2013年11月30日土曜日

京丹後の友人と

京丹後・味土野

すでに雪が降り始めている丹後の山間で暮らす、ろくろ名工の友人と電話で話
した。次の日にまたごうとする深夜で、欠かすことのない酒をちびりちびりやりな
がら、読書しているところでした。

一年前になるが、轆轤、漆器職人・Omくんから「丹後と被災地大槌町のふれあ
い」の記事が載った新聞を送ってもらったことがあります。(ブログ:2012・11・18)
その記事を書いた記者のStさんが彼の親友でした。

そして、今夜の話は、
「新興宗教」に関わるヒトが、震災被災地(者)救援を標榜してNPO法人を作り、
身障者を「不当」につかい活動をつづけている現実を、記者等が告発したことが
波紋を呼び、裁判沙汰の難しい局面に立たされている、とのことです。
被災地復興は遅遅として進んでいないなかで、この種の悪徳が栄えること、しば
しば聞くようになりました。本当に困ったことです。

京丹後の鯉のぼり職人による大漁旗が、大槌湾になびく被災地再生を願う絆を
報道した記者魂で、腰を据えて頑張ってほしい。

2013年11月29日金曜日

続・出版本郷会で、今年の収穫は!

(2013・11・27影)
毎回、本会では出席者名簿が配布されるが、今回は幹事から事前に「本と映画の
収穫」をあげさせられていた。

ぼくは、白井正己著『震災と語り』三弥井書店刊と、園子温「希望の国」を出した。

*オオエJさんは、辻原登著『冬の旅』集英社刊。著者は高校の同級生とか。
*ササキJさんは、大島幹雄著『サーカスは私の<大学>だった』こぶし書房刊。
  こぶし書房の最近の出版物が話題になる。
*シマダTさんは、坂田明著『私説 ミジンコ大全』晶文社刊と、ウェイ・ダーション
 「セデック・バレ」(台湾映画)。
*シミズGさんは、手持ち在庫の読破。
*ジンボTさんは、百田尚樹著『海賊と呼ばれた男』講談社刊と、宮崎駿「風立ち
 ぬ」。
*タケウチKさんは、高野秀行著『西南シルクロードは密林に消える』講談社刊。
*タザキHさんは、中井英夫著『虚無への供物』。
*ババTさんは、鈴木利宗著『地獄の伊東キャンプ 1979年の伝道師たち』大修
 館書店刊。
*ハラダAさんは、白井聡著『永続敗戦論 戦後日本の核心』太田出版刊。
*マツムラKさんは、百田尚樹著『海賊と呼ばれた男』講談社刊。
*ムラコシTさんは、島崎藤村著『夜明け前』と、R・レッドフォード「声をかくす人」
 小林政広「日本の悲劇」。
*ヨコイMさんは、『人をあるくシリーズ 坂本龍馬と京都』吉川弘文館刊、沢木耕
 太郎著『流星ひとつ』新潮社刊。
*ヨダKさんは、辻村深月著『島はぼくらと』講談社刊と、石井裕也「舟を編む」。

ちょっと奇異に感じたのは、9人の方がシアターで映画を観ていないと云うことでし
た。
本郷の会場に来る前に、岩波ホールで「ハンナ・アーレント」を観てきた人もいまし
たが、、、。



2013年11月28日木曜日

出版本郷会に



久しぶりに会う人が多かった。
一年に二回開催を慣例としている会なので、皆が簡単な近況報告をする。

そのなかで、10月に被災地の大槌に行った島田君から報告があった。
ぼくが前もって提案していたように、城山の高台から廃墟の街と大槌湾を見て、
一頁堂書店で木村店長の話を聞くと云うものだった。
彼は、実際におくればせながら3・11被災現場に足を踏み入れ、聞きしに勝る
心底迫るものがあったと言ってくれた。
特に津波で流出してなにものこってないのっぱらに鉄骨むき出しの荒れた旧
役場庁舎を見て、前町長が対策本部を外に設置しようと役場前に出てきたとき
10メートル越えの黒い波が押し寄せてきてのみこまれた場所を実感した、、と。

残った役場庁舎の玄関周りを、遺構保存することがやっと決まった。
復興への思いを共有できるベターな決断だとおもいます。

一頁堂書店との会は、シーサイドタウンマスト内で一時間余りにおよぶ有意義な
ものだったと聞きました。
トーハンの提案から始まって、被災地のなかに新しい書店が誕生して話題にな
るが、経営の厳しさもひしひしと感じていることが伝わる。
今では、被災で一変した子どもたちの学習環境を少しでも明るくする手助けの喜
びを励みにしていると。




2013年11月26日火曜日

秩父晩秋の荒川・紅葉

秩父荒川&武甲山・桜橋から(2013・11・23影)
秩父路は、何十回となく行っています。
今回は、武甲山を背景に荒川の赤く染まった紅葉と、音楽堂(音楽寺)のイチョウ
並木道の散策でした。

秩父を訪ねるきっかけはいろいろあります。
縁戚の国立中野療養所所長だった伯父さんが、鮎釣りで、我が田舎・吉井川に帰
って来ていたし、秩父の病院をキャンプにして、秩父荒川にも出掛けている話しを、
こどもの頃よく聞いていた。
車で出かけるには、住いから比較的近いことと、寒さ暑さの激しい盆地の風土や
風景が好きなことです。

次の出合いは、秩父困民党の足跡めぐり。
一時期、毎年春に行った野球の合宿。
12月2・3日の秩父夜祭り。
札所めぐり~秩父神社・三峯神社・宝登山神社にのぼる。
花花、カタクリ・ロウバイ・ザゼンソウ~羊山公園の一面芝桜・清雲寺のしだれ桜。
すべて地元衆で演じる小鹿野歌舞伎。
長瀞岩畳と秩父赤壁との間を船下り。ここで、運よく自然薯に出合えることがある。
そして、秩父の旨い食と地産モノはつきない。

秩父に行ったら必ず寄るのが西武秩父駅の仲見世!
小昼飯の「えびし」で抹茶か珈琲し、しゃくし菜漬と干し柿を手みやげにする。
手作り味噌を造る前は、秩父味噌も入手しました。

2013年11月24日日曜日

草野球に興じる!

(2013・11・24影)

大宮健保グランドで、ダイナマイツ・オールドの顔見世野球試合が行われた。

ぼくは、一昨年秋以来の出場であったが、ケンゾー君が平成に入って初めてとか、
モリ君も一年ぶりで、試合前から賑々しかった。いずれも草野球を通じた交流友達
なので、やはり、過ぎ去りし日々の溌剌としたプレーの陰りを実感させられました。

吾輩は、第1打席、三遊間を抜けるかとおもわれる芯でとらえた打球を好捕された。
その際1塁へのダッシュで前にツンノメッテしまった! 極度に足の衰えを感る。
さらに、第2打席では、四球で出塁し次打者の長打で長駆、本塁をおとしいれた。
このシーンを見た皆が往年の走力の残像を見たおもい、と握手してくれたよ!

50代半ばのときに年長者のプレーに刺激されて、60歳までは自分も出来るんだと
踏ん張ってきて、もう少し楽しもうと自らを鼓舞して70才余に至っている。
ただし、この2年間は、環境の変化と野暮用に追われてグランドに出られなかった。
今日の身体感覚からすると、未だ可能性を残しておきたくなった。

オールド対シニアの7回戦─→7対7の引分け。

2013年11月23日土曜日

ポール・マッカートニー最終公演に!



 21日に、ポール・マッカートニーのライヴが、東京ドームであった。
僕が行ったわけではありません。

変わらず熱狂的ファンが、周辺の友人にいることの驚きです。
ケータイやメールで、会場に向かっている臨場感から始まって会場でのテンショ
ン覚めやらぬ心地の感情がヴィヴィットに伝わってきました。

ババゾノさんからは、「ポールはすでに71歳、先に行かれた方の報告では、か
なりエキサイティングな公演らしいから、楽しみ、元気をもらってきますよ」と。
「フジテレビ、朝の目覚ましテレビインタヴュー受けちゃった!」興奮の度合いが
伝わってくる。
会場を出て早速の一声、東京ドームのポール最高最高!
(会場では、リズムに乗りまくり、ジャンップしていたのは、間違いなさそう。)
以前に、R・ストーンズのライヴにも出かけてる、徹底した音楽マニアであること
を知った。

また、あるヒトは最高のライブだった。 一日経ってもテンションが下がらない。
まだまだ感想を語るには早すぎる、、、。

2013年11月22日金曜日

絶版本を電子書籍で復刊だと!


デジタル技術を活用して、絶版になっている本を復刊するサービス会社のニュース
を見ました。

それも、一冊単位で出版するという、画期的なコトのようだ。
出版社からの企画受託から、絶版本の電子化→出版→書店への流通までを、共同
展開する構想なので、利便性は高いだろう。
紙の書籍もデジタル印刷機を使い一冊単位で、在庫リスクを負うことなく復刊できる
夢のような事態到来か、、、。
新刊書籍と変わらない値段で購入できることが前提だが。

かつて1960年代、古本屋さんで「絶版」本を発見して購入するには、それぞれ本の
値付けに高低はあったが、一万円以上するものばかりだった。

埴谷雄高『死靈』、丸山真男著「政治の世界」、黒田寛一著『マルクスとヘーゲル』、
高橋和巳『捨子物語』、塔晶夫『虚無への供物』、『マルクス・エンゲルス選集補巻4』
などは、絶版の状態で入手が非常に困難の極みだった。
後に、出版元が変わったり、巻数ものに収録されるなどして刊行されるが、当時は、
居ても立ってもいられなくて大金をはたいて手にしたものです。
50年前の本が、今も日焼けして書棚に残っています。

2013年11月21日木曜日

ドライヴ旅が好きな理由を一言。


年に5、6回、ドライビングで旅に出かけていました。40代~50代が最も頻繁
で、60代に入ってから少し減って、今では年数回になりました。

行き先は、列島の海岸線を走って、ときに内陸部の辺境に入り込んでは、また
海辺沿いにとって返しドライビング、と云う流れです。
見知らぬ場所と、人と、生活に触れながら、目先をかえるるのが好きです。
目的地は即決して出かけるのが慣例になっています。ぶらりと風船気分で、基本
的にメカナビを使わず、Yhuの地図帳ナビゲーションが旅先のプロセスと行き先
を左右することになります。
普通には行かれなところにクルマで分け入り、さらに歩いて、、というと具合です。
陸中宮古の「鯔が崎」などが、そう云う忘れられない場所です。
思いがけず、未知との体験に遭遇することができます。

これまで、本州、北海道(稚内、未行程)、四国(高知、未行程)は走破しました。
行った場所と風景の「記憶の断層」には、濃淡があります。
海岸線から辺境の風景は、20代から70代の50年間やそこらでは、変わりよう
がありません。
ただし、大きな津波襲来のような天変地異の怖い光景ががなければ、のことで
すが。
3・11東日本大震災以降に再度訪ねた場所、釜石、大槌、山田、宮古のガレキ
の山、船の残骸が墓場に見えました。

これから先き、どれくらいドライビングできるのだろうか、、、。
海外には、オーストラリア、サイパン、ハワイ、中国にしか行っておらず、ヨーロ
ッパや米国などへ旅することはなかった。
もともと、欧米の大都市を歩くことにあまり興味ないのかな~。


2013年11月20日水曜日

10人中、10人がスマホを、、、!



凄い時代だとおもう。
吉祥寺から井の頭線に乗って明大前までの車中で、ぼくの対面に座っている男女
八人と窓際に立っている女学生二人の全員が、スマートフォンを使っていました。

ぼくはいまだに昔ながらの携帯電話を所持しているだけですが、おおかたの人が
スマホに一気に移行している風景を見てしまった。今どき、この風景は驚くに値しな
いところまで、普通になってきていることが驚きでした。

この事態を今日の集まりで話したところ、二機種ぐらい携行するのは当たり前と云
うことで、バックから取り出し使い分けの説明をされたりして、戸惑いました。
1990年初頭にITの話を聞き、一般生活のなかでの実用性は先の先と踏んでいた
が進化のスピードに誤認があったかなと、、、。

2013年11月19日火曜日

田老三王岩から宮古/記憶の断層15

田老・山王岩(2002・8・14影)

田老へ。ぼくが行ったときは、まだ田老町だった。2005年に宮古市と合併した。

「昭和8年大津波」の上に、「明治29年大津波」の標識が港の崖に記され、津波
襲来の高さを示していた。
田老には、日本一高い防波堤があって防災の町として知られていました。
民家の二階の屋根ほどもある巨大防波堤が街を守ってきましたが、311大津波
に飲み込まれてしまいました。多大な被害をもたらしました。

明治、昭和、チリ地震津波については、吉村昭著『三陸海岸大津波』(文春文庫)
があり、貴重な証言、記録を基にした記録文学の傑作です。
本書は、3・11後にしておもうに予言の書であったかと。

鉄道だとモグラになるが、クルマだと深い入り江を経ながら、鏡のような海に養殖
の筏が浮かぶ風景に溶け込みながら走れる。






2013年11月18日月曜日

「からたち日記」の頃

二冊の書影

島倉千代子さんが亡くなった報を聞いたとき、いろんなことを想った。

同日、かつて草野球チームで一緒にプレーしてきたが、その後、長く疎遠になっ
ていた、泉くんの訃報に接したこと。疎遠になってしまった空白の時間を、人生
いろいろあるんだとしみじみ思う。

高校時代の友人・ツボカワくんが、島倉千代子の「からたち日記」を休み時間の
教室で身振り手振りでよく歌っていた。ほかの曲目を歌うこともなく、なぜかこの
歌だけを歌唱力が伴わないにもかかわらず、堂々と唸っていたのが忘れられな
い。

さらに、虎のおいらの記憶として思い出すのが、島倉さんが当時、阪神タイガー
スの4番でスラッガーだった藤本勝巳選手と結婚した意外性に驚いたこと。
岡田元阪神監督から、こどものころ、島倉さんにティー打撃のボールを庭で上げ
てもらったことがあった、と聞いたこともあります。

ミステリーが好き!



昨日、高村薫の映画化(WOWOWプライム)された『レディ・ジョーカー』と『マーク
スの山』を観た。

本の宣伝帯やTVのドラマ枠にミステリーと銘打つか、サスペンスと表現するかで、
観客、読者は微妙な違いで受容することになる。
松本清張や高村薫らの社会的背景から描く犯罪の謎解きに重点がおかれたミステ
リーものが、ぼくの好みです。

両方とも、原作で読んでいたが、映像版もミステリー・ドラマとして一級品だった。
魅力的な題名の不思議からして、ミステリーの条件を満たしている。
犯罪の動機も、被差別部落、階級社会の落差がプロセスのなかで交錯し、浮上し
てくる。サスペンスの高揚感も十分高められる。
そして、結末に知的な驚きがともなえば一番いい!

2013年11月16日土曜日

桃井章演出の「パラソル」を観る

(2013・11・16影kdc)


芸術の秋と云うが、午前中はハルの展覧会へ。(後述)
午後は、またまた友人・浜田が主演すると言うので、乃木坂の小劇場コレドに出
かける。ここにきて、かつての演劇同好の志と再会する機会が多くなった。

桃井章脚本・演出の「パラソル」観る。
乃木坂COREDOは11月に閉店になるが、最後の舞台を小屋の主宰者でもある
桃井章自らの書き下ろし「パラソル」の公演に決め、幕を下ろすことになった。
(桃井かおりのお兄さん)

浜田晃と滝沢めぐみ演じる二人芝居。
舞台は、にわか雨が野武士的な初老の男と若い女をパラソルのなかに閉じ込め
る。にわか雨が本降りとなり、そしていつの間にかパラソルの中で数十年の月日
がエンドレスに経っていく、、、。
1960年代を想わせる時代背景もチラつくなかで、女性ぽい滝沢めぐみを少年に
変質させるカミングアウトのドキドキ感があったりして、一時間あまりの舞台を飽き
させない。
題材は、桃井さんがポルトガル映画「熱風」を見終わって、映画館を出た途端に
強烈なにわか雨に見舞われ、連れの女性と裏通りのオープンカフェのパラソルに
逃げ込んだ時の光景から、ドラマの展開へ広げられていった、と語っている。
さらに、演じる役者までイメージする、プロセスの斬新さに惹かれました。

老練な役者に進化し続ける浜田と、若い新進の俳優修行始まったばかりの滝沢
めぐみの丁々発止の渡り合いがあってこその演劇公演でした。
再演、再々演が期待できるすばらしい試みでした。


2013年11月15日金曜日

『昭和の出版が歩んだ道』を読む

書影(2013・11発行)

タキイさんから、お願いしておいた本が、早速届いた。
『昭和の出版が歩んだ道』能勢仁・八木壮一共著が、出版メディアパルから刊行され
ました。

昭和の出版と言われても、特に出版の場合は戦後と戦前では、本の流通システムが
がらりと一変するわけで、どんな出版史になっているのか関心をもって読んだ。
著者も当初は、1945年から1989年(昭和20年~64年)にしぼり込んだ「戦後出版
史」を意図しつつも、日配解散、東販、日販誕生を書こうとすると、戦前の日配誕生に
さかのぼらざるをえなくなったと、書かれている。
そのことは、とりもなおさず昭和初年からの戦争へ向かう流れでの出版事情に触れな
ければならなかったことが解る。

昭和初期の四大取次・東京堂、北隆館、東海堂、大東館が強制的に解散させられる
が反対は、ほとんどなかったことなどの裏事情を知り、納得したりしています。
ほかに、昭和の出版黎明期を円本・文庫ブームと委託制度の変遷で知り、昭和出版
史を再度学ばせてもらっています。

八木壮一さんの「バーゲンブック流通略史」が本書の7章に収録されているが、バーゲ
ン本の歴史的経緯の薀蓄から、身近な「時限再販」、「部分再販」の論述は、本の全う
な救済論として感心しました。

2013年11月14日木曜日

焼酎/黒じょかにお湯を入れて




薩摩おごじょのSBさんが、本格焼酎を飲むのに決まりはないが、隠れた香味を
引き出すには代表的なスタイルがあると、薀蓄を披瀝してくれた。

鹿児島では毎日、焼酎をお湯割でいただいているよ、と。毒消しと睡眠にもって
こいの常備薬のようなもの。
黒じょかにお湯を入れて、本格焼酎を好みの量をそそぎ、回しのみが普通の飲
み方だと、、、。

ぼくが、若いとき好んで飲んでいたのは、ビールだった。
両足首に痛風を発症してから、尿酸値に影響を及ぼすといわれるいろんな食事
制限を試みた結果、ぼくの体質にはビールが最悪と判った。
随分と破天荒な飲み方をしていた時期が、長く続きました。いまでは、酔い加減
の基準値をわきまえるようになりました。
ビール断ちをしたことが、芋焼酎に転換したきっかけですが、歳とともにお酒を飲
み交わすには、自分にとっていちばんしっくりきているということです。

2013年11月13日水曜日

木枯らし吹き抜け一気に真冬日!


11日は木枯らし吹き抜けるなか通夜に向かったが、今日は、一気に真冬日の冷え
込みに遭遇した。
関東各地で初雪、初氷が記録された、映像ラッシュ!
ハル曰く、軽井沢も雪降ってるかな~スキーに行こう、だって。
一週間前は、25度以上の日があって暑いと感じていたかと思うと、秋の紅葉を満喫
することなく、コートを羽織る冬気分に突入です。

今日一日も、タイムスケジュールで動き回っていました。
*トーハンでムックグループのENさんに久しぶりに会い、立ち話。二年ぶりぐらいに
なりますねと、、、。かつて、電話一本でデータ出しをしてもらっていた。
ほかに、TK課長さんと。
窓口交渉、正午過ぎに了。

*行政書士HYさんと、NPO決算準備の段取りで打合せ。
彼が終末から中国へ出かけるので、帰国後の資料出しと詰めの合意。

*水曜会に遅れて参加する。6名。
滝井さんから、八木書店八木壮一さんの共著本の紹介があって、購入の予約する。
毎年のことながら、「出版社売上ランキング」(出版ニュースの資料を再構成)を受け
取る。現役を離れていても、ここに掲載された数字は、毎年の出版社の盛衰を如実
に読み取る楽しみがある。

同席の出版コンサルのオザカンさんと話す。浪江で活動している被災地NPOの出版
人をサポートする仲介ビジネスが、やっと身を結んだことを聞く。一安心か。


2013年11月12日火曜日

大槌の風特定非営利活動法人の現況

被災写真の復元(2013・11影)

岩手県大槌町の被災した子どもたちに本を届けることから始めて、森の図書館を
佐々木さん主宰でオープンできました。全国からよせられた好意で、子どもの本が
いっぱい集まり、利用されており、軌道にのってきています。
今は、本を贈る活動は、一段落しています。
本のメンテナンスや改良など必要なフォローが多々あれど、残念ながら遠隔地と云
うこともあって、できていません。

また、被災の伝承の必要性を強く感じ、映像や聞き書きも端緒についたばかりで思
い通りに運んでいない実情ですが、もう少しこれまでの共有の可能性を持ちつづけ
たい気持ちです。
3・11直後にガレキのなかに分け入り、日々づっと東日本大震災の復興に関心をも
ち続けてきていますが、遅々として進まないことに心が痛みます。

大槌の風NPO活動は、これまでの被災以前からの地縁にお返しすると云うか、ぼく
なりの社会への関わりです。3・11被災地とかぎりなく共通の意識で支援したい。
支援者には、かげながらの協力者になってもらっています。


2013年11月11日月曜日

北山崎・鵜の巣断崖/記憶の断層14

北山崎&鵜の巣断崖(下)


辿り着いた久慈駅は三陸鉄道北リアス線久慈駅とJR久慈駅が仲良くロータリーを
共有して駅舎が在った。
海岸の景観の美しさでは最高ランクと言っていい北山崎へ。

久慈から三陸海岸沿いを走って、そびえ立つ断崖に立ったときは、思わず海にす
いこまれるのではないかと思った。
大津波が鬼となって断崖を襲うこと、十年前の夏の記憶です。
入り組んだ200の断崖絶壁がほぼ8キロもつづく。そのスケールの頂点を誇る断崖
が鵜の巣断崖。中腹にはウミウの巣があることから名づけられた。
ところが、311震災津波で巣が危機的状況にあることを報じていた、、、。
この海岸断崖の隆起した段丘の上にできた村が田野畑村なのだ。

ぼくがたちが50年たらず前に三陸に行ったとき、宮古と久慈間に鉄道はなく、道路
も不備で「陸の孤島」と言われていました。
北山崎を後にして思案坂、つぎの辞職坂に架かる思惟大橋(1984年に開通)に停め
て、かつての難所の全容を拝む。全長315メートル、高さ120メートルの足がすくむほ
どの深い谷にかかる橋。
船の上から絶景を眺めることができるが、次の機会になった。

この村では、江戸後期に三閉伊一揆が起こっている。
厳しい環境のなかで生きてきた、連帯の村・田野畑の現代につながる原風景をみた
よう実感しました。

2013年11月10日日曜日

被災と家族写真


100歳に近い御祖母ちゃんの具合が悪い知らせがありました。
3・11、その時は、大槌町のわが家に一人で暮らしていました。
津波が家に襲いかかる、間一髪で高台の城山にブッシュを掻き分けながら逃れ
ることができました。

東日本大震災で被災した人が一番に探したのが家族写真だと云う。
震災直後の4月にGyoは、被災地で潮と泥で汚れた写真を洗浄する支援に携
わった経験があります。

今日、ヘドロが付着したままの最後の被災写真を整理しました。
その多くが、家族写真で、修復再生が可能なレヴェルをA、B、C、不能のランク
付けしたところの、C以下の写真類の取捨選択をした。
ほとんどが、ぼんやり蜉蝣のようか、剥がれたシマウマ模様でしか見ることがで
きない悲しい状態のものばかりでした。
アルバム帳の巻きがねすら曲がって見る影も無いなかの、わずかに見るに耐え
る写真を選んで、親子、孫三代の家族の人生、歴史がたどれるか、必死に凝視
した。

2013年11月9日土曜日

追悼 泉幸彦


泉幸彦さんの訃報が、ダイナマイツ球団監督の杉山くんから伝えられてきたとき、
あの頑健な彼が、、、とおもった。

あの、と云うのは、D球団を設立して間もない頃、彼も参加した合宿を奥多摩小菅
で行ったことがありました。
そのとき夕方から、チームの家族も一緒に、民宿そばの河原でのバイキングにな
りました。
その準備の火おこしから料理の手順を黙々とこなす泉くんの姿が印象に残ってい
ます。山登りをしていたのでしょうか、ヤマヤさんの道具一式らしきものを持参だっ
たようにおもいます。
彼の子どもと、ほかのフアミリーの子どもたちの皆になつかている優しい姿、、、。
野性的で健康そのものように見受けました。
勿論、それから歳月が経ち、その間に何らかの事情もあって、今日まで会う機会が
ないままになっていました。伝え聞くところでは、長く入院中だったらしい。
人生いろいろだが、疎遠になり会いに行くこともなく突然の訃報に接すると、一層悲
しい。

洋泉社の仕事で、1980年代には何かと協力(デザイナー)してもらったはずです。
年下の人が去っていくのはこたえます。

2013年11月8日金曜日

尻屋の村から太平洋沿岸を南下~/記憶の断層13

尻屋崎の寒立馬と遊んで、まさに地の果てを思わせる行き止まり尻屋の村へ。
真冬になれば、村が雪でとじこめられて海からの寒風にさらされ、孤立した生活が
日常であることを容易に想像させられる。



太平洋側海岸沿いを走って、「猿ヶ森のヒバ埋没林」と、まりもの「左京沼」へ。
太平洋岸に大量の砂が吹き上げられて、多くのヒバが立ち枯れたまま埋まった遺
跡で、千年くらい前のもの、、、。

小袖海岸(2002・8影)
次の目的地、久慈に向かって南下する途中、珍しい呼称の「階上駅」に車を停め
る。 「いちご煮の里」の看板を見かけた。
三陸海岸の伝統的な料理と聞いていたが、この辺りがメッカなのだと知る。ウニと
アワビ(ツブ貝などで代用されることもある)の潮汁だそうです。赤みが強いウニの
卵巣の塊が、野イチゴの果実のように見えることから、この名称に。

さらに20年ほど前、ねぶた祭りを観に行った時に、青森駅そばの古川市場食堂
で食した熱々の「いちご煮」が美味しかった!


2013年11月7日木曜日

ダイナマイツ準優勝!

ダイナマイツ/初代ユニホームで(1994・9・10影)

9月、台風で延期されていたカンバイズ・カップ、リーグ戦が11月4日に開催された。
ダイナマイツ監督スギヤマから準優勝の吉報がとどいた!

以下に↓
決勝で、あゆみに2―3で敗れました。初回に1点先取したものの、3点を奪われ、
最終回に1点を返しましたが、あと一歩及ばずでした。結構悔しいです。
初戦はブリカマで、これも2―1の1点差、2回戦のカンバイズも3―2のサヨナラ勝
ちで、しびれる試合ばかりでした。
秋なので体力勝負にはならず、好ゲームが多かったようです。

平成元年(1989年)5月に、「洋泉社と、ライター、デザイナーの草野球チーム・
[DYNAMITES]旗揚げイベントが、新宿歌舞伎町[でん八]で賑やかに行われた」
と『私記』に記している。
その宴席で、各選手が選んだ背番号の真新しい綿のユニホームを手渡した日のこ
とを鮮明に覚えています。
同一監督の下で、四半世紀にわたり戦い楽しんできた名門ダイナマイツは、多くの
シーンを見せてくれ、ヒトとの貴重な交流をもたらしてくれました。



2013年11月6日水曜日

聞いたこと、感じたこと

大槌町城山から(2012影)

出版「梓会」のメンバー10人余が、先月26日に3・11被災地の大槌町を訪ねた。
大槌町の象徴・城山にまず登って、大槌湾に伸びる壊滅した「街」を見て何を感じ
たか。「実際に現地に立ってよかった」と云う共通の声があったと聞いています。

その後、城山から一頁堂書店に向かって復興する町の文化の発信地に接したは
ずです、、、。
書店経営の無い素人が一念発起して開店にこぎつけ、今日にいたっている木村店
長夫妻には、様ざまな試練があったと思われるますが、マスコミ各メディアも取り上
げ応援してくれている。
また、トーハンのバックアップとサポートが良い。

水曜会では、直近の伊豆大島を襲った山津波被害と、3・11の震災の悲惨の大変
さをめぐる話になる。
両災害の行方不明者の捜索は、これから長く長く続く課題です。
大槌湾でも行方不明者を、海底を手探りで確認していくダイバーたちを見たが、頭
を垂れる。
潜ること自体、精神的に辛く苦しい作業だが、継続することが被災者の支えになっ
ている。ぼくは、バディー同伴でないと潜水できない初級ダイバーですが、彼等の突
き動かす心情が分かる気がする。

2013年11月5日火曜日

東日本大震災の語り部活動の記事に触れて


3・11被災当時の状況を伝える語り部の活動が転機を迎えている実情レポートに
接しました。
僕自身、地震大津波の被災で町が壊滅し、瓦礫の山を掻き分けて大槌町に足を
踏み入れた時の衝撃から、一年目より二年目と経過するなかで、温度差が出てき
ているのを感じます。

前にも書いたが、震災の語り(伝承)は、時間の流れとともに段階的に変化してい
くように思われる。
地震と大津波モンスターの爪痕を鮮明に目に焼き付いていた被災庁舎や、屋根
に乗り上げた観光船や、焼け落ちた江岸寺本堂のなかに転倒した車の、震災遺
構の解体、撤去が進み、被災地を訪れる人の眼の風景が後退してきている。
被災直後の城山から俯瞰して、津波にさらわれた荒野に瓦礫だけ残って何もなく
なった街を見た実感から、徐々に遠ざかるのは致し方ないが、現在から近未来に
映像や写真、記録集を残して、徹底した伝承をして欲しい。

昨年6月に、フィールドワーカー増田さんと桜が満開の旧安渡小学校校庭の仮設
住宅に入居する被災の小国ヤスさん(たち)を聞書きしました。この時期は、未だ
傷心癒えずで口を開くヒトが非常に少なかった。
聞き手の増田さんはメモ取りだけで、もっぱら正対した相手に物語ってもらう手法
で、話しに深みが増した。(ブログ「大槌の風」2012・6・15記)
ぼくはひたすら、会話する身体を見つづけ、その言葉を焼き付けていた。
この地には、佐々木喜善の先駆的昔話語りや「遠野物語」などの、東北の民話の
語りの優れた伝統的形式がある。
何らかのお手伝いをしたいと計画しながら、手付かず状態で悶々としています。

縁者の100歳に近づいた御祖母ちゃんを、今一度、故郷大槌へ連れて帰りたか
ったが、叶わないか、、、。



2013年11月4日月曜日

自転車教習

桜井家(1968・8影)

自転車に始めて乗れた日の喜びと快感について、今日、ハルを猛特訓することで
昔々を思い出した。

庄屋だった母方の家の前を県道が走っていたが、嵩上げされて一方が急傾斜に
なっていた。道の下は水田になっていました。
当時は、国道といえども舗装されて無い砂利道は当たり前で、急ブレーキに前輪
を取られて5メートルほどの急斜面を落下したこともあった。

戦後直後は、自転車がどこの家にもあるわけでなく、いわんや子供専用自転車を
買い与えられた子は稀でした。そんなわけで、母方の家にあった26インチの自転
車を県道に持ち出しては、三角乗りで練習したものです。少し漕いでは転んで、す
り傷は当たり前の練習の継続でした。
やっと、足を地面につけずペダルを踏みつづけられたのは、数日を要したある日、
突然の感じでした。小学校に入って間もなくだったように記憶しています。

ハルのトレーニングは、補助輪を外して、両足をペダルに乗せ、ハンドルを取られ
ないように体を軽く支えてやりゆっくり走り続けた。公園の700メートル周回道路を
3周したとき、彼自らの「手を放して!」の一声に応じたところ、見事自立した。
彼の歓喜はひとしおだったが、ぼくも感動しました。

若い起業家志望のモニタリング

門に咲く山茶花(2013・11影)

DTを辞めて新事業の立ち上げる若者の相談を受ける。
そのための、テスト(検証)の相手役を頼まれたと云うわけです。

シノ&サキのインタヴュー
スマート端末タブレットとアプリSkypeともう一つのアプリ(設定)における利用動
向を検証する作業です。ぼく自身、スカイプは結構、あり難く利用しているので、
普及いちじるしいスマートフォンと連動させるコミュニケーションツールのアィデア
には夢があると、とり合えず思った。

事業ビジネスは、高齢者遠隔コミュニケーション(自立支援)のツールづくりらし
い。
ぼくは、75歳の御祖母ちゃんを無理やり東京へ連れてきて同居し、良しと慮っ
たコトが災いして、返って寿命を縮めたのではないかと、今でも残念に思ってい
る。

さて、検証。わが家のなかで、日常よく過ごす場所に端末を置いてみる。

2013年11月2日土曜日

下北半島下風呂温泉/記憶の断層12

尻屋崎

下北半島のむつ市をぐるりと囲む大自然、とりわけ海岸沿いを走って下風呂温泉
まで、やっとたどり着きました。

新島襄が「快風丸」で江戸から函館に向かう途中、立ち寄ったのが、下風呂温泉
(しもふろ)で、「万病に効く」と記されていた。
下風呂の名は、アイヌ語の「シュマ」岩と「フラ」におい、が由来とか。風間浦村の
温泉街はその名のとおり硫黄の匂いが立ち込めていました。ここは、湯治場として
古くから知られ、北海道や東北各地から大勢の人がおとずれた。

大湯と新湯があり、大湯に入浴しました。熱めと温めの二つの湯船があり、床は年
期の入ったヒバの板張りでした。
湯船には、仕事を終えた地元の漁師さんが和気藹々と疲れを癒していた。その人
情に触れることができて、生活の共同幻想を知る。

次の地の果て尻屋崎燈台は、ぼくの旅の記憶でも、屈指の一つです。そんな訳で、
今回の風船旅行の記述のなかで、既にトップ引きしました。

2013年11月1日金曜日

柿~明日から産業祭


もう、11月に突入か!
今月は、鬱陶しいことが重なる。まず、「大槌の風」の決算、事業報告の11月提出
の準備にかからなければならないこと。
少しはNPO組織としてのシステムをつくろうと思いながら、個人活動の域を脱するこ
とができなかった。
別に、抱えている編集の仕事が佳境にはいってくるので、手を抜くことができない。

庭先の柿を収穫!
朝からGyoを、慣れない柿の木に登らせて、重厚に色づいた柿を捥がさせました。
木に登ること、ままならなかった幼少のGyoだが、コツを覚えるのは素早かった。
彼は、手足の筋力を水泳でしっかりつけている効力で、柿木の枝に手と足を交互に
かけて着実に上に上に攀じ登る快感を得て興奮気味だった。

食卓に果物を欠かさないのがわが家のしきたりでだが、初物の柿だけは店先から買
うものではなくて、少し遅れても自前のものが並ぶまで我慢するようにしています。
今年は台風にやられて収穫は少ないが、渋柿の混ざりがほとんど無いようだ。
昨今の店頭に並ぶ柿は、種無しが多く出回っておるが、これはイケマセン。ぼくは、
少し硬めで果肉にプツプツの糖分が滲む、大小を問わない古風な柿が大好きです。

前にも記したが、柿の加工の方法を取得した平安時代には、干し柿が味覚で最も甘
いモノとして、砂糖代わりに流通していたようです。

柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺 (正岡子規)