2016年1月31日日曜日

武田泰淳の「汝の母を!」を読む 1271

書影(1971・9刊/筑摩書房)
本棚の奥から30余年ぶりに、「武田泰淳全集 第5巻」を取り、貼箱から引き
出して、しばし布クロスの手触りを懐かしむ。

第5巻には、「流人島にて」、「異形の者」、「ひかりごけ」等が収められている
が、「汝の母を!」から読み始める。
初読のときは、「ひかりごけ」の人を食べた船長の心性に強い関心があたが、
「汝の母を!」の悲惨な加害者の行為と被害者の哲学的問答の深みを読み
過ごしていた。

時間の経過なのか、歴史の学習からなのか、そこで語られている事実の深刻
さをこの歳で気づかされた。
武田泰淳は広大な経験を細部にこだわって、ことの核心を「小説」にしている
ことを、あらためて実感した。
そして、最近読んだ中島敦にも通じるところがあると思った。

(←ブログ:2015・9・15  「中島敦『山月記』」1133)
(←ブログ:2015・12・13 「『1*9*3*7』の衝撃」1222)

2016年1月30日土曜日

祝!「とらのしっぽ」の改発さん  1270


2007年11月に、改発博明著『「とらのしっぽ」が明かす 岡田の法則』を出版し
ました。
この度、デイリースポーツの代表取締役社長に改発さんが内定した。
そして現、沼田伸彦社長はサンテレビジョンに。

お二人にはいろいろお世話になりサポートしてもらいました。
沼田さんは、仕事の側ら「晴れの国・岡山」の親善大使のようなボランティア的
な活動をされていて、僕が同郷といううことで親密さも増幅する。
また、江夏豊さんの本を作る際には、写真を借りるのに神戸新聞社まで出かけ
てお願いし快く応じてもらったこともあります。

ぼくはかつて、東京から帰郷するとき姫路から姫新線で津山に帰ることもあった
が、改発さんの出身高校もその途中駅竜野で、話も弾みやはり親近感がある。
『岡田の法則』は、阪神タイガースの取材で上京するごとに宿泊ホテルで打ち合
わせをし、原稿はメールのやりとりですませました。
その時の直接の編集担当は、カミヤマで現在もスポーツ関係の企画を得意とし
ているようだ。

さらに忘れられないのが、5年前の「4・7囲む会」に出席して会を盛り上げてい
ただいたことです。当時、「デイリーにカイハツ記者あり」で、タイガースファンは
よく知られており、改発さんを中心に輪が出きるほどでした。
確かぼくより未だ大分若いはずで、ますますの活躍を祈念します。
(2012・4・7 影:Can)


2016年1月29日金曜日

「駆込み女と駆出し男」を観る   1269


監督・原田眞人の「駆込み女と駆出し男」を観る。
時代劇、おんなの駆込み寺の話。

記者(戯作者)の大泉洋、駆け込む女たち戸田恵梨香らの女優と、請負人の樹木
希林の役どころがきわだっている。
時代考証もしっかりしており、殺陣の迫力が凄く、映像にスピード感があって最後
まで飽きさせなかった。

昨年観た映画は、印象度の強いものつついて一口コメント(*)を書いてきた。
そのベストは、、。
*「アメリカン・スナイパー」
*「野火」(塚本晋也監督)&市川崑監督作品「野火」(1959年)
  大岡昇平著『レイテ戦記』をあわせて読みました。
*「さよなら歌舞伎町」
  「あん」(樹木希林と市原悦子がバツグン)
*「地の群れ」(1970年/熊井啓監督)

(←ブログ:2015・7・19 「安保法制破棄/映画を!観よう」1074)
(←     2015・7・27 「アメリカン・スナイパー」1082)
(←     2015・7・31 「地の群れ/井上光晴について」1085)
(←     2015・11・29 「「ブルーベルベット」を観る」1208)

2016年1月28日木曜日

「風船の旅」控え7          1268

これまでの北海道・東北旅から一転して、北陸新幹線開業を機に長野から
新幹線ルートの沿ってのクルマ旅になります。


61.「長野善光寺 記憶の断層(53)」947           2015・3・16

62.「飯山駅近辺から 記憶の断層(54)」948          2015・3・17

63.「知名度の高い妙高山! 記憶の断層(55)」951       2015・3・20

64.「糸魚川 記憶の断層(56)」955              2015・3・25

65.「黒部宇奈月温泉駅 記憶の断層(57)」967         2015・4・3

66.「白エビを目指して富山湾へ 記憶の断層(58)」969     2015・4・5

67.「高岡駅と新高岡駅 記憶の断層(59)」978         2015・4・14

68.「金沢と能登半島① 記憶の断層(60)」980         2015・4・16

69.「能登半島② 記憶の断層(61)」985            2015・4・21

70.「能登半島③ 記憶の断層(62)」988            2015・4・24

71.「禄剛崎から能登島④ 記憶の断層(63)            2015・5・19

(←ブログ2013・11・21 「ドライヴ旅が好きな理由を一言」)
(←    2015・10・21 「風船のたび~」1170)
(←    2015・10・24 「「風船の旅」控え~その2」1172)
(←    2015・11・3  「「風船の旅」控え~その3」1182) 
(←    2015・11・17 「「風船の旅」控え~その4」1196)
(←    2015・12・5  「「風船の旅」控え5」1214)
(←    2015・12・18 「「風船の旅」控え6」1227)


2016年1月27日水曜日

月一になった例会に          1267

(2016・1・27 影:Tab)
腎臓機能の低下で入院した身内の世話で、暮れから新年大変だった完さん、
賀状もなく最長老の軍さんらが元気な顔を見せてくれた。

軍さんは極端に体重減に見舞われて、衣服がことごとく通用しなくなったこと
を嘆いていたが、結果的に下止まりで落ち着き年相応の感覚になってきたと、
顔の血色もよく滑舌がよくなっていた。

完さんの新しい仕掛けの話を聞く。

紀伊國屋書店は現在27店舗展開しているが、いろいろ経営の効率化が進ん
でいる現況のレポート。なかでも、西根さんが取締役になっていることを聞くと、
すっかり世代替わりしていることがわかる。
彼は草創期洋泉社の神楽坂時代に社に来てくれたことがある。

(←ブログ:2015・10・1 「駿河台下の茶話会」1149)
(←    :2015・10・28 「正午から「水曜会」は月末に」1176)

2016年1月26日火曜日

吊るし柿のできばえ        1266

yu吊るし柿(2016・1・26 影:Tab)

吊るし柿づくりの再挑戦は、12月なかばに渋柿を甘柿と間違えて買ったこと
から始まった。

今まで何度かベランダに吊るしてみたが、熟しっぱなしか、鳥に啄まれるか、
吊るし始めの時期が適切でなく昼夜の温度差がなかったのか、それなりに手
を打ったが、満足なものにならなかった。
これまでと違ったことは、柿の粒が大きくいかにも皮むきに適した楕円形だっ
た。それと、吊るした柿に「焼酎」を吹きかけたことが、外の寒中での渋抜きに
良かったのだろう。
白い粉も吹き上出来です。

(←ブログ:2015・12・20 「yu吊るし柿に挑戦」1129)

2016年1月25日月曜日

湯布院の不二さんから便り    1265

不二さん友人の絵
「湯布院は九州の中でも寒い所です。」にはじまる、不二さんから丁寧にしたた
められた懐かしい便りが届いた。
文面で、『新宿でん八物語』について書き添えてありました。

いっしょした時のあたたかい空気がよみがえります。思い出しますと、「でん八」
って本当にありがたい場所だったと思います。うれしい時も落ち込んでいる時も
話を聞いてもらえる場所でした。
「ヒトはだれでも本来機会があれば誰かに話してみたいコトを多かれ少なかれ
潜在的に持ち合わせているのではないだろうか。」と編集子をひきながらでん八
をめぐる人、場所は話せる人の集まる空間だったと、なつかしい思いでいっぱ
いです、と感想が語られていた。

そして、被災地大槌への思いを共有する文章も加えられていました。
親の介護問題などに処するため九州に帰って、今はデイサービスのサポートを
するかたわら、子どもたちに読み聞かせや紙芝居など仲間と活動されているよ
うで、人柄がしのばれます。

(←ブログ:2014・12・6 「大益牧雄 轆轤木工展へ」847)

2016年1月24日日曜日

ゆとりの場所             1264

(2016・1・24 影:Tab)

早朝が、雪でなければ本屋さんに行ってコーヒしょうと決めていた。
幸いに、峠越えの頂上付近から俯瞰できる雪をかぶった山脈の向こうには、富士
山がくっきり見える大寒日和でした。

目的地は、畑や果樹園が残り、周辺の山が幾重にも見えるなかにポツリとある大
きなモールなのだが、気に入っている書店、長居してもイヤな顔されることのない
ゆとりのカフェ、文房具から写真屋までまにあう空間になっている。

オルハン・パムク著の『雪(上)』を購読。

写真はそのモールの一角にある魚屋で、今日は鹿児島直送の旬の地場鮮魚が
見事に並べられていた。
ぼくは、地方に出かければ必ず魚市場に寄るが、町の魚屋さんでも漁港に水揚
げされたばかりの風景を想わせる場面に出合うと感動する。
これ、ちょっと高価だけどね。アオリイカの刺身食べたい!



2016年1月23日土曜日

権八さんと新年会          1263

玉河(2016・1・22 影:Tab)
権八さんと例年より遅い顔合わせになった。

「朝日新聞」の書評や出版業界関係のスクラップの一部を持参してくれる。
いまや現場から離れているにもかかわらず、二大取次のバランスとか、「栗田
問題」と大阪屋の関係はどう推移するのか、とかとか、どうしても生臭い話題
になるな~。

また、投資信託と株式投資のリスクの違いとか、年間収支の話をしてくれるも、
実際に関わったことのないこの手の話には、乗りきれない。
しかし、この種の資産運用なのか、分散なのか、、、話題にする傾向が我われ
年代の集まりでは増えた。

ほかに、寒味噌造りツアーの打合せ、確認と、「湯けむり会」の新年会を大洗
海岸一泊の提案あり。

百人一首大会へ           1262

久々に活動的に動き回った。
まず、午前中早めに御茶ノ水の出版健保で一件手続きを済ませ、つづけて猿楽町
の坂を下って三省堂書店に寄る。大月書店の本を探すも見当たらず早々と退散。

次の目的地は明大前商店街。
昨年秋に、ハルの小学校が創立80周年記念のいろいろな催しの一環として展覧
会があり、その中でもなかなかのポスターをみかけていた。
それがこの度、二次使用され商店街の通りに飾られて、人並みをやわらげ評判が
イイ。
百人一首大会(影:2016・1・22)
小学3、4年生の「百人一首大会」を見学する。

(←ブログ:2015・11・21 「秋の作品展覧会に」1200)

2016年1月21日木曜日

「魔女の秘密展」の案内       1261

チラシ
西村祐子監修の「魔女の秘密展」(2・19~3・13:ラフォーレミュージアム
原宿)の案内が送られてきた。
(→西村佑子著『グリム童話の魔女たち』1999年/洋泉社・刊あり)

丁度、映画「ジャンヌ・ダルク」(リュック・ベッソン監督作品)を観たばかりで、
そのシーンのジャンヌ・ダルクの生まれから「火あぶりの刑」までをえがいた
キリスト教「魔女裁判」で「魔女伝説」の何たるかを知ったところに、「魔女」
攻めの案内でした。グッドタイミングというべきか、、。

(←ブログ:2013・2・10 「自由参加の会ゆえに、集まりが心配、、」)

2016年1月20日水曜日

マングローブ            1260

ケアンズ/マングローブ(影:Pen)
グレート・バリア・リーフのダイビング見たサンゴ礁と魚に続いて、外海に出る
手前の砂州のラグーンで見た「マングローブ」の生態について記録しておこう。

マングローブは、潮の満ち引きで根っこがタコ足のように水上に出たり隠れて
しまう。このむき出しの張った根の砂土に生息するのが魚や蟹やロブスター。
栄養豊富で住みやすい隠れ家になる。大きく巨体化する魚は成長と共に外海
に出たり、サンゴ礁に移動する。
マングローブは実の入った鞘を実らせ海面に落下し浮遊する。それが移動し
はじけ定着して命の森を形成するまでになる。

引き潮のとき、、魚たちは砂土の中や根っこに隠れる。引き潮は勢いがあって
居住権を守ろうと逆流に抗するのは大変で、離れるか頑張るか、弱肉強食の
生存競争のドラマがある。
一日に4回潮の満ち引きがあり、上手く対応しなければならない。

マングローブは豊かな生態系を作り上げている。
一見湖沼化した地形に見えるが外海とつながり塩水である。

(←ブログ:2016・1・13 「グレート・バリア・リーフを見て」1253)


2016年1月19日火曜日

2015*写真で刻む⑤      1259

*11月
「教師の家」、すなわちサイパンの親父が寄宿していた処を発見したときは目を
見張らさせられ、家を周遊したような気分になりました。


















*12月
辺見庸の『1*9*3*7』と『もう戦争が始まっている』
を読む。
戦後レジュームから脱却して、さらに強いアメリカと
の軍事的共栄に踏み出した危機の局面に対する
臭覚の鋭さを感じる。







*毎月、3・11被災地大槌町の復興の景観を城山から定点観測の写真で見てきた
が、旧市街に嵩上げされる大地の様子がわかりますか、、、。  

2016年1月18日月曜日

深夜から雪が深々と降り積もる 1258

積雪15㌢(影:Tab 2016・1・18/7h)
深夜0時過ぎ玄関の扉を開けると、三和土が一面白くなっていた。

外は静寂さに包まれ、年の初めの降り積もる雪にすーと心まで浄化されるよう。
雪の白が時間を止めるのか、田舎の杉垣根と南天にこんもり積もった朝の目覚
めに見た何気ない風景に神聖さを感じたと同じ感動がある。

年に一、二度は10㌢以上の積雪を記録する日があるが、一昨年2月4日は雪
の舞う勢いがますなかを、オオイK君が伊豆高原の自家菜園で手塩にかけて
作った野菜と柑橘類10種類以上をクルマに積み込んで持参してくれたことが
あった。
ところが、コーヒー一杯だけで、みるみる積もる雪にクルマの対応が心配になり、
いそいそと帰っていった日のことを想いだした。
そのお土産の中に水仙があって、玄関口の降り積もる雪に差し込んでイイ香り
を浴びた。

(←ブログ:2015・1・30 「積雪5センチ!」902)

2016年1月17日日曜日

中島敦『南洋通信』から    1257

書影
中島敦は、昭和16年(2041)6月に南洋庁国語教科書編集書記としてパラオ
島へ単身赴任している。
ぼくの父も、昭和17年に南洋庁小学校教員としてサイパン島に単身赴任して
います。

中島敦が南洋庁行の主たる目的は、自分の喘息を南洋の自然環境のなかで
癒すことであったが、あまり効果があらわれない様子をたびたび綴っている。
ただ南洋の明るい風光が精神の高揚をもたらっしたことは確かで、二人の子
どもや奥さん宛の手紙や絵葉書でわかる。

さて、昭和16年はどんな世情だったのか。
この年6月23日に、船で暑い所に行って来ます、と手紙に記し「サイパン丸」
で横浜港から発ち、途中7月2日にサイパン・ガラパン町に「一寸上陸」してい
る。(当時の日本からサイパン島への船の渡航は、10日を要したことになる。)
住まいの話、食べ物のこと、雨季の気候の話、南十字星が見える星空、現地の
子供たち(「土人の児」といっているが、、)について、椰子だの、パパイヤだの、
パンの実だの、バナナだのが一杯なっている様子、部屋のすぐ外に茂る熱帯
樹花と、その向こうに海が広がる景観を、本郷の自宅を想いながら、中島たか
宛に書き送っている。
国際情勢の逼迫と、群島の食糧問題のどうにもならぬ状況を憂いながら、一下
級官吏には如何ともし難いことと、あきらめの境地になっている。
(→続く次回、近日中に。)

(←ブログ:2015・9・15 「中島敦『山月記』」1133)

2016年1月16日土曜日

2015*写真で刻む④    1256

1960年6月国会構内


*9月
安保法案反対でデモが国会周辺をうめつくす。
今年の賀状では多くの友人が、「若者の邪魔にならないように、、」とか、「片道1000円以上の交通費を使って」反対デモに行ったことを添え書きしていました。









*10月



長田直樹君追悼「お別れの会」が、新宿の「スンガリ」で
ありました。


2016年1月15日金曜日

雪道走行注意!        1255


PCを開くと、スキーツアーバス転落のニュースが飛び込んできた。
それも、バスの運行会社が羽村とあって、驚きました。

20代半ばからスキーを本格的にはじめ、早朝に家をクルマで出発して陽が昇る
ころにはゲレンデに立つという強行日程をいとわず、積雪やバーンの雪道を蹴っ
ていた時期がある。
この歳で今でも雪道を走りはするが、毎年恒例になっている、「ハル・スキー」は
ぼくに運転をさせることはなく、Gyoが率先して行き帰りハンドルを握ってくれる。

やはり、Gyoが幼少の頃、暮れから年越し正月を「国設乗鞍スキー場」で過ごす
ことがあったが、松本島島から乗鞍に向かう途中のダム湖にスキーツアーバスが
ガードレールを突き破って落下する大惨事があった。当時の、強烈なショックが
よみがえる。
スキーツアー客定員を乗せ、深夜に長距離を走行して早朝にはゲレンデに必着
が義務付けられているのであろうから、万全の管理もまた絶対必須の義務である
はずだが、、。




2016年1月14日木曜日

味噌造り挑戦6年になるが  1254


甲斐駒ヶ岳を眺められる北杜市山麓の「ヒジカタ山房」の寒味噌造りに参加
するようになって6度目となる。

今年は3月に入ってから実施されるが、その事前調整役の気づかいについて
のことです。
これまで、大豆の収穫にはじまって豆の選別から水浸し、煮込みまでヒジカタ
夫妻のお世話になっている。
ここまでは今年も一緒なのだが、十余人の参加メンバーへの連絡、それぞれ
の仕込む大豆の量とか食事や宿の段取りをする世話役を、グループでたてる
ことになった。その一端を担ってみて、苦にしない人もいるのでしょうが、大変
だなと思っている。(異業種、リタイア組、男女混在)

ヒジカタさんの大豆作りから自家製こうじ造りに負う部分が圧倒的なのだが、
とにかく、この山房で造ったオリジナル味噌は、年中わが家の床下で秘蔵に
なっている。
地味噌のあった昔の田舎の夕餉を想いだす。

2016年1月13日水曜日

グレート・バリア・リーフを見て1253

グレート・バリア・リーフ1万メートル上空から(影:pen)
数年前に実際にダイビングで見た、グレート・バリア・リーフのサンゴ礁の秘密
に迫るリアルな映像を観た。

オーストラリア北東部沿岸に広がる世界最大級のサンゴ礁・グレート・バリア・
リーフ。
2000キロをこえる日本列島がすっぽり入る長さと、3000もの暗礁群と、何百
もの大小の島からなる。
自然界のさまざまな不思議をダイビングでより多く知り驚嘆した。
快速艇で海嘯をぬけてノーマンベイ島に渡ったが、途中でラグーンの様子を目
の前に見ることができた。

LOGメモから。
ケアンズ湾沖の「モアリーフ」で、パデ・ノリと潜る。
午前中は、サンゴの壁を周遊する。船艇後尾からダイブしたが、その際に水中
眼鏡(マスク)がはずれ慌てる。水中カメラ持参。
クロショウダイ、アカマダラハタ、バリアリーフアネモネ、バラクーダ、サザナミヤ
ツ、ツバメタナバタウオ、メロイヤルドッティー、ヨコシマクロダイ、バラフエダイ、
ホワイトチップシャークと、頭上に巨大なナポレオンを見る。
午後は、初体験の船底よりダイビング。
ナポレオンが多数回遊しており、尾ひれに触るもゆうゆうと顔を合わせる。
深度20㍍でイースタークラウンアネモネを見る。
翌日、「フランク島」で、パデ・ヒロユキと潜る。
オオシャコガイ、ロブスター、カクレクマノミなどが見えた。

(←ブログ:2014・4・7 「ノーマンベイ島へ」603)

2016年1月12日火曜日

初雪と本屋さんへ       1252

書影
きょう早朝に初雪が舞った。
昨年は、12月6日に日の出の未来屋書店の駐車場で一瞬竜巻のように舞う初雪
を見たので1ヵ月以上遅い。平年よりも9日遅れということで、気象庁の暖冬予想
通りか。例年のスキーの初滑りは月末に予定しているので好都合だが、スキー場
の管理者は対策で大変だろうなと思う。

文具購入と書籍閲覧に本屋さんに行った。
今年は気にしていなかったが、年末年始の書店店頭動向がわかった。
2015年年末から2016年年始6日間の書店店頭販売(ト1621店/ニ1697店調)
の前年同期比。昨対比連続マイナスが続いていたが、文芸書の書籍に牽引され
て、若干のプラスになったことは喜ばしい。

トーハン→書籍:3.8% 雑誌:△3.5% コミック:△5.8% MM:11.4% 計:0.5%
日  販→書籍:3.1% 雑誌:△2.4% コミック:△3.6% 開発:9.3% 計:0.4% 
 

2016年1月11日月曜日

冬の水仙             1251


庭に、冬の水仙が咲く。

冬に咲く花は少ないが、玄関口に白い山茶花も満開で清清しい。
学名のナルキッススはギリシャ神話に登場する美少年から呼ばれると、、。
また雪中化の別名でも親しまれ、生け花などに好んで使われます。

寒風のなかで咲く水仙は忍耐強さを感じさせてくれ格別です。それを求めて自生
地伊豆半島爪木崎と、越前海岸にクルマを走らせたことがあります。
北限の群生地とされる越前海岸は、日本海から吹きすさぶ崖地にたくましく清楚
に咲く花には感動しました。
「日本水仙」と呼ばれるが、地中海沿岸が原産地でヒガンバナ科。
海を渡って日本の沿岸に自生した時の流れにロマンがあります。



2016年1月10日日曜日

5度目の新年を迎えたが、、 1250

城山から(2015・12・17 影:広報大槌
東日本大震災から5度目の新年を迎えた大槌町の若者は、元気で笑顔がはじけ
ていた。

大槌の冬の風物詩「おおつち鮭まつり」は、大槌町の河川敷で開かれる。
3・11震災で津波は大槌川を逆巻き龍のごとく数キロ上流まで押し寄せ人と家屋
をのみこんだ。

だが復興の象徴として、いち早く老若男女が大槌川の鮭のつかみ取りに挑戦で
きるイヴェントとして復活しました。
子どもたちが胴長長靴を履いて、自分の背丈ほどの「鼻曲がり鮭」をつかみ取り
両手で抱える姿から、復興へのエネルギーを感じる。
同時に、この海の恵みが伝統の水産業再興につながり大槌町のにぎわいを取り
戻すメーンになることを感じさせてくれる。

御祖母ちゃんの家も大槌川河口近くで、震災前訪ねたとき川土手を案内され、鮭
の遡上する雄姿を聞いている。そして正月にかけて何匹も吊るし鮭にする手作業
の話もでた。

(←ブログ :2012・1・1 「忘れられない2011/3・11を乗り越えて」6)
(←     :2013・1・10 「復興まちづくりは住民の入魂で」)
(←     :2014・1・14 「「森の図書館」、鼻曲がり鮭」)
(←     :2014・8・12 「大槌町と大槌湾 7月の定点写真」730)
(←     :2015・2・14 「も少し、津波と神社のトリビア!」 917)
(←     : 2015・3・9  「虎舞/星野仙一記念館前ステージで舞う!」 940)
(←     : 2015・4・13 「震災から4年 定点観測」977)
(←     :2015・5・15  「復興予算 一部被災地自治体の負担に」1009)
(←     :2015・6・12  「中心市街地再生計画動き出す!」1037)
(←     :2015・7・12  「大槌湾からアメリカ西海岸へ漂着!」1067)
(←     :2015・8・15  「5年目を迎えるお盆」1101)
(←      :2015・9・13  「大槌町の<再興>は」1131)
(←      :2015・10・12 「<大槌まつり>復興への希望をのせて!」1161)
(←      :2015・11・12 「4年8ヵ月~嵩上げの大地を見て」1191)
(←      :2015・12・16 「六串商店の復興への歩み」1224)

2016年1月9日土曜日

2016年賀状アラカルト     1249


年賀の受け取り方は多様になっている。
人と人をつなぐ利器の発展はめざましく、手紙やはがきのやりとりよりSNS
による傾向が一層強くなっている。
それでもなお、アナログ年賀状のほうが、温もりや近況のさわやかさや年の
初めの決意表明やら、それぞれの独自の文章に刺激されて自分が鼓舞さ
れる気になる。

*「1*9*3*7」松戸の図書館で6人待ちです。 (Wk)
*「大槌の風」毎日楽しみにしております。『五色の虹』(集英社・刊)日本人
  は本気になって満州に夢を見たのでしょうか。サイパンの海中に眠る日
  本軍の沈潜をかなしく見いだしました。 (Yk)
*「大槌の風」ブログ五年になりますか、応援しています。 (On) 
*昨年は自由に動き回るのが難しかったので、今年こそはと願っています。 
                                            (yI)
*見えない。聞こえない。言えない。(言葉が出て来ない) 仕事もやめて何
  もなくなったのを楽しんでおります。 (hs)
  (hsさんからは毎年、二人宛に心情が伝わる年賀をもらう。昨年一度も会
  話ができなかったので、今年こそ会おうと思う。)
*現天皇は82歳誕生日の記者会見で「先の戦争のことを考えることが大切」
  という心情を吐露しました。天皇制にいささかも与するものでえはありませ
  んが、同じ歳の小生として、この思いには共感するものです。、、、 (Ok)
*昨年友人と辺野古・高江に行ってきました。 (Os)
*今年はさらに、金曜日、国会前に若者のじゃまにならないよう足を運ぶつ
  もりです。 (Sy)
*昨年は、懐かしの国会へ何度も出かけました。片道千円以上かけて集ま
  る同世代が沢山いて驚きました。 (Ot)
*金本阪神、3年は待ちましょう。掛布が野球で働いてくれるのは嬉しいです。
                                                                                       (kS&Bk他)



新年会へ             1248



今年新年はじめて都心に出た。
その帰り、昨年からお声がかかっていた「S会」に初闖入した。

というのも、この会のメンバーは異業種の知らない人が大半で、これまでも花見
とか誘われたこともあったがひけたところがある。

ところが話していくうちに、岩手県沿岸北部の譜代村出身で高校まで過ごし、大
学が東京という元通商産業省官僚とは、3・11震災前後の生活の話がリアルに
伝わり、引き込まれるものがあった。
また、佐渡出身の初対面の女性とは地元のお寺を舞台にした木下順二の芝居
公演の様子から、自分が佐渡の海で見られる「コブダイ」とダイビングで楽しんだ
シーンを話すことができた。
この年になっても、極めて関心のあるコトで未知との出会いがあるのがイイ。



2016年1月7日木曜日

七草粥              1247

七草粥(2016・1・7 影:Tab)
おせち料理をきれいに食べ終えたところで、今朝は七草粥。
セリ、ナズナ、ゴギョウ、ハコベラ、ホトケノザ、スズナ、スズシロ
これぞ春の七草。

ゴギョウ、ハコベラ、ホトケノザの代わりに、ミズナ、ミツバ、ホウレンソウに
ユズとお餅が加えた吹き炊きの七草粥を食べました。
正月をのんびり過ごして、七草粥をいただくと一気に正月気分から気ぜわしい現実
に直面してきたが、今年はそんな感覚がない。
昨年までなら、朝から取次を回り新年の挨拶をしながら暮れから新年三が日の書店
動向を聞く習わしになっていたが、、、。

(←ブログ:2014・1・7 「1月7日には七草粥を食べてきた!」)
(←ブログ:2015・1・7 「七草の節句」879)

2016年1月6日水曜日

2015*写真で刻む③     1246

*6月
老舗取次の栗田出版販売が、民事再生手続きに。
2001年に人文・社会科学系専門取次の鈴木書店が廃業、続いて柳原書店、
明文図書が消えてしまった。







*7月
今年は、「70年談話」が出たり、戦後70年の関連記事や特集雑誌、書籍や映
像などが多角的に目立った。

*8月
夏、倉敷に長期滞在しました。
年寄りの冷や水と揶揄されながら8メートルの断崖から決死のダイヴ。
(瀬戸内海六口島)

2016年1月5日火曜日

日の出の書店へ         1245


新年はじめて書店へ。

ハルとyuと三人で出かけたが、ハルたちは「スター・ウォーズ/フォースの
覚醒」吹替版を3Dで観る。ハルは年末に字幕で観ているので二回目。
ぼくは「007」でも観ようかと思ったが気乗りせず、未来屋書店で本を2冊
購入して、スタバで時間つぶしとあいなった。 

その結果はよかった。昨年から気になっていた高村薫の『空海』(新潮社
刊)を手にした。高村薫の小説が好きで、『マークスの山』にはじまって『照
柿』、『地を這う虫』、最近では『冷血』を読んでいる。
ところが本書は小説ではなく、弘法大師、空海がつくりあげた高野山金剛
寺の即身成仏の世界にいたる足跡を、現地を歩き直接肌で感じ取る追っ
かけを写真で見せるドキュメント。
本書を書くきっかけとして、1995年1月に阪神淡路大震災に直接遭遇し
た経験をあげ、書き始めるにあたっては、3・11大震災、福島原発事故被
災地に足を踏み入れている。

わが故郷の菩提寺も真言宗で、祖母は「お大師さん」と親しくよんでいた。
修学旅行でも高野山と東寺に行っているので歩くイメージもある。

(←ブログ:2014・1・5 「書店へ」)





2016年1月4日月曜日

年賀状片片            1244


そうだよな、と唸る年賀状があった。

「昨年全日本ラグビーがW杯で快挙を成し遂げました。存命中は諦めていたこと
なので快哉の声を挙げてしまいました。それを知ることなく去った反骨の編集者・
畏友の無念さを想うとなおのこと悔やまれます。些か異見の溝はあるもののラグ
ビーの話ともなれば忽ちノー・サイドになってしまったものを、、、。」
A了さんは毎年の賀状で、謹賀新春につづけて、500字前後の文章で近況から
心境をしたためてくる。
文中の畏友とは、ぼくの親友でもあった亡き門倉弘のことだが、印刷した文中の
片隅にブルー色万年筆で、「直後、政党集会のステージに、五郎丸を見て、気が
萎えてしまいました。」と、添え書きしてあった。

ぼくも、そのニュースを見たとき一瞬イヤな感じがした。政治的選択肢の判断が
早いか、ずっと前からの主義主張なのか知らないところだが、疑問に思ったのは
間違いない。
了さんもまた、十年近く伊那の山奥で隠遁生活をしてきたが、昨年、事情あって
東京の喧騒のなかに生活の拠点を移した。


2016年1月3日日曜日

年賀状から            1243



この数年、東北地方の旅先から年賀状が届く友人がいる。

今年の賀状には、「今年も地平線から昇る元旦をおがみしたました。年をとり、
体調が変になると、こんな日が有難くなります。昨年は1月に東北旅、その後、
ボンヤリの日々、11月にようやく国立博にヘーマヨーを拝見に出掛けた様で
す。」と、東を円囲いした署名があった。この署名で、姓名、住所が記されてな
くても、I・ハルオからの便りであることはすぐ判る。

彼は大学の1年先輩でしたが、アルバイトを一緒にしたり、東京武蔵野育ちと
いうこともあってyuとも交流があり親密な友人でした。
その後、彼は挫折感などあって、東京を離れ関東から東北へ仕事、住まいを
変えて流浪していたようです。
そんな翩翩のなかで、3・11震災の前の一時期に「魚屋」の工場が大槌町に
あり頻繁に出入りしていたようだ。その時、佐藤善一町長と交流があたという
のだから不思議な縁を感じます。
佐藤さんは、『吉里吉里善兵衛』の著者で、未来社から1960年代初頭にその
本は刊行されているが絶版。
この本を復刻して、被災地大槌町の子どもに届けることを企図したが中座して
いる。

そして今、彼は岩手を心のふるさととし、阿弥陀信仰に凝ったり、旅することを
生きがいとするところがある。
ところが、この2年は抗がん剤の薬害で手足が不自由になりおもいに任せられ
ないようだ。
「お声がけいただければ、出かけたいです。」とあるが、圏央道を使えばあまり
苦にならないところに住んでいるので、一度訪ねて3・11前と後の彼の想いを
じっくりと聞き、激励したいのだが、、、。

(←ブログ:1015・1・5 「年賀状をもらい始めて知った!」877)


2016年1月2日土曜日

箱根駅伝と走り初め       1242


新年二日は早朝から箱根大学駅伝を観るのが何十年も恒例になっている。

ところが、今年は大手町読売新聞社前のスタートから1時間程度と、権田坂
あたりの順位を気に留めて、往路最終の芦ノ湖ゴールのシーンを見届けた
にとどまった。
単に、興味が薄れたと云うだけのことで、歳のせいか臨床感に乏しい感じ。
さらに年々、箱根大学駅伝の伝統校が上位から消えて、デッドヒートが見ら
れなくなったことにも、ひける要因になっている。
往路1位は、昨年の総合優勝、青山学院大大学だった。

Gyoもまた恒例の走り初め。
北海道マラソンで足を痛めしばらく本格的な走り込みはしていなかったよう
だが、家から羽村の堰経由で立川まで往復30キロ走破してきた。

(←ブログ:2014・11・24 「第1回たまリバー/フジモリ25」無事終了!」535)





2016年1月1日金曜日

あけましておめでとうございます1241

(2016・1元旦 影:Tab)
日の出とともに朝起きて、ベランダから富士山を眺望する。
晴天の向こうに、真っ白に雪を彫刻したような姿をみせてくれた。

2016年の賀状です。
謹賀新年 祈御健勝!
3・11東日本大震災から五年―。わが歳かさねること75を超えました。
されどこの一年「仕事」らしき働きもなし、世のなかは「平穏」であったわけでは
ありません。とんでもない「逆流」に巻き込まれることが予想されます。
想定外では無いということです。
師走に、TVの「新・映像の世紀」を見て、第2次大戦の惨劇は独裁者の狂気だ
けが生み出したものではない、と痛く感じました。日本は、敗戦によって「たった
一日で平和国家」に生まれ変ったが、その「平和」を積極的に守る「軍事国家」
へ舵を切ったのです、、。
戦争はやってはいけないし、「やらない」強い意志を持続したい。 2016年元旦

*ブログ→「大槌の風」/otsuchinokaze.blogspot.com も五年目に、乞う閲覧。

(←ブログ:2015・1・1 「あけましておめでとうございます。」873