2012年2月29日水曜日

2/29 埴谷島尾記念館が原発被災地区で劣化か

埴谷雄高氏
YI女史から、唐牛健太郎をめぐって交流のある、北海道大学での卒論が「埴谷
雄高」だったという、若松某氏を機会があったら紹介したい と手紙をいただいた。
若松さんはまったく未知の方ですが、インターネットの検索で僕の『私記』にたどり
着き、洋泉社第一冊目が『死霊論』であることに驚き、所有しているこの本が今と
なっては宝物の一つと言ってはばからない人です。そして、多くの埴谷著作をお持
ちで、死後寄贈できたらいいなと思われているようです。その寄贈先を<埴谷島尾
記念文学資料館>とも書かれていたので、南相馬市小高区にある3・11で被災し
た当館が気がかりになった次第です。
空調が効かず破損する危機にさらされているとの情報を得ていたからなおさらです。
僕も資料を少々寄贈している経緯もあることだし心配です。

【読書&ほんの周辺】

いまは、雪深い丹後半島の味土野で暮す木工ろく
ろ師・Oumasu氏から二冊の本が届いた。
『鎮魂の旅路─横井庄一の戦後を生きた妻の日記』
(横井美保子著/ホルス出版)
著者とO氏が友人で、味土野と行き来があるらしい。
もう一冊は、『時代の証言─共同・共生の道を求めて』
(金森昴作著/影書房)この本の著者とO氏は筑豊
で三井三池炭鉱の炭じん爆発によるCO中毒患者の
救援活動で知っりあったようだ。
いずれも、エコとはなにか、エネルギーとはなにか、環
境とはなにか を問うもので重く迫まられる。
彼自身、流れながれて、いまでは木の魅力に取り付か
れて、住民が集団離村した味土野に一人移り住んで
30余年になるが、漆の木を育てながら轆轤塗りまで
すべての工程をこなすのである。
囲炉裏の火で燻製食品を作って加工しているのか、本
から燻製の匂いがぷんぷんと醸し出された。
羨ましい生き様に思えてならない。

2012年2月28日火曜日

定款のつめを

「ほんの森館」石積みの外観
先日、佐々木さんから電話が入り、開館が予定より早まって、4月中旬になると。本棚
は手作りで、ペンキ塗りをされている様子がリアルに伝えられた。
送り込まれる本の整理からリスト化までできる支援要員を、町でスタートした震災復興
雇用促進に関わりつつ確保に向けて、佐々木さんが折衝を始める。
早速、H行政書士にNPO法人の定款を急ぐよう要請した。H氏は大槌に数度、この2月
も初旬に仮設住宅団地を訪ね、生活支援から事業再建支援に行政書士有志と精力的
に取り組んでこられている。東京から出かけるこうした支援部隊の人たちは交通費、食
事代、宿代のすべて自腹負担で賄っているが、復興庁がスタートしたことだし少しでも負
担を少なくて済むようできないものかと思う。

【読書&ほんの周辺】
*井出彰氏より自著『地上の人々ー三人のホーム
 レス』(パロル舎)登場するホームレスが、岩手県、
 福島県であることが気になった。
 もう一冊は『ドストエフスキーと秋山駿とー人はど
 こから来て、どこへ行くのかー』(情況新書)
 この本は、秋山駿と井出彰の対談集。

2012年2月26日日曜日

中学同期会へ

 先に海底トンネル掘削中に大惨事を招いた倉敷市水島に隣接した町、将棋好き
の人であれば知っている大山康晴名人の故郷が船穂町だ。
僕はこの船穂中学に津山市の奥・奥津から中学二年の二学期から転向してわず
かの期間の同窓だった、しかしながら圧倒的に永い付き合いの親友でもある。
今日はその会がいつもの場所で催された。皆、一昨年に古希を迎えているがとり
あえず元気で、女性陣は水泳に旅行に外に向かって活動的だし、方や男もYK氏
は奥さんを亡くしたばかりで食事に不便をきたしている様だが、会計士の大きな仕
事を日常的にこなし、尺八からドライヴと趣味も多彩。M物産の企業戦士から企業
診断士であったYN氏は、昨年のがん闘病を経て、こうして会に出られるまで回復
してきている。
『私記』についてお喋りがあった。出版業界と縁のないところで生きている面々であ
るあればこそ、行間の読み方に違いが現れるのに少し驚いた。
大震災へのかかわりはユニセフに月々寄付している者もいれば、まちまちだが、
僕のこれからの活動へ注目してくれている。
船中同期会(東京駅地下・海賓亭)

2012年2月25日土曜日

プロデューサDKから

MALT’SMermaid島(セスナから撮影・DK)
大槌湾に浮かぶ・ひょっこりひょうたん島と姉妹島をめざす、地球の裏側(ガラバゴス諸
島)に在る島です。
瓢箪の形、面積、松と方やマングローヴの正に瓜二つの姉妹島が在ろうとは誰も想像
だにしないでしょう。
趣味のダイビングをしたいなどと、いまは、そんな不謹慎なことはいわない。
両島を姉妹島にしようと瓢箪から駒が出たような夢のような話になっている裏には、長年
かけた大きなプロジェクトの悪戦苦闘の物語があるのです。
この発想の具体化は未だまだ始まったばかりなので、追々エピソードを交えて報告させ
てもらいます。

【批評とコメント 13】
*洋泉社創立時、若かったんですね。
 権力におもねることなく、27年続けてこられた
 藤森さんを私の知人として誇らしく思います。
 辻野さんと基さんのこと記録されていてうれし
 いです。
 社名についてのいきさつの埴谷さんとの会話
 に始まり、あとがきの日付けは2月19日。
 埴谷さんの命日です。感激。(後略)
 (指摘に驚きいる!)         HS
*国の内外を問わず、世界をまたにかけた出
 版の仕事がこの一冊に見事に輝いています。
 一読して思うことはひとことで言えば、藤森さ
 んの人間関係の豊かさに裏打ちされた軌跡
 であったということでしょう。
 一体どれだけの人と巡り合い、そして別れが
 あったか本書は克明に記していますが、その
 ことは45年の長い旅路の記録でありながら、
 読む者に懐かしさや感動を伝えるものがあり
 ます。業界の片隅にいた僕にとっても遠い過
 去がよみがえって来ます。
 その意味で一企業の出版史といいながらなん
 と数多くの人々の姿が脳裏をかすめただろう
 か。この書にいざなわれて、さまざまな人と人
 とのふたたびの出会いが予感されます。
 ご苦労なことも数多くあった45年の一区切り、
 懐かしくまた愉しく拝読しました。
                     TM

2012年2月24日金曜日

大槌の佐々木格・ほんの森 4月にオープン!

ひょっこりひょうたん島(大津波襲来前)
大槌の佐々木さんからうれしい連絡があった。
長年を費やして一人こつこつと積み上げてこられた石の館が近く完成すると。
この館の一部が<ほんの森>広場になって 4月半ばにはオープンされる!
それに先立ち、震災復興計画のなかで雇用促進を進める事業に、<NPO大槌の風>
大槌事業所で申請することで、図書管理要員を確保することができるらしい。雇用に
貢献し、かつ活動の活発化に役立てばこの上ないこと。
都への定款を伴う申請を急がねばならない状況が発生した。
もう一つ、蓬莱島(ひょこりひょうたん島)&地球の裏側にある、エクアドル・ガラバゴス
諸島のMALT'S Mermaidを姉妹島に! の夢計画がふくらんでいる。
この案件は、具体的進行の過程で報告したいと思っています。乞うご期待を!!

2012年2月21日火曜日

2/10・復興庁は発足したが…

山田線・大槌駅(復旧見通!)
大槌湾に程近くを縫うように走る山田線は寸断され、大槌駅も、まだ、この場所に復旧
するのか、より山側に移すのかも、調査中のJR職員ですら分かっていないで作業をして
いた。左が、大槌川と城山の間に開けた大槌町市街だった。
大震災の被災地復興の大きな率先すべき課題は、いくつもの小山になった瓦礫の処理
にある。岩手県、宮城県の沿岸部に集積した瓦礫は広域処理の対象になっているので
あるから、全国で一斉に取り組んでほしいものだ。石原慎太郎は好きでもないが、瓦礫
受け入れを山形県と並んでいち早く実施したことに賛同する。震災直後は全国多くの自
治体が我もわれもと手を上げていたが、震災から1年の時間経過のなかで放射能汚染
を怖れる住民エゴに押されて後退してしまった。住民の不安を払拭するために事実を隠
さず情報公開すればいい。
岩手県沿岸部の瓦礫量は、当県の家庭などから出るごみの11年分に相当するそうで、
到底自前で処理できる量でない。被災地の復興を興味本位でなく真剣に支援したいなら
この現実を理解することが第一歩だろう。

【読書&周辺】
*遠山啓著《算数の探検シリーズ》
 『たす ひく かける わる』第1巻
 『いろいろな単位①』    第2巻
 算数が大好きになる”絵本シリーズ”を読み始める。
 イラストが安野光雅で、算数の世界を探検隊になっ
 て旅する物語形式があきさせない。
 忘れかけている算数を、孫と一緒に勉強してみる
 気になって…。

2012年2月20日月曜日

2・17 Wの遅ればせながらの新年会

Wの長い付き合いの友人で、3・11以後、気仙沼、石巻を被災直後から駆けつけボランティアしながら聞き書き記録しているYI、被災直後から福島、宮城へ支援物資を送るネットワークをつくりで活動する民俗学者でもあるS.M、ドイツ文学者のY.Nに、Y.Aと僕が加わった。それぞれの近況報告会といった趣の新年会になった。ほかに、二人のがん闘病中の友人がおり、先日、見舞いに訪ねた際の会話とか、(読書、音楽について)、現況、環境をめぐって伝えた。僕の少しずつ進めているNPO<大槌の風>にも、皆、できる事で全面的に協力連携してくれることになった。


【批評&コメント 12】
*(前略)帰宅したその夜、食い入るように読み
 入り、その着実な歴史に惹かれました。
 まず、社名の話は大事な創世記ですネ。名づ
 け親埴谷雄高の「洋と泉の画数の感じが片方
 が多すぎもしないしね。安定していますよ、未
 来を予感させるね」は、圧巻です。後を継ぐ人
 人の胸に刻んでもらいたい言葉です。
 (略~)私事になりますが、、、、今度の坊やに
 は湧いた泉が太平洋に注ぐように泉洋二郎と
 おつけなさいと。(長命の方らしい)
 何よりも埴谷雄高との会話が、録音されていた
 ことに感激しました。(中略)
 1984年から2010年2月18日までの日記は、
 記録文学です。裏事情など含めた論述的記述
 より、読者には想像力をかき立てられるものが
 ありました。(中略)
 次世代の人々が引きつぐべき社史として出版
 されたことを心から喜びます。
 (前略)普段 覗くことのなかった道筋──書き
 上がった本が、校正され、印刷され、製本され、
 出版ニュースとして発信され、流通の機構をく
 ぐって店頭に並ぶ日までに、どれだけ多くの見
 えないオーソリティのメガネや手を経ているかが、
 彷彿としてきました。藤森会に集まった方々の
 力なしには、読者の手に届くことはないというこ
 とを鮮やかに見せていただきました。(後略)
 追伸:石井さんとの約束した作品、やっと再開
 いたします。                Y・I

2012年2月17日金曜日

14日にあゆみBooks感謝の会へ

あゆみBooks感謝の会
今週は週初めから会が重なり 珍しく連日午前さまで疲労困ぱい─。
火曜日14日は、あゆみbooksの感謝の会へ出席する。営業本部長の鈴木T氏と
は洋泉社創業時から懇意な付き合いが続いている。このあゆみグループには、
他にM・K、K・H氏ら店長経験のあるすぐれたキーマンがいる。
トーハン、日販もそれぞれ社長が来賓挨拶、乾杯の音頭をとっていたが、中堅書
店の中でいかに伸びしろがあり、注目されているかということだろう。
そして 懇親会に入る前にあゆみBooks中村歩社長自ら追っかけと称している、
柳家権太楼の高座(百年目)が催された。大変な熱演で粋な計らいを感じた。
久しぶりに近藤社長にも合い、被災地大槌に昨年暮れに誕生した一頁書店の話
に及ぶ。オープニングには会長が出席しているが、近く訪ねてみたいと言っている。
会うといつも最後は、タイガースファン談義に及ぶが、新監督和田の采配には大い
に期待できると、互いに意気投合して乾杯したのである。

【批評とコメント11】
*27年の早さと、充実・多彩な目録に、藤森さん
 の出版人の力量を再認識いたしました。それに、
 前半の「記録」にはおどろくばかりです。なつかし
 い日々を想い出す本でした。又、飲みましょう。
 別件、O書店へNPOのことは伝えておきました。
                            H・A
*私は藤森さんとは長い付き合いがありながらも、
 洋泉社のことはほとんど知りませんでした。
 あらためて、出版社立ち上げから、立派な会社に
 成長させたご奮闘に敬意を表します。それにして
 も大変だったですね、苦心の跡がよくわかりました。
 藤森さんのご努力と、様々の方のご助力があった
 ことが今日に至ったのですね。洋泉社は、年間百
 点以上も刊行している大会社です。
 貴書で注目したのは、お亡くなりになった方です。
 半数近くが私も知っている方でした。ああいう方も
 いた、こういう方もいたと指折り数えました。
 今後は震災ボランティアに生きるとのこと、時々お
 話聞かせてください。            S・S

2012年2月13日月曜日

菩提寺・江岸寺のことを

こうがん寺/津波襲来後に火災に遭う(6月撮影)
左奥に焼け落ちた本堂
そもそも 海岸から600メートル離れた城山の麓にある江岸寺は避難所に指定されて
いた。まさかこの高台までは津波は来ないだろうと 集まってきた多くの誰もがそう思っ
ていた。そのやさき 突然 ふすまを蹴破って大津波が襲いかかって来たと、、住職をは
じめ多人数の方が亡くなり、行方不明となっている。
過日にも記したが、大学生、企業人ら百人単位のボランティアが入り、僕たちも加わっ
た8月初旬の瓦礫だし、石塔掃除で、お盆の法要はなんとか執り行われたのであった。
いまでは、瓦礫はかたづき、崩壊した建物を取り壊し、とりあえず納骨堂はできているは
ずだ。
だが 仏閣まで作られるには、一体どれだけの費用が要り、どれだけの時間を要するの
か先は見えない。

今日は、永い友人であり仕事の同伴者だった石井慎二の三周忌だった。小田原蓮昌寺
に合掌。
時の経過は早い。ここまで、僕は寿命を延ばしてきたが、3・11大震災を知らずして鬼籍
に入った友人、知人は多い。さて どう、、、、。

【批評&コメント】
*日本の出版社の数は知りませんが、その社主の
 大半は編集狂の人々ではなかったろうか。
 しかるに藤森さんは若いころから醒めた編集人で
 あり狂した営業人でもあった。業種は異なるが畏
 敬する俳人西東三鬼さんと同じだ。さうして、同郷
 津山人であるこもすばらしく、またうれしい。
 祈御健勝。             陶芸家・N・S

*『洋泉社私記』歴史記述のように読めました。
 有難う。               考古学・T・M

*『洋泉社私記』すごく面白かったです。
 huruyaさんに荷風の日記に匹敵する文体だと言っ
 たら それは誉めすぎだといわれました。
                   T新聞社主 I・A

2012年2月12日日曜日

1・12 魹ヶ崎燈台のことなど

本州最東端の魹ヶ崎燈台
ぶ魹ヶ崎燈台へは1966年8月と、8年前、そして大津波被災後の6月8日に足を踏み入
れること、3度目である。すごく運命的な縁を感じる。
この燈台へたどり着くには、写真に見えるこの小さな湾から一気に登って曲がりくねった
幾つもの岬をクリアーしなければならない。要する時間1時間30分でぐいっと姿を現す。
太平洋に開けた岬に眩しく在る この白亜の燈台が知れたのは、木下恵介監督の名画
『喜びも悲しみも幾歳月』で であった。だが、難所の故か 宮古の人ですら一度も行っ
たことがない と地元の者が言う。
途中、漁業を生業とする重茂の集落があって、3・11直後はすべての漁船、養殖魚場
を失い、無残な港に立ち尽くす日々が続いたが、やっと活気を取り戻しつつある。日本
海側の漁師からの支援漁船がとどき海にも出られようになり、恒例の伝統芸能をなん
とか守って実施にこぎつけることで、部落の絆が回復しつつあるということか。
東北地方、とくにこの地方には永く伝承される民俗芸能、儀礼が豊富にに残っており、
このたびの震災被害で死滅させることのないよう、復活への支援が大事だと思う。

燈台への登り口/崩壊した防波堤

2012年2月11日土曜日

2・10 T・Y君を見舞う


聖隷佐倉市民病院
 がんのケアー看護付病院に入院して一ヶ月余になる、D・Y君の見舞いで千葉の
佐倉に出向いた。
彼は昨夏、大槌から陸中沿岸の巨大津波被害を、入院前のせっぱつまった気持
ちで見てきた。そして NPO大槌の風の会員予定者になっている。
外見の顔色は良いし体重も復活していたが、がんの進行は厄介で少しずつ蝕む
のか 右目失明で右口・噛むこと儘ならず発声にまで影響が出てきている。
幸いにもいまは、上への侵食がとまっているが髄膜がやられるようなことになった
なら危ないと 淡々と語るが、なんとも痛ましい。
彼は、かつて中央公論社にあって、完璧な校訂ができる校正者として多くの著者、
編集者に敬われてきた。
本にかかわって生きてきた者であるにもかかわらず病院に持ち込まれていた本は
唯一、田川建三の『新約聖書』訳と注 使徒行伝 の二冊だけが目についた。それ
も、二年前に刊行された新刊のはずなのに、古書かと思わせるほど読み込まれ符
牒までつけてあったのには胸が痛くなった。
印旛沼から筑波山まで眺望できるいい環境にあるが、暖かくなったら自宅へ帰れる
ことを願わずにはいられない。桜が咲くころにまた訪ねるから と2時間の対面で分
かれた。

【批評&コメント】
*一気に読みました。何が私を引き付け夢中で読
 ませたか、を考えているところです。知っている名
 前に触れて昔を思い出し懐かしい気持ちになった
 ことか。(私の名前もありました 恐縮です)あるい
 は出版業界をこの角度から書いた内容に初めて
 であったからか。あるいは出版業界が人間の興味
 関心をさぐり、読むこと、、読ませること、、を通して、
 人間の喜怒哀楽を整理し、意欲を伸ばす、まさに、
 人間そのものを探求する職業だからか、一気に読
 んだ面白さの理由を考えているところです。(続き
 はE・mailで)
 出版業界の一級資料として残るのではないでしょう
 か。そんな気がします。
 大河内さんも亡くなっていたのですね。新聞に掲載
 された死亡記事朝倉さんはあの方だったのでしょう
 か。体を酷使する大変きつい業界なのですね。石井
 さんのときは驚きました。惜しい方ですね。
 教員の職場でも飲む付き合いはかなりありますが、
 それは、仲間内の、あるいは先輩後輩の、あるいは
 管理職になるための顔つなぎ、などで、私的なもので
 すが、出版業界の付き合いは、会社の存続、発展と
 いう社員の生活を背負った重い付き合いなのですね。
 約半世紀にわたるお仕事の内容を読ませていただい
 て、大変心に残りました。(、、、、後略)   O・K

2012年2月10日金曜日

2・10 応援している若い出版人

破壊された波板観光ホテルの海岸側
3時19分を指す時計(右下)/左上にひょっこりひょうたん島
3・11、激しさが一気に加速する揺れに恐怖し、談笑していた珈琲館を飛び出し道路の
真ん中に立っていた。そのとき運命的に一緒だったのが 若い創業したばかりの出版人
の友人だった。その彼が、今までの仮事務所から近く少しスペースを広げて新事務所に
引っ越すと言う。今年初めて会ったのであるが 厳しい資金繰りのなかでヒヨルことなく新
規商品の開発にも積極的で取り組んでおり安堵した。
前後するが 再度その時 一斉に止まったバスやタクシーや、騒然とする人波のなかで
高層ビルを見上げると電線がタユタユと揺れビルもしなっており、、、直近にあったニュー
ジーランド大地震の場面がダブり、内心慌てていた。そして次の瞬時、保育園にいる孫を
想い、親たちより一番速く迎えに到達できると 咄嗟に決断した。飯田橋~四谷~新宿西
口ガード下~青梅街道~笹塚~明大前、、、、と競歩スタイルで歩きつづけたのであった。

【批評&コメント】
*最近、いっきに見た本は これだけです。
 記録の持つ深い面白さに酔っています。知人の
 多くに再会させて頂き 感謝しています。不思議
 に勇気が出てきました。
 周辺の人々に吹聴させて下さい。特に若い人た
 ちに!!                    S・S

*永い間の御苦労の様が伝わります。こうして見
 ると貴兄の足跡が偉大なものであった事をあら
 ためて思い知らされます。
 鈴木(慎二)氏の死去残念です。かく申す手前も
 S字結腸で手術で11月を病院で過ごす破目にな
 りました。
 大槌は手前も少なからぬ思い出があります。
 本の送り方法、おしえてください。    I・東雄

2012年2月9日木曜日

3・11 お祖母ちゃんの聞き書き

県立大槌病院とS家の敷地跡/津波が3階まで襲来し
自動車など瓦礫の山だったが、、、(8月撮影)
3・11後、行方不明だったお祖母ちゃんの無事が判ったのが5日後の15日夕だった。
老人保健施設に収容されていることが判りながら、東北自動車道が通じ、新花巻から
遠野経由釜石を経て迎えに行くには、さらに、2週間後になってしまった。息子夫婦が
対面したのだが、見る見る生気をとりもどし喜んでもらえたようだ。
震災の日 その時間 親戚の方が訪ねてきて世間話をしている最中で、経験したこと
のない大揺れに驚愕して柱にしがみついた。そして 次に 日頃からの習慣で二つの
小荷物に重要な物を必備しているが、それを携行して民生委員の到着を待った。
道なき道を引っ張られながら、2時間余を要し高台の中央公民館へ着いた。
家を捨てての避難逃避行が5分遅かったなら、巨大津波に飲み込まれただろうと。
事実、第一波を甘くみて、家へ物を取りに引き返した多くの知り合いの姿を二度と見る
ことはなっかたと言う。
次の日の夕 移動して清流の里病院へ2日滞留して さらにケアセンターおおつち(あ
かね)へ移り居ることになる。親戚縁者誰とも連絡すること叶わず、不安な日夜を過ご
されたことがなんとも痛々しい。
93歳のお祖母ちゃんは、東北大医学部付属看護科を出、若くして大槌病院勤務から
遠野病院、宮古病院と看護一筋で生きてきた。孫たちに囲まれた平穏な暮らしを一瞬
のうちに失った現実。自然の不条理ゆえにこそ、強いやり場のない怒りを覚える。

【批評&コメント7】
*出版社を起こすことは大変勇気のいることです
 し、それよりも情熱がないとできません。ご苦労
 が多かった27年だったと推察いたしましたが、
 同時代を刻んだ数々の出版物は藤森さんの精
 神そのものであります。改めて「私記」を読み直
 しますと、一瞬の内に過ぎた青春、未来に染ま
 った季節、、、、涙が出そうで胸が締めつけられ
 ました。しかし、それらが書物の形になったおか
 げで、私たちはいつでも美しいあの日々に入っ
 て行けるのです。ながいあいだお付き合いして
 いただき心より感謝しているところです。
 (スウェーデンのノーベル賞授賞式会場でしか
 入手できない貴重なチョコレートを頂く。)
            前日販、現ライター K・A

*めくるめく洋泉社の歴史、楽しく拝見しました。
 光栄にもデイリースポーツの名前を貴重な記録
 の中に留めていただいたことに、感謝申し上げ
 ます。
 お会いしたころのことを懐かしく思い出しました。
 著者略歴を見て、藤森さんが同県出身だったこ
 ともあらためて思い出した次第です。
 私事で恐縮ですが、昨年より県知事の委嘱を受
 け「晴の国おかやま大使」を務めております。ふ
 るさとへのせめてもの恩返しと思い、PRに精を
 出しております。
 阪神タイガース、盛り上がりませんねえ。関西の
 スポーツ紙にとっては、死活問題なのですが、、。
 新しいフィールドでご活躍、かげながらエールを
 送らせていただきます。
 もし、またお目にかかれる機会があれば、と楽し
 みにしております。
             神戸新聞社取締役 N・N

2012年2月8日水曜日

2・8

ひょこりひょうたん島のモデル:蓬莱島(8月)
巨大津波で流されてしまった蓬莱島は燈台は島のシンボルとして町民に親しまれてきた、
が土台の機械室だけを残して流されてしまった。島と対岸をつなぐ約350メートル防波堤
も流され、現在は船でしか渡れない。赤色を基調とするのが条件で新しいデザインも決ま
り、今年中には新燈台の雄姿が見られるはず。
僕は、まだだれも考えていない提案を密かに薦めている。『ひょっこりひょうたん島』(蓬莱
島)と「モルツマーメイド島」(エクアドルのガラバゴス島)を姉妹島にすることで、こどもたち
に夢をあたえたいと。
友人カリスマプロデューサDotaが巨大プロジェクトで数々の成功を収めてきた「堀江謙一
ヨット単独航海」の航跡と、その仕掛けの裏側をあますことなく開示するノンフィクション企
画を、いま準備している。
火山岩でできたモルツマーメイド島は、周囲70メートル程で潮が引くと二つの島になるが
、、大槌湾に浮かぶ蓬莱島とよく似ているということだ。地球の裏側に同じようなスケール
のひょうたん島があることは奇縁だ。
今日、豆香房でDotasaさんと会ったが、コーヒーを飲みながら世界地図を指さしおしゃべ
りする迫力に聞き入った。
エクアドル政府との「モルツマーメイド島」命名にいたる交渉のやり取りも面白かった。

2012年2月6日月曜日

2・6

江岸寺本堂/内に横転した自動車
よ~く目を凝らせて視ていただきたい。
焼け落ちた江岸寺本堂に巨大津波に押し流され漂着した自家用車の残骸が。(6・6撮影)
8月に再再度訪れたときには取り壊されてさら地になっていた。あまりにも無残な光景を早
く消し去りたかったのだろうか。
8月6日に 多くの檀家の焼きただれ崩れ落ちた墓石の掃除に、東大院生、東海大生の
ボランティア150名余の人と取り組んだ。このとき一緒させてもらった方は、東経大F教授、
就職が決まったばかりのT君、繊研新聞記者Kさん、中国人の東経大院生、学生に、僕と
東京から車で一緒に来たM・T氏だった。
偶然にも ボランティアの瓦礫掻き出しの指定場所が、義娘S家のの菩提寺だったのだが
奇縁を感じた。

【批評&コメント4】
*洋泉社の社名の命名に始まり、社会世相・出版
 界情況を織りまぜながら御社の変遷が手に取る
 ようにこと細かく記述されており、藤森さんのご活
 躍がにじみ出ておりました。同時期に業界で活躍
 された方々には、この上なく参考になる書と思い
 ます。                      O・K

*在職中に種々お世話になった方々の名が、まさに
 陸続きとして現れ、懐旧の情さえ催します。同時に
 貴兄の八面六臂のご活躍が歴然としております。
 本年は同級生のK・H兄ととりわけ連絡が繁くなり、
 辺見庸氏の本と二、三冊読まされたのですが、その
 彼が御著に名を出現しているのに、些か奇縁を感じ
 ました。愚生は在学中わずか一年程ブントに居ただ
 けですが、分派後の一方に居た彼とは特別な交際
 はなかったのですが、最近しばしば話し合います。
 古希を超えて老人たちのこぼし合いです。
 島津書房の村瀬兄は伊那にも訪ねてくれておる分い
 載いています。くれぐれもご自愛を。      A・S

2・5 二年目の味噌作り

囲炉裏
二年目になる、北杜市の山麓にある土方邸の味噌作りに参加する。(土方さんはこの別
邸へ移り住む前は、紀伊國屋書店の西日本統括支配人をされるなど、全国の紀伊國屋
書店を見てきた)。
中央高速の須玉で降り 日照時間が日本一多いといわれる明野に隣接する白樺林の中
にたたずむ土方さんの家に着く。すでに 味噌作りが始まっていた。
青豆6キロ(水につけた後の重さが元の重さの約3倍にる)を2時間余かけ炊き込まれた、
いい匂いが小屋にたち込めている。豆は家の前の畑で秋に収穫された良品。
煮あがった豆を電動まめ専用ミキサーで破砕しござに敷き詰める これに米糀6キロと
塩を混ぜ合わせて 人肌に熱が発散されたところで ソフトボール状に固め 甕に投げ込
み空気を抜くように押さえ込み密封して完了。
午後から、土方夫妻、渡辺K、小澤K、新藤夫妻と連れ立って、甲斐駒ヶ嶽の麓に湯煙る
白州・尾白の露天(赤湯)に浸かる。
夜の席で<大槌の風>をアピール。


【読書の周辺】
『福島原発事故をめぐって』山本義隆著
原子力エネルギー(核力)を、著者の専門とする科学史
から拒否を言う。小冊子ながら鋭く説得力があった。



2012年2月4日土曜日

2・3 落雁を送る

壊滅した浪板海岸駅前の和菓子屋さん
昨夜帰宅すると太巻すしが作られていた。今年の今日は恵方巻(太巻)を 北北西へ進路を
とれ ではないが、この方角へ向かって丸かじるすると幸運を呼び込めると言う。被災して
呆然と暮らす義母が一日でも早く 元に戻れないまでも平穏を取り戻せることを願った。
夏、ボランティアで言ったとき陸中山田線の浪板海岸駅前に仮設店舗をいち早く再建したお
菓子屋さんがあり目を引いた。
気品のある女将に緑茶をたててもらい、なにげなく出された創作落雁がそれはそれは美味し
く 疲労を癒してくれた。
そして 今日、神田すずらん通りにある老舗文銭堂の銭型最中と落雁を93歳の御祖母ちゃ
んへ贈った。

【批評&コメント】
*長い間、ご苦労さま。俺のほとんど知らない、
 豊かな人脈のなかに、故人となった何人かの
 名前を見出しハッとします。また暖かくなったら
 会いましょう。
 「大槌の風」のことも聞きたいです。出口君の
 こともあります。では、御礼まで。
                         K・H

*一気に拝読しました。一見、素っ気ないような
 「作業日誌」的体裁でありながら、読み進むに
 つれ、あえて出版理念や論評などの主情を抑
 えた著者の意図が成功していること、そしてこ
 れで十分に洋泉社の27年史として成立してい
 ることが理解できました。
 と同時に、これは藤森さんの奮闘史でもあり、
 出版へのレクエムであることも伝わってまいり
 ました。
 一方、ご著書の中には、私も存じあげる方々の
 名も散見されてなつかしく、私個人にとっても、
 ”いい時代”のレクエムたり得ました。
                    ライター・M・K

2012年2月3日金曜日

2・2 丹後半島・味土野も豪雪

囲炉裏ではありません_
丹後半島の味土野(ガラシャ隠遁の場所)に住む木工・漆器職人の古い友人であ
るオオマス・M君に電話した。2メートルの積雪のなかの囲炉裏で暖を取りながら
ちびりちびりやっている様子が伝わってきた。京都の奥座敷、丹後地方は北陸地
方にひけをとらず雪深いところであることを知っているので、閉じ込められているの
ではなかろうかと心配になった。雪が降り続くなか日中は住居家屋と作業場屋根
の雪下ろしでヘトヘトで疲労困ぱいだとか。
彼は山奥の廃屋を借り受けて20数年前に住み着いたわけで、数年前まで数所帯
あった家もなくなり、今ではただ一人でどくろを廻す職人になっている。昨年12月
には、銀座で三年ぶりの個展を催して評判だった。
出身が宮城県古川で、今回の三陸海岸を襲った巨大津波被害に心を痛めており、
僕の大槌入りに対して関心を寄せてくれている。
漆掻きで東北へ出かけてきたときに一緒に三陸沿岸を訪ねよう。

【コメント&批評】
*記念会に臨席たまわり、まことにありがとうございま
 す。『洋泉社私記』感動いたしました。
 洋泉社27年の軌跡とともに、不肖小生の生の一コ
 マが浮かび上がって来て、胸に迫る思いでした。こう
 いうメモ風の「私記」をふくらませて、一種の自伝を書
 かれたなら、とても貴重な出版界の記録になるのでは
 ないか、などを考えました。
                       詩人 S・K

*私記にして社史というのは、やはり創業者の書かれ
 たものだからでしょう。リアリティ説得力があります。
 私どものように児童書だけを出版していると、販売方
 法やしかけも限られてきてしまいますが、洋泉社さん
 の幅広い出版ラインは様々な販売上の工夫をされて
 いることがよく判ります。面白く、参考になりました。
 多くの方々の逝去も時間の過ぎゆく様を感じさせてく
 れます。それにしても出版界が縮小しはじめた1997年
 の次の年から、新刊と増刷の数が逆転してしまうのが
 やはりそうなのか、という感慨にとらわれたことでした。
                            I・M

2012年2月2日木曜日

本を送りたい という仲間が、、、、

風の電話近影
学生時代からの尊敬する(先輩)Y・i女史から 新年の挨拶状で〔森の本館〕へ
文学全集を寄贈したい との申し出に返事が今日になってしまった。
各方面からの届く本を、大槌の佐々木さんも喜んでくれるでしょう。
彼女は、冊子「激震・大津波・炎の記録─東京、気仙沼、石巻REPOET」を遺して
いる。
3・11地震帰宅難民の記から始まって、被災から40日目には、現地に立ち目で
見るジャーナリスト魂でボランティアに入った心境、そして、多くの土地の人々の
呟きから、ちょっとした会話のなかに悲哀と活力の兆しを感動的に聞き書きして
いる。自分のデジカメで撮った写真が挿入されているが、胸に焼き付けられる。

【『私記』へのコメント&批評3】
ご著書ご恵贈いただき、ありがとうございました。
知ったお名前がいくつも、しかも別のきっかけで
おめにかかった方であったりして、何度も驚きな
がら拝読しました。作家とのおつきあいから、ほ
んとうに細かい出荷条件まで、出版社・出版人の
著作は多々あれど、これほど脚色のない、リアル
な記録を、私は未だかつて目にしたことがありま
せん。
洋泉社の社名が埴谷雄高先生のご発案であっ
たことも恥ずかしながら存じあげませんでした。
出版の仕事を初めになった1962年は私の生ま
れた年で(実は1964年ですが)、洋泉社設立も
私のトーハン入社がほぼ同時期です。そのような
わけで、書かれた内容が自分の記憶とシンクロし
て不思議なご縁を感じます。
考えてみれば、、藤森さんのおつきあいの広さ、
豊かさを驚くにはあたらないのですが、それにして
も、ああ、ここまでしていらっしゃたのか、と感服申
し上げた次第です。私ごときにまで数行を費やして
下さって恐縮いたします。(金田万寿人の万が、時
時抜けています、、)(他の人からも指摘されました,
カナダさん御免なさい)。
和田タイガースはどうでしょうか。和田は好きですが
なんとなく中村勝広時代を憶い出し、う~ん、という
気もしております。              かしこ
              (現・出版流通評 K・S)

2012年2月1日水曜日

1/31 読み聞かせで被災地を巡回する志茂田景樹




志茂田景樹氏には、洋泉社で『限りなき階段』(葛城四郎著)を刊行した
1993年にその出版記念会で会ったことがあるが、その後彼は「よい子
に読み聞かせ隊」を結成し、これまで1500回以上も全国で読み聞かせ
を行ってきている。この度も岩手陸中沿岸部の被災地に入り、精力的に
子どもたちに接している。独特の派手やかなファッションでちょっと違和感
があったが 子どもたちの人気者になっている。被災現地をワゴン車から
降り立って歩き、廃墟のなか瓦礫に囲まれていると 胸をグイグイしめつ
けられているような心地で言葉もない と。
彼が小説家とは別に一大決心をして、15年前この読み聞かせキャラバン
隊をおもいつき、打って出たとき、少し羨ましい気持ちになったものである。
今進めている<森の本>も、読み聞かせも組み込んでいるわけで、勉強さ
せられるところがある。
【『私記』に寄せられたコメント&批評2】主文のみ(抄あり)
*よく、日々の動きを書き留められていたのに感動し
 ます。折々の情景が思い出されて、私の仕事を振り
返らされて、しみじみと読ませていただきます。
K・K

*御著書の完成 おめでとうございます。まさに 藤森
さんしかできないお仕事だと思います。 私は勝手に
 ;洋泉社精神のリレー;をするつもりで言視舎をやって
参ります。                      S・N