2016年7月30日土曜日

猛暑!スキューバダイビングの気分で、、1452


暑い! 波にゆられ、宮古島のテーブル珊瑚を回遊している感覚で過ごす。

宮古・池間島の八重干瀬(やびじ)の珊瑚礁は日本で一番大きな珊瑚礁の集まり
です。日本のグレートバリアリーフとよばれている。
梅雨時期、潮の満ち引きで広大な珊瑚礁が浮き上がる景観を観賞するイヴェント
は大人気で、宮古島に多数の人が集まる。

僕はダイビングの免許取得して間もないとき、サイパンに続いて宮古の海でGyo
と潜ったことがある。
国内最大級の珊瑚礁群にダイビングすれば、まず、その美しさに魅了される。
テーブルサンゴにエダサンゴ、、色とりどりのサンゴの根には、アカネハナゴイや
キンギョハナダイなど彩も鮮やかに舞っていた。
【記憶の断層】


(←ブログ:2016・1・13 「グレートバリアリーフを見て」1253)



2016年7月29日金曜日

松本昌次著『戦後編集者雑文抄』を読む 1451


松本昌次さんから『戦後編集者雑文抄ー追憶の影』新著を恵贈いただいた。

『戦後文学と編集者』1994年刊、『戦後出版と編集者』2001年刊に続く、第3冊
目の本。
最初の一冊から20余年経っており亡くなった著者らが多くをしめて追悼的意味
合いが強くなってきている。
そのことで、書籍編集者が仕事として戦後出会ってきた同時代の著者たちへの
想い入れの文章と、その遺志を全身編集者として全うしようとする意志が伝わっ
てくる。

僕も激動の1960年代に、未来社の編集者であった松本さんの手になる多くの
著者に接し、本を読み影響されてきました。
本書では、花田清輝、埴谷雄高、長谷川四郎、木下順二、秋元松代、西郷信綱、
竹内好、武井昭夫、吉本隆明、井上光晴、中野重治、松本清張、ブレヒト、富士
正晴、久保栄、上野英信、藤田省三、丸山眞男、宮本常一らが追憶されている。

ある時、花田さんに「次の世代で誰に期待しますか」と聞いたところ、花田さんは
言下に「武井昭夫と吉本隆明だね」と答えたくだりがあって、その後、「花田・吉本
論争」が激化するなかで、二人の著者を抱える松本さんは挟まれた形で、困惑し
ながら編集者としての立ち位置を決める場面などはリアリティーを感じさせられる。
この後、『花田清輝著作集』(全7巻)が刊行されたのだから、、。

(←ブログ:2016・3・9 「『埴谷雄高─夢みるカント』を読む」1309)

2016年7月28日木曜日

夏の一夜煌くサガリバナ       1450

一夜限りのサガリバナ(2012・7影:Can)
いま、石垣島の北端・平久保半島の夕闇のなかに、幻想的に咲くサガリバナが
見られる。

2012年に八重山諸島石垣を再訪したとき、クルマで平久保半島を半日かけて
まわった。そのとき、先年にもお世話になった米盛夫妻を訪ね、2回目の「サガ
リバナ」の夜景を堪能させてもらった。
雑木が覆いしげる水たまりや小川にそって、白や桃色、淡い黄色に色づいた花
がつるにぶら下がるように咲いていた。
5メートル余りの高木の枝の隙間からさしこむ月光にサガリバナが照らされて一
層映える。

都会の生活では考えられない、サガリバナに象徴される豊かな生態系を永く残
していって欲しいし、地域の誇りにして過疎化の再生になればいいと思う。
石垣島新空港ができて、島の活性化にはいいが、ゴルフ場などの建設で自然
環境や生態系が壊されることを杞憂されていたが、どうなっているのだろう。

石垣島/平久保半島(影:Can)
(←ブログ:2012・7・8 「サガリバナ」109)

2016年7月27日水曜日

フルイニング出場記録は途絶えたが  1449


鳥谷が、7月24日の広島戦で先発から外れた。

これまで鳥谷選手については、彼自身の飛ぶ勢いで活躍するプレーを見た時
だけ記録にとどめてきたが、この度の光景も忘れられないだろうと思う。
2012年から続いた667試合フルイニング出場がとぎれたが、いずれはそうした
時がくるわけで仕方ないかなとあきらめもした。
大リーグでプレーをしていれば、全試合連続イニング記録はなかったわけだし。

それにしても、今シーズンはこれほど何で打てなくて低打率に甘んじているのか
また守備でのエラーも目立つのか不思議でしょうがない。選球眼は相変わらず
良くて四球の出塁率は文句ないはずで、視力が落ちているのでもないだろう。
鳥の打順に疑問。開幕6番から始まって、4、9番以外は全部の打順をこなして
きたわけで、守備にも影響して難しかったと想像できる。

ショートで出ずっぱりを普通にやってきた凄さ、見えない負担が大きいと思うし、
苦労も半端じゃないはず、と能見投手が熱く鳥谷を語っている。
きょうは、その能見がヤクルト戦で9対0で完封した。いつも守っていた鳥がいな
かったことをどう感じているのだろうか。
でも、ベンチで放つ存在感もなかなかのものだった。

(←ブログ:2016・3・1 「トリが変わった」1301)
(      :2016・3・25 「143分の1試合」1325)
(      :2016・4・3  「飛んだⅤ打 桜が咲いた!」1334)
(      :2016・5・2  「寄居「京亭」とキャッチャー原口文仁」1363)
(      :2016・6・4 「鳥谷選手の自制心」1396)
(      :2016・6・28 「采配にブレはないか」1420)
(←ブログ:2016・7・7 「一試合でも多く勝つ!青柳」1429)

2016年7月26日火曜日

ミョウガ               1448


小雨のなか早朝、裏庭のミョウガを摘んだ。

田舎の家の周りを流れていた小川のたまり場に、ミョウガが密生していた。
ちょうど今頃から湿った土から顔を出す、茎に葉がラッパ型についたような
可愛らしい小坊主がミョウガ。

独特の風味が好きで、冷ややっこやそうめんの薬味に使い、刻んで鰹節を
かけたり、味噌汁に散らすと味噌の香りとミョウガのさわやかな香り調和し
て最高の美味です。
ミョウガ柚子酢の物にするとダブル風味が味わえる。

いまでは一年中食品売り場にあるが、今の時期、取り立ての旬のもとは味
がまったく違う代物に思える。

2016年7月25日月曜日

シリアの石鹸            1447


ヒジカタ&ゴンパチさんと会食の続き。

二人は、長立方体のレンガを少し小ぶりにしたシリアの外国製石鹸の話で盛り
上がり、僕は聞き役にまわる。
泡立ちがよく、地肌にやさしく洗顔・洗髪に効力バツグンで、これ一個を使用する
だけで万能だと推奨する。

発祥地はシリア北部の都市アレッポで、無添加・無香料の伝統あるソープとして
1000年の歴史をもつとされる。
アレッポの石鹸の原料はオリーブオイルと月桂樹オイルを炊いた後、一年以上、
熟成して固形化させる。

しだいに人気が出てきているようで、主たる輸入卸屋が福生市や岡山市に在る
と聞いて身近に感じた。
卸業者が数年前にアレッポの工場を視察で訪れた頃は、街も平穏だったが、今
は内戦がつづきインフラがズタズタで製造中止状態とか。
こんなところにも、「戦争の気配」を感じる。

早速、入浴したときに使ってみたが、二人が絶賛するママの優れたモノでした。






紀伊國屋書店と出版社の良き時代   1446

(影:Can)
ヒジカタさんとゴンパチさんと昼食懇談会。
そのあと、イオン酒場で5時間の長丁場になった。

二人は肉食系料理メニューを注文し、僕は夏野菜スパゲティを選ぶ。
肉料理はほとんど食べないうえに、子供メニューでも間に合うぐらい小食になっ
ている。野菜と魚料理中心で、それに手造り味噌の汁椀があれば十分。
ヒジカタさんから、野菜や魚が輸送力アップで産地農家や漁師組合と提携して
卸中抜きで新鮮でイイものが店頭に出るシステムの蘊蓄がある。

話題をどんどん飛ばしながら、60歳、70歳、そして75歳の前後に肉体的壁が
あると云う自説の披歴。
僕もその75歳ではないかと思いながら、腑に落ちる現象に見舞われていること
に納得してみたりする。特に、腰痛などには腹式呼吸の継続が一番と、自らの
実践スタイルを交えて説得力ある解説。

よく出る話だが、紀伊國屋書店の社員が出版社を早朝から毎日巡回して商品
を仕入れ、午後から店頭に出すと売れに売れまくった昭和20、30年代の良き
時代の一コマ一こま。こんなに売れるのか、と驚き、野菜は腐るが本は腐らな
いおいしい商売だと思ったと述懐する。
さらに、紀伊國屋書店新宿南店の洋書売場を残して閉店の話に及ぶ。

(←ブログ:2016・4・14 「土方歳三ならぬ土方Sさんと」1344)
(←ブログ:2016・4・14 「多摩平の森で「花見」」1345)

2016年7月23日土曜日

「柳井原音頭」のこと         1445

(影:Pen)
盆踊りを楽しむ季節になってきた。

昨夏、僕の第二次田舎である倉敷柳井原の小学校校庭で盆踊り大会が開催され
久しぶりに「柳井原音頭」が復活され踊った、と云うことを聞かされた。
実は、この柳井原音頭は親父と母が小学校で教員をしていたとき、作詞と作曲を
手がけたものです。
僕が高校生で柳井原湖畔桜並木の小学校校庭の前に住んでいた頃で、盆踊りと
運動会で踊り始めたのをおぼろげに覚えている。

この4月に帰郷したときに、城山から平地に移築された小学校と校庭を散策して
みたが、地域の大人も子どももやぐらを囲んんで和やかに踊る姿を想うと感慨深
いものがある。
「桜のトンネル、、、柳井原いいとこ一度はお出で、、、」と、囃したてられていたと
思う。
親は、記憶に残るいい置土産をしたものです。

(←ブログ:2,016・4・15 「最後の倉敷「水江の渡し」1346)
(←ブログ:2016・4・25 「5線の高速道を走破して」1356)

2016年7月22日金曜日

予想にたぐう良本屋さんだった!    1444

(2016・7・21影:Can)
戸田書店本店のH部長に前日アポ入れしての訪問だったが、新幹線静岡駅下車し
て前に立ち並ぶビルの葵タワーBF、1、2階が売場であることがすぐわかった。

ひときわ目立つ新築の葵ビルでの店構えは、老舗とは思えないモダーンで明るく、
本の世界に踏み入れたくなる雰囲気がある。
一階には一般の雑誌や新刊、文芸書、郷土本の面陳だなが並んでおり目移りする。
一階も楽しいが、二階の人文書、歴史書、社会(科学)書から美術書がきめ細かい
ジャンル分けで見事に並ぶ。

創業者の戸田寛さんの時代から知っているが、構えは大型化しながら、街の本屋
さんの志を受け継いできていると見た。
人文書版元の「復刊書フェア」とか、洋泉社の「映画秘宝」フェア台を発見してうれし
かったよ。
学参や児童書にも大きなスペースがさかれ、コミック棚もしっかり充実しているよう
に見受けた。

戸田書店のメイン帳合だった栗田出版販売が大阪屋に統合されて、大阪屋栗田と
して新発足するなかで、自らの進む方向性を商品受注のシステムの精度を高める
事に活路を見いだそうとしているようだ。

(←ブログ:2015・10・8 「八重洲ブックセンターへ」1156)別
(←    :2016・2・18 「仕事としての本屋さん」1288)1
(←    :2016・2・21 「25年ぶりの面談」1292)2
(←    :2016・3・2   「横浜へ」1302)3
(←    :2016・3・4   「あるナショナル書店の場合」1304)4
(←     :2016・3・16    「書店・カフェ~どうなる書店格差」1316)5
(←     :2016・3・22   「変わらない有隣堂伊勢佐木町本店」1322)6
(←   :2016・4・4 「LIBROの人と面談は十数年ぶり」1335)7
(←   :2016・4・7 「書店訪問をたのしむ」1338)8
(←   :2016・4・18 「本屋大賞実行委員の書店人と」1349)9
(←   :2016・4・29 「或る書店の現場」1360)10
(←   :2016・5・12 「吉祥寺に弘栄堂書店があった」1373)11
(←   :2016・5・25 「紀伊國屋書店南店閉店」1386)12
(←   :2016・6・17 「書店と花屋さん」1409)13
(←   :2016・4・11 「統合した大阪屋栗田の始動に接す」1342)

2016年7月21日木曜日

元気な友人の姿に刺激される     1443

打撃不振の鳥谷(2016・7・20影:Can)
変貌する梅田駅前(2016・7・21影:Can)
紀伊國屋書店梅田店のあと、急きょ友人キミヤ君と食事しながら懇談。

昨夜のタイガース敗戦に、やりきれない悔しさを朝の目覚めまでひきづった疲労
感から、早めに大阪を脱出したい気分になっていた。
だが、急きょ思い直して天満橋に事務所を持つ彼に電話したところ、多忙のなか
調整してくれ昼食懇談と相成った。

(←ブログ:2016・4・24 「神戸元町「南京町」で」1355)
(←ブログ:2016・5・5  「同窓会二つの交流」1366)

初!甲子園球場に          1442

甲子園球場アルプス席(2016・7・20影:Key)
7月20日、大阪での仕事を早めに切り上げて、梅田から阪神電鉄で甲子園球場
へ。
車内は、すでにそれぞれ贔屓のユニホームやら法被をまとう猛虎ファンが乗車し
ている。

試合は、先発青柳は2回無死1、2塁からの1ゴロで、ベエースカバーに入った1
塁で送球を捕球し損ねて先制点を献上。中盤以降は安定しだしたが、6回2死1、
2塁から、村田に勝ち越し打を許し降板。続く高橋がギャレットに3ランを浴びる。

打線は2回2死3塁から、西岡の左線適時打で同点としたが、喜びもつかの間、
一塁ベースの直前で崩れ落ちた。担架で運ばれる姿を見て普通のケガには見
えなかった。その後は好機に凡打の山をきずくばかり。


ほぼ負けが決まった最終回に、本来なら勝利の雄たけび「六甲おろし」の球団歌
が、狩野の本塁打に合わせるように甲子園球場スタンドから大合唱が起こった。
この現象は異例のことだと、Khさん。

(←ブログ:2016・3・1 「トリが変わった」1301)
(      :2016・3・25 「143分の1試合」1325)
(      :2016・4・3  「飛んだⅤ打 桜が咲いた!」1334)
(      :2016・5・2  「寄居「京亭」とキャッチャー原口文仁」1363)
(      :2016・6・4 「鳥谷選手の自制心」1396)
(      :2016・6・28 「采配にブレはないか」1420)
(←ブログ:2016・7・7 「一試合でも多く勝つ!青柳」1429)

2016年7月19日火曜日

今年も向日葵が           1441

(2016・7・18影:Can)
向日葵にはいろいろな種類がある。

いま庭先にヒマワリがばっちり開いているが、昨年はまさに今頃、ハルが芽が出
たばかりの鉢植えをわが家に持ってきて観察を始めた事情だったことをおもえば
一か月半も早咲きということになる。

今夏のヒマワリは、ハルが学校から持ってきた5粒の種を春先に植え込み、注意
深く丹精込めて発芽した一本をさかせた。

北海道でなだらかな丘一面に咲き誇るヒマワリが、はるか向こうの地平線まで伸
びる遠景を眺めたことがあるが、これまた風情があって感動する。
一本も、多数も夏の太陽に向かう姿は目をクラクラさせる。

(←ブログ:2014・7・25 「アサガオの引き継ぎ」712)
(←ブログ:2015・9・3  「晩咲き向日葵」1121)

2016年7月18日月曜日

海の日は川で遊ぶ          1440

(2016・7・18影:Gyo)
ハルは水好きで、川や海で遊ぶと時間を忘れて目いっぱい戯れる。

きょうは「海の記念日」だが、わが家の近くの多摩川「羽村の堰」で、魚の手掴
みに熱中して半日過ごす。
収獲は、ハヤ、ウグイ、ドンコ、カジカ、ゴリでした。

魚の手づかみは、釣りとは違った独特の醍醐味を味わうことができる。
水深は足のすねあたりがベターで深くても腰あたりまでとする。
魚のヤ(屋)となる石が散らばっていることが条件。
堰などの場合は、魚道の上から魚影を確認して、石の隙間に手を差し入れて
感触をつかむ。実はこの「当たり」が経験と魚の習性を知らないと難しい。

きょうは、ハルに石の奥に追い詰めたうえで小さな手を突っ込み触感させ、網
でフォローしてやり、緊張感をほぐし静かに捕らせることに成功した。

(←ブログ:2013・5・3 「羽村の堰・ハル魚を捕る」)
(←ブログ:2014・5・5 「こどもの日 ハルと遊ぶ」630)
(←ブログ:2015・5・5 「こどもの日菖蒲の湯に」999)
(←ブログ:2016・5・1 「浅間岳に登る」1362)
(←    :2016・5・23 「ハルのサポーター/スイミング篇」1384)
(←    :2016・5・29 「運動会の花形徒競走」1390)

2016年7月17日日曜日

セミ採りに挑戦するも          1439 

富士見公園(2016・7・17影:Can)
ハルとの遊びは、けっこう足腰に堪えるようになってきた。

近くの公園でのセミ採りに誘いだされたが、ミーンミンミンの声はすれども低木
には見当たらず、格好良く木登りで網伏せに挑戦するも全く歯が立たない惨め
な体たらくな姿を見せてしまった。
足の踏ん張りと腕力と握力が思っていた以上に低下したようで上に登れないの
であった。

なお、セミ採りの時期としては例年よりすこし早かったようで、8月のお盆のころ
には地面から出て木に登り始めるのを手づかみできるほど発生するのだが、、

(←ブログ:2012・8・22 「セミ採り名人、セミを放す!」)

「トマトサージン」と「森伊蔵」      1438


Gyoからのポルトガル土産「トマトサージン」と「森伊蔵」で、久しぶりに暑気払い
に集う。

意識の深層は不思議なもので、これまでポルトガルはなじみ薄く歴史的には、大
航海時代の関りとかヴァスコ・ダ・ガマの偉業を知る程度であったが、Gyoが仕事
で出かけて現地の話題を提供してくれたことで、より浜田晃の「リスボン三部作」
の舞台を身近に感じてみたり、ポルト、リスボンンの地図上にイメージが鮮明にな
る。

「森伊蔵」は限定で入手したものを手土産に持参してくれたものだが、やはり、芋
のひつこくない甕醸造の香りと口当たりの良さは超一級品でした。
サージンを肴にキリコグラスにロックで呑んだ。

(←ブログ:2016・6・16 「イワシ一色のリスボン」1408)

2016年7月16日土曜日

これもまた同期会か         1437

テアトロロジャージャン(2016・7・15影:Tab)
友人浜田晃の演劇公演には、早稲田の演劇専修同期が数人必ず集まる。
彼らと出会って55年余になる。

今回のダシモノは、浜田晃リスボン三部作に続く「お棺発子宮行き鈍行列車」。
作・演出は桃井章。
芝居小屋があるビルに近づくと、階上の舞台にもなる出窓から国旗と見まがう
色鮮やかな幕が垂れていた。
テアトロはBarの変形したもので、30人余の客席と一体化して演じる究極の小
劇場というところ。

開演は、室外のベランダから役者が喧噪と乱入することから始まるが、舞台と
なるBar(店)の建て付けの一部を棺桶と見立て、狭い空間を見事に演出して
いる。さらにその棺桶から、「胎内」=「子宮」とイメージを拡張させる桃井演出
にひきつけられる。
劇中で、アントニオタブッキの小説『レクイエム』(白水社刊)の一部が引用され
ている。
子宮からお棺へ、お棺から子宮へ。死者と生者のリスボン旅行記、とある。

芝居がハネタ後、桃井さんにポルトガルリスボンで町中賑わう「イワシ祭り」に
ついて話したところ、芝居でもイワシ焼き効果を考えたが周辺住人への影響で
とりやめたそうな。

会場に、8月に公開される桃井かおり監督・脚本・主演の『火Hee』が案内され
ていた。

(←ブログ:2015・10・30 「『早大劇団・自由舞台の記録』を読む」1178)
(←ブログ:2015・10・31 「「ホテルリスボン」を観劇」1179)




2016年7月14日木曜日

『道徳感情はなぜ人を誤らせるのか』読む1436


書影(544頁・2500円)
この本を手にしたとき、書名の「道徳感情」にひきつけられ、もしかして、アダム
・スミスの『道徳情操論』(未来社版上・下二冊)を援用する犯罪研究本かと思
った。 (岩波文庫『道徳感情論上・下』水田洋訳あり)

著者名、傍題を正確に記す。
菅賀江留郎(少年犯罪データベース主宰)
『道徳感情はなぜ人を誤らせるのか─冤罪、虐殺、正しい心』(544頁)洋泉社

戦中戦後に起きた、少年による大量殺人事件「浜松事件」と「二俣事件」という
連続性のある二つの事件を題材に、冤罪をつくり上げていく背景を圧倒的資料
で、「人の心の変遷」として浮上させてくれる。
一般的にいわれてきた冤罪の背景には、初動捜査のずさんさや司法、法医学
やメディアの動向が問題にされるが、この著者の視点には政治・哲学や心理学、
進化論、プロファイリング、サイコパス、、総合知を不断に援用し、人間の道徳
感情や共感にその解明をもとめるところに衝撃をうける。

最高の推理小説に当たったように一気に読めた。
本書の編集者タノベに乾杯。


2016年7月13日水曜日

猊鼻渓舟下り/記憶の深層7     1435

猊鼻渓(影:Pen)
新幹線はなく夜行(寝台急行・北星)で上野から一関。乗り継いで大船渡線で
陸中松川へ。

猊鼻渓。
細長い和船に船頭さんと三人。悠久の時をぬってすべるように舟は進む。
そそり立つ奇岩、水、空、雲と、、とんびが三羽。
とんびはやっぱりピーヒョロヒョロと鳴く。
黒地に青色の色をした蝶がじっと動かない。
かじかが足の先から飛び立ち、びっくり!

(←ブログ:2016・2・22 「記憶の深層/東京で最初の川苔山登山」1293)
(←ブログ:2016・2・25 「犬吠碕へ/記憶の深層2」1297)
(←ブログ:2016・6・18 「関の五本松/記憶の深層3」1410)
(←ブログ:2016・6・26 「悠久の多胡の碑/記憶の深層4」1418)
(←    :2016・7・2  「由緒ある場所/記憶の深層5」1424)
(←    :2016・7・12 「洛北の寂光院~三千院/記憶の深層6」1434)

2016年7月12日火曜日

洛北の寂光院~三千院/記憶の深層6 1434

京都大原の寂光院
寂光院へは、タンポポの中の近道を行きました。

小さなハギ、梅鉢の模様にそっくりのきつねのなんとかというと思う黄色い花、
野菊、薄紫色のほそながい花、しろつめ草、かやつりぐさ、赤紫のもっとピンク
がかった明るい色をした小さな花、稲の若緑、すばらしい。
もんきちょう、すみれちょう、くろあげはが赤紫色の花にとまっているのは妖婦
とも、いやもっと神秘的な惹きこまれる沼の美しさ。(yu)
建礼門院の墓の佇まいが印象的。
(2000年5月9日未明、火災のため全焼した。)

バスで20分、終点から坂と階段を上ってたどりつく三千院。約1200年の歴
史を有する天台宗の古刹。
阿弥陀堂の前に緑のじゅうたんを敷いたようにみずみずしい苔が一面に広が
っていた。
庭のそこかしこ立つ石像はわらべ地蔵で、苔生した愛らしい姿に魅入る。

(←ブログ:2016・7・2 「由緒ある場所/記憶の深層5」1424)



2016年7月11日月曜日

再建された県立大槌病院       1433

再建された大槌病院(2016・7・5「広報・おおつち」)
3・11の震災前、旧県立大槌病院は新町の御祖母ちゃんの家の前にありました。

5月9日から診療が開始された新築大槌槌病院は、寺野地区に移転して再建され
た。被災住民、町民の医療拠点として復興をめざす意気込みを感じます。
津波襲来時の大槌病院のエピソードは、これまで多く伝えられてきました。
そのとき、入院患者がすべて3階だったのに加え、医師、看護師、職員の的確な判
断と行動により全員無事でした。その後も、病院機能が停止するなかで医療救護
活動は続けられ、病気や不安を抱える住民を支えた献身的な対応は語り継がれて
いる。

家屋は流出してしまったが、御祖母ちゃんの家宝が旧大槌病院が防波堤になって
数日後、奇跡的に瓦礫の山から見つかった。

(←ブログ:2016・5・15 「3・11から波板海岸再生」1376)
(←    :2016・6・14 「ひょうたん島まつり」1406)



2016年7月10日日曜日

満員御礼!で幕開け         1432


昨日、『アマチュア落語に挑戦する本!』(言視舎)刊行記念のイヴェントが三省
堂書店神保町本店であった。

著者の室岡ヨシミコのトーク&落語実演というもので、入りが気がかりだったか
若者と可愛い子ども連れの親御さんで会場はいっぱいに埋まった。満員御礼!

開口一番、浅草寺の夏の風物詩「ほおずき市」の話。
この日9日早朝から10日夜まで開かれるが、この日に浅草寺にお参りすると、
4万7千日毎日お参りしたと同じ御利益があると江戸時代から伝わっている。
その御利益を、この会場の皆さん一人一人に1日だけの限定でもってきたと喋
る小噺ががうまい。

落語ってなんだ、から始まって、プロの落語家と素人落語家の違いとか、どんな
お稽古をすれば一席できるのか、落語の「いろは」が低い敷居で紹介されてい
る本書をどうぞ。「おきらくあまらく道」のはじまりはじまり。(拍子木)

大阪の同期会への託         1431

マイアミにて(2016・7・8影:Tab)
初夏、恒例の同期会。

4月、神戸南京町で開催された同期会の様子とそれぞれの消息を、そのとき
撮った写真を見ながら喋りあう。
写真中の風貌を見て、男女の差こそあれ思いだせない学友がいたのは驚き
だった。
大半のひとが定年退職して家でぶらぶらしている話しぶりだったが、まだ事務
所を構えて精力的に仕事をこなし趣味の尺八を楽しんでいるとか、政治家の
支部後援会で活動する元気な仲間もいて、60年後の変わりようの一端を、集
まったメンバーに報告するした。

欠席の一人のご主人が緊急入院し長時間の手術だったが、その後は、順調
との経過報告が女友達にあり、ぼくたちにも知らされた。
この年になると、完全な健康体と云うことはないわけで、当人だけでなく奥さん
にいたっても入院するほどの大きな施療のお世話になっているようだ。
その大病のリアルな話が延々とつづいた。

(←ブログ:2015・12・5 「遠方より来たらず」1213)
(←    :2016・4・24 「神戸「南京町」で」1355)



  

2016年7月8日金曜日

九州男児のKa君と           1430


彼と会うときは、常連になっている御徒町の「寿司幸」が常店。
板長さんも健在で、名物のネギトロ山盛りもカウンター越しにどーんと出てきた。

ここに来る前に、十数年ぶりに明正堂上野駅アトレ店に寄ったことを話すと、彼

は通勤で京成を利用しているので、時に立ち寄る書店が明正堂と云うことで話
題になる。
明正堂は上野の老舗書店で三店舗あったはずが、いまではアトレ店だけにな
っているようで、書店の浮沈を感じさせられた。

彼は、これまで続けてきた二紙の執筆を昨年末でやめ、図書館で読書三昧で、
長編詩を書いていることを語る。
ほかに平野啓一郎の小説の変容を語り、僕は平野の「100年前の鴎外とその
時代コレクション展」や「春画展」などについての美術批評を話す。
小説から映画に、芝居に、4時間半におよんで杯を重ねるほどにお互い熱をお
びる。

2016年7月7日木曜日

寄居「京亭」と捕手・原口文仁      1363

<2016年5月2日月曜日>再録

猛虎、5点差をひっくりかえして逆転勝ち。
5点差以上の逆転勝利は年に一度ぐらいしかないものを、観させてもらった。

そのなかで、またまた結果を出したのは支配下選手から再登録5日目の原口文仁。
途中出場で2打数2安打2得点し、捕手としても終盤を無安打におさえるリード。
城島ばりのオーバーアクションで強気のリードを見せてくれた。
捕手では、梅ちゃんこと梅野が好きな選手で期待していっるが、原口がいつ劇的に
一軍出場が叶うのか、ある事情で密かに見守っていた。

寄居市街を抜けると荒川清流の畔に鮎料理の「京亭」があります。

(←ブログ:2,016・1・30 「祝!「とらのしっぽ」の改発さん」1270)

一試合でも多く勝つ!青柳       1429


きょうは七月七日七夕です。
七夕の符に願いを託し、平常心で初の巨人戦に臨んだ青柳投手。

6月1日の楽天戦にルーキー初勝利を挙げた変則サブマリン投法を見て、かつ
ての猛虎のエース小林繁を想いだしていた。
ドラフト5位指名だったが、まっすぐで押す投球と鋭い変化球を武器に一軍に定
着しそうな雰囲気がある。

3連敗で借金10に膨らび上との差が開くばかりで、朝の寝起きの悪いことこの上
ない日が続いているが、きょうは彼の1安打ピッチングと打がかみ合って6対0で
勝つ。久々に爽快な気分でいる。
一年に一度の満願成就ではありませんように。

(←ブログ:2016・3・1 「トリが変わった」1301)
(      :2016・3・25 「143分の1試合」1325)
(      :2016・4・3  「飛んだⅤ打 桜が咲いた!」1334)
(      :2016・5・2  「寄居「京亭」とキャッチャー原口文仁」1363)
(      :2016・6・4 「鳥谷選手の自制心」1396)
(      :2016・6・28 「采配にブレはないか」1420)




2016年7月6日水曜日

神田三崎町と歌舞伎座        1428

ビルの谷間に三崎稲荷神社(2016・7・6影:Tab)
ブラ歩きの記録が頻繁に出るようになっているが、今まで気にならず見過ごして
いた場所に関心がいくようになったと云うことです。

神田三崎町は、以前から知り合いの出版社や広告代理店があって、ぶらりと立
ち寄りすることがある。

きょうも飯田橋の社で打合せの後、ちょっと水道橋駅下車して散策した。
およそ400年前この界隈は三崎村と呼ばれた。現在の大手町から日比谷や新
橋へは入江で遠浅の海でした。
三崎村はこの日比谷入江につき出した土地の端にあったので三崎の名が付け
られたと伝えている。

その後は、三崎三座、東京座、三崎座、川上座や神田パノラマ館ができる賑わ
いの街に変貌していった。いまその面影がないのが残念。
1960年の住居表示で、神田三崎町の名前が消えるのを惜しんだ地域の人が
町をあげて反対して残すことができた。

2016年7月5日火曜日

桜木町駅は「横浜駅」だった      1427

鉄道発祥の横浜駅(2016・7・5 影:Tab)
最近、立川駅から南武線で神奈川駅経由で横浜へ出かけることが月一度ぐらい
ある。今日は、桜木町駅で途中下車してみたくなった。

日本初の鉄道は新橋~横浜間で1872年に歓呼のなかで開通したことは、写真
とともに知っている。
開業時の横浜駅は現在のJR桜木町駅の場所にあったという。このことを知らない
地元の人も多くなってきていると、改札係員が残念がりながら教えてくれる。
東海道線の延長にともない機能の整備が必要で、それに対応するために「横浜
駅」を移転することになり、1915年に同駅は「桜木町」に改称された。

それから100年が昨年で、駅構内には鉄道開業当時の横浜駅(現桜木町駅)周
辺を描いた浮世絵やセピア色写真が展示されている。港横浜に多くの船が停泊
する情景と相まって重層的に想像豊かになる。

2016年7月4日月曜日

有本芳水先生のこと         1426

書影(実業之日本社・刊 影:Sca)
早朝都心に出るとき利用する電車で立川駅までに数校の高校があり、新学期に
入る頃には、初々しい表情に明るく爽やかな姿の通学生に出合う。

ぼくが高校に入学したのは60年余前のことだが、どうだったのだろかと想う。
年老いた有本芳水先生が教室に入ってきて、「現代国語」の授業を始めた初日
を今でもはっきり覚えています。
年のせいか、口をパクパクしながら講義するものだから、すぐに「金魚」のあだ名
で呼ばれるようになった。

後日、岡大新卒の「古文」の先生が、有本先生の『芳水詩集』が出版された当時
の盛り上がりようと、300刷近い増刷を重ねた本のこと、人隣りを語ってくれた。
それから、授業を受ける教室の雰囲気ががっらと一変したように思えた。
大変な先生に出合えたことを、後々まで意識するようになる。

川端竜子、竹久夢二に挿画を描いてもらい、島崎藤村に称賛されていることも、
1960年に復刊された「復刊の言葉」で知った。



2016年7月3日日曜日

水曜会の月例で          1425

御茶ノ水駅ホームから(2016・6・29影:Tab)
久々に会うと話題に事欠かない「水曜会」。

カンさんは、外国からのクライアントとの折衝で欠席のメール。変わらず忙しい
人だ。

ヨッさんから、かねて国政にでも打って出ようかとしていた先輩のミヤワキさんが
静かに亡くなっていることを聞く。
彼の奥さんが信州佐久出身の政治家の娘であるこっとは知っていたが、さら
に稽古事でつながっており、人望のある人隣りまで熟知している隣人づきあい
とは初めて聞く話であって、世間は狭いと思った。

また、一世代下ながらサイマル出版会時代からTAC出版で再起を期してから
も仕事上、「資格問題」の出版企画とバスターの提案を受けて、直々談判した
こともある河添敬幸君の訃報に接し、まさかと一瞬耳を疑った。
早い引退かなとは思っていたが、森さんのログハウス近くの八ケ岳山麓で菜園
など楽しみながら悠々自適な別荘生活の写真付きの賀状をもらっていたので、
節目の決断に感心したものですが、、。 合掌。

ほかにいろいろ情報が出たが、ここまで。

(←ブログ:2015・10・1 「駿河台下の茶話会」1149)
(←    :2015・10・28 「正午から「水曜会」は月末に」1176)
(←    :2016・1・27 「月一になった例会」1267)
(←ブログ:2016・3・30 「眠らない街、新橋」1330)



2016年7月2日土曜日

由緒ある場所/記憶の深層5    1424


「あゆみBOOKS」のある馬場下町は僕が下宿していた懐かしい場所で、近くの
交差点に接して「穴八幡宮」の階段が見える。その対面には、60年前から、今
も暖簾と佇まいが変わらない蕎麦の「三朝庵」が在る。

コンクリできれいに整備された階段を踏みしめながら境内まで上ってみました。
昔は、少し崩れかけた石段を飛び石を越えるステップであがると、土の凸凹に
砂利がばらまかれた中庭があったと思う。
そこの片隅の朽ちたベンチで読書して文章らしきもを書き、寝っそべったりして
過ごした時がある。

そして今では地下鉄早稲田駅になっているが、その入口の所が下宿先だった。
夏目漱石にちなんだ「夏目坂」上り口で、向かいに堀部安兵衛が決闘途上に
一升酒をひっかけたという「小倉酒店」があったことからして、歴史の趣を感じ
たものです。

(←ブログ:2014・4・28 「訃報にそれぞれの思いが、、、」624)
(←ブログ:2014・9・23 「馬場下町の頃」773)

2016年7月1日金曜日

早稲田馬場下の穴八幡宮      1423

境内の楠(2016・7・1影:Tab)
本屋さんらしくて大好きだった「あゆみBOOKS」(早稲田店)を何年振りかで
訪ねる。

出版社を興したばかりの時期とほとんど軌を一にして開店したこの書店は、
100坪に満たないスペースだったが、本のセレクトと見せ方がちょっと魅力
的だった。
そして、社の音楽・映画から人文書までしっかりセールしてもらい、その動向
をもって、ほかの書店へのアプローチのきっかけにしたものです。
この一年足らずのなかで、経営の変動があったことを業界紙情報で知って
いたため足が遠のいていた。
が、店内を一巡してみたところ、フロントの平台から人文・社会・芸術の棚揃
えに然したる変化はなくウムウムと和み未だ期待したいと思った。

そのあと、猛暑日のなか「穴八幡宮」によってみたくなった。

(←ブログ:2014・4・13 「高円寺で「あゆみBOOKS」を発見」609)
(←ブログ:2014・12・1 「新宿区矢来町94番地」1210)