2017年11月30日木曜日

良太のサイパンとは、、、①     1941

わたし(リョウタ)は、日本の学校の先生として昭和16年(1941)4月に南洋庁
サイパン島へ行きました。

東京の親戚関係者にあいさつを終え、横浜港から「サイパン丸」でサイパン島の
サイパン港に一週間を要し着く。初めて上陸して見る南洋の島。
サイパン島は、東京から南東に約2500㌔の所に位置し、日本本島から最も近い南
洋マリアナ群島に属している。ほぼ「霞ケ浦」の広さだ。(沖縄本島の10分の1)
熱帯圏にあるため、春夏秋冬はなく、平均気温27度の常夏の島であり一年中泳ぐ
ことができる。一日のうちスコール(驟雨)のラッシュアワーがあること多し。
戦前戦中は日本の委任統治領だった。
(現在のサイパンは、アメリカ自治領のためアメリカ文化の島となっている。)
16世紀ポルトガル人のマゼランが大航海で発見して以来、スペイン統治が長く続
いた。次のドイツが引き継ぎ、第一次大戦後は日本の統治領となった経緯がある。

日本の統治領だけあって、チャモロ人(原住民)の案内する流暢な日本語に驚き
ながら、官吏宿舎である「教師の家」へ落ち着く。
家の生垣にはハイビスカスが植わっており、一段と大きな真っ赤な花が一面に咲
き誇っているよ。
(或る事情で、父の雑記帳や写真の大半が散在してしまたので、母宛のわずかな
葉書と数枚の写真および、今は亡き母と祖母からの口承の記憶から想像するしか
ない。)



2017年11月29日水曜日

或る忘年会での~あえてこの本    1940

書影
今年も、もうこんな時期か、と思わせる出版関係の忘年会があった。

その日、ボクは調整がつかず参加できなかった。だが、昨年から年の最後に開か
れる本会では、「今年の収穫本」を個々人が一口コメントするイベントがあるの
を知っおり、注目していた。
そのまとめが、いつも大任を果たす幹事役から届いた。ありがとう。
昨年に続く二回目のアイデア企画だと思うが、想像以上に読み応えのある冊子風
体裁に進化しているのに驚いた。メンバーのノリのよさがうかがえる。

ボクが事前に送ったメモ書きです。
【本】辺見庸&日取真俊『沖縄と国家』(角川新書)
組織や集団に属さない「単独者」二人が、差別される沖縄のありようを肉体言語
に対して頭脳をけずる言語で肉薄する。
【映画】是枝裕和監督/阿部寛・真木よう子『海よりもまだ深く』
昨年観た『海街diary』で、是枝監督の世代間の人生機微こもごもを見せる演出
にニューウェーブを感じた、、at<清瀬市旭が丘団地>の舞台が泣かす。

(←ブログ:2016・12・8 「或る忘年会での敢えて一冊と一本」1582)

2017年11月28日火曜日

京都大徳寺・方丈庭園へ 記憶の深層⑭ 1939

大徳寺・方丈庭園(1965・8)
京都への旅行中、なんと多くの寺社を見たことであろう。

しかしいつも参拝もせず、観もしなく見ていた。歳のいったおばあさんみたいに
あれも良い、これもいいと寺社を好きなようにみていた。寺社とか仏像の前に来
ると、自然に、どんな人がどうして、どんな歴史背景で、など調べたくなり自分
の観点から観ていないのではないかと、、。
いやそれより、寺社、神社などに惹かれるのは若さの欠如ではないか、かつて、
17、8歳の時、「音楽喫茶」に入り浸った青春の若さがなくなってしまったの
ではないか。23には23なりの若さが、幾つになってもその年代・時代の先端
をいく若さを保ちたい。

こう記したのは、恥ずかしながら京都柴野・大徳寺三門をくぐり「方丈庭園」の
枯山水の庭でだった。


2017年11月27日月曜日

こだわりのメタセコイア       1937

(2017・11・27影:tab)
きょう、またまた偶然、横浜線橋本駅を出た近くで直径1メートルはあろうかと
思われる大樹、「メタセコイア」を発見した。

その木は、高等学校の運動グランドらしき敷地内にすっくと立ち振る舞っていて
葉っぱがそよいでいた。
葉と樹皮を直に触って見たいのだが、2m以上の塀にさえぎられてどうすること
もできないし、未だ落葉が一枚も見当たらず確証すること叶わずでした。

「植物の世界」(朝日百科)によると、雌雄同種の高木で、葉は対生し長さ2㌢
ほどの線形の葉が2列に水平に並んで羽状の短枝をつくる。秋になると短枝ごと
に落ちる、と記載されている。
帰宅して、クローズアップで撮った写真で点検したところによると、ほぼ「メタ
セコイア」で間違いないようだ。
因みに、「カラマツ」は、短枝に束生葉を互生する、とあることから区別できる
ことがわかった。
西武秩父駅前ロータリーの巨木メタセコイアや、軽井沢「すずかり」冬の窓外に
映えるカラマツを想いながら、身近な疑念にとらわれている。

(←ブログ:2017・11・25 「メタセコイアの紅葉並木」1935)

2017年11月26日日曜日

津波襲来の不確実を前提に対策を   1936

大槌の御祖母ちゃんは、3・11大津波襲来の日、最初の大きな地震の揺れで立
っていることができず床柱にしがみついておさまるのを待ったという。
次にとっさの判断で、着の身着のまま常備したリュックを背負って福祉協議会の
サポータの先導に従って近くの菩提寺裏山へ逃れて助かった。

このことは、古く昭和8年の三陸地震津波の被害を経験した教訓化として、町民
の皆に伝承されてきた。遺訓の碑だけは旧ふれあいセンター前の広場に流出する
ことなく淋しく建っている。
「津波てんでんこ」、「高台へてんでんこ」の実践です。

国際津波防災学会のロバート・ゲラー(東京大学名誉教授)は、東日本大震災で
は大地震が津波をもたらした。地震学だけでは津波を解明できず、地質や火山、
海洋など横断的に幅広い知見を集めることが不可欠との考えから学会を立ち上げ
ている。
11月11日に開いた設立総会では、重要な納得の指摘が数多く出ている。
「とにかく逃げろ、と訴えるだけでは高齢者らがとりのこされる。実情に合った
避難計画の策定を」とか、今回の3・11で車が津波に流され多くの人が犠牲にな
ったのを教訓に「水に浮く車ができれば命を守れる」などの提案が出ている。
さらに、これからの防災はAIの活用も大事なテーマになってくるのだろう。

(←ブログ:2015・3・11 「御祖母ちゃんの<津波てんでんこ>!」942)

2017年11月25日土曜日

メタセコイアの紅葉並木       1935

(2017・11・25影:tab)
きょうは、あきる野台地のメタセコイアの紅葉がいばん映えるときに出合えた。

昨年同じ時期に、黄色から黄褐色にかわる落葉前のカラマツ並木を歩いた、と記
録してているが、メタセコイアと間違っているのではないかといまでは思ってい
る。
カラマツはマツ科で、メタセコイアはヒノキ科(スギ科)からして、異種のはず
だが、素人には分りづらい。樹高は30mほどに成長することや、葉は秋になる
と黄色から褐色に紅葉し落葉するところなど同じに思えるが、、。
カラマツの花は5月頃に咲き、新録の葉のついた様子が唐模様に似ていると云う
うことなのでそのときに分別できるかも知れない。

因みに名前の由来は、常緑樹であるセコイアに似た木の化石としてメタセコイア
は発見された。

(←ブログ:2016・12・2 「黄褐色のカラマツ並木道」1575)

ボランティアと非営利活動法人の齟齬 1934

3・11の震災被災地の子どもたちに本を届けるボランティア活動をする過程で、
独りより何かと活動に広がりができ効果的かなと考えて非営利活動法人(NPO)
の登録をした。

そして認可されたのは、申請準備から都庁に書類提出して一年余り経ってからだ
った。この間に、朝日新聞(全国版)や読売新聞で大々的に報じられたことで、
選択できないほど、児童書ばかりでなくいろいろな本が過剰に被災地に集まった。
こうして、初期の目的が早い時期に達成されることになり、わざわざ認証された
NPOをどう活用するか試行錯誤しあぐねているうちに、とりたてて事業らしい事
をすることなく法人活動をしていないといえる状態にある。

いま思うに、早い時期に若い人を組織化したり、スタッフ要員を確保して、練り
上げておけば、記録映像の制作や被災生活者の支援と聞き書きなど活動の継続が
できたように思ったりしています。

特定非営利活動法人になると云ううことは、「法人」としての煩雑な雑務処理を
クリアーしなければいけないことをおもいしらされました。
なお、3・11大震災を「風化させまじ」の思いは強く、大槌町に出かけたり、
情報交換と発信は、永続していきます。
日本年金機構との話し合いから、、。

2017年11月23日木曜日

エアロバイクを再開す        1933


秋も深まり、運動公園も隣りとなるとジョッキングするのがいいのだが、まずは
エアロバイクで室内トレーニングすることにした。

加齢と肺炎による体力消耗で筋力が極端に低下している実情を、現状維持するた
めの方策としては手っ取り早い。それと、家の近くの公園を周回する程度のこと
だが、この時季の冷え込みは億劫にさせられる。
一時はgyoの走るマラソンランナーの機微を見ることで、自分も昔の走力を想い
出し少し鍛錬をして並走してみたい思いにかられたこともあったが、いまは諦め
ている。

さて環境は別にして、ジョギングするのと、どう違うのかだが、エアロバイクは
走力ではなくペダル運動なので膝に大きな負荷をかけずに「有酸素運動」を行う
ことができる。また、ジョギングのように急激に全身を動かす運動は、膝や足首
に障害を起こす恐れもあり、ちょっと退いてしまった。

雨の日も、室内運動なのでTVニュースを見ながら、音楽を聴きながら軽いノリで
可能なのかと、、。
当面は、隔日ペースで20分ぐらいかけて習慣化させたいと思っている。

2017年11月22日水曜日

吸わなくなったワケ         1932

僕が上京した1960年代の初めごろは、たばこをわれ先を競って嗜む風潮でし
た。自分自身は、親父のトラウマがあって二十歳過ぎまでは酒もたばこも遣らな
かったが、煙草のほうはその後喫煙するようになった。

当時、議論が沸騰して、濛々と煙が立ち込める部屋のなかにあっては、美味しく
感じるでもないのに、吹かすことで事が進んでいる気分になったものです。
吸いつづけるうちに、美味さを嗜好するようになって60歳過ぎまで、間断なく
一日20本から40本は吸っていた。
ずっとずっと、軽めの「キャスターマイルド」オンリーワンだったので止めよう
と思えば自分の意志でいつでもヤメラレルと内心では思っていた。だが酒席での
手持ち用必備であったことと、健康など弊害説に竿差ししたい気持ちという、然
したる理由もなく惰性喫煙だった。

それが、14年前の母の死によって煙草とは全く無縁になった。
葬儀を終えて倉敷から東京に帰ってくる新幹線で、息切れするほど咳き込み苦し
みました。その背景は、母の急死の知らせで駆けつけた通夜からずっとチェーン
スモーカで急性ニコチン中毒の症状があったことによる。
「お母さんがタバコを止めてみたら、と言付かも」のyuの一言で、決断した。

さて、世の中はなんでもグループ分けして特定の部分を排除する思考がある。
吸う吸わないは、身体論的に自由であっていいわけで、分煙と飲食店はエリア分
けなどで対応すればいいことだと思う。

2017年11月21日火曜日

藤村の『破戒』を読む        1931

藤村(中央)と小諸義塾の学生&塾長(右端)
島崎藤村の『破壊』を原作とする映画「破戒」を観て、長編小説を読み直したと
言った方がいいかも知れない。
本棚の奥から「藤村全集第二巻」を引き抜いて、その中に収録された本篇を久し
ぶりに読んだ。

さて、映画は市川崑監督が和田夏十の脚色のもと映像化。音楽・芥川也寸志。
部落出身であることを隠し生きる小学校の青年教師の苦悩を市川雷蔵が熱演。
共演者は、同僚に長門裕之、敬愛する部落民開放運動家に三國連太郎、心通わせ
る同僚教師の娘・志保に藤村志保。
本作で初々しくデビューした藤村志保は、原作者と娘の役名を芸名にしたことで、
印象に残っている。

『破壊』は、明治39年(1906)に初版が発行され。藤村が初めて書き下ろした
長編小説で話題になったが、作者自身、思うところあって絶版とする時期があっ
たと自戒している。
そして市川崑は、「差別をするなと訴えるだけじゃなくて、自分たちがもっと自
信を持てばいいじゃないか、ただ悲しむだけじゃなくて、もっと強くなれ、そし
たらいつか同じ立場になる」といテーマが加わって、原作とはちょっと違う開放
感がある。

主人公の丑松が自分の身の上を教室内の子供たちに告白するクライマックスの臨
場感は圧巻です。泣けてくる。

(←ブログ:2017・1・6 「『海よりもまだ深く』を観る」1612)
(←ブログ:2017・1・21 「時空を超える映画体験ってイイな!」1627)
(←ブログ:2017・1・29 「浅丘ルリ子主演の『執炎』を見る」1635)
(←ブログ:2017・3・1 「鈴木清順監督の美学」1666)
(←ブログ:2017・3・2 「『関東無宿』と『殺しの烙印」を見る」1667)
(←ブログ:2017・3・28 「『若者のすべて Rocco』観る」1692)
(←   :2017・4・22 「映画『黙秘』を観る」1718)
(←   :2017・4・28 「『湯を沸かすほどの熱い愛』を観る」1724)
(←   :2017・5・3 「『ちかくてとおい』映画観る」1729)
(←   :2017・6・18 「『誰のせいでもない』を観る」1775)
(←   :2017・7・7 「『けんかえれじい』を観る」1793)
(←   :2017・7・29 「映画『哭声/コクソン』を観る」1816)
(←   :2017・9・25 「『愚行録』を観る」1873)
(←   :2017・11・3 「ティエリー・トグルドーの憂鬱」1912)



2017年11月20日月曜日

江の島岩屋巡り/記憶の深層⑬    1930

江の島に初めて行ったのは、高校の修学旅行。
これは、二度目の初夏に行ったときの記憶になる。

江の島駅から商店街を抜け片瀬海岸に出て弁天橋を渡ると、樹木におおわれた
なかの青銅の鳥居から参道へと続く。
境内には、「錢洗いの池」があり、その水で洗った5円玉がいまもわが家に有
る。「種銭」となって増えるというが、残念ながらそんなことはなかった。

江の島信仰なるものがあって、遠方から来島する人も少なくないと云うことで
民宿が並ぶ。今では日帰り悠々の場所ながら、、民宿に一泊したのでした。
島は狭いが、地形は起伏に富み、島の南西端の絶壁の下に造られた岩屋に着く
ころは、息絶え絶えでした。
岩屋のなかは150mぐらいつづき、岩からしみ出した清水が体にかかり、鳥
肌がたつ。壁際には弘法大師や日蓮上人信仰の人たちが奉納した石像が並ぶ。
yuは狭所恐怖症気味で、岩屋(洞窟)に入るのをためらった。
外の潮だまりのカニや小魚と戯れていた。

民宿の夕食に出された、獲りたてのシラス釜揚げ丼と生シラスが、この旬この
地場でしか味わえない美味でした。
鎌倉や伊豆方面に出かけるときのドライブでは、江の島海岸は通るが、再再度、
島に渡ったことはない。

(←ブログ:2016・2・22 「記憶の深層/東京で最初の川苔山登山」①1293)
(←   :2016・2・25 「犬吠碕へ/記憶の深層②」1297)
(←   :2016・6・18 「関の五本松/記憶の深層③」1410)
(←   :2016・6・26 「悠久の多胡の碑/記憶の深層④」1418)
(←   :2016・7・2   「由緒ある場所/記憶の深層⑤」1424)
(←   :2016・7・12 「洛北の寂光院~三千院/記憶の深層⑥」1434)
(←   :2016・7・13 「猊鼻渓舟下り/記憶の深層⑦」1435)
(←   :2017・2・18 「小諸なる古城のほとり/記憶の深層⑧」1654)
(←   :2017・2・25 「その昔東京荘があった/記憶の深層⑨」1661)
(←   :2017・7・26 「高田南町・のぞき坂の頃/記憶の深層⑩」1813)
(    :2017・7・30 「映画「秋津温泉」の奥津峡/記憶の深層⑪)1817)
(    :2017・10・31 「小瀬温泉と山の怪/記憶の深層⑫)

2017年11月19日日曜日

小雪                1929

今朝は、今年一番の冷え込みとか、、。
冬の24節気の「小雪」。しょうせつとは、雪が降り始める頃です。
こゆきではなく、しょうせつと、地下鉄千代田線「新御茶ノ水駅」ホームの壁面
のタイルモザイクに綺麗に表現されていますよ。

冷え込みが強くなると、「雨も雪となりて下るが故なり」のとおりです。
今日も、新潟は山寄から市街地まで雨から初雪に変わりゆく風景の便りがあった。
冬支度とともに、これから大雪から冬至を越えて慌ただしい暮れへと一気に行事
や忘年会などをコナシテいかなければなりません。
そんなときでも、「風花」が舞うと過ぎ去ったさまざまな事や心象風景がよぎる。



2017年11月18日土曜日

模擬「学芸員」になったハル     1928

「展覧会」と関係ない自主制作(影:tab)
きょうは朝から、小学生の「アート展覧会」の会場に出かけた。
一昨年に続く参観だったが、一ヶ月半ぐらいのロングランで、いくつかのテーマ
によって根気よく創造的に仕上げた作品群はどれを見ても見栄えしました。

作品については、個人情報、肖像権保護のため公開できない。
テーマは、夢の商店街、エッシャーに学ぶ、宝島発見、ミシンかけ裁縫、そして
高学年全員の共同アートワークが天井に結んで繋がれていた。
そして、実体験教育の一環だと思うが、生徒自ら「学芸員」になって、それぞれ
のテーマ作品を客観的に俯瞰し、保護者や地域の皆にガイドしていたのが際立っ
てみえた。

ハルは、「宝島発見!」の平面作品群の前に寄ってくる父兄を積極的に捉まえて
制作過程で苦心したところや見どころを張りのある声で紹介していた。
心配しながらの、蔭でこっそりお手並み拝見だったが、成長を感じさせるもので
安堵した次第。

2017年11月17日金曜日

坂戸とつながる東山道武蔵野路跡⑥  1927

東山道武蔵路跡
東山道は都と地方の国府を結ぶ古代(7世紀後半頃)の官道(幹線道路)で、
全国7道の一つ。

武蔵路は東山道の本筋から上野国新田で分かれ、武蔵国府(府中)に至る東山道
の支路で、通常武蔵路と呼称されています。ルート間では所沢市など20か所程
で道路遺構がされている。今回歩いた指定地区では、総延長490mにわたって
遺構が確認されており、アスファルトで整備されていた。側溝もあり道幅は12
mと、そうとう広い。発掘された側溝の位置と形状を道路上に色を変えて、忠実
に表面表示しているので、古道を踏みしめる実感がある。

11世紀前半には道の機能を失ったものと考えられる。
いまでは、イベント会場や臨時駐車場にもなるらしい。

後日、西国分寺駅南口前のBOOKS隆文堂によって、スズキさんと国分寺跡の話に
なると、国分寺極周辺本から沿線地域本の棚&平台の前に立ち、「武蔵国分寺」
のタイトルのつく数冊を教えてくれた。

(←ブログ:2017・11・3 「武蔵国府と国分寺を歩く ①」1913)
(←ブログ:2017・11・5 「大國魂神社とくらやみ祭 ②」1915)
(←ブログ:2017・11・10 「馬場大門のケヤキ並木と祖父母③」1919)
(←ブログ:2017・11・12 「武蔵国分寺跡から湧水群を歩く④」1921)
(←   :2017・11・15 「国分寺崖線下に湧水群とお鷹の道⑤」1925)

2017年11月16日木曜日

「万波を翔る」と『世界を見た幕臣たち』1926

書影(2017・9・19刊)
日本経済新聞の連載小説「万波を翔る」(木内昇作)を読んでいる。

幕末遣外使節団の一員として随行した田辺太一の、現掲載は前段の物語である。
すでに221回に及ぶ筋書きのことではなくて、最近発売された新書を手にした
我が読書との偶然のつながりについてです。
その歴史新書は『世界を見た幕臣たち』(榎本秋著)。

傍題に「幕末遣外使節団の軌跡」とあるように、明治維新への原動力は坂本龍馬
や西郷南洲、大久保利通、桂小五郎、高杉晋作等、維新の志士たちだけではない
よ、と。ペリー来航以降の欧米列強の圧力と、それに対する排外意識、そして外
交問題が錯綜する歴史的ターニングポイントのもう一つの事実を語る。
近代日本外交の始まりとして、明治4年(1871)の岩倉遣欧米使節団は知っ
ているが、先立つこと十数年前から江戸幕府によって七度使節団が派遣されてい
たことには疎い。

その一つ、攘夷派を抑えるための「ダメでもともと」の遣仏使節団が、文久3年
(1863)に横浜を出発した。この一行(36人)の中に、小説「万波を翔る」
の主人公・田辺太一が加わているのを知る。
予備知識のなかった田辺についての、活躍歴や著作まであることが分り、小説の
展開上大いにイメージを膨らませることができ幸運な水先案内になりました。

来たる2018年は明治維新百五十周年。この激動の時期は、虚構と歴史学的間
で、新発見が未だまだあると思われる。

2017年11月15日水曜日

国分寺崖線下に湧水群とお鷹の道④  1925

真姿の池(2017・11・3:影tab)
国分寺崖線(ハケ)下には、湧水点がいくつか見られ、その一つが「真姿の池と
湧水群」です。かつては飲用水としても利用されていた。
この池の周辺は、ケヤキ、スギ、サクラなどの雑木林にかこまれ、市街地の中に
在りながら自然の美しい景観が残っています。名水百選にも入っている。
「真姿の池」からの小川に沿った小径が東西伸びていて、「小鷹の道」という。
この辺りの村は、尾張徳川家の「お鷹場」と呼ばれるようになった。

この真姿の池のことで、友人の井出彰の著作『里川を歩く』(風濤社)を思い出
した。この本の一項に「野川を歩く~ハケのあちこちから湧水」があって、ボク
の歩いたのとは逆に、国分寺から野川を経て源水をたどる、落葉時期の崖線巡り
の名文がある。

(←ブログ:2017・11・3 「武蔵国府と国分寺を歩く ①」1913)
(←ブログ:2017・11・5 「大國魂神社とくらやみ祭 ②」1915)
(←ブログ:2017・11・10 「馬場大門のケヤキ並木と祖父母③」1919)
(←ブログ:2017・11・12 「武蔵国分寺跡から湧水群を歩く④」1921)


ブックメイツ新百合ヶ丘店へ     1924

(2017・11・13影:tab)
小田急沿線で打合せを設定していたので時間調整がてら、「ブックメイツ新百合
ヶ丘店」に寄った。新百合ヶ丘の改札を出て1分のところに、寄って、見て、買
って読んでください、と、本の情報が圧縮されたオープンな店内に誘われる。

突然の訪問で、店長はパソコンに向かって仕事中だったが、すっくと起って話し
合いに応じてくれる。
一昔前とは様変わりして、エキナカの書店でも地の利を生かして個性的な見せ方
をする棚や平台にポップ・パネルを見かける。
この新百合ヶ丘店では、カノウ店長自ら新刊書の初期スペースから本を移動させ
ながら読者を発見していく手法で、売り逃しをしたくない思いが伝わってきた。
このことを書店員に徹底されているのが、明るい会話が弾んでいるなかに感じ取
れた。

「洋泉社新書フェア」が歴史書を中心に目立つ展開だったので、発想の経緯を訊
ねてみた。今や500点は下らないであろう洋泉社の新書刊行のなかで常設棚が
ないこと、歴史新書が最近とみに注目されていることから、女性担当者の思い切
った企画(発注)のようだった。

(←ブログ:2017・1・9 「さて今年の出版業界はどうか」1615)
(←ブログ:2017・1・16 「書店のキーマンと」1622)
(←ブログ:2017・1・31 「書店の出店、閉店は」1637)
(←ブログ:2017・2・17 「アマゾンが取次をしのぐ勢い」1653)
(←ブログ:2017・2・21 「書店人ビブリオバトルってなに」1657)
(←ブログ:2017・3・6 「「TIBF」中止だって」1671)
(←ブログ:2017・3・9 「紀伊國屋書店・出版社と直取引・買切り」1673)
(←ブログ:2017・3・9 「いよいよ時限再販にも、、」1674)
(←ブログ:2017・3・24 「二大取次の傘下に入る書店の未来は」1689)
(←ブログ:2017・4・11 「ブックスルーエのサカモト店長と」1706)
(←ブログ:2017・4・21 「三省堂名古屋本店を1000坪で、、」1717)
(←ブログ:2017・5・8  「三省堂名古屋本店による」1734)
(←ブログ:2017・6・6 「倉敷水江に喜久屋書店あり」1762)
(←ブログ:2017・8・1  「岩波 直木賞受賞作を<返条付>で出荷」1819)
(←   :2017・9・3  「書店の文化性や如何」1851)
(←   :2017・10・13 「那須ブックセンターへ」1892)
(←   :2017・10・27 「本の回廊めぐりから」1906)
(←   :2017・11・1 「書店の魅力的<棚>」1911)
(←   :2017・11・7 「丸善ジュンク堂書店工藤恭孝社長辞任」1917)

2017年11月14日火曜日

或る広告マンの半世紀        1923

二ヵ月前、「出版OB会」の会場で約束した、サトウmさんを訪ねて小田急百合丘
の駅に降り立った。トレーニング姿の彼が改札前で待っていた。
米寿のお祝いをすませ90歳を越えたというのに、見るからに若く見え体力維持
に抜かりなしの感じ。

里山の中腹に位置する自宅応接間で懇談。
小田急線を使って登戸あたりから先になるにしたがって、線路の左右には山を切
り拓いた斜面に密集した新興住宅が車窓から見られる。
きょうは、その家の応接間から対岸ならぬ向山の民家の灯かりを眺めながら話は
弾んだ。最初は真剣に、半ばからは盃を酌み交しながら7時間に及ぶロングラン。

大正15年即ち昭和元年(1926)に始まる生い立ちから、昭和通信社(現・昭通)
半世紀にわたる広告マン人生をめぐって、第二ステージでの地域包括活動と健康
管理法について、彼の「自分史」記述にそって概略を喋ってもらう。
未だまだ続きそう、、。

(←ブログ:2016・5・10 「或る広告マンの生涯」1370)

2017年11月12日日曜日

奥多摩渓谷紅葉狩り         1922

沢井の吊り橋から(2017・11・12影:tab)
正午に家を出て青梅沢井の酒蔵に向かう。
新酒の真っ新な酒粕を手に入れるため。

まずは、寒山寺から見下ろす鮮やかな紅葉と多摩川の水辺の文様に見とれて暫し
休憩。
川の両岸からせり出すモミジは、未だ落葉前で紅葉真っさかりの派手さはないが、
増水した流れに映えるコントラストが美しい。
この少し上流にある河合玉堂美術館の、大銀杏の落葉で積もった黄金色の落ち葉
の道を歩くのは、いまの時期の楽しみです。
ところが、その落葉とモミジの落ち葉が水辺を埋めるのは、わずかに先のようで
す。落葉の予想は、春の桜開花予想より難しいと云うことです。
写真は、寒山寺下の吊り橋から撮ったものです。この辺りの散策は、年に二、三
度はきます。

武蔵国分寺跡から湧水群を歩く④   1921

武蔵国分寺 僧寺金堂想像図
武蔵国分寺は、府中市の国府から北方2㌔の地に「東山道武蔵路」を挟んだ東西
に「僧寺」と「尼寺」が在る。国分寺は、8世紀半ば頃に全国60余国に建立さ
れたが、両寺が判明し保存されているのは大変貴重。
国分寺という市名はこのことに由来。

国分寺として規模も大きく、七重塔が建立されるなど壮大な寺だったと思われま
す。戦国時代に寺は消失したが、新田義貞により薬師堂が再建されたと伝えられ
ている。武蔵国分寺は、国分寺崖線の湧水や緑におおわれた環境良好な地である
ことが重要な要素であったようです。
ちなみに、この国分寺にあるような湧水の豊富な崖線のことを古語で「ハケ」と
呼ぶ。大岡昇平の『武蔵野夫人』は、このハケを舞台にした小説です。

武蔵国は、奈良の都に「東山道」とその支路(東山道武蔵路)とでつながってい
た。

(←ブログ:2017・11・3 「武蔵国府と国分寺を歩く ①」1913)
(←ブログ:2017・11・5 「大國魂神社とくらやみ祭 ②」1915)
(←ブログ:2017・11・10 「馬場大門のケヤキ並木と祖父母③」1919)


2017年11月10日金曜日

大槌町復興推進隊子供たちの新巻鮭造り1920

今年も、師走が近づくこの時期の大槌学園8年生の新巻鮭づくり体験学習が、大槌
湾の魚市場で行われた動画を見た。

防水エプロンで身を包んだ若者の熱気が立ち込める加工場は、復興の姿を象徴する
風景でした。
新巻鮭という大槌の伝統を次の世代につなげたい、との加工職人のプロ師の熱のこ
もった指導。それを真剣な眼差しで受け止める生徒たちの一体感が素晴らしい。
被災後、新しい学制でスタートした大槌町の教育力を効果的に引き出す「ふるさと
科学習」の生きた真骨頂を見せてもらった。

大槌の「鼻まがり鮭」はつと有名で、3・11津波来襲前には暮れになると、「大
槌の御祖母ちゃん」から「吊るし新巻鮭」が届いた。昔は軒下に吊るして仕上げる
自家製だったという。焼いても酒粕汁にしても美味だった。

(←ブログ:2013・12・2 「大槌の鼻曲がり鮭」)
(←ブログ:2014・12・2 「大槌の鼻曲がり鮭が今年もまた届く!」843)

馬場大門のケヤキ並木と祖父母③   1919

馬場大門ケヤキ並木(2017・11・3影:tab's)
【馬場大門のケヤキ並木】
このケヤキ並木は、大國魂神社の北に延びる参道に所在し、大鳥居から約600
m続きます。
このケヤキ並木は、徳川家康が大國魂神社に2条の馬場と並木を寄進したもので
「馬場」地名の由来とされています。明治以降、甲州街道・市中心部・鉄道を結
ぶ通りとして発展してきている。
地元では、60年近くにわたりケヤキ並木の保全と環境整備に取り組んでいます。

紅葉前のケヤキ並木のトンネルを歩きながら、祖母が時々想いだしては府中の生
活を懐かしく語る、顔を思い浮かべて見た。
祖父は「電気技師」で、祖母と結婚して間もないとき京王電気軌道(現京王電鉄)
の仕事で東京に出て、府中に住んでいたことがあります。
そして、父は大正5年(1916)に「東京府北多摩郡府中町5761番地」で出生し
た記録も出てきた。

(←ブログ:2017・11・3 「武蔵国府と国分寺を歩く ①」1913)
(←ブログ:2017・11・5 「大國魂神社とくらやみ祭 ②」1915)

2017年11月9日木曜日

神田ガード下探索          1918

次郎長寿司(2017・11・8影:Tab)
都心での会合の後、JR神田駅南口ガード下の「次郎長寿司」を訪ねる。
このガード下エリアもいよいよ整理されるとの話題を聞いて、ならば様子うかが
いに、となった。
最近はご無沙汰だったが、以前はもっぱら二次会でちょいちょい寄ったものです。

戦後の闇市風建物がそのままで、年季の入った戸を開けるとL字型カウンターが
次郎長寿司。
大将は僕と同じ年ながら、ねじり鉢巻きで気っぷよく威勢がイイ。
彼は生粋に神田っ子だが、清水の次郎長と何らかの縁続きだそうです。
また、女優の浅丘ルリ子とは小学校が一緒で、住まいも隣りだったとか。彼女の
神田での幼少時代についたは、日経の「私の履歴書」に詳しく、次郎長寿司大将
についてのエピソードも書かれている。

刺し盛はその日仕入れた新鮮なネタが山盛りでくる。
大トロ、赤身、青柳、ホタテ貝柱、サザエ、生ウニ、甘エビ、イカ、、
仕上げは、パリっとヤマゴボウ巻。
呑みネイ 喰いネイ 神田っぽくイカス鮨!




2017年11月7日火曜日

ジュンク堂書店工藤恭孝社長辞任   1917

丸善ジュンク堂書店は11月1日付で、工藤恭孝社長と岡充孝副社長が取締役を
辞任し、中川清貴取締役(丸善CHIホールディングス社長)が新社長に就任する
人事を発表した。

神戸でジュンク堂書店41年(1976)前に創業して以来、経営のトップとして
率いてきた工藤さんが第一線から退くと云うことは、このところの発言に兆候が
あったが、何かモヤモヤしたものを感じる。

僕は未来社時代、1976年三宮センター街に創業(発祥地)したときに、地下の
売場で工藤・岡さんに初対面した記憶がある。その後、1982年に三宮東サン
パルビルに、書架中心の図書館にみ間違う革新的な「サンパル店」の誕生に際し
ても訪問している。

創業時の「ジュンク堂書店」の戦略は、充実した品揃え(商品構成)で、あらゆ
る分野の本が満遍なく陳列されているのが最大の売りだった。この手法に出版社
は賛同し受け入れてきたし、購読意識の強い読者にも大いに歓迎されたはずです。
ところが、現代のIT&ネット全盛が加速化するなかでは、図書館風大型書店の
限界域を認識をせざるをえないようだ。

(←ブログ:2017・1・9 「さて今年の出版業界はどうか」1615)
(←ブログ:2017・1・16 「書店のキーマンと」1622)
(←ブログ:2017・1・31 「書店の出店、閉店は」1637)
(←ブログ:2017・2・17 「アマゾンが取次をしのぐ勢い」1653)
(←ブログ:2017・2・21 「書店人ビブリオバトルってなに」1657)
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(←ブログ:2017・3・9 「いよいよ時限再販にも、、」1674)
(←ブログ:2017・3・24 「二大取次の傘下に入る書店の未来は」1689)
(←ブログ:2017・4・11 「ブックスルーエのサカモト店長と」1706)
(←ブログ:2017・4・21 「三省堂名古屋本店を1000坪で、、」1717)
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(←ブログ:2017・6・6 「倉敷水江に喜久屋書店あり」1762)
(←ブログ:2017・8・1  「岩波 直木賞受賞作を<返条付>で出荷」1819)
(←   :2017・9・3  「書店の文化性や如何」1851)
(←   :2017・10・13 「那須ブックセンターへ」1892)
(←   :2017・10・27 「本の回廊めぐりから」1906)

2017年11月6日月曜日

永松君の息子さんを悼む       1916

このトシになると、古くからの知り合いや友人のなかにこの世から彼岸のひとと
なる者が出てくる。
だが、親しかった知人が不慮の死を遂げ、また、その息子さんがこの度亡くなっ
た報に接するといたく堪えます。

亡くなった息子の親父さんとは、僕が20代、30代のとき酒席でつき合っていた。
その彼が、新宿の居酒屋の50周年記念集に、「追想<でん八>」なる名文を寄稿
している。
ところが、この冊子の刊行を記念したパーティーで一緒になり、久々に話を交わ
したが、その数か月後に突如亡くなったのである。

永松君を偲ぶ会を、藝大の芸術家グループとラグビー仲間が中心になって行った。
その場に、かつて呑み助の彼に連れられて小さくして酒席に居た息子さんが、一
挙に30半ばの立派に成長したビジネスマンの姿で登壇して挨拶したのだった。
きょう、その息子さんの訃報、事態を受け入れがたいのです。

年末も押し迫ってくると、既に数枚の喪中はがきが届く。
生者もまた少しずつ死んでいくのか。

2017年11月5日日曜日

大國魂神社とくらやみ祭 歴史に触れる② 1915

武蔵国府跡の通りを隔てた、「大國魂神社」へ裏門から参堂する。
【大國魂神社】
武蔵国の護りとして大國魂神社祀った始まりとされる。大化の改新以後この地に
武蔵国の国府が置かれて以来、国司が祭祀を執り行っていたが、平安時代には、
「総社」なるものが置かれ、武蔵国では大國魂神社がその総社となった。
武士の世になっても広く武将たちの信仰をあつめ、衰えることがなかったようで
す。
毎年5月の例大祭「くたやみ祭」では、70万人の観光客でにぎわいます。
本殿は、徳川家康の命により社殿の大造営が行われたが、正保3年(1646)の
府中本町の大火で類焼し灰燼に帰しました。現在の本殿は、四代将軍家綱の命に
より、寛文7年(1667)に完成した珍しい早殿造です。
木造狛犬、、、神社を守護していた堂々と気風を備える狛犬は、運慶の作とも伝
えられる。

【府中高札場】
旧甲州街道と府中街道の交差するかつての府中宿の中心に位置する。高札場とは
江戸時代の幕府の政策や禁止令など墨で書いた板の(高札)を掲示する施設。

【野口酒造店(中久本店)】
「一夜の宿を」と「野口仮屋の儀」で知られる、野口家と大國魂神社とは深い繋
がりがあった。

(←ブログ:2017・11・3 「武蔵国府と国分寺を歩く ①」1913)

2017年11月4日土曜日

町の産業祭へ             1914 

隣りの富士見公園で、恒例の市の産業祭。

第48回になるが、最初の頃はイベントを見たり、屋台巡りが主だった。
最近は、10時のオープニングに出かけて地元近辺の畑で育てた野菜や花の即売
に立ち合って購入するのが有意義で楽しい。
夜は早速、新鮮な素材を使った「けんちん汁」で夕餉になる。

キャベツ、大根、白菜、ゴボウ、里芋、人参〆て1000円。
花はパンジーで、毎年、黄色を主体に表情の違う組み合わせを選ぶ。
さらに、特産品販売のブース、羽村市の姉妹都市である北杜市清里のソフトクリ
ームを、長蛇の列に加わり買ってペロペロ、、。
もひとつ、利便性のあるコーナーがあって、町の建築業者が熟練の技を生かして
「まな板削り」を、わが家から持参すると新品同様にしてくれる。

朝食は、連なる屋台をのぞきながら、お好み焼きに山菜おこわと草餅をセレクシ
ョン。青空の下、屋台の焼き物の匂いと煙が漂うなかで食するのは、なかなか乙
な味わいだったが、少し買い込み過ぎのきらいあり。

(←2015・11・1 「産業祭で<まいまいず文庫>発見」1180)

2017年11月3日金曜日

武蔵国府と国分寺を歩く       1913

武蔵国府跡(2017・11・3影)
早朝に家を出て、遊学舎「歩く会」の集合場所、府中駅前にスタート予定の10
時前に余裕で着いた。

中央線と京王線の利用で比較的なじみのある府中と国分寺であるが、この周辺が
古代国家において国府や国分寺が建設され中心エリアとして発展を遂げた奈良・
平安時代の様相はあまりいも知られていない。
スタートポイントが武蔵国府跡というのが、この会を主宰する趣旨の顕著な現れ
である。

【武蔵国府跡(国衙地区)】
武蔵国府跡は、奈良・平安時代の武蔵国府の中心地にあたる国衙の跡地です。
国衙は、国司が政を行った役所。武蔵国は、現在の東京都、埼玉県、神奈川縣の
川崎・横浜市の大部分を含む広大な地域で、21の郡を管轄する大国だった。
これまで継続的に発掘調査をやってきたことで、都から赴任した国司の館跡、役
所と推測される建物跡、井戸や鍛冶工房を備えた住居跡が見つかっている。
⇒後日に続く

「ティエリー・トグルドーの憂鬱」 1912

映画「ティエリー・トグルドーの憂鬱」を見た。

ステファヌ・ブリゼ監督 俳優:ヴァンサン・ランドン
どこの国でもある話。51歳で職を奪われた中年男・ティエリーは、障害者の息子
を抱えながら新しい働き場所を探す。
堅実にまじめに生きようとするが、自分の意思に反して思うようにならない現実
の葛藤をシビアに映し出す。この主人公が内に秘める「憂鬱」を外見は静かに体
現して見せてくれる。

やっと、スーパーマーケットの警備員として仕事を始めるが、目にするのはお客
ばかりでなく社内の不正をも見てしまう。
そのちょっとした不正を上司が厳しく追及したことで、長年勤めた「働き者」の
女性が自殺してしまう局面に立ち合いなやむ。さらには、客のポイントを自分の
カードにスキャンしてポイント稼ぎする従業員の女性を有無も言わせず密告する
場面で、「あなたでも上司に報告するか?」と詰問され、ティエリーは「わから
ない!」、と返答して踵を返し足早に、身障者の待つ家路を急ぐ。

(←ブログ:2017・1・6 「『海よりもまだ深く』を観る」1612)
(←ブログ:2017・1・21 「時空を超える映画体験ってイイな!」1627)
(←ブログ:2017・1・29 「浅丘ルリ子主演の『執炎』を見る」1635)
(←ブログ:2017・3・1 「鈴木清順監督の美学」1666)
(←ブログ:2017・3・2 「『関東無宿』と『殺しの烙印」を見る」1667)
(←ブログ:2017・3・28 「『若者のすべて Rocco』観る」1692)
(←   :2017・4・22 「映画『黙秘』を観る」1718)
(←   :2017・4・28 「『湯を沸かすほどの熱い愛』を観る」1724)
(←   :2017・5・3 「『ちかくてとおい』映画観る」1729)
(←   :2017・6・18 「『誰のせいでもない』を観る」1775)
(←   :2017・7・7 「『けんかえれじい』を観る」1793)
(←   :2017・7・29 「映画『哭声/コクソン』を観る」1816)
(←   :2017・9・25 「『愚行録』を観る」1873)

2017年11月1日水曜日

書店の魅力的「棚」         1911

(2017・11・1影:tab)
学生のとき、早稲田戸塚通りにあった「文献堂」という社会科学専門の古書店に
ほとんど毎日寄っていた。


時の流れとともに読書傾向も変遷して今に至っているが、その当時の文献堂には

哲学、思想の先端著作がいち早く入荷する一方で、貴重な古書にも出合うことが

できた。

間口二間だったが、中央の両面棚を挟んで右壁面に社会科学系の古書と新刊が混

在しながら見事に息づいていた。


埴谷雄高、梅本克己、梯明秀、吉本隆明、丸山眞男、武谷三男、宇野弘蔵、小林
秀雄、谷川雁・田中英光、武田泰淳、高橋和巳、竹内好、中井正一、花田清輝、
橋川文三・野間宏、安倍公房、大江健三郎、対馬忠行、柳田國男、木下順二、、
様々な要素の絡みと共鳴するところで、これらの人の著作は文献堂で買って読ん
だ。紛れもなく、僕には文献堂時代があったのである。
マル・エン選集、トロツキー、サルトル、ジョイス、カミユ、ポー、スターリン
ロートレアモン、カー、ドイチャー、ルカーチ、レーニン、ローザ、チェーホフ
スタニスラフスキー、ブレヒト、エリュアール、ヘーゲル、ルフェ―ヴェル、、

最近も書店に行く機会が週一はあって、目を引く棚と平台に出合うことが少なく
ない。
きょうも、大型チエーン書店の店内外れながら魅入られるように立ち止まらされ
た棚三本と平台があった。
以前だと、本は著者で読むことが多かったが、最近はテーマで一冊をセレクトす
ることがままにしてある。そんな気分を表現してくれたかのような見せ方で、、
ロシア革命100年は何だったのか本と、雑誌の特集。そして、その下段には、
「中国文化大革命」あの時代は何だったのか?の問いかけ本や、「中国ナショナ
リズム」を扱った新書が並ぶ。さらにその下には、北朝鮮のミサイル問題や拉致
問題への肉薄本。〆は日米同盟の新機軸を巡って、ポピュリズム、リベラリズム
について容易に読める新書本。
これだけ時代状況をすくい取ったハンディ本を揃えられると、どれからでも一冊
一冊読んでみたくなる。