| 「そのに」があった末廣通り路地(2013・5影) |
すすりに来ていたよ。
H 園まりやジャッキー吉川のヴォーカルやってたのとか、遇ったことある。
F 僕も東京に出てきて、直ぐに連れて行かれたのが、このライヴハウスアシベ
で、凄いカルチャショックを受けたのを覚えている。裕次郎の「嵐を呼ぶ男」
風の生バンドがガンガンやっててたのに驚嘆した。
N やはり、でん八の近くの地下のショーにアニキに誘われていったことがある。
期待通りでなくて一緒だったシゲさんとがっかりした、記憶がある。
*スナック「そのに」は中華料理だった*
H 「そのに」は、スナック風で同じようにおでんを出していたかな?
N 完全に中華料理。
M カウンターとベンチで、ジュークボックスにキープ用ボトル・ボックス
がある風情だった。
F 広さが応接間の一室と云うか、居心地が良くて安心して飲める空間だった。
H 俺は、ウイスキーはブラックニッカだった。
T 角をキープすのはちょっとお高く留まる感じ。
O ガミさんが「サントリーを×××会」をつくったりして、、、。ブラニッカ党が
多かった。
H ガミさん元気なのかなァ。「ミステリー・マガジン」にえらい取材力の連載が
あって、昨年まで読んでいたけど。俺のドイツミステリーの翻訳書も書評し
てくれていいるし。
F ガミさんは当時、「日刊・ゲンダイ」の創刊にかかわっていて、社長の川鍋
さんやライターの丸山さんらと一緒に、イチもそうだが「そのに」によくきて
いた。
昨年4月、僕の「囲む会」発起人で参加いただいたときは元気だった。
N トップ屋は誰だったっけ。
O 大サダだろう。他に芸能レポーターの梨元も来ていたよ。
T ナシモトは駆け出しの頃は、しょっちゅう面倒みさせられたよ。
F 店内は、何時もカオス状態だったナー。
M 「そのに」も歌舞伎町店も内装設計は全て永田にやってもらった。
マッチとメニューのデザインは千代田が制作した。
N 今、マッチを持っている人いるかナー。インパクトがあって良かった!
O 芸大連中も油絵、日本画、デザイン、建築から声楽まで多種多様の人の
たまり場と化していた。
芸大は久保田に寄稿してもらうと良いよ。住田は亡くなったし。
N 永田にもね。
(しばし、新宿の街論に及ぶ。)
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