2019年4月30日火曜日

平成4月31日 この10年は、、  2456


平成4月31日、この10年は~。
平成22年 ハルを松原の保育園に迎えに行き、そのまま家に連れて帰る。
23柿崎のみちえファミリー5人が連休を利用して関越道経由で姉妹の松原へ。
平成24年 家族の旅三日目(芦ノ湖プリンスホテル)の、箱根水族館へ。
平成25年「大槌の風」NPOの税について、説明を受けに都税務事務所へ。
平成26年「故柳田昭彦君を語る会」、献杯を。(中野・志野)
平成27年 Gyo仕事で金沢在、後日、Sch&ハル合流し能登半島ドライヴへ。
平成28年 ファミリ-で「がってん寿司」パーティー。
平成29年 庭の柿の新芽葉を採り、家伝の柿の葉寿司作り。
平成30年 倉敷児島のこだわり「桃太郎ブルージーンズ」を入手し感激。
そして今日平成31年は、鳥谷敬出場なしの阪神タイガース戦を屈折して観る。

2019年4月29日月曜日

『高田馬場アンダーグラウンド』を読む2455

書影
本橋信弘著「Takadanobaba Underground」(駒草出版)を読む。

所沢生まれ、早稲田大学出身の本著者が、高田馬場の地を踏みしめたのは18歳
の(1974)の夏だった、と記している。僕より14年後のことになる。

だから、高田馬場のランドマーク、駅前複合型ビル・ビッグボックスが赤と白
の壁で登場したも14年後と云ううことになる。
1960年代の駅前は、敗戦を引きずるバラック建ての飲食店がカオス状に密
集していた。新宿西口の思い出横丁に似たような少し怪しげなところもあった。

このアンダーグラウンドに生きる人たちを、直接に話を聞く厚みのある取材力
で描き出している。
裏側の人間模様だけではなく、当時としては奇跡の百五十万枚突破の名曲「神
田川」の作詞家・喜多條忠や馬場ゆかりの江戸川乱歩、手塚治のぶっちゃけた
話もすごく面白く感動させられる。著者は喜多條本人に「神田川」の舞台とな
った三畳一間の下宿があった場所に案内されている。

2019年4月28日日曜日

クルマの運転が好きなのだ      2454


高齢者の交通事故が頻繁に報じられるようになった。
事実、若い親子が痛ましい犠牲になるニュースが飛び込んでくると、身がひき
しまるような強迫観念にかられる。

車の運転は、スキューバダイビングを楽しむとか、楽器を奏でるとか、コース
に出てゴルフをするとかとは違う。100歳を越えても自分でタンクを背負うこ
とができれば問題ないし、ゴルフなら相手の足手まといにならずにプレーでき
れば年に制限はないはずだ。国内外の旅行に出かけることだって、その人の勝
手でしょう。
車の運転をやめろコールは、自己責任ですまされない、人命にかかわる絶対的
問題を負っていることによるのだろう。
文明の利器である車は、生産性においてその人の「生きる必要性」から運転す
る立場にあれば、簡単にはハンドルを手放すことは難しいに違いない。

車は走る凶器だという。
30歳から50年間にわたり乗り続けてきたクルマ。実用面だけでなくクルマ
のハンドリングが好きで乗り回してきた趣味の運転をしないと云う実感は未だ
湧かない。
近々、慈恵医大で視界の点検をする機会があるので、あわせて首の可動域や動
態視力も検査してもらうことにする。


薩摩おごじょの会へ         2453

2019-4-26 影:Ncan
先約の四谷での会後、新宿東口アルタ裏での宴たけなわの処へかけつける。

昨年、隅田川土手で花見をして以来の顔ぶれが大半で、懐かしい。
この会にお呼びがかかったのは、世話役の彼女が『新宿でん八物語』の座談会
に加わっていたり、3・11大震災支援のNPO活動でも何かと情報をもらった
りしてきたつながりです。
集るメンバーの一部は、いまはなき「でん八」OB会の趣もある。

2019年4月27日土曜日

歴史散策の会~集合場所を巡って   2452

いつ何時の集る場所を巡っては、けっこう逡巡した議論になる。

次回6月の「文学・歴史散歩」の打ち合わせに出席。
テーマは、松濤・駒場─美術館・文学館などを巡る、となっている。
スタート地点は澁谷ぶんか村から(概略)~旧観世能楽堂~戸栗美術館~松濤
美術館~旧駒場練兵場~東大駒場~近代美術館~民芸館~駒場東大前駅。

会員は、僕のように東京西の端から、あるいは松戸や千住などいろんなエリア
から参集するので、散策の出発場所は重要な確認事項になる。
とくに、渋谷駅の場合はJRのほかに井の頭線や地下駅の私鉄が数本入り組んで
いる。それとどの改札を出るのかで迷い、外に出れば出たで四方八方から道を
横断する人息切れに参る。

僕が唯一知っている場所はハチ公口。19歳の最後の夏、この場所で原水禁の
カンパ活動をしている。
ここが朝の集合起点にあがったが、けたたましい発車音、マンモスビル建築中
の騒音、街頭ビジョンに映し出されるアイドルたち、飛び交う外国語で話す人
たち、、退屈しないが、高齢者にはちょっと云うところで再考することに。
逆転の発想で、では井の頭線の「駒場東大前駅」集合で、事前の実地検証にな
った。

2019年4月25日木曜日

二つのちゃぶ台           2451

2019-4-25 影:ncan
一つずつのちゃぶ台には、古い歴史と比較的新しい刻まれた歴史があるのだが、
最終的にハルの習字お稽古事の簡易机として復活したのだった。

東京に出てきてはじめて三畳間に下宿したとき、長方形の木製で折りたたみ式
ちゃぶ台を買った。鉄釘を一本も使わず、4脚を木の蝶番で固定するクラシッ
クな優れモノです。新宿丸井の家具売り場で買ったと思うが、こだわりがあっ
て大枚はたいたのだろう。
田舎の台所にあった一回り大きい食卓も同じような木製で折りたたみだった。
数度の転居に際しても、捨てられることなく60年の年期をへて健在だ。

わが家にハルが来たときには、この年期物を窓際に持ち出し低学年の彼を正座
させ墨をすらせ筆の持ち方を手とり教え楷書から書初めたものです。
そしてもう一つの丸型の木地の木目がきれいなテーブルは、幼少のハルが家で
の食事用に使っていたものだが、僕がそちらに出向いたときに習字用に利用し
ていた。
食卓機能のほかに、ちゃぶ台にはウルトラマンのシールが貼ってあったり、切
り出しナイフの傷だったっり、時間をのせて在るんだ。
いまでは、この丸台も捨てるのは忍びなくわが家に同居させ、次の出番を待っ
ている。

2019年4月24日水曜日

売りたい本「本屋大賞」とは     2450

影:2019-4-24
いま書店のプラチナスペースには、「本屋大賞」受賞作の瀬尾まいこ著『そし
て、バトンは渡された』(文芸春秋)が山と席巻している。

9日に都内で開かれた発表会では、全国の書店員らが作家の瀬戸さんを囲んで
記念撮影をし、店頭販促用POPを掲げて歓喜している姿があった。
この人たちが先頭になって、売れる本、売りたい本、話題を喚起させるのだろ
うな、と思ってみた。
賞に選ぶ書店員は書店公認で業界あげてのイベントとして毎年恒例の光景であ
る。それも回を重ねて、一次投票開始から一年中、何らかの形で「本屋大賞」
の話題が尽きることがないほどだ。
これほど一極集中する販売って何だろうと。自動車の「カーオブザイヤー」で
はないだろうとか、、思ってみる。
本を薦めて読者を導くことに異論はないが、それ自体が威光になるとそもそも
読書とはなにかに立ち戻る。

2019年4月23日火曜日

二年ぶり 新橋会へ          2449

2019-4-23 影:Ncan
午前中にDentsuに寄り、烏森神社をへて「新橋会」へ。

このメンバーで最後に会ったのは、マスミさんの米寿お祝いを兼ねた新宿西口
の「想い出横丁」でだった。
も一人の彼は、NTTに勤務先がかわってから新橋が地元になり、人に会ったり
呑んだりする場所は、駅周辺の馴染みの店が多くなっているようだ。

或る広告マンの生涯を昭和元年(1926)からのおしん的生い立ちに始まっ
て、広告業界半世紀の激動のなかでの喜怒哀楽をへて、人生第二ステージに向
かう自分史を構想していた。
そんな熱気が伝わるなかで、ポンと投げ出されたレジュメ──を基にリライト
を始めてみたが、時系列で構成した場合の序段に出てくる一族の家系図が絡む
ところの名前ばかりの突出が気になりだし躊躇するようになった、、。

2019年4月22日月曜日

サイパン「教師の家」良太のサイパン④2448

ラウラウ湾
サイパン島に着き支庁桟橋に降り立ち、最初に落ち着いた官舎はどの位置に在
ったのだろう。

僕の手許にはわずかに残る写真ぐらいで、手紙などの記録類が消失しているの
で、祖母や母から聞いた片片の事象と、最近になって自分と同世代でサイパン
で生れ昭和19年3月に引き上げてきた知人からの聞き書きによるしかない。

サイパン島の仲間意識で懇意になった現京都在住のショウスケさんは、サイパ
ン島香取町の官舎で誕生している。(写真はあるが記憶に無いとのことだった)
官舎の場所は、支庁桟橋から真っ直ぐ行くと南洋庁サイパン支庁にあたるが、
その裏がサイパン法院になり、さらに左手に少し行ったところだったようだ。
その右奥に、サイパン神社がある。

このガラパン町から、チャッチャ国民学校への赴任が決まり、ラウラウ湾の高
台の「教師の家」に落ち着くことになる。高床式のトタン屋根の家でゆったり
した構えにみえる。庭にコンクリート造の大きな水槽タンクが付属している。
島には川がなく、屋根で受けた天水をタンクに貯蔵し、飲料水やほかの生活用
水にしていた。

2019年4月21日日曜日

母の15回目の命日         2447

きょうは、母の命日で気分としてのお墓参り。
実は、母の墓守は倉敷の弟がしており、こちらに分骨しているわけでもない。

母は、僕が幼少のころに25歳足らずで結核になった。そして間もなく、生家
に還り二階の一室に隔離され、療養生活に入った。その母が実家へ閉じこもっ
た静養中について、小さかったせいか悲しい思いをした記憶があまりない。
母方の祖父母は、米や食料品に雑貨まで援助してくれたおかげで、生活の困窮
はなく暮らせた。

いよいよ切羽詰まってサナトリュームに入ることになるのだが、その直前に催
された僕が小学校1年生の秋の運動会に伯母と一緒に応援にきてくれたことが
忘れられない。何か大きな意味があったのだろうが、聞けないままでした。

生死をさまような右肋骨大半を切除する大手術の末、奇跡的に生還し、それか
らは一人生活者として子育ては一切できないひとでしたが、マイペースで長寿
をまっとうしました。

2019年4月20日土曜日

哀悼・萩原健一、内田裕也 映画秘宝⑥ 2446

2019/6月号表紙
映画秘宝/6月号」(2019)から

巻頭は、『アベンジャーズ/エンドゲーム』究極攻略!

3ページに挿入された、萩原健一の「傷だらけの天使」のポスター掲示が目に
飛び込む。そして本文中ほどに、哀悼・萩原健一の7ページがある。
マカロニ!傷だらけの天使!俺たちのアウトローよ永遠なれ!と。
テンプターズ時代からソロ活動まで、歌手ショーケン!
塚本晋也が語るショーケン映画仕事etc

続けて、「餌食」、「コミック雑誌なんかいらない!」ロックンロールに人生
を捧げた男 さらば、内田裕也、、崔洋一、奥山和由らが語る映画俳優・内田
裕也のすべて!

2019年4月19日金曜日

伊良部島/ファンダイビング log'②   2445

梅雨明けの晴天だった。
宮古島の海は想像していたよりももっと透明で美しい。でも、暑さはすごい。

ファンダイビングしたのは、伊良部島の潜水ポイント、「白鳥幼稚園」。
船名:マムヤV
アカモンガラ、アカネハナゴイ、ホシナシイソギンチャクエビ、そのペア、ピ
ンクのハダカハナオコゼ、クマドリイザリウオ、オラウータンクラブが珊瑚礁
に群れをなしている。
その名の通り、白いサンゴが大きなテーブルを形どり、その水中空間を色とり
どりのさかなが群れ、水中生物が乱舞する絶好の住処となっている。

午後からはボートダイビングに挑戦。
「クロスホール」、「アントニオ・ガウディ」の2本。
ポイントの愛称は、穿った名づけが多い。海底の地形の特色や、サンゴ礁の形
や、グロット、ケープ、落ち込みなどに魅力的な名前がついている。
メコキリダイ、アカヒメジ、ハタンポ、アカマツカサ、カノコイセエビ、ノコ
キリエビ、オヤビッチャ、サンゴガニ、ホシゴンベ、イソマグロ、タツウミヤ
ッコ

翌日さらに、「魔王の宮殿」、「ナンバー15」をボートダイビングで楽しむ。
バデイのヨコヤマさんから、中性浮力ホバリングがとても上手になりましたと。

(←ブログ:2019・3・13 「サイパン/laulau's beach log's①」2407)

2019年4月18日木曜日

体力、筋力             2444

2019-4-18 影:ncan
昨日、都心に出かける途中駅の上り階段で転んだ。
朝から晴天で足を雨で滑らすことなどない所での出来事だ。

東京行き上り電車が駅に近づいている気配を感じ、急ぎ駆け昇り最終段階で足が
もつれた。足が残り携帯ショルダーバッグを掛けた上半身から前のめりに飛んだ。
柔道の足払いを掛けられた姿をスローモーション映像で見ている滞空時間の長さ
を感じた。
数年前まではなかったことが、またやったかと思えるほど、惨めな局面に遭遇す
るようになった。ようするに、自分ではまだまだと思っているよりも、足の上り
と歩幅が縮小しているのは間違いない。

家では、ダンベルで負荷をかけたストレッチやエアロバイクで自主トレを継続し
ているにもかかわらず、である。
加齢のせいにしてしまうのは癪だし、判然としない気持。

2019年4月17日水曜日

カミユ『異邦人』を再読       2443

新潮文庫版書影
最近10代後半から20代に読んだ本を書棚から引っ張り出して読むことが多
多ある。
再読のきっかけは、新刊で「『もうひとつの『異邦人』」(カメル・ダーウド
著)を目にしたことと、父が『異邦人』をはじめアルベール・カミユの小説を
好んで読んでいたことを思い出したからです。

当時、カミユ処女作である『異邦人』の、「きょう、ママが死んだ。」で始ま
る一文に、作者の内的ざわつきを感じ引き込まれるように読んだ。
それと背景となる舞台が、フランス植民地統治化のアルジェリアだというこだ。

主人公のムルソーは白昼堂々とアラブ人の若者を弾丸を打ち込み殺す。
その後観て衝撃を受けたドキュメンタリー・タッチで描かれた『アルジェの戦
い』という映画とも連動して、自分のなかで増幅して植民地権力の支配構造が
リアルになった思いがしたものです。
あの頃はサルトルの『嘔吐』などとあわせて、実存的だの、政治的だのと、人
間とはなにかと根源的問いを発することが自然で初々しかった。
いまとなっても、この物語性は決して古くはない。

物流業務の協業化と拠点の統廃合へ  2442

出版業界のトーハンと日販はこれまでプロジェクトチームで検討を進めてきた
物流の協業化について先週、合意に至った、と。

その内容は、雑誌返品処理、書籍返品処理、書籍新刊送品の三業務を初っ端と
し、雑誌の発送作業や注文品物流を除いて、2020年以降、効率的な出版物
流へ一歩踏み出す。
物流で最も大きな輸配送運賃については、出版社と書店を巻き込んだ全体を視
野に検討を進める方向のようだ。

さて、従来の日販「王子流通センター」「ねりま流通センター」等々、「トー
ハン本社」「トーハン桶川SCMセンター」「トーハン上尾センター」等々の再
編も同時に進めることになるはず。
出版物の全国配送がコストのうえで重い状況になってきているわけで、業務の
協業化で得られるコスト削減効果も限定的に見える。

2019年4月15日月曜日

浄土寺から西國寺へ 記憶の深層㉘  2441

広島平和記念公園に行く前に、倉敷駅で乗車して尾道駅で下車。
浄土寺へ。
聖徳太子の創立と伝えられる、尾道市にある真言宗教大本山。

山門までは、石の階段を上る。(別に車を使うルートもある)。
鳩のむれ、むれ、建物が傷むかしらん、とおもうほど、、。
本堂は、20人ほどの老男女の雑談の場、生きている寺。
山門を入ってきた一人の老女、まがった腰を痛々しそうに曲げ伸ばして前左右
に深々と一礼。
多宝塔(国宝)は再建されたものだが、大規模で形よく、細部が美しい。

山上の奥の院は、とかげがいるのでやめ。
浄土寺から、西國寺へ回る。本堂は修理中だった。土地の人はみな親切でした。
14時44分尾道発~17時10分広島駅着。

(←ブログ:2019-4-4 「忘れられない鯔が碕 記憶の深層㉗」2430)


2019年4月14日日曜日

大伯父の四十九日法要へ       2440

2019-4-14 影:ncan
四十九日の法要と納骨を行う霊園は、多摩ニュータウンに近い多摩丘陵に在っ
た。

わが家からの交通機関を事前に調べた結果、立川駅からJR南武線に乗り継いで
稲田堤駅で一旦下車して、京王線に乗り換え永山駅が最寄り駅。
南武線の車窓から風景を眺めながら、柳田君の眠る丘陵も、近く5月には晶子
さんの一周忌で集うバラ苑もこの緑の丘陵で結ばれたいずれかにあると想うと
縁続きを感じる。
下車した永山駅付近は初期の団地のある風景。多摩ニュータウンに住むことは
あこがれのまとだったのはいつの頃か、、。

岡山県津山出身の大伯父の法事に列席したのは、新幹線で上京してくる人、東
京在住の縁者、会社役員と云ううことになる。
ほとんどが50歳の峠を越えたひとたちで、80歳前後の老人も多かった。
ただひとり、ひ孫でピッカピカの一年生の児がその場を華やかせていたのが印
象的でした。
また、50余年ぶりに再会したが、なかなか思い出せず躊躇しているも、相手
はどんどん近況を語ってくれ会半ばにして昔のシーンが甦る、そんなうれしい
機会でもあった。




2019年4月13日土曜日

野間宏の『暗い絵』を読んでみた   2439

書影
敗戦直後(1946年)に、第一次戦後派として登場した野間宏。
誰しも、読書してみたくなるきっかけが何であるかはまちまちのこと。

本書については直近のいろんな事が重なった。
先日、未来社出身(後に影書房を創業)の松本昌次さんを「語る会」があった。
彼は編集者であると同時に演劇劇団活動(兼批評家)をしており、ペンネーム
羽山英作なる別称をもっていた。
この名前は、野間宏の初期短編小説『暗い絵』の登場人物、永杉英作と羽山某
からいただいたものではないかと思っている。さらに、この小説の主人公であ
る京都大学の学生、深見進介の名前まで関係してくると、いかに野間宏に傾倒
していたかわかる気がする。

そしてまた、未来社が長年出版活動をしてきた伝通院裏の場所から、通り一つ
隔てた所に野間さんの自宅が在ったのである。
身動きできないほどの本でふさがれた書斎を訪ねたこがあるし、野間夫人共々
ぶらりと会社にたち寄られることもあった。

さて野間宏が現代文学の最前線にて、彼の小説を70年代頃までの学生や小説
好きが当たり前のように読んでいた。
僕も『暗い絵』や『顔の中の赤い月』から長編『青年の環』まで、小説家が生
きた戦前と戦後の独特の空気を感じ取ったのだと思う。
いまの若者にはそうした時代感覚を共有できるはずもない。
だが、Brueghelの画集の奇怪な絵に魅せられる主人公・深見進介の日中戦争勃
発の前後の苦悩している心象風景の描写にはすごく感応する。
時代背景による小説内容は古びるとも、厳然と野間の小説空間は存在する。

2019年4月12日金曜日

思い出すままあれこれを       2438

大林車屋跡(影:Pen
明後日、わが菩提寺がある田舎の祖母方長老の四十九日法要が執り行われるが、
こうした儀礼に接することて、むかし相方と帰郷したときの親戚回りや古跡を
回遊した情景が懐かしく思い出される年になった。

東京発の夜汽車にのって翌朝岡山駅に着き、津山線に乗り換えて2時間弱で終
着津山駅に着く。
未だこれから山あいの生家までは、バスに揺られること小一時間を要した。



2019年4月11日木曜日

「インバウンド観光・新産業の時代」 2437

”2019"白書 書影
インバウンド・マーケティング研究会編の『インバウンド観光・新産業時代~
世界旅行者と日本観光マーケット動向と課題』に目を通す。

或る理事会で、インバウンドへの関心を問われたが、社会現象として訪日外国
人旅行者の激増と「爆買い」は知っているが、インバウンドマーケティングに
は疎かった。
そんなとき、問うた当人を中心とする研究会から、日本インバウンド観光白書
2019年版が刊行された。
一年有余で、278ページのインバウンドマーケの重要な参考指針・検討資料
としてまとめられている。

チャートのうち、地域におけるインバウンド詳細動向(47都道府県)で岡山県
が京阪神ブロック(山陽・山陰でなく)に扱われているが間違いでは?あるい
は何か意図するところがあるのか疑問。
地域データの集積にも影響するだろう。

これまで自分は、産業マーケティング戦略については、ほとんど関心の薄いと
ころだった。
故・ヤナギダ君の会社などは、こうしたマーケティングリサーチを生業として
いると認識すれば解りやすいか。

2019年4月10日水曜日

四月の牡丹雪 そして柳田君を偲ぶ   2436

春雪(2019-4・10影:ncan)
今朝冷えこむな、と感じていたら9時頃から小雨がみぞれまじりになり、綿の
様な牡丹雪に変わった。
春雪はあるにはあるが、何年前だっただろうか、、。

雪が舞うなか、柳田昭彦君の祥月命日を偲ぶ会が催される中野へ出かける。
学生時代から知己あるのは才ちゃんだけで、ほかのメンバーもワセダ人脈では
あるがその後のビジネスで親交を深めた仲間たちです。
2014年4月に、亡くなった直後に彼を「語りあう会」があったが、その時
の場所が同じ中野駅前で、雨でぬれた舗装を歩いて会場入りしたのを思い出し
ていた。

一昨年、昨年、南武線津田山駅下車して、緑ヶ丘霊園の桜吹雪のトンネルを抜
けて彼が眠る墓前の前に居た。

ことしは、「中野会」の呼びかけに応じて酒を飲み交わしながらの「偲ぶ会」
になった。
この連中が集まるのは、夏なら暑気払い、暮は忘年会で、春は花見と云うこと
になり、いずれ、酒ぬきには語れない会席のこと、彼が好んで飲んだビールで
献杯をニコニコ顔で受けてくれたはずです。

(←ブログ:2016-4-9 「柳田昭彦君三回忌に墓参」1340)

2019年4月9日火曜日

勝ちに不思議な勝ちあり!      2435

きょう甲子園開幕戦勝利!
そして、3カードを終えて5勝5敗で5割復帰。まずまずのスタートか。

先発遊撃手で出場の鳥谷が、2回にレフト前クリーンヒットで出塁すると中谷
も安打で続き、さらに梅野が幸運な三塁打。下位打線の速攻で2点を先行する。
ところが、先発のガルシアがDeNAの強力打線につかまりあっさり逆転される。
中盤までに5点ビハインドをつけられ、観戦にも身が入らないところで、阪神
から移籍の大和に巧打攻守を見せつけられ羨ましく思う。

7回裏の猛虎の攻撃から、甲子園球場の雰囲気が一変し4万6000人の応援
が坩堝と化す。
足の指を骨折した捕手梅野が強行出場しながら、今日も打撃絶好調で3塁打、
単打、本塁打、ときて後は2塁打を期待するばかりの局面までもってくる。
梅ちゃん、ゆっくりと右バッターボックスに入る。そして、やや高めのストレ
ートを振りぬくと、きれいな球筋をのこして右中間オーバーで塀に達する待望
の2塁打。猛虎選手では、2016年以来のサイクルヒット達成。
凄いシーンを見てしまった!

結果:阪神12対8DeNA

(←ブログ:2019-3-31「二日遅れの阪神タイガース応援歌」2426)


2019年4月8日月曜日

神田西口商店街を歩く        2434

2019-4-5 影:ncan
東京駅から中央線で夕方帰宅するときには、次の駅神田で下車して「うな正」
の蒲焼を買うのが習慣になっている。まむし風蒲焼で天下一品なのだ。

8年前まで、通勤していた下車駅がJR神田駅で、西口商店街を真っ直ぐ500
㍍ほど歩いたところに会社が在った。
うな正は、西口の改札を出て商店街のメイン道路に入って間もなくのところに
在るのだが、馴染みの二代目に二串注文したうえで、久しぶりに街歩きの探求
者になっていた。

10分あまりぶらぶら歩きたどりついた、昔入居していたビルは変わることな
く、緑のブラインドもそのままの色を保っていた。
いまは別の出版社の看板がかかっていたが、サッとドアを開けて自分のデスク
に行っても不思議でないような気分になりしばし見上げていた。
同じ道を帰りながら、当時、この通りはスクラップ・アンド・ビルドを繰り返
す印象があったが、意外や見慣れた看板は消えず街の風景も更新されていなか
った。

会社の隣にMUFJ、打合せで使った豆香房、向かいに山ちゃん、ドトール・
コーヒー、西口商店神田外語学院の看板、西安料理・シーアン・親子丼の伊勢
ろく、いろは鮨、出汁がバツグンのうどん・かめや、神田淡平、ヴェローチェ、
神田ラーメン、インド定食のターリー屋、そしてうな正、、。




2019年4月7日日曜日

入学式               2433


同じことを体験したはずでも、それが70年近く前と今日とでは、感動は同じ
でも全く違う想い出になるのが想像できる。

古いセピア色写真を見るにつけ、小学校時からの友人と二人のすえた爪入服姿
を校門脇で撮ったものと、この日のハルの集合写真や同級生との組み写真の華
やかさでもよくわかる。
いまは映像化して残るが、映像化されていない過去は僕の想い出のなかにしか
ない。

(←ブログ:2019-3-25 「卒業式」2420)

2019年4月6日土曜日

「松本昌次さんを語る会」へ出席   2432

松本さんが亡くなったのは、今年1月15日。
偲ぶ会やお別れ会が多いなかで、松本さんの意志を「継承」するという意味合
いから、「松本昌次さを語る会」としたようです。(呼びかけ人)

未來社編集(長)時代が30年に及び、引き続き1983年に影書房を創業し
ている。僕は未來社後半の19年間の勤務を一緒させてもらっている。
この会の出席者をながめると、未来社OBの顔ぶれが四人だけと意外と少なく
腑に落ちなかった。
石井、田浪、川上、鈴木(康)、鈴木(信)、松田(政)、西谷(雅)、清田
岩田さん(コロちゃん)らと話す。

最近、松本さんは自分の生の終わりを予感しつつ、「僕は最期まで”戦後〟で
いきます。」が信念になっていた。

(←ブログ:2019-1-17 「生涯編集者の死」2353)

2019年4月5日金曜日

東京と関西のジョイント同期会    2431

2019-4-5 影:ncan
友人の快気祝いもかねた恒例の同期会を、いつもの八重洲で催した。

前回、キミヤくんが大阪から馳せ参じてくれ華やいだ新年会になったが、その
時インフルエンザにかかり急きょ欠席になったノボちゃん。今日は元気に登場。

話題は、お互いに80歳近い年のせいか自分自身の健康問題や、お姉さんが亡
くなったとか周辺に生じた不幸な話などがふえてきた。
それぞれ住んでいる近場の桜情報のひれき、、。
雑司ヶ谷墓地から椿山荘・神田川、国立一橋大学通り、小平玉川沿い、羽村の
堰の三分咲き。

十数年、年に3、4回利用してくると店の女将や支配人とも懇意になり、出て
くる海鮮料理の品書きにもその都度バリエーションをつけて楽しませてくれる。
きょうは、旬の白エビ、大ぶりのホタルイカ、ホタテ、赤身のマグロ、ブリ、
サヨリ、サワラ、焼き蟹、、と、good!

二次会はお決まりコース、マイアアミで。
キミヤくんに同時写真をタブレットとケータイすると、関西でも花見真っ盛り
のにぎわいだった。

(←ブログ:2019-2-1 「キミヤくん 昨年に続き大阪からぶらり」2368)

2019年4月4日木曜日

忘れられない鯔が碕 記憶の深層㉗  2430

鯔が埼燈台と断崖(影:can's)
記憶の深層として記してきた時期は20代で、その折々に旅した場所と精神の
振幅を未だに忘却することなく感じられることである。

その原点となった様々な地の「風景」を、見て、記録し直し、再会する。
川苔山、犬吠埼、関の五本松、多胡碑、馬場下町、寂光院・三千院、猊鼻渓、
小諸城址、奥津峡、江の島岩屋、大徳寺・方丈庭園、吉井川源流、浪板海岸、
津軽ハネト、白骨温泉、片貝海岸、小瀬温泉白糸の滝、万治の石仏、渡月橋、
湯ヶ島「白壁荘」など。

ところがである、、記憶に残るインパクトのなかでも一、二に入る陸中海岸の
鯔が碕について書きこんでなかった。

(←ブログ:2012-2-12 「鯔が崎燈台のことなど」35)

2019年4月3日水曜日

未來社社屋解体と移転に思う     2429

表紙影
僕が出版業界に最初足を踏み入れた「未來社」は、文京区の伝通院裏に在った。
入社したのは1964年3月でしたが、そのときの旧社屋跡に新築したのが、
きょう移転のため解体された建物です。
地下一階、地上三階、鉄筋コンクリート造りでした。

最近送られてきた季刊「未来」によると、「62年間も社業を営んできたこの
小石川の土地を去って、世田谷(千歳船橋)の地へ移転することになった。」
とある。
厳しい出版業界にあって、測り知れない事情があるのでしょうが、OBとして
は淋しい。

この社屋、西谷学校19年間で学んだことは多々あった。
1968年10月を期して、従来の委託制から注文制への移行するにあたっての
研究会。
「ヒロシマ三部作」(中国新聞社編)で広島、岡山への営業三度笠旅。
大学生協との懇親研究会への関り。
人とのつながりも、出版社、書店、取次関係、そして、埴谷雄高、丸山真男、
宮本常一、松田政男、本多勝一、大牟田稔、山代巴、、、。

(←ブログ:2016・12・6 「西谷和歌子さん墓前に」1579)

2019年4月2日火曜日

桜始めて開く            2428

2019・4・2 影:ncan
きょうは、桜ばな愛でて54周年。

都心の桜情報は満開ながら、花冷えのするなか羽村の堰で見る桜は未だ五分咲
きでした。
昨年の今時期は、「中里介山と羽村堰・玉川上水めぐり」、散策企画の案内役
をしていたことを思い出す。
そのとき見た散りゆく桜も乙な風情があってよかものでした。玉川上水の豊か
な水をたたえた水面に落ちて流れていく「花筏」を、しばし眺めていた。

ゆうげは、桜鯛(マダイ)のカブト煮と桜餅で祝す。




2019年4月1日月曜日

久々の再会と三世代の祝宴      2427

2019・3・29 影:such
久々の再会、7年前3・11の被災地大船渡で一宿一飯のお世話になって以来
のこと。

彼女は、その後被災地を離れて新しい土地で心静かに余生を楽しむはずが大病
に襲われ、療養生活を余儀なくされていた。幸いに治癒力に恵まれ上京できる
までになったのである。
快気祝い、卒業・入学祝い、ダブル誕生祝い、そして感謝祭、一切合切軽井沢
ですることになったのである。

話題になったのは、まず災間についてで、いま復興は順調に進捗しているよう
に見えるが、津波災害はいつ襲ってくるか分からず、数百年先かも知れないが
明日かも知れない天災の歴史を鑑みると、嵩上げし10㍍の防潮堤を造ったとこ
ろで、到底元の住居跡へは怖くて帰れないという。
そして、三陸鉄道リアス線の復興開通で沸く大槌駅の歓喜にしても、違和感を
感じるようです。

終日、目いっぱい3年ぶりのスキーを楽しみ、宿に帰ると温泉にゆっくり浸か
り、自慢の和食を前にして、酒を飲み交わす至福の宴になった。
一日目は、ハルの卒業式一部始終を撮った映写会を催してくれる。
二日目は、カラオケでjポップ、ロック、昭和演歌を次々に入れて、マイクを回
し熱気ムンムンのあっという間の2時間。