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| 南洋丸(上)&サイパン公学校(影:Pen) |
せん。
なので、残された写真やわずかな書き物からの推測しかできない現状です。
たとえば、彼は民間人最後の乗船で本土に帰還できたが、そのあと出港した
「南洋丸」で帰路についた人たちは、サイパンを離れて1時間ぐらいして米国
の潜水艦に撃沈されてしまったと言っていました。
「南洋丸」は、当時のサイパン航路の花形船で、東京とサイパン間を5日ぐら
いで結んでいたようです。
公学校は、「同化政策」により日本人の子も島民の子も一緒に教育していた。
そして卒業後は、日本の高校に数多くの島民の子が進学している。
同化政策そのものは、植民地支配の典型的教育システムなのだが、南洋諸
島の場合、穏やかな文化の一体化政策であったためか残滓にあまり悪びれ
るものがないのが不思議に思える。
未だ、生活様式や考え方への強権の実態を掴みきっていないからかも知れ
ないが、、、。
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