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| 羽村取水堰(羽衣の堰とも)2018・2・27影:Tab) |
玉川上水の上流で、コレラ流行時に多摩地方の患者が物を捨てているということ
がわかり、東京市民を騒がせた。そして飲料水源地方が神奈川県下にあるのでは
困るということになり、三多摩を東京府に編入させる大きな力になった。
この玉川上水の工事は、承応2年(1653)から足かけ3年かけて造ったもの
で、ここから新宿区の*四谷大木戸(新宿御苑)までの50㌔弱の水路は、玉川
兄弟の大きな犠牲において完成した。
一回目は府中で失敗、次は福生から始めたがその先の熊川で水が流れず2度目の
失敗。万策尽きた兄弟は、川越城下の大技術者・安松金右衛門のサポートでなん
とか完成したが、家財を売り払ってその費用に充てたという。
技術の発達していない当時としては、夜中に提灯を立ててその光の高低を見ては
土地の測量をしたといわれている。
前々回、野川を巡って歩いたときのハケの景観をおもいだしてみよう。
野川の以南地域から水を取り入れる水路では、野川流域の低地を越さなければな
らず江戸まで引くことは当時の技術では不可能で、第一回目の失敗は当然の帰結
だったのだろう。
水が、四谷大木戸まで自然流下しなければならず、それが400年前に日の目を
見たことに夢と驚きがあります。
(余談:日経連載中の「少女A」(高村薫著)は、野川の事件で面白いよ、、)
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