2013年4月30日火曜日

NPO 都民税・事業税と言われたって!?



勉強不足と言われればその通りなのですが、「大槌の風特定非営利活動法人」の
認証は昨年末に東京都によってされたばかりで、これまでの活動も、限りなく個人
レヴェルであったわけで、何か粗利をもたらす事業など一切なく、税金を収めること
への率直な疑問があった。

納税を沸々とした疑問のままにしたくなかったので所轄の八王子都税事務所へ出
向いて、質問形式で疑問をぶつけてみました。思い込みに反して、大変丁寧に「免
除申請書」の提出手続きで、免除措置があることを説明してくれた。以下、申請書。

当法人は、岩手県大槌町内の利用料無料の図書館(森の図書館)を東日本大震災
で甚大な被害を受けた同町を中心とする被災地の子どもたちと父母らが本を、無
償で読み聞かせできる環境づくりの事業に取組む。
もって、同町を中心とする被災地の復興推進と地域文化・社会の活性化に寄与す
ることを目的とする。
収入は、主に東京在住の賛助会員の会費と協賛カンパのみである。





2013年4月28日日曜日

「アウトレイジ ビヨンド」を観る



北野武監督作品は劇場ばかりでなくDVDも加えると大半を観てきている。
「仁義なき戦い」(深作欣二監督)を祖形とする実録タッチ暴力劇(アウトロー)の
連作第二部・「アウトレイジ ビヨンド」を作るに当たって、北野監督は脚本の緻密
化を図ったことが如実に分かる。
特に新作「ビヨンド」では、無駄な枝葉を削ぎ落として巨大暴力団組織の内部抗争
の人脈相関を、正確な駒取り合戦に仕立て上げ終始一貫してドラマに破綻をきた
さない。

1973年第一作「仁義なき戦い」が上映された時、斬新な撮影技術で映像革命と
言われたが、その後の技術的進化による映画の見映えは各段にあがっている。
それだけに、ドラマツゥルギーの密度次第で感動映画か、駄作かに分かれてしまう
ように思う。




2013年4月27日土曜日

座談会 2




     *戦後カオスのなかの屋台から*

H  お忙しいなか、出席していただきありがとうございます。
  「D8」のアキさんに同席していただいて、お店の歴史とそこに集った人たち
  のドラマを語り合ってみたいと想います。
  今日お集まりの皆さんは、「D8」が開店(1964年7月)した時から、または、
  ほとんど間がない時に暖簾をくぐった方たちです。
  まず、各々の馴れ初めから話していただけますか。

M 昭和39年(1964年)8月末かな、開店してまだ1ヶ月もたっ
  てない時に新しい提灯を見て気になって飛び込んだ。たまたまその時、新宿
  ガイドのネタ記事を探してていた。一緒に入ったのは千代(デザイナー)だった。
  ふつう取材したお店には行かないのに、よっぽど居心地が良かった
  のか居ついちゃったんだよね。
  ++が居てアレッと思ったんだ!(詳しくは掲載記事参照)
A 開店から年内までは、赤字でかなり厳しい崖っぷちだった。
M 近くに「アシベ」があって歌手や芸人を見かけたが、あれは、
  いつごろからで、最初は誰が来たの?
A カツミ。ファンの可愛い女と二人連れで来た。それからバン
  ド連中が来るようになった。
M 最初は、カツミか!
H 僕は開店翌年の半年たった2月の寒い日に、おでん屋台の「インテ
  リ清水」さんに誘われて初めて行きました。
  この時にはもう、アシベのプレーヤーたちのたまり場になっているこ
  とが話題なっていたナー。
M いけば、必ずちょっと変わった人たちが居る雰囲気があったよナ。
A (屋台盛衰記語り、、、)
O とすると、今日お集まりの中ではMさんが一番早い「D8」入学
  なんだ。
  僕は、大学3年。加藤登紀子さんがお芝居をやるのを応援をしてい
  て、そのプロデュースしていたのがHsさん。
  芝居が跳ねて打ち上げで初めて寄ったのが「D8」サ。
  初めての店で感じたのは、アキサンが素晴らしい話芸の持主で、
  アニキはひかえめであまり喋らなかった。
  (共通して一致したのは、アキサンの聞き上手と話題を上手
  に操る話術に魅了されていたこと。)

─→以下、日を改めて断続的に続く~




2013年4月26日金曜日

或る 座談会から 1




あの時代、D8は、活気があった! 物語があった!
1960年代、70年代の若さの合わせ鏡のごとき場所だった。
店の人や客同士の距離感が絶妙で、居心地が良かった。
コの字型で小さな和風オープンキッチンのような一角に、ド~ンと50センチ四方の
真鍮おでん鍋があった。
そのお店に僕が初登場着席したのは、1965年2月の寒い日であったことをよく
覚えています。
新宿花園神社の入り口でおでん屋台を引いていた清水Sさんが早めに店仕舞い
して、連れて行かれたのが、この、おでん居酒屋だった。「でん八」。

本冊子のための座談会、第一回目は、2時間30分に及んだ。
ほぼ50年前の開店当時から、それぞれの縁で暖簾をくぐった5人の面々が丁々
発止と語りあいました。

2013年4月24日水曜日

新宿梁山泊



自宅作業中の夕、急な招請に応じて新宿へ出かけた。
或る例会を断ったやさきのOnからメールなのだが、暮れに会えなかった三人の名
前が連名された席となると、何をさて置いて出かけざるをえなくなった。

遅れて顔を出すと、待ってましたとばかりに、集うOn,Hy,Ny,Mk,Ts,Tz,Stら
の一声で、羽村からようこそ!と歓待してれた。
実はこの顔合わせメンバーを核に、冊子「新宿でん八物語」を制作する構想でいる
ので、Onのサポートに助けられた。
構成の中に座談会を組み込んでいるが、この日の集まりはその前哨戦さながらで、
1960年代、70年代のコの字型カウンターに座った人、人、人のエピソードから、事
件や暗部にいたるまで尽きない話で盛り上がった。

女将やママの文壇酒場史は数々見てきたが、マツオ兄弟をコの字型カウンターの中
心にすえた、男っぽい居酒屋小史は稀有のはずです。乞うご期待!

2013年4月23日火曜日

冊子「WORKS高麗隆彦=長尾信の仕事」が届く

本文中の書影写真

長尾さんから、さすが装幀家の記念冊子と思わせる一書を恵贈いただきました。

彼には、洋泉社を解覧した1980年代半ばから後半に本の装幀とデザインで大変
お世話になりました。
遊びでも、社員と一緒に白骨温泉に泊まり掛けで、乗鞍高原へスキーに出かけた
こと、草野球「洋泉社ダイナマイツ」で華麗にショートプレーを見せてのらったことな
ど、公私にわたる思い出が尽きません。


大学での教鞭生活一九年半、ご苦労さまです。
僕も未来社勤続二十年でしたが、歳月流転を実感いたします。
本書に収録された『音楽都市のパラジット』等、洋泉社刊行本四作品の装幀
を見るにつけ、当時の活気ある本作りの現場を想起させてもらいました。
長尾さんの装幀仕事が熟覧期に入ってからは、お会いいする機会が少なくな
っていました。1996年以降の数百冊の書影作品を眺めながら、教授と合
わせ鏡のごとく、凄い量を生産されていたことに敬服するばかりです。
  


2013年4月21日日曜日

大槌町浪板海岸地区の復興未来図

復興まちづくり未来図



波板海岸地域は大槌町のなかで最も宮古市寄りで、境界隣が山田町です。
その浪板海岸の透きとおる海原が鳥瞰できる小高いところに、先に案内をした
「宮沢賢治童話展」開催の<森の図書館>があります。
と言っても、美しい松林と砂浜は311の津波襲来で悲惨な景観になってしまい
ました。

第1波は静かな襲来があり、 強烈な引き波で海底が沖に向かって浮き出て見え
たと、、、。波板観光ホテルは高い所にあるいもかかわらず地階から1階の部分は
壊滅でした。
今ではボランティアの人たちによって、がれきの集積・分別処理を終え、松の植
え込みと補強工事が行われています。

2013年4月20日土曜日

森の図書館 佐々木格さんから便り


大槌町の「森の図書館」主宰・佐々木さんから近況報告で、以下の宮沢賢治/童話
展&大槌のバラ輝石展示開催の夢の知らせをもらいました。
大槌町でバラ輝石を発見されたことをHPで知って、佐々木さんの凄いインスピレー
ションに感動させられていました。
そしてこの度の、童話展&展示会が被災地の子どもたちに勇気と大きな夢を与える
こと、はかりしれないでしょう!

宮澤賢治 被災地大槌に立つ

東日本大震災により,大槌町も多くの生命、財産が失われた。そんな状況のなか、賢治の「雨ニモ負ケズ」に共感する人達が増えている。
被災地大槌に賢治が立ったなら、それらの人達に向かい「雨ニモ負ケズ」を説いただろうか?そんな想いが宮澤賢治 童話展を企画させました。
また、賢治と大槌の係わりが賢治の見果てぬ夢「大槌のバラ輝石」を見つけさせ、今回の展示に
漕ぎ着けることが出来ました。
 
       会  期:  4月15日~5月6日 
       イベント:  5月3日 PM14時から15時                                                                                  東京都交響楽団首席チェロ奏者 田中 雅弘氏を招いてのチェロコンサートと花巻市 宮沢賢治記念館 副館長 牛崎 敏哉氏の朗読、賢治についての懇談会を行います。
 (なお、懇談会は15時以降、お茶代実費)
       会  場: ベルガーディア鯨山 「森の図書館」
       申込先: ベルガーディア鯨山  ℡0193-44-2544  入場無料


2013年4月19日金曜日

ガラパゴスから ドタさん便り

(2013・4・11ドタ影)
堀江謙一氏の記念碑を新装。ドタさんがガラパゴス諸島(エクアドル)の除幕式
に出席しました。

大槌湾に浮かぶ蓬莱島(ひょこりひょうたん島)に形と大きさがすこぶる類似する
ガラパゴス諸島の島を姉妹島にする計画を夢見て、一年が経過しました。
この発案のキッカケを創ってくれたのがドタさんです。
彼は、冒険家堀江謙一ヨットマンの後半の単独航行をプロデュースするとともに
同伴してきました。(著書『波濤を越えて』言視舎・刊に詳しい)
現在は、D社現役をリタイアしてフリーなのですが、腐食が進んだ記念碑を改装
することが自らの使命と決めていたようです。
大任を果たされほっとされたのでしょう。
「明日の夜はSFジャイアンツ観戦です。」とシスコからメールが先ほどありました。

毎日新聞 (2013年04月12日)の紹介記事
──── 
南米エクアドルのガラパゴス諸島バルトラ島で11日、地元当局と地元日本人会
などが海洋冒険家、堀江謙一氏(74)の航海成功をたたえた記念碑を新装し、
除幕式が行われた。
堀江氏は1996年、ビール缶を再利用したソーラーボートでエクアドルから太平
洋を単独無寄港で横断し、ガラパゴス諸島周辺海域を通過した。
エクアドル政府は環境に配慮した堀江氏の姿勢を評価し、97年にバルトラ島と出
航地に記念プレートを設置したが、赤道直下の強い日差しと潮風で劣化。このた
び新たなプレートに付け替えられた。
バルトラ島では日本政府の協力で太陽光発電計画が進んでいる。(共同)
















2013年4月18日木曜日

久しぶりに偶然!二人に遇う。



限定的にしか出かけない都心で、公私にわたって親しい知人二人に別々に遇った!
互いに予定があって立ち話し程度で別れたのだが、、、。

路上で遇ったSnからは、昨日、メールで会社事務所を広いスペースに移した、との
知らせをもらったばかりでした。
ここ、書評などで紹介記事が目に留まることがあり、順調なステップを喜んでいたとこ
ろでもあった。
新刊の取次見本廻りで急いでいる様子だったので、近々、社を訪ねることに。

雑誌仕入と店売で用件を済ませたところで、急に思い立ってこの度の人事で名古屋
から帰ってきたばかりのMt課長にオメデトウ!
新書の創刊立ち上げ当時、資料をもらったりいろいろサポートしてもらった恩義があ
ります。 阪神Tファンで出版虎の会のおつきあいもあるし、近々にと、、、。

水曜会に出席する。集まりもよく盛会!

2013年4月17日水曜日

赤浜から吉里吉里地区へ

復興計画/未来図


写真右上の岬を越えていろは坂を下りると吉里吉里海岸へつながる。

昨年6月は車だったが、50年も前に単線の木造駅舎のホームに降り立ったことが
あります。
松林の先に見えた吉里吉里海岸の砂浜と海は美しく、階段を十数段下りて小学校
を横切り砂浜に向かったのを鮮明に覚えている。


吉里吉里は漁師町です。ここにある大槌町新漁協は若者中心で古いしがらみを越
えてゼロからの再出発のようです。
(前に、311後の造船に京都丹後から大漁旗が贈られたことを書きました。)
僕が吉里吉里に引き付けられたのは、以前に『吉里吉里善兵衛』(未来社・刊)を読
んでいて架空の場所と思っていた「吉里吉里」が駅舎名で目に飛び込んできたこと
によります。
吉里吉里善兵衛の本名は前川善兵衛で、この地が海洋貿易で栄えた時代のリーダ
ーだったのでしょうか。今も、屋敷跡があり、代々前川家は継承されているようです。
1981年の井上ひさし著『吉里吉里人』は、ずっと後のベストセラー小説です。

2013年4月15日月曜日

映画を観る


劇場ではなくDVDを借りて立て続けに3本の映画を観た。

千恵蔵に錦之介、裕次郎に小百合、、、生き生きとした俳優たちの看板が観客を迎
える劇場が津山に5館あった。
母親の知人が映画技師だったのを幸いに、四季の学校休みに町に出かけて一日中
三館梯子して4、5本観るのが楽しみでした。
そのせいか、急にとりつかれたようにシネコンでも観るが、もっぱらDVDを数本借りて
数日にわたって観続けることがある。
今回は、『蝉しぐれ』『新・仁義の墓場』『太平洋の奇跡──フォックスと呼ばれた男』
の3本立て上映!

まず、『蝉しぐれ』について
藤澤周平の時代小説はほとんど読んでいないが、時代背景にある山形・庄内地方の
山なみと農村風景に魅かれる。
庄内藩(モデル)を舞台に、平凡な日々がおだやかに過ぎてゆくなかで、藩内派閥の
政争が表面化し、これに関与していた主人公の養父が切腹を命ぜられることで、波乱
万丈の幕開けとなる。
監督:黒土三男/市川染五郎/原作:藤澤周平


2013年4月13日土曜日

石垣島の平久保崎燈台、、、左彼方に尖閣諸島が



出版健保の「すこやか」の表紙写真が八重山諸島石垣島の最北端にある平久保燈
台だったので、隠れ郷平久保集落に触れてみたくなった。
この土地を最近になって、三度訪れています。
真っ白な燈台から見える海は真っ青でサンゴ礁が透けてひろがる。

灯台がある岬の首根っこに当たるところに常宿の「北のとうだい」があって、昨夏は、
獲りたての大きなシャコガイの刺身をお相伴にあずかった。次に訪れる、引き潮の時
にはその場所に潜らせてもらえることになっている。
(訪ねてみたい方は、連絡ください。調整がつけば同行します。)

先月7日に、石垣島に新たな空港「新石垣島空港」が開港しました!
「南ぬ島(ぱいぬしま)空港」と愛称が付けられた新空港は、旧空港より滑走路が500
メートル延びた。
開港によって平久保集落までのアプローチが大変楽になりました。
観光スポットで潤うことは良いのですが、急速な人口流入で環境破壊などが心配され
ます。ゴルフ場の開発などレジャー施設が海岸沿いにできることで、泥土が海に流入
し海水汚染がサンゴ礁を死へ追いやる。
便利さと引き換えに大きな代償が伴うことを肝に銘ずべきで、急激な開発に応じて欲し
くない。名も知れぬ中国資本が既に大挙して浸食していると聞く、、、。

2013年4月12日金曜日

大槌町赤浜のこと



Smさんからメールで
「今日(4/9)の東京新聞に大槌の七福神踊りが記事になりました。
先日は大槌の赤崎?だったか、独自の堤防案を地域で採択したとの記事がありま
した。快挙!!」と、、、。

昨年の6月、上記の写真の左(安渡)から、漁港と集落が壊滅の赤浜地区へ、瓦礫
でタイヤのパンクを心配しながらそろりそろりと辿り着きました。
東大の大気海洋研究所がある赤浜。
311震災の津波で観光船「はまゆり」が民宿の2階に乗り上げた衝撃の写真で知ら
れる赤浜。

独自の堤防案なるものが、防波堤高さを6・4メートルにして、さらに、防波堤を越え
る道路を通す。主要県道は311東日本大震災津波の分岐をクリアする高さに嵩上
げして、そこから高台へ住宅地を造成する計画のようです。
古い歴史を有する集落の民意が最大限に生かされ「復興」へ踏み出せるよう願うば
かりです。

山から海への裾にへばり付くように点在する津波の爪痕が残る民家を縫って登り、
小さな半島を経て船越湾に囲まれた吉里吉里へ下りて行った。

(羽村の)鳥谷が連勝導く先制打!



ちょっとナショナルになってゴメンなさい。
わが阪神の鳥谷選手はプロ球団入りするまで、羽村町でした。
羽村の子どものユニホームの背番号は、1を背負っているのが目立つよ。

6時からの対巨人甲子園第3戦が始まる前、厳粛にTV前で待機しているところに
<大槌の風>をサポートしていただいているSちゃんからメールが届く。
羽村の福島屋がTVでレポートされているから観ろ、と。
確かにこのお店は全国、いや世界の信用度の高い良品が揃えられている。社長自
ら産地へ出向いてセレクトし、地産者を支援育成してきているのを随分前から知っ
ていた。我が家も、精米のお米をはじめ、大半の食材を、ここで購入しています。

早速、情報のお礼を返信したところ、彼女もオープニングしたばかりの巨人:阪神戦
を観ていて「阪神早くも点がア~私は、、」のオレンジファンらしい悲痛な(笑)再度の
アンサーがありました。
阪神タイガースの3試合連続完封は、76年の球団史上で初めてらしい。乾杯!

2013年4月10日水曜日

三省堂書店神田本店平台&面陳



平台販売(2013・4・10影dcmo)


早朝、日販に寄って第一次人事役職昇格と移動の一覧をらい、ポイントのところ
を聞く。
若手ながら、雑誌(MOOK)の拡販や口座の問題で直接付き合っていた人が、
書籍の重要セクションへ変わっているなど、結構、注目すべき動きを発見した。
あるいは、長かった書籍から、経営戦略部門へ昇格して移動した若手がいると
か、期待したくなる。

昼食しながらダベリ合う週の例会に出た。井戸端会議のようなものです。
中国へ頻繁に出かけているSgと、やはり中国へ考古学的関心と仏閣めぐりで訪
ねているYtの話に聞き入る。
さらに、Sgさんは10代後半からぶらっと京都、奈良を訪ねるのを趣味にしていて、
今日は京都府と奈良県の県境にある浄瑠璃寺と正倉院の話に及びました。
僕も浄瑠璃寺は交通の便が悪く往きそびれ、正倉院は毎年予定しながら開帳の
時期に行く調整ができずに残念ながら今に至っているという訳です。
Sg曰く、浄瑠璃寺へのアプローチの素朴な野仏や田園風景に感動するよ。

会の後、三省堂書店の4階、5階へ。先にアピール店頭販売の協力をお願いして
いたところの増田さん著作『在来作物を受け継ぐ人々』の店頭の展開を散策する。
5階の面陳棚は手書きのポップが添えられており、最大限の扱いに感謝!

2013年4月9日火曜日

大槌町で一緒に泥掻きをしたアキさんと、、、

2013・4・7影dcmo

60年代、70年代の青春の合わせ鏡の如くあった居酒屋「でん八」のことを記録
しようと思うにいたった。

月に一、二度、会うようにしているアキさんと、昨日、会食した。
1960年代半ばに新宿中央通り三越裏のおでん居酒屋をやっていた松尾兄弟
に魅かれて、お店の変遷はあったが、70歳を超えた今日まで、カウンターで一献
させてもらっています。

近々に編集協力者と打合せを予定しているのですが、目指す冊子の骨格を内々
決めておかなければならない。
『新宿でん八40年──松尾昭次郎・豊太兄弟・でん八物語』(仮)

1964年(39年)7月開店当時の活気のあった頃から、70年代新宿騒乱のカオス
酒場化の頃、そして「そのに」、「歌舞伎町でん八」へ隆盛の80年代の物語に登
場する面々の寄稿(想い出、随筆、インタヴィュー)で一章を構成する。
(前史、屋台から発展したコの字おでん酒場)
二章は、アキさん(とアニキ)をコの字形カウンターが囲む居酒屋での出来事を巡
る喧々諤々の座談会。
三章は、松尾豊太が出会った面々と新宿の街を語る。

資料、写真集めに取りかかります。乞うご協力を!



2013年4月8日月曜日

入学式!

2013・4・8影dcmo


四月新年度は、入社式、入学式が桜の開花とともに賑々しい。
6歳になったばかりのハルの小学校入学式を覗いてきました。
例年より早かった桜の満開で、M小学校の古木も緑が映える葉桜になっていたが
暖かい気持ちの良い入学式となった。
1年生は90余生徒数で3クラス分けにされていた。
都心の小学校の生徒数は減少傾向にあると聞いていたので、3クラス分けになる
のが以外だった。

僕の小学1年生の時は、ちょうど国民学校初等科から現学制に変わった年度で、
何か新しい息吹を感じられたのを想い出す。
その頃から65年もの歳月が流れ、仕事の最前線からは身を引き、仲間世代も次
次に定年退職し次のステージにたっている。
僕の1年生の担任がベテラン女先生であったように、ハルの場合もしっかりした女
先生に見受けられたが、今日のスタートラインの先に何が待ち受けているのだろう
か、期待こもごもと云うところです。
彼は、保育園の卒園式では将来の夢を聞かれ、以外にも「研究者になりたい」と言
っていたが、なんでも良い、一つ一つ勝負しながら前へ進めてほしい。

入学式後、準備した松花堂弁当でハルを囲んで団欒となった。

いいね!

2013年4月6日土曜日

散策は三文の徳とか


あきる野・松海道の榎(2013.4.6影dcmo)

強い風と激しい雨による大荒れの天気となる直前に、多摩川を渡った川向こう
の日の出の書店へ本探しでドライヴした。
運転していると寄り道することが突発的にあって、今日は、あきる野の農道に入
り込んでしまった。農家の野菜畑を蛇行する道に出現したのが、樹齢を重ねた
「えのき」の樹でした。

江戸時代、道しるべとなる「一里塚」の目印として「榎」がよく植えられたと言う。

今ここは、あきる野市になっているが、市町村合併のさきがけで秋川市と五日市
町が一緒になって発足。
古木は大きく枝を広げて人通りのほとんど無い側道に佇んでいるが、古く、村の
時代には街道で賑わっていたに違いない。
縄文遺跡が出てきたり、焼き畑農業が盛んだったこの地域、集落のこと、ゆっく
り時間をかけて散策すれば、新しい発見が一杯あるはず、、、!

2013年4月5日金曜日

同期入社のJ秋山さんから翻訳書が届く

書影(影書房/2013・2・28刊)dcmo影


秋山順子訳『ホモセパラトス』(李康白イガンペク戯曲集)をいただく。
秋山さんと僕は、未来社に1964年春に一緒に入社した仕事仲間でした。

未来社を離れてK書房に移り、しばらくして厳しい透析治療のためか、出生地の
秋田へ帰ってから30年来、会うことがなくなって久しい。
年賀状の行き来はあって、透析生活38年になることや、「口や耳はまだ達者」な
のでCDを聴いたり韓流ドラマにはまっている知らせで、元気な様子を窺っていま
した。

驚いたのは、仕事で一緒だった当時からハングルの勉強をされているのを知って
いましたたが、本書が二冊目の翻訳書の刊行であることです。
本書のなかで知りましたが、一週間に3回の透析治療を継続しながら翻訳に時間
と情熱を傾注されていることに、ただただ敬服するばかりす。
一冊の本を拝受することで、長い空白が一気に埋まりました。

「健康が極度に悪化し両目が不自由な状態」では、楽しみな韓流ドラマも儘なら
ないでしょうが、長い闘病生活をされてきたわけですから一層の健康維持に努め
られるよう祈念します。

(注:「ホモセパラトス」は、ラテン語のHomo Separatus「分け隔てられた人々」)


2013年4月4日木曜日

小澤ヒロシさんの援軍に助けられて



先に、Blogを<大槌の風>の広報代わりにしていることとか、Twitterで共有
できる情報収集を目指しつつあることなどを公言してきました。
と言っても、ネットWebを実生活のなかで活用するなどと云うことは、ごく最近
まで考えられなかった。

ところが、ブログを始め1年4ヶ月に亘って「広報」として継続(発行)してくる過
程で教えられることが多い。
特に、小澤さんからは抜け落ちている大槌町関連情報から、311大震災被災
(者)支援活動の多様なトピックスが送られてくる。
また、Twitterに<otsuchinokaze.biogspot.com>を貼り付け、大槌の風
NPOの活動を広く知らしめてくれています。ありがたいことです。
さらに、操作上で解らないコトがあると細々と教えを乞うています。
→twitter:com/kan.oz へ!

陸中へ 旅の記憶③

「喜びも悲しみも幾歳月」の本州最東端の燈台(2012・6・影)

いよいよこの度の最終目的地、宮古浄土ヶ浜へ。
波板駅(当時、波板海岸駅名ではなかったのでは?)から汽車で宮古へ夕方着く。
宮古市は釜石市と並び三陸の中心といえる。沿岸部の海岸線は独特の多種多様な
地形が連なり景観は驚くばかりの美しさです。

浄土ヶ浜、名前の通り白い砂浜と奇岩が「まるで浄土ヶ浜が再現された」ような静謐
な浜辺でした。
だが、この地の311大震災津波による被害は凄まじかった。
最近見た、JRの観光ポスターでは、浄土ヶ浜の遊覧船の運航が再開され被災地か
らの復興の狼煙かと思えました。

だが、僕のなかで未だ最高に記憶されている場所が鯔が崎で、この旅で始めて足を
踏み入れました。本州で最も東に位置する重茂半島の太平洋側にあるのが鯔が崎
燈台で、登り口あたる湾からは人一人やっとの山道を1時間余いくつかの岬を蛇行
しないと辿り着くことができない秘境なのです。宮古の人ですら、未だ、一度も行った
ことが無い所なのに、、、と、驚くばかりに言われます。
後、1分30秒と言ったとたん、ぐいっと白い燈台が目前に姿をあらわす。燈台の前面
は怪奇な岩また岩、その端に立てば遠く地平線がかすむ。
しかし、50メートルほどの眼下の波しぶきは身を引き入れるように唸る。眼前の海は
大きく盛り上がり、左右の岩にくだける波しぶきはこの身を引きちぎるかと思われる。
恐ろしい!
この岩々岩山とも云うべき所、ひっそりと艶やかに浜ゆり、浜ぎく、福寿草、釣鐘草の
花々が咲く花園!

311大震災で、登り口の漁港は壊滅したが、無人の鯔が崎燈台は何も無かったが如
く天を突いてすっくと立っていた。


2013年4月2日火曜日

再度、「災害の記憶を継承」することについて

既に解体され設計図からの復元とか


2月10日、11日のNHK大槌町文化センター(城山)特設スタジオからの特番や、
先日の碇川町長の被災した旧役場正面玄関をシンボル的遺構にする表明ニュ
ースなどで、大槌町が注目されています。(3/28記述参)
大槌町にはもう一つ、民宿の二階に乗り上げた観光船「はまゆり」の復元を目指
している。「災害の記憶を次の世代に継承したい」「震災の風化を防ぐため復元
したい」と話しているのであるが、、。
当事者で無い者には口は醒めない難しい問題ですが、往々にして記念碑とか遺
構なるモノは時の為政者の主導でなるように思える。

僕の周辺からも、<大槌の風>やメール、電話で意見が寄せられています。
以下は、Smさんからです。

大槌の被災庁舎保存のこと、みんなで外野席からもいろんなこと言ったほうがい
いかもしれませんね。
私は、保存に反対です。なにしろ、庶民感覚に合わないというか、被災者を抱え
た地域が膨大な予算を使ってすることではないと思っています。まず町民が生き
ていける基盤作りに金銭を使ってほしいです。
私、娘がフロリダにいた時、フロリダ半島の先端部にあるセント・ピーターズバー
グというきれいな町にいったことがありました。その町から海をはさんで架かる大
きな橋がありました。そのそばに使われない古い橋が並んでありました。
古い橋は船が航行した時に破損し、事故防止の記憶のために保存してあると聞
きました。いいことだと思っていました。
ですから、東日本大震災のさまざまな遺物を残そうとすることにすべて反対では
ないのです。
しかし、あまりにも膨大な金銭が遺物保存にかかるのに納得がいかない。暮らし
ていくための仕事・産業を創設することを第一にしてほしい。
それにたいする具体案があるなら、義捐金も募る努力を惜しみません。
そのままでは町から住民、とくに若い世代が減少するばかりでしょう。

「大槌の風」が時宜にかなった話題を提供してくれていることに感謝してます。

2013年4月1日月曜日

陸中へ 旅の記憶②

311津波が高台まで襲来

50年前に陸中海岸を歩つんぽつんと寄り道しながら旅をした記憶を辿ってみたい。

2回目は、
陸中高田へ逆戻りして、国鉄バスで~上有住(カミアリス)から、広告の一枚も無い
汽車に乗って~夜の帳が垂れる釜石へ着く。

トンネルを抜けると釜石市街が、黙々と立ち昇る煙と赤い炎のなかに霞んで見えた。
その時、街に凄い活気を感じたが、昨今はラグビーと共に衰退を感じさせられるが。
夜の釜石の、いさり火、と巨大な船と、巨大な煙突と、そして魚市場の賑わいに圧
倒された! 
宿泊先は澤田屋旅館と言ったとおもうが、ものすごい量の海鮮膳だったことが印象
に残っている。
今度、大槌町を訪ねる時は、是非寄って見たいと思っているが、被災していないこと
を祈るばかりです。あわせて大槌六串商店の釜石駅前フィッシュモール出店店へも。

次の日は、釜石駅から汽車で宮古ヘ向かったが、途中の吉里吉里駅で途中下車し
て、徒歩で海に沿って松林を抜けて浪板海岸へ。
この時は、大槌の名前も何も知らなかったのですが、唯一吉里吉里という一風変わ
った名前に憑かれて駅のホームに降り立ちました。(未来社刊の『吉里吉里善兵衛』
を読んでいたことにも一理あり。)
あまりにも綺麗な浪板海岸の片瀬波に魅せられて泳ぎました。この時相方は、波に
呑み込まれてメガネをさらわれてしまいました。
そしてこの度の311震災で無残に砂浜がほとんど消失しています。
今、浪板海岸の山寄りにある佐々木さん主宰の「森の図書館」も、311大津波で全
壊した波板観光ホテルも無かったずっと以前のお話です。