2020年5月30日土曜日

三か月のなが逗留で得たもの    2854

世界中で猛威をふるう新型コロナ肺炎は、未だ先が長い。
毎日発表される東京の感染数だけ見ても、危なっかしい状況だ。
そんななかでも、ハルはリアル授業の変則的開始に合わせるように、心残りし
つつも都心の家へ90日ぶりに帰っていった。

彼とのつきあいで気づいたことや先祖返りさせられたことがある。
僕の中学時代の一二年に相当するが、前半の自学習にしても後半のオンライン
授業にしても、星取表をつけるなど工夫しながら自己管理が上手い。
オンラインによる勉強はコロナ禍以前から始めていたので、公認のオンライン
授業になっても落ち度なく取り組めている。


2020年5月29日金曜日

よく学び よく遊ぶ         2853

羽村堰(2020・5・30影:ncan)
二項対立ではなく共存の100日も、いよいよリアル授業に切り替えの時が近づ
いている。

午前中はオンライン授業で午後からは遊び(運動)で、僕の余裕を見て誘って
くれる。
最近は魚捕りに熱中で午後からまたまた羽村陸橋下の多摩川へ、網、バケツ、
水槽、敷物に水、コーヒー、おむすび、パンや着替え一式を携えてハルを中心
に場所設営。

いっとき、洪水の後河川敷にできた小川の水たまりでメダカや小魚を網で追っ
かける。一匹だけハヤだとおもわれる魚影を見て、水面をにらめっこしながら
追うも見失い数十分凝視し続け執着する姿にあきれた。

ひと休み後、掴み捕りを得意としていた自分が水底に転がる石と水流に足を取
られてバランスを崩し立て直すのにいらない力を使って四苦八苦して汗をかく
始末。ハルは身体半分急流につかりながらでもシャアシャアと中州に渡った。
70歳近い違いで比較することはできないが、「遊ぶ」ことにおいて既にゆとり
がなく未来を望むのはよくばりかもしれない。

2020年5月28日木曜日

60年安保闘争から60年 にあたって  2852

一年一年刻んで60年たったわけだが、やはり語呂合わせではないがことしは
格別だ。自分も傘寿を迎えることだし節目の記憶が沸々とする。

こうして年を重ねてきた到達点で、わが生涯をふりかえることも多くなった。
が、あの60年を経験したなかの一人として、歴史に微々に微々たる意志を刻
んだ思いでいる。

僕は上京し大学生として第一次60年安保闘争に参加した。
キャンパスの大隈銅像前の大衆行動に初参加したのがの4月でした。1・16
羽田港内デモの後で、批准阻止へ全力傾注しているときだった。緊迫した「政
治決戦」の状況でしたが未だ熱心な活動家ではなかった。かつて「早稲田建設
者同盟」の熱心な活動家であった従弟父に影響されるところはあったが、混沌
とした心情であったことが後々まで残っていた。

この変革は学生運動の先鋭化(先駆性)によるだけではどの道破綻するだろう
ことと、国鉄など労働戦線との統一戦線の持続的構築の必要性を期待するよう
になっていった。この立脚点は、壮大な安保闘争後の党派闘争へといたる分岐
点になっている。

2020年5月27日水曜日

PCトラブルで四苦八苦!      2851

数ヵ月前に新しくWindows10を買ったのはいいけれど、古いパソコンから新
しいこのパソコンにデータも、設定も、アプリケーションも引越ししないまま
使用頻度の高いものだけの設定でやってきたことが環境を悪くしているようだ。

とくに昨日あたりから、インターネット接続が不具合になり、地域ネットの技
術者に出張点検してもらう。
無線のWi‐Fiルーターが旧式で周辺、周辺の電波障害にあっているのではないか
と云うことになり、新型で点検することになる。

未来社入社 補遺⑥         2850

大学ではほとんど授業に出て勉強していないのだが、河竹登志夫先生の演劇・
歌舞伎論や担任だった印南高一先生の映画論では単位を取得する程度には聴講
している。

大学時代の学生運動については、活動のきっかけから、党派闘争、様々なこと
が重層してあったが、本筋ではないのでこのへんで「未来社」に入社すること
になった経緯を記す。

2020年5月26日火曜日

対面ではなくオンラインが一気に日常化2849

ハルは学校が休校になった直後からそろそろ90日間、東京の西奥座敷にあたる
わが家でオンライン生活を自己管理(毎日宿題をする)して、あるしゅ楽しみ
ながら励んでいる。

ところが、日本のオンライン教育は、公立校では遅々として進んでいない。
私立校取り組みは早く、格差がどんどん広がっているように見うけられる。
彼のオンライン授業を見ていると、教師が動画を撮影して教科書の問題などを
解説しYouTubeで限定公開し、生徒はipad(pc)で宿題に答えていく。
さらに進化して今ではZoomのミーティングをやるところまで準備されている
らしい。

デジタル格差は、教育そのものの格差になる。そして、未来社会の生活格差に
つながることになる。


2020年5月25日月曜日

太古の珊瑚礁・秋吉台へ 記憶の深層㊳ 2848

広島から下関へ行く途中、防府駅下車して秋芳洞へ向かった。

秋芳洞正面入り口から数十分歩くと、白い羊が草原に群れているように見える風
景が広がる。
何億年もの時間をかけて、石灰岩が雨水や地下水によって浸食されてできた特異
な台地。カルスト地形という。
そのルーツは、温暖な海に存在したサンゴ礁とされる。その後プレートにのって
(日本列島となる)ユーラシア大陸の東端まで何千万年もかけて移動し、いまの
日本列島の一部となった。

地下にできる鍾乳洞もカストロ地形の一つ。地下には450数か所も確認されている
が、日本一の広さを誇る人気スポット。だが、下関に夕方までに必着を約束して
おり、短時間の散策で切り上げた。まぁ、自分は地下嫌いで閉所恐怖症にもよる
が物足りなさはなかった。

(←ブログ:2019・11・17 「新宿駅西口<カドー>記憶の深層㉟」2658)
(←   :2020・03・18 「美鈴湖スケート事始め 記憶深層㊱」2780)
(←   :2020・04・02 「東京中央会館と矢崎さん 記憶の断層㊲」2795)


2020年5月24日日曜日

ちょっと遠出で入間川へ       2847

入間川左岸/浅間堰(2020・5・24 影:ncan)
すっかりサイクリングロードの魅力に取りつかれたハルに誘われるまま入間川
へ。入間川も先の豪雨水害で多摩川河川敷と同じように荒れていた。

入間川は埼玉県の南西部を流れる荒川最大の支流。
秩父盆地を境とする妻坂峠に源を発する。わが家から青梅の峠を超えて秩父へ
行くとき「名栗川」にそってクルマを走らすが、いまでは入間川と名称を統一
していることを知った。

中学生、40代、50代そして80代に間もなく突入するおいらが便乗する。
圏央道青梅ICから鶴ヶ島ICにて一般道におり、入間川堤防近くで電動自転車を
借りる。(すべてネットで予約から支払いまで処理)便利になったもんだ!
四人は自転車を連ねて爽やかに風をうけて入間川浅間堰の水流のたまり場へ。
途中の河川敷では、キャッチボールや打撃練習をするファミリーを見かける。
この数日、川遊びづいているハルは浮袋スエットを着て散乱する岩場で水を浴
びながら魚網捕りに挑戦。だが、洪水により川があれて魚影がほとんど見えな
い。収穫はドジョウやカワエビ。




この年頃の子どもたちの笑顔は    2846

昨年5月の大型連休は″新しい時代″の空気とやらの喧騒があって、今年は″自粛″
で三禁。空気なんて一変、皆醒めきっているんじゃないかな。
なかなか先は予測できないのが常と、強烈に思わされる新型コロナ禍です。

家に自閉する時間が多い。そんなとき、何を観たり読んだりするのがいいのか。
大槌町をふる里とする伊東陽子さんの写真集、『がんばっぺしおおつち  大槌』
を開いてページをめくった。

2020年5月22日金曜日

花も実もある絵空事の映画雑誌    2845


映画秘宝」7月号 2020′

1977-2020時をかけるー大林宣彦映画入門[永久保存版]
『HOUSE ハウス』から『転校生』、『海辺の映画館 キネマの玉手箱』
まで!
大林宣彦お宝インタビューから、大林ヒロインBEST5,完全フィルモグラ
フィまで!

必要至急の映画館全力応援特集!
全国ミニシアター&名画座の新たなる試み最前線!
UPLINK浅井隆、名古屋シネマスコーレ坪井篤史、ポレポレ東中野 大槻貴宏

中川翔子in「しょこたんの秘宝遊戯」も再スタート 『復活の日』(80年)。
斎藤 工の「映画じかけのオレンチ」131回「眉村ちあきのすべて(仮)」。
最後の大林宜彦監督が死の直前に残した2冊、『キネマの玉手箱』『最後の
講義完全版  映画とは”フィロソフィー”』を評した柳下毅一郎の文章がイイ。

2020年5月21日木曜日

戦争NO! 安保60の会       2844


60年第一次安保闘争に参加した世代が中心となり、60周年メモリアル事業と
して6月10日に記念講演会を実施することになった。

あの体験に青春を送った人たちへ
すでに鬼籍にある友人たちへ
これからの時代を担う若者たちへ

6月10日開催決行! ご参集を!
憲政記念館(永田町)於て

2020年5月20日水曜日

「走れ!私のローカル線」海外版でも 2843

影:Can
NHK新日本風土記「走れ!私のローカル線」(昨年7月12日に放映)が、英語
版で制作中らしい。

この映像の中で3.11東日本大震災直後に撮った写真(番組冒頭)を提供してい
る。その再使用についての許諾伺いを、NHKワールドJAPANのドキュメンタリ
ー番組制作の(NEXTKEY)女性からもらった。
災間の伝承になることだし、即了承しました。
その際、僕はこのところ電話口の相手の声は聞こえど、語彙の判別に難聴で苦
労しており、お助けマン・ハルに受話器を渡すと的確に代行してくれた。
こうしたケースになるのは、話す必要のない無駄な電話も多くなっていること
による。(後日、文書届く)。

本編は、三陸鉄道リアス線の一貫運行が開始され、大槌駅、吉里吉里駅、浪板
海岸駅がオープンを迎えたのに合わせるように新旧復興の風景が淡々と映像語
りされる「新日本風土記」。

2020年5月19日火曜日

起ち上がれ! 今ある危機から     2842


5月のGW明け各地で大型商業施設なども再開が始まり、書店の臨時休業が解
除される流れになっている。

日頃週末には立ち寄っている日の出の「未来屋書店」も制限付きで一ヵ月ぶり
に入店できた。
こうしたコロナ禍による全国の書店の休業は、出版市場全体には大きなマイナ
スになっている。
月刊誌「映画秘宝」などのように、マニアックな読者がAmazonオンラインに
流れるケースも見られるが、臨時休業店分の売り上げの大半はへっこみ計上で
厳しいはずだ。感染拡大が収束すれば、直ちに読者は復帰し売り上げは従来通
りにもどる楽観論は影を潜めた感じ。
この業界は物流問題など緊急の課題をかかえている。そこに追い打ちの異常事
態遭遇だが、改革の手を緩めると沈没しかない。 

2020年5月18日月曜日

雨上がりに咲く 紫蘭          2841

シラン(2020・5・18 影:ncan)
シュンランにつづいて、鮮やかなうす紫色のシランが見ごろ。
カメラを茎の根元(地面)すれすれに構えて撮りました。下が芝生でふわふわしているので壁に腕を添えるなど工夫しました。

ラン科の多年草。小池のそばで陽当りまあまあの湿地に咲いている。
紫蘭咲く 透けてみとおす 陽だまりに

2020年5月17日日曜日

津久井湖をサイクリング       2840

僕の風船ドライブによく似たもので、正午過ぎにブラっと車で出かけた親子。
八王子で自転車をチャーターして、「津久井湖城山」周辺を40㌔ばかり走っ
てきたという。

この親子、先のこどもの日にはわが家のチャリンコをこいでトトロの森、多摩
湖・狭山湖を一周してきたばかり。途中から雨にたたられ転倒したりして夜の
帳が下りる頃、帰ってきた。巣ごもり一辺倒の昨今、運動不足を解消したい思
いで、ジョッキングやキャッチボールをやっているが、子供の成長は著しく逞
しい。キャッチボールのラリー以外ことごとく超えられてしまった。

さて「城山」だが、かつて津久井城と呼ばれる山城でした。戦国時代には小田
原北条氏に仕えた内藤氏が城主を務める。豊臣秀吉による小田原攻めにより落
城し、江戸時代初頭には麓に陣屋が置かれた歴史がある。

ベランダで新聞読み&読書      2839

庭の樹木の剪定の途中で一休みするのはベランダ(縁側)。
いままでそこでは水補給とコーヒーブレークですませていた。

ここ一ヵ月以上、日常用品の買い出しと軽い運動以外に家から外に出なくなっ
ている。
アウトドア志向の僕は室内にじっとしているのが元々好きじゃない。休日は、
どこか外へ出て行くタイプだが、いまは庭掃除などでまぎらわしている。
そしてここにきて、十余年前に手作りしたベランダ(一部濡縁)にマットと、
小卓を持ち出して、常設の一角を設営した。まだ、パソコンは持ち出してない
が仕事場になることがわかってきた。
まず新聞三紙を緑陰で読みながら、引き立てのドリップコーヒーを飲み、開放
感に浸る、、。
この成り行きによる「ベランダ生活」の充実は、一方、家内のストレス軽減に
つながるようだ。




2020年5月15日金曜日

ガラシャと味土野とオオマスくん   2838

未だ京丹後市の「味土野」を訪ねたことはない。
一度は日本海沿線、丹後半島経由で鳥取砂丘へ出て中国山地越え美作を抜けて
帰郷したことがあるが、、。

さて、京丹後市弥栄町、轆轤工人漆器職人の大益君の工房がある味土野(みど
の)が少し脚光を浴びるようになった。いまNHK大河ドラマに登場する武将・
明智光秀の娘・ガラシャが、本能寺の変の後、幽閉された地として知られる。
その山あいの味土野地区には、「細川忠興夫人隠棲地」の石碑やガラシャ使用
の井戸などが現存すると彼から聞いたことがある。
昔日のガラシャに思いをはせるファンで、戦国通の人気スポットになっている
らしい。
オオマスくんが工人として居構えた四十年ほど前は、戦国武将の落人部落のよ
うに数家族の行き来があった。
今では彼一人、ロクロを回しながら工芸作家として自然と共に生きている。

ユズ、カキ、ツツジ、ナンテンの剪定 2837

今朝は晴天で朝から45年余りになる庭の記念樹カキの木の枝切りを始めたら、
ユズの木から、ツツジ、ナンテンまで剪定から枝の間引きまで手を付けてしま
った。

年のせいで目線が低くなり、剪定鋏を動かしながらその木の生い立ちにめぐり
あう。Gyoの成長にあわせて小指の太さの柿苗を秋の産業祭で買って植樹した。
それがいまでは中三階の軒にとどき、幹の直径も20㌢余りの樹になった。
Gyoの可愛がっていた柴犬が死んだとき根元近くに埋葬した記憶、十数年で枝
が隣の庭に張り出し除去する際足場の枝が折れて落下した苦い経験、つい時を
忘れて他者の喜怒哀楽までめくるめく。

柚のトゲを避けながら風通しをよくするため加減しながら刈込をする。
秋の植木市で見つけた柚子の木は、田舎のこんもり盛り上がった常緑のなかに
際立つ黄柚子の香り立つ情景をイメージして買ったもの。
ところが、翌年は茂る緑の葉のなかに実をつけたのは本柚子ではなく小粒の花
柚子。一時は植え替えも考えたが、数年水やりをして魚の骨など埋めて生育を
待っていたところ、しだいに大玉になり香りがにおい立ってきた。
祖母が作ってくれた柚酢仕込みの「バラ寿司」に散らす柚皮や柚釜の想い出。
何かに追い立てられることもない自由時間の今、庭掃除もかねてスローライフ
を過ごしている。

2020年5月13日水曜日

ウイルスと細菌           2836

きょう東京の新型コロナウイルスの感染者は10人で4月以降最少となった。

この厳しい状況のなかで、かつて病んだ母親の結核のこと、国立中野療養所と
医師だった伯父さんのこと、いま自分の眼瞼麻痺に使われているポツリヌス菌
のことについて、急に身近に感じるようになりました。

そもそもウイルスは、細菌とどう違うのか、あいまいな認識しかなかった。
ウイルスは核酸(DNAもしくはRNA)とタンパク質からなる、細菌より小さな
一群の病原体。といっても、現在において未だ研究の進んでいないウイルスが
存在しているという。
細菌(真正細菌類)は、原核細胞からなる単細胞生物である。大部分の細菌の
増殖は二分裂法によって無性的に増殖する。
新型コロナ禍で世界が塞ぎこんでいる。いつの時代にも目に見えないウイルス
や細菌と闘ってきたひとたちがいる事実を、あらためて強く想起しています。

2020年5月12日火曜日

白樺の旅/八ヶ岳を見ながら 記憶の断層94 2835

影:pen
新録の奥多摩街道を走って、奥多摩町~奥多摩湖からゆっくり登り切った所が
柳沢峠。富士山を眺望しながら一休み。塩山に向けて下りのスタート。途中、
左へ示す大菩薩峠の標識を見ながら、勝沼のブドウ園を抜け中央高速にのる。
20分ほどで「須玉IC」に、そこから国道141経由で最高地点の高原で八ヶ岳
連峰を望む。その広大な緑の高原で大の字に寝そべると、真っ青な空に吸い込
まれそう。
松原湖経由で帰路へ。

白樺林の近くに八ヶ岳エリア最大級のスキー場がある。
この佐久八千穂高原には、森ℳさんの手をかけたログハウスがあり、スキーや
釣り仲間たちが集まった。




(←ブログ:2020・1・28 「風船の果て 記憶の断層89」2730)
(←   :2020・1・30 「風船の果て②記憶の断層90」2731)
(←   :2020・2・29 「風船の果て 津~伊勢 記憶の断層91」2762)
(←   :2020・3・1 「伊勢鳥羽→御殿場→河口湖 記憶の断層92」2765)
(←   :2020・4・27  「猿橋~四層のハネ木が支え 記憶の断層93」2819)



2020年5月11日月曜日

雑誌(映画秘宝)の返品期限延長   2834

新型コロナウイルス感染拡大を受けて、雑誌協会と取次協会は雑誌返品期限を
延長すると発表した。

コロナウイルス感染がピークに達するかと思われるそんな日々に、復刊「映画
秘宝/6月号」の発売(4・21)が迫っていた。
プラス思考で、予定通り発売に突っ走った。まず、結果は吉(増刷)と出る。
雑誌の増刷はそうあるものではなく、奇跡ともいえる。
その上、返品期限が8月後半(120日)まで延長になったわけで運がよかったと
いえる。この措置を販促戦術として有効に使えばいい。

大型書店の多くがちょうど映画秘宝発売時に臨時休業になったが、ネット書店
と巣ごもり地域の書店の購読でしのぎ、ここで再度店頭での活性化が期待でき
救われたな、と思う。
書店店頭での販売機会の創出と、すでに搬入した雑誌の返品リスクの回避と返
品業務の軽減に業界としていい施策がとれたということ。
あと一週間で次の発売日を迎える。

2020年5月10日日曜日

芍薬のひとひら咲くと正宗橋     2833

2020・5・10 影:ncan
昨年より一週間ほど早咲き。

別名「えびすぐすり」と言い中国から薬草として渡ってきた。
一ヵ月前に茶色の茎が芽を出し、ま直ぐ50㌢ほどニョキニョキと上に伸び、
蕾の玉が目に留まった。それから二日もしないで満開だ。
毎年見る色は桃色で雄しべが黄金色で、花弁は少なく鮮やかである。

牡丹はよく見かけるが、芍薬は見ることが少なくなってしまった。
田舎のうちの庭先には祖母が毎年大事にに育てる芍薬があって、咲き終わると
球根の一部を掘り出しては縁側で乾燥させていた。
その根を煎じて神経痛や腰痛などに効く薬草として貴重がっていたなぁ。

2020年5月9日土曜日

旅(たび)にこだわる        2832

鯵ヶ沢/屏風山の家(影:pen)
いまは外に出てブラブラすることはできない世情であるが、、。

旅することは10代の後半から大好きだ。
最初は汽車やバスを利用したが、30代に入ってからはもっぱらヴィークル。
それも、行先知らずの着地場所が目的地ということで「風船の果てクルマ旅」
と名づけている。
出張とか通勤は旅(たび)とは言わないし旅行とも違う。同じ移動であっても
差異感覚として違うのである。
旅の字面とタビの語感がもつ日常性からの脱却がイイ。
時代が違うが、菅江真澄や芭蕉の旅魂の凄さは別格として、想いは似ている。

2020年5月8日金曜日

補遺⑤               2831

銅像前メーデー集会
親父は僕に大学進学を進めるのだが、進路が決まらずふらふらしていたところ、
東京国立中野療養所の医師だった叔父祖母が呼び寄せてくれることになった。

上京してから紆余曲折があり、早稲田大学に1960年に入学した。
その前後については先のブログ(「血のメーデーから68年~」)で触れている。
今日の状況とは全く異なったもので、学生運動・第一次安保闘争のカオス状態
のなかに飛び込むようでした。
文学部演劇専修を選択しながら、授業をさせずスト権(授業放棄)の誘導と国
会周辺に出かけることに明け暮れるスタイルになっていった。
僕が大学で直接演劇にかかわったのは唯一、『署名人』(清水邦夫作)。

(←ブログ:2020・5・1 「血のメーデーから68年 メーデー中止か」2824)

2020年5月7日木曜日

村上春樹『猫を棄てる』を読む    2830

書影
村上春樹の『猫を棄てる』、傍題に「父親について語るとき」をもつ新著を読
む。

本書は、村上春樹の父親(90歳)が亡くなって10年後あたりで書いた文章にな
る。身内について書くのは厳しいものがあるといいながら、いつかは取りかか
らなければならなかったことの実現。
導入部で、小学低学年のころ父親との日常の平凡な光景として、海辺に一匹の
成長した雌猫を棄てに行ったことが蘇ると。そのときなぜ家から2㌔ばかり海
辺に大きな猫を放って、あとも見ずにさっさと帰ってきたか不確かだとある。
が、自転車を降りて、玄関の戸を開けると、棄ててきたはずの猫が「にゃあ」
と言って、しっぽを立てて愛想良く僕らを出迎えた。そのときの父親の呆然と
した顔から感心した表情に変わり、最後にはほっとしたような顔になった、と
いう。この小事件のなかに最後まで導く謎ときが込められている。

さらには、父親は毎朝、朝食をとる前に、仏壇(菩薩)に向かって長時間、目
を閉じてお経を唱えている。一度だけ尋ねたことがあり父親は言った。前の戦
争で死んでいった人のためだと。
そしてつぎには、父親の生い立ちや、母親は大阪の船場の古い商家の長女だっ
たことが語られる。
俳句を嗜む父親が戦争体験のなかで苦悶する真意を彼の俳句のなかに探る部分
は大きなヤマ場で謎解きである。
それにしても、辺見庸が自著『1★9★3★7』のなかで近現代史の暗部であ
る日中戦争に焦点をあて、その渦中にいた自分の父親の秘密を自身の身体を賭
した叙述と、歴史の背景に類似するところがあるのに驚き。

僕の読書は『風の歌を聴け』『1973年のピンボール』『羊をめぐる冒険』
など初期の小説読みでストップしたままだが、この父親について語った本書は
歴史の連続性と戦争へのこだわり、訴えるものがある。

2020年5月6日水曜日

人との間合いの取り方        2829

禁!接近(影:2020・5・6)
最近、間断なく気になるののは、人とのマアイである。
スーパーのレジに並ぶ足跡印で、ミーティングルームの相手の距離で、バス・
電車の座席位置で気になりだすときりがない。
足跡印のように距離感を表す図案が雨後の筍のように出てきた。

このトラウマは、新型コロナ禍による日常リズムの変調現象の意識化のような
ものだとおもう。
寄るな触るなといううことらしい。
確かパーソナルスペースということを聞いたのは半世紀ほど前で、その境界線
1㍍余りだったのが、このコロナ怖さから広げられているように思う。

「離れることがつながり続ける最良のすべ」だという。企業の商標やロゴに工
夫を凝らす試みが目をひくようになってきている。
「天声人語」も、「天  声  人  語」に替えているし。

立夏 こどもの日          2828

月が替わりしだいに暑くなってきました。初夏と呼ぶにふさわしい新録の立夏。

生気があふれるほどに勢いづく新録の樹木。
そのその香りを、自転車(チャリンコ)を走らせながらいっぱい吸い込めば、
元気がもらえる意気込みで、Gyoとハルは多摩湖~狭山湖一周へ出かけた。
途中でにわか雨にやられびしょぬれになって帰ってきたが、巣ごもり一辺倒の
連休を強いられるなか締めくくりとしては理想的な過ごし方であったと思う。
とはいううものの、前日まで5日間はキャッチボールとジョッキングをしての
レンちゃんの運動を見るにつけうらやましいかぎりで、僕のほうはぐったりと
疲れて傍観するのみ。

2020年5月4日月曜日

吉祥寺の埴谷邸の命運        2827

埴谷雄高さんが亡くなって23年たつ。
先日、自分が編集した日野啓三さんの評論集、『虚点の思想-動乱を超えるも
の』を読みはじめた際、埴谷さんに推薦文をもらったこと同時に、埴谷邸の応
接間に通されたことを想い出していた。

そんなとき埴谷さんの著作に関心のある未知の読者から、吉祥寺の自宅を訪れ
たが表札の名前が違っていたことと、映画「全身小説家」で見た家と違って見
えたことを確かめるため、埴谷邸に触れた僕のブログを見ていてメールをもら
った。

僕がむかしの道程を思い出しながら訪ねたのが5年前で、そのときすでに庭木
や松が大木になり垣根も朽ちて郵便受けは傾き加減で、侘しくなってしばらく
呆然とたたずんでいた。表札はかかっていなかったように記憶しているが、所
有者は出版社で管理は近所の委託者ではなかろうかと思ったりした。
たしか、埴谷邸跡として遺そうとする動きがあったと思うが、立ち消えになっ
たのが残念。

(←ブログ:2012・2・29 「埴谷島尾記念館が原発被災地区で劣化か」44)
(←   :2015・6・25 「埴谷雄高邸を訪ねる」1050)

2020年5月3日日曜日

リサイクルセンターは長蛇の列    2826

2020・5・2 影:ncan
食料品や雑貨を買い出しに行く途中に、粗大ごみ処理の持ち込み場所がある。
門からはみ出して車道に車の長蛇の列が続くのをみて、今までない風景なので
怪訝に思った。が、皆さん巣ごもりで大掃除に精出してゴミ持ち込みでの待ち
車だと納得した。

さて当方は、キッチンの外に備えているエコキュート(給湯器)に不都合が生
じ、メイカーのメンテナンス作業の立ち合いで二日間費やした。
キッチンや風呂など給湯の役割全部をこの大きな器具に10年来お世話になって
いる。その生命線を僕が構造から機能まで理解しておかないと、機能遮断時に
対応すことができないからである。

メンテナス員の対応はよくて、作業内容とそれに伴う説明は平易で親切だった。
でも、ポンプ側器具のカバーを外した中の周辺の配線や配管、コンピューター
基盤は複雑で、トラブル発生部位を確定するのに、彼は苦労していた。
大雑把に言って、自動車の定期整備のような工程であることが解かった。

補遺④               2825    

1961年室戸台風で橋流出~筏で
田舎のわが家から正宗橋を渡ったたもとに新興の土建会社があった。
当時、失職中の父はその土建会社が休みの日や雨の日に事務所で催す麻雀大会
に誘われ出かけては勝って賞品を持って帰ってきていた。

師範学校時代に覚えたと思われるが、抜群に強かったのだろう。
サイパン島から帰国後しばらく、日常生活では生気が見られなかったが、囲碁
やマージャンの集まりに出かけるとなれば嬉々としていた。

親父は僕が大学4年の秋突然亡くなった。
バイクで帰宅途中に県道から外れて河原に落ちて、打ちどころが悪く即死状態
だったと祖母から聞かされた。狭心症という病名だった。
運転中急に心臓に異変をきたし意識がなくなった状態だったと想像している。
結局は、サイパン島体験について自ら多くを語らないまま、終わってしまった。
開通したばかりの新幹線で東京からその日のうちに駆けつけたが、未だ聞けて
いないことを気に留めてなかった。

2020年5月1日金曜日

血のメーデーから68年 メーデー中止か 2824

今年のメーデーはウェブ開催か、中止になった。

1952(27)年5月1日、第23回メーデーは皇居前広場(当時人民広場と呼ばれて
いた)に入ったデモ隊を警察官が襲い「血のメーデー」となった。
このとき僕は小学校高学年で、早稲田大学建設者同盟で活動していたおじさん
(従弟父)が連座しており、田舎の縁者で話題になり強い印象としてずっと残
っている。

こうしたことがあって、5月1日を一つの節目として思い出す。
また上京して2ヵ月後には、国鉄新宿駅「二幸」(現アルタ)前での、激しい
メデー行進を見学した。
労働組合の赤旗や大学のサークル旗が林立するなかでの総括集会、アジテーシ
ョンを目にしたが、初めての経験でした。その時の一人がwメーデー実行委員
長だった平井吉夫さん(昨年5月24没)だったことを知る。
そしてその翌年、安保闘争さなかのメーデーには、ほぼ同じコースで演劇専修
クラスの数人の仲間と参加しているのである。