そもそも、この水曜会は、神田周辺の出版人が出社途上で朝の一時を珈琲店で
過ごした茶話会だった。
それが、三省堂書店地下の「放心亭」に移り、正午からの昼食会に変遷したり
もしたが未だつづいている。
30年前当初の会員は、出版社、書店、取次、それぞれ役職を持つ現役バリバリ
の面子だったが、いまでは皆引退してセカンドステージで活躍している。
そんなことで、集う場所も神田神保町やお茶の水にこだわらないですみ、新宿
紀伊國屋書店前になったと云うわけです。そこから近くの居酒屋に場所を移し
て昼間から夕にかけての一席となった。
2019年10月31日木曜日
2019年10月30日水曜日
困民党の末裔たち 記憶の断層87 2640
![]() |
| 観音堂(影:Pen) |
秩父橋を渡って、大岩をうがった石段をのぼっていくと木立のなかに観音堂が
あった。左手に奥の院(yu、カエルにはばまれ又のことに)。
これから25番の久昌寺までは、荒川の西、左岸にそって走る。小鹿野峠のすぐ
上が23番・音楽寺。ここから十石峠を経て信州佐久に至る。
余談だが、かつてクルマで十国峠を越えで信州へ抜けるべく走っていたところ、
頂上付近の瓦礫路でパンクの憂き目にあい、修理で往生したことがある。
展望台から秩父市街を一望しながら、音楽寺のいわくある鐘を力を込めてつい
た。120年前、蜂起した秩父困民党の農民たちが、この鐘をのろしに山を駆
け下り、荒川を徒渉して当時の大宮郷(現、秩父市の中心部)に打って出た。
その前に、小鹿野町の高利貸しを襲撃している。次第に人数は膨れ、一万人に
もなっていたという。
鐘楼のわきに秩父困民党無名戦士の墓があった。
石碑には、「われら秩父困民党暴徒といわれることを拒否しない」とある。
秩父騒擾の映画「草の乱」(2004年公開)で、緒方直人が北海道に逃れ生き
のびた井上伝蔵役を演じ、彼をして事件の全貌を回想を語らせる名作がある。
蜂起した農民が集結した椋神社は、音楽寺の近くにある。
(←ブログ:2019・1・10 「笹川流れの夕映え 記憶の断層81」2346)
(← :2019・1・19「生まれたて火山昭和新山 記憶の断層82」2355)
(← :2019・2・6 「地層バウムクーヘンに驚嘆 記憶の断層83」2373)
(← :2019・2・24 「勇壮な八方尾根スキー場 記憶の断層84」2391)
(← :2019・7・29 「八重山諸島石垣島へ 記憶の断層85」2547)
(← :2019・9・14 「鳥獣戯画と栂尾山高山寺 記憶の断層86」2593)
2019年10月29日火曜日
定例のテアトロジャージャン公演に 2639
![]() |
| 公演ちらし |
きょうの出し物は、「おんな」(桃井章作・演出)。
舞台ははじめ、作家その人の好きなポルトガル・リスボンの街に在る簡易裁判
所とするところが、海辺の街から東京の立川に代わっている。
ヤクザの組長(浜田)をめぐって、女性検事と女性弁護士の対決を素材(小事
案)にしながらも、二人の女の個人的感情を裁判劇に大きく関わってくるとこ
ろがメインテーマに構成されている。
そのやりとりが、災害(地震)で停電したエレベーターの真っ暗な密室(ケイ
タイ灯かりのみ)閉じ込められた中と云うのが現代的斬新さがある。
ところが、芝居は演技を見せるものの通念からすると、発語だけで舞台を見つ
めるしんどさがともなう。
観たのが初日ではなく、マチネ&ソワレを数回熟してきたうえでの舞台だった
のか、役者の芝居慣れしたタイミングだったのか、違和感は緩和されたように
思ったが、、。
終演後、浜田晃とダイニングバーでいつものように接触はあったが、早稲田自
由舞台関係者と懇談していて、ツッコミができなかった。
2019年10月28日月曜日
清水廣一郎・遺稿論文集を読む 2638
![]() |
| 書影 |
53歳で早死したが、『イタリア中世都市国家研究』(岩波書店)や『中世イタ
リア商人の世界ールネサンス前夜の年代記』(平凡社)など、イタリア中世社
会史研究の労作が出ている。
本書を洋泉社で出版したのは1989年で、この当時「ルネサンスの商人」を学術
的研究でありながら、斬新な視点から目を見開かされる本が出はじめていた。
阿部謹也さんの本などがそれである。
刊行して30年後に再読しているのだが、ルネサンスについて知識を持っている
かのように錯覚していることをおもいしらされる。
その時代の基盤となる商人たちを、著書、論考、翻訳、文献を援用して実証的
に浮揚させ知らされる思いになる。
当時のさまざまな政治的・経済的バックボーンの叙述のなかで、原資料の清水
的読み方が有効に発揮されているからだろう。だから読みものとしても、ユー
モラスに満ちている。
これまた、歳を重ねてからの読書の愉しみか。
文学・歴史散歩をめぐって 2637
11月末に予定する、文学歴史散歩「赤坂─繁華街の歴史の顔」について、理事
会に出席。
この散策のメインテーマは、赤坂で150年の歴史を刻んできた「とらや赤坂
店」の虎屋文庫資料展など開催するギャラリーめぐり。
赤坂店は、昨年10月に三年間の休業を経てモダーンに生まれ変わった。
といっても、僕自身「とらや」のある赤坂見附駅はよく乗降するが、所在場所
は知らなかった。
昔は赤坂見附にほど近い「弁慶橋」を渡って「清水谷公園」に集合したものだ
が、歴史的に由緒ある場所であることなど無頓着だったようだ。
散策コースは:赤坂見附門⇒弁慶橋⇒溜池跡⇒豊川稲荷⇒とらや赤坂店⇒弾正
坂⇒牛鳴坂⇒武家屋敷門(山脇学園)⇒薬研坂⇒圓通寺坂⇒圓通寺⇒三分坂⇒
報土寺⇒勝海舟旧宅⇒長谷川平蔵生家跡⇒本氷川坂⇒日銀氷川寮⇒氷川神社、
今井城址⇒氷川坂⇒南部坂⇒勝海舟旧宅(終の棲家)⇒料亭街⇒三筋町⇒勝海
舟旧宅(最初の家)⇒丸の内線赤坂見附駅(解散)
会に出席。
この散策のメインテーマは、赤坂で150年の歴史を刻んできた「とらや赤坂
店」の虎屋文庫資料展など開催するギャラリーめぐり。
赤坂店は、昨年10月に三年間の休業を経てモダーンに生まれ変わった。
といっても、僕自身「とらや」のある赤坂見附駅はよく乗降するが、所在場所
は知らなかった。
昔は赤坂見附にほど近い「弁慶橋」を渡って「清水谷公園」に集合したものだ
が、歴史的に由緒ある場所であることなど無頓着だったようだ。
散策コースは:赤坂見附門⇒弁慶橋⇒溜池跡⇒豊川稲荷⇒とらや赤坂店⇒弾正
坂⇒牛鳴坂⇒武家屋敷門(山脇学園)⇒薬研坂⇒圓通寺坂⇒圓通寺⇒三分坂⇒
報土寺⇒勝海舟旧宅⇒長谷川平蔵生家跡⇒本氷川坂⇒日銀氷川寮⇒氷川神社、
今井城址⇒氷川坂⇒南部坂⇒勝海舟旧宅(終の棲家)⇒料亭街⇒三筋町⇒勝海
舟旧宅(最初の家)⇒丸の内線赤坂見附駅(解散)
2019年10月26日土曜日
大槌まつり 年々華やぐ 写真から 2636
2019年10月25日金曜日
銀座 鳩居堂画廊へ 「あきつ会」書道展2635
| 万葉集の花から(2019・10・25 影:ncan) |
大井淑子さんの書展には、2014年の「米寿回顧展」に始まって、2017年とこの
度で三度目になる。
と云ううことは、88歳の米寿から93歳の今日まで老いることなく、細字の筆跡に
強さを感じます。
ここに展示されたテーマ(素材)は、万葉集の植物(花)でした。
卯の花をくたす霖雨のはな水に寄るこつみなすよらむこもがも 他15首・万葉集
これまで見てきた屏風、帖、巻子では、百人一首や源氏物語、室生犀星、与謝野
晶子、高浜虚子、岡本この子、佐々木信綱、、、が美しい料紙に書いてあるもの
や、短冊、扇面、色紙などを貼り込んだ演出で新たな感動で蘇る。観るものをし
て、根強い一貫した美意識が感じ取れる。
かな書道の素晴らしいドラマの世界! ありがとうございました。
2019年10月24日木曜日
チャッチャ国民學校訓導・良太サイパン⑧2634
![]() |
| 小学校 |
べてみた。
大正3年(1914)日本軍が群島を占領。
大正11年(1922)南洋庁の設置により、既存の島民学校を「公学校」と改称
し、国語を常用しない者を収容する所とした。
内地人児童に対しても軍政時代すでにサイパン、パラオ、トラックの三カ所に
尋常小学校を設け、内地小学校と同様の教育を施していたが、南洋庁の設置で
小学校は国語を常用する児童に普通教育を授ける所とした。
当時、全群島に34の国民学校があった。
先生は、国民學校及び公民学校とも、訓導(判任)が担当していた。なお、公
学校では教授を補助するため島民教員補を配置してある。訓導は内地において
国民学校教員たる資格を有する者より任用する、とある。
国民学校の修行年限、教科課程及び教科用図書はすべて内地国民學校と同様。
良太が教鞭をとったチャッチャ国民學校は、8学級(初等科)、職員数11名
(高等科含む)、児童数男164人女190名
(←ブログ:2019・4・22「サイパン『教師の家』良太のサイパン④」2448
(← :2019・7・21「驚きの資料! ⑤」2539)
(← :2019・7・24「タロホホ国民學学校とは! 良太の~⑥」2541)
(← :2019・10・12「最後の赴任先 良太のサイパン⑦」2621)
2019年10月23日水曜日
信州・別所温泉 記憶の深層㉞ 2633
![]() |
| 常楽寺/五重の多宝塔~表と裏(影:Pen) |
・懐古園/藤村比碑~軽井沢から小瀬温泉(蓬莱館)へ小雪舞うなかの列車旅。
永しえにてきたことが、確かなものとして残りつづけている。
数年前にもクルマ風船旅で、桜時季に別所温泉の安楽寺・八重の塔と五重の多
宝塔を回遊し、小諸懐古園城址跡の桃色に染まった夜桜を観賞して、中央高速
で帰路についたことがある。
(←ブログ:2019・4・15 「浄土寺から西國寺へ 記憶の深層㉘」2441)
(← :2019・5・3 「鷲羽山の約束 記憶の深層㉙」2459)
(← :2019・6・17 「雲取山登山 記憶の深層㉚」2505)
(← :2019・7・8 「富士見ヶ丘中学のこと 記憶の深層㉛」2526)
(← :2019・8・7 「吉備津神社~滝原神社へ 記憶の深層㉜」2556)
(← :2019・8・26 「北上山系 上有住駅の残像 記憶の深層㉝」2575)
2019年10月22日火曜日
「環境破壊」に齟齬をきたす 2632
大雨や河川の氾濫による大規模な被害をもたらしている。
昨年の倉敷真備町の高梁川に合流する小田川の氾濫による住宅水没から、一年
後の15号による千葉県で長期にわたる大規模停電を起こす事態へと、連続で
これまでの予測をはるかに超える被害の拡大となっている。
僕の住んでいる羽村町を流れる多摩川も、12日夕には「特別警戒」地域にな
って町の有線放送が避難勧告を発令するに至っていた。僕は終日自宅に居たが
確かに長時間にわたり天窓を叩く雨音と庭にあふれる雨水は半端な量ではなか
った。
これだけ列島を覆うような何号もの台風襲来があると、要因は何だろうと思わ
ざるを得ないし、たどりつくのはやはり地球温暖化による「環境破壊」という
ことになるのだろうか。
以下は、ちょっと飛躍した話だが、、、。
出版業界を見わたすと、環境問題に提案や警鐘を鳴らす本は幾多と出ているし
ほとんどの書店にコーナーが常設されている。
さて、その当事者である出版社は、何らかの形で環境破壊に竿を指す姿勢をも
っているかと云うとほとんど皆無のように思う。
大量返品にともなう無駄な廃棄などで逆効果に組していないか、改善されない
ままきている。
2019年10月21日月曜日
張りのある声と笑顔 増田昭子さん 2631
![]() |
| 石垣島「浜ゆう」にて |
9月初めに電話をもらった。これまでのフォークロア双書的著作ではなく、最
後になるであろう「思索」を(ほぼ)書き下ろしたので相談に乗って欲しいと
云う内容だった。
結局、気になりながら住まいに近い国立駅には二度下りながら他用で機会を逸
してしまっていた。
彼女のことでは、いろんな局面で想い出すこと多し。
大学時代から始まって、民俗学のフィールドワークに専念し始めたころ、東京
多摩の民話をまとめて民話双書を企画したこと。
2012年には、彼女の専門になった雑穀・種子の採集や栽培指導につきあって、
八重山・石垣島~黒島へ旅したこと。これらを原点にして、石垣島北部に自然
をそのまま生かしたフィールドミュージャム構想まで準備していた。
さらに、3・11東日本大災害の岩手県大槌町へも、僕がさそって一緒に行き
被災集落の仮設住宅を訪ね、防災や食料補給の聞き書きをした。
まだ残っている「郷倉」の貴重な話を古老から聞いた感動は忘れがたい。
そして東京では、三省堂書店はじめ新宿、国立、国分寺4カ所で、大槌の被災
地女性のから話を聞く会(大槌の風)の強力サポータでもあったこと、感謝し
ています。
いくつもの大病に恨み言の一つも出ることなく乗り越えて、これまで、信念の
フィールドワーク一筋で精進されたこと、人生を全うしたと思います。
合掌。
(←ブログ:2013・3・26 「増田昭子さんの本」(柳田國男賞受賞)
2019年10月20日日曜日
N-ℳ出版『鳥獣戯画 筆ペンなぞり描き』2630
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| 書影と付録 |
年内には2万部消化できる見通しとか、、。
いま出版社は、深刻な出版不況に打開策が見当たらず、出版点数だけを増やす
負のスパイラルに陥っている。
当刊行の出版社は創業して10年余になるが、代表の彼は編集から販売まで熟し
ニューメディア総合企画の開発に邁進してきた。
当たりはずれの商品もあるが、時間をかけて新ルートでの再生に成功している。
出版取次の書籍、雑誌・ムックの部署ではなく、ニューメディア取引窓口に取
引幅があって、書籍も容認している。(部門間の競争ということのようだ。)
この『鳥獣戯画』は、多数の人が知る京都の栂尾山高山寺の国宝絵巻。
世界化した「日本アニメ」の源流とも言え、アウトレットモールに。
京都物産店の土産物に(インバウンド観光対策)。
「御朱印」をもっと大きくアピール。
「仏画」と連動させシリーズ化。
高齢化がすすむ読者層の開拓に好相性。
2019年10月19日土曜日
表紙写真*「ターミネーター」(84年)2629
![]() |
| 12月号表紙 |
特集(永久保存版25頁);アーノルド・シュワルツェネッガー「ターミネー
ター」サーガのすべて
ジェームズ・キャメロン監督の第一作から、最新作『ターミネーター:ニュー
・フェイト』まで、全六作を究極攻略!
日本映画の大逆襲ビョンド2019;近日公開の『108~海馬五郎の復讐と冒険
~』松尾スズキvs『悪の華』井口昇 大人計画̪・師弟対談(12000字越え)!
僕がなんとか追っかけられたのは園子温や塚本晋也あたりまで、真利子哲也や
大塚恭司、松尾スズキ、井口昇になるとほとんど観ることがなかった。
でも先に、真利子哲也監督の『ディストラクション・ベイビーズ』の現代青春
群像を見て、結構刺激的だった。次に『悪の華』あたりは観てみたいと思って
いる。
ほかにも、『真実』是枝裕和vs町山智浩の斬り込みもイイ!
2019年10月18日金曜日
いじめと勇気 2628
むかしから「いじめ」はあったはずだが、いまほど、隠微な側面が表立つこと
はなかったように思う。それも、大人の教育者の世界で起こっているから何を
言わんやである。
小学校から、二つの小学校合併の中学校へ上がったとき、僕らの小学校は少人
数で相手校は倍の生徒を有する者と一緒になった。しばらくは、どちらの小学
校出かで、いじめっ子にいじめられることになった。
あるとき、僕はスポーツ用具室の裏で小学校からの友達が、いじめっ子になぶ
られているのを見た。
そのいじめっ子ともすこし友達つき合いがあったにもかかわらず、割って入っ
ていさめることができなかった。このことは、長いあいだ、奮い立つ勇気がな
かったのだと考えてきた。この歳になってもトラウマになっている。
神戸イジメ教師間の所業は時がたつほどに、悪質度が白日のもとにさらされ、
ホントかよ、と震撼させられる。
はなかったように思う。それも、大人の教育者の世界で起こっているから何を
言わんやである。
小学校から、二つの小学校合併の中学校へ上がったとき、僕らの小学校は少人
数で相手校は倍の生徒を有する者と一緒になった。しばらくは、どちらの小学
校出かで、いじめっ子にいじめられることになった。
あるとき、僕はスポーツ用具室の裏で小学校からの友達が、いじめっ子になぶ
られているのを見た。
そのいじめっ子ともすこし友達つき合いがあったにもかかわらず、割って入っ
ていさめることができなかった。このことは、長いあいだ、奮い立つ勇気がな
かったのだと考えてきた。この歳になってもトラウマになっている。
神戸イジメ教師間の所業は時がたつほどに、悪質度が白日のもとにさらされ、
ホントかよ、と震撼させられる。
2019年10月17日木曜日
三菱一号館⇒JPタワー 丸の内散策④ 2627
![]() |
| 三菱一号館美術館 |
【三菱一号館】へ
ジョナサン・コンドルが設計し、明治27年に竣工。三菱村の四軒長屋の嚆矢。
昭和43年(1968)惜しまれながらも解体されたが、平成21年(2009)丸の内
オフィスビルのシンボルともいえる三菱一号館は明治の容姿通りに復元された。
【大名小路】親藩や譜代大名の江戸藩邸が24あったため「大名小路」とも呼
ばれた。南町奉行所・北町奉行所や勘定奉行所、評定所もおかれた。
【KITTE(JPタワー)】昭和6年(1931)、東京中央郵便局は東京駅の
丸の内口前に建造。その白い磁器タイル作りづくりの瀟洒な建物は、82年間に
わたり時代の変遷を見守り続けてきた。そして平成24年(2012)、旧姿を可能
な限り残しながら、高層タワービルを背後に従えて「JPタワー」として生ま
れ変わった。
郵便局前に「多羅葉の葉」あり。葉の裏側を傷つけると字が書ける。郵便局の
木として定められている。葉書の木ともよばれる。
東京駅舎で解散。
(←ブログ:2019・9・21 「変貌した東京駅・丸の内散策①」2601)
(← :2019・9・24 「日本工業倶楽部会館 丸の内散策②」2604)
(← :2019・10・4 「明治生命館へ 丸の内散策③」2614)
傳通院裏の哀愁 2626
| 未來社跡地(2019・10・17影:Ncan) |
地下1階(本の倉庫)、地上3階の鉄筋コンクリート造り。
解体と社屋移転の情報があって見納めに行ったのが4月上旬でした。そのとき
は煉瓦模様の社屋を蔦が覆っていて、すでに人けはなく社内に入ることもでき
なかった。
そしてこの度は、キャタピラが入り整地の最終段階の様でした。
作業員が休憩中で話し込んだところ、地下のコンクリート工事が厚く頑丈で、
解体が大変だったと、、。確かにエレベーターで地下に本をパレットに積んで
降ろし、三段の鉄骨棚に納めていた当時を思い出した。
昨今の厳しい出版業界にあって、由緒ある傳通院ウラのこの地できざんだ西谷
学校の栄枯盛衰を想うと哀愁漂う。
62年前の新社屋祝賀会の出席者は、その時代の最先端を行く錚々たる面々だ
ったと記憶している。
丸山眞男、埴谷雄高、花田清輝、木下順二、山本安英、野間宏、良知力、小林
昇、内田義彦、宮本常一、藤田省三、西郷信綱、広末保、もろさわようこ、、
(←ブログ:2016・12・6 「西谷和歌子さん墓前に」1579)
(← :2019・4・3 「未來社社屋解体と移転に思う」2429)
2019年10月15日火曜日
鴨川ランナーこと堺健さんの写真展へ 2625
2019年10月14日月曜日
猛虎タテジマユニホーム最終打席のトリ2624
阪神タイガースの今期は終わった。
これをもって退団する鳥谷敬選手が、3点を追う9回2死で大歓声におくられ
代打で登場。先発出場を固辞しての、終戦ゲームの最終打者となった。
鳥谷敬のコメント。「16年間あっという間でしたし、いろんな人の支えがあ
って今日まで来られたと思います」
さらに、「CSも厳しいなかで(レギュラーシーズン最終戦の)9月30日で終
わるかもしれなかった中、2週間も長くタイガースのユニホームを着させても
らって、ありがたく思います」
これをもって退団する鳥谷敬選手が、3点を追う9回2死で大歓声におくられ
代打で登場。先発出場を固辞しての、終戦ゲームの最終打者となった。
鳥谷敬のコメント。「16年間あっという間でしたし、いろんな人の支えがあ
って今日まで来られたと思います」
さらに、「CSも厳しいなかで(レギュラーシーズン最終戦の)9月30日で終
わるかもしれなかった中、2週間も長くタイガースのユニホームを着させても
らって、ありがたく思います」
「この先はどうなるか分からないけど、自分がやってきたことを信じて、新し
い野球人生を頑張ります」。
不死鳥トリよ! いつの日か阪神タイガースで蘇えってくれ‼
(←ブログ:2019-3-21「趣味阪神タイガースと言って憚らないが」2417)
(←ブログ:2019-3-31「二日遅れの阪神タイガース応援歌」2426)
(← :2019-4-9 「勝ちに不思議な勝ちあり!」2435)
(← :2019-7-23 「阪神タイガース 鳥谷敬について」2540)
(← :2019-8-3 「三宅⇔吉田⇔鎌田のゴールデン内野陣」2552)
(← :2019-8-19 「鳥谷敬と子どもたち」2568)
(← :2019-8-29 「鳥谷よ いまやめるべきではない!」2578)
(← :2019-9-1 「猛虎のレジェンド 鳥谷敬」2581)
(← :2019-9-23 「打って走ってチャンスメーク 鳥!」2603)
(← :2019-9-30 「鳥谷敬の甲子園シーズン最終戦」2610)
2019年10月13日日曜日
最強の台風! 東日本を直撃の翌日記 2623
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| 台風一過/羽村堰(2019・10・13影:Tab) |
昨夕のBlog(大槌の風)で、わが羽村町が「特別警戒」の地域に入ったことを
報告し、写真を添付したところ、TVの速報と相乗して何人もから心配の電話
やメールをもらった。
実は僕の家は、多摩川からは段丘(ハケ)を越え、さらに青梅線外側なので、
暴風は別として、大雨増水による危険はほとんど心配ないところです。
ところが、3・11津波災害や昨年の倉敷真備町氾濫を身近に接した経験から
時間が経過するほどに被害が甚大になるのを恐れます。
決壊した秋川や二子玉川、信州上田(千曲川)、栃木、那須、二本松に住む友
人や縁者のことを思うわけです。
2019年10月12日土曜日
特別警戒!台風19号関東へ上陸 2622
最後の赴任先 良太のサイパン⑦ 2621
2019年10月10日木曜日
イーストウッド監督『マディソン郡の橋』2620
たら、デジャヴなアイオワの美しい風景が流れるではないか。
あぁもしかしてこれ、評判になった『マディソン郡の橋』ではないかと思って
いたら、イーストウッドが運転する車がアップされ、あれよあれよのうちスク
リーンに魅入る。
監督:クリント・イーストウッド cast:イーストウッド、メリル・ストリープ
名作でヒットした映画と云ううことは知っていたが、ラブストーリー映画はあ
まり観ようと云う食指が動かなかった。
ストーリーは、結婚してイタリア・バーリィからアメリカ・アイオワ(州)へ
やってきて、17歳の男の子と16歳の女の子を育て亭主共々平穏に暮らして
いたフランチェスカ(メリル・ストリープ)の激情の4日間の話。
彼女の家から遠くないところに架かる屋根付きのローズマリン橋を撮りに車で
やってきたフリーカメラマン・キンケイド(イーストウッド)の案内を申し出
る。車中での二人の会話がはずむなかでの、タバコの喫煙やソーダ水を飲む風
情が微妙な心理描写に効果的。
若いとき先生をしていたが辞めたフランチェスカは、町の人はいい人たちで何
の不服もないのだが、でも、夢とは違っていたと思っている、、。
最後に、フランチェスカが荷物をまとめて、キンケイドと一緒に町を出る決意
をするが、思いとどまる。
彼曰く、「こんな確信は生涯で一度だけだ」、と言いおき二度と会うことのな
い別れとなる。
年老いてたフランチェスカの元に、キンケードの段ボール箱が届く。
なかからは、4日間のそれぞれに意味の詰まった写真、ペンダント、写真集、
橋に「散骨」される壺が出てくる。
充実と云うか疲れもした一日だった 2619
今朝早くから久しぶりに都心へ。乗車時間はほぼ1時間半なのだが、通勤して
いた当時は読書と半睡で苦にならなかった。だが、最近は都心が遠く感じられ
るようになった。
出たら出たで仕事以外でも見(観)たり、聞く情報に刺激されることもある。
午前中は、太平洋諸島センターに寄った。
サイパン島には何回もダイビングや聴き取りでいっているが、となりのパラオ
コロール付近でダイビングしたいと云う思いがある。だが、歳を重ねてその夢
を実現するには境界にさしかかっている。
次に行ったところは、かつて水曜フリー会をしていた場所、三省堂書店地下の
放心亭へ。食事しながら、恒常的な会を持っていたときに、西洋肉料理中心の
メニューに偏食気味な僕の要望でカレーを加えてもらったが、今日のメニュー
では残念ながら消えていたなぁ。
話題は、夏休みの旅の話、仕事の様子、PCの不具合について、あっと云う間
に過ぎた一時間でした。
このあと、3件の約束の面談をこなし家路に。
2019年10月9日水曜日
藤井貞和『地名は地面へ帰れ』出版の頃2618
![]() |
『地名は地面へ帰れ』の扉 |
1972年に、藤井貞和さんの第一詩作品書を出版した。
その前、1969年10月に、清水昶詩集『少年』
1970年9月に、鈴村和成著『ランボー叙説』を出版している。
当時は勢いで本づくり(企画・編集)したが、50年経ったいま、三人の数冊の
作品を棚から引っ張り出して目を通す機会においても、古典ではなく読ませる
迫力十分な内容に驚く。
最近のコラムで藤井貞和について、彼の言葉の間口が広くてその繰り出し方は
軽快だ、戦後詩にあるような観念の重苦しさ、近代詩以来の陶酔的な抒情表現
とは、ほとんど無縁であると。
貞和さんは、源氏物語研究の新たな可能性を開いた国文学研究者だ。(『源氏
物語の始原と現在』)「紫式部さーん、/~」という書き出しに始まる、千年
前の紫式部に友達のように呼びかける軽快なユーモアに満ちた詩は、70年代前
後の立ち位置とは違う。
(タイガースのバース&掛布を賛歌する時代に反応した詩も見られる。)
鈴村和成さんの紹介で初めて会ったのは、第二次安保闘争後、「バリケードの
中の源氏物語」(雑誌「展望69・7」)を読んだ後日でした。
2019年10月7日月曜日
大阪屋栗田から楽天ブックスネットに 2617
11月1日に、ついに「大阪屋栗田」から「楽天ブックスネットワーク株式会
社」へ社名を変更するとの発表があった。
かつて、総合取次大手トーハン、日販につづく売上高3位だった旧大阪屋は債
務超過で、楽天と出版社4社に大日本印刷(DNP)が共同で資本参加しこの
段階で楽天が筆頭株主になっている。
一方では、栗田出版販売が2015年6月に民事再生手続きを申し立て、16年4月
で大阪屋と栗田出版販売の経営統合によって「大阪屋栗田」が誕生した。
倒産を回避したい大手出版社の支援の経緯があってしても、向上的改善になら
ず、さらに、18年5月に第三者割当増資を実施し、楽天の出資比率が51%と
なり楽天出身の服部達也が代表・社長に就任することになる。
楽天の参入時は、金は出すが口は出さずと言われていたが、それはないだろう
と思ってみていた。でもこの急速な社名変更による、親会社である楽天(株)
との重層的作用で出版社・書店等の株主各社との連携を強固なものにしてくる
とはビックリです。
そしてこれに呼応するように、大日本印刷(DNP)が出版物の製造から書店
までを持つグループの強みを生かして、「出版流通構造改革」を進め始めた。
取次との協業もあると、、言うが、目が離せない。
社」へ社名を変更するとの発表があった。
かつて、総合取次大手トーハン、日販につづく売上高3位だった旧大阪屋は債
務超過で、楽天と出版社4社に大日本印刷(DNP)が共同で資本参加しこの
段階で楽天が筆頭株主になっている。
一方では、栗田出版販売が2015年6月に民事再生手続きを申し立て、16年4月
で大阪屋と栗田出版販売の経営統合によって「大阪屋栗田」が誕生した。
倒産を回避したい大手出版社の支援の経緯があってしても、向上的改善になら
ず、さらに、18年5月に第三者割当増資を実施し、楽天の出資比率が51%と
なり楽天出身の服部達也が代表・社長に就任することになる。
楽天の参入時は、金は出すが口は出さずと言われていたが、それはないだろう
と思ってみていた。でもこの急速な社名変更による、親会社である楽天(株)
との重層的作用で出版社・書店等の株主各社との連携を強固なものにしてくる
とはビックリです。
そしてこれに呼応するように、大日本印刷(DNP)が出版物の製造から書店
までを持つグループの強みを生かして、「出版流通構造改革」を進め始めた。
取次との協業もあると、、言うが、目が離せない。
2019年10月6日日曜日
反響! 腰痛体操の補足 2616
| 腰痛体操⑤ 補足バージョン |
過日、この「大槌の風」Blogで<腰痛体操>について僕の拙い写真入りで紹介
した。そもそもこれは、山荘住まいで同年配の知人が、畑仕事や歩道の草刈りで発症
する「腰痛」で悩んでいる話が出て、僕のいま取り入れている改善策を手振り
身振りで教えたことに始まる。
ところが、きょうメールで「ご丁寧な封書を頂きありがとうございます。高齢
のわが身にはハードですが、少しでも長続きするよう頑張って腰痛の不快な痛
みを改善できるよう努力してまいります。」と返事をもらった。
驚いたことにほかに数人の友人からも、モデルの写真が良くて(笑)道具不要
の自力ストレッチングなのでやってみようと思っていると連絡が入りました。
呑む場所でもよく出る、坐骨神経痛や脊椎管狭窄症の痛み、痺れに我慢して過
ごしているひとがなんと多いことかと痛感する。
こんなことがあって、先の写真にもう1点追加⑤と、コメントを補足しておき
ます。
⑤*足指を重ね両手で持ち、両膝を最大限割り、引き上げる
*頭は床面につけて
(←ブログ:2019・10・3 「腰痛よさらば! 即効ストレッチング」2613
2019年10月5日土曜日
35年になる大益君の職人魂に驚愕! 2615
丹後半島の山奥に住む20代からの友人から、葉書が届いた。
10月四日夜9時~テレビ東京の番組「たけしの二ッポンのミカタ」に出るの
で、興味があれば、、丹後では写りませんが。との知らせだった。
<スゴ腕職人幻のマル秘逸品>番組表に載ったTVだったが、彼の生活の一端
が上滑りすることなくドキュメントされており感心した。
次の東京で開催される個展に際して、大いに宣伝になったと思う。
京丹後市にある峰山駅、そこからクルマで山奥を目指すことおおよそ40分。
(東京からだと7時間)
少し山道を歩くと、木の隙間から洗濯物が干された建物らしきものが見える。
ボロ一軒家だが100年は経つ。住むのは漆器職人(名工の域に)・大益牧雄。
35歳のとき、縁あってここに住み始めて35年になる。
かろうじて電気は通っているが、水道はなく湧水を貯水、ガスはなく昔ながらの
マキによる囲炉裏が燃料の主流。
新聞は、郵便物と一緒に一日遅れで届く。
さて職人の一日は、畑、山道を分け入ったところの斜面に植林した漆の木が立つ
場所へ。
作業着を着た彼は、漆の木から樹液を採る漆掻きを始める。専用のカンナを使い
幹に輪形に切れ目を入れると、たらーりたらーりと受缶に採れる。一日7グラム
3本で200グラム採集できる和漆の貴重品である。
住まいとは別の近くの作業小屋で轆轤(ロクロ)を回し碗などを作る。それを、
半年から一年かけて自然乾燥させて原型を仕上げる。
ここからの指先作業が、椀に生命を塗りこむ漆塗りの忍耐と芸であることが、犇
ヒシと伝わってくる。
彼の作法は、木そのものの木目をいかに生かすかに精魂を傾ける。
「木の風合い」という。
10月四日夜9時~テレビ東京の番組「たけしの二ッポンのミカタ」に出るの
で、興味があれば、、丹後では写りませんが。との知らせだった。
<スゴ腕職人幻のマル秘逸品>番組表に載ったTVだったが、彼の生活の一端
が上滑りすることなくドキュメントされており感心した。
次の東京で開催される個展に際して、大いに宣伝になったと思う。
京丹後市にある峰山駅、そこからクルマで山奥を目指すことおおよそ40分。
(東京からだと7時間)
少し山道を歩くと、木の隙間から洗濯物が干された建物らしきものが見える。
ボロ一軒家だが100年は経つ。住むのは漆器職人(名工の域に)・大益牧雄。
35歳のとき、縁あってここに住み始めて35年になる。
かろうじて電気は通っているが、水道はなく湧水を貯水、ガスはなく昔ながらの
マキによる囲炉裏が燃料の主流。
新聞は、郵便物と一緒に一日遅れで届く。
さて職人の一日は、畑、山道を分け入ったところの斜面に植林した漆の木が立つ
場所へ。
作業着を着た彼は、漆の木から樹液を採る漆掻きを始める。専用のカンナを使い
幹に輪形に切れ目を入れると、たらーりたらーりと受缶に採れる。一日7グラム
3本で200グラム採集できる和漆の貴重品である。
住まいとは別の近くの作業小屋で轆轤(ロクロ)を回し碗などを作る。それを、
半年から一年かけて自然乾燥させて原型を仕上げる。
ここからの指先作業が、椀に生命を塗りこむ漆塗りの忍耐と芸であることが、犇
ヒシと伝わってくる。
彼の作法は、木そのものの木目をいかに生かすかに精魂を傾ける。
「木の風合い」という。
2019年10月4日金曜日
明治生命館へ 丸の内散策③ 2614
![]() |
| 明治生命館 |
工業倶楽部会館を散策してきました。続いて、、、
【新丸ビル】
昭和27年(1952)に建設された8階建ての「新丸の内ビルディング」をた
てかえたもの。丸の内ビルディングとは行幸通りを挟んで向かい側にある。
周囲の環境に調和した高い格式と国際ビジネスセンターにふさわしい最新の
設備を融合したデザインアーク。
総事業費は約900億円。解体の際に出た松杭が遺構されていた。
【行幸通り】
大正12年(1937)の関東大震災の復興開発の際に皇居から東京駅まで一本
道を作った。現在地下には、「行幸地下ギャラリー」なる地下通路が開通し
ている。
【丸ビル】
かつて丸の内一帯は皇居を借景として、高さ31㍍の軒高のそろったビルが
整然としてた都市空間を形成していた。昭和38年(1963)、建築基準法が
改正され、高さ制限が撤廃し、同時に容積地区制を導入。超高層ビル時代が
到来する。
【明治生命館】(重要文化財)
生命保険会社の本社ビル。昭和9年(1934)に竣工。建物全体の構成や設備
の充実度から、明治初期におけるオフィスビルの最高峰を示すものといわれ
ている。
1階店頭営業室は2階までの吹き抜けになっている。2階は吹き抜けを囲んで
回廊があり、執務室・会議室・食堂が並ぶ。
昭和20年(1945)敗戦により、GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)に
よる接収と対日理事会の場所となる。GHQが廃止された昭和27年(1952)
まで。
(←ブログ:2019・9・21 「変貌した東京駅・丸の内散策①」2601)
(← :2019・9・24 「日本工業倶楽部会館 丸の内散策②」2604)
2019年10月3日木曜日
腰痛よ さらば!即効ストレッチング 2613
簡単で、効き目覿面のストレッチを、会食の場で紹介したところ、その写真か
イラストでもあれば欲しいと、電話をもらう。
軽くOKしたところが、手元に何も残っていなくて慌てる。
仕方がないので、毎日の自分のルーティンを写真に撮り、コメントを付けてみ
る。十分ではない、まあまあの仕上がりになる。
【ストレッチング開始の手順】写真から
①*左手を左耳に着けるようにして上に最大限伸ばす
*左ひざを右手で強く右側(内側)に倒す、右手首はまっすぐ伸ばす
*右足首はまっすぐ伸ばす
(同じ手順で、右も)
以上の型で最大限の位置で止め、ゆっくり深呼吸を8回する(②③④も共通)
②*両手で両膝を抱え込む
*頭は床面から浮かせる
③*右足を天に向けて、タオルなどで最大限引く
*左足は爪先を上に力を入れる
*両足が直角、足首も直角になるように
(同じ手順で、左足も)
④*腹ばいになり、両足首を両手でつかむ
*頭は床面から上げる
イラストでもあれば欲しいと、電話をもらう。
軽くOKしたところが、手元に何も残っていなくて慌てる。
仕方がないので、毎日の自分のルーティンを写真に撮り、コメントを付けてみ
る。十分ではない、まあまあの仕上がりになる。
![]() |
| 左上①/右上② 左下③/右下④ |
①*左手を左耳に着けるようにして上に最大限伸ばす
*左ひざを右手で強く右側(内側)に倒す、右手首はまっすぐ伸ばす
*右足首はまっすぐ伸ばす
(同じ手順で、右も)
以上の型で最大限の位置で止め、ゆっくり深呼吸を8回する(②③④も共通)
②*両手で両膝を抱え込む
*頭は床面から浮かせる
③*右足を天に向けて、タオルなどで最大限引く
*左足は爪先を上に力を入れる
*両足が直角、足首も直角になるように
(同じ手順で、左足も)
④*腹ばいになり、両足首を両手でつかむ
*頭は床面から上げる
2019年10月2日水曜日
初めての青唐辛子栽培で尖がった実が成る2612
| 青唐辛子(2019・10・2 影ncan) |
いたところ、とんがった実をつけている。
さて、この青唐辛子を使った「ユズコショウ」に挑戦。
ユズは種植からすると、十数年たった忘れた頃にやっと実が成る。この意固地
なユズを夏のおわりから秋の気配を感じるいま、かたくて青い実を捥いでユズ
コショウにする。
青唐辛子の辛さは胡椒の比ではない。しかも、この時季の両者とも青い未熟者。
唐辛子は、見てのとおり虫も寄り付かない。この食えない者同士を山椒の木の
擂り粉木で優しく塩加減の塩梅よろしくブレンドする。
ミキサーを使用してもいいようだが、やはり、「自然芋汁」でも使うすりスリ
鉢が気分的にもイイ。
いま薬味に使っているユズコショウは、カマさん仕込の一年寝かせた熟成もの
で、塩が馴染んで味がまろやかになった珍品。
練って寝かせたユズコショウは、一二ヵ月後には食べられるが、十分寝かせた
ものが隠し味の「家伝」になるようだ。
倉敷市「酒津」出身の同郷の人と 2611
![]() |
| 消えた水江の「渡し舟」(影:ncan) |
の会席で初めて会った。
水産学博士の肩書を持つ大学教授で、これまで学究一筋に来た人らしく、近畿
大のマグロやクエの養殖の話を聞くことができた。
また政府機関への「総研」的嘱託の任にもついていたようだが、此方はあまり
突っ込むのを差し控えた。
やはり一番盛り上がったのは、僕がわずかの時期住んでいた柳井原と昨年氾濫
したに高梁川対岸の倉敷市街に位置する酒津が彼の生家が在る所ということで
した。
酒津の桜まつりは有名で結構にぎわっていた。自転車通学の帰りに、毎年一度
は寄り道していた。「酒津」を共有できる不思議な出会いでした。
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