2016年8月31日水曜日
留萌ブックセンター5周年について 1483
北海道の留萌ブックセンターby三省堂書店が開店から5周年を迎え、その感謝
祭の様子が伝わってきた。
留萌市内に唯一在った書店が2010年に閉店して一度は書店がなくなってしま
ったが、行政や市民の「三省堂書店を呼び隊」などの書店招致の盛り上がりに、
三省堂書店が要請にこたえることで、閉店した書店を再生した。
留萌市の人口は2万2289人。「クラブ三省堂カード」の会員数が1万5000人。
当時、北海道地元メディアでは話題になったが、三省堂書店の本部長だった森
さんから背景や展望を聞いたことがある。
それから5年が経っているが、本のある生活を望んだ留萌市民の情熱は一過性
のものではなく、いまも継続して書店を支えていると云う嬉しい現状のようです。
3・11の大震災で町から本屋さんが消失してしまった大槌町では、子どもたちに
本を読んでもらいたい一途な御夫婦の思いから、いち早く「一頁堂書店」を立ち
上げ、学校や町民のサポートで震災から5年にわたる成長の姿を想う。
2016年8月30日火曜日
米倉斉加年回顧展を見る 1482
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| 赤い月夜に旅立つ魔女(版画) |
のに出合った。
一昨年8月に急逝して二年が経つ。
福岡から上京して、劇団「民芸」に入団して個性的な役者として人気を集めだし
たころ、未来社が新劇の劇団と縁があって、社に立ち寄ったことがある。
そのとき、絵師としては無名だったが、幼少から趣味で描いてきたモノが「未来」
に連載され、はじめてしだいに注目されるようになった。
役者修行の合間に描いた肉筆画や人気の版画は相当量になると思うが、今日
見られたのは限定30点で、個人収集の展示なのだろう。
初期の独特な筆致で描かれた、華奢なようで芯の強そうな老女か胎児に見える
細密画はいまでも目に焼き付いている。
(←ブログ:2014・8・28 「米倉斉加年さんの死を悼む」746)
2016年8月29日月曜日
水干~ダム~羽村の堰~狭山・奥多摩湖 1481
羽村の堰でのハルの川遊びがきっかけとなって、多摩川の源流をさかのぼり
「大河の一滴・水干」を探索することになりました。
【写真紀行として】
この多摩川の原水が羽村取水堰と小作取水堰から、村山・山口貯水池へ融通
される。
羽村から奥多摩街道を一路、JR奥多摩駅前を経て小一時間で小河内ダムに
到着。
小河内ダムがある奥多摩町は、都心から約65㌔にあって、標高530㍍に位置
している。
湖岸の道路をぬって走り、湖を離れて大菩薩峠スカイラインを40分ほど行くと、
一ノ瀬高原への林道をとって渓流沿いを30分ほど走ることになる。
水干への登山口にやっと着く。
(←ブログ:2016・8・21 「奥多摩/水と緑のれあい館へ」1473)
(←ブログ:2016・8・26 「多摩川源流水干の手前で」1478)
(←ブログ:2016・8・27 「多摩川に生息する魚たち」1479)
「大河の一滴・水干」を探索することになりました。
【写真紀行として】
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| 羽村堰の分水口(2016・8・28影:yu) |
される。
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| 奥多摩湖の汲水&狭山湖(2016・8・26影yu) |
到着。
小河内ダムがある奥多摩町は、都心から約65㌔にあって、標高530㍍に位置
している。
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| 小河内貯水池・奥多摩湖(⒗828影:yu) |
一ノ瀬高原への林道をとって渓流沿いを30分ほど走ることになる。
水干への登山口にやっと着く。
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| さぁ!行くぜ、、(⒗・8・28影:yu) |
(←ブログ:2016・8・26 「多摩川源流水干の手前で」1478)
(←ブログ:2016・8・27 「多摩川に生息する魚たち」1479)
2016年8月28日日曜日
追悼・川西政明 1480
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| 書影 |
彼岸の人になってしまったと云う悲哀でした。75歳。
同世代の知人と云うのは、彼と初めて会うきっかけとなった同じ出版社の友人
竜円君から紹介されたことを思いだしたからです。
(その竜円君も鬼籍に入って久しい)。
その後、川西さんには僕が新しく出版社を興すとき、最初の刊行図書である、
『「死霊」論』に「《最後の審判≫─『死霊』7章」の一篇を収録させてもらってい
るのである。
河出書房の編集者時代は、長いあいだいにわたる高橋和巳の担当者であっ
たが、文芸批評家として自立してからも、埴谷雄高、武田泰淳、吉村昭ら戦後
文学者の研究の裡、独特の深さの位置を占めているとおもう。
合掌。
2016年8月27日土曜日
多摩川に生息する魚たち 1479
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| 吉井川で捕ったオンベロ(オイカワ) |
河川である吉井川上流の山峡の町で過ごした田舎への郷愁からだった。
高度成長期、全国の川は農薬や汚物の垂れ流しで汚染されてしまい、夏川での
水泳は禁止されるほどで、魚の生態系にも大きな影響を及ぼした。
とくに、東京をまたぐように流れる第一級河川多摩川は、流域人口の増加による
水質汚濁は著しく、川で自由に遊ぶことが憚れるときがあった。
先日、多摩川の源流から奥多摩湖を経て、日原川、秋川、浅川などの支流をあ
つめ東京湾へ注ぐ旅路を経験した。
そのとき、行った先々で魚の生息と環境の改善の度合いを知った。かつて、吉井
川で捕った魚たちと呼称は違えど同種のものが多いのに感銘した。
一ノ瀬高原の源水近くにイワナ、
小河内貯水池から上流にヤマメ、イワナ、アユ、カジカ、ニジマス、
ダムから羽村の堰あたりまでにウグイ、ニジマス、カジカ、
秋川交流点あたりから下流にウナギ、フナ、コイ、オイカワ、ウグイ、
そして東京湾までにハゼ、ボラ、スズキが確認されている。
(←ブログ:2016・8・21 「奥多摩/水と緑のれあい館へ」1473)
(←ブログ:2016・8・26 「多摩川源流水干の手前で」1478)
2016年8月26日金曜日
多摩川源流水干の手前で 1478
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| 一ノ瀬川~水干へ(2016・8・26影:Tab) |
に行き、「奥多摩/水と緑のふれあい館」で資料をもらい概略はつかんでいる。
今日の主役はハルで、羽村の堰を水遊び場とし、蛇口をひねると出てくる東京の
水は堰から引かれた浄水であることを知って、ならば、その長い旅の始まりを歩
いてみたくなったようです。
水干から、東京湾までは約138キロ。
家を出て1時間余りで奥多摩湖に着く。
巨大な貯水池の堰堤をわたりながら、雄大な景色の奥にすい水源地の山脈を
眺望。
いよいよ、曲がりくねった湖岸道路から大菩薩スカイラインを40分ばかり走って、
一ノ瀬高原への林道を登り走行。途中でブナやモミの木を縫うように段差で流れ
る沢沿いで休憩する。ジワリと汗ばむ手を水に浸すと、凍えるほど冷たく一気に
汗が吹き飛んで爽快になる。
さらに、20分で登山口である中島川口に到着。
これより、笠取山(1953メートル)の沢の行き止まり「水干」までは、5キロ徒歩
往復5時間を要する。
ハルは山歩きスタイルで登り始めたが、、。日も落ちてくるなかで引き返し、次に
「しっかりと準備し、クマよけ鈴をもってくるよ」と、この度はあきらめた。
(←ブログ:2016・8・21 「奥多摩/水と緑のれあい館へ」1473)
2016年8月25日木曜日
やはり、月一度は猛虎阪神タイガース 1477
鳥谷敬選手が先発メンバーから外されるようになってから、観戦熱が冷め加減にな
っている。
こんな気分になることは初めてで、かつて遊撃の名手吉田義男が、藤田平が、平田
勝男が、そして久慈照嘉が若手にとって代わられるときには、あるべき流れとして納
得できた。
鳥谷に代わってショート北條がここずっと先発メンバーで活躍しているが、僕は複雑
な思いで見ている。
鳥谷の今シーズンは低打率、守備に失策もあるが、出塁率はバツグンだし、流麗に
こなす守備範囲の広さはまだまだ他を寄せつけないものがあるとみているが、なぜ
かベンチスタートがつづいている。
鳥谷の後は、北條が若さで越えていくことを期待しているが未だ先だとおもう。
かつて、現二軍監督の掛布雅之が新人で鮮烈なデビューを果たし、そのまま一軍
に定着したシーズンを知っている。あのときは、三塁の名手三宅秀史(岡山出身)
が練習中のケガで引退に追い込まれ、その後がまの大任を見事に埋めた。
現監督は、「超変革」をかかげ新人か2、3年の選手を先発させ今のベストメンバー
と言うが、こんなに先発メンバーをとっかえひっかえして、本当に勝てるメンバーかと
思えてならない。
そして、監督独自の采配の妙を感じさせるモノがない、、、。
(←ブログ:2016・3・1 「トリが変わった」1301)
(← :2016・3・25 「143分の1試合」1325)
(← :2016・4・3 「飛んだⅤ打 桜が咲いた!」1334)
(← :2016・5・2 「寄居「京亭」とキャッチャー原口文仁」1363)
(← :2016・6・4 「鳥谷選手の自制心」1396)
(← :2016・6・28 「采配にブレはないか」1420)
(← :2016・7・7 「一試合でも多く勝つ!青柳」1429)
(← :2016・7・27 「フルイニング出場記録は途絶えたが」1149)
2016年8月24日水曜日
出版・取次・書店の現況をめぐって 1476
出版業界の現状況をめぐって、意見が飛び交った。
今日は、偶然にも出版社の営業では長年の経験と実績がある三人が同席するこ
とになり、僕がこの5カ月の動きで感じた書店や取次の変貌にたいする認識が似
通っていることに納得した。
出版は、他の業界と比べて圧倒的に多品種「少量」生産で、全国に網の目のごと
張りめぐらされている書店に支えられて、高度経済成長期を経て1990年台半ば
までは好調にきた。そしてこの20年間は毎年、下り坂を転げるように売上縮小の
傾向は弱まらないでいますて
出版社は経営上、昨対売上を維持しようとするから点数主義に走り、有象無象の
本が取次を経て書店に送り込まれることになっている。
ところが、年々書店の商品管理システム化は進み大型書店チェーン店は、商品
動向を共有しているので、無駄なストックを持たせない指示系統が徹底してきて
いるように思える。
現場は、どうやって売るかより、どう動きの鈍いものを返品にまわすかが管理能
力として問われているようです。
そんななかにおいても、事前に刊行する本の情報は間断なくキャッチボールする
ことは大切で、初動の扱い方に差が出てくるのは当然で、返品率の抑制になる
はずです。
取次への委託配本は厳しさを増してままならない昨今だからこそ、事前情報から
店頭現場と面体して環境づくりをしてこそ、売上向上につながる。
2016年8月23日火曜日
ハヤシライス 1475
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| (2016・8・23影:Tab) |
ちょうど昼の食事のタイミングにあって、前々から「ハヤシの美味しい店」の噂
を聞いていおり、いつかは食べに行きたいと思っていた。
戦後の闇市から発展した、吉祥寺駅北口のハーモニカ横丁の迷路のような
路地をぬけてTokyuの前に出る。
その裏手に、旧バンビRESTAURANT「シャポールージュ」の看板を見つけ
入店した。
案内されて席にっつくと、隣では吉祥寺の貴婦人仲間がハンバーグセットを、
談笑しながらいただいていた。
注文したハヤシライスはスープとサラダにコーヒー付きでしたが、ハヤシは選
別された玉ねぎをじっくり煮込んであり、独自の香辛料が香り、やみつきにな
る美味しさでした。
僕のなかにあるハヤシライスの歴史は、倉敷時代の「西洋軒」、早稲田通りと
明治通りの交差点近くにあった「フライパン」、神田小川町の「瓢」、浅草の30
皿限定の「ハヤシや」が屈指の忘れられないお店と云うところです。
2016年8月22日月曜日
リオ五輪閉会と台風9号関東に 1474
強い防風雨をともなう台風9号が、22日午前から荒れ模様で正午に関東広域に
上陸した。
空の便は、羽田発着便を中心に日航、JALが欠航。
陸の各路線にも大幅な遅れや、僕が日ごろ利用する五日市線、青梅線(一部)、
八高線などは運休になっている。
今日は終日、台風の情報特番で埋められている。
21日夜、(日本時間22日午前)リオデジャネイロ市内のマラカナン競技場での
リオ五輪閉会式が、台風情報のニュースにあおられて吹っ飛んでしまった感じだ
った。
今回のオリンピックは、比較的よく観戦したと思う。
リオに行っているGyoから情報をもらっていることで、ブラジルをよく知らないとこ
ろが伝わってくる。さらには、当人の身を心配してのことだろう。
競技よりマラソンなど屋外を走るときの町並みや特徴ある山塊を観賞する楽しみ
が随所にあった。
また、コバルトブルーの海洋の波間を蹴って20キロ遠泳する泳者を空から陸か
らズームインする映像は、自分も速さを体感しながら感動した。
(←ブログ:2016・8・9 「リオ・オリンピック会場から」1462)
2016年8月21日日曜日
奥多摩 「水と緑のふれあい館」へ 1473
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| 小河内貯水池(2016・8・26影:Tab) |
エリアに着いた。
夏の最後の日曜日と云ううのに、子ども連れや若者のダイバーも少なく、ゆったり
した気分で奥多摩湖を周遊できました。
お盆の休日明けとか、オリンピック開催最終日に当たり自宅静養組が多いのかと
思ってみる。
近々、ハルが多摩川源流の「水干」を探訪すると云うので、その事前情報を得るた
めに再度の「奥多摩・水と緑のふれあい館」訪問となった。
前に来たときは、「小河内貯水池」が戦前の昭和13年に工事が始まって、途中、
戦争で中断し、戦後、再開されてから昭和32年に完成するまでの、村の歴史や
民俗に関心があって、終日滞在したことがありました。
住み慣れた家屋が湖底に沈むことになり一部の人は集団で、いまの清里をつくっ
た開拓民となった苦難の歴史を知ることになる。
2016年8月20日土曜日
ユリ屋敷 1472
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| 庭のスカシユリ&テッポウユリ(2016影:Can) |
最後に花被片が落下する。
子どもの頃、家の前の川でよく遊んだように、裏山の「タニヤマ」にも集団で登り
「陣地戦」を楽しんだものです。
その頂上のくぼ地が湿地帯で、テッポウユリ、ヤマユリ、オニユリが微妙に時期
を違えて咲いていた。
もちろん、そのときは遊びに夢中で、ユリの品種など知ろうとすることもなく、お盆
に供えられる無垢な花だなと云う程度の認識だった。
後年、北海道サロマ湖や鯔が碕、白馬岳、石垣島に旅して、ユリ科の多様性か
らくる美しさに惹かれるようになって久しい。
(←ブログ2014・8・31 「処暑、暑さがやむ!」 749)
(←ブログ2015・8・24 「処暑」1110)
2016年8月19日金曜日
宮古・池間島のマングローブ/記憶の断層 1471
2016年8月18日木曜日
塚本晋也監督が選書するフェア台が 1470
『塚本晋也「野火」全記録』(洋泉社)の刊行を記念して、池袋ジュンク堂で
塚本晋也選書フェアが開催(8月28日~)される。
戦後71年、「野火」は終わらない。
塚本晋也監督の映画「野火」は、渋谷で単館公開されたときから若者から
シニアまで観客の列ができ、この一年で地方隈なく公開が続いている。
塚本監督自身、精力的に劇場行脚している。
そして今、原作の大岡昇平『野火』に始まる塚本監督の読書体験から選書
される本を基に、「戦争」を読み直すきっかけになればいいと思う。
(←ブログ:2015・7・19 「安保法制破棄/映画を観よう!」1074)
(← :2015・7・25 「戦後70年に想う」1080)
(← :2016・8・8 「『塚本晋也『野火』全記録』を読む」1461)
飯田橋駅が変わった 1469
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| 新飯田橋駅(2016・8・17影:Tab) |
比較的よく乗降するJR飯田橋駅の改札口が別な場所に変わった。
飯田橋駅は、1960年代前半に法政大学構内に出入りし、後半から80年台半
ばまで未来社への通勤でよく使った。そして今でも、飯田橋周辺には出版社や
出版の取次会社が在るので、よく乗降する駅です。
ホームから改札口までゆったりした長いスロープを歩くのに慣れていたが、この
度の改装でホームからすぐ階段を上がり土手に出られることになった。
外との風景がかわって見える。
3・11の三陸に押し寄せる魔の津波をはじめて特報で見て、親戚の人たちの生
死を身をもって感じたのも、取り払われた飯田橋駅西口改札口の上にあったTV
放映からだった。
(←ブログ:2016・5・11 「見る側の視線によって、、」1372)
(←ブログ:2016・5・18 「飯田橋駅前は江戸城外牛込御門」1379)
2016年8月16日火曜日
戦後71年の敗戦の日に思う 1468
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| サイパン米軍上陸海岸と日本軍大砲(影:Pen) |
戦争の無謀だった敗北の戦いのことが想起される。
その前史の満州事変により、日本は戦争の時代へ突き進んで、敗戦までの15
年間がある。
1940年生まれの僕は戦争を知らないわけでなく、日本が破滅に向かう5年間
の戦前にかかわっていることになる。
母方の伯父は徴兵されフィりピンで戦死した。一方、父は師範学校を出た教師
で、サイパン島へ赴任し敗戦近くまで植民地教育に「専念」していた。
親父はサイパンからの最終帰国船で帰ることはできたが、戦後職に就くことは
できずブラブラしていた。世捨て人のように筑豊炭鉱にも行った。
そうこうしているうちに母は結核を患い、戦死した兄の居ない生家に帰り療養
生活に入る。
弟たちは親類の世話になり、僕は祖母と二人だけの生活になる時期がしばら
く続いた。
これは運命であろうが、伯父や亡き父母、祖母の思いを、自ら、戦争を起こさせ
てはならない思いで繋げたい。
2016年8月15日月曜日
6年目を迎えた大槌の菩提寺に 1467
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| お墓から(2016・8・14影:Aiz) |
新潟に住む下の義娘たちファミリーが、このお盆に帰郷して江岸寺の新しくなっ
た墓石を囲んだ写真が送られてきました。
「良かったです。去年より、周りもキレイになってました。」
写真で見ると、城山全体が静かな鎮魂の森になった感じです。
3・11直後に、江岸寺境内の泥掻き出しに参加したときに見た、黒焦げでひび
割れた墓石が倒壊した風景は暗澹たる気持ちにさせられました。
大震災によって壊滅的被害を受けた大槌町の市街。あれから5年6ヶ月、被災
地域の人たちの懸命の努力によって少し復興の進展が見えるようです。
流出した御祖母ちゃんの家の周辺は、緑で囲まれる運動場になるようですが、
未だずっと先のこと、、。
(←ブログ:2015・8・15 「5年目を迎えるお盆」1101)
ブラジルコーヒーをお土産に 1466
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| ブラジルコーヒー・セラード産(2016・8・14影:Tab) |
手土産は、僕がコーヒー好きで日に4、5杯飲むのを知ってか、ブラジルの代表
的な産地セラード地区の高品質な豆を真空パックした逸品でした。
ブラジルで生産されているアラピカ種の品種は、ブルボンやムンドノーボ、カツ
アイなど多岐にわたる。
さっそく、ペーパードリップで最高の一杯を淹れて、みなに振る舞いました。
まず、鮮度があまり落ちてなくて、生きた味を楽しめました。
それにしても、一ヵ月前にはポルトガル・リスボンからイワシ祭りの「トマトサー
ジン」の缶詰を食し、きょうはポルトガル語を言語とするオリンピック開催中の
リオネジャネロから代表的産地農園のコーヒーに出合えるなんて幸運だ。
場所に対する感覚がちょとづつちじまった感覚になる。
(←ブログ:2016・8・9 「リオ・オリンピック会場から」1462)
2016年8月13日土曜日
盆の入り 1465
を合わせる。
yuは祖母から引き継いだしきたりにそって、牡丹餅やキャンベラ(ぶどう)など
を供え、迎え火を点けました。
を供え、迎え火を点けました。
この盆行事は、中国から仏教が伝わる以前から日本にある風習だという説も
あるぐらい古い。旧暦の時代は、7月15日を中心とする行事だったが、現在は
一ヵ月遅れにして8月15日を中心に行う地方も多い。
盆には精霊を此岸に迎えて和み、また彼岸に送り出す行事を受け継いできま
した。
しきたりも簡素化してきたといえ、僕の住む羽村や隣の青梅、狭山は古い村落
が元気で、商店街の店先には盆提灯や精霊棚飾り付け用品がこの時期一斉
に並ぶ。
(←ブログ2013・8・13 「お盆の風景」)
(←ブログ2014・8・13 「お盆の入り」 731)
(←ブログ2014・8・14 「も少しお墓参りについて」 732)
(←ブログ2016・8・13 「盆開き」1099)
一ヵ月遅れにして8月15日を中心に行う地方も多い。
盆には精霊を此岸に迎えて和み、また彼岸に送り出す行事を受け継いできま
した。
しきたりも簡素化してきたといえ、僕の住む羽村や隣の青梅、狭山は古い村落
が元気で、商店街の店先には盆提灯や精霊棚飾り付け用品がこの時期一斉
に並ぶ。
(←ブログ2013・8・13 「お盆の風景」)
(←ブログ2014・8・13 「お盆の入り」 731)
(←ブログ2014・8・14 「も少しお墓参りについて」 732)
(←ブログ2016・8・13 「盆開き」1099)
2016年8月12日金曜日
羽村の取水堰について 1464
![]() |
| 「投渡木」の羽村堰(影:Can) |
吉井川でよく遊んだ「堰堤」の風景の記憶をよみがえらせてくれ、想い出を繋ぎ
とめてくれる。
多摩川羽村大橋を渡るとき眼下に見える堰、小正月「どんど焼き」をする堰の
河原、満開の桜並木土手から見る堰の取水口、そして「フジモリ25マラソン」や
真夏のハルの魚捕り水遊びと云う具合に身近に接しているのである。
夏休みで来ているハルは、午後からは「羽村の堰」の下流に出かけ水泳、映画
のロケハンごっこ、魚捕りを間断なく遊ぶ。
魚の手掴みだけはわが腕の見せどころとばかりに、2、3匹ゲットするまで奮闘
する。その姿が滑稽らしいが、実際につかんだ魚を見とどけると興奮して喜ぶ。
ほとんどお盆前の先祖がえりである。
その羽村取水堰の歴史は、玉川上水の出発点で1653年に、羽村から新宿区
四谷大木戸まで開削されました。
いろいろな工夫がこらされている。
洪水などのときには、「投渡木」といわれる材木を横に差し込み渡したものを取
り払い、堰が流出しないように伝統的手法がこらされている。
2016年8月10日水曜日
小学校校歌 1463
生まれて初めて経験する入学式。
津山から奥の山峡にあった「泉小学校」が、その学校でした。
小学校の校庭に立つ銀杏並木を通り抜け、校舎正面奥の2階の講堂に足を踏み
入れると、上級生が拍手で迎えてくれた。
そして校長、村長、上級生の祝辞のあと、校歌の大合唱で締めてくれたように思う。
そのとき初めて校歌を聞くので、歌詞の意味を深くかみしめることもなかったが、
その後、しだいに、自然に口ずさむほど言葉の一つ一つが郷土を具体的にイメー
ジできる唱歌になっている。
学校を離れ、郷里も離れて長い年月を経たはずなのに、歌詞やメロディーはいま
だに完璧でないが覚えている。
この校歌の作詞・作曲は福井啓七先生で、僕の父親と師範学校の同級生でした。
親父もまた、赴任先で「柳井原音頭」を作詞するなどしていたことからすると、師範
学校の先生養成の目指すところを知る思いがする。
「泉小学校」は、統廃合によって今はない。校門横に立つ二宮金次郎像がむかし
校庭で遊ぶにぎやかな声を懐かしむだけ、、。
(←ブログ:2016・7・23 「「柳井原音頭」のこと」1445)
津山から奥の山峡にあった「泉小学校」が、その学校でした。
小学校の校庭に立つ銀杏並木を通り抜け、校舎正面奥の2階の講堂に足を踏み
入れると、上級生が拍手で迎えてくれた。
そして校長、村長、上級生の祝辞のあと、校歌の大合唱で締めてくれたように思う。
そのとき初めて校歌を聞くので、歌詞の意味を深くかみしめることもなかったが、
その後、しだいに、自然に口ずさむほど言葉の一つ一つが郷土を具体的にイメー
ジできる唱歌になっている。
学校を離れ、郷里も離れて長い年月を経たはずなのに、歌詞やメロディーはいま
だに完璧でないが覚えている。
この校歌の作詞・作曲は福井啓七先生で、僕の父親と師範学校の同級生でした。
親父もまた、赴任先で「柳井原音頭」を作詞するなどしていたことからすると、師範
学校の先生養成の目指すところを知る思いがする。
「泉小学校」は、統廃合によって今はない。校門横に立つ二宮金次郎像がむかし
校庭で遊ぶにぎやかな声を懐かしむだけ、、。
(←ブログ:2016・7・23 「「柳井原音頭」のこと」1445)
2016年8月9日火曜日
リオ・オリンピック会場から 1462
2016年8月8日月曜日
『塚本晋也『野火』全記録』を読む 1461
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| 書影 |
観てから57年を経ていた。
今村監督の場合、『豚と軍艦』など強烈な戦争風刺映画を観て、土俗的な日本人
の精神のありように肉薄する視線を察知してきたが、塚本監督は戦後70年の今、
いったい何を問うのか、期待しながら観た。(ユーロスペース)
原作者の大岡昇平も映画のできばえを、精神のリレーとして大いに喜んでいると
思う。
塚本晋也は言う。
当時は戦争から離れたい一心で戦争体験を消し去ろうとしたはずだが、今は戦争
体験を消し去るのは、無自覚に戦争に近づいてしまうことを意味するようになって
しまった。
そしていま、『塚本晋也『野火』全記録』を手にして、この完全自主製作・自主配給
映画が不安を抱えながら公開にこぎつけて、全国劇場行脚をつづけ、そして世界
に「野火」が燃え広がっている事実を知る。
自主製作になった経緯を、10年ちょっと前までは『野火』の企画自体は「いいです
ね」という会社もあったが、それが数年前からは、その企画の話をするだけで煙た
がれるようになったという。
(←ブログ:2015・7・19 「安保法制破棄/映画を観よう!」1074)
(← :2015・7・25 「戦後70年に想う」1080)
2016年8月7日日曜日
冷房好きだったが 1460
比較的最近まで、真夏の冷房は好きで、家では終日つけっぱなしで睡眠時も切る
ことがないほどでした。それでも風邪をひくことはなかった。
小さい頃から乾布摩擦をさせられたり、水行水したり水風呂が好きだったことを引
き継いてきたと思います。
ところがいまでは、エアコンの冷房も室内温度が30度近くなってはじめてスイッチ
をひねる変わりようです。
体重が落ちてきていることと坐骨神経痛で、体を冷やす気持ちよさより、かるく汗
ばむぐらいの方が快適になっていると云うことです。
肉体的退化によって変われば変わるものです。
そして、エアコンの節電に大いになっている。
(←ブログ:2016・5・6 「肩関節周囲炎」1367)
2016年8月6日土曜日
誕生日ってなんだ,、、 1459
広島市に原子爆弾が投下され、21万人もの死者を出した日から71年目の夏を
むかえました。
8月6日は僕の誕生日です。
この日は、毎年、なにがしのイヴェントに当たることが多く騒がしい。
今年はリオ・オリンピック開催日になりましたが、通年だと甲子園・高校野球大会
開催日であったり、と云う具合です。
しかし自分のなかでは8・6「原爆の日」が、毎年、今日この日に覚醒されること
です。8時15分になると、家で、電車で、路上で自然と手を合わせ黙祷してきま
した。
最後の戦中5歳の夏、轟音につられて青い空を見上げると、大きな灰色の物体
(B-29)が、たしかに飛来するのを見た強烈な残像が残っている。
広島平和祈念資料館に一度だけ入場しているが、原爆の恐ろしさをつぶさに見
て、照りつける太陽の下でこの世の終末を思った。
(←ブログ:2012・8・8 「67年目の<原爆投下>」)
(←ブログ:2013・8・6 「ヒロシマ・原爆投下された日yu」)
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ハルと観る「シン・ゴジラ」 1458
先日、ハルが「シン・ゴジラ」を封切館で早朝に観て、「浜田さんが出ずっぱりだっ
たよ」との知らせと、あと何回か観るんだと声を弾ませていた。
そして今日、夏休みでわが家に来ていているハルは二度目の「ゴジラ映画」を観
に爺と行った。
と云うのも、親友の浜田晃が総務長官役で出演していることや、3・11東日本大
震災後の光景を彷彿させる映像を取り入れている様を観ておきたいと思った。
シリーズ第一作初代「ゴジラ」が公開されたのは1954年で、正体不明の巨大生
物が海から現れ、東京に上陸し建物は踏み倒され人々は逃げまどい、政治家は
右往左往する。
この戦後10年は、水爆実験や第5福竜丸事件に自衛隊発足の時代背景があっ
て、怪獣映画でありながらその時の空気を直感できた。
そして「シン・ゴジラ」もまた、さらに純化してひたすらゴジラ対応に追われる政治
家や役人(自衛隊も含めて)の姿が、今流に高度な分析や情報処理にスピード
対応できる人間と、間抜けな役立たず者を際立たせる滑稽さもある。
3・11で津波が鉄骨ビルや自動車をのみこみ陸を遡る脅威は体験したばかりで
その映像が目に焼き付いており、怪獣映画のなかに震災後の日本が映ると言わ
せてもらって、いいのかな。
ゴジラ映画は三代にわたって観たことになる。
「シン・ゴジラ」では破壊後に仮死状態?のゴジラのしっぽの先が微かに動いて
いた、とハルは言いう。そして、またヨミガエルと!
(←ブログ:2014・10・20 「洋泉社に寄る/ハルの読書感想」800)
(← :2015・4・26 「ゴジラタワー!」990)
(← :2015・4・29 「ゴジラ再び!」993)
2016年8月4日木曜日
人頭税石に遭遇して/記憶の断層 1457
![]() |
| 宮古島の人頭税石(影:Pen/yu) |
いくつかの御獄の所在を知ったが、写真に撮らないで見るだけ。
ほかに、島の人たちと歴史民俗にかかわる話をしていると、人頭税と云う言葉
をよく耳にして気にしていたところ、実際に出くわした。
人頭石と同じ高さに背が伸びると課税されると伝えられた。
夜、街に繰り出した居酒屋で、ダイビングショップの地元の若い指導員と同席し
たとき、「人頭税」は「苦しかった」と自分が経験していないにもかかわらず伝言
するのは、親や祖父母のあじわった過酷な歴史が伝承されているからだと思っ
た。
人頭税は、薩摩藩の支配下にあった琉球王府が宮古、八重山諸島の民に課し
明治36年(1903)に廃止されるまで、なんと266年間厳しい生活を強いられ
たことになる。
人頭税の体験者から生の声を聞き取りしたり、人頭税廃止運動を組織し指導し
た中村十作(現上越市出身)の関連史料から論究した谷川健一の「北国の旅
人」がある。
(←ブログ:2016・7・30 「猛暑!スキューバダイビングの気分で、、」1452)
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2016年8月3日水曜日
あいかわらずサポーターに助けられて 1456
きょうは、わがサポーターにPC操作の疑問点をご指導を乞う。
・検索できない字の検索方法を→[Ctrl]+[F10]~IMEパットがでる。
左クリック~書き文字で検索、と云う具合にメモしてくれる。
・Windows Live メール 2012アプリユーザーの切り替え手続きについて
・送信スミが出て~時間をおいて迷惑メール、未送信になるのは、、
・Subsyが出た場合(未送信)の対処は、、
・タイムラインに投稿した、とは、、
・facebookのチャットについて、、
限られたことでしか使いこなしていないが、アクセス方法を少しでも改善する
ことで検索・管理機能を効率化できるのでありがたい。
2016年8月2日火曜日
「サウルの息子」を観る 1455
カメラアングルが斬新で、何気なく聞こえる言葉や音響が不気味に迫ってくる。
1944年10月、アウシュビッツ強制収容所の二日間の記録。
ハンガリー人で時計職人であったサウルが、黙々と死体処理の清掃作業をして
いる背後(上着の背には朱色の×印)からの姿が映し出される。
クローズアップされるのはサウルの目の動きだけで、背景は霧がかかったよう
に不透明で音響だけがあるので不気味さが増幅する。
その死体のなかに息子(らしき子供)を見つけ、名乗って正式に埋葬したい願い
は叶うはずもない。
サウルはゾンダーコマンドといって、同僚をガス室に送り込む任務のユダヤ人、
数ヵ月働かされたあと抹殺される。
ラストシーンの脱走した途中、子供を土に埋葬しようとする場面と、逃げ込んだ
小屋の外に一瞬現れる子供の姿は、ホロコーストの暴虐残虐の極みを伝承す
る象徴なのか。
森に響く銃声と霧のなかにジエンド。
監督は、ハンガリーのネメシュ・ラースロー。
(←ブログ:2016・1・29 「『駆け込み女と駆出し男』を観る」1269)
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(← :2016・2・18 「『チャイルド44/森に消えた子供たち』1289)
(← :2016・3・12 「『ブレイキング・バッド』を観ている」1312)
(← :2016・5・8 「「あん」を観る/樹木希林と市原悦子」1369)
(← :2016・5・22 「「海街Diary」を観る」1383)
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2016年8月1日月曜日
多摩センターの変貌 1454
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| 多摩センター駅前/MARUZEN(2016・8・1影:Tab) |
遊覧の気分で往復したことがある。
きょうは、仕事で多摩センター駅を出て、まず京王プラザホテルへ向かったが周辺
は高層ビルとレジャーセンタービルで目を見張るばかりだった。
中央大学多摩キャンパスが駿河台から移ったのが1970年代半ばで、多摩センタ
ー駅からスクールバスで行っていたように記憶している。
ほぼ40年前になるが、当時駅前は広々としていて建物も疎らだったと思う。聞きし
に勝る変わりようです。
1970年代の多摩センター周辺の新興住宅と団地族のコミュニティを鋭く風刺した
重松清の小説があったが、書名が思いだせない。
も少し宮古島のこと/記憶の断層 1453
![]() |
| 宮古島平良港(影:pen) |
に着く。
宮古島を中心に、池間島、来間島、伊良部島、大神島など大小八島の有人島か
ら構成されている。
宮古は、島全体が隆起サンゴでできているのが特徴で、山や川がなく平坦地。
そのため、土砂が海に流れ込まないので、海の透明度はバツグン。
マムシが生息していない。
水は貴重で、生活水は地下ダムでしのいでいる。
往復航空は、ANA全日空をつかう。宿泊ホテルは、アト―ルエメラルド。
ホテルの前に平良港が広がり、その先に伊良部島を眺望できる。
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| 西平安名崎(影:Pen) |
珊瑚礁の匂いが運ばれてくると南の島を実感する。
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