「大菩薩峠は上(のぼ)り三里、下り三里、領分は甲斐国に属して居(お)りま
すれど、事実は武蔵と甲斐との分水嶺になります。」の口上で始まる。
中里介山『大菩薩峠』〔都新聞版〕(現在の現東京新聞)、第一巻を読了する。
仇討ち大衆小説であるが、なぜこうまでして最長で、全41巻の本シリーズを再
読する気になったのか。
著者の中里介山が羽村出身、菩提寺が知人住職の「禅林寺」であることで、何度
か人隣りを聞いてきたこと。
それと大菩薩峠その山を、物語の最初で説明する。「江戸から出て、武州八王子
の宿から、小仏、笹子等の峠を越えて甲府へ出る、それが所謂甲州街道で、一方
に新宿の追分を右にとって、まっすぐに行くこと十三里、武州青梅の宿へ出て、
それから山又山を甲斐の石和に出る、これが所謂甲州裏街道で大菩薩峠は青梅か
ら十六里、甲州裏街道の最も高く険しきところがそれです。」と。
この地理感覚と道程の既視感に刺激されるのだ。
いずれの路も今では、何回となく四季折々にクルマで越えているのだが、、。
(未)
2018年9月30日日曜日
2018年9月29日土曜日
追悼・岡本修一 最初と最後 2243
岡本修ちゃんに最初に会ったのは、もう50年近く前、いまは無い吉祥寺「弘栄
堂書店」との夜の会席で、たしかフランスから帰国して間がないときでした。
すでにそのとき、岡本綺堂の本を中心に出版する「青蛙房」を担う若き切れ者の
雰囲気があった。
当時、書店流通上で問題にされていた買切制や特約店の問題で、10歳弱若い彼
が自分の意見をもっており、ガンガン迫ってきた記憶が残っている。
その後も、「やすい会」(1983年第1回)に一年遅れぐらいに若手として参加し、
最近の本郷<天麩羅・天喜>が例会の定席になった頃まで、世話役でマメに仕切
ってきていたのである。
ところが、最近になって体調不良で病院をベースに自宅と行き来していると聞い
て心配していたところでの訃報で、残念でなりません。
修ちゃんの親父さんが岡山県津山の勝間田(現勝央町)の出身で、数年前の夏、
彼自身里帰りし、津山城址や城下町を散策したことを懐かしく語ってくれたのが
ほとんど最後になりました。
そして、勝央町の「勝央美術文学館」には、「青蛙房、岡本経一の仕事」が常設
されている。
津山がわが故郷と一緒だったこよなき想い出からして、人の縁の不思議を感じて
います。
合掌。
堂書店」との夜の会席で、たしかフランスから帰国して間がないときでした。
すでにそのとき、岡本綺堂の本を中心に出版する「青蛙房」を担う若き切れ者の
雰囲気があった。
当時、書店流通上で問題にされていた買切制や特約店の問題で、10歳弱若い彼
が自分の意見をもっており、ガンガン迫ってきた記憶が残っている。
その後も、「やすい会」(1983年第1回)に一年遅れぐらいに若手として参加し、
最近の本郷<天麩羅・天喜>が例会の定席になった頃まで、世話役でマメに仕切
ってきていたのである。
ところが、最近になって体調不良で病院をベースに自宅と行き来していると聞い
て心配していたところでの訃報で、残念でなりません。
修ちゃんの親父さんが岡山県津山の勝間田(現勝央町)の出身で、数年前の夏、
彼自身里帰りし、津山城址や城下町を散策したことを懐かしく語ってくれたのが
ほとんど最後になりました。
そして、勝央町の「勝央美術文学館」には、「青蛙房、岡本経一の仕事」が常設
されている。
津山がわが故郷と一緒だったこよなき想い出からして、人の縁の不思議を感じて
います。
合掌。
2018年9月28日金曜日
京王線調布駅の変貌 2242
![]() |
| 日活の監督・男優・女優レリーフ(2028・9影:tab) |
1960年代、京王新宿駅から桜上水や調布、府中に行くのに、このラインを割
と頻繁に利用していた。
ところが半世紀もの空白が生じると見る面影すらなく、平面駅だったものが一面
2線(地下2階)一面2線(地下3階)に変貌しているのに気づく。
ホームを地下化することで、地上の京王線・相模原線の交差を解消し、踏切待ち
の大渋滞もなくなったという。
大正4年(1915)に、新宿追分~調布間が全通して新宿から時間をかけて、や
っと調布駅にやってきたことになる。その時代は、東京市街へ通勤、通学する等
考えられなかったのではなかろうか。
いまでは特急、準特急、急行、区間急行、快速、各停があり、あっという間に行
き交うことができる衛星都市だ。
近くに日活撮影所があって、駅は大いににぎわった。地下駅の途中に監督や男優
女優の手型レリーフが目につく。
2018年9月27日木曜日
桑原才介『居酒屋甲子園の奇跡』近々に2240
と云うことになり、世話人の要請があった。
本書のコンセプトについては既に聞いていたので、それが新刊で発売になること
は大いによろこばしい。
高校野球甲子園から、何かを競いあう「☓☓甲子園」と冠をつけた大会は多くある
なかで、全国の居酒屋で働く若者が自店の仲間意識や働く本気度、夢、絆などを
熱くアピールし順位を決める「居酒屋甲子園」と云うことになるらしい。
高度経済成長期にも企業戦士をつくるために、能力開発特訓教室なるものが様々
な形であったが、この居酒屋甲子園に出場する若者たちもまた、夢を猛烈労働で
切り売りするような事態なら擁護すること、あまり乗り気になれない思いがある。
今回の開催は、第13回になるとのことなので、ただ苦労話やモーレツ自己啓発
ぶりだけでなく、いろいろ整備されてきているのだろう。
その辺のツッコミを、桑原君のニュービジネス・ドキュメント本に期待したい。
2018年9月25日火曜日
「おおつちタイガース」少年野球で躍動2239
![]() |
| おおつちタイガース(広報・「おおつち」9月から) |
少年野球で物怖じすることなく「元気」に躍動する姿を見て、復興町づくりを担
う次世代に夢が膨らむ。
7月の、マクドナルドカップ岩手県学童野球大会で優勝。(対:宮古市のチーム)
8月には、県学童野球大会もりしんカップでも優勝。(対:一関市のチーム)
俊足、巧打揃いの一丸野球をモットーとする、成長いちじるしい仲良しチームら
しい。
そして、父母と地域のひとたちの応援と支えあっての活動が素晴らしい。
義娘のお父さんも、少年野球の指導者だったと聞いているが、岩手県なかんずく
大槌町は、野球熱盛んで伝統があることを知った。
2018年9月24日月曜日
故・永松勇三さんの作品のことで 2238
BLOG「大槌の風」宛に、2014年に亡くなった彫刻家・永松勇三さんの作品
(just pulsing 1972)について、興味深い問い合わせをもらった。
その経緯は、僕が永松さんへの追悼文と、彼が『新宿 でん八物語』に寄稿して
いる直筆原稿の予言的深淵にふれているブログを発見したことによる。
東京藝術大学の先生でもある当人は、戦後日本の現代芸術をテーマにしており、
その過程で日本美術と音の関りを追求するに至り、永松勇三作「just pulsing」
を詳しく知りたい思いにかられている、とある。
さて、この問い合わせの文面だけを読んでいると、永松さんの個展がどんなにか
摩訶不思議な空間を創出するものであったであろうと想像できる。
作品は、ギャラリーにテープデッキとドラムセットを置き、デッキから心臓音を
流し、ドラマーが即興でドラムを叩く、と云う前衛的モノだったらしい。
(「美術手帳 美術年鑑 1973」に写真収録)
永松さんと交流のあった「でん八」のアニキは、ほかの藝大仲間の「個展」「コ
ンサート」へよくつき合ってたので、見ていたはずだが、いま訊きだすこともで
きない。
(just pulsing 1972)について、興味深い問い合わせをもらった。
その経緯は、僕が永松さんへの追悼文と、彼が『新宿 でん八物語』に寄稿して
いる直筆原稿の予言的深淵にふれているブログを発見したことによる。
東京藝術大学の先生でもある当人は、戦後日本の現代芸術をテーマにしており、
その過程で日本美術と音の関りを追求するに至り、永松勇三作「just pulsing」
を詳しく知りたい思いにかられている、とある。
さて、この問い合わせの文面だけを読んでいると、永松さんの個展がどんなにか
摩訶不思議な空間を創出するものであったであろうと想像できる。
作品は、ギャラリーにテープデッキとドラムセットを置き、デッキから心臓音を
流し、ドラマーが即興でドラムを叩く、と云う前衛的モノだったらしい。
(「美術手帳 美術年鑑 1973」に写真収録)
永松さんと交流のあった「でん八」のアニキは、ほかの藝大仲間の「個展」「コ
ンサート」へよくつき合ってたので、見ていたはずだが、いま訊きだすこともで
きない。
2018年9月23日日曜日
あきる野本願寺 お墓へ 2237
2018年9月22日土曜日
勧めたくなる映画「カメラを止めるな!」2236
![]() |
| 書影 |
地上最強のオタクアイドル・中川翔子が人生最愛の映画(人)たちを語りつくす
コラム&イラストに魅入る。<しょこたんの秘宝遊戯137>
今回は、映画好きがリピーターとなり話題になっている『カメラを止めるな!』
で、彼女も二回観て、イラスト描き込みにも今までになく時間をかけたとある。
TOHOシネマズ新宿へ。
ゾンビ映画は苦手のほうだが、とにかく観てみる。情報(ネタ)を入れないで観
ること。
最初の動員目標5000人が、今では100万人を突破だと!
田野邊の書いたものは、ちょっとしたコラムも見逃さず目を通している。
この号でも、若松プロの70年代を時代とともに再現したという『止められるか、
俺たちを』を傑作としながら、老害の繰り言とことわり映画に登場する松田政男
に扮する俳優に、「松田政男先生がタバコ吸っている!」と、実際には煙草拒絶
症のマツダさんに違和感を発しているのがおもしろい。
未来社で先輩編集者だった松田さんは、酒は飲むが煙草はさけていたことを思う
につけ田野邊のこうした微細な映像画面をおさえた文章はリアリティがある。
療養中の松田さんの近況は、、。
2018年9月21日金曜日
秋霖のなかで終日活字三昧 2235
昨年の今日にあたる日は、三省堂書店の森さんと、文春ギャラリーに那須在友人
の井戸碗作品展を見に行っていた。那須ブックセンターオープン前のことです。
何で一年前の記憶を掘り起こすことになったかと云うと、今年亡くなった森さん
の紹介で三省堂書店の若いウチダさんを知り、数年の付合いができていること。
その彼が業界紙に寄稿している文章を、今日偶然読むことになったが、活字離れ
読書離れに悲哀を感じながらも、書店現場から地道に変えていこうとする姿勢に
感心した。
「広く、浅く、大量に売れる時代」は過ぎ去っており、個人ニーズの多様化とと
もに、狭くとも深く刺さる手堅い商いが着実に実をむすんでいる、と。
日ごろは、年齢と経験のギャップがあってか、遠慮がちにしか喋らない彼だが、
活字表現されると、新しい世代の書店人が確実に育っているのを実感する。
さて、彼は企画室から、もう一度店頭陣頭指揮を執る日が近いが、期待大です。
2018年9月20日木曜日
坂本長利さんの独り芝居 2234
坂本長利さんが「一人の人生 独演の半世紀」なるエッセイを書いている。
坂本さんは僕が未来社かけだしのころ、会社創立以来関係の深かった山本安英、
木下順二さんらが結成した新劇「ぶどうの会」(1964年解散)の団員として
活躍していたことをしっている。
「あんたもよっぽど酔狂ものじゃの。わしの話を聞きたいと言いなさって」と、
襤褸着をまといゴザを頭からかぶり、一畳ほどの舞台にゆらめくロウソクの炎の
影で、、「あんた、本当におなごに惚れたことありんさるか」と続く独演劇「土
佐源氏」の役者・坂本さんの半世紀に惹きつけられた。
いまでこそ、独り芝居の形式を踏んで演技・口承する俳優・役者さんはふえたが
その先鞭をつけたのは坂本長利で間違いないと思っている。
それにしても、「土佐源氏」は1967年(37歳)の新宿「モダンアート」で
の25分劇に始まって、台本を「仕立て直し」て70分の舞台にし、全国津々浦
浦に出かける「出前芝居」と銘打って上演を半世紀50年余(88歳)1150
回以上を数える。(欧州や南米など10か国にも出向いている。)
原作になる宮本常一さんが土佐で聞き書きした、盲目の「河原乞食」の本物に近
づきたいという。
直近の演技を観てみたいものだ。
(未来社から、「宮本常一著作集・別集~70巻余刊行)
坂本さんは僕が未来社かけだしのころ、会社創立以来関係の深かった山本安英、
木下順二さんらが結成した新劇「ぶどうの会」(1964年解散)の団員として
活躍していたことをしっている。
「あんたもよっぽど酔狂ものじゃの。わしの話を聞きたいと言いなさって」と、
襤褸着をまといゴザを頭からかぶり、一畳ほどの舞台にゆらめくロウソクの炎の
影で、、「あんた、本当におなごに惚れたことありんさるか」と続く独演劇「土
佐源氏」の役者・坂本さんの半世紀に惹きつけられた。
いまでこそ、独り芝居の形式を踏んで演技・口承する俳優・役者さんはふえたが
その先鞭をつけたのは坂本長利で間違いないと思っている。
それにしても、「土佐源氏」は1967年(37歳)の新宿「モダンアート」で
の25分劇に始まって、台本を「仕立て直し」て70分の舞台にし、全国津々浦
浦に出かける「出前芝居」と銘打って上演を半世紀50年余(88歳)1150
回以上を数える。(欧州や南米など10か国にも出向いている。)
原作になる宮本常一さんが土佐で聞き書きした、盲目の「河原乞食」の本物に近
づきたいという。
直近の演技を観てみたいものだ。
(未来社から、「宮本常一著作集・別集~70巻余刊行)
2018年9月19日水曜日
「執念」だけでは埋まらない溝が 2233
猛虎愛70年だが、今シーズンほど醒めて観戦している自分をみたことない。
たぶんに、鳥谷敬選手(5代目ミスタータイガース)を控えにしたあたりからだ。
どう見ても、ショートストップ&サードライン上の守備は、吉田&三宅、鎌田ほ
ど華麗ではないが、現プレーヤー中天下一品だよ。それと、投手の信頼感が圧倒
的に違う。
現監督は、打てない選手は中軸に据えたくないのが見え見えで、一丸・執念野球
などもってのほかだよ。
この場に及んだからには、かつての今岡誠選手ばりに外野の守備をやってみても
いいかもしれない。
あと、ウエポンの復帰を待ちたい。
(←ブログ:2018・5・22 「鳥谷の行動に嘘がないだけに、、」2112)
(← :2018・5・30 「怒り心頭!鳥谷敬選手の連続試合出場断」2120)
(← :2018・6・8 「鳥谷三塁先発出場でもりあがり勝つ」2130)
(← :2018・6・30 「いいね!阪神タイガース4人衆」2152)
たぶんに、鳥谷敬選手(5代目ミスタータイガース)を控えにしたあたりからだ。
どう見ても、ショートストップ&サードライン上の守備は、吉田&三宅、鎌田ほ
ど華麗ではないが、現プレーヤー中天下一品だよ。それと、投手の信頼感が圧倒
的に違う。
現監督は、打てない選手は中軸に据えたくないのが見え見えで、一丸・執念野球
などもってのほかだよ。
この場に及んだからには、かつての今岡誠選手ばりに外野の守備をやってみても
いいかもしれない。
あと、ウエポンの復帰を待ちたい。
(←ブログ:2018・5・22 「鳥谷の行動に嘘がないだけに、、」2112)
(← :2018・5・30 「怒り心頭!鳥谷敬選手の連続試合出場断」2120)
(← :2018・6・8 「鳥谷三塁先発出場でもりあがり勝つ」2130)
(← :2018・6・30 「いいね!阪神タイガース4人衆」2152)
(← :2018・7・19 「トリ~隼太~原口の執念ヒット」2171)
(← :2018・8・12 「鳥谷と大和の一瞬のエール」2195)
(← :2018・8・19 「梅に鶯 トリにウメ」2201)
(← :2018・8・12 「鳥谷と大和の一瞬のエール」2195)
(← :2018・8・19 「梅に鶯 トリにウメ」2201)
久々の「水曜会」へ 2232
現役組が少なくなって、週から月一度になり、さらに疎遠になりつつある情勢で
遅い暑気払いも兼ねたひさびさの酒席(御茶ノ水)となりました。
それでも集った面子は、出版業界の情報交換や、地域活動の報告、自身の病気か
らの快気レポートなど、にぎやかな3時間でした。
やはり未だ、時として集まり元気な声をきくのは格別で、イイ空気入れにななり
ました。(未)
遅い暑気払いも兼ねたひさびさの酒席(御茶ノ水)となりました。
それでも集った面子は、出版業界の情報交換や、地域活動の報告、自身の病気か
らの快気レポートなど、にぎやかな3時間でした。
やはり未だ、時として集まり元気な声をきくのは格別で、イイ空気入れにななり
ました。(未)
2018年9月17日月曜日
広田和子さんの死を悼む 2231
![]() |
| 広田和子の本:書影 |
関根さんの新刊を祝う会の席で、新宿ゴールデン街の「花の木」が話題になるや
突然、そのママ・ヒロタさんが亡くあったとを知らされ驚いてしまった。
彼女を知ったのは1970年半ばころで、新宿ゴールデン街、「花の木」のカウ
ンター席だった。典型的な文壇バーで、文藝編集者の親友・龍円と一緒にでした。
その後も、彼女の出身地が北九州であって、小倉の金栄堂に高校時代出入りして
いた話題などでもりあがったものです。
その後空白もあったが、昨年暮れにはカウンターで、年が一歳違いながら、年は
イヤでもとり誕生日がくるもんだ、と確認し合ったばかりでした。
上京してからは、取材記者でノンフィクションライターで活躍を始めたようだが、
1975年に『証言記録 従軍慰安婦・看護婦─戦場に生きた女の慟哭』なる新刊
を出版している。本田靖春が「戦時下の<地獄>の記憶を、敗戦からの30年の
なかに問う迫真のルポ」と推薦している。
ゴールデン街の灯がまた一つ消えた。合掌
2018年9月16日日曜日
日本唯一のウラン鉱・「人形峠」閉山す 2230
きょうの「日経新聞」朝刊のトップニュースは、岡山県と鳥取県の中国山地県境
にある「人形峠ウラン鉱山」遂に廃止へ、のニュースでした。
60年前は、岡山県三大河川の一つ「吉井川」の水源地になる一帯を高清水高原
といって、鳥取県側へのバス通行用切通しの場所の辺りを「人形峠」と称してい
たのです。
1950年代にそこの鉱床から採掘を始めて、全国の原子力発電所で燃料に利用
されていたようだが、諸事情で役割を終えたという。
国策民営(原発)だったのに、そこで働く人や危険性についてほとんど外に洩れて
きた記憶がない不思議な山の「怪」でした。
僕が小さく在郷のころは、「原爆の元になるモノ」が人里離れて山奥で発見され
たとうわさが広がり、何か怖い話として忌み嫌っていたが。
廃止と云ううことになれば、濃縮施設の廃止作業では大量の有害な廃棄物が生じ
るため、放射性物質の管理や処分が問題視されるのは必定で、混乱が予想される
だっろう。
おそらく人形峠の敷地内に残っているだろう劣化ウランの処理は、金属容器に密
封して漏洩が恐い地中深くに埋めようというのだろう。そもそもは、「もんじゅ」
の燃料に「活用」する資源とされてきたが、それも今や無用の長物。原子力機構
など、さっさと消え失せろと言いたい。
ところが、そう簡単な問題ではなさそうだ。
にある「人形峠ウラン鉱山」遂に廃止へ、のニュースでした。
60年前は、岡山県三大河川の一つ「吉井川」の水源地になる一帯を高清水高原
といって、鳥取県側へのバス通行用切通しの場所の辺りを「人形峠」と称してい
たのです。
1950年代にそこの鉱床から採掘を始めて、全国の原子力発電所で燃料に利用
されていたようだが、諸事情で役割を終えたという。
国策民営(原発)だったのに、そこで働く人や危険性についてほとんど外に洩れて
きた記憶がない不思議な山の「怪」でした。
僕が小さく在郷のころは、「原爆の元になるモノ」が人里離れて山奥で発見され
たとうわさが広がり、何か怖い話として忌み嫌っていたが。
廃止と云ううことになれば、濃縮施設の廃止作業では大量の有害な廃棄物が生じ
るため、放射性物質の管理や処分が問題視されるのは必定で、混乱が予想される
だっろう。
おそらく人形峠の敷地内に残っているだろう劣化ウランの処理は、金属容器に密
封して漏洩が恐い地中深くに埋めようというのだろう。そもそもは、「もんじゅ」
の燃料に「活用」する資源とされてきたが、それも今や無用の長物。原子力機構
など、さっさと消え失せろと言いたい。
ところが、そう簡単な問題ではなさそうだ。
2018年9月15日土曜日
論創社版『大菩薩峠〔都新聞版〕』 2229
』
先日、おいしい純米酒で杯を交わした君から、『大菩薩峠・都新聞版』が送られ
てきた。
そこに机竜之介がすっくと起立しているような雰囲気のある装丁で、スピン入り、
背を銀糸でかためた上製本は感触よく、一巻いっかん読みすすめ読破したい気持
ちにさせられる。
時代の経過が随分たっているが、驚いたことに、新聞連載と生きた挿絵のせいか
読みだすと日めくり感覚で止まらなくなる。一コマ一コマの物語の展開が流れる
ように起承し、そのなかに自然と溶け込んでいける。
(先に読み進めた筑摩書房版で味わった、話の筋が分かればいいというような、
雑なカットによる弊害がなく、面白く読めるのが不思議です。)
平松洋子のコラム「この味」に惹かれて2228
以前、岡山出身のダブル洋子による『洋子さんの本棚』(集英社刊)で小川洋子
と平松洋子が読書遍歴をめぐって縦横無尽に喋りあっていたのを思い出した。
そして今週、平松さんの雑誌コラムで彼女が倉敷の被災地入りしていることを知
りました。
真備町服部地区へ8月末から炊き出しに入っている模様。
倉敷のホテルや旅館が参集し、その活動を市の観光課などがサポートするオール
倉敷のようだ。
その文章のなかに、避難場所のことが書かれていることと、炊き出しの献立にい
たく感じ入るものがある。
避難場所の一つが、「船穂小学校体育館」であったことと、炊き出しのメニュー
がちらし寿司(実はばら寿司)で、仮住まいの被災者たちは、具沢山の華やかな
彩りに感動しながら一時の食事を噛みしめていたという、表情が伝わってくる。
と平松洋子が読書遍歴をめぐって縦横無尽に喋りあっていたのを思い出した。
そして今週、平松さんの雑誌コラムで彼女が倉敷の被災地入りしていることを知
りました。
真備町服部地区へ8月末から炊き出しに入っている模様。
倉敷のホテルや旅館が参集し、その活動を市の観光課などがサポートするオール
倉敷のようだ。
その文章のなかに、避難場所のことが書かれていることと、炊き出しの献立にい
たく感じ入るものがある。
避難場所の一つが、「船穂小学校体育館」であったことと、炊き出しのメニュー
がちらし寿司(実はばら寿司)で、仮住まいの被災者たちは、具沢山の華やかな
彩りに感動しながら一時の食事を噛みしめていたという、表情が伝わってくる。
2018年9月13日木曜日
芥川賞『送り火』(高橋弘希著)を読む 2227
「送り火」というタイトルに憑かれて読むことになった。
庄屋だった母方の家で執り行われていた盆閉じ習わしの「送り火」が、一種独特
なものだったことを想い出し、高橋弘希の芥川賞受賞作を手に取った。
青森に転校してきた語り手の少年が、地元の少年と出合い次第に理不尽な暴力の
ありのままの混沌のなかにさらされる。
庄屋だった母方の家で執り行われていた盆閉じ習わしの「送り火」が、一種独特
なものだったことを想い出し、高橋弘希の芥川賞受賞作を手に取った。
青森に転校してきた語り手の少年が、地元の少年と出合い次第に理不尽な暴力の
ありのままの混沌のなかにさらされる。
数寄屋橋で待合わせ 2226
十数年ぶりに飲み会に誘ってくれた某出版社の社長と、新刊本を出したばかりの
友人と銀座有楽町でおちあい、歩いて10分もかからない酒房「酒の穴」へ。
地下に階段を降りて予約席に通されると、全国の代表的銘柄が数多く揃えてある
のが分かった。
自分がおいしいと思うものをそれぞれたのんだ。飲み方は燗酒、常温、冷酒に分
かれた。
周囲の卓を見わたしてみると歳のいった男性客が多く、日本酒ツウの酒を嗜み特
定名称を持っているリピーター客もいるのではないだろうか。
築地からの新鮮な魚介類の刺身を、いつものようにおまかせしているようでした。
中里介山の『大菩薩峠』(全41巻)は、少しづつ読みだしているが、論創社か
ら全9巻の『大菩薩峠<都新聞社版>』(伊東祐史校訂)が出版されていること
にすくなからず驚き、その経緯たずねてみた。
彼の出版活動は最初から知っているが、雑誌「国家論研究」などの刊行を始め、
とても大部数は売れそうにない、しかし、面白くかつ、出版する意味のある書籍
を刊行してきている。
次第に書店や取次の信頼を得て市場を拡大しているように感じた。
また、『家庭通信社と戦後50年史』の著者・関根由子の出会いを聞くに及んで
は、意外なところで僕の知人たちと繋がりにつながったのには、また驚きでした。
友人と銀座有楽町でおちあい、歩いて10分もかからない酒房「酒の穴」へ。
地下に階段を降りて予約席に通されると、全国の代表的銘柄が数多く揃えてある
のが分かった。
自分がおいしいと思うものをそれぞれたのんだ。飲み方は燗酒、常温、冷酒に分
かれた。
周囲の卓を見わたしてみると歳のいった男性客が多く、日本酒ツウの酒を嗜み特
定名称を持っているリピーター客もいるのではないだろうか。
築地からの新鮮な魚介類の刺身を、いつものようにおまかせしているようでした。
中里介山の『大菩薩峠』(全41巻)は、少しづつ読みだしているが、論創社か
ら全9巻の『大菩薩峠<都新聞社版>』(伊東祐史校訂)が出版されていること
にすくなからず驚き、その経緯たずねてみた。
彼の出版活動は最初から知っているが、雑誌「国家論研究」などの刊行を始め、
とても大部数は売れそうにない、しかし、面白くかつ、出版する意味のある書籍
を刊行してきている。
次第に書店や取次の信頼を得て市場を拡大しているように感じた。
また、『家庭通信社と戦後50年史』の著者・関根由子の出会いを聞くに及んで
は、意外なところで僕の知人たちと繋がりにつながったのには、また驚きでした。
2018年9月11日火曜日
祖母のことから 2225
とにかく、短距離走と画を描くことに長けていたと、祖母が自慢する子だったと
いう。
小学校のときは、一クラス男女合わせて18人前後の、36の瞳というような仲
良し学級で過ごした。
秋の運動会ともなると、徒競走と部落対抗リレーの代表に選ばれるのは当たり前
という意識で、前夜から興奮して寝付かれなかった(笑)。
絵に目覚めたのは、親父が藤村富男選手(背番号10の初代ミスタータイガース)
の豪快なバッティング立姿をクレヨンで素描してくれたのがきっかけでした。
コンクールで入賞して、廊下にかかげられ調子にのり或るレベルまでいきました。
御袋は、僕が小学校へ入学する前に結核を患い、里帰りして療養生活に入ってい
たので、一緒に生活した記憶がきれぎれにしかよみがえらない。ほとんど、祖母
に育てられたようなものです。
1959年、東京に出てくるようになったときも、衣類一式をそろえ、なかには
手作りの物も仕立て「行李」につめて送ってくれた。
物を持ち過ぎなので整理し始めているが、その想い出のある柳行李は未だに捨て
きれず、数百通の手紙と共に屋根裏部屋に在る。
いう。
小学校のときは、一クラス男女合わせて18人前後の、36の瞳というような仲
良し学級で過ごした。
秋の運動会ともなると、徒競走と部落対抗リレーの代表に選ばれるのは当たり前
という意識で、前夜から興奮して寝付かれなかった(笑)。
絵に目覚めたのは、親父が藤村富男選手(背番号10の初代ミスタータイガース)
の豪快なバッティング立姿をクレヨンで素描してくれたのがきっかけでした。
コンクールで入賞して、廊下にかかげられ調子にのり或るレベルまでいきました。
御袋は、僕が小学校へ入学する前に結核を患い、里帰りして療養生活に入ってい
たので、一緒に生活した記憶がきれぎれにしかよみがえらない。ほとんど、祖母
に育てられたようなものです。
1959年、東京に出てくるようになったときも、衣類一式をそろえ、なかには
手作りの物も仕立て「行李」につめて送ってくれた。
物を持ち過ぎなので整理し始めているが、その想い出のある柳行李は未だに捨て
きれず、数百通の手紙と共に屋根裏部屋に在る。
2018年9月10日月曜日
きょうもサンマ、明日もサンマ 2224
残暑から秋になるとき、無性に食べたくなる秋刀魚、サンマ。
昨年とはうって変わって、脂ののったサンマが水揚げされ鮮魚店に並ぶ。
漁の最盛期に向かって店頭価格は未だ安くなるだろう。
僕は食卓で最も親しく好むのが魚で、料理手法は何でもよい。
でも、焼き魚のイメージが強いサンマだけに、七輪に炭をおこし脂ののった身を
焦がし、青ゆず汁をふりかけほろ苦い内臓ごと食べるのがベストか。
ことし旬のサンマは、大ぶりでも脂がのってトロなみに握り寿司でもイケる。
ほかに、刺身や竜田揚げ、つみいれ汁でも美味しい。
昨年とはうって変わって、脂ののったサンマが水揚げされ鮮魚店に並ぶ。
漁の最盛期に向かって店頭価格は未だ安くなるだろう。
僕は食卓で最も親しく好むのが魚で、料理手法は何でもよい。
でも、焼き魚のイメージが強いサンマだけに、七輪に炭をおこし脂ののった身を
焦がし、青ゆず汁をふりかけほろ苦い内臓ごと食べるのがベストか。
ことし旬のサンマは、大ぶりでも脂がのってトロなみに握り寿司でもイケる。
ほかに、刺身や竜田揚げ、つみいれ汁でも美味しい。
2018年9月9日日曜日
あの安彦良和の新著が近々刊行される 2223
![]() |
| 書棚から(影:scan) |
に勧められたころだった。
Gyoがファンだった「ガンダム」は知っていたが、その生みの親の一人、漫画家・
安彦良和については、気に留めていなかったことになる。
僕がそれほどコミックに魅かれないこともある。
その安彦良和が昨年、自伝『原点 ORIGIN』を岩波書店から出版して話題にな
っているが、 10月末には続刊にあたる『革命とサブカル』(言視舎)が出る。
『原点 The ORIGIN』では語りつくせなかった諸問題を、同時代を生きた当事
者たちと本格的に追求する未完の旅になるのか、、、期待したいところ。
いずれにしても、漫画が対象とする世界が小説のそれを越えてしまったと感じる
今のご時世のこと、あらゆる学問、芸術の領域を凌駕しメディアにのせる一番手
になっている。
ガンダムから、古今東西の歴史から漫画を描いてきた安彦であるからこそ、正義
の戦争など存在しないこと、人間の生きる思考を展開できる。
小さな城下町・津山のこと 2222
![]() |
| 神伝流甲冑泳法 |
美作一円を支配してきた森家から、元禄11年(1698)松平へ移行している
が、津山盆地に栄えた城下町の歴史が厳然として残っている。
天守閣はないが、落ち着いた街並みの城下町にふさわしい城址がある。
これ見よがしの天守閣や、後年築城した近代的城とはちがって、城下に鉄砲町、
弓矢町、元魚町、二階町、鍛冶町、上紺屋町、細工町、材木町、船頭町などが、
現前と生かされている。
あまり裕福ではなかったに違いない中国山地の地方藩の歴史をさぐってみると、
興味はつきない。
津山松平家系の家斉・斉民のこと。特に明治維新における敗者・斉民の果たした
功績について。
藩として町人に、石門心学の教科に熱心であったこと。後に心学は、封建支配の
御用学問にすぎないとする批判がおこってくる。
他に、水練に関して「神伝流水軍兵法」の鍛錬と免許皆伝や水練家業までいきつ
く突出した藩指導の話は面白い。後に、夏の花火大会の昼間のイベントで神伝流
泳法を津山川で観て感心した記憶がよみがえる。
(サイパンから帰国して失職中の親父は、城下の二階町でわずかな期間だけ珈琲
ハウスのような商売で生きのびていたことがあります。)
2018年9月7日金曜日
母さん ぼくの帽子、、、記憶の断層79 2221
![]() |
| (影:Pen) |
2002年9月、ちょうど今どきでした。
旧碓氷峠の頂上手前を右手にとって、対向車に出合うと厳しいくねくね上り坂を
登り、たどり着いたところが温泉旅館「きりずみ館」でした。
確か離れ仕様で、六角の空間が広く天井が高い建物に、湯舟も六角という風流な
趣でした。
温泉はぬるめでやわらかく、強制循環されているがかけ流しだったと思う。
湯上りに食べた山菜蕎麦はおいしかった。
(2012年4月に、閉館したと聞きました。)
さらに、狭い山道を愛車をけって「金洞の滝」へ。
![]() |
| 金洞の滝(影:Pen) |
(← :2018・4・7 「黒部→魚津→滑川を走る 記憶の断層74」2068)
(← :2018・4・23 「境港の海鮮レストラン 記憶の断層75」2084)
(← :2018・5・6 「ハイジの村へ 記憶の断層76」2097)
(← :2018・5・12 「奥多摩の三頭山 記憶の断層77」2103)
(←ブログ:2018・8・8 「Cairnsダイビングへ 記憶の断層78」2191)
(← :2018・5・6 「ハイジの村へ 記憶の断層76」2097)
(← :2018・5・12 「奥多摩の三頭山 記憶の断層77」2103)
2018年9月6日木曜日
列島被害続出!札幌地区で震度7の地震2220
今朝、北海道南西部で震度7(M8)の地震があった。
いずれの災害でも、第一報を映像で見たときのショックはいたたまれない。
地肌むき出しの数キロにわたる山脈の崩壊、土砂崩れで家並みがのみ込まれた映
像に、またもやと言葉も出ない。
札幌や苫小牧に住む友人、とくに地震の中心に近い場所・手稲地区に居を構えて
いる小学校時代の友人家族のことが気がかり。
これまでの情報だと、震度の強さの割に被害は最小限でおさまっているように見
えるが、、。
過去にも、北海道では大地震が発生している。
1993年には大規模な地震が2回発生。「釧路沖地震」(M7・5)と「北海
道南西沖地震」(7・8)。この地震では津波が押し寄せ奥尻島を中心に死者・
行方不明者約230人を出した。
1994年には「北海道東方沖地震」(M8・2)
2004年には「十勝沖地震」(M8)
2018年9月5日水曜日
津山城址裏の「聚楽園」 2219
旧津山藩別邸庭園に「聚楽園」がある。
この庭園のなかに、睡蓮の池があるはずです。
と云ううのは、中学一年で睡蓮の花が咲くころ、新任で絵画の女先生に引率され
て、モネばりに池に浮かぶ睡蓮を写生したことを鮮明に覚えている。
65年ほど昔の話です。
でも、ハスの花がモネの名画につながったのは、倉敷に転出して「大原美術館」
の二階で、「睡蓮」に対面したことによる。
(大原孫三郎の協力者・児島虎次郎が、印象派の巨匠モネをジベルニーのアトリ
エに訪ね「睡蓮」を購入。)
このような経緯で、僕の絵の趣味は聚楽園に始まって、倉敷大原美術館への出入
りによる影響が大きい。
この庭園のなかに、睡蓮の池があるはずです。
と云ううのは、中学一年で睡蓮の花が咲くころ、新任で絵画の女先生に引率され
て、モネばりに池に浮かぶ睡蓮を写生したことを鮮明に覚えている。
65年ほど昔の話です。
でも、ハスの花がモネの名画につながったのは、倉敷に転出して「大原美術館」
の二階で、「睡蓮」に対面したことによる。
(大原孫三郎の協力者・児島虎次郎が、印象派の巨匠モネをジベルニーのアトリ
エに訪ね「睡蓮」を購入。)
このような経緯で、僕の絵の趣味は聚楽園に始まって、倉敷大原美術館への出入
りによる影響が大きい。
2018年9月4日火曜日
不要不急の外出やめた 2218
2018年9月3日月曜日
川遊び/魚獲り・モジ 2217
夏は終わり、一気に二百十日&二十日で秋の気配。
ことしはハルの都合で、バカンスなしでした。
一人で多摩川の河原に行き魚影を見たり、庭石を探して過ごす日もあった。
そうしているうちに、しきりに正宗(田舎)の幼少時代に、夏休みの宿題を気に
しながら悪友どもと、水泳の合間を縫って魚を追っかけ回していた風景が甦って
きた。岡山の第一級河川吉井川の上流側でした。
水に潜り水中メガネで見る川底や岩やの魚を飽きることなく、体が冷え込みまで
遊びほうけていたものです。
陸に上がっては、体ぐらいの黒っぽい石を見つけて甲羅干しして、また一時潜る
ことの繰り返しで、まさに楽園でした。
急に思い出した、魚獲り(漁撈)の道具で「モジ」という青竹を割って編んだ筒
形等の形態をしたモノがあった。これを使用して川魚が遡上、下りするのを捕獲
できたときの快感はたまらない。この蘊蓄はまた後日に、
(←ブログ:2018・6・5 「小学校のころ」2127)
ことしはハルの都合で、バカンスなしでした。
一人で多摩川の河原に行き魚影を見たり、庭石を探して過ごす日もあった。
そうしているうちに、しきりに正宗(田舎)の幼少時代に、夏休みの宿題を気に
しながら悪友どもと、水泳の合間を縫って魚を追っかけ回していた風景が甦って
きた。岡山の第一級河川吉井川の上流側でした。
水に潜り水中メガネで見る川底や岩やの魚を飽きることなく、体が冷え込みまで
遊びほうけていたものです。
陸に上がっては、体ぐらいの黒っぽい石を見つけて甲羅干しして、また一時潜る
ことの繰り返しで、まさに楽園でした。
急に思い出した、魚獲り(漁撈)の道具で「モジ」という青竹を割って編んだ筒
形等の形態をしたモノがあった。これを使用して川魚が遡上、下りするのを捕獲
できたときの快感はたまらない。この蘊蓄はまた後日に、
(←ブログ:2018・6・5 「小学校のころ」2127)
2018年9月2日日曜日
サイパンの開拓移民と学校 良太の~③2216
広さとされる。この狭い島の各所に多くの学校がありました。
サイパンには、南洋庁の保護を受けて成長してきた、「北の満鉄」、「南の南興」
といわれた製糖会社・南洋興発(株)があった。日本国内は、人口過剰と貧困に
あえいでいたが、「南興」では多くの開拓移民を必要としていたのだった。
その移民の子弟のために国民学校が7ヵ所にあり、ガラパンには高等女学校と実
業学校もありました。
わたし(良太)がサイパン港上陸後の最初の赴任先の学校は、ラウラウ湾沿いの
チャッチャ「国民学校」(初等科・高等科8年)でした。
(←ブログ:2017・11・30 「良太のサイパンとは、、①」1940)
(← :2017・12・20 「良太のサイパン②」1961)
2018年9月1日土曜日
処暑を過ぎて早や二百十日 2215
去り行く日々の早いことはやいこと、きょうは、9月1日・二百十日です。
季節の変わり目はリアルタイムです。あれだけ猛暑つづきに悩まされてきたのに
暑さが止んで、未だ昼間は暑いが、朝晩は虫の声とともに爽やかな兆しを感じる
から不思議です。
でも、二百十日、八朔は、農家にとって収穫前の作物が台風に襲われる可能性の
高い日として、厄日になります。
訪ねたことのある「越中おわら風の盆」は、台風を警戒し風鎮を祈念するお祭で
もある。
それにしても今節は、異常気象により梅雨時期から早い台風襲来がつづき、連続
して各地に記録的な被害をもたらしている。
さらにこれからが本格的な台風シーズンになるわけで、収穫をひかえての心配と
ともに突発的な水害を危惧する。
季節の変わり目はリアルタイムです。あれだけ猛暑つづきに悩まされてきたのに
暑さが止んで、未だ昼間は暑いが、朝晩は虫の声とともに爽やかな兆しを感じる
から不思議です。
でも、二百十日、八朔は、農家にとって収穫前の作物が台風に襲われる可能性の
高い日として、厄日になります。
訪ねたことのある「越中おわら風の盆」は、台風を警戒し風鎮を祈念するお祭で
もある。
それにしても今節は、異常気象により梅雨時期から早い台風襲来がつづき、連続
して各地に記録的な被害をもたらしている。
さらにこれからが本格的な台風シーズンになるわけで、収穫をひかえての心配と
ともに突発的な水害を危惧する。
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