2015年2月28日土曜日

「封印」したルーツをたどるということ!  931


『敗者の日本史』から(洋泉社刊/2015・2)
友人で現役俳優の浜田と長宗我部友親さんを訪ねたのは一ヶ月余まえで、その
後、彼とはメールと電話でやり取りする関係にある。

昨日の新聞で、戦国武将元親の末弟、親房から数えて17代目当主・友親さんを
アピールしたインタヴュ特集記事を組んでいたのが目に触れ、再再度語ってみた
くなった。

共同通信の記者で、経済部長や論説委員を務めた当時の活躍ぶりについては、
先日会った際の話のなかで出ていたので知っていたが、学生劇団「自由舞台」の
役者振りとかは初めて知った。
60年代、学生時代に家の「系図」を辿ったり、名家を名乗るなんてコトは批判の
対象になる風潮が圧倒的でした。
その後の時代をやり過ごした後に、運命の声によって『長宗我部』(文春文庫)を
上梓している。渡来から始まり、戦国武将の盛衰をへて、一族の思いをつなぐ叙
事詩になっている。

そして締めくくりに、演劇青年だった時代も忘れがたいとか。これが、「自由舞台」
を中心とする「学生演劇史」をまとめるパトスになりつつあるが、、、。

(←ブログ:2015・1・22 「長宗我部友親さんを訪ねる」 894)
(←ブログ:2015・1・27 「『長宗我部』を読む!」 899

「じねんじょ」                 930


三浦哲郎の「定本 短編集・モザイク」に感銘する!
日本の短編小説も捨てたもんじゃないなと思わされる、上記収録中の「じねん
じょ」を読む。

読書するきっかけは、あるエッセイのなかで短編小説「じねんじょ」の紹介を目
にしたからです。
僕は自然薯汁が大好きで、究極の食事だと思っている。
自然薯にまつわるうんちくを散りばめたものかと想像していたところ、あにはか
らんやプロット上での、心を揺さぶる象徴物として使われていた。

筋だては、死んだはずの父親と、芸妓の娘が初めて会う。待ち合わせ場所に
したフルーツパーラで多く話すことなくひとしきりいて、外に出る。二人は潔く
右と左に別れたが、まだ何歩も歩かぬうちに、、、。土産に、自分で朝堀りした
「じねんじょ」を娘に持たすラストシーンにしびれる。この最後の残像の強度に
圧倒される。これから、何度もページをめくることになるだろう。
映画の「秋津温泉」を繰り返し観ているように。

「きりんの会」へ               929

ボロ市から来たきりん(2015・2・26 影:Tab)
小雨か霙混じりのなか久我山の夜会に参加しました。
2・26で会おうということだったが、毎年この日は雪の日が多いと感じています。

さて、この日の夜会のスペースですが、アトリエの一室です。スナック風にカウン
ターもあり、お酒も豊富に揃っていた。
硝子細工や彫刻などが無造作に在るようで、フローリング仕様の室内にマッチ
して個々に存在感があり雰囲気がイイ。
そのなかでも、一本の樹を彫刻した「きりん」の容姿と表情に群を抜いた生命感
を感じた。ボロ市で衝動買いして連れ帰ったが、いまや、可愛くて可愛くて、居
てもらわなくてならない同居人、とオーナー女史は申していました。

料理は、手作りのマグロのカルパッチョ、なす・ピーマンの味噌炒め、ウインナと
キャベツの炒めものが大皿に盛り付けで出たが、幸いにも僕の好みで大変美味
しかった。

宴酣では、オサダ君の率先で女子組4人がジルバやツイストで盛り上がる。





2015年2月27日金曜日

50、60、70、80歳代の会話       928

2/25(水)
50歳前半のプロデューサー、60歳前半の出版社代表、60歳後半の新宿デラシ
ネ、70歳前半の学者、80歳前半の居酒屋オーナーに70歳半ばの僕が加わっ
た萬お喋りの一席が持たれた。

会の仕掛けは、在来作物の普及に努めるマスダさんが、広島支局から東京に帰
ってきたプロデューサーを引き合わすことに始まった。
彼の関心は、戦後直後の新宿の闇市や屋台の様子を生の声で聞き出すところに
あるようだった。『新宿 でん八物語』をしっかり読み込んでおり、長老のアキサンを
取材していた。
新宿闇市マーケットの誕生の歴史や、新宿国際通りや南口のドヤ街の混沌とした
なかにあった活気、さらに新田裏の屋台仕込から出店陣地取りの様子等を地図
と図面を書きながら語ってくれた。
アキサンの活き活きとした表情を久しぶりに見た。


新宿角筈の旧都電通りで、チンドンヤが練り歩いているのに遭遇した。若い娘の
コンビが吹く笛に鐘、太鼓に浮かれてしばし連れ添って歩いた。

2015年2月24日火曜日

カンバイズのメンバー箱根山へ      927

(2015・2・24 影:Can)
草野球の伝統あるチーム、カンバイズのオールドと現役メンバーにサポータが、
箱根中強羅に集う。

参加者のうち現役プレーヤーは二人だけなので、ひさしぶりの顔合わせといえる。
球団創設から39年になるが、驚くべき継続だと思う。人生の半分以上の年月を
彼等と付き合ってきたことになる。
現在のチームのメンバーは大半が若返っているが、ほぼ最初からのエース・カミ
さんとオオノが引っ張り、チームの伝統を継承している。
おまけに、昨シーズンはシーズン全試合全勝で、年間の仕上げ「カンバイズ・カ
ップ杯」も優勝してしまったのだから、カズさんや僕が監督をしていた初期10年
の出版社と書店相手に牧歌的に「草」を楽しんでいた時とは、様相が一変してい
るのがわかる。

カンバイズの創設メンバーは、16人でしたが、スギヤマS、オオコウチ、イチカワ、
の三人がすでに彼岸にいってしまった。梅薫の頃、今を生きる者がお互い久しぶ
りに顔をあわせ、健在なるコトに感謝しつつ、昔と変わらず杯を重ねるも一興かと
おもいました。
それにしても、飲む飲む飲む! 小田急ロマンスカーに着席するや否やビール
で乾杯から始まって、箱根湯元に着くまでに日本酒、芋焼酎ビンが空いてしまう。
当然宴会で飲み、二次会で飲み、部屋に帰って12時過ぎまで飲み、おしゃべり
が続くのである。翌日になっても、朝食前のビール、帰途の車中でも未だ飲んで
いる人がいるという具合であります。
飲み会耐久旅行になってしまい、新宿での解散時は聊か疲労困憊です。


2015年2月23日月曜日

東京マラソン42・195キロ Gyo完走! 926

35キロ地点・歌舞伎座前(2015・2・22 影:Can)

先週の青梅マラソンに続いて、Gyoが出場する東京マラソンを観戦する。
家を早朝に出て応援場所に行くため、乗り換えの新宿西口に出ると、スタート地
点の都庁前に参集する人人人で新宿駅西口広場はすでにごった返していました。

地下鉄で霞が関で下車、飯野ホールの珈琲店で、引率のSchらと三箇所の応援
地点を確認。内幸町~有楽町マリオン~東銀座歌舞伎座前へ人ごみを分けて
移動する。途中、銀座不二家で昼食。田舎から東京修学旅行で、同じこの店で
カキ氷を食べたことが懐かしい。

彼は、40代になって本格的にマラソンを始めた。それまでの、ハードな仕事で腰
を痛めたり、肥満傾向を改善するために取組んだことだと思っている。
それが、ゴールの達成感が忘れられなくなり、ランニングの快感につかれ、今は
完走からタイムアップを目指すに至っているのだろう。
僕もスポーツすることは大好きなほうだが、歳がら挑戦は難しくなりました。残念!

30万余人が応募して、出場できたのは3万6千人。
色とりどりのユニホームで走るなかで、Gyoを見つけ出すのは大変だった。
Gyo完走!3時間48分。

かつての山の神・今井正が三年ぶりの7分台を記録する。女子では扇まどかが入
賞。

(←ブログ:2015・2・16 「梅の里復興を目指して~青梅マラソン!」 919)



2015年2月21日土曜日

ドッジボール遊び!             925

サウスポー江夏のサインボール
週に一、二度、ハルに会う機会がある。
その際に、友だちとドッジボールで遊ぶのを見たり、実際に参加させられること
もある。
ハルは普通に書くときの利き手は左、習字は右手筆運びなので、さてドッジボ
ールはどんな利き手なのか関心を抱いて見た。そしたところ、球をキャッチした
姿勢の足位置によって、投げ出す左右の手を瞬時に選択する両刀使いに慣れ
てきているようだ。

僕が小学校の頃、特に寒い季節の校庭でのドッジボールは人気スポーツでし
た。昼休みになると箱からボールを持って校庭に飛び出し、早い者勝ちでコー
トを線引きで作り、戦う二組の内と外側の配置をジャンケンで決めて、ボール攻
めを開始する。
投げる、キャッチする、素早い人の得意加減が顕著に表れるが、体格差のハン
ディを気にすることなく楽しめ、全員で熱中したものです。

英国を発祥の地とするドッジボールは、明治時代に「円形デッドボール」の名で
伝わったと言われています。
今や、DB国際大会があるというから、過去のスポーツではなく活況を呈してい
ることを知らされた。



石碑ではなく「木碑」という発想!     924

大槌町・昭和八年三陸津波記念碑

3・11大震災前、昭和八年(1933年)の三陸津波襲来による被災者を追悼し、
防災のための遺訓が刻まれた4メートル四方あろうかと云う石碑が<御社地ふ
れあいセンター」の広場に建っている。
その遺訓は、78年後の東日本大震災に生かされきっていない。
風化とみなされても仕方ない多くの犠牲者を出してしまった。

この度の津波の教訓から、津波避難を呼びかけるために「石碑」ではなく「木碑」
(高さ2・5メートル)を大槌高校生のグループが建てたことが話題になっている。
この発案は、実際に3・11被災をもろ被った人であるからこそのものだと、感銘
した。
その一人は、自宅は流され、避難先の高台から津波にのまれる古里を目前に
して、呆然と立ち尽くしたと言う。ここから、津波対策を考え始めたと、、、。
立派な石を使うよりあえて朽ちる木を使い、周期的に建て替えるたびにウルトラ
津波被害を思い出して風化させない気持ちになる試みと言っています。

碑文は「大きな津波が来たら戻らず高台へ」。(大槌町古学校地区)

2015年2月20日金曜日

雨水                      923

峠から(2015・2・19影:Can)
春の節気通り、雨水に。
18日から翌日にかけて、みぞれ交じりの雨でした。
雨水とは、今まで降っていた雪がいつしか雨に変わり、積もった雪や氷が解け始
める時節のこと。

午前中、富士山がスッキリ見える空に晴れわたった。その澄んだ空気に誘われて
ドライブに出かけました。
いつもの好きなコース、羽村大橋を渡り切通しの峠を越えて走る。峠から富士山
の六合目から上を眺望することができる場所で、シャッターを切る。ここの土手も
先日の残雪から土の匂いが感じられる春の季節まできた。

家の近くにも買い物ができるお店はあるし書店もあるには在るが、少し遠出にな
っても、多摩川を渡り一山越えて素晴らしい自然のなかを、ゆったりビークルする
日が欲しくなる。
そして、ここまで行くと、必ず寄る日の出のモールと珈琲店と本屋さんがある。
軽めに煎炒された香りのいいハワイコナを注文する。ゆったりしたソファの椅子が
心地よくてし、10分もすると睡魔で休眠する始末、、、。
読書とタブレットいじりで一時を過しても、店員さんは嫌な顔一つしない。

2015年2月19日木曜日

運河とランップの魅力いっぱい!記憶の断層51 922


積丹半島めぐりと地場の海鮮を堪能して、小樽へ引き返す。

小樽の歴史は運河の水底にあるといわれている。水に映された石や煉瓦やガラス
造りの倉庫、建物には、豊で古いぬくもりを感じる。
運河を一巡して、「洋燈と手作りガラス」のメッカ・北一硝子の本店から、北一ホール、
ギャラリーを見て周り、珈琲舎・洋燈の挽き立てコーヒーでくつろぐ。
北一硝子の、素朴な形、透きとおる美しい色彩、繊細なキリコの手作りにつかれた
のは、国立の出店で購入するようになって以来です。
今回、多くのオリジナル製品に触れることができ、優雅な気分になりました。

小樽は、「地獄坂」など坂道が多い。あの小林多喜二も息を切らせて登ったという先
には、小樽を一望できる展望台があったよ。
夜は、花園銀座街に出て寿司店が軒を連ねるなかの「政寿司」のカウンターに落ち
着き、エビやうにの生きを握ってもらった。

(←ブログ:2015・2・7 「札幌から積丹半島へ」記憶の断層50 910)

2015年2月18日水曜日

父帰る! サイパンの記録と記憶3    921

書影

1944年2月23日マリアナ諸島は米艦上機による空襲を受ける。

この日、応戦した日本軍機は壊滅させられてしまった。空中戦を予想していた一
般の人は、上空敵機の悠々独り舞台から、軍防備施設が次々と破壊していく様を
見るしかなかったと語る。
大本営によって、慌ててマリアナ増援計画が実施され、広島宇品港を3艘の輸送
船が出港するが、出港四日目に主艦一艘が潜水艦の魚雷攻撃で沈没してしまう。
さらに、名古屋の師団を乗せた第二次輸送艦隊は、7艘中、5艘が魚雷攻撃で撃
沈され兵員、兵器、機材の過半を失ってしまった。
(未だ、マリアナ諸島への海路に要する時間は延々とかかった。)

この当時、サイパンには日本人が3万人弱、チャモロ人ら島民が4千人弱居た。
そして、2月23日のサイパン空襲後、マリアナ地区の一般婦女子と教育者、60
歳以上の老人を強制的に内地へ送還することになった。
「引き上げ船は米軍上陸までに合計3艘が日本に向かった。しかし、このうち2艘
が米潜水艦に撃沈されて乗船の大半が死亡、以後本土引き上げは中止された。」

米軍の上陸は、6月15日の早暁からの激しい艦砲射撃に始まり、上陸用舟艇群
がチャランカノアの海岸に突進上陸した。
(「太平洋の奇跡」など、映画でよく見せられるシーン)
55年前の6・15安保闘争、其処から遡ること16年前の6月15日です。
戦後70年、何かが符合する忘れられない記憶です。
チャッチャ尋常小学校の教師で赴任していた父は、日本に帰港できた最後の引
き上げ船に乗船していました。

→「サイパンの記録と記憶」続く。

2015年2月17日火曜日

『玉砕の島々』(平塚柾緒著)を読む!  920

書影(洋泉社刊/2015・2・6)
サイパン、グアム、ペリリュー、硫黄島の玉砕の記録を、今ふたたびたどる。
サイパンから帰還した父が亡くなって既に55年経つ。
そして、今年は敗戦から70年目でもあります。

僕は岡山県津山奥生れで、大学からはずっと57年に及ぶ東京生活者です。
郷里の実家には本がたくさんあった。その中に、『サイパン最後の記録』(東和
社刊)や『サイパン』(光文社刊)やサイパン関係の翻訳書が書棚に混じってあ
りました。
当時、全くと云っていいほど戦場記録本は読まなかったし、父と語り合うことも
なかった。

この度、本書を読むことで、新しい発見やら玉砕の詳細をさらに知ることができ
た。



2015年2月16日月曜日

梅の里復興を目指して~青梅マラソン! 919

第49回青梅マラソンゴール地点(2015・2・15影)

第49回青梅マラソンに参加のP走友会のメンバーが、わが家に早朝やって来た。
昨年、大雪で中止になり二年ぶりの伝統マラソン「青梅」なのだが、全国から参加
を待ち望んでいた走好者や、90歳以上の参加者など、一味違う趣があってイイ。

残念なのは、寒さ厳しい2月この時期に蕾をほころばせ香り漂い、選手を迎える
はずの紅白の梅が消えました。昨年、ウメ輪紋ウイルスの襲撃を受けて、青梅・
吉野梅郷の梅樹は一本もありません。これまた、厳しく辛い出来事でした。

青梅マラソンは、どんな場所でも渓谷の景色を楽しみながら応援できます。スター
トから6キロ時点に「へそ饅頭」あり、折り返し点手前に「澤の井ままごとや」ありで
ゆっくり観戦することもできます。
Gyoたちが参加する一週間後の東京マラソン応援の場所取りが話題になる。
応援予定場所、九段、神田、日比谷、御成門、築地本願寺~あたりの通過時間と
混雑予測で喧々諤々の前哨戦。
それにしても、今どきのマラソン熱盛り上がりは凄い!再認識しました。

(←ブログ:2014・11・18 「有酸素運動と筋トレ」829)

2015年2月14日土曜日

これがホントの産直野菜!         918

(2015・2・14影:Can)
チョコレートならぬ、農家から採りたての野菜が届いた。
3・11東日本大震災一年後に、新宿「でん八」で開催した「岩手県大槌町のおん
なたちの話を聞く会」で、大槌町海鮮物料理とのコラボでも協力してもらいました。

三浦大根は、練馬大根と三浦半島地場品種との掛け合わせで誕生したもの。
辛味が強く締りがいいので煮物にむく。
そして、わが家では正月のなます作りに三浦大根を欠かすことはない。

葱は、すき焼きなどに使う直前まで泥付きで保存しておくと、甘み独特の風味が
出て美味い。太くて純白部分が多く、採りたてでしっとり水分を含んだ上物です。

ほうれん草ほど世界中で栽培されている野菜はないそうです。今でこそ、三つ葉
とか水菜とか緑色の葉っぱ物は多種出回っていますが、昔はほうれん草が圧倒
的主役だったように思います。田舎では、和え物に、お雑煮に、みそ汁に、すき
焼きに、何にでも調合されていました。今回のほうれん草は、根っこの薄赤みか
らして、美味しいはずです。
他の、牛蒡、里芋、八つ頭、人参、キャベツ、そして長芋、どれも超新鮮で旬のう
ま味が充満! というところです。

四季折々の農家の顔が浮かびます。


も少し、津波と神社のトリビア!      917

大槌稲荷神社(2012・8・16影:Can)
『神社は警告する』によると、南相馬市沿岸部に鎮座する84の神社のうち3・11
の津波被害を受けたのは17社だったと記述されています。しかも、津波でさらわ
れた大半は、江戸時代以降に創建された比較的新しい神社、あるいは移転して
きた神社だったという。
また、無事だった多くの神社は、沿岸部の津波の浸水線上に位置していた。
まさに、津波は神社の手前でとまったのだ!

この結果、理由については、「東北は平安時代初期に貞観地震(869年)に見舞
われて大津波の被害を受けたが、これを教訓に被害を受けにくい安全な場所に
神社を建立した」と、古き人々の聖なる場所選びに科学的根拠をがあることが推
測できる。
と云うことで、今進行中の嵩上げ中心の未来町づくりに一抹の恐さを感じる。

(←ブログ:2015・2・13 「津波は神社の中途まできた!」 916)

2015年2月13日金曜日

津波は神社の中途まできた!定点観測 916

菩提寺のある城山から(2015・1・17影:「広報大槌」)

トラックやユンボなどが小さなおもちゃのように見えるようになった。
そして、小山が独立した嵩上げだったのが少しずつつながって平面化してくると、
異様に高さが際立ってきた。

3・11の大津波が東北太平洋沿岸の集落を根こそぎ壊滅させていったが、被災
地の神社の多くが津波の襲来をのがれている不思議がある。

何回目かの大槌町に行ったとき、安渡集落の岬にある「大槌稲荷神社」を訪問し
たことがあります。岬に突き出す手前の山(写真)の麓に大槌稲荷神社がありま
す。十王舘勲禰宜の当神社もちょっとばかり高台だったため無事だったのです。
僕が訪ねた際には、まだ、避難所として開放された社務所内に寝具や釜、食器
類、食糧などが置かれていました。

「震災のあった日の夕方、避難してきた人たちが涙も拭かずに海を眺めていた姿
が忘れられない」などと、十王舘さんは振り返った。

2015年2月12日木曜日

膳椀とお雛様と縁側~写真から      915


旧田村家(国の登録有形文化財に登録)の土蔵で保管してきた、お膳やお椀と
お雛さまの開陳が見られたのにあわせて、上質のケヤキ、スギ、ヒノキを使った
縁側や戸袋がそのまま生きづく風格に接することができた。


祝儀で使う膳椀が蔵の収納箱から出され本間に配膳された様子。


家の周囲を廊下がめぐっている。

絵図・ヤマジュウ田村家主屋と土蔵二棟

2015年2月11日水曜日

福生の旧田村家住宅            914


先日、「料飲稲門会」主催の試飲会が福生田村酒造であったが、今日はマスダさん
に明治時代の面影を残す古民家「旧田村家」公開へ誘われる。
福生市の学芸員の、田村酒造本家筋から分家した屋号ヤマジュウ旧田村家の沿
革と保存に至る経緯を聞くことができました。
(田村酒造に挨拶。MPVを駐車させてもらう。)

住宅主屋の裏が広く、二つの土蔵がそれぞれ違う用途で建てられていた。
西土蔵には、不祝儀で使うお膳やお椀などの什器類が大きな箱ごとにまとめて収
納されていたほか、水汲みようの桶や四季折々の生活用品、道具類が収納されて
いた。
東土蔵は、旧福生村の発展に尽力してきた郵便、電話業務の道具類などが収納
されていたと説明。まだ調査途中のようです。

その蔵から出した、お祝い用の配膳、椀が畳の広間に長方形座方で並べられてい
た。縁側からの日差しが朱色と黒檀の漆器を照らして美しかった!
膳椀は日本の食文化の原点で、ハレの食と漆器・陶磁器の「うつわ」の文化でもあ
ると。(マスダ)

もう一つの部屋には、左官屋さんが記憶に基づいて書き記した絵図を展示。
当時は駅前が繁華街ではないので、この田村家周辺が中心の街並みだったこと
をうかがわせる、見事なまき絵でした。
さらに、初代の娘さんと次代の娘さんのを加えた雛飾りが梅の花薫る畳部屋に展
示されていた。明治時代からの田村家の風景が一瞬よみがえったきがしたが、、。

家の周囲が廊下をめぐらした間取りで、戸袋のある縁側と濡れ縁の配置などは、
わが田舎の家に似ているところがあって懐かしくなった。縁側を仕切る格子戸にガ
ラスがはめ込まれていたが、わが家も同じで、ガラス越しに外の白銀世界を見て
目を覚ましたこともある。

2015年2月10日火曜日

こんな気分もある!             913

能登半島ヤセの断崖(影:Pen)

北陸新幹線がまもなく開通する。

金沢は独自の文化がしっかりと残っていて、素晴らしい。
新ルート新幹線の撮影で回って、そういう意味でいいと思ったのは、弘前、会津、
金沢。みんな新幹線がとどいてない地域なんだよね。そんなかんだで、北陸新幹
線開通は複雑な気持ち。
地元の人にとってはいいことなんだろうけどね。
撮影で大雪にはホントにてこずったけど、いい仕事ができたと思うよ。体調はすこ
ぶるよい。
仕事の間隙を縫って、金沢近江市場で越前ガニを貪ったよ。
(或る感想から)

(←ブログ:2014・12・9 「あきる野で初雪が舞う!」 849)


2015年2月9日月曜日

江夏のサプライズコーチにワクワクした! 912

40年ぶりグランドに帰ってきた江夏豊

江夏豊さんには、今年の年賀状で、「2月の阪神タイガースの沖縄キャンプ臨時
コーチを楽しみにしています」としたためました。

能見、藤浪ら主力投手や若手の投手を鋭い目で観察しながらコミュニケーション
をとり、一目おく存在感を占めていた。
指導最終日のグランドで、自ら帽子をとり喋る柔和な笑顔が印象的でした。

「少しでも自分と接して会話したことが参考にしていただければ、この一週間の
成果だと思う。いち先輩として大変ありがたい。ただ一言言ったぐらいで一軍で
勝てるような甘い世界じゃない。あとは彼らの工夫。決断力をもって、思い切っ
てチャレンジして意識も変えることが大事じゃないかな」と。

身振り手振りでアドバイスをおくり、親身になって経験を伝える姿に感動した。
江夏一投賞が、育成から支配下を勝ち取った21歳の島本浩也左腕投手に、
自ら持参のgloveをプレゼントとして手渡した。
江夏さんらしい優しくも未来を見据えた檄に思えた。

(←ブログ:2014・8・27 「江夏豊の 猛虎かく勝てり」 745)

2015年2月8日日曜日

『雪の断章』(佐々木丸美著)を読む!  911

書影(創元社刊・創元推理文庫)

このところ、北海道とか、雪に纏わる人や小説に魅入られている。

目的があってのことではなくて、自分の旅の足跡を最も多く残しているのが北海
道であったり、子どものころの故郷で体験した深々と降り積もる雪景色の記憶を
度々引き戻すバックボーンがあるからだと思う。

『海炭市叙景』に続き、佐々木丸美の『雪の断章』を読んだ。
創元推理文庫に組み込まれているのだから推理小説なのであるが、その比重は
そう高くない。
函館から札幌に、小説の背景は違う。

2015年2月7日土曜日

札幌から積丹半島へ 記憶の断層50  910


函館で駅弁「にしん弁当」と「カニちらし寿司」を買い込んで、札幌へ。

北の札幌には何度か訪れているが、いつ来てもパワーを秘めて息づいた街を感じ
る。
時計台が見える大通り公園側の宿に落ち着き、早速、すすきののラーメン街で汗、
汗をかきながら美味を堪能する。

翌日は、積丹半島へ向かう。途中でニッカ余市蒸留所による。近く漁師村の食堂で
生うにがたっぷりのった「うに丼」を賞味!
奇岩を海岸線に見ながら、神威(カムイ)岬へ着く。
駐車場から遊歩道を歩いて、先端に点在する巌と真っ直ぐ立つ神威岩を間近に望
む。突端への遊歩道「チャレンカの道」の周辺に咲く「風露」を見ながら散策できる。
さらに、突端サイドの険しい坂道を下って海辺でしばし戯れる。そこで拾ったイカ釣
りの浮き玉と乾燥した海草が、今でもわが家にあります。

(←ブログ:2015・1・25 「函館山」記憶の断層49」)

2015年2月6日金曜日

武骨な手がやけに印象的だった!    909



長く一年近く会っていなかった竹さんを、千駄ヶ谷の病院に見舞う。
すでに会ってきた人の情報に温度差があったが、いたって元気そうに見受けられ
た。

自分が執筆した本のお礼をのっけから言われたが、よほど気にしてくれていたの
だろう。
「お喋りの記憶は薄れていくが、文字で残ると記憶の深みを増して甦ってくる」と。
兄妹のことから、古里、信州大町を今まで聞いた以上を少ない時間のなかで語っ
てくれた。そして、長くベットに臥せていると、体力の低下と歳のこともあって、気力
が萎えていくのを憂いていた。

彼は、2年前になるが3・11被災地の大槌町から上京してもらい「岩手県大槌町
のおんなたちの話を聞く会」(三省堂書店神田本店地階)を開催した時に駆けつ
けてくれたり、「大槌の風」を裏方してもらっている。
なんとしても、も一度一献酌み交わせるまで、回復することを祈っています。

2015年2月5日木曜日

新宿歌舞伎町から~ゴールデン街へ   908

ベルク(2015・2・4 影:Tab)
急に、オサダNくんと待ち合わせ。
病気上がりのその後の具合を聞くために電話したところ、順調でそろそろ会いた
くなっていたところ、と、グッドタイミングだった。
約束の時間まで余裕があったので、新宿駅改札を出たところにある軽食・ドリンク
&コーヒー店「ベルク」でビールを飲みながら過す。
ベルク本が<ちくま文庫>になっている。

「でん八」弘史くんから、竹サンの入院見舞いの様子を聞く。一応退院できるレベ
ルまで回復してきていると。
しかしながら、写真を見るかぎり、体重はますます減って目が落ち込んでぎょろ目
気味になっているのを見るにつけ心配になる。近日中に訪ねる予定。

印旛沼の酒蔵倉から取り寄せの朝搾り新酒を飲んでみたが、フルーティーだが
妙に甘ったるいのが気になった。
オサダくんに借りていた「中井英夫特集本」を返却する。家宝の一冊だと言う。
釜石生まれの菊池放送作家に久しぶりに偶然会い、被災地の話しにおよぶ。

オサダくんの誘いでさらに、ゴールデン街の「ハンフリー」に繰り出す。
この店の隣に在った「タルタル」の灯は消え、十数年前にオーナー替わりしたらし
い。


2015年2月4日水曜日

駿河台下~お茶の水駅前~        907

(2015・2・4立春 影:Tab)

定例水曜会で一緒したシライ君が、誕生日宣言!
場所を御茶ノ水ビヤホールにかえて、それぞれ好みの焼酎で乾杯する!
僕はいつものタイガードラゴンお湯割り。
ツマミは冷トマト、蒸しピーナツ、、、。

三省堂書店から明大前通りを御茶ノ水に向かう途中で、「映画秘宝」の編集者
マツザキくんから声かけがある。声に張りがあり元気そうだった。ヒホウ2月号
の鎮魂・高倉健と追想・菅原文太特集は読んだよ! と檄を飛ばしておいた。

70歳半ばの誕生日、何を思う、というところか、、、。
彼とは50年近い交流と親友関係lにあります。
僕と違い、ゴルフ、釣りに趣味は豊富で、絵筆に習字、昨年からパソコン教室
通いと、習い事にも積極的で、一献交えながら、その習熟度を聞くのが楽しい。
電話ではしょっちゅう話しているが、今年初めての顔合わせだった。

今日は同席のオザワさんから、Skypeの薦めがあり丁寧に用途と設定を教え
てもらったので、僕と共々挑戦することになりました。

2015年2月3日火曜日

明日は立春!                906



今日は立春の前日で節分。「季節を分ける日」ということらしい。
といっても、外の水道は凍りつきバケツには厚い氷が張っていて、まだまだ寒い
日が続くでしょう。

節分に豆をまく伝承儀礼についての謂れは、詳しく知りません。
子どもの頃から、祖母の巻き寿司と豆まきは恒例事だったのだが、その伝承を
今ではyuが受け継ぎ続いている。
だが、故郷のように鬼が苦手とされるヒイラギにイワシの頭をさし、玄関に飾ると
いう風習までは踏襲していません。

今朝の「日経」の記事によると、イワシの築地市場では卸値が前年同期比3割高
だそうで、三陸や銚子港の水揚げが低調な事情によるようです。
ということで、魚屋さんで売られている新鮮な生イワシが、一匹100円から150
円の高値が付けられている。
鬼はそと! 福はうち!

(←ブログ:2014・2・3 「伝承される「巻き寿司」)

2015年2月2日月曜日

やりきれない思い…             905

埴谷雄高『幻視のなかの政治』

後藤健二さんが「殺害」されたとみられる映像が公開されました。

これまで、一度たりとも日本国側からの情報発信はなされず、「危機管理」など言
うのもおこがましい経緯でことは運んでしまった。
この地続きの中東で、映像が流れるまで殺害を知らずにやり過ごしてしまう、わが
鈍感さに戸惑うばかりです。

「イスラム国」への、言語道断の残忍な所業に非難の声を上げ怒りを覚えるのは
当然のこと。あわせて、日本政府にも裏切られた思いです。
安倍首相は夫人同伴で中東訪問中に、IS対策として2億ドルの支援を表明した。
それを引き金にした緊迫した事件への対応について、本当に相手と交渉しようと
していたのか、疑問に思えてなりません。

彼は、肝いりの「積極平和主義」を言い、それを現実に推し進めるために「集団的
自衛権」を解き放ち、「国際協調」して「テロリスト」と徹底的非妥協的にたたかう、
と言い放っています。
世界の地域戦争に端を発してモンスター化する「イスラム国」を、対米軍事追従で
「敵を殲滅せよ」と純化路線に拡大しているように見える。

忘れまじ戦後70年。絶対、イスラム国戦争に踏み込んではならない!
埴谷雄高の『幻視のなかの政治』を書棚から引っ張り出して読む。



2015年2月1日日曜日

鳥は飛ばなかった!            904


沖縄宜野座キャンプが解禁になった。
今年も左胸にCマークをつける阪神タイガース・鳥谷敬が、「今のメンバーで戦
える」と断言した。

昨年、彼は海外FA権を行使したが、悩んだ末に今季の残留を決めた。
アメリカに飛んで行かなかった!
決断した情報を逸早く知ったyuから、「ヤッター!鳥谷が阪神残留だと、、、」と
メールがあったのが1月9日午後一のことだった。

鳥谷が阪神から飛んで出て行ってしまわずに残留したこと自体が、大きな補強
になったのは間違いない。
関本、能見、上本、大和ら阪神タイガース生え抜きのナイン皆からも、安堵の
発声があがるなど、12度目のキャンプインする鳥谷の存在は大きい。
さらに、昨年から間違いなく伸びしろのある若い選手が競いあって出てきており、
その積み上げの戦力が楽しみだ。
背番号1が若虎と西岡、福留らベテランの底力を引き出すべく、球春に飛ぶ!