2015年7月31日金曜日

丸山真男『後衛の位置から』本棚から1086

書影(1982・9 未来社刊)
本棚から、『現代政治の思想と行動』の隣に挿されていた丸山真男著『後衛
の位置から』を抜き出した。

その中に、「憲法第9条をめぐる若干の考察」という、1964年に<憲法問題
研究会>例会でした報告を加筆し収録されている。
発表されてから50年経っていながら、改憲問題は、第9条が政治問題化した
ところから発している戦後史のポイントを鋭く突いている。
最初からいまに発展してきていることの深層がよくわかる。

25年、朝鮮戦争直後に「警察予備隊」を創らされ、この予備隊の成長過程を
めぐって、違憲ではないかという問題提起が政治的に出始める。
僕は10歳の頃だったが、巷で「再軍備」の声として聞こえ始めたのを覚えて
います。

アメリカの戦略体制の一環として、これまで日本は軍備を強化してきたし、さ
らにいまから集団的自衛権を容認する「安保法制」で、自滅への途をたどる
のか、、、。
未だに、僕たち自身で「戦争責任」を問いきれていないということがあるように
思えてならない。

(←ブログ2014・7・20 「丸山真男『現代政治の思想と行動』を読んだ頃」707)
      2014・7・21 「続・丸山真男のこと」708)
      2014・7・22 「続々・丸山真男のこと」709)
      2014・7・28 「丸山真男に関する追記」715)

2015年7月30日木曜日

井上光晴について          1085


井上光晴の小説を、脚色、監督した熊井啓の「地の群れ」を観た。
最近初のDVD化されたものを45年ぶりに再度観たことになります。

最近、長崎の「軍艦島」や炭鉱労働者、差別問題が、最近やたらと浮上してきて
おり、少年時代の炭鉱生活がもとになっている井上光晴の『地の群れ』を思い出
した。小説の再読でもよかったが、手っ取り早く映像で観たくなった。

45年まえのスクリーンのなかの終わりのほうで、出演していた宇野重吉がまるい
サングラス越しに犯罪者の息子を守る姿と表情や声に凄みを帯びていく演技が
忘れないで思いだされた。スゴイ演出家であり、映画で多くは脇役であったが名
優だった。

昭和16年の佐世保にはじまって、戦後、米軍軍港となった時代背景のなかに、
熊井啓監督は、在日、ナガサキ被爆者、被差別部落といったタブーをとりあげて
いる。
徹底的に内なる二重の差別と排除がさらなる差別を生む構造を、これでもか、
これでもかと、暗い画面に塞ぎこむ。
出口のない、開放される場所もない、諍いがいさかいを生む狭い籠のなかで地
べたを這いずり回っている「群れ」を見るのはつらかった。

井上光晴が、新宿「ナルシス」のカウンターで彼特有の大声でフィクションを精密
なディテイルで展開されるので、既に「小説化」が始まっているように思える経験
をしたことがある。


2015年7月29日水曜日

多忙な人たち             1084


きょうは通常なら水曜会で会食するところを、それぞれの都合でナシになりました。
8月も旧盆が明けてから、例会の設定をすることで合意。

既に休会は確認済みと決め込み自宅でゆっくりしていたところ、富山滞在のカン
さんからメールが入った。

「昨日より富山です。
こちらに着いたときは強い雨でしたが、今日は晴れています。
明後日ソウルに行きます。
いったん帰国しますが、すぐにニューヨークに行く予定です」 と。
彼は、ほとんど隠遁生活になりつつあると言っていたが、なんのその、まだまだ
仕事で大いに活躍の様子がうかがえる。

Gyoも仕事で、5月にドイツのケルンへ、6月にはツールド・パリでフランスへ出張
していた。
ビジネスとはいえ、僕の周辺で気軽に外に出かける人が増えている。
内と外の境界はとっくに取っ払われて、グローバルな行動は普通なのだろう。

2015年7月28日火曜日

出版情報誌雑感           1083


「トーハン週報」&「日販速報」を散見。

いまや仕事に直接関係ない出版情報を、昔ながらの癖で通し読みして楽しませ
てもらっています。
この情報誌の主たる新刊案内一覧は素通りして、ジャンル別ベストセラーの書目
を見ながら今の読書傾向を追って見る。
ほかに、出版社情報でこれから出る本や大型企画を知り、社の傾向と勢いを感じ
取る。
ついつい、雑誌創刊や発売日変更に目がとまることがある。
現役のとき、雑誌の創刊準備で長期戦をしたことや、タイトル変更、発売期日トラ
ブルが生じた場合の大変さ加減を思い出す。

もう、2016版、日記、手帳、家計簿、ダイアリーなの、、と驚く。
あと、全ページ広告出稿の出版社を見る。 KADOKAWA目だつな! とか、、。



2015年7月27日月曜日

アメリカン・スナイパー         1082


イーストウッドの「アメリカン・スナイパー」を観た。
この映画の主人公となる、クリス・カイル語り下ろしの原作本『ネイビー・シールズ 
最強の狙撃手』がある。

この映画が公開されていた3月11日、JR有楽町駅前広場で「岩手日報」被災地
元紙が支援者に現状報告する趣旨の「特別号外」を配っていました。
注目していた映画だったが、この日は観るどころでなかった。
直後に会ったグンゾウさんから、評価相半ばする批評を聞いてもいました。

この映画を仲介して、アメリカの左と右が、プロパガンダ映画だ、歴史の捏造だ、
売国奴!と激突した話題が伝わってくる。
アメリカのイラク戦争、9・11テロを見てイラク戦争に行って、アラブ人を殺しまくる。
そして、戦場から帰るたびに精神と肉体を病んでいき、ついには典型的な戦争後
遺症で除隊する。アメリカの映画や記録によく出てくる帰還兵の暴力、麻薬、殺人
に逃避する姿とかわらない。行き着く先は、銃崇拝!

反戦映画であること、間違いなし。
クリント・イーストウッドの言葉。新しいことを覚えるのは楽しい。老けない秘訣だ! 

(←ブログ2015・3・12 「岩手日報」号外を手に」943)

2015年7月26日日曜日

生きて帰ってきた父          1081

南洋丸(上)&サイパン公学校(影:Pen)
親父からサイパン経験についての聞き取りが、残念ながらほとんどできていま
せん。
なので、残された写真やわずかな書き物からの推測しかできない現状です。

たとえば、彼は民間人最後の乗船で本土に帰還できたが、そのあと出港した
「南洋丸」で帰路についた人たちは、サイパンを離れて1時間ぐらいして米国
の潜水艦に撃沈されてしまったと言っていました。
「南洋丸」は、当時のサイパン航路の花形船で、東京とサイパン間を5日ぐら
いで結んでいたようです。

公学校は、「同化政策」により日本人の子も島民の子も一緒に教育していた。
そして卒業後は、日本の高校に数多くの島民の子が進学している。
同化政策そのものは、植民地支配の典型的教育システムなのだが、南洋諸
島の場合、穏やかな文化の一体化政策であったためか残滓にあまり悪びれ
るものがないのが不思議に思える。
未だ、生活様式や考え方への強権の実態を掴みきっていないからかも知れ
ないが、、、。

(←ブログ2014・6・18 「6・15とサイパン」675)
(←ブログ2015・6・14 「サイパンの光と影」1039)
(←ブログ2015・6・20 「父とサイパン小学校」1045)
(←ブログ2015・6・22 「委任統治と植民地は、、、」1047)
(←ブログ2015・7・17 「サイパンのチャモロ人」1072)

2015年7月25日土曜日

戦後70年に想う。           1080

「野火」(塚本晋也監督)
誕生日が8月6日。
「広島原爆投下の日」ということもあって、気持ちがざわついてくる。

今年は、「70年談話」が注目されているが、関連記事や特集、書籍・雑誌、映
画、演劇、TV、、多角的に目立ってきている。
この状況を認識できるのは、仕事に追われた日常から開放されて、本や雑誌
を読んだりテレビや映画を観たりする「余裕時間」のなせる業なのか、と思った
りしています。

1945年(昭和20年)8月15日の記憶は曖昧です。5歳でした。
そのとき、国防婦人会会長だった祖母に連れられて、村のおばちゃんたちが
作業する「松根油」の乾留所で遊んでもらていた。
転がった松の切り株に登ったりかくれんぼしている風景を覚えている。
松根油のことを「テレピン油」とも言っていたようにおもうが、戦争末期の航空
用ガソリンの代用を造らされていたとは知らなかった。
この現場と、川原の砂地を利用してサツマイモ造りに部落を挙げて精出してい
る半纏姿の女たちの姿の記憶が、僕の戦争体験となっています。

今もその場所が残っているか、帰郷したとき歩いてみるが松根油造りの場所
は製材所に変わり、イモ畑はダムに沈んでみる影もない。だけど、70年前の
情景が脳裏に刻まれ甦ってきます。

2015年7月24日金曜日

井出 彰『東京発 遠野物語行』が届く。1079

書影
親友井出君から一筆添えられて、新刊が送られてきました。

上製丸背のタイトル部分は和紙でもはられているのではと思わせる今どき珍しい
本らしい本を手にしました。さらに黄色のひも栞まで付いている。

井出君が最初の『里川を歩く』を刊行したときから、民俗学に造詣深いことは分っ
ていたが、本書に接すると、柳田國男や宮沢賢治は言うに及ばず佐々木喜善や
鈴木棠三、石井正己までおさえられていること、凄い奥行きを感じさせられた。
「なにも調べないで、ふと思い立って遠野という処に行ってみようと思った。」とあ
るが、そんじょそこらの知識の持主でないことが、この本でまた知ることになる。

気が向いたら読んでみてくれ、とのことだが、頁をめくると一気読みさせられた。
遠野に縁があることや、さり気なく触れた3・11震災の語り口、実際に見たり車越
えした早池峰や仙人峠の残雪風景描写、そして井上ひさしの柳田観などの部分
はグイグイ読み進んだよ。
遠野を東京荒野の語り部に惹きつける落ちには少し戸惑いました。
恵贈ありがとう。

ライブハウス「FEVER」在り     1078

ライブハウス(2015・7・23影:Pen)
夜会の前にハルのスイミングに付き合い、余時間に周辺を散策。
新代田のスイミングスクール隣の中一階入り口が夕方になると若者の列ににるの
が気になっていた。こんな所にと驚いたが、それなりに知られたライブハウスだっ
た! この日のライブは、永原真夏+SUPER GOOD BANDと案内が出ていた。
なぜか、受付サイドでゴールデンレトリバーが静かい座って迎えてくれる。

東京に出てきて間もない頃、友人が世田谷経堂に棲みついていて京王線桜上水
駅下車で遊びに行っていた。その際、行き帰りの途中に下北沢駅でも降りていた。
近年では再開発が進み、下北沢の街もすっかり姿をかえようとしている。
建築・土木工事中の工夫から警備員までビックリするほど過剰に多い。
震災地が労働力不足で復興が停滞しているのを知っているだけに、都市集中型の
土木工事の弊害を感じてしまう。

吉祥寺から明大前、下北沢をへて渋谷に行く井の頭線の普通停車駅の周辺には
意外な見所を散見することができる。

(←ブログ2015・6・13 「井の頭線のアジサイ!」1038)

2015年7月22日水曜日

戦後70年コーナーが目立つ!   1077

「戦後70年面陳」(2015・7・22影:Tab)
連日、猛暑つづき。お茶の水駅から駿河台下までの坂がしんどい。

三省堂書店地下にたどり着く。
先ず栗田出版破産の情報交換。
ネット上にすさまじい量のニュースが飛び交っていること、、、。
鈴木書店の倒産、明文図書の解散、柳原、北隆館と経験済みで、対処の流れは
織り込み済みのはず。
違うのは、先のものが人文、法経専門書取次ぎであったのが、栗田は歴史があり
なお売上上位版元の占める比重が圧倒的であることか。
このことが、これからの「再建」の流れに影響するのは間違いない。

さらに、長く言われてきた委託販売の再販システム上の問題で、アマゾンなどの直
販が真っ向対決してきている現状とのせめぎ合いを避けることはできない。 (完)

会の後で、先週に続き今週も「夏休み」に入っているグンゾウさんに暑中見舞いの
電話をする。過日、聞いていた体重減については、医者のサポートで食事制限の
結果、痩せ姿になっているが病名がある訳ではないと。しかし、急激に身軽になっ
たことでフラフラして歩き辛く、家にこもっている状態らしい。

水曜会は、8月前半はお休みにしました。


2015年7月21日火曜日

雷で梅雨明け             1076

マット・マートン外野手
後半開幕第一戦。
完封負けして、監督は「今日はなにも言うことない」とコメント。

一手一手の読みが凡庸なのではないか、観客の僕でも分かる、最善策をとらな
いで相手におしまくられてしまう。結果は、2対0で完封負け。
投手交代なら高宮ではなく、最初から福原。代打も悔い残る用兵に、何とか言え
よ、と叫んでしまった。
凄まじい雷雨ともに梅雨明け宣言。 前進したかと喜ば、二歩後退。猛虎です。

きょうの巨人第二戦は、メッセンジャーの奮投に応えてマートンが、6回に鳥谷と
四球のゴメスを塁において、2アウトからレフトフェンス直撃の適時2塁打を放つ。
これがチーム27イニング目の得点。勝って終わってみれば、これが勝利得点に
なった。投打にわたる外人勢の活躍で、巨人を振り切りやっと勝を手にした感じ。

北條よ、陽川よ、横田よ、いまがチャンス! 早く揚がって来い!

(←ブログ2015・3・28 「阪神タイガース初戦逆転サヨナラ!」 959)
(←ブログ2015・4・30 「勝っても負けても猛虎とは!」 994)
(←ブログ2015・5・7  「こんな良太をいつもみたい!」 1001)
(←ブログ2015・5・14 「2年ぶり神宮球場に!」 1007)
(←    2015・6・30 「ダマされないように、、」 1055)

2015年7月20日月曜日

「海の日」に想う!          1075

オーストラリア・ケアンズ(影:Cas)

きょうは「海の日」。
祝日には、いろいろ意味が込められていて、
制定の経緯を知ればイヤな休みもある。

四方海に囲まれた海洋国日本のこと、海の
恩恵に感謝し、暑い真夏にハッピーマンデー
で一休み。
海のない内陸の県は「山の日・川の日」の方
がしっくりするのかな。
ちなみに奈良県は上記を条例で定めている。

ダイビングに出かけたいところながら、この
ところの体力不足では無理と諦めている。
潜った気分で、水中写真を取り出してながめ
た。
どこの海でも潜るたびにめぐり合える「カクレ
クマノミ」賛歌から、、、。










イソギンチャクの中によく隠れていることからこのカクレクマノミの名がついた。
またの名を「アネモネ」とも言う。こちらもソフトで愛くるしい。
イソギンチャクのまわりを体をくねらせて小さいニモを守るように仲良く泳ぐ仕草
はおもちゃのファミリーそのもの。
潮の流れ明るい比較的浅いサンゴ礁に近づくと、すまいとニモを守るため、僕の
水中眼鏡めがけて突進してくる。何度見ても、飽きないで手を差し出し戯れる。

ダイビングするたびに生き物、サンゴ礁、海中風景の新しい発見があり、興味は
つきることがない。





2015年7月19日日曜日

安保法制破棄/映画を観よう!  1074

江原真二郎
僕は映画が好きで、小学校低学年のころからたくさん観てきた。

そんななかでの「反戦映画」は何だろう。観たときの年齢で感じ具合は微妙に違
うが、やはり究極の繰り返して見なおす映画として変わらない。
古くは「純愛物語」。被爆した少女(中原ひとみ)と青年(江原真二郎)との、タイト
ル通りに、戦後直後、孤児で「不良」仲間の純愛の起伏がつづく切なさのなかに
戦争の元凶が透けて涙する。
中原ひとみの「ミツ子」の快活な躍動感とキラキラした瞳が、残像としてこびりつ
いて、原爆から戦争への怒りがふつふつとわいてくる。
今、3・11に至っても、事態は変わらず深刻度をましている。
(今井正監督/1957年公開)

改めて今村昌平監督「野火」(大岡昇平原作)を観ました。南方のレイテ島に負け
戦とわかりながら送り込まれた日本兵の惨憺たる悲劇です。
爆弾と銃撃で肉体は容赦なく破壊され、追い詰められた飢えは人間を狂わせる。
大岡昇平の実体験に基づく、密林と原野を人間共食いしながら生き延びる軍隊
の話です。このことは、埴谷さんと大岡さんの対談で直に聞いたことがあります。
「安保法制」・「戦争法案」は、絶対に許してはいけないのです。
政府のウソの誘導は化けの皮がはがされてきているが、「日常の空気に取り込ま
れている頭」はなかなか覚醒されない。
(1959年公開)

塚本晋也監督の新作「野火」は、7月25日から公開。
これからは、戦争の実体験を聞けない世代が出てくる。戦争を風化させず、生々
しいものとして伝承する術を持たなければいけないと思う。
その可能性の一つが映画にある。

(←ブログ2015・7・15 「7・15と6・15」1070)




2015年7月18日土曜日

ムカデに遭遇!            1073

面陳&平台(2015・7・18影:Tab)
絶滅危惧種かと思いきや、百足、現る!

今日午後から、一週間ぶりに日の出の本屋さんに出かけました。
駐車場でクルマのドアを開けて一歩踏み出した地面に、なんと体長10㎝ばかり
のムカデが這っているではないか! あっと驚き身がすくんだ。
一寸、大袈裟にきこえるかも知れないが、日本在来生き物で一番恐くて嫌いな
モノがムカデ。子どもの頃、祖母から教えられたムカデが噛む毒性と、生け取り
して菜種油入りビンに封入した傷薬の何とも言えない不気味さの残像による。
今思うに、祖母が作った「ムカデ油」はすり傷、火傷など何でも傷に塗ればテキ
メンに効いた不思議な秘薬だった気がする。
塗ってもらう時は気持ち悪くて目を背けていたが、傷跡も残らず魔法の薬と呼ぶ
ほどだった。

東京で10㎝以上の巨大なのは初めて遭遇した。衝撃をうけた!
ムカデは屋外での発見が難しく、今回も一瞬にして目前にいる感じだった。湿り
っけを含む土色に合わせた保護色のせいのように思う。そのうえに逃げ足が早
く隙間に隠れてしまう。それにしても、駐車場のアスファルト舗装の上になぜ這
い出たのだろう。 ゾッとする。


2015年7月17日金曜日

サイパンのチャモロ人        1072

新里さんと昵懇に(ニッコー・チーフガーディナー)
サイパンの父から母宛に届いた葉書が数葉あった。随分歳とってから、その記憶
をたどり、小学校の在った所や、チャモロ原住民と日本人の生活の伝聞を話して
くれたことがあります。

小学校の所在地は、現在のハイアットホテル近辺かとおもっていたが、母の記憶
からするとチャッチャ校区だったようです。
チャモロ人と身近に接するこで、異文化に興味がわいたのか衣食住について一
寸した挿絵入りで便りしてきていたと、、、。

「チャモロ人の衣類の洗濯について。洗剤はヤシの油でつくり、洗ったら野っ原
で露天干し。一日に数回スコールがくるが干し物はそのまま、またすぐにあらわ
れる強い陽射しで乾いてしまう。あるいは、少々濡れていてもそのまま着て陽射
で乾かすのがあたりまえという風情です」と。

僕も、サイパンに行ったときの経験から、ずっと変わらずそうだったな、と思う。
チャモロ人が、上半身裸で闊歩する姿をよく見かけた。

2015年7月16日木曜日

サイパン熱帯植物園/木と花③  1071

(影:Pen)
【タヒチアンチェリー/トウダイグサ科】上左
キューバ原産の低木、サイパンではほぼ一年中、花をつける。
ほかにジャトロファやテイキンザクラの名も。

【デイゴ/マメ科】上右
インド原産、高さ10mをこえる木は葉を落としたあと、枝先にオレンジ色の花
をつける。
熱帯では街路樹といて利用。沖縄の県花。

下の写真は「ツリーハウス」。樹齢400年以上のカジュマル(パンヤン)に登る
と、ターザンブランコごっこができるよ。用意されたハンモックで日本からの偏
西風を浴びてうたた寝~yu気持ちよさそう~。

(←ブログ2015・6・28「サイパン熱帯植物園にて」1053)
(←    2015・6・29「写真をめぐる/「サイパン熱帯植物園の木と花①」1054)
(←    2015・7・7 「サイパン熱帯植物園の木と花②」1062)

2015年7月15日水曜日

7・15と6・15             1070

国家議事堂通用門前(2015・7・15影:Tab)
僕は今日、国会議事堂を鉄柵ぞいに半周した。55年ぶりのことです。

憲法も民主主義もあったものでない。「安全保障関連法案」をまたもや強行採決。
憲法を守れ、とか民主主義を叫ぶのは好まないが、ここまで蛮行が一方的にまか
り通ってしまうと、黙っていられない。
と言っても一人で何かできるでもなし、情けない気持ちです!

「歴史」は後退すると云う理論がある。
55年前には、「安保反対、岸を倒せ!」と、10万人のうねりが国会議事堂を席捲
した。
今日のプラカードとシュプレヒコールは、戦争ハンタイ、安倍たおせ!」。議事堂
周辺道路に数万人座り込む光景を見た。

55年目の7・15、何が変わったのか。1960年には、「朝日新聞」主導で在京七
紙が岸内閣総辞職と解散を求める共同宣言を掲載。この程度の「議会政治を守
れ」であったが、今や見る影もない体たらく。
新聞、マスコミは死んだ日になってしまったか!

2015年7月14日火曜日

祖母の従姉              1069


祖母の従姉は広島で被爆して、僕と同じ郷里に帰っていました。

被爆した顔のケロイドは子ども心に強烈に焼きついています。
兄善一さんは村長でしたが、彼女は女学校を出て人柄が良く、話題豊富で快活に
お喋りしてくれる人でした。
柔和な表情ながら、熱せんで身体が燃えていたと被爆体験を話す目は鋭く、今で
も忘れられません。

領土問題などを機に、今世紀に入り好戦的な発言や政治的潮流が突出してきて
いるのは間違いない。
明日にでも強行採決される「安保法制」にしても、戦争・戦場体験のない世代は、
「中国の脅威」などに煽られて、ハッキリと反対することができなくなっている風潮
にある。

被爆者や戦場体験者の言葉は重い。「体験者に理屈はない。次代を担う子どもの
ために、絶対に戦争はやっちゃいかん」、と言う。
所詮、僕だって戦争のリアリティーはない。だからこそ、こうした言葉を心底真剣に
考えていきたいと思う。

(←ブログ 2015・4・27 「あらから55年集団自衛権行使に!」991)



2015年7月13日月曜日

猛暑日!                1068


昨日の日曜日は、朝から気温が上昇して35℃~の猛暑日となる。
ハルが泊まりがけで来ているのを幸いに、互いに好きな水遊びに羽村堰へ自転車
で出かけた。

早速慣れたもので、「魚道」の水が落ちるマスに飛び込み、首まで浸かって小魚を
追っかけまわした。
今が魚の活動最盛期なのか岩陰に群れて生息しており、大小10匹ばかり素手と
網で捕った。ハルは興奮しながら、小さな手で必死につかんで水を入れたバケツ
に移していた。
魚道の水しぶきがあがるなかを走るハルの、笑い顔がはじけ捕った魚に歓声が上
がれば、それだけで嬉しくなる。
1時間あまり遊んで、体の芯まで冷え込み引き上げる段になると、また、一匹一匹、
手ですくっては水の流れに帰していた。

古希はとっくに迎えている僕だが、未だ、川や海に惹かれのか不思議であり自然
な成り行きとも思っている。還暦を機にデビューしたダイビングも、幼少頃からの川
潜り好きに端を発しているはずです。もすこし若いときに始めておけばよかったが、
仕事に追われゆっくり休暇を取り遊ぶ余裕もなかった。
ダイビング資格取得から潜水体験については、別世界の広がりがあるので機会を
追ってお喋りしてみたいと思っています。

(←ブログ 2015・5・5 「こどもの日菖蒲の湯!」999)

2015年7月12日日曜日

大槌湾からアメリカ西海岸へ漂着!1067

城山から(2015・6・25 影:大槌広報大槌)
大槌町の赤浜に「東京大学大気海洋研究所」が3・11震災前から在る。

3・11の津波で海洋に流出したモノが、地球の裏側の海岸に流れ着いたとい
うニュースをしばしば見聞します。
「広報大槌」によると、3ヶ月前の4月、アメリカ西海岸のワシントン州の海岸で
大槌の豆腐店「栄七屋」と焼き付けたプラスチックケースが漂流しているのが
発見され、米国から返還された、と話題になっている。
4年余の長い年月を経てアメリカまで浮き沈みしながら流れていったことにな
ります。

震災で流れた漂着物を拾った人の大半が、持主の気持ちをおもんばかって、
返還しようという気持ちになるようです。こうした絆をつなぐときに、何かの役に
たてればと、海洋研究所・国際沿岸海洋研究所元センター長は言う。

(←ブログ2015・4・13 「震災から4年 定点観測」977)
(      2015・5・15 「復興予算 一部被災地自治体の負担に」1009)
(      2015・6・12 「中心市街地再生計画動き出す!」1037)

2015年7月11日土曜日

園子温の映画            1066


園子温脚本・監督の「愛のむきだし」を観た。

園子温の「自転車吐息」を書籍化企画として、タノベから出たのが1993年頃
だった。
最初、園子温を姓名として迂闊にも読めなかった。  ソノ シオン。

1950、60年代の映画は、5社協定による配給映画が全盛で、次に独立系
が出てきて、インディペンデント映画をぴあフィルムフェスティバルなどが牽
引するように製作の幅が拡がっていく。
こうした状況のなかで、作家性の高い作品を公開して注目されだしたのが園
子温監督と言える。
僕が実際に園監督の映画を観始めたのは、「冷たい熱帯魚」からで随分遅
れている。続けて、3・11震災後を撮った「希望の国」を観て、映画の力を感
じました。

さて今日観た、4時間の力作「愛のむきだし」について、、、。
監督、脚本家、表現者にとって、時代の空気は切っても切れない関係にある
だろう。30代の園子温が逃げて通れない不気味さを覚えたのが、サリンの
新興宗教であったのか、、。このグロテスクな怪物に着目してストレートな「愛」
のテーを精力的に撮り続けたのが「愛のむきだし」。

敬虔なクリスチャンファミリーのなかで育った少年が、「純愛」の相手少女との
出会いを、カルト宗教団体との関わりから、引き込まれていく姿を約4時間の
長時間にわたって粘っこく描いている。この監督独特の長回しあり、長喋りが
つづき、倒錯・変態的言葉や殺戮シーンが溢れている。その異化作用で愛
のかたちの輪郭が見えてくる。
最初に平穏な親子の生活場面を淡々と1時間近く見せられ、違う映画を見て
いるのではと思ったところで急展開し、スクリーンに惹きつけられて4時間が
短く感じられた。









2015年7月10日金曜日

自らの身体と向きあう。       1065

加齢難聴は感音系
音を聞きとる聴力がことのほか大切なことを、ヒシヒシと実感している昨今です。

40代はじめの人間ドックから始まって聴力検査は年一回は欠かさずしてきた。
通常、低音と高音の純音について、聞き取れる限界感度の「純音聴力検査」な
るものです。これまで、30年間何ら異常はなかったし日常で不便を感じることも
なかった。

40デシベル(音量の単位)以上でないと聞こえない場合、「話すのにヤヤ不便を
感じる」ことになるというのが専門医(東京医科歯科大学教授)の説明。 とのこ
とで、僕は45デシベルであることが数度の検査で判定された。
因みに70デシベル以上になると、高度の聴覚障害と判定される。
僕の場合、どうも「加齢難聴」と称するもので、耳の病気ではないという。
人工補聴で聴力を改善するかどうかの境界にきているらしい。

2015年7月9日木曜日

負の遺産としての「軍艦島」    1064

廃墟と化したプリピャチ
産業高層廃墟物に秘められ負の遺産を有する長崎の軍艦島が「世界文化遺産」
の登録が先日正式に決まった。

ずっと棘がひっかかる気分なので、言うべきことを言っておきたい。
軍艦島は地図上は端島といい、江戸末期に鍋島藩が石炭の採掘を始め、1891
年の三菱の買収から1974年の閉山まで掘り続けた。採掘量優良な炭鉱であった
が、労働環境は過酷を極め、朝鮮・中国人の「強制労働」や下請け抗夫から生死
を分ける「獄門島」と怖れられた。

綾井健著『記憶の「軍艦島」』に、島に上陸してコンクリート擁壁に空けた「地獄門」
からトンネル通路を経て作業場へと、高層炭住や「報国寮」へたどることができ、赤
錆や鉄骨を見せ朽ちた姿をさらしていると、写真探訪記で語られている。
(洋泉社から、同著書に『日本建築百葉集』1991年刊がある)。

1960年代、三井・三池炭鉱闘争があったが、「三菱」は閉山することで富国強兵
政策をすすめる一端をを担った軍国兵站基地でもあった「軍艦島」を、「世界文化
遺産」で模様替えしようとしている。
三菱と長崎市に、安倍政権の共同作業の奸計が見透ける。
富岡製糸工場と同じように、観光資源にオブラードに包もうとする目潰しは歴史の
捏造に思えてならない。



2015年7月8日水曜日

たまに出る都心、歩け歩け!   1063

(2015・7・8影:Tab)
水曜会の前に、神保町「豆香房」に立ち寄る。
お勧めの、品名は<モカ・イルガチェフ ナチュラル>(エチオピア)を200g購入。
生豆を焙煎したばかりの豆を試飲させてもらったが、香りと甘さと酸味が入り混
じった深い味わいが心地よい。
乾燥処理の丁寧さによって、素晴らしい甘みを引き出す優位性があるらしい。

水曜会では、栗田出版販売のその後の状況推移についてだが、耳新しいことな
し。栗田出版販売と一本取引できた戸田書店のキーマンだった杉本さん引退に
ついて話題になる。
東京国際ブックフェア見本市の様子を聞く。
完さんは、国際電子出版EXPOでのビジネスが中心だったとか。.
さて来年はこのイヴェント、どちらの方向に向くのか.、、、。

2015年7月7日火曜日

写真をめぐる記憶          1062

「サイパン熱帯植物園」の木と花②

(影:Pen)
【プルメリア/キョウチクトウ科】上左
熱帯各地に見られる高木で花色は白、ピンク、黄色など多彩。
芳香が強くフラワーレイなどに使われる。乾季には落葉する。

【インドボダイジュ/クワ科】上右
釈迦がこの木の下で悟りを開いたとして、仏教の三大聖樹の一つ。仏舎利塔の
屋根はこの葉を象っています。
先が長く細く尖った葉が印象的で、種子は数珠の玉として利用される。

【パピルス/カヤツリグサ科】下左
古代egyptで茎の隋を編んで、世界最初の紙として用いた。
日本では観賞用、生け花用とした栽培され、カミガヤツリとよばれる。

【パキスタキス/キツネノマゴ科】下右
ペルー原産。茎頂につく黄色い部分は苞で、花はその間から出る白い部分。
日本では観葉植物として好まれる。

(←ブログ2015・6・28「サイパン熱帯植物園にて」1053)
(←    2015・6・29「写真をめぐる/「サイパン熱帯植物園の木と花①」1051)

2015年7月6日月曜日

栗田出版販売のその後      1061


栗田出版販売の民事再生手続きをめぐって、支援の話や先行き不安の声が出てき
ている。

やはり、首都圏栗田会奥村会長の再生を希望する言葉は深刻だ。
これまでの長い期間、経営に携わってきた人たちと僕は面識はあるが、財務の弱さ
や、社員株主制に移行していることなどは知らなかった。
栗田の取引書店の顔でもある戸田書店グループなど一本取引の書店が多く、これ
をキッカケに二大取次の書店争奪で草刈場になることを危惧する。

勿論、日販グループの「出版共同流通」と再建途上の大阪屋が支援を表明してい
るので、かれ等は物流やインフラなどで「協業」を強めていくのだろう。
太洋社は、先行して雑誌を手始めに、この6月から書籍の新刊送品も出版共同流
通と業務が始まっており、トーハンとのバランスが気になるところ。

(←ブログ2015・6・26 「栗田出版販売、民事再生に!」1051)

2015年7月5日日曜日

凌霄花                1060

ノウゼンカズラ(2015・7・5影:Can)
花の名前には、豊な趣きをもつものが多い。

ノウゼンカズラもそうした一種。
霄は空のことなので、大空をしのぐほどに高く伸びていく花と言うことになるの
でしょうか。
駅までいく途中の垣根の樹木に巻きつきながら、この時期日毎に競り上がる
様子が目にとまります。
鮮明なオレンジ色が、梅雨の合間の陽ざしに映えます。
また梅雨の大雨時期に、真っ盛りの「半夏生」と重なりながら咲く。

(←ブログ2014・7・7 「半夏生/一年の後半が始まる節目の日」694)

2015年7月4日土曜日

浅丘ルリ子と「次郎長寿司」   1059

「日本経済新聞」2015・7・4付「私の履歴書」
「日本経済新聞」の朝刊は、浅丘ルリ子の<私の履歴書>を連載中。

デビュー当時から女優浅丘ルリ子のファンである僕は、第一回目がスタートした
当初、彼女が父親の仕事関係で満州(秘書官)から大陸を移り住んだ暮らしの
描写力が優れているのに甚く感動して読み始めた。

戦前のお嬢さん育ちの環境から、敗戦後に帰国して、疎開地での生活は一変
する。十代前後の生活は貧しいながら両親や姉妹と活気ある暮らしだったよう
だ。1950年頃だろうか、神田に引っ越し、鎌倉橋の小奇麗な屋敷に住むが、
つかの間で、同じ神田の鍛治町にあるガード下に住居を移ったと記されている。

この住居の風景描写と景観が語られるところで、ハタと思い当たることがあった。
ちょっと前までよく通った、神田駅南口ガード下の「次郎長寿司」の板長さんから
聞かされていたことですが、、、。

案の定、「東京・神田は私にとって心の故郷。忘れられない大切な思いが詰まっ
ている。」と。神田神保町の映画館街に妹を連れてよく通ったことから、江戸っ
子気質の芽生え、神竜小学校から今川中学校へ通った話へと続く。
そして極めつけ、「自宅の正面に住んでいた同級生のケンちゃんは神田駅南口
の<次郎長寿司>で今も寿司を握る現役の板さん。久しぶりにガード下を訪れ
ても温かい雰囲気は変わらない。」と。

寿司好きな僕が、この店に友人や仕事仲間を誘ってカウンターに腰掛けたのは、
戦後そのままのカオスと、マスターの背景にある次郎長親分絡みのセピア色の
写真に惹かれてのことです。
そうそう、次郎長寿司へ一緒に同行したシライ君も幼少の頃に一時期神田駅周
辺に住んでいたはずで、接点があっても不思議でないのだが、、、。日経を読ん
でるかな~。


2015年7月3日金曜日

峠の叛乱と敗北          1058

書影(二月社/1975年1月・刊)
秩父困民党の叛乱は明治17年11月1日に武装蜂起し4日間で鎮圧された。

秩父は昔から養蚕の盛んな土地ながら、その時、今言うデフレスパイラルで農産
物の物価が下落して、農民の暮らしは困窮を極めていた。
この「困民党」への参加主体は、「秩父暴徒」と云う名で伝承されてきたが、信州
佐久からも参謀長菊池貫平や軍用金方井出為吉らの組織化に当たった有能な
人が参戦していた。
信州佐久の村役人であったり、代言人(弁護士)を務めていた今云うところの知識
人が、自由民権運動の「激化」する初期段階から関わっていたことがわかる。

短期間の「秩父騒動」が秩父に敗退して、困民党総理で秩父大宮郷の侠客田代
栄助や同じく秩父での副総理加藤織平は捕まる。
敗れた後の菊池貫平以下百数十人の農民軍は、新たな参加者を糾合しつつ、
十石峠標高1400mを踏破して自分の故郷佐久の地に「長征」しようとする。
その日、峠には寒風が吹き荒び、舞う雪は農民軍兵士たちを凍えさせたと、、。
秩父農民と佐久農民との間には、以前から濃密な連絡・交通があったことを想
像豊にさせてくれる。

十数年前に、クルマで十国峠越えをしたことがあるが、頂上近くで鋭い砂利石が
タイヤに刺さり、交換するのに往生した経験があります。
また、この峠の佐久側は八ヶ岳南稜で、先月訪ねたモリ山荘が白樺のなかに佇
む地理関係にある。
一冊の本の記憶は奥深い広がりがある!




2015年7月2日木曜日

秩父困民党群像の出自をめぐって1057

書影(2015・7・刊)
なぜの疑問を、もっと知りたければ、その主題を掘下げた単行本を読めばすむ。

ところが、かつて読んだ本の記憶をよびさませるキッカケをつくってくれるQ&A形
式の教養書がある。今回の場合は教養新書。
読んだ新書は「もっと知りたいシリーズ」の『長野県の歴史』(洋泉社刊)です。
僕は信州のアルプス山系から松本平野の自然が好きなのと、学生時代からの友
人がいたり、「信濃毎日新聞」に親しい知人がいて、スキー、山登り、旅によく出
かけました。そんなことで、本書の頁をペラペラ捲ることとなった。
史跡、事件、人物の項目をアトランダムに拾い読みしていくうちに完読していた。

実際に訪れているところで、上田城、諏訪の浮城・高島城、高遠城址公園、五稜
郭・龍岡城、松本城、小諸城・懐古園、善光寺、戸隠神社、別所安楽寺八角三
重塔、浅間山と軽井沢、水戸天狗党と和田嶺合戦、そして秩父困民党と佐久。

各項目は、見開き2頁か4頁で謎解きや新発掘の論拠を披瀝されることで、納得
することが多々あった。
その中でも、「秩父困民党が信州に逃れたのはなぜ?」と、下諏訪和田峠の戦
争で「松本・諏訪藩兵が水戸天狗党に敗れたのはなぜ?」は、かつて、秩父困
民党と水戸天狗党関係の書籍を集中的に読み漁ったことがあって、記憶を甦ら
せてくれた。


2015年7月1日水曜日

奥行が深くてなやましい!    1056

(影:Pen)
生活の枠がフリーになって、自由時間の大半を家で過すようになってきている。
一日に、やみつきのコーヒーを三杯以上を飲む欠かせない習慣になっている。

若いときは、コーヒーを立てるプロセスに凝って、焙煎した豆をセレクトして購入
し、自分で挽きたてをドリップしていた。
が、出勤で神田駅を乗降していた最近までは、自家焙煎のコーヒー店「豆香房」
で試飲しながら好みに合った新鮮な「粒」を数日分購入してきた。
そして今は、住いの町にある「FUKUSIMAYA」の自家焙煎の中煎りか中深煎り
を、気分で密封封入して購入分けしています。

まず、竹ペーパーフィルターに二杯分を平にして、沸騰前最適温度のお湯を中
央に注ぐ。最初のお湯は粒が湿る程度入れて少し蒸らす。
あとは、ゆっくり糸を引くように少しずつお湯をのせる感覚で落とす。
世界各国の有機栽培の豆を焙煎して直近なので、饅頭のようにふくれコーヒー
そのものの香りが漂う。

やっと、ハンドドリップでコーヒーを入れるコツが少しつかめた感覚がある。
蒸らすこととか、沸騰前の湯加減の調整とか、焙煎度の選択とか、粒の挽き方
とか、、、。

(←ブログ2015・5・16 「こだわりの一杯のコーヒー」 1010)