2013年9月29日日曜日

メガネ

(2013・9・30影)


歳を重ねてるとともに、ものわすれだけでなく、忘れ物をするようになった。

先日は、首都高の石川サービスエリアでメガネをはずして食事し、車を走らせて
から気付いたが、引き返すことができない。再度、調布から入りなおして探したが
出てこなかった。
こんなことになるのは、遠近両用と読書用にスポーツ用を使い分けしているせい
かとも思われるが、、。
また、昔から飲酒するとメガネをはずすクセがあって、特にタクシーで帰宅した時、
そのまま車内に置き忘れるチョンボを数回やっている。

メガネは学生のときから浮気することなくイワキにお世話になっている。
今回、忘れ物したのは愛用のドライブ用だったが、微調整を我慢すればいくつも
の種類の備品からでも不自由しないですむ。レトロで結構おしゃれなものがある。
息子たちのメガネの買い替え頻度を見ていると、あまりこだわりがないようで消耗
品に近い扱いになっている。

ぼくのメガネカルテは、「イワキ」で50年前の古びたファイルから順に重ねられて
管理されている。検眼測定値、レンズはニコンかHOYAか、フレームはどこの国の
メーカーか、紫外線遮断とカラー度数は、そして値段と担当者が明記されている。
カルテを紀伊國屋書店内イワキから立川店に移したいきさつや、担当者か役員に
なっている情報まで知らされる。
メガネを通して、時代の節目がじわりと自分に立ちのぼってくる。

2013年9月28日土曜日

運動会

(2013・5・29影)

ぼくの幼少頃の運動会は、収穫祭の前後に秋晴れのもとで催うされていた。
今では、春に開催されるところもあって、ハルの小学校は5月だった。
ハルの嬉々とした走りを見ながら、昔の運動会の忘れがたい空気を想い出し
た。

さて、自分のことだが、小柄ですばしっこくて速く、リレーでアンカーを走らされ
ていた。
この日だけは、脚の早い子が同世代から大人まで皆から喝采を浴びる。
学級対抗から部落対抗のリレーでも選手だった。
応援のテンションの上がり具合も尋常ではなかった。
6年生になると組み体操のブリッジ、中学で騎馬戦、棒倒しで終盤盛り上がる。
男子世界だけが謳歌できる「必死のパッチ」!

運動会は、戦後直後の貧しい時代の一大イヴェントで、応援にきた母親、祖母
や親戚一同と昼休み、持参のムシロ茣蓙に拡げられた、ハレのお重を一緒で
きることが何よりの幸せだった。この時こそ、「家族」を強く感じたのではないか。

泉小学校のときの、運動会につきものの全校生の踊り、演目「たこの八ちゃん」
がいまだに、何故か記憶に鮮明に残っている。稲田に囲まれた校庭で紅白の
鉢巻を締めて、二重三重の輪が前に後に左右に、「たこの八ちゃん、鉢巻き締
めて、、、」と唱和しながらダイナミックに踊っている風景が目に浮かぶ。
ハルにこの歌を唄いながら所作すると、大笑いする!

2013年9月27日金曜日

今昔、コーヒー物語

豆香房(2013・9・25影)

コーヒー焙煎士という肩書きで、ブラジル、ハワイ、アジア、アフリカの個性的
なコーヒー豆を求めて現地体験を基に、おいしいコーヒーを提供してくれる店
がある。

今回は、挽きたてのハワイコナを試飲して、自宅用に購入する。
紅茶好きのYuも美味しい美味しいといって楽しんでいます。
「イヤな酸味」が感じられなかった。
コーヒーを飲み始めて55年になるが、この焙煎士による今まさに初めて美味
しいコーヒーに出合えた感じ。

戦後まもなくから1960年代の東京には、さまざまな喫茶店があった。
クラシック、シャンソン、ジャズ、タンゴ、ポピュラーのレコードを聴かせるお店
や、客が皆で唱和する歌声喫茶などいろいろ。
コマ劇場周辺の白馬、田園、再会、スカラ座、ブラジルや新宿駅西口のアカシ
ヤ、東口中央通りのウイーンで深夜を過ごしたこともある。トーストパンが付い
たモーニングサービスが全盛の時代か。
深いソファーに、低い燭光の店内模様は、当時、定番の喫茶店空間だった。

2013年9月26日木曜日

清澄庭園


清澄庭園の佐渡赤玉石(2013・9・25影)

今回の「やすい会」はカズさんの発案で江東区にある清澄庭園散策の後に会席と
あいなった。

この回遊式庭園は全国の奇岩名石がに配せられた泉水池を散策して、四季折々
の花や木の風情を楽しめる。一昨日につづき、ヒガンバナをつづけて見られた。
庭園に入って直ぐ、雨に濡れた佐渡の赤玉石がさりげなく座し、虹彩を放っていた!
泉水池を囲むように、全国から集められた名石が配せられた小路の先に、数寄屋
造りの「涼亭」があった。今夕の宴席。

交通の便は、都営大江戸線・半蔵門線「清洲白川駅」だったが、初めて降り立った。
周辺、隣の駅が水天宮であったり門前中町であることに初めてきづいて、都心から
近いのが以外だった。

皆に会うのは久しぶりではないよね~。3、4ヶ月では会っているのだから、そんな
に話題があるかとばかりに、皆よく喋るしゃべる。

甲状腺がんで一つ切除したその後の対処と経過。
スポーツマッサージの効用についての助言。
ソケイヘルニアの手術をして、マラソンに再挑戦する話。
TV「あまちゃん」の話題。今回の朝番、皆よく観ている!
この会では珍しく、信託投資の資産運用について白熱。
もの忘れと名刺の管理をめぐるアイディア。
ぼくの2ヶ月余の、アキレス腱炎症と「大腸ヘルニア」騒動の報告。そして、園子温
監督の「希望の国」、最新封切「地獄でなぜ悪い」と「映画秘宝」の宣伝。

次の会の忘年会を決めて散会、雨上がり夜の清澄庭園を出る。

2013年9月24日火曜日

「出版OB会」のこと



25年度の「出版OB会」が銀座ライオンで催される。
以前から、新聞社、出版社、広告代理店の関係者で仕事につながりのあるOBの
親睦団体があることは知るところであった。

昨年、二度目の出席で40余年ぶりに「信濃毎日新聞」の松木Sさんにめぐり合え
て感激した。
ぼくの手紙に後日、拝復状をいただき、次のようにしたためてありました。
前略~、OB会は一年ぶりの出席で楽しかったです。でもアフターの東京駅の小料
理屋での和顔談笑の一献は格別でした。昭和の青春がよみがえった一時でした。
感謝です。年に一度のこうした機会があることが幸運ですし、また来年の秋を期待
しています。 なお、「わさび」ですが、自家製ではありませんが良いヤツがあれば又
お送りする所存です、と。 (美味でした!)
彼は広告営業で、ぼくはクライアントという仕事の関係から交流が始まったが、東京
から長野に帰ってからも、一時期、出張の際に立ち寄ったり、スキーに出かけては
相手をしてもらう間柄でした。
と云うことで会の幹事に、今回も出席の返事をだしたところです。

2013年9月23日月曜日

曼珠紗華!

雨乞い街道に咲く曼珠紗華(2013・9・23影)

今日はお彼岸の中日。わが家から川の対岸にある「あきる野本願寺」に墓参する。
途中、「雨乞い街道」沿いの土手に咲く真っ赤な曼珠沙華の群生を見た!

秋のお彼岸が近づくと、不思議に違わず咲きはじめるのが彼岸花。べつの呼称で
剃刀花、毒花、曼珠紗華、、、異名は千に及ぶとも。
ぼくの故郷、奥津のお墓周辺にも咲きほこっていたが、こどもの頃は近寄りがたか
った。多くが墓地に咲くこと、毒花と呼ばれ球根に毒があることを知って、不気味だ
った。死後の世界をイメージさせられることもあって、敬遠されてきたように思う。
一方で、球根はよく洗えば食用でんぷんが採れるため、昔は家の周辺に飢饉に備
えて植えられたともいう。

花が咲くのが秋分の日前後の一週間ぐらい短く花開き、その後、いっせいに緑の葉
に被われる。
今ほど、整備され名所になる前の高麗川の「巾着田」に何度か鑑賞に出かけたが、
ちょっと、タイミングがずれると、緑の葉がついてほうけた花を見ることになり、がっ
かりさせられたものだ。

生け花にされることは、ほぼない。 そして、お彼岸に釣り人もいない。

2013年9月22日日曜日

陸中浪板海岸 記憶の断層3

波板海岸&夕日/波板観光ホテルから
(2008・9・10影)
三陸海岸を旅していて吉里吉里の名が付く駅が珍しく途中下車して、海岸線の松林
を歩いて出たところが浪板海岸。45年前の夏でした。

2005年9月には、縁あって浪板観光ホテルに滞在していました。ホテル眼下の綺麗
な砂浜に出て少し冷たい海水浴に興じたのだった!


廃墟になった波板観光ホテル(2012・8影)
三陸沿岸でも際立ったそのホテルは、3・11の大津波で破壊され、社長も津波にさら
われ亡くなった。再興のめどを未だ聞かない。
わが人生を重ねてきて、その上に容赦なく重層的に風景が重なっているのは間違い
ない。それらの鮮明度によって、忘れられなく生き続ける風景がある。

大槌駅 記憶の断層2

大槌駅と道又病院(2005・9・9影)
3・11被災前、2004年9月に大槌駅に降り立ったときの手持ちの写真が出てきた!
駅舎は緑の山脈と青い海に囲まれたどかな風景のなかに佇んでいた。


流出した駅舎のホームから(2011・8・5影)
それが、一変、311大津波の襲来で破壊されたホームと鉄の塊と化した線路が見
えるだけで、駅前にあった道又病院も音楽教室の建物も大半が流出して残骸だけが
さらされていた。
自然の猛威といえ、この天と地と違う風景など想像もできなかった。

2013年9月20日金曜日

ニューメデイア商品について

猿楽町の女坂(2013・9・20影)

正午前に、リンケージWのウシオ君とお茶する。
2月に行った、「大槌町復興支援対話集会」に娘さんと参加のお礼。
会社の新商品も、既刊商品の促進も好調とまでは言えないが順調と受け取った。

ぼくの住い周辺の書店、未来屋やタマブックスやよむよむリブロの店頭は、ますま
すニューメデイア商品が巾を利かせているように見える。現実にその現場でアイデ
イアを模索し販売で苦闘しているウシオに聞いてみた。
書店店頭、取次交渉、で知りうるかぎり、ニューメディア商品の発行版元も、商品
アイテム数も、売上も伸びでいる。
まだ伸張気潮にあるが、類似商品の競合で厳しい状況に置かれているのは間違
いない。一、二本刊行して、すぐに撤退する版元も少なからずあるようだ。書籍と
違って一商品に投資する原価も高いので傷口を広げたくないのだろう。

新刊、『シナプソロジー7日間プログラム』(お手玉&スカーフと実践用DVD付)の
見本を手にして思った。彼自らが企画し編集し営業するなかで、このアイデアの生
まれる源泉につい、テレビを見ていて閃くケースが多い。実用的に楽しくなってちょ
っと知的な商品指向とか。付録のグッズの検証も、しっかりすることを忘れない。

他に、発行部数、原価率、書店とCVSの流通販路、既刊の一万部以上実売商品、
増員の案件などを聞きながら、意見交換。
ニューメディア商品部が、トーハン本社管轄になることに期待していた。

2013年9月19日木曜日

気まぐれ車旅&記憶の断層を掘る! (1)



ぼくは、気が向いた時に自由にクルマで旅するのが好きだ。
綿密な旅程をつくることなく、新聞、雑誌、映像で、あるいは小説などの文章で、
記帳された所に、即その日もあれば、少し間をおいて家を出ると云う具合です。
目的地の変更も度々あるので、勝手に「風船旅行」と称しています。

これまで行った場所は、北海道から沖縄まで、優に500箇所は超えていると思
います。
多くは40代から始まっているのですが、これからは限られてくるでしょう。
記憶と写真で、自然と風景に何十年ぶりの再会をしてみたいとおもいます。
その端緒としてすでに、陸中海岸の何度か訪れている鯔が崎、吉里吉里海岸、
碁石海岸の被災後を悲哀交々、困惑しながらたどってみてきました。

最初は、<釧路湿原>から。1999年8月女満別空港でマツダレンタル。
北海道の原生のまま残る日本最大の湿原。アフリカの大草原を思わせる景観。
タンチョウズルなどの野鳥の飛来地であり、原始からの貴重な植物も多種にわ
たり、学際的に認められて国内第1号のラムサール条約に登録された。
時間をかけて、蛇行する釧路川にそっておおい茂る紅草の絨毯のなかの木道
を歩いた記憶がのこる。

加賀乙彦の小説『湿原』(上・下)を朝日新聞連載で読んでいた。
この星のオアシスとしてゆるやかに眠れる水を湿原と呼ぶ (俵万智)
(当時の写真、後送添付予定)

2013年9月18日水曜日

オリバー・ストーン監督のヒロシマ・ナガサキ記

松原小学校上に中秋の名月(2013・9・18)

数日前にオリバーストーンの肉声を聞いて、感じるものがあった。
メモ的に記しておきたくなりました。

オリバー・ストーンは語る。
ヒロシマ・ナガサキで被爆し数少なくなった二人の証言を聞くことで、アメリカの
歴史を知ることの必要性を、原爆投下から考えることが原点になった。
ベトナム戦争に従軍して強く感じるようになったことは、アメリカは原爆キノコ雲
から目をそむけ他人の痛みを理解する感性を忘れてしまった。
今回の広島、長崎の訪問で、被爆者の痛みや叫びを自分のものにすることが
できたことが何よりの救いだった。

西洋が世界の覇者となったのは、理念や価値観や宗教が優れていたからでは
ない。組織的暴力の行使にすぐれていたからだ。(サミエル・ハンチントン)
2008年ブッシュ政権が終わる頃、ぼくは本当にウンザリしたんだ、アメリカの
姿に。
マイケル・ムーアが言っていた。「自分の国のことは大嫌いだが、この国を離れ
はしない。ぼくたちはアメリカで活動し闘っているので批判論者とよく言われる。
でもそれはアメリカを愛すればこそ、そうおもえるような国になってほしいからこ
そ発言しているのだ。」と。(洋泉社「映画秘宝」マイケル・ムーア特集)

このように各国の学生が一同に会していることには意味があります。
日本とアメリカの近代の歴史には似通ったところがあります。われわれの考え
方には一つのパターンがあります。この歴史を見直す作業は、日本が戦後、
GTQの検閲下におかれ、アメリカの核に守られてきた複雑な経緯があります。
アメリカの枠組にとらわれずに、歴史にむきあうことを期待しています。

ヒトというのは大概想像力がたりない。例えば情報活動を暴露したエドワード・
スノーケルのことが報じられ時、大抵のヒットは彼は法を破ったと考えた。たし
かに法を犯したが、それよりも高い次元の彼の良心に従ったのかもしれない。
人々が想像力を吹くらばせるように積極的に働きかけなければならない。

グループのことを考えてみよう。
イーエル大学時代のクラスメートはブッシュだ!当時からあんな感じだった!
学生時代の経験がその人の人格の基礎になるんだ。残酷な傾向があれば、
暴力になり、さらに侵略や戦争行為の土台にもなりうる。
ぼくが関心をもっているのは権力がどの様に育つかなんだ。
オバマだって大学時代は国際的な学生だったが、権力の座につくと暗くなる。
残忍でタフでないと皆の標的にされてしまうから。

私の経験上、金持ちの息子はダメだ! 面白いのは鄧小平で、何度も政治の
表舞台から姿を消した。毛沢東の下で力を持ったが、その後追放され、命をお
としかけているが、それでも復活した。彼の凄いところは戻ってくるたびに強くな
っていること。たとえ敗れても何度でも立ち上がる。タフになって復活する!

ヒロシマ、ナガサキの被爆者の心に寄り添い、未来をになう若者たちに、熱い
メッセージを送った一週間。

オリバー・ストーン監督は、ベトナベトナム戦争をテーマにした映画『プラトーン』
など、政治的題材の作品が多い

2013年9月17日火曜日

丹後の仙人、友人を陣中見舞い!


京都丹後半島の最深部・味土野で修行したどくろ漆器職人で、そのまま味土野に
定住する友人がいる。

台風18号が去って、一日遅れの陣中見舞いとあいなった。
やはり、丹後半島も台風の猛威は驚異だったらしい。
だが、幸いにそばに川が無く、住いも工房も大きな被害に遭うことなく安堵の様子
がうかがえた。
オオマス君の工房のある味土野は,戦国時代に細川ガラシャ(明智光秀の娘)が
本能寺の変の直後から2年間の幽閉生活を送った地として知られるようになった。
現在の味土野の住民数は、彼と数人になってしまった。
台風の後は一気に寒くなり、腰痛もちだから、すでにカイロを入れて作業している
とか。
この地は、毎年雪が降り始めるのが早く、圧倒的な豪雪地区でもある。その頃、
訪ねようと思う。

先に、丹後と大槌町の関連記事が掲載された「毎日新聞」を送ってくれた。署名記
者の塩田敏夫さんが彼の友人であることを知らされ、何かと縁があるのに驚いて
いる。


2013年9月16日月曜日

台風18号襲来!京都渡月橋が、、、


台風の発生を見ていた初期段階では、発達して中心が中部、関東地方を通過す
る予想だったが、珍しく京都を襲って北上して北海道釧路を抜けていった。
TVニュースで、京都嵐山の桂川に架かる渡月橋、欄干まで見る見るうちに水位が
上昇するのを見て、ヤバイと思った。
最初に嵐山に旅したのは学生の時で、その後も数回に及ぶ。
全長100メートルくらいの橋脚と橋桁は鉄筋コンクリート製だが、欄干部分は景勝
地の風景にとけ込むよう木造となっている。
木橋であることを知っていたので、濁流の水圧に耐えられるかハラハラした!
幸いに流木などで堰き止められることなく、台風のピークをクリアーしておさまった
ようだ。

木屋町の友人・U毅に電話で陣中見舞。
彼のフグ料理屋前を流れる鴨川は、危険水域に達することなく難を逃れた様子が
電話の向こうから伝わってきました。
(1965年・影)

2013年9月15日日曜日

いよいよ老人か!


敬老の日は、「としよりの日」の呼称で始まったらしい。
その後に「老人の日」と改称され、1965年(昭和40年)に祝日「敬老の日」にされ
た歴史がある。
敬老会は小学生の頃から、講堂に集まったお爺ちゃん、お婆ちゃんをねぎらう会と
して開かれていた記憶があるが。

Gyoたちファミリーが、台風のなかを訪ねてくれた。
先日から、羽村を多摩川か秋川での釣りの拠点にしたいと言ってきていたので、そ
のためでもあったらしい。
ところが、夜、会食の席をもってくれた。
ハルたちと一しきり、「梅の湯温泉プール」露天で楽しんで、会食と相成ったわけだ
が、会計を持ってくれたのはGyoたち。 一言、敬老の日だから、と!
初めてのことだが、こうした外圧から老人化を自覚して、内ではもの忘れや弱体化
に少しずつ遭遇しつつ老いていくのだろう。

ハルが、腰を曲げ杖をついてとしよりのまね技をしながら、「ジジはまだ、元気そう
だから老人ではないよ!」と言ってくれた。



2013年9月14日土曜日

懐かしのマラソン大会 写真3

「でん八」主催のマラソン大会が30余
年前には、盛大に行われ健脚を競った。
マツオ豊太ファミリー揃い踏み。兄弟をスキーに連れてったこともある。
皇居周辺のデッドヒート !皆、足が伸びている。
表彰式

本業のほかに、こんなイヴェントがあったんだ。





2013年9月13日金曜日

秩父困民党のことなど

2013・9・4影

*二年ぶりか、トーハンでT社のSnに声をかけられる。
彼とは、ぼくの生涯ゴルフ経験2回の内、その1回のコースを一緒に回ったことが
あったり、仕事でも営業、編集にオールマイティで、話す機会が以前は多々あった
関係。
先の『洋泉社私記』については、過去を振り返りながら丁寧な一文を寄せてもらっ
ていたが、何かと気を揉んでいた。再度、取次交渉の現場に出て活躍していること
を知り、良かったと思っている。

*同じ現場で、にこやかな顔のKa課長他に挨拶。
近く創刊される<ポプラ新書>について話が出る。ジャンルにこだわらず若い世代
向けに、ビジネス、自己啓発、エッセイなど多岐にわたるようだ。若い世代でも女性
読者を意識しているようで、これまでの新書に見られなかった一面がうかがえる。
他に一社、新書参入があるようで、この時期、大変だろうなと思う。
顧みて、1999年の暮れから洋泉社新書の創刊準備に入り、今は亡き、田中達夫
筑摩書房営業部長に会ってアドバイスをもらったり、新年早々、取次の新書担当に
サポートしてもらったり、慌しく動き回ったことが懐かしい。

*正午会で、中国はもとより、韓国へも15回以上行っているSgさんの話を聞く。
以前に、サムスン社長と本社ビル階上の応接室であったときの様子、とか。
別の話題で、近く秩父吉田町の龍勢祭りに出かける、とか。
この祭りは、椋神社の例大祭で行われる祭りで、戦国時代に使われた狼煙の伝承
イヴェント。
この話に加わった吉田T君の、鉄砲祭り、秩父夜祭、祭り三昧語りは意外なことも
知らされて面白かった。
昔、秩父困民党に凄く惹かれたことがあって、井出孫六の『峠の廃道』や井上清の
『秩父事件』を熱心に読んで秩父へ足を運んだことがあった。
今でも、年数回でかける好きな場所の一つ。

2013年9月12日木曜日

ユーチューブに動画!



昨夜は、「節ちゃん情報」に感謝。

今日は、Smから、ユーチューブに動画があがってましたよ、とメールをもらいま
した。

http://www.youtube.com/watch?v=mquUyAG4T7k

メールをもらって初めて知ったのですが、有り難いことです。
自分に関心ある情報が、なかなか思い通りに引き出せない。
このなかの311被災、大槌町の被災後の街並みを、被災前の風景を重ねて走る
動画映像に底知れぬ悲哀を感じる。
この映像を自宅で見ようと思えば、瞬時に見られることに驚いている。

2020東京五輪の決定に浮かれているが、今の被災地の復興の過程を見ている
と7年後にいたっても、厳しい状況に置かれたままではないのか、、、。

2013年9月11日水曜日

風の電話&森の図書館


22時48分に、至急テレ朝 をのメールが入った。
外から帰ったばかりで、チャンネルをひねると大槌町浪板海岸の「風の電話」が
暗闇に浮かんでいる一瞬の映像を見た。

どれくらいの時間が割かれていたのかは不明だが、想像するに佐々木さん発案
の「風の電話」ボックスと主宰の「森の図書館」のある庭園からの、静かなLiveだ
ったようだ!


2013年9月10日火曜日

わが街・写真 3

新宿都電・角筈/背景に西口ガードとミドリヤ
ヒトそれぞれよりどころの「わが街」と云うか、気持ちを開放できるたまり場があると思う。
ぼくにとって新宿は、学生のときからずっと半世紀にわたって通いつめて、路地の隅々まで知り尽くしている。
全盛の時代はとっくに過ぎたが、隠れ処の居酒屋もあるし、いまだに自然に溶け込めるところです。
現在のアルタ前
高層ビルが林立して見た目の風景は変わったが、雑踏、ケバケバしいネオン、不夜城、老若男女が行きかう交差点、何も変わっていない。
背景に新宿松竹


2013年9月8日日曜日

オリンピックとレニ・リーフェンシュタール


今日、2020年東京五輪が決定した。
ベルリン・オリンピックの記録映画「民族の祭典」「美の祭典」を篠田正浩映画監督
は、独特の美の世界を表現し、衝撃を受けた、と言っている。
この1936年の五輪映画は、ベルリン生まれのレニ・リーフェンシュタールが監督し
てつくられた。
奇遇か、1902年生れの彼女が101歳まで生きて、亡くなったのが10年前の9月
8日である。

第二次大戦後は、ナチの協力者、ヒトラーのために働いた映画監督として、厳しい
批判の矢面に立たされてきました。
がしかし、いま観ても選手や観客の表情のクローズアップ、スローモーション、水中
での競泳撮影ありでポップな世界を映し出す手腕は圧倒的で斬新の極み。

これまで、再度の五輪誘致を二度にわたって勧めてきたが、そのつど、ぼくは経費
の無駄使いなどを理由に賛成できなかった。
朝からテレビに流れる映像を見るにつけ、7年後子どもたちに五輪ステージを見せ
たい、復興につなげたい、と云うメッセージに直に同意してみたくなった。
小学生の時、1952年ヘルシンキ・オリンピックで古橋・橋爪の1500メートル競泳
に感動し、1964年東京で裸足のアベベと円谷のデッドヒートを新宿明治通りと甲州
街道交差点でYuと喝采した日のことが思い浮かぶ。

余談ですが、リーフェンシュタールはさまざまな辛酸をなめた後、70歳を過ぎて写真
家として、再び脚光を浴びることになる。さらに、この歳で水中の世界に魅せられて
ダイビングに挑戦する。水中カメラによる写真集「水中の驚異」やドキュメンタリ映画
を100歳まで撮り続けた。
世界最年長のスクーバダイバーでもあった

2013年9月7日土曜日

写真 2



             記憶をたどっていくと、連続した一つの風景ができてくる。



日々変わり往く今日の新宿。
この通りが、かつてのでん八通りだったが、古きよきカオス路は
綺麗になりすぎてほとんど面影がない。

2013年9月6日金曜日

水好き!



ぼくの家は川の近くにあったので、魚の手づかみや泳いだり、川で遊ぶのが日常
だった。

ハルも1歳過ぎてよちよち歩きがでる頃になると、公園の水道蛇口に手足を入れて
水浸しになってはしゃいでいる子だった。
昨夏の石垣島では、未だ潜りを恐がっていたが、その後一年間のスイミングトレで
驚く進化を見せている。
ずっと我流で泳いできたぼくにとって、水中での手足の合理的動かし方や息継ぎ等
を教わる側になっている次第です。

どうやらハルは、毎日でも疲れるでもなく泳いでいたいらしい。途中でねをあげて、
休むこともない。
下校してカバンを玄関口に放り投げて川に行くのではなく、直ぐにプールを目指す。
いま、クロール泳法の基本を習っているが、これからは、50メートル、100メートル、
に距離を延ばし、速さを楽しむようになるのであろう!
また別に、水中で魚や小エビや小石を見たり、鼓膜を覆うすんだ音を聞いいて、深
呼吸のために水面に顔を突き出すたびに水中の感動を体感しているはずだ。

スイミングトレーニングは、ある時になればやめるかも知れないが、この泳ぎの快感
は残り、この後の彼の人生に水泳が幾度となくかかわってくるのは間違いない。

2013年9月5日木曜日

変わったものと昔のままの風景 写真1



50年途中下車して通いつめた、新宿の居酒屋「でん八」の物語を少しずつ整理し
ているが、写真で記憶を呼び覚まして見る。

ぼくにとっての新宿は、東京における出発の根拠地のような場所。
上京の最初は、中野療養所にあったおじさんの住まいに居候して大学に通学して
いた。中継地の新宿西口から江古田に出ていたバスだったので、「アカシア」や「上
高地」などの喫茶店にしばしば寄道したものだ。さらに、原水禁のカンパ活動や寄
合いも新宿駅周辺がたまり場で、自然と新宿が居場所になっていったと思う。
その後の勤め先が文京区の伝通院ウラにあり、ぼくの自宅は中央線を乗り継いで
青梅線・福生にあった。
何だかんだで新宿が友と一献には、一番動きがとり易い途中下車駅だった。
知らず知らずのうちに、身近な友や関係者が集まってきていました。


2013年9月4日水曜日

それぞれの話題

2013・9・4影


午前中日販により、水曜会へ。

*滝Tさん、ハワイで日焼けした元気な姿で登場。リムジンを借りてガイド付きで
島巡りをした前回とは趣向を変えて、ホテルのプールとマイアミビーチでのんびり
過ごした様子が、見せられた写真でうかがえる。
9月からは、周一度の出社になることをFbで知っていたが、当人はこの会をボケ
防止交流会と言っている。

*先にも記した梓会研修旅行の大槌町行きが、10月26日に本決まりしたことを
事務局の吉T君から聞いた。
スケジュール行程は、ぼくが島ちゃんに案出しした、一頁堂書店訪問と城山から
被災した大槌町中心街、大槌湾(ひょっこりひょうたん島・蓬莱島)を俯瞰すること
になったようだ。
近々に会う機会があるので、もう少し詰めておきたいと思っている。

*Kanさんが、1967年からニュージーランドのオークランド大学に留学していた
当時のことを聞く。
日本人学生が275人も在籍し、寮生活だったと、、、。
Kanさん、頓珍漢な質問をしていました。ゴメンなさい。
フォークランド紛争の時期を確認するのに、オークランドと場所を混同して喋ってし
まうようでは、軽率の謗りを逃れられませんね。
(1982年3月からイギリスとアルゼンチン間で3ヶ月にわたって行われた紛争)

2013年9月3日火曜日

新おおつち漁業協同組合の漁師たち


被災地大槌町の漁師が、復興支援金などで新造した漁船で初めて定置網魚に挑戦
の知らせがあった。
3・11から一年余経った時に、赤浜ふ頭で網の繕いをしていた漁師たちは、皆、虚ろ
で亡くなった仲間を思い、海に出る気力など見受けられなかった。

今回の大漁旗を高らかにはためかせ、漁場に向かう漁師の雄姿は、町の人たちの
復興への希望になるだろう!
大槌町の新おおつち漁業協同組合では、津波襲来で700艘あった漁船がほぼ壊滅
してしまった。新造船や修復が進んで、やっと300艘にとどくまでになったようです。

さて、10ヶ月前に「京の名工」鯉のぼり職人・奥田さんが制作した大漁旗が、縁あって
大槌町吉里吉里の青年漁師に贈られたエピソードを記したが、彼等の新造船の船出
に始まって、一船、二船と加わり大漁旗をなびかせてひょこりひょうたん島(蓬莱島)が
浮かぶ大槌湾を出入りする風景が見えてくる。
さばやさんまが水揚げされる映像の男たちの威勢に、一歩踏み出した生活の息吹を
感じる!

2013年9月2日月曜日

宮古島東平安名(へんなざき)の写真を見て



今月の出版健保「すこやか」の表紙が、東平安名崎の写真だった。
沖縄石垣島の平久保崎燈台の表紙を4月に見ているので、沖縄写真の頻度が目立
つ。あわせて、十数年前に行った下北半島の尻屋岬の写真も数ヶ月前に載っていた。
われながら、海岸線を隈なく旅しているのに驚いています。

宮古島の東平安名崎では、レンタカーで島を一周したときに、目が覚めるような美し
い珊瑚礁の海に魅入られて暫し岬で休息した。
海に向かって長く突き出していている突端に立つと、右側には太平洋、左側に東シナ
海が広がる風景に、地球の丸さを実感し圧倒させられるます! (9年前訪ねる)

八重山諸島石垣島の瓢箪の括れに位置する玉取崎展望台からも、太平洋と東シナ
海がつぶさに見られる。漁師が両方の海で漁ができるよう、船を陸上移動できるほど
狭まる珍しい場所。 (昨年訪ねる。)

2013年9月1日日曜日

名画をなにげなく見ながら


教科書などに載っている名高い名画の実物が気楽に見られる至福のときがあった。

今朝の「日経」にセガンテイーニ「アルプスの真昼」とエル・クレコ「受胎告知」の掲載
写真が目に飛び込んできた!
「アルプスの真昼」は倉敷大原美術館の二階に、ゴッホ「糸杉」やドガ「踊り子」やモネ
「睡蓮」やルノアールの絵と一緒に展示されてあった。そして、号数の大きな「受胎告
知」は、一階の一室にあって、宗教画の輝きを放っていた。

ぼくが絵を描くのに興味を持ったのは、親父がよくスケッチしてくれた人物画と、中学
の時、津山城端池の睡蓮を写生させられた女先生の影響が強い。
そして、中学半ばに倉敷に転向して、大原美術館を知る。描くより鑑賞するのが、一
層好きになった。
美術館の二階は、世界から集めた一級品の名画がワンフロワーをぐるりと囲み、真
ん中に深ぶかのソファーが置いてあった。
中間試験、学年末試験を終えて、一人て大原美術館によって、他にもミレー、ピカソ、
シャガール、ムンク、ドラクロア、マチスの絵をみて、深いソファーに身を埋めて過ごし
た時間が昨日のように想える。

(児島の絵を見る確かな目、大原孫三郎の英断、二人の揺るぎない信頼関係、どれ
が欠けても、大原美術館の奇跡はなかったかもしれません、と。)