→えん・秋葉原→魚猿・吉祥寺→染太郎・浅草→美々卯
・新宿東口→がんこ寿司・新宿西口。
これが、ここ11年の変遷であるが、それぞれの時系列に想いがあります。
Dy、Kh、Ya、Utらが鬼籍に入ってしまったが、銚子・犬吠への一泊旅行や、
「魚猿」での宴を通じて、それぞれの姿が浮遊する。

語らいのなかで校長経験のあるオオイ君から、彼の仲間に幼少時サイパン島
で生まれ過ごして昭和19年にやっとの思いで帰国できた知人がいることを聞
かされる。
この知人の親が代用教員をしていたらしく、僕の親父と何らかの接点がないか
取材してみたい思いを募らせています。


(←ブログ:2014・12・27 「恒例のW忘年会は「染太郎」で」867)



2016年12月25日日曜日

『狂うひと「死の棘」の妻・島尾ミホ』 1600

書影(新潮社刊/3000円)
週に二、三度は書店の店頭を見る機会がある。そのとき、購入を躊躇していた本
が梯久美子著の『狂うひと』でした。

672頁の大著を、時間に余裕ない暮れのなかで読み切れずツンドクになってしま
うように思えたからです。また、衝撃的だった『死の棘』の読書体験を蒸し返される
ような気がして、先延ばししていた。

ノンフィクション作品である本書は、戦後文学の名作でベストセラーにもなった、
島尾敏雄の『死の棘』に描かれた、著者の妻・島尾ミホの生涯を11年余の長期取
材し、「書かれる女」から「書かせる女」さらに「書く女」へと変容していく様を、「本当
に狂っていたのは妻か夫か、、」と迫る。
これまでの神話を解体する謎解き評伝の極北か。

39年前に刊行された『死の棘』の装丁者・司修が、本書でもミホさんの写真を使っ
た装丁をしているのが因果めく。

(←ブログ:2016・12・14 「『証言と抒情』野村喜和夫著を読む」1588)


2016年12月24日土曜日

ハル トマムでシュプール!      1599

トマム(16・12・24 影:Gyo)
ハルは、北海道トマムのスキー場でGyoたちとスキーを楽しんでいる。

羨ましいかぎりなのだが、僕が暮れで多忙と思ったのか、あるいは年かさで足手
まといと避けたのか、連れてってもらうことができなかった。
それにしても、僕たちがスキーをはじめた頃の日帰り行程とは違って、ずいぶん
贅沢で余裕のあるレジャーになったものだと思う。
北海道にひとっとびして、正午前には「トマム山」を眺めながらゲレンデに立てる
のだから、ビックリです。

さて、どこまでレベルアップして次なる挑戦をしてくるのだろうか、既に体力的には
負けているが、も少し一緒に滑り降りてみたい気力だけはある。
想うに、Gyoが4歳でスケーリングからゲレンデスキーに乗り換えた同年齢にハル
がなった時、彼にもスキー板を初めて履かせて同じ経験を楽しみたいという企み
だった。
年月を経た、9歳、40代、70半ば代のスラロームを見てみたいものだと、外野は
囃すが、実現するだろうか、、。

(←ブログ:2014・1・13 「スキー」)
(      :2014・1・14 「星野温泉「トンボの湯」スキー②)

2016年12月23日金曜日

さんまと目黒川            1598

目黒川と対岸の桜(2016・12・21 影:Tab)

前から目黒駅に降り立つ機会があったなら、目黒川を観てみたいと思っていた。

正午過ぎにJR目黒駅でウメダさんに会った後、次の移動先まで余裕ができたの
で、「権之助商坂店街」を抜けて目黒橋を目指した。
目黒駅は山手線など4車線が乗り入れるステーションで、周辺では大開発が進ん
でいる。オフィスビルやツインタワーの住宅など高層の建物が建築される。
駅から歩いて10分ほどで目黒川に出た。想像していた以上に幅広で綺麗に整備
された立派な川だった。
目黒川の対岸ににも25階建てのマンションが建っているが、古い街並みと同居し
て落ち着いた雰囲気を感じた。さんまや桜など親しみやすい特色を生かした街づ
くりに注目が集まるのだろう。


「やすい会」忘年会に         1597


恒例の師走にある「やすい会」の忘年会に出席。

(←ブログ:2016・3・19 「今年初の「やすい会」へ」1319)
(←    :2016・6・12 「やすい会雑記」1404)
(←    :2016・9・24 「115回「やすい会」に出て)1506)


2016年12月22日木曜日

洋泉社に寄る             1596

急な訪問だったが、いつものことながらみなさん個々に参集してくれた。

映画秘宝編集部や歴史書編集部、資格もの担当者、ネット情報関係から実用
書の担当編集者らと小間切れに懇談できた。
映画▪歴史▪資格関係の本は、中堅以上の書店で今や十分に認知され、平台や
面陳列として目立つ展開になっている。

この一年は、従来のムック本主導から一部単行書籍にも力を注いできたようで、
話題になるものが出てきているのがうれしいい。
そんな中で、一読者として偶然にも書名に惹かれて一気読みした感動本がある。
『道徳感情はなぜ人を誤らせるのか』で、単行本としては長めの書名と、アダム・
スミスの『道徳情操論』(未来社刊)(岩波文庫『道徳感情論』)と、どう関係するの
だろうという即物的なリアクションからです。
冤罪を作り上げていく背景を圧倒的資料を基に、「人の心の変遷」(感情)として
解き明かす手法が斬新で、犯罪ノンフィクションの白眉と言える。
ほかにも、『塚本晋也  『野火』全記録』は映画製作現場を記録した、勇気のいる
出版で拍手したくなる。

暮れの大掃除を全社員で取っかかているところで、退散した。


五右衛門風呂を想ふ柚子湯かな     1595

(2016・12・20 影:Tab)
薪で炊いた五右衛門風呂に浮かぶ柚子湯に浸かって、「冬至」の夜を過ごした田舎
を想いだす。

僕が幼少の頃の田舎の家には、未だ水道を引いてなくて台所には水甕、風呂の水
は、裏庭に山から曳いた水が落ちる貯水槽があって、そこから大きなバケツで汲ん
できていた。
そして、湯桶は鉄丸出しの「五右衛門風呂」でした。
当時の風呂桶は近所どこも彼処も五右衛門風呂だったように思う。
大家族の家は、庭先に青天井で設置されており、子どもたちが入れ替わりの入浴で
燥ぐ風流な風景を見られた。

燃料の樵と水汲みは僕の役割だったが、特に水汲みは毎日の単調な作業できつか
った記憶がよみがえる。


2016年12月20日火曜日

わが家の煤払い            1594

(2016・12 影:Tab)
京都の、12月に行われる恒例の煤払いは終わっているが、僕の暮れの仕事にな
っている大掃除は手を付けたばかり。

民間の古くからの煤払いは、「正月事始め」ともいって、お正月を迎える準備の始
まりの日ということになるのか、、。
毎年のことながら、30日までに終えるように細かく刻んで予定を立てるが、最後
に追い込まれてしまうのが当たり前のことになっている。
さて初日は、ふろ場と備え付けの換気扇から、キッチンの換気扇まで比較的順調
に終えることができた。

年々、便利な掃除グッズが揃ってきて、段取りよくはかどり時間も昔の半分程度
で終了するようになっている。
軍手雑巾などがその典型で、薄いゴム手袋の上に軍手を装着して、細かいところ
の拭き掃除から、照明器具、TV・PC配線コードなどに付着した埃を指先感覚で
拭き取れて便利。
外回りで使うのが強力掃除ワイパーで、これを使うことで庭から2階や屋根際ま
での壁面を一気に清掃できるようになった。以前、外回りに要していた時間は一
日一杯使って疲労困憊したものだが、本当に楽になった実感がする。

(←ブログ:2015・12・25 「年末の大掃除」1234)
(←    :2016・11・7  「初めて挑戦!障子&襖の張り替え」1551)

2016年12月19日月曜日

ジネンジョの食べ頃          1593

数十年前頃は、田舎の祖父から自然薯(山芋)がヒノキの葉っぱと藁にくるまっ
て届いていた。

ジネンジョの食べ頃は、秋の深まりに始まり春先にかけてがベスト。
食べ方は、山椒の擂り粉木ですり鉢ですって、昆布だしの効いた味噌汁を丁寧
にブレンドしたものを、飯にかけてすするのが最高に美味。
僕が小さい頃から山芋堀につきまとい、すり下ろしの汁入れを手伝っていたこと
を覚えてくれ、かつ滋養強壮、健康増進を願っての送りモノだったはずです。

ところが、長いもやヤマトイモ(手イモ)はどこでも手に入るが、何年もかけて山に
自生する「ジネンジョ」は貴重でなかなか欲しくても手に入らない。
そこで、趣味のドライブで郊外へ旅したときには、「道の駅」や農家の出店などに
必ず寄って、限りなく「ジネンジョ」に近い品種を見極め買うことにしている。そして
入手したブランド名と土地のラベルを残すか明記しておくようにしているが、田舎
で食べたアレに当たったことはほとんど無い。
友人に誘われて秩父の山で「山芋堀」に挑戦したこともあるが、地質のせいか微
妙にアレとは風味が違う。

昨日JAで、あきる野台地で採れた「自然薯」と称する外面は限りなくアレに近い
ものに手を出し、さっそく、「とろろ汁」にしてみたが、どんぶり飯の追加とはいか
なかった。

(←ブログ:2015・1・27 「柚子と自然薯」898)
(       :2015・2・28 「じねんじょ」930)

2016年12月18日日曜日

献体についての驚き          1592

書影(装丁・中村宏)
亡くなったことを知らされ、なお、「献体」について認められていたので、どう
したものかと逡巡していたところに電話をもらった。

大久保さんとは、彼の最初の著作を上梓してからもしばらく交流があって、
その後、この45年ぐらい賀状のやり取りですませていました。
在野の言語学者である大久保さんは、とにかく僕の印象によると、家にこも
って研究と小説に取り組んでいる孤高な姿でした。
原稿の受け渡しや打合せでも、自宅以外だと国分寺駅前の喫茶店でした。
唯一、新宿で前衛的ルポルタージュ絵画の中村宏さんと門倉君と一緒の時
に同席した記憶があります。

知るところによると、肺マック(肺MAC)症で一年ほど通院して治癒に向かい
ながら、肺炎をこじらせたようです。
故人の意思で、病院に献体されており、美代子さんのもとに帰ってくるのは
まだ先のようです。僕には、その様な状況にあることがなかなか想像できず、
肩の荷が下りないだろうな、とかいろいろおもんばかっています。

(←ブログ:2016・12・7 「追悼  大久保そりやさん宅を訪ねた頃」1581)


2016年12月17日土曜日

S書店の人たちと           1591

(影:Can)

昨夜の「なにわ」での忘年会は、今年前半から色々とサポートしてもらったS書店
のアイディアマンたちとの懇親でした。

昔からの知人を介しての宴席になったが、若い書店人と話題をオープンに話せた
のが一番だったかな。歳の差、平均25歳か、現状認識できてよかった。
先ず出たのが、「文庫ⅹ」について。最初にやった、アイディア手法勝ちだが、二
番煎じは無理だよね、と。
次に出たのが、亡くなった信山社柴田さんのこと。I書店との2000年前後の関係
から、厳しい現実の経営がいよいよになれば、何とかしてくれるだろうと云う淡い
期待があったのではなかろうかと、うがった分析。ところが、そんな余裕はどこにも
ないだろうと。

書店の営業企画には、柱が一杯あるはず。売れ筋は売れ筋として追っかけるの
は当たり前で、自店の独自な商品セレクトと変動激しい出版社の発掘とかに積極
的に取り組むようしていると。
さらに、出版社は、若いのを積極的に動かさないといけないよ、と忠告される。

焼酎「三岳」を2本空けてお開き。


「大衆割烹なにわ」と阪神タイガース  1590

地下にあったころの「なにわ」
7年ぶりに「なにわ」へ。

十数年前、野球の納会や出版関係の会合でよく使っていた頃は、現在の場所より
少し離れたところに在ったが、いまは、「和亭なにわ」の看板で金華通りの中間を入
ったところで再開店している。
足が遠のいてしばらくになるが、店の女将は空白の時間を忘れて優しい立ち振る
舞いで、店を移動した経緯や僕の知っているお客さんの出入りを懐かしく一気に
話してくれた。

贔屓にしてかよっていた頃は、あまり思ってもみなかったが、落語会や新内、俳句
会、歴史の文化講座など多彩な催しを実現し、サロンスペースとしても有効利用し
ている雰囲気が漂っていた。
常連客からの提案をいち早く取り入れて、居酒屋で「落語会」をやるようになったの
も「なにわ」だったように思う。

女将にご主人が従うような感じだったが、とにかく大変なタイガースファンで、星野
監督と岡田監督で優勝した年などは、数回の出版社、取次、書店人の「出版虎の
会」の集まりを盛大におこなってきた。そのとき、女将はタイガースグッズを準備して
振る舞った。
その最愛のご主人は、難病で亡くなった。
供えてあった、ご主人の小さな写真に合掌。



2016年12月15日木曜日

富士山仰げず             1589

切通峠から(2016・12・15 影:Can)
今朝、ベランダから純白の富士山を遠望できたのに、昼過ぎからあきる野に出か
け、切通峠から丹沢山系越に見たが残念ながら雲で遮られていた。

富士山はいろんなことを思い出させてくれる。
2010年に仕事の現役を辞したとき、Gyoが僕たちを箱根芦ノ湖に連れ出し細や
かな慰労をしてくれた時は、湖の先に残雪をかぶった富士山がクローズアップさ
れた。

その富士山に僕は未だ登頂したことはないが、Gyoは既に高校生時に冷雨に煽
られながら友達と登った写真がある。そして、近い将来に彼はハルと一緒に挑戦
する計画を立てているようだ。四季で変貌する富士山の頂上を眺めながら、極め
た人の実感には到底及ばないが、想像に難くない気持ちになる。

また、東海道新幹線に一年に一、二度乗る機会にはE席の窓側に座り、小さな富
士山から大きな堂々とした富士山を目のあたりにできる富士川鉄橋付近まで車窓
を愉しむのが常です。
家のベランダからの遠距離でも、湖畔の至近距離でもズームアップ・アウトで旅の
記憶、食の感触までをよみがえらせてくれるのが富士山。


2016年12月14日水曜日

『証言と抒情』(野村喜和夫著)を読む 1588

書影
「詩人石原吉郎と私たち」の傍題をもつ新刊、『証言と抒情』を読みました。

明15日に、日ロ首脳会談が山口県長門市で開かれる。
思い出されるのは、第二次世界大戦後の(旧)ソ連によるシベリア抑留のことで、
石原吉郎が敗戦の1945年にソ連内務省軍隊によって連行されて、哈爾濱郊外
経由でソ連領に運ばれる。シベリア抑留という苦難の始まりである。

詩人・石原吉郎がシベリア強制収容所いわゆるラーゲリでの極限状況を経験し、
1953年のスターリン死去にともなう特赦でようやく、ナホトカから真鶴へ帰国を
果たす。
本書は、帰国後数年して衝撃的な詩を次々に発表し、1964年には、第一詩集、
『サンチョ・パンサの帰郷』によってH氏賞を受賞するなど、戦後の詩壇に特異な
地歩を築くに至る。さらに、ラーゲリ体験を「証言者」としての立場からエッセイで
語り始める。石原の1973年に刊行された『望郷の海』のころ、清水昶から「石原
は誰も経験できない極限状態を生き抜いた存在であり、自分の想像力を越える
遥か向こうにある」と聞く。
惹きつけてやまない何かを熱く追い求めていたように思う。

最近になって、なぜこれほどまで石原吉郎に関心が向くのだろう。
中島敦がそうであったように、彼らが1940年前後に、「満州国」や植民地南洋
諸島に行っているとき、親父もサイパン島に行っていることが通底しているのは
間違いない。
とはいっても、親父はなにもサイパンで生死の極限をくぐり抜けて帰国したわけ
ではない。

(←ブログ:2016・9・29 「石原吉郎と哈爾濱特務機関」1512)
(←ブログ:2016・10・2 「終わりの始まり」1515)

2016年12月13日火曜日

珊瑚礁が隆起してできた島       1587

竹富島(影:Can)
八重山諸島の石垣島から定期便で10分で竹富港に着いてしまう。
美しいエメラルドブルーの海に囲まれた人口300人余りの島。

港から白いサンゴの砂の道を踏みしめて少し歩くと、「なごみの塔」が在る。
のぼって、集落を俯瞰すると、サンゴ石灰を積んだ石垣に囲まれ、赤煉瓦屋根に
シーサーの睨みをきかせた平屋が建ちならんでいるのが見える。年間を通して気
温が高いため、蓄熱しにくい素焼き赤瓦を使っている。
台風の通り道になる島の環境風土に適した伝統の建築様式であるが実に美しい。
さらに、年に二回浜から砂を運んで、道と庭に敷きつめる習慣があります。

他の離島と同様に、この島も本土資本によるリゾート開発が進み、島民自らの「竹
富島憲章」も無力化しつつあるようだ。時よとまれ。
「石西礁湖」と台風のことから、竹富島台風通りに想いをはせてこんな語りになって
しいました。

(←ブログ:2016・12・12 「サンゴ 健康を回復するか」1586)

2016年12月12日月曜日

サンゴ 健康を回復するか        1586

石垣島と西表島の海域に広がる国内最大の瑚礁、僕もダイビングしたことのある
「石西礁湖」でこの秋、約6割のサンゴの死滅が確認された、との記事を見た。

オーストラリアの「グレートバリアリーフ」に匹敵する約400余種類のサンゴが生息
する沖縄の美しい海でなにが起きているのか、気にかかる。
潜水観察したレポーターによると、僕も3年前に泳いだ経験のある竹富島の南の
海中は、一面に広がる真っ白なカリフラワー畑さながらだった、と。
それは、知らないで見ると、--純白ドレスがなびく心ときめを誘う態かも知れな
い。
サンゴの生態に詳しい地元の人によると、この地域周辺のサンゴは過去の白化や
オニヒトデの食害で2005年に大半が死に、10年かけて少しずつ復活してきたが、
今年の白化でほぼ全滅を予測する。
2012年に石垣に行った時は、ホテルに足止めされるほどの大型台風に見舞わ
れたが、今年は沖縄地方を通過する台風が少なかった。台風は深海の冷水をか
き混ぜて浅瀬の珊瑚礁周りの水温を下げる絶大な効果があると云う。そうした自
然環境のなせる技が、今年はマイナス要素になって大量死につながったと分析
されている。
サンゴが死ぬと魚が寄り付かなくなり、その荒廃は漁業・観光いずれにとっても大
きな痛手のはず。

そこで、ダイバーたちは、漁業者たちによって養殖されたサンゴを別の場所に移
す(挿し木)プランが進められて、すでに11月末には実施され始めている。
こうした実践、感動的です。

都内最西端の田舎の本屋さん      1585

(2016・12 影:Tab)
奥多摩の「澤乃井・まゝごと屋」に最後の紅葉を観がてら行った。
そのと途中の青梅線二俣尾駅を通り過ぎて少し走ったところに、主婦の友の朽ち
た看板が目に入った。

これまで、何度も何度も往復した青梅街道ながら、この東京最西端の「多摩書房」
を見過ごしてきた。
さっそく、年季の入った店舗を概観して店内を見て回りました。
僕の田舎の吉井川沿いにも、駄菓子屋と本屋が一緒になった一軒家があったが、
佇まいが妙に似ていて懐かしさを感じさせられた。

店内は、10坪弱の板張りの床に平台と周囲を天井まで棚で囲い、話題の新刊の
「ハリポタ」や旅行ガイド、料理・釣りの実用書、児童書から新書、文庫と地の利を
生かした吉川英治本の棚など目配りされていた。
最奥には、成人向け雑誌コーナもありました。

午前中に、奥多摩町の図書館や個人の注文を毎日納品にクルマを30分ほど走ら
せ通うと、今日も帰ってきたばかりの店主・萩原さんと話した。
書店で残ったのは多摩書房だけになり、周辺にはコンビニが次々と開店し、雑誌の
売行きは急減して、子どもも少数になり厳しい状況にあるが、これからも変わらず
継続していく意思をにこやかに語ってくれた。
趣味の釣りを眼下の多摩川で楽しみながら、「本屋」ができる生業にすこし羨ましく
思った。

(←ブログ:2016・10・3 「居心地いいだろうな!「街の本屋」」1516)
(←    :2016・10・6 「長い付き合いの書店人」1519)
(←    :2016・11・10 「本とのであいのきっかけは様々あれど」1553)
(←      :2016・11・12 「ハリポタとくまざわ書店八王子店」1556)
(←    :2016・11・26 「立ち読みしたくなる棚」1570)










2016年12月11日日曜日

追悼 ジュンコウさん          1584

妙高高原にて(影:Can)
出版業界に入った最初の頃から、良き先輩であった清水Jさんが亡くなった報に
接しました。

出版社を定年退職してからは、渓流釣りを趣味にして、東北地方や信州、紀州
の渓流に釣りに入ったら一、二週間は釣りの旅を愉しむと云う風でした。
あるときは、彼を取り巻く三人組と称されていた一人のカマさんと鳥海山山麓の
岩魚釣りに出かけた。そのクルマ旅で二人は台風雨に遭遇し、標高1200㍍の
鳥海山登山口の誰もいない駐車場の新築したばかりの公衆便所を炊事場にし、
恐怖の風雨の音を耳にしながら夕食をとり酌み交す酒の勢いで一息ついたエピ
ソードを別々に聞いたことがあります。友人関係がリアルに語られた身に染みる
話です。
僕もまた、かつてクルマで象潟から海岸線を下がり、鳥海山ルートを登り朝焼け
の日本海に浮かぶ飛島をまじかに眺望したことがある。

ジュンコウさんが60歳の頃かと思うが、八重洲ブックセンターと人文会(1969
年設立)で親睦野球を挙行したことがある。そのとき、革靴をスパイクにして軟投
ながらコントロールよく投げ込む雄姿を見て、この年までは僕も草野球ができる
思いにさせてもらったこともある。
そしてまた、会社を興したとき、以降も経営についての助言がありがたかった。
冥福を祈ります。

2016年12月9日金曜日

ハヤシライス賛歌           1583

(2016・12・9影:Sca)
毎年この時期には、「ハヤシライス」がおくられてくる。

食べ物の話のなかで僕がハヤシ好きであることが知れわたったのか、あるいは、
贈り主である彼のこだわりの品定めが、そもそも、丸善「新厨房楽・ハヤシライス」
に決めているのかは定かではありません。
それにしても、一瞬、分厚い事典でも送られきたのかと思いながら、開封して出て
きたハヤシライスにびっくりでした。
知る人ぞ知る贈答品なのかもしれませんが、なかなかセンスいいなぁ、と感心させ
られました。

ハヤシライスの語源、発祥説は様々だが、その一説に丸善創業者の早矢仕有的
のエピソードにもとづき、牛肉と野菜のごった煮にご飯を添えたものを友人に饗応
し、それが有名となってハヤシ生みの親と称されるようになったとも。
「日本の洋食」とも呼べる「味文化」を生み出したところまで、蘊蓄を傾けられると、
ノスタルジックで一層賞味したくなる。
Suさんありがとうございました。いただきます。

いままで、ハイシライス・ハヤシライス追っかけをしてきて、僕のなかのベストは、。
倉敷の西洋軒、早稲田諏訪町の洋食屋、駿河台下の瓢、神保町のランチョン、上
野精養軒、浅草のハヤシ30’、吉祥寺のシャポールージュ

2016年12月8日木曜日

或る忘年会での、あえて一冊と一本   1582 

『シン・ゴジラ」原点が存在す(2016・12・7影:Sca)
事前に、今年読んだ本と観た映画で敢えてこの一冊と一本を挙げて、コメント
していた。

Um:『侍』 遠藤周作(新潮文庫)/「この世界の片隅に」 片淵須直
Es :『百年の孤独』 マルケス(新潮社)
Oj :『龍の鸚鵡』 辻原登(新潮社)
Os :『百歳の叡智』 大橋美恵子
Ds :『日本会議とは何か』 (合同ブックレット)
Ky :『背信の都上・下』 J・エルロイ(文藝春秋)
Kh :『パリはわが町』 グルニエ(みすず書房)/
   「喜劇 女の泣きどころ」 瀬川昌治 
SJ:『最後の秘境 東京藝大』 二宮敦人(新潮社)
Ss:『頼山陽上・下』 見延典子(徳間書店)/「君の名は」 新海誠
Sy:『死ぬべき定め』(みすず書房)/「青春の殺人者」 長谷川和彦
Jt :『食う寝る坐る永平寺修行日記』野々村馨(新潮文庫)/
   「利休にたずねよ」 田中光敏
St:『まわり舞台の上で』 荒木一郎(文遊社)/「シン・ゴジラ」 庵野秀明
Tk:『ツンドラ・サバイバル』 服部文祥(みすず書房)/
   「エヴェレスト神々の山嶺」 平山秀幸
Th:『城の崎にて』 志賀直哉(新潮文庫)
Ny:映画「シーモアさんと、大人のための人生入門」 イーサン・ホーク
Bt:『赤ヘル 1975』 重松清(講談社文庫)
Ha:『「諸君!」「正論」の研究』 上丸洋一(岩波書店)
Fk:『道徳感情はなぜ人を誤らせるのか』 管賀江留郎(洋泉社)/
   「サウルの息子」 ネメシュ・ラースロー
Mk:雑誌「サライ」購読 
Mt:『日本会議の研究』 菅野完(扶桑社)/「さざなみ」 アンドリュー・ヘイ
Ym:『下町のロケット2』 池井戸潤(小学館)/
   「すれ違いのダイアリーズ」 ニティワット・タラトーン
Yk:『保守主義とはなにか』 宇野重規(中公新書)/
Wk:「本の窓」連載巻頭の菅原文子エッセイ
Ym:『ポロポロ』田中小実昌(河出書房新社)/「この世界の片隅に」 片淵須直
 
 


2016年12月7日水曜日

追悼 大久保そりやさん宅を訪ねた頃   1581


また、喪中の挨拶状が届いた。
夫・靖生が八十三歳で他界いたしました、と奥方からの文面でした。

1960年後半に度々び原稿を貰いに国分寺駅に降りていた。
そして、三年あまりをかけて念願の主著、『言語学批判と共産主義』を刊行する
ことができました。(1971年11月刊)

著者が京都大学文学部言語学科の卒業論文製作のためにテーマにしていた言
語観を、その後徹底的に再考し直すなかで独自に概念化した「言語体」を表出
する時期でした。
梯明秀の諸労作を手引きにして、「経哲草稿」や「ド・イデ」をして生産的労働に
関してだけでなく、資本主義社会の言語生活全体を支配する考えを示したところ
が一部の人に注目され始めていた。
「言語活動」については、ソシュールや時枝誠記らの言語学者によって概念的に
は明らかにされているが、、。

当時、吉本言語論の「自己表出」と「指示表出」や、三浦の「言語図式」や、中井
正一「委員会の論理」など注目されていた。それらを評価する一方で、陥穽、ほこ
ろびを旺盛に批判する立場をとっていた。

出会いは、「芸術国家論集」同人仲間の門倉、田中、辻野たちとの編集会議でし
た。他に中村宏さんや織田達郎さんが同人の周辺にいました。
大久保さんは在野の言語学者でしたが、志は一貫して持続され変わらなかった
ったと思います。訃報に接して僕が残念に思うのは、後半長く直接お会いして課
題にされていた「言語共産学」による「超小説」の完成を聞くことなく、空白の時間
をつくったままであることです。 合掌。

2016年12月6日火曜日

昼は神保町ランチョン夜は新宿忘年会  1580

神保町すずらん通りの「文房堂」での中原淳一小展を観に、都心に出て来た、
薩摩おごじょをbeer hall「ランチョン」に誘って、ビール&オムライス。

二階の窓際の席で靖国通りのユリノキの落葉を見ながら、店主の御兄さんが注
いでくれたジョッキーの生ビールをゴクリと飲む。やはり、うまいビールだ。
人気メニューの一つであるオムライスは、昔、倉敷の「西洋軒」で食べた味が忘
れられず昼食にわざわざ行くことがある。
若い女性が一人で、本を手にしてジョッキーを持っている姿を見て、楽しみ方も
変わっているなと思った。

その後、打合せを一つすませて夜の新宿での「忘年会」(セッちゃん会)へ。
業種がまちまち、男女半々の春暮れに召集されるオープンで楽しい集まり。

西谷和歌子さん墓前に         1579

(2016・12・3 影:Tab)
「歩け歩け」の企画にのって、文京区小石川へ行き会食、散会後に、小石川伝通
院裏の「真珠院」を一人で訪ねました。

真珠院には、未来社創業者・西谷家のお墓があります。
西谷能雄さんの奥様が8月に亡くなってご家族だけの見送りであったことを後に
知りました。
未来社に入社したころは、何度か2,3泊の社員旅行があり、社長夫人も同行し気
さくに皆に接していた立ち振る舞いを思い出します。
また、僕が20年間在籍した未来社を去るときも、わざわざ山王の自宅に招かれて
西谷社長(当時)共々に、寿司をつまみながら激励されたことが忘れられません。

傳通院の裏手、未来社の隣にある真珠院は由緒あるお寺で、西谷さんが好んで
自分のお墓まで同じ場所に決めた経緯だったと思います。
今までも境内に入ったことがあるのですが、西谷家の墓とならんで「鈴木茂三郎
夫妻」の墓石が建っているのに気づき、何か縁があるのかなと思って手を合わせ
ました。

2016年12月4日日曜日

上田毅君を悼む            1578

4・7の会(2012・4・7 影:ピクト)
帰宅すると、yuから「京都の上田さん亡くなったみたいよ」と、聞かされる。

昨年の便りで療養中と知らされていたが、まさか亡くなっていたとはついぞ思わ
ず、ショックです。73歳。
僕が一線から引退する際「囲む会」を開催してもらったが、その時わざわざ京都
から駆けつけてくれた。
そのうえ、深夜までW時代の旧友と親交をあたため、翌朝はかつて下宿が一緒
だった馬場下の「東京荘」(現、ライオンズマンション)周辺を散策して、京都へ帰
って行ったのである。

学年は僕より3学年下で、辺見秀逸と特に仲が良かったように思っているが、彼
はフランスに遊学して直接の付き合いは絶えていた。
その後、京都で「フグ料理店」をやっている親父さんが亡くなり、料理見習い経営
者になることを決断して帰国したはずです。
そうこうしているうちに、関西に出張すれば彼が調理場に立つ「末廣」に寄り仕事
が跳ねるのを待って一献と相成ったものです。
また、洋泉社から『おそめ』を出版した際には、上羽秀(おそめ)とは近所で、子ど
ものころからの付き合いがあると云うことで宣伝で一役買ってもらったこともある。
Gyoが京都へ遊びに行っては、お世話になっています。
ずっと、僕は丁寧に接してくれる上田君に親しみを感じつづけ、なにかあるごとに
東京にさそい、関西方面へ出かければ京都に宿を取り一緒に呑み惚けをこの年
まで良しとしてきました。

人は必ずや彼岸にいくものながら、親しい人、殊に年下の人の死は堪えます。
今年中にできれば京都に行ってきます。

(←ブログ:2012・4・8 「4・7~囲む会に126名が出席」71)





2016年12月3日土曜日

小石川・茗荷谷の文京の地を歩く    1577

国際文化会館(2016・12・3 影:Tab)
茗荷谷駅前に集合して、歩き始めたのが10時。

小石川・茗荷谷は江戸時代、大名や旗本の屋敷が甍を接し、明治以降は、お茶の
水女子大学、東京教育大学(現・筑波大)、拓殖大学、跡見学園などが集まり、緑
豊かな文京の地となりました。
その由緒ある建造物やお寺を見て歩き、小石川植物園を回遊する15㌔3時間余
りのコースでした。天気に恵まれたが、最終ではあせがジワリと噴出した。

茗荷坂→林泉寺・しばられ地蔵(現住職江田和雄和尚は学生時代の知人)、古くか
らの女友だち・セキネちゃん宅もこの辺り→蛙坂→深光寺・滝沢馬琴墓→拓殖大学
国際教育会館→お茶の水女子大学本館・正門→茗溪会館→都バス大塚車庫跡地
→窪町小学校→湯立坂→旧磯野家住宅→教育の森公園→占春園→共同印刷本
社→小石川植物園→播磨坂、極楽水跡、石川啄木終焉の地、高橋泥舟・山岡鉄舟
旧居跡→茗荷谷駅
イタリアン市場食堂で会食。

(←ブログ:2016・10・8 「朝霧の水の都をたずねる 1」1521)
(←ブログ:2016・10・9 「運河と掘割り/水巡り2」1522)
(←ブログ:2016・10・10 「堀部安兵衛・写楽・伊能忠敬/水巡り3」1523)
(←ブログ:2016・10・16 「江戸港発祥跡を目視しながら/水巡り4」1529)

2016年12月2日金曜日

一日三杯のコーヒー          1576

(影:Tab)
僕は一日に家で飲むコーヒーの量を三杯ぐらいと決めている。

すずらん通りの「豆香房」で、焙煎したばかりのストレート「カロシトラジャ」を
200g分粉にしてもらった。
入りたての新鮮な香りがたつトラジャを早速、ドリップして飲んでみる。
まろやかな苦味と独特の香りが最高によく、あとまで余韻を楽しめた。
酸味の強いものも好みだが、この豆は指数が低い。

会社人間であった頃、神田駅西口通りの店が社に近かったので、オープン
から打ち合わせなどでよく出入りしていた。
焙煎士のオーナーは、ブラジル、ハワイ、インドネシア、エチオピアなど世界
の産地農園に頻繁に出かけて買付けた徹底したセレクト豆を提供してくれ
る。
また彼は現地の農園主と交流を深めて、土壌の保全や天然水源と動植物
の保護や、年々の生産に自然環境の永久サイクルとして生かされる実態を
見聞している。

(←ブログ:2015・5・16 「こだわりの一杯のコーヒー」1010)


黄褐色のカラマツの並木道       1575

カラマツ並木/あきる野(2016・12・1 影:tab)
黄色から黄褐色にかわる落葉前の冬のカラマツ並木道。
本屋さんに行くあきる野の広っぱサイドの街路樹として凛として聳えている。

今夜あたりから都心では、冬の並木道というイルミネーションで染まった「美し
い」歩道を年々多く見かけるようになったが、落葉針葉高木の樹木そのものの
風格を味わうのも、しんみりしてイイ。

あきる野台地が火山灰土壌で、都心より3度前後低い寒冷とひあたりも良い
自然環境によって、ギリギリ自生できるのだろう。