2015年12月31日木曜日

2015*大晦日           1240

大掃除は比較的スムーズに終え、年賀状も書き終えて、最後におせち料理の手伝
い。
三浦大根と人参の皮を剥いて料理用カンナでスライスし、塩もみからあく水分切り
してボールに浸すまでがぼくの仕事。
膾が大好物の一品なのでこの時とばかりに大量に造る。あわせて、氷頭膾が揃え
ばこの上ない。

→「写真で刻む」続き。
*2015年4月。
第一次安保闘争から55年、集団自衛権行使容認に180度舵を切ることになっ
た。



*5月
池袋リブロ撤退ののあとには、三省堂書店が引き続き出店する。
                          

2015年12月30日水曜日

自前の写真で刻む2015    1239

<2015年・1月>
義娘は新年早々に大槌町に帰郷した。
同窓会が大槌町浪板海岸「三陸はまホテルはまぎく」で、新年幕の内にあった。
当ホテルは、津波が3階の上まで押し寄せ鉄骨むき出しだった旧「波板観光ホテ
ル」が再興なったもの。
                                                                                   


2月。
賀状で、江夏さんにタイガースの沖縄キャンプ臨時コーチが楽しみと一筆添えた
が、実際にサプライズ登場で楽しませてくれた。
実際にワンポイント指導で若手が育ってきているからすごいよ。



3月
大槌町の「虎舞」が倉敷「星野仙一記念館」特設ステージで舞う。
倉敷在のまつり好きの弟たちも見物。
                                          
             

2015年12月29日火曜日

復興拠点施設の整備は進んでるが1238


岩手県が作28日3・11東日本大震災後初となるこの度の国勢調査の速報値を
発表したのを知った。

とくに10月1日現在の陸中沿岸部12市町村の人口は総計25万1325人で、
10年前の前回調査に比べ2万2761人(8・3%)減っいる。
多くの震災犠牲者やその後の復興遅れで、人口流出に歯止めがかからない事
態が続いている現況がわかる。

そのなかでも、大槌町の人口流出が23・2%で最大であることを知る。
毎月の市街地「定点観測写真」でもわかる通り、津波被害に遭遇して、いまだに
3000人以上の被災者が5年目の冬を仮設住宅で迎える。

町民活動の拠点となるエントランスホールや図書館などの大型箱物は設計・施
工業者の選定を終え特定建設企業体に業務委託した段階のようだが、どうして
も仮設の生活者に目が向いてしまう。
同じ沿岸の釜石市、宮古市、久慈市では減少率は改善されたという。震災直後
から思っていたことだが、市の狭間にある大槌や山田への支援に温度差がある
のか復興が鈍く感じられる。

トリの「でん八」忘年会へ     1237


ここ数年、「でん八無定形忘年会」は師走押し迫った28日に固定してやってき
た。
昨年は長田君が健在だったので、加藤登紀子の「ほろ酔いコンサート」のあと、
会場近くのお好み焼き居酒屋が忘年会場所だったのを想いだした。

今年は歌舞伎町の本家本元にそれぞれが集まったが、ぼくにとってはこれが
年末の最終ラウンド。

ネモト:年の瀬になると、今は亡き忠ちゃんと年越しの朝まではしご酒をくらっ
たエピソードを話す。そして、最近はめっきり外に出なくなったがジョギングだけ
はやっていると喋り終え、次の忘年会場のゴールデン街へ。
明日だと自社スタッフの忘年会があって無理だったが今日でよかったと、和服
姿で登場のセキネちゃん。
日本酒利き酒ができる彼女は、越乃寒梅をグイグイと心地よくあおり辛辣な語
らい。でん八開店時からの一番古い客で、「女に興味がない」ことになっている
モリモトさんから女性感が出ると、すかさず、だから話さなかったし近寄らなか
ったと、、。

ほかに、アキさんから一昨年末と昨年2度転び骨折をしてリハビリ中とか、、、
歌舞伎座舞台装置の職人で江戸風流の人からは、酔うと転び癖があり3回転
倒し、一度は救急で搬送されるまで意識不明とか、、恐い話も出る。
この会に出られない中沢忠さん、二見さん、船越君らの話題が飛び交った。

さらに、昨日の忘年会が、「うどんすき」懐石だたのことから、節ちゃんが京都の
「美々卯」」のうどんすき談義をしてくれる。納得。
はじめてゆっくり話を交わすことができた芸大油絵科のコヤナギさんが参加で  
愛ちゃんの友人関係のことも知ることができた。

まだまだ固い世情の話も続いた。
戦前の満州、日中事変関係の本を読み、今になって親や関係者から聞き書き
し、喋ることの必要性を痛感するようになったと。
こんなところで、やっと「つみれ鍋」がでる。

2015年12月27日日曜日

W忘年会              1236

(2015・12・27 影:Tab)
きょう夕方4時から新宿「美々卯」で恒例の「語る会」があった。

合同でにぎやかな会になった。
参加した面子は、黒縁メガネでシバリョウかと思える人、中国人に間違えられた
序に中国語でその席を盛り上げてしまったエンちゃん、、カラオケになる会には
出ないことにしているが、この会は無いので出席と、、。
一昨年の吉祥寺の会で撮った写真を見ながら、柳田と最後になった電話のエピ
ソードを語り合った。

Sさん、最近読んだ本から、『五色の虹』(三浦英之著)と「満州建国大学卒業生」
 と戦後の生きざまを語る。
Kさんは、島田雅彦の『虚人の星』を薦めるが、、。
会長ことスノさん、75歳で未だマーケティングをやっているのはそういない。
 資料の蓄積から、東大で「安全管理」をめぐって講義をし、評価された報告。
エンちゃん、建国大学が消滅するまで2年間在学した従兄の話。葬儀屋をやっ
 ていて気づいたのだが、「家族葬」の弊害が多く言われるようになってきたと。
S女史は、アジア系外国人に日本語と文化交流のボランティア活動報告。
クワさん、起業した仕事との絡みから、稲門会とW校友会のことを語る。
ケイさん、富士山一巡を歩き終えて、東海道からいま亀山に到達。歩く目線か
らの歴史的発見多しと、、。
Ýさんからは、自らつくり育てている特養ホームの経験から、「認知症」について
 「恐れることなし、なるようになる」と、リアルな話に、皆聴き入る。
Ⅰさんは、今年もまた小泉、青木(姫岡)が亡くなり、業績をたどり年譜作成に
 没頭した。そのことが、自分・家族史を追跡し年譜にしてみる必要性をより強
 く感じるようになった、と。
初めてこの会出席のNさんは、小説で「すばる賞」受賞している娘さんが、国会
 デモに参加しているのを知って、少し驚きの様子。
ぼくは、『1*9*3*7』についての親父論になった。

おおかた傾聴に値する話題から報告、語りだった。
「語る会」は、現実的に意味があれば開催することを、共通項にして散会する。

2015年12月26日土曜日

ブログ「大槌の風」は5年目に入る1235




2011年12月26日に開設オープンしたわがブログは、今日で1135日更新
してきました。

4年目に当たる昨年は、ついに毎日365日更新してよく継続しているなと、
自分ながら感心したところ、、。
ちなみに、開始年は暮れからで→5日。
2年目(2012)→195日
3年目(2013)→306日
あと6日で今年も大晦日ですが、毎日の更新は続いています。

そもそもブログ「大槌の風」は、「3・11東日本大震災」で壊滅的被害にあった
岩手県大槌町に縁あって足を踏み入れ、救援ボランティアの一端に加わって
つぶさに見た状況をレポートするものでした。
また当初、被災地の子どもたちと親御さんに本を届ける活動もしてきましたが
わりと早い時期に目的の一部を達成することができました。

そんなことで、このところは「公」にかける比重より「私」の語り口に傾斜してき
ていますが、なお且つ3・11を忘れまじ「永続覚醒」を念頭に、被災地(者)の
復興への歩みを風化させることなく共有することだと思っています。

(←ブログ:2011・12・26 「自著『洋泉社私記』」1)
(←ブログ:2015・1・1  「今年はブログを365日更新した!」872)

2015年12月25日金曜日

年末の大掃除           1234

母の植樹/山茶花(2015・12・25 影:Tab)
亡き母が上京した時に、記念植樹した山茶花がこの時期から年越しで咲き乱れま
す。山茶花はアーチ形に剪定してあって、常緑なので芽吹くときから一年中玄関
先で楽しめます。

きょうは、穏やかな日差しのなかで午後から、玄関周りの壁やウインドウの水洗
から始めて、室内へと、暮れの大掃除に取りかかる。
これま大掃除は、12月の土日を有効利用して取り組んでいたが、今年から自宅
にいる余裕か、気ぜわしくなく淡々と片づけている。

例年の経験が重なって、便利な掃除グッズや手順の合理化など新発見がある。
例えば、今年から取り入れたもので、軍手の有効利用がある。古いものと新購入
したものを20組程度準備して、雑巾代わりにどんどん使う。
指先が届く細かいところや風呂掃除、便器の隠れた部分、照明器具などの、から
拭きから水拭きへと段階的に使えば作業効率がイイ。

2015年12月24日木曜日

ハル/ダース・ベイダー     1233

(2015・12 影:Tab)
クリスマスに招待され、ハル/ダース・ベイダーが迎えてくれた。
唸るような人工的声が響いて、慣れない者にとっては不気味だった。

子供の頃、「黄金バット」や「月形主水助」を真似て竹刀を振り回して野外で遊ん
だ記憶があるが、ハルのファッションの凝りようは半端じゃない。
自分で衣装をデザインしたものを、ババに注文付けして布切れなどを素材にして
完成させる。

それにしても、師走の雑踏する街の映画館の過剰な沸騰ぶりは何だ、、。
「スター・ウオーズ」の第一作が公開されたのが1978年(日本公開)で、いま公
開されている第7作「スター・ウォーズ/フォースの覚醒」まで37年の歳月を要
している。
今の50歳世代が最初に熱中し、父親になったいまは親子で予約観劇すると云
うわけで、何重にもファン層が増殖する社会現象として映る。

(←ブログ2015・4・26 「ゴジラタワー!」990)


2015年12月23日水曜日

恐れ入谷の鬼子母神       1232


またまた、恐れ入谷の鬼子母神で、、、
八ヵ頭、小城の羊羹、そして伝説の「柚子コショウ」が届いたのである。
とりたててなにもしていないのに、旬の食材が、一筆添えられて送られてくると
恐縮してしまう。

過日、御徒町でカマさんと一献酌み交わしたときに、ぼくが柚子を愛好している
ことを知るや、「柚子コショウ」の作り方を丁寧に指導され、隠し味の使い方まで
食欲増進たらたらの喋りを興味深々と聞く羽目になった。

作る時期は、夏の未だ硬くて青いユズと、未成熟で虫も食わない青い唐辛子を
組み合わせられる頃という。この食えないモノ同士をすり鉢で擂りつぶし、熟成
させると豊饒な香りと刺激的な家伝の調味料になる。
柚子の皮を極薄にむくとか、唐辛子と塩加減で独特の味をつくりだすようです。

早速、ビン詰めされた自家製「ユズコショウ」を冬至の「カボチャほうとう」の隠し
味と刺身の薬味であわせてみたが、今までにない味の広がりを感じた。
来年の新ユズでは、俺流柚子コショウ作りに挑戦したいと思っている。




2015年12月22日火曜日

冬至は「ゆず湯」とかぼちゃほうとう1231


「冬至」に欠かせない「柚子」。

6時に朝起きた時の外はまだ暗かった。
一年中でもっとも昼が短い冬至は今日あたりのことだ。
今年は柚子も柿もなり年ではなかった。剪定の時期を間違えたからのようだ。
梯子をかけて大粒の柚子を採ったが、40個余りしか残っていなかった。

わが家では柚子は一年中、食の風味出しと御酢として珍重しています。
田舎の家にも、こんもり茂った柚子の木があって、やはり食用と薬効もあると
され、皮、身(果汁)、種子もそれぞれ暮らしのなかに普通にあった。
真っ青から黄色に変化する色彩も大好きです。

ゆず湯につかり、たちのぼる湯気と果皮からほとばしる香りを吸っていると、
おかげで腰痛まで回復してくれる気分になります。
「柚子胡椒」の蘊蓄は次回に→

(←ブログ:2013・12・23 「柚子のある365日」)
(←ブログ:2014・12・21 「冬至のゆず湯」862)

2015年12月21日月曜日

「新・映像の世紀」を見て     1230

(「20世紀全記録」から)
先日、NHKの「新・映像の世紀」を見た。

映像は、地下壕でアドルフ・ヒトラーと心中したエバ・ブラウンの遺品の中
から発見されたプライベートフィルムから始まる。

年賀状を書いていて、この一年「仕事」らしき働きも無し、世のなかは「平
穏」であったわけではありません。とんでもない「逆流」に巻き込まれてい
ることが予想されます。この事態は想定外ではないぞ、ということをひしひ
しと身に強く感じるようになりました。

あの第2次大戦の惨劇は一人の独裁者の狂気だけが生み出したもので
はありません。
日本が敗戦によって、「たった一日で平和国家」に生まれ変わったが、今
現在その「平和」を積極的に守る「軍事国家」へ舵を切ったのです。
大戦前夜は、世界恐慌で資本主義に幻滅した裕福層も下層労働者も、
ファシズムに雪崩をうって傾斜し、世界の企業がナチスに資金支援を行
った。なぜ世界を地獄に落とし込めたのか。

戦争はやってはいけないし「やらない」強い意志を持続したい。

(←ブログ:2015・12・7 「『もう戦争がはじまっている』を一気読み」1216)」

2015年12月20日日曜日

yu 吊るし柿に挑戦        1229

ベランダの吊るし柿(2015・12・20影:Pen)
甘柿と間違えて買った渋柿を冷え込みが厳しくなるまで冷凍保存していた。
今朝は霜が降りるほどに朝夕冷え込んできたところで、吊るし柿にする作業に
挑戦。

これまでにも何度か、庭の半渋柿で挑戦してみたが、半熟になり傷みが生じる
か、鳥に啄まれて成功したためしがなかった。
今回は、新しい試みで皮を剥いた柿に焼酎をかけて、風通しの良い2階のベラ
ンダ軒下に吊るしました。
田舎の正月には「御節」に添えて、かならず白い粉が噴いた干し柿があって口
にできるのを楽しみにしたものだが、この正月には無理として仕上がりを期待
するところ。

寒い朝、見る富士山はひときわ美しく、柿をつるした眼前に屹立していた。


2015年12月19日土曜日

青蛙房の岡本修ちゃんと津山  1128

書影(青蛙房/2011・3刊)
先日の会で青蛙房社主の岡本さんと同席することがあって、数か月前に岡山県
津山に行ってきたことを話してくれた。

彼の先代岡本経一氏が津山の近郊、勝間田の出身であることは聞いていた。
(経一さんは、岡本綺堂の養嗣子で直弟子。)
以前に出版仲間でもある修一さんから、幼少の頃、「津山」で過ごしたか、里帰り
したのかはっきり思い出せないが、美作地方を懐かしく語ってくれたことがある。

そして、今回の数十年ぶりの訪問では、津山城下町を散策して「城址公園」にも
登城して紅葉狩りをしてきたそうです。
津山出身のぼくたちは、城址公園のことを「かくざん」(鶴山)といって、桜の満開
の賑わいに加わるのが一大イベントでした。ところが、その桜も老木になり朽ちて
枯木に見えたようだ。

修一さんのルーツ、昔の勝間田は、いまでは勝央町に町名が変わり、「勝央美術
文学館」があり、「青蛙房、岡本経一の仕事」が常設されているとのこと。
実は、いまの時期から有名な凪颪がある勝央町には地縁がある。も少し早く、知
っておくべきだったと、思っています。

最後に記しておきたいことがある。(わが社の)出版健康保険組合への加入に際
して、青蛙房に推薦者(社)になってもらった経緯がある。いまでも、感謝を忘れま
せん。さらにいま、2011年3月発行を奥付で気づき、3・11と重なりました。

(←ブログ:2015・8・22 「津山城址からも眼下に吉井川」1108)

2015年12月18日金曜日

「風船の旅」控え6         1227

映画「八甲田山」で観ていた山を実際に歩いて、まだ秋口だと云うのに霧が
まき寒さも体感して、「酸ヶ湯」にたどり着いた。
すぐに、「千人風呂」に飛び込んだ。聞きしにまさるハンパンない大きさで、開
放感にひたる感覚を呼びさまされる。

雪中行軍遭難の地&酸ヶ湯(影:Pen)
51.「八甲田山に抱かれた酸ヶ湯 記憶の断層(43)」774     2014・9・24

52.「奥入瀬渓流は未だ春の息吹! 記憶の断層(44)」783   2014・10・3

53.「十和田湖畔へ 記憶の断層(45)」799           2014・10・19

54.「現役の芝居小屋「康楽館」へ 記憶の断層(46)」813    2014・11・2

55.「被災前の松川浦へ 記憶の断層(47)」828         2014・11・17

56.「青森市場から函館山へ 記憶の断層(48)」891       2015・1・19

57.「函館山 記憶の断層(49)」897              2015・1・25

58.「札幌から積丹半島へ 記憶の断層(50)」910        2015・2・7

59.「運河とランップの魅力いっぱい! 記憶の断層(51)」922  2015・2・19

60.「支笏湖一周! 記憶の断層(52)」937           2015・3・3

(←ブログ2013・11・21 「ドライヴ旅が好きな理由を一言」)
(←    2015・10・21 「風船のたび~」1170)
(←    2015・10・24 「「風船の旅」控え~その2」1172)
(←    2015・11・3  「「風船の旅」控え~その3」1182) 
(←    2015・11・17 「「風船の旅」控え~その4」1196)
(←    2015・12・5  「「風船の旅」控え5」1214




2015年12月17日木曜日

継続する「会」には理由がある 1226

(2015・12・17 影:Tab)
第112回の「やすい会」忘年会に出席す。今週は連チャンで都心へ。

本会のスタートは1983年11月なので、32年も前にさかのぼる。
ところは、新宿ゴールデン街の最深部の路地にあった「青梅雨」でした。
新劇人や編集者が贔屓にしていた青梅雨は、その後歌舞伎町10番通りに店を移
したが、いまは無い。

この会は、2112年11月に100回目を記念して宿泊イベントをもよおしているが、
その後も年数回顔合わせして、健康を確認しながらワイワイ、キスをヒク。
といううことは、30余年の月日が経過して、現職を離れてそれぞれの持ち場で活動
している人、悠々自適に過ごしている人たちであるが、「昔」とほとんど変わらない、
笑い、小さな病もち、悲しみを抱え、それをクリアして生きていたといううことであった。

100回記念冊子「やすい会」(2111・11・11刊)を出している。

(←ブログ:2015・6・14 「110回目の<やすい会>」1035)
(←ブログ:2015・9・18 「フルカワ君元気な姿で」1136)

言葉の乱闘イイもんだ!     1225


4ヵ月ぶりに、ボトックス注射。これでまた、半年先まで視力が保証された顔面
の感覚は安心できる。それにもまして、ボトックスに効き目があるのか、少し眼
瞼まひの兆候があらわれるスパーンの深度が伸びたように感じられる。
良くなることはないといわれているので、先生の処方によるのか、年のせいな
のか判らないところもある。

ボトックス注射を目検に6本うっているので、直後の飲酒は要注意とされてい
るにもかかわらず、4時からの「水曜正午会」と「出版湯けむり会」の忘年会に
出席する。
事前の予告なくトーハン元支店長の経験もあるSmや久々のYtさんなどの顔
ぶれがそろって、宴席は大に盛りあがった。

ツチヤ、ハラダ、セキカワさんらの日程調整つかず、出席かなわなかったのが
残念。

(←ブログ:2014・1・30 「眼瞼マヒにボトックス注射!」)
(←ブログ:2015・8・20 「ボトックス注射)1106)
(←ブログ:2015・6・17 「水曜会も16年にもなるのか!」1042)


2015年12月16日水曜日

六串商店の復興への歩み    1224

大槌城山から(2,015・11・21 影:「広報大槌」)
3・11から、4年9ヵ月になる大槌町の嵩上げ写真を見ていて、城山の裏側に
在る海鮮卸問屋の「六串商店」を思い出した。

2年前の2月半ばに、「被災地大槌町のおんなたちの話を聞く会」を東京の5ヵ
所でミニ集会として開催した。その時のおんなたちが、六串恵子さん、夕子さん
の親子で、すべての会場で被災者の落ち込ち込んだ姿をみを見せることなく、
明るく再興へ向けて踏み出しているバイタリティーを感じさせる交流でした。

そして、六串商店の今日までの奮闘をうかがわせる記事が「産業復興だより」に
掲載されており、つぶさに知ることができた。
3・11震災直後の様子は、津波で倉庫や加工場が半壊する途方に暮れるダメ
ージをうけた告白を、恵子さんから聞いている。
まず壊滅した販路を、「軽トラ」の移動販売で開拓するため人が集まる見知らぬ
土地まで出張っているうちに、徐々にコミュニケーションが成り立つようになった
という。
震災からもうすぐ5年になろうとするなかで、ウニ、ワカメ、ふのり、鼻曲がり鮭な
ど、海鮮「加工場」を再建して、機能的に仕事ができるようになりつつあると、喜
びの声が弾んでいた。

(←ブログ2014・8・12 「大槌町と大槌湾 7月の定点写真」730)
(      2015・2・14 「も少し、津波と神社のトリビア!」 917)
(      2015・3・9  「虎舞/星野仙一記念館前ステージで舞う!」 940)
(       2015・4・13 「震災から4年 定点観測」977)
(      2015・5・15  「復興予算 一部被災地自治体の負担に」1009)
(      2015・6・12  「中心市街地再生計画動き出す!」1037)
(      2015・7・12  「大槌湾からアメリカ西海岸へ漂着!」1067)
(      2015・8・15  「5年目を迎えるお盆」1101)
(      2015・9・13  「大槌町の<再興>は」1131)
(      2015・10・12 「<大槌まつり>復興への希望をのせて!」1161)
(      2015・11・12 「4年8ヵ月~嵩上げの大地を見て」1191)




2015年12月14日月曜日

御茶ノ水から新宿へ       1223


きょうは、早朝から都心へ。
PCの不確かな機能への対応について、「大槌の風」サポータにサポートして
もらう。ありがたい。

夕方からの、新宿での会に向かう。
途中、コバちゃんから16日の「忘年会」についてケータイに返答あり。
あすから、出かける先約があって残念と、、最近は、ほとんど外に出る機会が
少ないが元気にやっていると、よどみない発声に安心する。

「でん八」50周年記念の祝賀会から一年。
その時の世話人&編集人に名を連ねた人、数人と同席する。
今日この場所にいてしかるべき長田君が居ないのが淋しいと、みなが想い語り
合う。
また、昨年までこの時期、トミー・野沢の師走ライブに参加するのが恒例になっ
ていたが、今年は中止とかでセッチヤン残念がる。

2015年12月13日日曜日

『1★9★3★7』の衝撃      1222

書影(金曜日刊 2015・10・27)
きょう、辺見庸の『1★9★3★7 イクミナ』を気抜なしに読了した。

本書が、「週刊金曜日」連載中に一部は読んではいたが、こんなに早く、そして、
384頁の大冊で刊行されると思っていなかった、
1937が昭和12年の、あるエポックとして表出されていることは、何か含みが
あるぞ、と感じていた。
blogでも関係する一部を読んでいたが、丸山真男や堀田善衞や武田泰淳や梯
明秀や富士正晴の読やみ込みが著しく、次第に引き込まれていたところだった。
そして本書を、読み進むに連れて戦地での父親についてのことが、ここまで深
く内在化されることは予想できなかった。

わが学生時代、20代の頃は、皆が親のこととかはほとんどしゃべることは無か
ったように思う。ぼく自身、そのころヘンミの家族に対面したことがあります。
その時、お父さんは現役バリバリのH民友新聞の論説委員であったように記憶
している。
ところが、ここで2冊の新刊に接するまで軍人で「日中戦争」に参戦していたこ
とは、まったく知らなかったのである。

著者は1944年の出生なので、勿論1937の盧溝橋に銃声が轟いたのを期し
て日中の全面戦争突入を直接に知る由もない。であるが故に、その「相似的」
な風景にあらゆる手立てを尽くしてたちあわせて見せる。
このリアルな迫力が邪気迫る論述で、「南京大虐殺」の事実を凝視する。

(←ブログ:2015・12・7 「『もう戦争がはじまっている』を一気読み』1216)
(←ブログ:2015・12・8 「辺見庸の臭覚」1217) 

2015年12月12日土曜日

洋泉社による            1221

(2015・12・11 影:Tab)
先日、久びさにわが洋泉社にたち寄る。
ワンフロアなので、編集も営業もデスクに向かって黙々と仕事している、いつも
と変わらない様子が窺える。

栗田問題で生ずる、売掛のリスクのこと。
書店の変容と、営業販促の手法に従来型ではない対策を講じていること。
日販の返品抑制策の限界とTSUTAYAの問題、トーハンの勢いをめぐって。
社員の出入りについてなど、意見交換。

PCの操作でトラブっている、また未解決のチェックポイントをまとめてサポート
してもらう。ありがとう。

田野辺、藤原、井上、小沢らは社内に居ず、会えなかった。

(←ブログ:2013・10・24 「わが洋泉社へ」)
(←ブログ:2014・10・20 「洋泉社による」800」

2015年12月11日金曜日

追悼・野坂昭如          1220      


野坂昭如さんが心不全で急逝した。
最近、「火垂るの墓」を読み映画を観たばかりだった。

戦後焼け派を自称し、原点を持続する人の印象が強い。
1960年代半ばに会っているが、最初は新宿厚生年金裏に丸山明宏さんのマン
ションがあって、劇団のプロデューサだった二見に連れていかれた。
そのワンフロアが50坪はあろうかという絨毯敷のうえでグラスを片手に踊ってい
たのがサングラス姿の野坂さんだった。

次に会ったのが、文筆活動のほかに政界進出や編集者、飲み仲間を集めてラグ
ビーチームを結成して野外の活動もしていた、そんな1960年代後半の一時期、
「でん八そのに」で同席したことがある。
編集者と一緒だったか、銀巴里時代の忠ちゃんと知り合いの関係だったかさだか
でない。 合掌。

はじめて新「吉池」へ       1219

御徒町/吉池にて(2015・12・10 影:Tab)
旨いお酒と新鮮な肴、魚で杯が進む居酒屋に模様替えされていた。

きょう一緒したこよなく日本酒をカマさんには、酒飲みの作法がある。
まずメニューやお品書きを見てその日の大枠のおつまみ酒肴を決めるのと、
あわせて純米系好みの銘柄を一、二飲み比べながら、「うまい!」と言いなが
らグィグィ気持ちよくすすむ。

会うときはいつものことながら、手土産持参である。
まさに手造りの「ゆず山椒」と、ひいきにしている築地の乾物屋さんのジャコと
めざしをいただく。
ぼくが好みとする上等品ばかりだ。

今日の話題の中心は、未来社営業部長時代の小汀良久さんのこと。なかでも
オバマさんが「「日本の民話」の旅」というエッセイで書いているシリーズ第一巻
目『信濃の民話』(松谷みよ子)の長野県での販促模様のことです。
上田の平林堂と飯田の平安堂の郷土意識を、販促に有効に生かした教訓譚。
そして四国、東北、九州、山陰というぐあいで、東奔西走の活躍である。
この出版人としての生きざまを見習い、カマさんの原点もこのあたりにあるよう
に思えた。

(←ブログ:2015・1220 「出版業界の先輩・カマさん」860)
(←ブログ:2015・11・7 「見沼田圃特産の里いも」1186)


2015年12月9日水曜日

立川で唯一なじみの居酒屋で 1218

「玉河」にて(2015・12・9 影:Tab)
前取次役員のTsと約束かなって立川駅前の居酒屋で同席相成った。
彼と会食するのははじめてで、シライTさんが今日の席をつくってくれたしだい。


ビールから、奄美黒糖焼酎「れんと」と「黒霧」へ切り替えて胚をかさねると話が
どんどん進む。
ブログの話になり、「大槌の風」の旅に関する記述に時間の飛躍があるので、ア
レッと思うことがあると、シライ君が疑問を呈する。過去を錯綜させつつ自由に日
記風に綴っているので、、ゴメンと返答する。

Tsさんは二つの取次を過去に経験してきているので、話の内容に深みがあった。
栗田出版販売に在籍した畠山、遠藤、三浦、郷田、大槻さんら懐かしい名前が
出てくる。かつてどなたも、それぞれの局面局面で接点が大いにあったので、い
ま進行している「民事再生」をどう思うのだろう、、。

白水社100周年と、その半世紀を真剣勝負してきたシライ君の沸々とする想い
を聞く。
出版業界を引退してすでに10年たって、なお「出版」を語れるといううことは未だ
「ボケ」ていないといううこと、とお互いの過ぎ行く年を慮った。




2015年12月8日火曜日

辺見庸の臭覚           1217

書影(表紙裏と帯)
(続く→)
2000年に入った頃、こうもやすやすと非戦の国から「戦争をする国」にかじを
きり世のなかが変調ムードになることを、どれだけの人が想像できただろうか。

辺見が世のなかの逆流に異議申し立て、多言する言葉の辛辣度をますのも、
このあたりからだ。
いまでは、異様にナショナル色が増幅して中国、韓国隣国との摩擦が強くなっ
てきている。
いつまでたってもアメリカ一辺倒。戦後レジームから脱皮するどころか、アメリ
カと一緒にうって出る「戦争ができる国」に真っ逆さまに踏み出したのである。
街にあふれるヘイトスピーチ、ネットに飛びかう排外的な発声など、半世紀前と
は一変した心象風景に見える。いまある外在の豊かさを喰らってさらに増殖し、
挙げ句の果てに破滅の悪夢をみまいことか知れたことではない。

辺見の社会の表皮と根源的な権力・暴力を見分ける臭覚は一貫しているのだ
が、ふしめ節目で問う迫力がリアルに違ってきているように思う。
憲法公聴会、拉致、慰安婦問題から、アメリカの敵探しウマサ・ビンラディン、
サダム・フセインでアフガンでイラクでどれだけの人を殺戮してきたか。
そして、3・11東日本大震災によって。
それをストレートに告発するのではなく、わたしたちが気づかない彼の経験か
ら醗酵する身体性の発語に衝撃力があるように思えるようになった。

だから、この本もそうだが続けて出たばかりの『1*9*3*7』も、さらなる深
い闇に内省していくといううわけで、無視できない感情を抱く。

(←ブログ:2014・12・15 「選挙」856)
(←ブログ:2014・12・23 「通底する夢」863)
(←ブログ:2015・12・8 「『もう戦争がはじまっている』を一気読み」1216)

2015年12月7日月曜日

『もう戦争がはじまっている』を一気読み 1216

書影(2015・11・30/河出書房新社・刊)
辺見庸の一冊にまとまった本は、最近ご無沙汰していた。

彼とは50年以上も前に知った友人であるが、2006年以来会っていない。
なぜ9年前を覚えているかというと、「辺見庸講演会」が毎日ホールであって、
大病を克服して喋りができる姿を一目見ておきたかたからである。
その前はというと、確か『永遠の不服従のために』(毎日新聞社・刊)が新刊
で出たときで、神田三省堂書店本店地下の「放心亭」だったと記憶している。

ぼくは「大槌の風」と銘打ったブログを毎日更新しているが、今年になって彼
の「辺見庸ブログ<私事片々>」を発見した。
このブログで表出される鉾先は凄まじく、「国家権力に抗うための日録」で、
集団的自衛権行使容認による参戦権を猫だましでくらまし由とする国家権力
の暴力として心象で受け止め、ひとり「否」と突き進む。
(→次回へ)

2015年12月6日日曜日

尺八と映画             1215


先日の同期会の場で、参加できなかった友人の近況報告中に趣味の尺八演奏を
収録したDVDが回覧された。
今日それの映像を見ながら聴いた。

尺八の腕前について批評することはできないが、「朝の海辺の陽光が輝きをます
様をイメージ」した尺八と筝で奏でる朗々とした音色に魅了された。
尺八の修行には時間を要していると思うが、彼の趣味は多彩で休日にはハーレー
ダビッドソンで走っりながら自然浴を楽しむとか、読書や音楽の趣味も広く、厨房
にたってたつ料理の話も出るほどに。

そうなんだ、僕は映画好きの「映画友」の話がしたかったんだ。
彼とは、中学校でわずか一年半足らずのなかで親友になった。
その当時、1950年半ばの娯楽といえばなんといっても映画だった。
隣りの玉島市にも映画館が4、5館あったと思うが、学校の中間試験や期末試験
が終わると誘いあって気もそぞろに自転車をけって洋画館へ行った仲でした。
たしか、最初に観たのがジャン・ギャバンの「現金(ゲンナマ)に手を出すな」で、
彼はアラン・ラッドの「シエーン」など西部劇を好んで観ていたように思う。

いま考えると、中学生が大人の同伴なしでよく入館できたものだと思うが、、。
渡し舟で高梁川を渡って行っていた倉敷では、「倉敷大映」に恐る恐るチケットを
切ってもらい、川口浩の「処刑の部屋」を観たことも、古びた映画館ごと思い出す。

2015年12月5日土曜日

「風船の旅」控え5         1214

「ホテル竜飛」と太宰が歩いた漁港(影:Pen)

日本海側沿岸を数日かけてクルマで走り、夕日が沈む直前にたどり着いた北
のはずれ竜飛崎の印象は強烈で、昨日のように想う。
ホテル直下を列車が走る音に混じって、石川さゆりの「津軽海峡冬景色」が聞
こえてきた。

41.「雄物川河口~秋田湾へ 記憶の断層(33)」704    2014・7・17

42.「寒風山から八郎潟を望む 記憶の断層(34)」706   2014・7・19

43.「大潟村から八郎潟水路 記憶の断層(35)」713    2014・7・26

44.「十二湖から不老不死温泉 記憶の断層(36)」721   2014・8・3

45.「屏風山の家に泊まる 記憶の断層(37)」735      2014・8・17

46.「十三湊~十三湖へ 記憶の断層(38)」739       2014・8・21

47.「北のはずれ竜飛崎 記憶の断層(39)」747       2014・8・29

48.「竜飛崎旅情・写真紀行 記憶の断層(40)」748     2014・8・30

49.「最北端「三厩」経由で三内丸山遺跡へ 記憶の断層(41)」758 2014・9・9

50.「八甲田山へ 記憶の断層(42)」765            2014・9・15

(←ブログ2013・11・21 「ドライヴ旅が好きな理由を一言」)
(←    2015・10・21 「風船のたび~」1170)
(←    2015・10・24 「「風船の旅」控え~その2」1172)
(←    2015・11・3  「「風船の旅」控え~その3」1182) 
(←    2015・11・17 「「風船の旅」控え~その4」1196)

遠方より来たらず         1213

(2015・12・4 影:Tab)
正午からの会食忘年会へ。
田舎の中学校の忘年会が、東京駅八重洲地下街の海鮮割烹であった。

夏の暑気払いに託けた同期会から4ヵ月しか経ってないが、いつものメンバ
ーで男女同数ということもあって、話が途切れる間なしの気がおけない集まり
です。
関西在住ながら、時に参加するYk君からメッセージが届いていた。
彼とは、ここしばらく顔合わせがないが、メンバーの一人一人を気づかう想像
力は相変わらず落ち度がない。そして自分の日常についての披歴も手に取
るようにわかる言葉だった。

尺八の年期と腕前は相当のレベルと聞いていたが、市のイベント演奏会で
披露したこととか、自分で買い出しからする手料理するメニューや健康管理
まで、見事な日常生活に感服します。
遠方からの話を酒の肴にしてくれ、とのことだったので、もっぱらそれぞれの
健康管理(歯、耳、膝、腰や内臓疾患)や趣味の旅行などの話題になった。

僕は、中学校を転校したわずかな年月しか共有していないにもかかわらず、
この年になって年数回会って語り合える友とは、僕にとって同窓のレベルを
超えて新しいリアルな関係にあると思えたりする。

(←ブログ:2015・3・29 「新春「船中」同期会が」960)
(←    :2015・8・28 「心待ちの同期会」1114)

2015年12月3日木曜日

夜祭りの秩父            1212


年間を通じて秩父にはぶらりとよく出かける。
青梅から二つの峠越えで秩父盆地に入る行程と四季折々の風景が好きだ。
盆地の底にある秩父は寒暖の差が激しく、冬は寒い

12月2日、3日は、秩父夜祭。
クルマは市内には入れてもらえず、西武秩父駅の手前の駅に駐車して電車
に乗って到着。草野球の合宿でもよく乗り降りした駅だが、駅前広場一帯の
風景は一変して、秩父神社の例大祭で、提灯で飾り付けられた各町の山車
が豪快勇壮に曳き回わされる。
冬の寒気の夜空にさく冬の花火として有名で、地元民のみならず20万人余
りの大勢の見物客で身動き取れず体が浮遊するほどあふれる。

また、秩父夜祭の日は雪が舞う日が比較的多い印象があります。日暮れと
ともに武甲山一帯から冷気が深々と積もってくるような気配に満ちている。
そして、提灯の灯がお囃子太鼓笛に響きあう暗闇の中で揺れる光景を見て
いると、「秩父困民党」の騒擾が幻となって浮かぶ。
やがて真夜中、広場に集結した山車はそれぞれギシギシと呻きを発して、
武甲山に向かう。
この地の生活の糧、お蚕と学業を祀る「秩父夜祭」だが、深い歴史の情念
を感じさせられる。

(←ブログ:2015・7・2 「秩父困民党群像の出自をめぐって」1057)
(←    :2015・7・3 「峠の反乱と敗北」1058)

2015年12月2日水曜日

都心に出ると歩け歩け      1211


午前中、出版健保から駿河台下へ向かう。
冨山房地下のコーヒー店で打合せ一件済ませて、四谷へ。
「柳田昭彦君を偲ぶ会」以来、エンちゃんと久々に会う。
出版社就職思考のお茶大女子の紹介あり。
いまマスコミの就職戦線はどうなってるか、新聞社関係はつきあいがあって解る
が、出版業界に知人が少ないので話を聞かせてくれと。
最近は、大手でも合理化に次ぐ合理化で人員を減らすことばかり考えているの
が現状ではないですかと、応える以上のことを持ち合わせていない。

Wの合同の忘年会の相談。
昨年なみの全部で12、3人で予定、時間と場所設定についても検討する。

さらに彼曰く、まだ、簡単には引退できない環境に在るんだよと、、、。分社化し
て、一人コンサルで食っていく次の一手を傾聴する。
なかなか、舞台から降ろしてくれないんだよと。

夕方近くになったが、西荻窪の「ブックス颯爽堂」にスズキさんを訪ねる。
が事情あって会えず。
西荻窪駅から高架線下沿いに吉祥寺方面に向かい、松庵北町から吉祥寺南
町の埴谷雄高旧邸宅に行く。

(←ブログ:2014・12・20 「夢稲團も中野会も、その他の会も」859)
(←ブログ:2014・12・27 「恒例のW忘年会は染太郎で」867)

2015年12月1日火曜日

新宿区矢来町94番地      1210

創業時の入居ビル(影:Pen)
12月になると木枯らし吹く寒かった、あの朝を思い出す!
船出する出版社に初出社日です。
1984年12月1日から、31年の歳月を経ているにもかかわらずである。

僕が完全に引退した27年の軌跡は、未曽有の3・11大震災の2011年に点
が打たれた。
そして、被災地の陸中大槌町に足を運ぶ縁あって、微々たる支援活動をする
ようになりました。
1984年と2011年は、わが人生の大きな節目といううわけです。

創業時の同志的メンバーで、いまは新しく出版社を起こして精力的に活躍し
ているSnからは、今日、一日の日になるとメールか電話で一言もらい、苦節
の時代を想い友情に感謝したものです。

(←ブログ:2011・12・26 「自著・洋泉社私記」1)


2015年11月30日月曜日

街の小さな書店          1209

恵文社一乗寺店
コラムの記事で知ったのだが、京都御所の近くに20坪足らずの小さな書店「誠
光社」がオープンしたと、、。

店長は、恵文社一乗寺店のスタッフから店長として経験を積んで、業界でもよく
知られる堀部さん。
この書店がユニーク経営方針にする、出版社との直接取引で圧倒的部分の書
籍をまかなうシステムの構築に注目が集まっている。
小さい個人書店ながら、本のジャンルをしぼらず、小説、人文書、料理等実用
書、コミックなどを揃え、ほかにオリジナル商品も作っていくという。

羽村にも地域にねざし、子どもに児童書を自由に手に取らせ本になじませなが
ら購読にもつなげる小さな本屋&コーヒー店を始めた女性がいる。
インターネットの普及で即座になんでも入手できる安易な世のなかになったもの
だが、逆張りで本好き、扱い慣れした人が、個人で本屋開業に挑戦し始めてい
る状況かと思える。

日本の戦後の出版業界は、雑誌を中心にコミック、文庫、昨今ではCVS書籍と
いった低価格大量販売で成長してきたところがあるが、この20年にわたる低落
状況に歯止めをかける困難さを知り始めている。

(←ブログ:2015・10・6  「下北沢の「B&B」へ」1154)
(←ブログ:2015・11・21 「中里介山/まいまいず文庫」1199)

2015年11月29日日曜日

「ブルーベルベット」を観る    1208


デイヴィット・リンチ監督の「ブルーベルベット」を観る。

リンチの名は、TVの連続シリーズ「ツイン・ピークス」で知っていたが「ブル
ーベルベット」(1987年公開)は気になりながら観てなかった。
サスペンス作品が好きなおいらにしては珍しいことで、長編「ツイン・ピーク
ス」の独特な映像美と、平凡な日常が悪夢に一転する不条理を秘めた世
界にどんどん引き込まれた熱狂を思うと、不覚でした。

謎めいた女性歌手が歌う、彼女のドレスは深い深い青いベルベットを着て
いる、、歌詞に意味が込められて当時としては斬新手法だったと思う。
今でも古びず、視覚的な語りにも引き込まれた。

(←ブログ:2015・7・14 「園子温の映画/愛のむきだし」1066)
(←ブログ:2015・7・19 「安保法制破棄!/映画を観よう!」1074)
(←ブログ:2015・7・25 「戦後70年に想う/野火」1080)
(←ブログ:2015・7・27 「アメリカン・スナイパー」1082)
(←ブログ:2015・7・30 「井上光晴について/地の群れ」1085)



2015年11月28日土曜日

師走入りの今頃は、、      1207


昨年の今時期は、Gyoの「たまリバー/フジモリマラソン」を無事に終え、「でん八
50周年記念」の祝宴にむけての打ち合わせやら、出来上がったばかりの新刊、
『新宿 でん八物語』の事後処理でてんやわんやでした。

それから一年、僕自身は比較的のんびり過ごしながらも、早い時間の流れのな
かでいろんなことを想う、、。 とくに、親しい人の死は堪えます。

でん八の会ではまとめ役から会場設営まで親身に動いてくれた長田直樹君が、
元気にツイストを踊っていた残像がある彫刻家の長松勇三君が、
そして現役で活躍していたベーシストの江藤勲さんが亡くなってしまった。

また、出版業界で長いつき合いで、『洋泉社私記』に懇切なコメントをくれた近藤
晃冶さんも彼岸の人となった。

(←ブログ:2014・12・1 「祝<でん八>50周年」841)
(←     2015・1・16 「追悼・長松Yさん」887)
(←     2015・3・10 「近藤晃冶さんのこと」941)
(←     2015・4・28 「江藤勲さんを悼む」992)
(←     2015・9・14 「オサダナオキ君の死を悼む」1132)



2015年11月27日金曜日

北風払葉              1206

皇帝ダリヤ(2015・11・27 影:Tab)
北風がこのはをはらう。
わが家の庭の柿が紅葉からいっきに落葉し始めて、数葉のこすだけで枯れ木
のように見えます。

師走の声をきく今頃になると、庭の向こう隣りの「皇帝ダリア」が北風にあわせ
るように優雅に揺れている。
むかし田舎の庭に祖母が丹精したダリアを見ると、花にあまり興味なかった僕
にして生命力の美しさに感じる一輪だった。
しかしこのダリアと名の付く「皇帝ダリア」は、熱帯樹のように天に向かって3メ
ートル以上伸びた枝の先に桃色の花をつけ、ゆったりと撓んでいる。
まだ、あまり見られない新しい品種の木ながら、珍しくない風景になりそう。

(←ブログ:2014・11・1 「木枯らし、照柿に」812)
(←ブログ:2014・11・16 「秋の収穫!」827)

2015年11月26日木曜日

「出版かんだ湯けむり会」の記録1205

秩父小鹿野へ(2003・5・18 影:Pen)
昨日の会で同席した親友カズさんと、2年間、空白になっている「かんだ湯け
むり会」の話になった。

出版業界に永く身を置いて活躍してきたWカズさんが、自らの温泉好きが高
じて出版仲間を引き込み一泊温泉めぐりするという、仕事のストレス解消にも
ってこいの、なんともユニークな集まりとして1998年に発祥する。

この会もまた、時代と年の過ぎ去るなかで定例会が変じ、メンバーの重複な
どもあって、「水曜会」と交流するようになって久しい。

第1回:1998・2  石和温泉
第2回:1999・11 青梅かんぽ
第3回:2000・11 河口湖温泉「水明苑」
第4回:2001・4  寄居かんぽ
第5回:2002・11 ほったらかし温泉→石和かんぽ
第6回:2003・5  秩父赤谷温泉
第7回:2003・5  小江戸川越散策&鰻や
第8回:2005・3  入間名栗村温泉「大松閣」
第9回:2007・11 箱根出版健保「おおたいら」
第10回:2008・6 奥湯河原新聞協会「湯河原荘」
第11回:2010・  草津温泉
第12回:2011・10浅草「染太郎」
     (別冊:「升亀」&「海」の夜会)

(←ブログ:2014・9・10 「水曜会の出入り!」760)
(←ブログ:2014・10・1 「水曜会盛会!」781)


2015年11月25日水曜日

出版本郷会に           1204

チェコ風味スナック/上段本棚イイ!(2015・11・25影:Tab)
今日一日の行程。
吉祥寺から井の頭線で明大前に。

正午前に神保町に移動して、三省堂書店地下の「放心亭」へ。これまでの週例か
ら月例に変更した「水曜会」に出席する。
ヤマシタ、ヨシダ君らと久しぶりに会食。
会を一時間ばかりできりあげ、東京駅八重州地下街へ。馴染みの「海賓亭」で、
女将と話す。12月の忘年会の部屋決めとコース予約をする。

東京駅の八重洲地下街を大手町(写真)まで歩き、東西線で本郷へ。
6時からの開宴まで余裕ができ、本郷界隈の坂とすり鉢台地を確認しながら散策
する。
水曜会は欠席だったグンゾウさんが元気に出席していた。当会も20余人の会員
で構成されているが、歳とか体調を理由に足が次第に遠のいて名を並べられない
メンバーも出てきている。
業界の話が中心だったときから、身辺事情や読書、映画、国内外の旅行、展覧会
巡りや一人登山んどの報告を聞くことが多くなてきているように思う。
現役の者がすくなくなって、日常の持て余し気味の時間を有効に使う方便かもしれ
ない。

こんな宴のなかにあって、「安保法制」に反対して横浜で、あるいは国会議事堂周
辺で直接行動に参加している数人がいたし、1960年代と繋げて語る雰囲気を共
有できることからして、納得するものがあった。

(←ブログ:2015・3・13 「本郷会で」944)

2015年11月24日火曜日

展覧会の追記           1203

シーサー/掛け軸風
(2015・11・23 影:Tab)
ハルの三部作のうち二作品を公表(許可)したところ、ブログ読者からもう一作
品は、との要請に甘えて、「シーサーの絵」を載せさせてもらいます。

先の、木馬の「目」の創作が特徴的で冴えていたが、シーサーの上目使いと正
面を向いた(二人)左右の目のバランスが何とも愉快で笑いを誘う。
わが家の玄関にも一昨年八重山諸島石垣島から連れ帰った兄弟シーサーが
鎮座しているが、ハルの潜在する美意識のなかにイメージとして残っているの
であろうか、と思って見ている。

創立80周年と云ううことを、校長先生をはじめ先生が学校の日常のなかで、
しきりに教育しているはずで、彼にも「80」なる気になる数字を背景で躍らせ
ているのがイイ!

(←ブログ:2015・11・21 「秋の作品展覧会に」1200)

2015年11月23日月曜日

日の出町の「つるつる温泉」へ 1202

つるつる温泉(2015・11・23 影:Tab)
「つるつる温泉」には、日の出山から御岳神社への登山口として、またGyoの
マラソンの練習に適した起伏ロードの着地点にしているので、何回か来てお
湯につかっている。

今日は、Gyoが家をスタートしてほぼ20キロの行程を走って到着するのを皆
で待った。
僕もジョギングを再開しているてまえ、最後の上り坂3キロだけ温泉まで走り
ました。

アルカリ性無色澄明無味無臭、お湯に入るとただただ、つるつるツルツルして
肌を滑らかにしてくれる天然温泉です。
前に多摩川に注ぎ込む支流の源流を訪ねて歩いたが、その一つ、日の出町
の中央を流れる水量も多い清流「平井川」の上流三ッ沢にたたずむ。
露天風呂から眺める紅葉の赤や黄色の彩と竹林と椿のコントラストが映えて
深山幽谷の感あり。

(←ブログ:2014・9・16 「平井川源流へ」766)

リンゴ便り              1201

巨大な酒田港から鳥海山~その裏に秋田湯沢三関
(鳥海ブルーラインで鳥海山に登った日に 影:Pen)
僕の友人で東京を離れて木地職人になったり、期間リフト技師をやったり船乗り
で遠洋に出たり、農作業に従事している友人達がいる。

その一人、一年のうち8、9ヵ月は秋田県湯沢に行き古里の果樹園でさくらんぼ
とりんごを苗木から剪定したり授粉したしながら育て、収穫に一喜一憂する生活
を楽しんでいる。

注文したところ、その返事で「おかげさまで今年も豊作に恵まれ百姓の歓びを感
じています。」とかえってきた。

(←ブログ:2014・11・9 「秋田からりんごの収穫便り」820)