広さとされる。この狭い島の各所に多くの学校がありました。
サイパンには、南洋庁の保護を受けて成長してきた、「北の満鉄」、「南の南興」
といわれた製糖会社・南洋興発(株)があった。日本国内は、人口過剰と貧困に
あえいでいたが、「南興」では多くの開拓移民を必要としていたのだった。
その移民の子弟のために国民学校が7ヵ所にあり、ガラパンには高等女学校と実
業学校もありました。
わたし(良太)がサイパン港上陸後の最初の赴任先の学校は、ラウラウ湾沿いの
チャッチャ「国民学校」(初等科・高等科8年)でした。
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