ドタさんは、4月8日から2週間エクアドルへ一つの義務感と個人外交で出かけて
きました。
帰国後、ガラパゴスの堀江謙一岬の記念碑修復のため用意した話を聞く会を、急
遽設定しました。
Sg,Ik,Tt等が参加する。
以下、語りの記録。
レポーター、カメラマン、メッセンジャー一人自作自演。
費用は、航空券往復の一番安い料金が26万円、諸機材購入7万円で済ます貧乏
旅でした。
コースは、羽田~ニューヨーク~マイアミ~グワイキム~ガラパゴス。所要時間は
26時間。宿泊費@8,000円(朝食のみ)
経費は移民で旅行会社をやっている知人に現地での諸経費を支援してもらってい
る。(旅行会社の知人について:父親がボリビアへ行き成功してエクアドルへ移り、
旅行会社をつくり、今では中堅旅行代理店になっている。)
現地の行程は、エクアドル・ガラパゴス(自然遺産第1号)~サリーナ・ヨットクラブ~
記念パネル(製作、住友軽金属)には、「この燈台はあなたのことをちゃんと覚え
ています。あなたは、素晴らしい!名前を銘記して遺します。」と。
今回、17年ぶりの修復。取り替えたパネルは彫っているので50年は絶えられる。
(ドタさんは、エクアドルと日本は縁が薄いが、当事者であるだけに精神のリレーの
思いが強い。)
移民の人たちも、なんとかして遺してほしいという要望がひしひしと伝わる。しかし、
日本の大使館はあまり大事にしていない。60年前の野口英世が名を成しているが
日本人としての記憶はほとんど残ってなくて、野口病院が建築遺構としてあるだけ。
(日本大使と面会)
エピソードを一つ。ゴールデンゲート入港の堀江謙一を最初に発見してくれた人が、
98歳で昨年亡くなった。50年前のことを鮮明に覚えている。1962年8月11日、
こう云う事があって、何を喋ったかを、ログブック(航海日誌)に詳しく書きとめてい
た。これでもって、「サンフランシスコ・クロニクル」の一面を飾っるわけですよ。
このログブックには、石原裕次郎が映画「太平洋ひとりぼっち」(石原プロ第1作)の
ロケでシスコ入りしたときに、現場のレクチャーをした様子やサインがある。
ドタさんは、歴史的な貴重なログブックを形見としてもらった。 (公開の予定)