2018年2月27日火曜日

羽村から大木戸まで自然流下 歩く⑥ 2030


羽村取水堰(羽衣の堰とも)2018・2・27影:Tab)
三多摩地方が神奈川から東京府に編入(明治26年)された背景は何だったのか。

玉川上水の上流で、コレラ流行時に多摩地方の患者が物を捨てているということ
がわかり、東京市民を騒がせた。そして飲料水源地方が神奈川県下にあるのでは
困るということになり、三多摩を東京府に編入させる大きな力になった。

この玉川上水の工事は、承応2年(1653)から足かけ3年かけて造ったもの
で、ここから新宿区の*四谷大木戸(新宿御苑)までの50㌔弱の水路は、玉川
兄弟の大きな犠牲において完成した。
一回目は府中で失敗、次は福生から始めたがその先の熊川で水が流れず2度目の
失敗。万策尽きた兄弟は、川越城下の大技術者・安松金右衛門のサポートでなん
とか完成したが、家財を売り払ってその費用に充てたという。
技術の発達していない当時としては、夜中に提灯を立ててその光の高低を見ては
土地の測量をしたといわれている。

前々回、野川を巡って歩いたときのハケの景観をおもいだしてみよう。
野川の以南地域から水を取り入れる水路では、野川流域の低地を越さなければな
らず江戸まで引くことは当時の技術では不可能で、第一回目の失敗は当然の帰結
だったのだろう。
水が、四谷大木戸まで自然流下しなければならず、それが400年前に日の目を
見たことに夢と驚きがあります。
(余談:日経連載中の「少女A」(高村薫著)は、野川の事件で面白いよ、、)

(←ブログ:2018・2・5 「羽村堰周辺を「歩く会」の予行演習」2008)
(←ブログ:2018・2・9 「まいまいず井戸にご用心 歩く②」2011)
(←   :2018・2・16 「中里介山の墓地&禅林寺 歩く③」2018)
(←   :2018・2・16 「禅林寺の「豊饒の碑」とは 歩く④」2019)
(←   :2018・2・22 「羽村取水堰と玉川上水 歩く⑤」2025)

2018年2月26日月曜日

「用心棒」(黒沢明監督)を観る   2029

黒澤明監督作品を観るようになったのは10代半ばからだが、そしてまた、再再
度集中的に観てみたくなった。
2、30年ぶりにそんな気にさせるのだから、よほどボクにとっては好きな監督
の一人に入るのだろう。

映画の魅力は不思議で、残像を記憶しているはずなのに観るたびに新しい見方が
できて面白い。
「用心棒」(1961年)は、「羅生門」(1954)「七人の侍」(1957)や「生
きる」(1957)等の前作の流れからすると、徹底的にエンターテインメント性
をもたせた時代劇の傑作。黒澤独立プロの第二回作品であることにもよると思わ
れる。

ファーストシーンの、殺風景な宿場町の横丁から犬が手首を加えて登場する度肝
を抜かさせる発案。
殺陣にこだわり「用心棒」のために師範代が編み出した<逆手不意切>の完成。
さらに、これまでのチャンチャンバラバラではなくて、独創的な方法で人を切る
ときのむごたらしい<斬殺音>を生み出した。
これらのリアリティへの拘りが、当時大いに話題を呼び、実際に実験して遊ぶ人
が現れるほどでした。

転んでもただでは起きない肩張ってニヤリと笑う三船敏郎用心棒はイイが、悪知
恵にかけてはピカ一で、兎みたいなヤサオトコだが兎の皮をかぶった山犬仕様の
仲代達矢を血糊の海への決着が見もの。

いま観ると、ただの娯楽超大作ではない「争い」をテーマとする社会性が根底に
伏流していることに気づく。

(←ブログ:2018・1・9 「日本のいちばん長い日」を見る」1981)

2018年2月25日日曜日

平昌オリンピックのオンナは強かった!2028

オリンピックって何ほどのモノかと思うが、観ているうちにされどオリンピック
と感じさせられる。

韓国のピョンチャンで開催された冬の五輪。北朝鮮問題で緊張するなか南北朝鮮
の融和を前面に演出する政治色の強い大会としてスタートした。
ところが競技は別で、日に日にレベルの高い競い合いになってくるとアスリート
の物語性が顕著になってくる。

足の怪我から復帰初戦でオリンピック連覇を成し遂げたフィギュアスケート男子
の羽生結弦選手とスピードスケート女子500mで五輪記録を更新した小平奈緒
選手が金メダリストになった瞬間のシーンは文句なく感動した。

ぼく個人としては、やはりスキー・ジャンプ女子ノーマルヒルで表彰台に上がっ
た高梨沙羅選手の、不調を克服しての大ジャンプ数秒の飛翔が輝いて見えた。
10代半ばにしで天才ジャンパーとして常に期待され、21歳になった今季こそ
はの意気込みであったはずが、なかなか復調の兆しが見えず内面の苦闘を察して
余るものがあった。
ところが平昌五輪にはいると、152㌢の小さな体は強靭になっていた。
二本続けて現段階での最高に美しいジャンプをそろえ、3位にくいこんだ。

さらに新種目のマススタート女子の、身長155㌢と小柄な高木菜那選手の魂の
ラスト・スパートで金メダル獲得も素晴らしかった。
そして、おんなの強さがきわだった冬の五輪競技でした。

(←ブログ:2018・2・12 「挑戦者になった高梨沙羅の二度目の冬」2015)


2018年2月24日土曜日

大槌町浪板海岸の昔といま 記憶の深層16 2027

砂浜は現在皆無
大槌町・浪板海岸には、三つのエポックになる想いがあります。
いま、3・11の大津波襲来で消失した浪板海岸は砂浜再生に向けて技術的に
可能なのか、調査と検討を続けてきている。

さかのぼること52年前、列車とバスを乗り継いで陸前高田の海岸線に出て、
釜石を経て、陸中宮古を目指す途中で「吉里吉里駅」の案内板が目にとまり急
きょ下車。このときは、吉里吉里駅の手前に「大槌駅」があることなど気に留
める由もなかった。
吉里吉里という変わった名称は、読んだことのある『吉里吉里善兵衛』(未来
社刊)で知っていたが、それが大槌町の伝説の人であったとは3・11後に重
みを増して知ることになる。

下車の後、海岸をながめながら松林を抜けたところに片瀬波で綺麗に洗われた
砂浜がひろがる浪板海岸があった。
いっとき、海水浴を楽しんだ。
波乗りの最中、引き潮にさらわれた相方の眼鏡はどこにいったのでしょうか。

そして、7年前の震災大津波で砂浜は消えてしまった。
いまは、ホテルの防波堤に直接あたっては砕ける白波を見るだけで、不気味で
さえある。








2018年2月23日金曜日

きょうの日経「春秋」とサンヤツ広告 2026

「日経新聞」2018・2・23
今朝の朝刊で、ぼくが数日前ブログした事と共通するコラムが目にとまり、思っ
たり思考する偶然の一致があることを知る。

「春秋」の「今週の火曜日、都内で一軒の本屋が歴史を閉じた」にはじまる「幸
福書房」閉店を惜しむフロント記事。
店主が本好きであることは勿論だが、本の仕入れも取次卸の配本任せではなく、
読者となる客の顔をイメージしながら、独自の手法で主体的に本を収集する。
目利きと云うことになるのか、棚勝負でそこに集まるリピーターで成り立ってき
たが、昨今は事情が激変してきている。

その下段には、先日通読した『邪馬台国の全解決』(言視舎刊)のサンヤツ広告。
邪馬台国については、半世紀以上にわたって九州説と大和説の争点をめぐって未
だ決着したわけではない。ともあれ本書は、ミステリー読みに匹敵する連立方程
式を解くように謎解きがスリリングで没入できる快著。

(←ブログ:2018・1・25 「決定版『邪馬台国の全解決』を先行読書」1996)
(←ブログ:2018・2・19 「二つの書店の閉店に思う」2022)

2018年2月22日木曜日

羽村取水堰と玉川上水 歩く⑤    2025

羽村取水堰(2018・2・18影:Tab)
奥多摩を源水とし、蛇行して浪浪と流れる第一級河川多摩川
その川から羽村取水堰で分岐して玉川上水へ。

禅林寺の山門の出ると直ぐ奥多摩街道。
この街道にそって流れるのが「玉川上水」で、その段丘下から多摩川の対岸にか
けては「都立羽村草花自然公園」になる。
多摩川から堰で分岐した玉川上水の水を、村山貯水池(多摩湖)、山口貯水池
狭山湖)に水道水としてを取り入れる取水口が口を開け、溜められた水が勢い
よく吸い込まれていくのが見える。

多摩川は、かつては反乱を繰り返す暴れ川だった。
そんな多摩川に堰を造って、江戸に住む人たちの生活用水として、活用すること
を計画し実現したのは徳川時代の初めである。
幕府から命を受けた多摩川庄右衛門、清右衛門(玉川兄弟)が、羽村から四谷大
木戸(新宿御苑付近)までの約43㌔(マラソン距離)にも及ぶ生活用水路を完
成させたのであった。

取水口の隣は公園になっており、その一角には玉川上水の功労者である玉川兄弟
の銅像が建っている。

(←ブログ:2018・2・5 「羽村堰周辺を「歩く会」の予行演習」2008)
(←ブログ:2018・2・9 「まいまいず井戸にご用心 歩く②」2011)
(←   :2018・2・16 「中里介山の墓地&禅林寺 歩く③」2018)
(←   :2018・2・16 「禅林寺の「豊饒の碑」とは 歩く④」2019)






2018年2月21日水曜日

本当のスタアがいた時代/「映画秘宝④」2024

特集主義のマニアック映画雑誌だが、特集以外でもぼくらシニア世代を惹きつけ
るコラムが数編必ずあるのがgood。
「映画秘宝」4月号から。
フロントの25ページ大特集は、「マッドマックス2」激レア写真館‼

奥崎謙三を主人公にした「ゆきゆきて、神軍」、特に井上光晴を撮った「全身小
説家」の監督としての原一男を知っている。その原監督による新作ドキュメンタ
リー映画「ニッポン國vs泉南石綿村」をめぐって町山智浩が長編対談している。
本作が、ヒーロー不在の大阪のアスベスト国賠訴訟の、国を相手取った長期にわ
たる戦いの密着記録であることはわかった。深作監督「仁義なき戦い」の手法や
ペキンパー的ショットも観られそうなので、近日公開へ行くに限る。

もう一つのコラム「追悼・夏木陽介」(轟夕起夫)も、追悼文ながら、60年代の
東宝スタアでナイスガイとして目立っていたその実像を語っている。
黒澤明監督「用心棒」の百姓上がりのやくざ役や、主演級では「密告者は誰か」、
「秋立ちぬ」、「懐かしき笛や太鼓」をはじめ多数を観た。
後年には「ゴジラ」(84年)など怪獣映画にも出ている。

2018年2月20日火曜日

震災津波で岩手・大槌町のイトヨが  2023

東日本大震災の津波襲来により、陸中大槌町の川と海とテリトリーを違えて生息
していることが判明した。

イトヨは、体長5㌢ほどのトゲウオ科の魚。生態は、サケのように川で生まれ海
に下っていく降海型と淡水型の両方がいる。
ところが、3・11の大津波後、新たに町の中心部に出できたため池に生息する
イトヨを採取し遺伝子を調べてきた研究者によると、震災前には見られなかった
両方の特徴を持つ種が誕生していたとの報告です。
津波の引き波で淡水型イトヨが川の河口に運ばれ、春に海から遡上してきた二ホ
ンイトヨと自然交雑している現象が生じている。

津波がもたらした生態系の異変のひとつである。

(ブログ:2017・6・19 「大槌町の天然記念物・イトヨ」1776)


2018年2月19日月曜日

二つの書店の閉店に思う       2022

きょう新百合ヶ丘へ行ったので、親しくなったばかりの「BM新百合ヶ丘店」の
店長を訪ねた。
会うなり指差しされた告知の張り紙を見て、一瞬、何でと思った。
3月で閉店するという。

さらに追い打ちをかけるように、帰宅して見た新聞には、あの代々木上原の「幸
福書房」が、明日2月20日、店を閉じると書かれている。
小田急BMはエキナカの中型書店で、幸福書房は20坪の町の本屋ながら地元の
本好き読書人に親しまれきた。
ぼくの見た目には両書店とも、地域の読者のニーズをおさえ本のもつ情報が店内
に息づいていたが、、。店員も創造的に棚づくりをし、接客も良く生き生きと働
いている風景を見てきただけに、残念で仕方ない気持になる。

80年半ば、出版社をおこして間もない頃、幸福書房さんには毎月の新刊を欠かさ
ず発注してもらっていた記憶がよみがえる。そして、どんな目利きのヒトがやっ
ているのか、注目したものです。
当時は未だ、林真理子さんは近所に住んでいなっかったはずだし。

(←ブログ:2017・11・15 「ブックメイツ新百合ヶ丘店へ」1924)

2018年2月18日日曜日

毎日一汁一菜手前みそ        2021

影:Can
 裏庭に柚子の木があって年中柚子酢を好むことについては、再三言っているので
さておいて、味噌汁のありったけについて触れておこう。

「正宗」での子どものころ、朝ごはんは決まってご飯と暖かいお味噌汁が添えら
れていた。
朝食にパンをトースターで焼いて塗りものをして食べたのは、倉敷に転居した一
時期にわずかにあった記憶しかない。
東京での下宿生活に始まって、ずっと味噌汁を忘れたことがない。
いまでは、祖母からyuが引き継いだ、昆布かイリコだし汁に具材はシンプルで
絹さやか三つ葉、柚皮で色味を添えた味噌汁を飲んでいます。

やはり、ボクの味噌汁は「飲む」もので、いまはやりの具沢山の「食べる」味噌
汁を好まない。
お味噌勝負というところもあるので、ヒジカタ山荘での寒味噌仕込にも挑戦して
きたし、旅する先々では必ず地味噌探しにこだわっている。先日、仙台へ行った
ときにも街はずれで、自分好みの美味しい「仙台味噌」に出合った。

伝承された田舎風の洗練されない、祖母が作ってくれた「正宗味噌汁」に回帰で
きる味わいがたまらない。都会人のつもりが、やっぱり田舎の人だった。


東海七福神めぐり          2020

真言宗品川寺(2018・2・17影:Tab)
朝、8時に家を出て、新宿、品川から京浜大森海岸駅集合時間の10時に着いた。

早速、メインガイド・スノさんの張りのある声で、品川を通る旧東海道の歴史上
の面影と江戸湾の港地だったことの口上がある。
大森海岸駅を起点(磐井神社)に、旧東海道を江戸に向かってぞろぞろと歩いた。
磐井神社は、昭和7年から始まった「東海七福神」の弁財天。(笠島弁天)

鈴ヶ森刑場跡⇒天祖諏訪神社(福禄寿)⇒坂本龍馬像(北浜川児童公園)⇒真言
宗醍醐派品川寺(ホンセンジ)毘沙門天のほか江戸六地蔵安置⇒荏原神社(恵比
寿)⇒品川宿本陣跡⇒真言宗智山派一心寺(寿老人)⇒養願寺(布袋尊)⇒品川
神社(大黒天)富士塚

2018年2月16日金曜日

禅林寺の「豊饒の碑」とは 歩く④  2019

禅林寺山門
「禅林寺」というお寺は、三鷹市にもある。
まえに、荷風が三鷹駅から人力車に乗り下連雀の森鴎外のお墓参りをしたときの
様子を「日記」に記していることを、ログしたことがある。
このお寺には、太宰治も眠っている。場所は離れているが文藝作家と何か縁続き
を感じさせるお寺です。

羽村禅林寺には、介山の墓地へ向う途中で「天明義挙の碑」が目にとまり気にな
る。江戸時代三大飢餓のひとつと呼ばれる天明期は、浅間山の大爆発や未曽有の
大飢餓の影響で農民間の経済格差が大きくなっていた。
天明4年(1784)2月、羽村の名主・組頭層を中心に、近郷四十ヵ村をまき
こみ、狭山地方の食料を買い占めている豪農商層の倉などを打ち壊しました。
色川大吉さんの記述にも出てくる、世にいう「天明一揆」といわれる農民騒擾で
すか、、。
後に明治27年(1894)、一揆の犠牲者九名を「義民」としてたたえ、記念
碑になった由。以来、羽村の精神史を象徴する碑とされている。

(←ブログ:2017・6・20 「荷風 下連雀の禅林寺墓参」1777)

中里介山の墓地&禅林寺 歩く③   2018

目眩を落ち着けたところで、駅の反対側にわたって禅林寺へ向かう。
新奥多摩街道を越えて河岸段丘を下ると臨済宗禅林寺の山門

因みに、美しい自然美を演出している多摩川河岸段丘は、立川面、拝島面、天ケ
瀬面、千ヶ瀬面と並ぶ。美しく弧を描くものもあれば、尖がっていたり長く伸び
ていたりと、その形は様々。
青梅の「かんぽの宿」から眺望すると、崖の不思議な美しさがわかる。

禅林寺境内には、未完に終わっている世界最長小説(一万五千枚)といわれてい
る『大菩薩峠』の作者・中里介山(本名弥之助)が眠っている。
介山は(現)羽村市の農家にうまれる。(1885―1944)
小学校教員を経て1906年都新聞に入社。1913年に都新聞で「大菩薩峠」
の連載をはじめ、大阪毎日新聞、国民新聞などに1941年まで書き継がれた。

「人を殺すよりほかに楽しみもない」「おとなしの構え」から魔剣をふるう、、
大菩薩峠、御岳山神社を皮切りに江戸、京都、大和、伊勢、甲州と舞台を移しな
がら、多彩な登場顔ぶれ織りなす人間の「業」をとことん追求している傑作。
残念にも、60歳で死去、未完で終わった。

墓地は、禅林寺本堂の裏の竹藪小道を上がった崖上にある。台座に積まれた石は
わざわざ甲州大菩薩から運び出してきたものと云うから、そのこだわりも凄い。
(近々、禅林寺住職に対面し、介山のこと、羽村の歴史、民俗まで、、拝聴する
ことになっています。)

(←ブログ:2018・2・5 「羽村堰周辺を「歩く会」の予行演習」2008)
(←ブログ:2018・2・9 「まいまいず井戸にご用心 歩く②」2011)


2018年2月15日木曜日

わからない!解決してもらう     2017

またまたタブレットのトラブルで、初期化とアカウントの設定をしなくてはなら
ない羽目になってしまった。

何度も部分ぶぶんではサポーターSmさんに望外な教えを乞うて、何とか最低限
の機能で仕事やSNSを有効利用してきている。
今回もアプリをインストールするのに、何をしていいのかよくわからない。
タッチパネルを間違ってタップしたりタッチして複雑にしたり何もかも消去して
しまう不安とか生じ、一歩後退二歩前進と云う具合に一向に進化しないじれった
さがある。

要するに、指導にそって上手くものまねができないということ。
これは、加齢によるボク特有の言葉の聞き取りづらさや、画像転換のスピードに
ついていかれていないことが影響しているのだろうとおもう。
でも疑問をはさむと、ゆっくり説明してくれるし、筆記図面でメモしてもらえる
ので反復おさらいができる。感謝。

(←ブログ:2017・2・24 「サポーターがサポートしてくれる」1660)

2018年2月13日火曜日

鴻上尚̪史『不死身の特攻兵』を読む  2016

書影
「軍神はなぜ上官に反抗したか」を傍題にもつ『不死身の特攻兵』(鴻上尚史著)
を読んだ。

太平洋戦争末期の特攻隊員は出撃したら、搭載爆弾とともに敵艦に命中させて、
「必ず死ぬ」ものと美化されてきたが、どっこい自分の意志で生還した隊員がい
た。
著者は、劇作家で演出家。著者は、生きのびた特攻隊員(佐々木友次)の記録に
出合うことによって、「どうして体当たりせず、命令に背き何度も生きて戻って
こられたのだろう」、との想像力を膨らませる。

佐々木さんが92歳で亡くなる二ヵ月前まで、何度も北海道にたずね取材を繰り
返して書き上げている。
現代の日本社会にある対外抗戦を受け入れかねなない「空気」のなかで、佐々木
さんの生きざまは孫たちに「希望」として伝えたい。

(←ブログ:2018・1・8 「『諏訪信仰の発生と展開』を読む」1979)
(←   :2018・1・25 「決定版『邪馬台国の全解決』を先行読書』1996)

2018年2月12日月曜日

挑戦者になった高梨沙羅の二度目の冬 2015


ノルディックスキー・ジャンプ女子の高梨沙羅選手は、女子のW杯がはじまった
2季目のシーズン、16歳で初制覇し世界をリードする存在になった。

ところが昨今では、同世代の欧州勢が目を見張る躍進で、前回のソチ五輪とは勢
力図が変わって、厳しいジャンプ台になると予想されていた。
映像で見るスタート台の彼女の表情には気迫せまるものがあり、最高の仕上がり
で、低い前傾姿勢にブレなく滑り降り踏み切って雪舞うなかに飛び出した。
テレマーク姿勢も決まり103・5㍍で着地。女子ジャンプ界では初の表彰台。

体力強化、技術面の精度を高め、一本歯の下駄履きで足裏の感覚を研ぎ澄まし、
用具にも細心の準備する一つひとつの積み重ねでこの日をむかえたと、、。
完璧主義者の彼女にあって、焦らず、平常心、ベストからベターに発想転換して
ピークにもってきたといえる。
笑顔で高梨沙羅の二度目の冬は終わった。
素晴らしいアスリートに魅入られた!

2018年2月11日日曜日

宮城県三陸モノ穴子は美味しかった  2014

義娘が仙台で、事前に情報収集していた予約の「あなご料理」店で会席膳してく
れた。

名の知れた寿司屋さんなのだろう、夕6時頃だというのに満席になっていた。
案内された席はテーブル席で、周りのお客が気になることなく、御祖母ちゃんの
100歳お祝いの後話が良いシチュエーションでできた。

「穴子」別名<計り目(ハカリメ)>で、体側にある点紋様が目印。海底を好み
夜行性で、砂潜りする。栄養価は非常に高くその割にカロリーはウナギの半分と
ヘルシーである。江戸前のアナゴは寿司ネタで有名だが、三陸モノは大ぶりで臭
みもなく、やわらかいと全国的にも評判という。
宮城の地酒、隠し酒もしっかりそろっていた。

余談になるが、サイパンでのダイビングで海底潜行したとき戯れた「チンアナゴ」
は、近づいても人を恐れず可愛さ余る景観だったが、食したりするのだろうか。




2018年2月10日土曜日

大槌の御祖母ちゃん100歳を祝して 2013


早朝、東北新幹線に乗って仙台へ。
仙台で仙石線に乗り換えて御祖母ちゃんの所へ向かった。

3・11東日本大震災から六年11カ月になるこの日、御祖母ちゃんは100歳
を迎えました。
自分の縁者のなかで白寿から百歳を生きた人はなく、初めての経験です。
彼女は大きな戦争と敗戦をくぐりぬけ、さらに3・11で生死にかかわる未曽有
の大震災に遭い、いま在るわけです。

久しぶりに会うなり、両手を握るとかすかに微笑んでくれました。
大津波襲来から二週間後に消息が分かり、息子たちが救出に向かい、とりあえず
の住み家を東京にした七年前は、大変気丈夫な御祖母ちゃんでした。が、彼女の
意志と事情あって、生まれ育った仙台に居を移していたがよる年はいかんともし
難く心身ともに弱っている感じをまざまざと受けざるをえなかった。
大槌町新町に団欒がなくなった悲哀をあらためて身に深く沁みました。

水俣病患者さんに寄り添い追求(『苦海浄土』)しつづけた石牟礼道子さんが、
10日死去の報に接しました。慎んで死を悼む。


2018年2月9日金曜日

オキャヤマ弁の喋りあい       2012

きょうは、Yキミヤ君の上京を歓待して「船中会」新年会を開催。

彼が前回出席したのは何時だったか、帰宅して頁をめくって見たところ、昨年も
1月下旬に上京しているのがわかった。
当人のなかでは、一年に一度っぐらいは東京組に混じって食事して酒を酌み交す
ことを良しとしているのだろう。健康と精神的にも余裕がないと踏ん切りがつく
業ではないので、嬉しいではないか!
倉敷や関西在の同期生の消息も聞けると云ううことで、とくに女性陣が楽しみに
していた。

それにしても、キンちゃんやイサオ君が亡くなった話になると、これからは楽し
い話題ばかりではないなと、つくづいやになる。
それぞれが近況報告、、。

ふたりのおんな友だちからバレンタインチョコをもらったが、この歳になっても
イイものだ。
二次会のお茶会を含めて3時間半の経過が、あっという間だった。関西の集まり
には声をかけをお願いして、指定新幹線へ見送る。

まいまいず井戸にご用心 歩く②   2011

羽村五ノ神「まいまいず井戸」
羽村駅の東口側は、戦前までは人気もない武蔵野台台地の畑や雑木林だった。
対して西側は、多摩川に向かって崖の連続だが、かつては水の得やすい生活圏で
町の中心だった。

人工アリ地獄ののような不思議な形の「まいまいず井戸」は、地面を垂直に掘り
下たタイプの井戸と違って、渦巻き型(カタツムリ)タイプの謂れは何だろう。
その理由は、駅の東側の台地が掘削が必要な乏水性の地層(砂礫層)であること
が災いしている。

まいまいず井戸ができたのは、鎌倉時代ころではないかと推測されている。
そしてこの井戸は、1960年に町営水道が整備されるまで現役だったという。
まいまいず井戸のある五ノ神には鋳物師の集落があった古い地域にあたる。
すり鉢底の井戸へスロープをグルグル回っているうちに、浮遊する不思議な感覚
を味わえるはずです。

(←ブログ:2018・2・5 「羽村堰周辺を「歩く会」の予行演習」2008)

2018年2月8日木曜日

L字型カウンター席で一献      2010

(2018・2・7影:Tab)
「コの字型で小さな和風オープンキッチンのような一角に、ド~ンと50㎝
四方の真鍮おでん鍋があった。」と記したのは、50数年前の「でん八」の
風景だ。今夜またそれを彷彿させる吉祥寺のお店に着席でき嬉しくなった。
料理とともに楽しむ酒も、種類を豊富に揃えてあり、いつものようにビール
から始まって焼酎のお湯割りへ。

相方は昔からの気のおけない友人であり、本を著した著者でもあるが、無類
に酒を嗜むので同席していて話題も弾み楽しい。
暮れのWαの会に多忙で二年続けて上京出来なかった友との会を、4月の暖
かくなるころに皆の都合を合わせて検討してみてはどうだろうと提案。
ynは、新年会の延長ということもあって今年の予定の披歴。毎年継続する
「ドイツ魔女フェスティバル」ツアーほかの仕事をめぐって。
かつて同行したことのあっる、八重山諸島の魅力と再訪について語る。

2018年2月6日火曜日

気持ちが切れたときが身を引くとき  2009


2月球春来たる。プロ野球キャンプインしてすでに第一クールを終えたが、なり
を潜めていた鳥谷敬選手が今シーズンへの意気込みを語った。

昨年限りで現役を引退し、評論家に転身した狩野恵輔が鳥谷へインタビューして
いる。
現役時代に苦楽を共にし良き相談相手で信頼関係にあった狩野だけに、絶妙な掛
け合い対談になっている。
トリは昨年、新ポジション三塁で全試合出場を果たし、ゴールデングラブ賞を獲
って復活。一昨年、不振に落ち込んだことも「試合に出る前の準備」に要因を求
め抜かりなく修正してきた。この辺りのツッコミが、兄弟対談のような温かみが
醸し出されてイイ。

その激白の中身は、、。
6月には37歳になる鳥谷のこと、キャンプは無理せず順調にきているよう。
昨シーズン全試合に出られた自信を続けるためには、与えられたポジション(サ
―ド)をしっかり守り抜く。そうすると、現在1895試合継続中の連続試合出
場記録が2000試合の大台に到達する。あとは衣笠の記録を追うだけ。
ここでトリらしく、「後はどう辞めていくかっていう年齢になってきたので。」
そしてこうも、「準備をしっかりできるという気持ちを持続できれば、長くやり
たいなと思うし。」

2018年2月5日月曜日

羽村堰周辺を「歩く会」企画の予行演習2008

遊学舎のウオーキング部会の企画提案者として、あの未完の大長編『大菩薩峠』
の作者、羽村生まれの中里介山巡りを発案している。

その事前演習として、スポットの実地見聞と介山の菩提寺である禅林寺住職を取
材することにしています。
以下は、『大菩薩峠』の著者中里介山の墓碑(禅林寺)と江戸市民の取水の起点
「羽村堰」巡りの概略。

古く奥多摩から西多摩地域に住む人たちの暮らしを支えてきた多摩川と、玉川上
水の分岐点にある羽村取水堰・玉川上水周辺は、歩け歩けを予定する4月初旬に
桜が満開になるとおもいます。
都心からJR羽村駅までは、「青梅特快」に乗車すれば約1時間で到着するので以
前に比べて格段に便利になりました。

まず【まいまいず井戸】(熊野神社)
羽村駅東口前ロータリー先の熊野神社境内にグルグル渦巻き状の「まいまいず井
戸」が在る。
(⇒次日に)

2018年2月4日日曜日

豆まきを二度も           2007

大悲願寺の節分祭(2018・2・4影:tab)
暦のうえでは立春。やはり、ゆっくりと春の気配が動いているのを感じる。
きょう外の風は冷たいが、陽光はかすかに暖かみを帯びはじめた感じ、、。

節分の昨夜は大悲願寺の節分祭から帰宅して、残雪の残る外に向かって二度目の
「鬼たちはそと!」、「福はうち!」健康を祈念した。
この行事は、子供のころの田舎から鬼面うちとして伝承されてきた。
立春の季節の変わり目を境界として、これから先も厄介な病気や諍いなど起こら
ぬよう、古くは魔物幻想を払拭する儀式だったのだろう。

2018年2月3日土曜日

伊達政宗縁の大悲願寺の節分祭    2006


きょうは、節分。
あきる野日の出町の書店で本を数冊買って、帰路に急に思いたって五日市の「大
悲願寺」にまわることにした。
運よく到着時に、節分祭で豆まきの最中に出くわした。

真言宗のこの古刹には、伊達政宗自らが筆を執った書状が伝えられている。
この事は、『素顔の伊達政宗』(佐藤憲一著/歴史新書y)のなかで経緯が記され
ていることを覚えていた。

今回またヘンなきっかけで再読してみると、政宗が母・義姫に毒を盛られて毒殺
しようとしたことに衝撃を受け、母が溺愛する弟の小次郎を伊達家を継がせる陰
謀として、弟を手打ちにする事件として歴史に残っている。が実はきょう訪ねた
大悲願寺の第15代住職・法印秀雄こそ伊達政宗の弟だと寺の記録に残されてい
る。どうも、トンデモではない「白萩文書」のようです。

『漢和中辞典』か『新字源』にするか 2005

わが家には古い50年前の角川『漢和中辞典』(初版/昭和39年刊/1000円)
があるが、買い替えることにした。

岩波『広辞苑』は、先月、改訂第10版を新たに発売しているが、これまで一度
も新版に買い替えていない。
(昭和四十一年四月第一版第二十刷発行/定価2500円)
そしてこの度、買い替えることにした漢和辞典を検討していたところ、同じ角川
書店から出版されている『新字源』の新版を店頭で見た。

既存の『漢和中辞典』のほうは、国語学のyuの傍にあって、ボクもつねに有要
してきた慣れ親しんだ机上漢和辞典であるが、『新字源』は、IT機器の発達と
ともに進化著し23年ぶりの大改訂新版をアピールポイントにしている。
この部分に注目して、乗り換えてみることにした。

この三種類の超分厚く重量感のある辞典(書籍)の奥付を確認しながら、本は値
上がり率が極端に低く安い、とつくづく思った。半世紀でほぼ3倍ですよ、、。
今夕の食事は一串1500円のうな丼だったが、二串で大冊の永久モノの辞書を
一冊購入できると思うと価値観が崩れてしまう。

2018年2月1日木曜日

これまでの出版流通は大きく変わる  2004

トーハンの副社長近藤さんは、新春の会(大阪支店)で物流問題の改革を昨年に
続きより強く訴えている。
輸送問題への危機感からこれまで、あの手この手と手を打ちながら、ICタグで
さらなるイノベーションをと剛腕ぶりを見せている。

そんな矢先、アマゾンジャパンは書籍や雑誌を印刷会社からストレートに取り寄
せると発声してきた。
昨年2月の段階でアマゾンは、取次に在庫のない書籍について取引を打ち切ると
宣言をして、出版社との直取引に踏み出している。
そして次の一手は、まず雑誌などを出版取次を介さず、印刷工場から自社倉庫に
仕入れるという。出版社だけでなく印刷会社との直接取引で、岩盤だった取次会
社を前提とした流通構造が変わるだけに、歴史的なことだと思う。

アマゾンは、あらゆる書籍を2日以内に届ける体制をめざしているだけに、社会
的にも存在感が高まるだろう。
出版社は、アマゾンとの直接取引にたいしてまだ及び腰なところがあるが、さて
どう決断するのだろうか。

(←ブログ:2017・2・17 「アマゾンが取次をしのぐ勢い」1653)