2012年11月30日金曜日

新宿・でん八物語

でん八(三越裏桜通り)

被災地・大槌町へ僕の車に同乗して足を踏み入れたアキさんとは1964年から、半
世紀近いお付き合いになります。
このように長きにわたると、家族のように子供をスキーに連れって行ったり、結婚式
では主賓挨拶をさせられたり、グループ旅行に同行したり、、、と、家族以上に家族
的になっているように思うことがある。
彼は、3・11大震災に大変心を痛めており、亡くなった奥様のご意思として御芳志を
被災者へ寄付された。そして、大槌の風の賛助会員になっていただいてもいる。
(その長男が、今では2代目店長で仕切るほど、時は刻まれているのである。)
毎月の定例で会っているところ、先日は50年代から60年に掛けての新宿の街並み
を写真で見ることになった。
即ち、僕が東京へ出てきた前後のセピア色の懐かしい写真ということになる。
平屋の新宿駅、三光町交差点、新宿大ガード、高層前の紀伊國屋、新宿西口ロー
タリー、都電の終点角筈、そして歌舞伎町入り口、、、何処も此処も記憶をたどれる
場所です。
もっとも、僕が最初に暖簾をくぐった「でん八」は三越裏にあったのだが。

もうずいぶん前の頃から、この居酒屋で飲んでいると「でん八物語」があってもいい
ね、 と言う声がOn君らからしきりだった。
ところがなかなか一歩が踏み出せずにいた。
冊子の構成を、この居酒屋に集まってきた面々の募集原稿の文集にするのか、あ
るいはマツオ兄弟を中心にすえた年代記にするるのかで迷うところ。
前者なら数人の編集人を決めて、思い出、交遊録を原稿依頼して分類した項目立
てにする、後者なら店主アキさんへの取材を中心に「でん八変遷誌」としてまとめる
事になるのであろうが、、、。
60年代半ばの開店時の店主アニキは既に亡くなっており、今となっては激動の60
年、70年、80年代にマツオ兄弟と面対して杯を傾けていた面々にそれぞれの想い
を文章で寄せてもらうのが良いと思うようになりました。
来る2013年は、でん八50周年記念、そして、亡き松尾昭次郎氏を追想して、、、。

2012年11月27日火曜日

富士山マラソン



我が家の二階のベランダから冬化粧の富士山がくっきりと見える。
暁は富士マラソンの40代組にエントリーして完走した! 大阪マラソンに続き、
2回目のフルマラソンになる。
今回参加したのは、6月のEKIDENで応援したP走友会のメンバーたち。
応援には行かれなかったが、早朝のスタートからネットで速報記録を確認でき
た。ネットの進化には目を見張るものがある。

5kmスプリット*00:33:57/ラップ*0:28:56/
10km      01:00:28/     0:26:31/通過時刻*08:48:58   
15km      01:27:21/     0:26:53
20km      01:55:08/     0:27:47
中間スピリット  02:01:31                    10:16:32

このようにケイタイにゼッケン番号を打ち込むだけで、速報記録が表示される
から、棄権せず順調にラップを刻んでるなと、安心することが出来るのである。
自宅にいながらにして、富士山を横目に河口湖周遊コースをマイペースで懸
命に走り続ける姿を想像することなど、ちょっと前まで考えられなかった。
エントリーした選手たちが、早朝の渋滞に巻き込まれて多数スタートできなかっ
たニュースが夕刊に報道されていた。

ここまで、ネットで追跡できるということは凄いコトであり、怖い事でもあるかナ。

2012年11月26日月曜日

京都北山杉の紅葉便り

紅葉&北山杉(葉書の写真)


先日のY会へわざわざ京都からお越しいただいたSkさんから自前の写真が添
えられた葉書を頂きました。
便り:懐かしい方々とお会いできてサイコーの二日間でした。
追伸:その時の写真を拝受しました、記念になります。感謝!また、いただいた
「洋泉社私記」大変面白く読ませていただきました。特に会社設立から十数年
の部分は臨場感があってとても興味深く読ませていただきました。旧知の方々
が色々登場して、ご活躍ぶりが実感出来ました。、、、、、、、。お礼まで。

Skさんは現在、京都の書店の顧問をなさって業界でご活躍中ですが、僕の知
る限りでは、7年間に及ぶ充実したブログの発信が注目の的です。
四季折々の京都市街・近郊の風景や生活、祝祭を撮った写真は感動させられ
ます。
天に向かって真っ直ぐに伸びる杉の林立と紅葉のコントラストの美しさははこの
時期が最高か!
ぼくも5年前、この木立沿いにながれる清流に耳を澄ませながら焼き丹波栗を食
べながら歩いたことがあります。

九州支店長、京都支店長時代には、店売の充実、ご当地モノを刊行したときは、
配本計画と仕掛けをサポートしてもらった。
すでに過ぎし日は遠くなりにけりだが、この方々に支えられてこそ今の自分があ
ることをつくづく身に沁みて感じます。

2012年11月24日土曜日

寡黙で読書家の棚店長

近所の冬桜(2012・11・23影)



O信さんに初対面できたが、改築前の新宿紀伊國屋書店地下のデスクだったと記憶
しています。45年前のことです。
その後、未来社時代は山本安英の「夕鶴」(木下順二作)の公演に招待し観劇して
いただいたり、岡山支店長時代の棚前で時間を忘れて本談義にいたる快楽とか、
O信さんファンの集まる会に加わったその時々が懐かしく記憶されています。
自らを交際下手と仰っていますが、寡黙ながら発する言葉は適格で鋭いものがあり
ました。容姿が紳士で、半月前に久しぶりにお会いしたときも変わっておられない。
書店人でありながら、図書館貸し出し図書を利用して読書に勤しむスタイルも変わっ
ていないことでしょう。心底本が好きな方です。

小冊子から、、、、、、
O信:
私が「やすい会」に始めて出席したのは、昭和何年で、何回目か判
りませんが、新宿、歌舞伎町の「青梅雨」でした。当日は、北九州
市の金栄堂の柴田良一さんがメインゲストとして招かれており、私
はサブ的要素でした。ご出席の皆様の活発なお話を専ら拝聴し、和
やかな「やすい会」の雰囲気を味いました。
それから二十数年を経て、100回を迎えたことは、業界のこうい
う会では稀有のことではないでしょうか。安井さんの人徳と会員の
方々の会に対する愛情が継続を支えたものと想います。会にはその
後十回位でしょうか出席させて頂いていますが、会場の場所は少し
は判るのもありますが大部分は忘れており、お店の名称はほとんど
記憶にありません。振り返ってみると大変残念な気持ちです。どう
も生来の交際下手で色々なことで皆様のご要望に応えることが出来
なかったこと申し訳なく思っております。
完全リタイアして十年以上になります。健康はまあまあですが、物
忘れ等ボケの症状が出ている現状で、のんびり暮らしております。
皆様が健康で「やすい会」がまだまだ続くことをお祈り申し上げま
す。


【日々の一口メモ】
 11/20(火)   *ハルのスイミング見学へ。
           結構しっかりした基礎訓練をして
           いるのに驚き。猛トレにも水が好
           きなのか、ねを上げないで楽しそ
           うに就いていっている。
           来年の夏には競泳で負けそ~う!
11/22(木)   *先日半年振りに会った三省堂書店
           Mm役員から親しい数人で会食を
           持ちかけられた。
           大槌の話なども、、、と。
           電話で早速、Stくんと調整して12月
           に入って忘年会をかねて一献を、
           と相成った

2012年11月23日金曜日

震災写真の復元

復元過程・ぬるま湯洗い 


3・11直後の東北自動車道が開通した3月26日と4月、6月に町が津波に根こそぎ
流され消えている被災の大槌町へ足を踏み入れた。
こうして書くたびに、釜石から海岸線を走り大槌町へ入り瓦礫だけ残った荒野を見た
ときの言葉を失った衝撃と震えをおもいだします。今もって次から次に浮かぶ情景を
整理できていません。
まばらに対面する被災した人たちに表情がなかった。声もかけられなかった。
被災した義娘の母や祖母には「天災に遭遇したのであって自分だけでなく、亡くなっ
た隣人が多数いることを慮り、未来へ向けて踏み出すしか無いのだから、、、」 と、
やっと掛けられる言葉です。今日に至るまで、よく気丈に生気を取りもどしたと思う。

いち早く被災地に入り、津波に飲み込まれて瓦礫のなかに残った想い出のアルバム
を探し出して、再生に取り組むボランティアがあった。今も続けられている。
Gyoたちは、ヘドロ化する写真を化石堀のように丁寧に復元して被災者に手渡す様
をCM(Fフイルム)でドキュメント展開した。
被災した直後の当事者たちは、写真を見ることに関心が及ばなかった。今に至って
まだ未処理のモノがあり、復元して渡したいと思っているが、、、。


【日々の一口メモ】
11/4(日)   *冊子「やすい会」の編集作業に
          終日ついやす。
          Yuが助っ人してくれる。
          最終でSkさんの原稿も落手。
          題字をお願いしていたYkさんの
          直筆が届き感激!
11/6(火)   *冊子の印刷・製本先を迷った末、
          アサヒ印刷が突貫で受けてくれる
          ことになり、データ入稿する。
11/7(水)   *正午からの「水曜会」を欠席して、
          印刷所につめ、一部抜きを見て 
          完全校了。   
          11日からの100回記念会に間に
          合うことを確認。
11/10(土)   *被災地行きにも活躍したMPVを
          修理(後輪破損)に出す。
11/11(日)   *一泊の会へ正午過ぎに,中央線
                      「かいじ」で出かける。高尾から 
          相模湖、勝沼の山々の紅葉真っ
          盛り。
11/13(火)   *Mtさんに月曜会に出られなかっ
          た事情を話し、あわせて入院した
          友人Onくんの具合を聞く。
11/16(金)   *Snくんより、ある企業が積極的
          に復興支援をサポートしている情
          報・紹介あり。
          NPO<大槌の風>活動経緯と今
          後の支援趣意書を準備すること
          にする。

2012年11月21日水曜日

すぐ応える!Uaさんのこと



Uaさんとのなにげないお喋りのなかで、手紙の返事、依頼事への返答おめぐって
即日に応答処理しているんだよ と言われて、さに有何と思うことがあります。
会の出欠の返事、このたびのY会の冊子原稿にして、いつも一番速く受け取って
いるのである。
こういした行為を日常生活のなかで心がかけておられると云う事は、賛否、許諾
を迅速に判断されてこられたことでしょうから、社内での風通しもよかっただろうし、
交渉ごとの相談も多く寄せられていたに違いない。
Uaさんが仙台、広島の取次支店時代は付き合いがなかったのですが、本社に帰
られてから『実録・仁義なき戦い』をはじめ地域エリア関連本を出したとき、即交渉
を受けていただき、ご当地書店対策で助けられ成果を上げた。
今では、定年退職されたあと地元の町で社会実習されボランティアで嬉々として
活動されている。
役者やのう~ 10月に亡くなった大滝秀治に見えてきた。

小冊子から、、、、、、、
Ua:
老いを楽しむ 現役を離れて十余年、会社組織から開放されて
自由な生活を満喫したのも長続きはしない。話す相手も日常会話
も多くなく刺激も少なく孤独感を味わう毎日に気分も沈みがちな
生活に飽きていた。
あるとき一枚のチラシに目が止まり、心が動く。サラリーマン時
代は地元や近所との結びつきも薄く会社中心の生活だった。退職
してふと気がつくと地域や近所とのつきあいがいかに大切か身に
感じ、今まで家内任せだったことを反省し地域地元のために何か
出来ないか考えるようになった。
多分、「終の棲家」であろう現在地で日常生活を安心安全に暮ら
すために、高齢化が急激に進む我が地域でのコミュニティ活動の
場が、近隣センターであり町づくり協議会だった。地元の祭りや
サークル活動など諸行事で多くの人々との触れ合いに喜びを感じ
輪が広がっていく。何か地域の課題があれば参画し、会を立ち
げ、皆で楽しみながら活動している。出版界を離れ、各界の人々
との出会いに多くを学び新たな視点で行動できることは喜びでも
ある。
「やすい会」との出会いも心温かい人との交流にいつも感謝して
いる。
私の小学校時代の恩師が米寿を迎えて、今も健康で多くのゼミナ
ールなど受講し情熱を燃やしている姿に刺激され、少しでも近づ
けたらと思うこの頃である。
何事にも情熱を失わなければ老いは来ない、との言葉を胸に健康
生命が続く限り、ポジティブに老いを楽しみたい。
いつまで続くか、、、。

2012年11月19日月曜日

震災の記憶を 継ぐ とは、、、



庁舎(2012・5・13日影)


大津波で職員40人が犠牲になった大槌町旧庁舎について、解体か 保存か を巡
って混沌としていることをニュースで知った。
津波で破壊された庁舎の前に立つと、亡くなった町長が津波襲来を告げ避難対策
を指示している最中の一瞬の出来事が悪夢のようによみがえる。
その庁舎を、残して記憶にとどめ津波被害を出さないモニュメントにするのか、破壊
された建物を見るたびに悔しい思いを呼び覚まされずとも、他に方策があるのでは
ないか、と犠牲職員の家族の意見が分かれているもよう。

上の写真の瓦礫後方に昭和8年震災津波の記録と犠牲者慰霊碑が建立されてい
るのを見て、「災間」のことをおもい残念でならなかった。
モニュメントをめぐっては同じように、津波で大槌赤浜地区の民宿2階に乗り上げた
姿で知られ、しばらくそのままだったが、昨年5月に下ろされ解体された観光船「は
まゆり」については、現地での復元再現をめざしている。
大槌町では瓦礫を使った防潮施設「鎮魂の森公園」も計画している。

3・11大震災を経て、震災の風化を防ぐための保存・復元をしたいとの要望に一段
と難しい問題を被災地が背負っているように思えてならない。

2012年11月18日日曜日

大漁旗を京都丹後から大槌町吉里吉里へ



丹後の山奥で修行して、今はろくろ漆器職人として名を成すOmくんから、三年に
一度熊本市で開催する個展の案内と、毎日新聞京都版が送られてきました。
一筆添え書きで、「丹後と大槌の関連記事が載っていたのでお送りします。記者の
塩田敏夫さんは友人です」と認められていた。
友人とされる記者は、Omくんが丹後に住み着く前に筑豊で三井三池炭鉱の炭塵
爆発によるCO中毒患者の救援活動のなかで知ったマスコミ関係者の一人かとも
思うが定かではない。

さてその記事の内容だが、京丹後市の女性が同市の「京の名工」の鯉のぼり職人
奥田さんに大漁旗の制作を依頼したというもの。婚約者が大槌町吉里吉里の漁師
で、津波で失った船を新造するためだ。すでに大槌新漁協の定置網魚が復活なっ
ているが、船は生活再建の第一歩を踏み出すもので、町の再生復興を明るくする。
震災前の吉里吉里ではワカメ養殖、鮭のはえ縄漁が盛んだったが、震災で船も施
設も壊滅してしまった今は、町内高台の仮設住宅で暮らしながら全てを共同で助け
合いながら前に進もうとする実情を聞いて、奥田さんは「よし、わかった」と快諾され
たそうです。
古くからの友人Omくんが、僕の大槌へのささやかなかかわりを知っていて、丹後
半島味土野と陸中の大槌を結び付けてくれる縁は奇なるものか。
日本海側秋田の漁船が重茂半島の漁場に届けられ、そして京丹後の名工による
大漁旗が被災地大槌の海になびく地域再生を願う絆、長い道程に忘れられまい。



2012年11月17日土曜日

出版記念会の打ち上げ

新宿駅東口から西口へ・旧甲州街道


夕方からの会へ出席する前に西早稲田の友人宅を訪ねた。
地下鉄早稲田、文学部校舎、正門の周辺は昨年の「6・15写真展」に出かけたとき
とか、夏目坂のお寺参りで街並みの変わりようは知っていたが、裏門からグランド坂
を歩くのは何十年ぶりで新しい道路が走っていたり、高層ビルが建っていたりで、風
景がすっかり変わっていました。

出版記念会の主役Dkさんの提案で、幹事世話役を務めたOk,Hmと僕が集まりに
誘われて食事会(いさみ)を新宿であいなった。
皆、それぞれ忙しくて遅ればせながらこの日になったというわけ。特に、Okさんは大
槌町の復興進捗情報を多方面から入手してメールしてもらっているが、超行動的で
多忙を極めているようだ。
Hmくんは、熊楠研究会で紀州に出かけたり、厄介な病気を抱えながら、関心の領
域を拡げ活躍中。東北被災地、大槌へも出かけることを約している。
出版記念会2時間余で、打ち上げ5時間のロングラン、さすがに翌日にひびいたよ。

2012年11月15日木曜日

斉藤Tさんのこと



Tさんはガンで2003年に逝ってしまった。
初めて会ったのが1966年で、まるすの仕入窓口にお二人居たなかの一人。
本好きで幅広い読書量に、年長ながら話が弾み仕事なのか読書談義なのか判らな
かった。
その後、K出版会から、YBCと変遷があったが、相談にはなんでも応じてもらった。
一泊旅行の入浴のとき肋骨を何本か切断した大手術の痕を見て、結核の手術と直
ぐ判った。
彼から「十代に中野結核療養所で手術した」と聞き、医者は中井(所長)ではなかっ
たですかと尋ねたところ、一瞬驚かれた。実は中井は僕の縁戚で、昭和の赤ひげと
いわれるほど手術の名医だった。
こんなことがあって、その後長い間付き合ってこられたのかもしれない。
その斉藤さんと上下関係があるにせよ同志的存在だったSgさんには、また長くお世
話になり今もお会いすることが多い。縁とは不思議なものと思っています。

小冊子から、、、、、、、
Sgさん:
斉藤さんと「やすい会」入会
鹿島出版会の斉藤さんから、八重洲BCの私が電話で誘われ、「やす
会」へ同行したのは90年7月、私の通勤途中の乗換駅巣鴨駅の
「陣馬」が初めてでした。
斉藤係長には、昭和33年4月鈴木書店に入社したとき仮配属の仕
入部で、1週間新人社員研修を受けて以来10年弱、この大先輩に
お世話になったのです。
「やすい会」のことは常々聞いていて、〝君の顔見知りも多いよ、
取次さんを知ってて今後にプラスになると思う〟と。同行した晩の
こと思い出そうとしても思い出せないのはやはり緊張していたから
でしょう。書店人は初めてのようでした。
斉藤さんは91年11月八重洲BCに参与として入社、3年間在籍
しましたが、「やすい会」2回目の92年11月は斉藤さんの代理
出席でこれも緊張記憶なし。
93年3月「鹿島建設ラウンジ」で斉藤さん提案で会員資格を頂い
たのです。06年6月27日白井さんが来店、斉藤さんが肺がんで
入院したと。翌日武蔵境からバスで病院へ見舞いに。7月26日は
ccs北京支店長の段さんと病院へ。
病室の扉を閉めても痛さの呻き声が体中に響くムンクの「叫び」、
泣きました。


2012年11月14日水曜日

久々に都心で活動


寸暇を惜しんでの全面展開で、ことごとく片付ける。
早朝、自動車が点検修理中につき、駅まで「はむらんバス」を使用する。
月に一度は取次訪問をしている。

まず日販へ行く。
雑誌担当Mさんと話す中で、9月以降毎月、帳合変更の新規の取引書店が増え続
けている様子が窺える。勢いが続いている。エレベーター前で役員のYさんと立ち話。

出版健保へ2ヶ月まとめて出してもらう痛風予防薬を受け取りに。そこで、広告代理
・昭通の代表(会長)に久々、偶然に合い、社屋を神保町から古巣の銀座に再移転
した具合と知人社員のことを聞く。このご時世がら広告業界の中堅はどこも厳しくて、
四苦八苦していると嘆く。先にあった「出版OB会」の話も出る。
僕は信濃毎日新聞の松木さんに40余年ぶりに会えたことを嬉々として喋る。

次に銀行によって、3件の振込み処理。振り込み手数料の普通振込みがなくなって
全て電信800円になっているのを知った。

先週、都合で欠席した恒例の正午の会へ参加。朝、都心に向かう途中に予感してい
た三省堂書店のMmさんが半年振りで顔出しあり。最新ニュースの楽天と提携販売
の電子書籍の進捗、八つ岳山麓での週末農業仕事を語ってくれた。12月に囲む会
を決める。今日、出席のシミズさん、タキイさん夫々から先日の会で撮った写真をもら
う。僕が撮った集合写真も渡す。

正午会を終えて、トーハンから大阪屋そして太洋社へ行く。
太洋社帳合だった喜久屋書店数店ほかがトーハンへ変更とかで、草刈場状態になっ
ている。トーハン近藤副社長が北海道トーハン会総会で、10月以降に取引書店獲得
を示唆したのはこの当たりの事らしい。太洋社はMs役員の退任、人員合理化などで
緊張感が充満している感じが漂う。
たった1ヶ月の訪問ご無沙汰だけで、人も変われば事も変化している実感する。

2日を予定したコトを1日に圧縮して追え、この後、孫の「先生」で世田谷へ向かう。

2012年11月13日火曜日

継続は力なり

小冊子の中から…………

Ykさん:
継続は力なり 人間には自分の好きな事を大事にして続ける習性がある。
今、自分の周りを眺めるとそんな事例が実に多いのに驚く、又これが
健康管理に大いに役立ってくれている事にも気がつく。主だったもの
を整理し並べてみると
◇ココロ・アタマの体操効果
1・新聞三紙の精読 2・書と学(あそ)ぶ(平成13年より) 3・
N響を聴く (平成16年より、年9回NHKホール)
◇カラダの体操効果
1・朝のウォーキング(平成7年より、1・4万歩週2回)2.出版同
代会 ハイング(平成13年より、年4回)3.出版OBのゴル
フ会二つ(平成13年より、年8回)4.GMGメンバー会ゴルフ
三つ(平成13年より、年12回)
◇酒と談論風発で抗加齢の効果
1.出版一日会(昭和45年より、年6回会合) 2.やすい会
(昭和58年より、年4回) 3.出版久米川会(平成2年より、
年1回会合)4.出版OBの会二つ(平成13年より、年2回ずつ)

こんな調子で忙しく今も盛会中なり。
大先輩のアドバイス、禁煙・運動・食事の三点は普段の生活の中で特
に意識し、続けている事柄である。お陰で元気!

  六十、七十ははなたれこぞう おとこざかりは百から百から
                 (107歳 彫刻家 平櫛田中)
100回に及ぶ「やすい会」のおつき合い 謝謝。


11/11撮影

Ykさんに始めて出会ったのは、私が出版業界に足を踏み入れた殆ど同時期で
あった。
50年経った今も大きくは変わることもなく出版社と取次の仕入れ部数交渉がなさ
れているが、その仕入窓口の最前線での歯切れ良い立ち振る舞いに、出版社勤
めを始めたばかりの僕は別世界を感じたものだ。
その後、広島支店長時代があって、本社に帰えらて間もない時期が洋泉社立ち
上げと重なって側面支援をいただいたご恩を忘れることはない。
ゴルフなどの共通の遊びごとはないが、本会を通じて変わることなく親交は深ま
っているように思う。
それにしても、心身の自己管理には驚くばかりで、ここまで出来れば80歳になっ
た人生も楽しいだろうな と感嘆しきり。


2012年11月12日月曜日

やすい会100回記念イヴェント

石和温泉駅近くの清流・掘割


1983年11月に第1回のヤスイさんを囲む懇親会(9名参加)として始まっ「やすい会」
は、今回、30年にして100回に到達した。
それを記念して、甲斐の山々紅葉真っ盛りの石和温泉郷に泊まりで催された。
冠とするYkさんを始め京都からSkさん、最初の会立ち上げの長老Ktさんらが集ま
って宴は盛り上がったのである。会場の正面には幹事の作った横紙が掲げられ、そ
の前で記念撮影。100回を記念して制作されたYkさん直筆タイトルの冊子を配る。
この会の皆は、よく酒を飲み我もわれもと夜を徹して語り合うのを常としてきたが、さ
すがに平均年齢70歳前後になって酒量の低下が目立ち始めている。
継続は力なり と言われているとおり、自然解散とはならずお互い健康である限り顔
合わせを謳歌することになったのである。

次回に、冊子の寄稿から一部を転載しようとおもう。

2012年11月9日金曜日

社会福祉法人S和会・理事長Yyから一冊の本が

書影

大学時代の友人Yy女史から、新刊『震災と語り』を同封の手紙を拝受。
石井正己編著者で三弥井書店から10月に発行されたばかりの書籍。
僕のブログを見ていることの知らせと、彼女が運営する施設「まろにえ四季の郷」へ
原発被災者が数人避難を続けており、世話されている様子がしたためられていまし
た。
開封するなり、関心のある箇所から読み進むうちに、一気に読みきらされました。

礼状、、、。
4月の僕の会へも栃木からわざわざ出てきて頂きましたが、その時に何気なく3・11
の震災被災者を施設であずかっている事を覗いました。それからづっと1年8ヶ月に
及んでいるのですね。敬服します。
住むところを失った老人たちの衣、食、住の世話をされ、喪失感で生きる気力を失
せがちな方たちに、「語り」のボランティアと交流する試みの報告がありました。
被災地での医者や心理医療関係者の活動は目立ちますが、聞き取り語りの口承者
の受け入れがもとあって良いと思っていたところです。
10数年前になくなった宮田登が現代・都市民俗学として、災害のフォークロアを言
い、洪水や凶作を扱って災害の後の復興過程の活況を実証しています。未来志向
です。
宮古市の重茂半島の姉吉の漁業加工場は今回の津波で全部流出しましたが、大
槌町から足を伸ばし沢を津波が遡った爪あとを見てきました。姉吉集落から本州最
東端の魹ヶ崎(燈台)へも3回目の歩行になりました。本書、「津波と伝承」の項で写
真と文章で詳しく触れられおり、新しく知ることも多くありました。
また、大槌町安渡が故郷の阿部幹男さんのエッセイ「慙愧の思い」に出合い3・11
大津波襲来直後の様子と、大槌町の山林や鉱山資源によって形成された中世、近
世の南部藩大槌城の頃、そして三陸の海産物と北上山地の金や鉄で町の礎が築
かれた歴史をよりリアルに教えられました。
「いいか、覚えておけ、お前が生きているうちに必ず大津波に2回遭う。」の伝承と、
彼も2回の津波を経験した事実に驚愕する。
まだまだ、今夏訪れた八重山諸島に残る明和の大津波による巨岩伝説、等、、、。
すごい本でした!ありがとう。



2012年11月8日木曜日

入工から24時間で印刷に!

冊子の書影


先に冊子編集についてアタフタとしている様を話したが、実質、一日で印刷ま
でこぎ着けられた。僕の住まい近くの家族的経営ながら優れもののAs印刷・製
本所に巡りあえたことと、親身に対応してもらえた結果です。
経緯は、、、1日目、正午過ぎに直接交渉~15時にPCの原稿整理ファイルを
添付ファイルで送るべきを、コピーで送信してしまいとんでもないトラブル発生。
メール送信した段階でキーの押しミスで原本を消去してしまう~急遽、PCを持
ち込むが復元できず、結局、コピー送信を基に再度、編集のやり直し~その間
に、巻末につける<会の軌跡表>・会員名簿の体裁と割付、全ページの台割り
確認、造本の検討、用紙選択、Ykさん直々のタイトル文字のスキャニングを終
えて、この日の作業を終了。自宅に帰り、一部抜きの校正。大した朱入れする
ことなく一安心。
翌朝、あとがき、目次相当、奥付を作成し、添付ファイルで送信。急ぎ印刷所に
駆けつける。
再校が出る。画面を見ながら校了、一部抜き受け取る~表紙デザインを画面上
で校了。印刷・製本現場を見学し、14時に帰途に着く。
これまで、出版に関わる全てにわたって経験してきたが、今回この歳にして初め
て、原稿集稿から編集から制作から業者を決めから、そして完本一冊を受け取
るまで成し遂げたことになる。
それも、二日にまたがる一日で、「一夜城」のような感動が沸々と湧いてきた!

2012年11月5日月曜日

或る会の小冊子編集


(2012・4・7)


会の第100回開催を記念して小冊子(32頁)を製作することになった。
幹事であることで、編集を引き受けたが、結構、大変なことになってる。
編集子が100回の全会に出席していず、今年引退の金本知憲のように全試合に出場
していれば、記憶をたどることでなんとかなるが、個人的備忘録頼りで四苦八苦状態
になっております。
会員の大半から、思い出、身辺雑記、随想が寄せられ頗る嬉しいところですが、しかし
それぞれの原稿整理の途上で記憶違いとか、微妙な温度差の違いに気付かされ調整
に時間を取られ焦っています。

僕の冊子に寄せた小文から
私の出版業界50年における人生にも、それなりにさまざまな起伏がありま
した。ここで記すのは、1984年に未来社を辞して、休むことなく洋泉社
解纜した転換期に重なるころの、やすい会についてです。
本会は、83年(s58年)に、私より一回り上の鎌塚正、斉藤典さんと同
世代WkとSt両君の呼びかけで、東販(九段)の書籍仕入担当時代に付き
合いのあった安井一男さんを囲む懇親会としてスタートしました。
第1回目の開催場所は、新宿ゴールデン街路地裏の最奥にあった、青梅雨(
おつ)でした。この居酒屋で以後も数回、催していますが、学生時代から芝
居の集まりでも使っていたが、、、今は無い。
第4回目の青梅雨に小倉・金栄堂書店(現廃業)の柴田良一君と岡本信男(紀
伊國屋書店)さんが参され、第14回目の青梅雨からは、十十木(トーハ
ン)さんが加わるなどの光彩が、特に記憶に残っています。
この頃から、安井さん(他に堀、金田さん)には、取次の取引口座獲得交渉
でお世話になり、取引契約を締結することができました。
このことをバネに、若さで猪突猛進した日々が昨日のように思い出されます。

2012年11月3日土曜日

産業祭で復興支援の出店






わが家の隣に富士見公園があって、産業祭が2日間催されている。
あまり出かける機会がなかったが、珍しく、来宅中の孫を連れ出しお祭りの喧騒を
あじわった。
そこで見かけたのが、復興支援を呼びかける被災地・福島のブースで、地の山海
産物を販売するはっぴ姿と置かれていたチラシだった。
先日、大槌の「NPO・おおつちさいがいエフエム」のAsさんが、大槌町産の支援物
品を軽トラに積み込み東京に立ち寄った際に、被災地支援をつづけているSmさん
がグループへ購入を促したところ、大いに喜ばれた実績がある。
次の機会には市と掛け合って、是非、大槌町への支援と<大槌の風>で出来る
丈で羽村市でもネットワークを拡げてみようと思った。


2012年11月2日金曜日

4+1の会

東京駅南ドーム


今日、在京、4人の中学校同期会があった。
この会の顔合わせは、倉敷から東京に出て定住している女友達2人に男2人プラス
1,2人で、その時々で替わります。
催される場所は東京駅地下街の割烹で、なが~い昼食会が恒例になっている。
商社マンの男友達のYn君とは、この広い東京で僕が有楽町の朝日新聞学芸部へ
出かけた時の路上でだった。その後、彼が岡山へ転勤になれば、僕が岡山や広島
方面への出張したときは寄っていたし、東京へ帰ってきてからはお互い酒が好きな
ほうなので徹夜で一緒に飲み明かしたこともあった。
商社と出版社とは肌合いが違って、ものの考え方、嗜好をめぐっては、戸惑うことも
あった。が、行き着くところは中学校時代のわずかなlめぐり合わせの時間に返って
いくのが常になっている。

2012年11月1日木曜日

大槌町復興のなかで、小中一貫校に「ふるさと科」試み




村の伝統芸能と提携して、ふるさとの伝統芸能や地域民俗の伝承をこどもたちも
担う試み。
大槌町教育委委員会は2015年度を目指す小中一貫校の導入に合わせ、町の
伝統芸能や地域産業と連携した体験学習を学ぶ「ふるさと科」の実施を計画して
いる。
カリキュラムは小学1年生から中学3年生までを対象にした9年間。地域への愛着、
生き方・進路指導、防災教育の三本柱に、小学1年~4年をホップ期、小学5年~
中学1年をステップ期、中学2年~3年をジャンプ期と位置づけ、学年に見合った
体験プログラムを推進するという。

この6月に訪ねたとき、既に、小中を統合した春季運動会が熱い競技と歓声の中
で催されているのを観て感動したが、こlの天真爛漫こそが、これからの復興大槌
に寄与し続ける力になっていくと確信しました。

同町の小中一貫校は、現在同じ仮設校舎で学ぶ大槌、大槌北、安渡、赤浜の4つ
の小学校と大槌中を統合した町方地区、吉里吉里小と吉里吉里中を統合した吉里
吉里地区の2校体制で15年度にスタートを予定している。

遠野地方、陸中海岸沿いは歴史も古く民俗芸能の宝庫と言われている。
在野の郷土研究家・佐々木喜善や柳田國男の調査・研究に負うところが多いが、
その伝承を復興過程のなかで子どもたちに道筋をつくる発想がすばらしいと思う。