2013年1月31日木曜日

大槌のおんなたちの話を聞く会



東日本大震災に遭った岩手県大槌町の被災と復興の今を聞くミニ集会を、東京都
内の4箇所で催します。
この企画が実現するキッカケは、ひょうたんからコマで、被災地大槌町の海鮮物や
地産商品を購入支援してきたなかで生起しました。


日程 201321516日、17
    15日金曜日――神田の三省堂(放心亭)     13時~

    16日土曜日――国分寺市のけやき台団地集会場 13時~16
  
    17日日曜日――国分寺市の本多 エコメッセ    11時~13
    17日日曜日――新宿歌舞伎町の「大槌復興支援居酒屋・でんぱち」
大槌の海産物の料理で     17時~20時
 内容の基本 
16けやき台団地の場合――司会は増田
◍写真パネルの展示――被災地の状況・変わった風景と変わらない風景:藤森
◍あいさつ――震災の大槌町の経緯・ムクシさんたちの紹介:藤森
◍対話・ムクシさんたちと  聞き手藤森・増田
◍会場との対話             
   ◍「命の釜」聞き書きから:増田 
◍インドネシアのアチェの地震と津波から8年――歌で伝え合う世代:高藤
◍まとめ――継続的な連携を!
◍大槌町の人たちのあいさつ
◍海産物販売

主催・大槌の風 特定非営利活動法人
  共催・けやき台団地防災委員会・「大槌のおんなたちの話を聞く会」

  参加費―――1000円以上+実費
*本会は、復興の推移にそくしたいきの長い支援活動を継続して行います。
 皆さまのご賛同、ご協力をよろしくお願いいたします。
   



2013年1月29日火曜日

311大津波被災! 写真で見るⅣ


安渡小学校校庭の仮設住宅
仮設の一室に集まって茶話会のオババたち
ここで聞き書き(S増田) 16

被災した安渡集落
中央が高台にある小学校で近くまで津波の爪あと 17

三陸鉄道浪板海岸駅の左右の架橋に線路は無い
大津波は後景の松林と国道を越えて人も民家も鉄道線路も呑み込んだ!
18

大槌駅痕から中心市街を望む! 19

屋敷痕(手前)と県立大槌病院(後景)
鉄骨(中央)を根こそぎした津波の爪あとに唖然!
20




2013年1月28日月曜日

311大津波被災を写真で見る Ⅲ

命の大釜  11

海底から土ぼこりを巻き上げて津波襲来!(安渡) 12

津波襲来直後・家屋も鉄道線路も消えた! 13

波板観光ホテル(写真下に1階) 14

民宿の庭から波板観光ホテルを望む! 15
民宿の若主人は大槌町の消防士で、311津波人命救助中に亡くなった。
一人は助け、他の人を消防ホース伝いに救助にむかて未だに行方は分っていない。
松林の奥が波板観光ホテルで、大津波は中央を走る国道を越えて山に向かってか
け上ったという。
テーブルの花とお酒は、老主人が毎日海にむかって息子に語りかけ、未だ、弔うこと
が出来ずに佇む姿とともにあった。

2013年1月27日日曜日

311大津波被災 写真で見る Ⅱ


菩提寺江岸寺から大槌市街と大槌湾
中央左白い建物・町役場跡 6

311前の蓬莱島 7

被災2週間後の県立大槌病院(上)と
 家屋が無くなった跡地に呆然と立ちつくすSch。
(下)翌年3月 8

大槌駅から中心市街地 人の気配全くなし、、、静寂! 9

新築の家が大槌川堤防に横転! 10

2013年1月26日土曜日

311大津波被災写真 Ⅰ

釜石埠頭へ乗り上げた外国船 1



江岸寺本堂内に乗用車が転倒漂着! 2



ひょっこりひょうたん島(蓬莱島)燈台流出無残! 3



3・11/2時46分直後を刻む 4



大槌駅とピアノ(調律記録帖も)とボランティアのアキさん 5

2013年1月24日木曜日

水曜日は混線気味に!



昨日は朝から、日販~東京會舘~神田三省堂地下H&2階喫茶~御茶ノ水「穂高」
~国分寺エコメッセへ移動しました。

東京會舘では読売新聞の新春懇親会がこの時期水曜日に催うされる。出版、取次、
広告代理店関係者の知人の多くが会するので挨拶、交流に良い場所になっている。
恒例の渡邊読売新聞社社主の挨拶から、大橋日本書店組合連合会の乾杯でオー
プニング。
立ち話でしたが、児童書版元のImさんと<森の図書館>の話に及び、協力を約して
いただく。

次に今年初めて「水曜会」に出る。Sg、Yt、Ikさん等元気な顔があった。メンバーの
Ttさんは先のベトナム旅行につづいて、ドイツへSsさんと出かけていることを知った。
外国へ旅行すると旅の魅力にとりつかれて間断なくなるのかなー。

三省堂書店を回遊し時間をつぶしして2階喫茶でドタさんと会う。エクアドルへ3月行
きについて聞く。ドタさんたちが命名したガラパゴス島(ISLOTEMALT’MERMAID)
の記念プレート(住友軽金属が支援)を新しく取り替えるセレモニーへ出席することが
主たる目的ですが、あわせて、姉妹島の打診をお願いしているところです。
まだ、大槌の当事者と話を具体的に薦めてないので、近く大槌行きで促進させたい
強い気持ちでいます。

「穂高」では、企画会社代表のEhさんがプランニングしている事案で、本の流通過程
の版元、取次に係わる意見交換だった。継続案件とする。

最後の国分寺でのミーティングは、<大槌の風>主催・けやき台団地防災委員会共
催で、東日本大震災に遭った大槌町の被災者の話を聞き、語らう会の準備と担当分
担についてです。
開催の詳細は次にお知らせいたします。

混線せずなんとか一日の移動を終えました。


2013年1月22日火曜日

「日本の夜と霧」を観た頃

映画「日本の夜と霧」

過日、大島渚の訃報に接し、今日、葬儀がいとなまれた。
第一次安保闘争が終焉した1960年に、「愛と希望の街」、「青春残酷物語」を観
て、それまでの映画にないメッセージ性(力)による同時代感覚に興奮させられた
ものです。
「青春残酷物語」を評して日本のヌーベルバーグという名を与えられ、大島監督は
一気に注目される映画作家になった。
続けて、1960年10月9日封切りの安保闘争総括の<政治デスカッション>映画
「日本の夜と霧」は12日上映中止されました。
僕はこの映画を新宿松竹で観ました! この後が、異常事態になりました。
12日は社会党委員長浅沼稲次郎が刺殺されて日でもあった。
4日間だけの上映で、興行的に不振であったことを繰り返えされても、大島さんは
納得できるはずもなく、映画批評家、ジャーナリストが再上映要求や再上映運動も
続けられたがフィルムは倉庫に眠ったままにされたのを知っています。
大島さんの映画への姿勢は、一貫して権力、階級社会への異議申し立てであった
だろうと思っています。それは、以後の映画作品において、時代の複雑な推移とと
もに映画創りのなかにおのれを発見していくという映画監督として苦闘の行動に表
れています。
大島渚監督を悼む。

2013年1月21日月曜日

大槌の風特定非営利活動法人

法人成立の年月日は、平成24年12月12日。(良い並び数字です。)

以下に目的等
この法人は、岩手県大槌町の私設図書館に、東日本大震災で甚大な被害を受けた
同町を中心とする被災地の子供たちとその父母に対して、読み聞かせや読書ができ
るよう無償で本を届ける事業、
同町を中心とする民俗・芸能の伝承及びその支援に係わる事業、
同町を中心とする被災地の防災の伝承・記録制作等の事業を行い、もって同町を中
心とする被災地の復興推進と地域文化・社会の活性化に寄与することを目的にする。

この法人は、上記の目的を達成するため、次の種類の特定非営利活動を行う。
1 社会教育の推進を図る活動
2 まちづくりの推進を図る活動
3 学術、文化、芸能、又はスポーツの振興を図る活動
4 子どもの健全育成を図る活動
5 前各号に掲げる活動を行う団体の運営又は活動に関する連絡、助言又は援助の
  活動

この法人は、上記の目的を達成するため、特定非営利活動に係わる事業として、次
のことを行う。
1 本を通じた子どもたち及びその父母を対象とした教育事業
2 民俗・芸能に関する調査、情報提供等に係わる事業
3 民俗・芸能に関する調査、情報提供等に係わる事業を行う団体等への支援に係
  わる事業
4 東日本大震災被災地における記録等の制作、出版等に係わる事業
5 行政機関、関係団体等との交流、連携、協力事業
6 講演会、講座、報告会等の企画・運営並びに研究成果の刊行事業

役員に関する事項
東京都羽村市緑ヶ丘四丁目12番地24
理事          藤森建二

従たる事務所
岩手県上閉伊郡大槌町吉里々々第9地割36番地

やや固めな法定的文字が並んでいることと、多義にわたる活動事項の列挙から大き
なNPO組織に感じられるかもしれませんが、実際はこれからの取り組む事に、これま
の実行に比べ、それほど飛躍があるわけではありません。
皆様の賛助と併走しながら、被災地の再生と人のこころの復興により組織的にサポ
ートしていきたいと思っています。


2013年1月19日土曜日

解説ではなく物語をつくる

長年かけてリニューアルされた国立駅

新年早々から企画提案いただいていた、311被災地・大槌在住の方から復興へ
むけ再起する実情を聞く交流支援会についての、実行部隊(数人)を立ち上げま
した。(国立、白十字にて)

「さて、大槌の報告会の実現に向けて話を進めたいと思っています。
打ち合わせをしたいです。期日、とどういう形でするか、です。
私のほうでは二か所、国分寺駅近くと、団地内でやることが決まっています。
他には具体的なことが決まってから、話をもちかけようと思います。
先日メールを転送したインドネシアの災害を調査しているT洋子さんが15日帰国
予定です。
報告会も現地の大槌の町にも行って、支援のお手伝いをしたいといっています。
東京での報告会にもきてもらい、手伝ってもらうことがいいかと思います」。(Sm)

会の内容は
被災の遠隔地・大槌町からムクシさんに上京してもらい、震災直後の被災からや
っと動き始めたおんなたちの「生きる」ことと、町復興計画の「混沌」を報告しても
らいます。

次に、僕の私から公の活動へ至る<大槌の風 特定非営利活動法人>につい
て報告させてもらいます。
大槌のこどもとおかあさんに本を届けてきて(佐々木格さん主宰の森の図書館・
吉里吉里波板海岸所在)、今では幼児から子どもたちで賑わている実情について
です。
そして、被災直後から最近まで撮り続けてきた写真で、四季折々の風景は移ろう
が、瓦礫の山が撤去されただけの変わらない荒野を知ってもらいます。

会を主導してもらうSmさんは、大槌安渡の仮設住宅で聞き書きした震災への備
えを、大釜で炊き出しをした数百人の活力をレポートされます。

さらに、インドネシアの大津波災害を調査しているT洋子さんから震災の伝承のさ
れ方の実例報告があります。

他に、ムクシさんたちの海産物、農産物、手作り品の即売に協力し支援します。

開催は、2月中旬から下旬で予定しており、場所などについて追ってお知らせしま
すのでご参集ください。

2013年1月18日金曜日

それぞれの復興支援を

大槌湾埠頭

以下、三者三様ですが被災地へ何らかの形で参加することが復興支援につながり
ます。
被災直後に沿岸部を訪ね生活、法律相談のボランティアを行ってきた知人の行政
書士が一段落後の支援について話してくれた。
「やっと地元が動き始める。外部からのボランティアのつなぎ的役割として何ができ
るか。寅さん映画持参の楽しみながらのボランティアへ移行しようかと」。
ボランティア活動にも大、小、個人様々あって復興の進捗によって、行政に取り込
まれる者、会社組織的もの、あくまで個人で継続する者に微妙に変わってきている
感じです。

大槌海鮮居酒屋を新宿につくる構想の構想があります。大槌町の酒蔵(浜娘)と契
約し、カキ、うに等の養殖モノはまだダメだが、サケ、ビンチョウマグロ、サバなどを
産直し交流支援するというものです。

「今はガラパゴスの記念プレートの取り替えで頭を悩ませています。何かをやれば、
また難題です。新年より嘆きです。
3月にはガラパゴスに出かけることになりそうです。国立公園所長、チャールス・ダ
ーウィン研究所長、サンタクルーズ市長等に会える機会ありますので、姉妹島の話
を進めるには良い機会だと思いますが如何ですか?」(ドタ)
今月末に会って姉妹島促進の打ち合わせをします。


2013年1月17日木曜日

ひょっこりひょうたん島の新しい灯台点灯!




12月に震災で消失していたひょっこひょうたん島(蓬莱島)の燈台が、大槌町
の岩間みな子さんデザインで新しく誕生し灯が点火されたことを、ニュースで
知りました。

真っ赤な燈台の放灯の部分は太陽を、胴体の部分は砂時計をイメージしてい
るとのことです。海の安全と大槌の復興を願って、水先案内する可愛い鳴子こ
けしのようにも見えます。

311大津波でぽっきり上体がもって行かれた悲しみの燈台を、大槌湾に立つ
ごとに眺めてきましたが、記憶する風景の残酷さを実感します。
子どもたちは、この風景とともに成長し、災間の生き方を学びつづける象徴に
なるはずです。

2013年1月16日水曜日

二大取次の店頭売り上げ微増に。

先にトーハンの年末年始の書店動向(0.9%微減)に触れたが、日販は昨年対比
1.9%でプラスに売り上げが改善なった模様。
まだ日販に勢いが見られるが、書籍、雑誌は厳しく、コミックで救われている傾向
が強い。
劣勢のトーハンが、ブックファースト(42店舗売上200億円)を昨年12月に子会社
にした。
これまでBFは大阪屋をメイン取次先にしてきたが、先のアマゾンジャパンの取引
が日販に変更になったこととあわせて痛手は計り知れないだろう。
二大取次の独占化が進み、中小取次は近いうちに併合されるのではないかと思
える状況にある。

2013年1月15日火曜日

軽井沢Pスキー&星野温泉◎

浅間山・北アルプス連峰・妙義山が一望!


晴天も好いが雪舞うスキーも滑る快感があって最高!
この5年は、毎年小正月にスキーに出かけるのが恒例になっています。
昔は、霧が峰車山は日帰りで、白馬八方尾根か乗鞍高原は正月にGyuが幼少の
頃、シーズンを待って頻繁に楽しんだものです。
13日から今日まで、晴天、雪、晴天のなかでハルがリフトに乗って滑り降りるまで
特訓した。
1日目はキッズスキー教室で、2日目、3日目はもっぱらGyuの懇切で丁寧な指導
によって、最後は浅間山がくっきり見える頂上に上り、気合一発、音を上げないで
滑り降りたから感動した!
僕も歳にかかわうらず皆に負けじと、転倒して骨折することを避けるべくゆっくりと、
降り積もった新雪を滑り降りることが出来ました。

露天の秘湯が素晴らしい星野温泉で時を忘れて浸かった。折からの吹雪で、雑木
林に繭玉のよう雪が氷結した一面の絶景に魅了させられた。




2013年1月12日土曜日

カンバイズ大字報



歴史ある草野球チーム・カンバイズには、球団の広報部が発行する「カンバイズ
大字報」がある。最新版が暮れに届きました。
僕はカンバイズ球団をつくった一人ですが、プレーヤーとしては70歳にして退い
ています。この球団について触れることは、これからもことある事にあるでしょうが
今回は特集が組まれており、その特筆たる北川友一郎君の死を悼んで寄せられ
た言辞についてです。



【読書&ほんの周辺】

『津軽』太宰治著(岩波文庫)と『内田百閒』(ちくま
日本文学)と『断腸亭日乗(下)』永井荷風著(岩波
文庫)をあきる野未来屋で購入する。
青森・東京・岡山が円環する文学に何か発見があ
るかどうか。柳田國男は江戸・東京を中心とするド
ーナツ圏の民俗に類似性を論及しているが、、、、
ちょっとそんなことが気になって入手した3冊です。


2013年1月11日金曜日

大槌の風へ協賛金が!ありがとう。



福島原発の被災者を、自らが経営する栃木市の施設で(4名の老人)預かっている
大学のときからの友人から<大槌の風>へ個人協賛金が届きました。
協賛会員になっていただこうと考えています。

昨年11月9日のブログ「大槌の風」でも、Yyさんが住む場所を失った震災被災者の
世話をされている様子を『震災と語り』(宮弥井書店)のなかで知って、身近に、形は
変われど向かう先を一にするコトで意を強くしたものです。
しかし、施設で最終まで見続ける覚悟のようですが、「最終」はまだまだ先が見る状
況ではありません。頭が下がります。

さらに、僕がかかわった土田憲著『波濤を越えて』(言視舎)の書評が同封されてい
ました。
「<太平洋ひとりぼっち、、、>のドタ・ケンさんの奮闘(プロデューサ)、楽しく読ませ
ていただきました。ノービザ、ノーマネー、ノーパスポート、それに西海海岸の日本人
排斥の歴史を考えると、当時受け入れてくれたサンフランシスコ市長の勇断を忘れ
てはいけないと感じました。又、ドタ・ケンさんはそれに強く感動なさっていつづけた
のではないかと思いました。、、、、寒さ もう少しです。みなさまからだに気をつけて
<たより>を発信してください。楽しみに拝見しております」 と。
感謝。

2013年1月10日木曜日

復興まちづくりは住民の入魂で。

トーハンの新春の会で聞いたところによると、年末年始の売上は、前年比0.9%
減少。毎年の下落現象は相変わらずで今年もまた厳しさが窺えます。

【読書&ほんの周辺】

「世界」1月号(岩波書店)の、特集・東北復興──
置き去りにされた生活再建 を読む。
復興の町づくりは、被災した町の人たちが主役の
はずが、役所や社会福祉協議会など行政側によ
って主役とボランティアの活動を制限する見えない
力が及び始めていることの報告が「遠野まごころ
ネット」の臼沢さんからなされている。

まちづくりのなかに、本当に住民のせっぱ詰まった
意思が反映されているのかどうかが気がかりです。
最近、自殺者のニュースに接しますが、何が起こっ
ているのでしょうか。
区画整理、買上げ交渉が並行して進められている
ようですが、歴史と習俗をもった場所柄で土地、家
族の想いを最大限汲み取ることなくしてまちづくり
はあり得ないとおもいます。

中央が大槌町役場跡(住宅・商店が密集していた。)

2013年1月9日水曜日

311後に書かれた『死霊』論


3ヵ月分が届き、早速4時間かけて通読した。よろずの情報が得られてありがた
いことです。

埴谷雄高について書かれたものが、昨年半ばに刊行されたことは知っていたが
この度、黒古一夫の書評に触れられなければ忘れ去るところだった。
埴谷雄高『死霊』論ー夢と虹(御茶ノ水書房刊・3,200円)

僕が、洋泉社として出発した最初の第一冊が、埴谷雄高の「『死霊』論ー頭蓋の
シムフォニイ」(白川正芳編)でした。
戦後文学に関心をもつ者には周知のことに属するが、敗戦直後の1945年に、
第1章が発表されて、今日にいたるまで未完に終わっている特異性際立つ作品
です。
第7章が発表された1984年の翌年に洋泉社の「『死霊』論」は刊行されました。
『死霊』論は、まったく同時代の武田泰淳、大岡昇平を始めに、小川国夫、高橋
和巳、大江健三郎、加藤典洋ら多くの批評家、作家、文学研究者によって時代
時代に相応した形で論じられてきました。
しかし、本書は「3・11」後の状況のなかで、それまで書きとめてきた草稿を全面
的に改稿して出版されたとされている。

「『死霊』とは、人類にとって希望の文学なのである。」と、未来へ開かれた文学
作品であり、「精神のリレー」へ昇華されていると読み解いている。
これまで難解な観念ニヒリズム小説、形而上学小説と言われてきているが3・11
以後の状況を経験している私たちへの言づけであると。
今は亡き栗本薫が『死霊』を推理小説風に解読して見せたが、本書もまた新しい
価値観から発せられた作品・作家論の誕生であろうか。


2013年1月8日火曜日

311 風化させません!



大槌町で再起を期して地産・海産物販売を始動する女性から、支援の要請と上京
して復興現場からの現況を話したいと、Smさんにアンサーがありました。
復興促進のなかで、急ピッチで土地買い上げが進められ、被災弱者の意見、希望
が次第に弱音になっているようです。

東京(人)と被災地(者)・大槌をつなげる交流、連携、支援の場として、彼の女性の
リアルな話を聞きたい。併せて、再生した地場海鮮生産物、農産物の販売に協力し
たい。それも、早い時期で調整したいと云う思いがあります。
<大槌の風>の東京ネットは、未だ微々たるものなので、様々な地域活動をしてい
るSmさんの実行舞台づくりに負うところ大でしょう。

Smさんからは、自らの関係3、4ヶ所で集会を設定できると提案をいただいている。
参加人数は、10人から20人前後がよいところでしょうと。
さて、僕の方ですが、新宿2ヶ所、神田で1ヶ所で出来るかどうかと云うところです。
大槌の風 公的な活動始動の第一歩にしたい思いに到りました。
311風化させません!

大槌の風 特定非営利活動法人 として、アピールと支援要請を月半ばには発した
いと熟慮中です。


2013年1月7日月曜日

再度、アナログ年賀状について

Sk氏(2012・4・7)


年賀状を頂く相手の方とは、月に数回会う方がいるかとおもえば、50年近く会っ
ていないが賀状のやり取りだけは続いている奇特な方もいます。
年々、メールで新年の挨拶をもらう方も増えてきているが、やはり一枚一枚の賀
状をめくってみることで、消息の一端が知らされる方が想像できてうれしい。

こんな年賀状もいただくようになりました。
八十歳半ばになり老々介護で生活している状況で、勝手ですが年賀状による新
年の挨拶は本年を持ちまして終わらせて頂きます。
賀状お断りは、このような理由の方もいれば、虚礼廃止を趣旨とする方もいらっ
しゃいます。

長いお付き合いの著者Skさんからは急に奥様が要介護の人になり、自分のトシ
を実感しています、と。僕の4月の会でお会いしたときは、全くそんな素振りはな
かったので驚きです。

この新年の賀状で最も多かったのは、<大槌の風>どうか吹きまくってください、
との支援と大槌町出身者から活動への礼状でした。もう少しこのNPOを、実態あ
るものにしたく、トシを排して奮起させられます。

次に多いのが、年初早々堅苦しい挨拶としながら、今年からの政治の行方案じ
て危惧する心境を「新聞」調に認めたものありです。
同じように、毎年数通、賀状いっぱいに6ポ活字で年次活動のレポート風ドギュメ
ントを受け取るのですが、待つ気持ちになるから不思議です。
僕も虚礼廃止を考え、生涯一度だけ頂いた賀状の返事で済ませたことがあるの
ですが、一年一度の相互交通があった方が良いかな、との思いにいたっています。

2013年1月6日日曜日

新年を祝うということ

正月だからこそ、これは何時の正月かと、ふと振り返ってみることがあります。
僕は津山の奥、吉井川をさかのぼって泉(現奥津)に生まれ、5年後には、敗戦に
遭遇する。記憶の始めの正月のお飾りは、祖母が自ら荒縄お編み上げて28日に
玄関に飾り付けられました。同じ日に、庄屋だった車屋(屋号)の親戚の家で早朝
から5臼の餅(丸もちと豆もち)が賑やかに囃されながら突かれたのを鮮明に記憶
しています。
この年の元旦は、大晦日から降り積もった雪が裏の杉垣根から初日の出とともに
はらはらと舞う様でした。

こうして昔の懐かしい回想ができるかと思えば、息災ならざる事情を抱えて正月を
迎えざるを得ない人も多々いるはずです。
震災からの復興の響が聞こえる手ごたえのある未来の正月になって欲しいと願う。
70歳を超えてしまった僕には敗戦後の貧しいながらも復興に向かって明るく活気
のあった子供のころと、311被災の子供たちの無心で元気な姿が重なる。
祝うということは、元来、願う、祈念することへ通じるのだそうだ。願ってもなかなか
成就しないことが多い。でも、また今年も祝った。

ハルの仮面ライダーホーゼの凧(カイト)が多摩川の河川敷に高く舞い上がった。
小さい手で握ったタコ糸がグィグィと引っ張られる手ごたえが堪らないらしく、寒風
にさらされていた。


2013年1月5日土曜日

小江戸・川越の喜多院へ




長い年末年始休みとなったがそれも1日で、松の内も来週月曜日までになった。
江戸の奥座敷といわれた川越市の喜多院へ出かけました。
これまでも神田出版ゆけむり会でそばツアーしたり、別の日には蔵作りの街並み
を散策して「時の鐘」を眺め、鰻を食して帰ったこともあります。

本堂には徳川家光が生まれたとされる「誕生の間」があり、天井には狩野探幽が
描いた春夏秋冬の草花が散りばめられている。隣の書院には三大将軍家光の
乳母である春日局が使用した部屋に入ることもできる。
喜多院は1638年の1月に、川越城下の火災で山門を残して焼け落ちてしまった。
ところが、家光は再建に力を入れて、その年中に終えてしまうという異例の早さだ
ったらしい。
この再興の速さを可能にしたのが隅田川と新河岸川を機能的に使った舟運搬で
建築資材を江戸から運んだことによる。
草野球で大宮河川敷グランドへ行くときこの新河岸川沿いを車で走るが、かつて
明治初期まで、江戸から東京の物資や文化を交通する重要な役割を担っていた
面影を、今では想像することしかできない。

前に訪れたときは、境内に在る500羅漢に圧倒されました。
色んな顔の表情をした石仏が迷路のなかに起立しているのです。静謐な安らかな
気持ちで眺めていると、確かに言われている通り、誰かに逢えるという話に符合す
る羅漢が起ち現れました。
それは、幼少の頃大変可愛がってもらった母方の祖父で濃くて長いまつげと笑っ
た表情がそっくりだった記憶があります。苦しいときもユーモアと笑いを絶やさず、
他人にたいしてめっぽう親切なお祖父ちゃんでしたが、、、。また来るからね、と言
って喜多院をあとにしました。


2013年1月4日金曜日

正月について 200



年々、年始客も少なくなり、正月は子供、孫たちが集まる気の置けないイベント
になってきました。
この三が日は、元日ぐらいゆっくりしようと思ってたところ正午前に、息子たちと
孫ギャオスの襲来があり、急遽お雑煮とお屠蘇で新年会。

わが田舎美作の雑煮の食べ方は丸もちを煮てするめだしの澄まし汁をかける。
具はシンプルで、しいたけ、大根、ほうれん草、なると巻き、するめ、柚子、セリ
に、花カツオをふっていただく。自分の歳だけ食べれば元気になるといい、十数
個のおもちを別腹だといい食べる者もいました。
最近では、こうしたハレの儀礼はめっきり退化してきていますが、やればやった
で子供たちも乗ってくれるので、先祖がえりして楽しんでいます。

2日目は、箱根大学駅伝を第一区のスタートから観る。花の最長の2区で結構
ドラマがあるが、今年のレースは淡々と進み、箱根の山登りで棄権校が2大学
出てしまった。
一年に一度の晴れ舞台で、チーム自体失格の歴史的記録を残すことになりる
選手の心情と後遺症を憂う。
ハル、書初め。三、四、五、六、七、八、九。
毎年除夜の鐘を聞き終えて初詣していたが、今年は午後からハルを連れて出
かけました。ダルマ市もあって大変な人ごみだった。

3日目は、駅伝の復路をチラチラTV観戦。日体大がノーシードから劇的優勝を
飾る。早稲田は往路2位から総合で5位に沈む。かつて早稲田で一緒のランナ
ーだった渡辺監督と櫛部率いる新興城西大の最終区のデッドヒートはドラマチッ
クな展開でした。
Gyoの、新年初走り20キロ。その到着点であるつるつる温泉で待ち合わせし、
会食する。




2013年1月3日木曜日

ほうでなす! 199

ほうでなす・マスター(2012・12・28)

暮れの28日は、居酒屋の主人をファンとする居酒屋に集まる人の居酒屋による恒例
の忘年会があった。
この忘年会は、12月28日固定で例年、職種も年齢もまちまちの10人前後が集うの
ですが、今回は福島被災地へ帰りを早めた大学教授、日頃の多忙を癒すため温泉に
出かけてしまったNPO組織の原発行動隊者らがいて、宴はこじんまりしたものになった。
縁は奇なるもので、この会の出席者の一人節ちゃんから大槌町の被災者が経営する
新宿の「ジャズの店」を知ってるよ、との情報が飛び出しビックリした。
3時間余の忘年会の後、酔っ払った勢いで早速、その店を訪ねました。

大槌町安渡出身・忠丸さんのJAZZ BAR「ほうでなす」です。
新宿末広亭の並びに、ジャズファンにはこたえられない佇まいで在りました。
昨年、足を踏み入れた大槌町の古くから栄えた漁村・安渡の出身者でした。3・11の
大津波で家屋はもとより姉妹を亡くされていました。遠隔地ゆえに大槌への行き来は
ままならないようです。
大槌(安渡)には岬の高台に大槌稲荷神社(陸中国大槌郷総鎮守)があって、震災の
被災者数百人の避難場所になり大釜の炊き出しが盛んに行われた。佐々木さんに連
れられて、十王舘勲神主から津波襲来の様子、直後の避難状況、避難生活の実態を
聞き入ったのである。
この詳細は追補聞き書きでまとめたいと思っています。
忠丸さんの姓に舘が付き、珍しい十王舘さんの舘との関わりを訊ねたところ、何らかの
縁もあるようだった。
何れにせよ、諦めることなく前に歩む大槌町の人と新宿で会えたことは奇遇でした。

意味を大槌高校出身の娘に聞いたところ「どうしょもないな~」でした。

2013年1月2日水曜日

ネット全盛の時代にアナログ年賀の間柄はうれしい!

瓦礫が残る大槌湾


一枚の年賀のやり取りで、感動を味わえるモノがあります。
その中に、大槌町の「森の図書館」に大量の児童書や翻訳書を送っていただいた
Aoさんから、「今年は是非、大槌町へ行き図書館を訪ねるのが目標です。」と新年
の挨拶に添えられていました。
大学勤務のAoさんには会ったことも、声を聞いたこともないのですが、寄贈してい
ただいた何百冊の書目からして素晴らしさが想像されます。多忙を割いてのお出か
けのようですが、被災地支援の実感が得られることを願っています。

洋泉社設立のころに一度会って以来、年賀のやり取りだけで30年になる大学同期
のIkの今年の年賀とメールが衝撃的だった。
通年もらう年賀状のほかに、僕の年賀状「今年は一度お会いしたいものです。」 に
対して「いよいよフジモリもそういう心境になったのか。」と、メールをもらった。
彼とはワセダで当初、勤務先を訪ねたり組織活動も共にする間柄だったが、早い時
期に袂を別って長きに亘り直接の交流もなかった。
ところがこの度の内容は、寿命について、百一歳まで生きたお母さんについて、自裁
をめぐって、自らの脊柱管狭窄症の疾病について語り、そして「あのときに会ってお
けばなあ。」と思いたくないから、暖かくなったら会おうとあいなった次第。

もう一枚の賀状は、雪の京都丹後味土野の友人からで、先の僕のブログ「大漁旗を
京都丹後から大槌町吉里吉里へ」に、彼の知人記者・塩田さんが関心を示してくれ、
大槌町へアピール頂くことになった知らせだった。

2013年1月1日火曜日

迎春!  197

中央が夕日に沈む富士山(2013年元旦)

我が家から真白き富士の峰、眺望!!
除夜の鐘秒読みの時間があって、元旦を迎える。
正月を穏やかにほんわかした気分で迎えることもあれば、昨年のように祝賀気分
には到底なれない時があります。今年は、迎春!ぐらいは言ってみたい。
元旦だからといって、とりたてて何かあるわけではないのですが新しい1年の時間
刻みが始まりるとするならば、未だ退化だけはしたくないと思う。
凡庸ですが今年もまた マイペースで出来ることを心がけていきます。

大槌の風の活動を、協賛者の絆を頼りに更に一歩進めます。
遠隔の被災地・大槌町復興の絆を固いものにするために、東京在で報告会、講演
会、写真展、ボランティア・ツアー(観光もよし)などに取り組む。
行政機関、企業の奉仕部への支援要請に動きたいと思っています。