2016年3月31日木曜日

喫茶店文化盛衰           1331


どこの街に行ってもいたるところに外資系大手チェーンのカフェが目立つ。
どこも広角ガラスで店内はおしゃれに装飾され、コーヒー以外のメニューも充
実している。

一方で、昭和の時代に絶対的存在だった「名曲喫茶」や「ジャズ喫茶」は姿を
消しつつある。また、「同伴喫茶」や野球やボクシングの「TV放映喫茶」なんて
いう案内看板もほとんど見かけなくなった。
かつて僕がよく寄った、新宿東口の「ウイーン」、西口の「カドー」、歌舞伎町の
「田園」「王城」、高田馬場の「大都会」、早稲田の「早苗」、、。
全国には、まだまだレトロな「喫茶店」は数多くあろうが、個々人の想いも無数
に忘れられないものがあるはずです。

昨日、神田神保町の「さぼうる」で一杯のコーヒーを飲み、『キャプテンシー』を
読みながら小一時間安らぐ。
植木と蔦がレンガをおおう、こんな空間在りつづけてほしいと思う。

(←ブログ:2016・3・17 「コーヒーブレーク」1317)

2016年3月30日水曜日

眠らない街、新橋          1330

千鳥ヶ淵(2016・3・30 影:Tab)
夕方からの新橋の「桜始開」にはちょっと余裕があったので、千鳥ヶ淵を散策し
た。

正午の水曜会を飛ばして、会のメンバーが新橋駅機関車広場に集結。
その一人は3・11の大震災を気にかけて、被災直後に大槌町へ行っていると
きメールで励ましをくれた。いまでも、支援活動をしている関係者を紹介しても
らったり、情報キャッチを最速でくれる。これから先、一部震災の風化はやむな
しとして、このような意識の連帯こそ大事だと思う。

新橋駅前にも小公園があって、ソメイヨシノが5分咲きと云ったところを愛でな
がら、飲む場所を探し回る。

2016年3月29日火曜日

集団的自衛権が使えるように、、    1329



きょう、2016年3月29日、安保法、施行。
戦後、守りつづけてきた集団自衛権の非行使の立場を、行使容認の防衛政策に
転換することになる。

戦後、憲法9条の解釈は時代の流れのなかで変わってきた、と云うか変えられて
きた。すでに戦争状態に入りつつあるなかで、周辺国が今回の法制に強い疑念
を突きつけている。中国はアジアの覇権を目指して尖閣や歴史問題で妥協する
様子は微塵もない。第二次世界大戦勃発のきっかけは、日本の無謀な国策によ
るが、その記憶を省みて生かしきることしかない。

我々老人はさておいて、子どもだけは戦争を知らないですむ時代であってほしい
思いで、ずっと意思表示してきた。ところが、次の世代のハルたちに迫る危機の
排除について何ができるか、不安がつのります。




2016年3月28日月曜日

再訪!伊予ロッヂ          1328

(2016・3・27 影:Can)
昨年に続いて二度目の宿泊になる「伊予ロッヂ」へ。
東京から八ケ岳山麓清里高原に御夫婦で移り住んで民宿を営んでいる。

昨年訪ねたのも同時期3月だったが、階段をトントントンと登って扉を開けると、
奥さんが長いなじみ客のようににこやかに招き入れてくれた。
客間も一緒で、硝子戸外の芽吹き始めた針葉樹の彼方に雪をかぶった八ケ岳
がひろがる。
残雪の残る赤岳には、小学生だったGyoを連れて登山したことがある。

一風呂浴びて夕食。ぼくにとって、これがまた格別で、高原で採れたての野菜
と魚を食材にした30種類以上の溢れるばかりの美味しいツマミと食事。
厨房で料理したものを、元気なご主人がバイキングテーブルに次から次に運
び並べる。
酒もサービスでお酌して回るはで、実にアットホームな雰囲気を醸し出す。

主宴を終えて二次会は部屋で。味噌造りで知り合った取次、出版、製紙会社
の人たち半数は七夕様なので、近況から健康管理の話になるのだが、夜更
かしに至る。
そして、深酒がたたって翌朝出る美味しいはずの八ケ岳高原牛乳を飲み損
ねてしまった。

(←ブログ:2015・3・22 「八ケ岳清里の「ロッヂ物語」」953)


2016年3月27日日曜日

甲斐駒ヶ岳を眺望しながら味噌造り   1327

(2016・3・26 影:Can)
今年もまた、茅ヶ岳の麓、ヒジカタ山荘へ。
土方ご夫妻の指導の下での寒味噌造りも6年目になる。

朝5時起きで豊田に行き、シライ君のクルマに乗り換えてカズさんも同乗し一路
中央高速を疾走する。
9時に到着すると、すでに先着組は煮立った大豆をミンチ状にして、糀と塩をか
きまぜる作業をしていた。

毎年思う。
大豆を育てて秋に収穫し、乾燥した豆をセレクトしながら剥き出す夜なべ仕事を
するのはご夫妻であって、僕たちは煮大豆からの作業に加わると云うイイもの取
りと云うことなので、申し訳なく心底思っています。

それと、ミンチ状になった大豆に混ぜて醗酵させる麹菌のことなのだが、手作り
の無農薬糀をを使用している。
余談で、「こうじ」の漢字が「麹」だったり「糀」だったりするが、麹は中国から伝わ
漢字。糀は明治時代に日本で作られた国字。要は両者は同じ意味なのだ。

仕上がりをそれぞれに分配され甕に詰め込んんだ。自宅の風通しのいい床下
に保管した。梅雨時に最初の天地返しをするが、醗酵密度を見るのがいまから
楽しみ。

(←ブログ:2014・2・1 「4年目に入った寒味噌造り挑戦」)
(←ブログ:2015・3・22 「恒例の寒味噌造り!」952)

2016年3月26日土曜日

年三回の東京組同期会        1326


昨日は、今年初めて恒例の「船中会」があった。
調べてみると、昨年3回会席を持っている。
数年前までは、年に一、二度の同期会であったのが、三回開催するに至っては
食事しながら過ごすパターンが決まって来た感がする。

関西にも「船中会」の関西版があって、地理的にも会友は多人数になる。
そして、中心的世話人も二、三人いて仕掛けが豊富にあるようです。
次回の会へは、久々に出かけてみようと思っているが、、、。

(←ブログ:2015・3・29 「新春「船中」同期会が」960)
(←    :2015・8・28 「心待ちの同期会」1114)
(←   :2015・12・5 「遠方より来たらず」1213)

2016年3月25日金曜日

143分の1試合           1325

書影
阪神タイガースのキャプテン鳥谷選手の自著『キャプテンシー』(KADOKAWA)が、
新書部門のベストセラー1位に入っているのを発見して驚いた。
まあ、虎ファンの多い大阪の紀伊國屋書店梅田店の一週間調査なので順当と
言えなくもない。

書かれた内容は、現役プレイヤーでキャプテンである自身が、目指すリーダー
論を熱く語ったもの。
今シーズンのリアルプレイを視点を変えて、フルイニング出場に期待して見てみ
たい。

シーズン前のキャンプからオープン戦で見せた、これまでのクールなイメージを
一新した姿が目立った。
シートノックでは積極的に声かけをし、笑顔でコミュニケーションを取っている。
昨季は4年連続のフルイニング出場したが、打撃面で物足りなく、キャンプで打
撃指導も受け紅白戦で完璧にとらえたホームランを放つなど、効果が表れ始め
ている。遊撃手として若い期待の北條もレベルアップしてきているが、まだポジ
ションを譲るわけにいかないと、覇気をあらわにしている。

今季もフルイニング出場を続ければ、700試合連続の三宅秀史(阪神三塁手)
を抜いてプロ野球歴代2位まで浮上する。
聖望学園高校~早稲田からプロ野球に身を投じ、「鳥が飛んだ」最初の春から
見続けてきたが、新鉄人としてここまで飛躍するとはおもわなかった。
虎の先頭にたち、目指せ頂点を!

されど、悔しいかな負けた。
メッセ、気ばかり先行して単調なピッチングになる癖、何とかしろよ!

2016年3月24日木曜日

父親の友人のこと          1324

書影(1997・5・22発行 影:Tab)
親父は「岡山師範」学校を昭和12年に卒業している。
まさに、『1*9*3*7』、盧溝橋に銃声がとどろいた年。
学生時代の話はあまりしない父だったがこの人の名前だけは、よく出てきた。

その一人は、ぼくがわずかな期間、生まれ育った津山の奥から転居した家に泊り
がけで訪ねてきては夜を徹して、太熊!、良太!と言い合い酒を酌み交わす仲の
山本太熊さんでした。
この人は、子供視線からしても豪放磊落に見受けられ、教育者と云うよりは政治的
野心がみなぎっていた。

そのタクマさんが岡山県会議員に立候補して当選したことがある。
親父も選挙カーの上に登壇して応援演説をぶっていたはずだが、サイパン帰りが
影響してか自由党も日教組も嫌っていたはずで、どの立ち位置だったのか、不思
議と思いだせない。
野心家・太熊さんの後日の独白に「遠いい日の栄光や挫折その総てが夢と消えた
今、古里に閑居し、老いた妻と支え合い、労り合い暮らすこの穏やかな日々の安
らぎは、億の金を積んでも得られない」、と。

(←ブログ:2015・11・14 「わが家の児童書を整理するなかで、、」1193)

2016年3月23日水曜日

通称「神田村」は死なず        1323

(2016・3・影:Tab)
神田駿河台下、すずらん通りの裏手にある「弘正堂図書販売」へ。
細野社長と懇談する。

「神田村」と呼称される出版物取次店15社余の集団は、それぞれの専門分野を
持ち、商品調達の面においてトーハンや日販の総合取次と一線を画し、今なお
優位性を堅持しているところがある。
その一翼を担っているのが「弘正堂」だと思っている。

細野さんとはじめて面体したのは新世紀に入った2000年のことで、新規取引交
渉に神田小川町時代の社屋(八木ビル)に来られ話はトントン拍子で進んだのを
覚えている。
その後も、朝日新聞や読売新聞などの会で合う機会が度々あったし、ぼくの慰労
会にも駆けつけてくれたが、自社の歴史や、地方書店の開拓ぶり、時期展望など
をゆっくり聞いたのは初めてです。

厳しい出版業界であるだけに、神田村の取次別に特化した利便性を、書店が有
効利用しない手はないし、販売機会の拡大につながるはず。

2016年3月22日火曜日

変わらない有隣堂伊勢佐木町本店   1322

(2016・3・22 影:Tab)
きょうは、30年前『チャイナタウン』を刊行したとき、有隣堂へ販促の交渉で訪
ねて以来の伊勢佐木町行きでした。

JR関内でおりて見る駅周辺の風景はすっかり変わっていたが、向かった有隣
堂本店の建物は変わっていなかった。
中二階の欄干越しに、1階のブラブラしながら本探しをする読者の流れを見る
のが好きです。
こうした雰囲気がある書店として、前橋の煥乎堂などがあり、リアル書店の刺
激的な喚起力といっていいでしょう。
今日の目的とする人は、アトレ川崎店の改装オープン準備で忙しく、なかなか
タイミングが計れずやっと会うことができた。

今まで店長経験もあるSt課長だが、言視舎の人に対面したことがなかったらし
く、書籍の刊行ラインのこと、流通上での新刊配本が思いに任せられない現状
について、丁寧なやり取りができた。
しかし自分としては少し一方的に喋り過ぎの感ありで、反省する部分もあった
かな、、。

チェーン店50店舗弱のなかで、ファッション誌や実用書に特化したショップもあ
り、商品性を見極めて各店ごとの発注を約してくれる。
【ぶらり書店へ6】

(←ブログ:2015・10・8 「八重洲ブックセンターへ」1156)
(←    :2016・2・18 「仕事としての本屋さん」1288)
(←    :2016・2・21 「25年ぶりの面談」1292)
(←    :2016・3・2   「横浜へ」1302)
(←    :2016・3・4   「あるナショナル書店の場合」1304
(←     :2016・3・16    「書店・カフェ~どうなる書店格差」1316)

2016年3月21日月曜日

高校野球に挑む大槌の3選手     1321


大槌出身、在住の3選手たちが隣市の県立釜石高校の野球部員で、きょうの1回
戦21世紀枠対決の釜石:小豆島に挑んだ。

ぼくは、春夏の甲子園高校野球大会を終始観続けることはない。
が今朝、食事後に新聞を広げて、1回戦に釜石高校出場のTV放映があることを
知ってチャンネルをひねった。
と云ううのも、1万人余の被災地大槌町から3選手も出場する朗報があることに
驚いた。映像を観る限り、2年生エースの岩間選手はコントロールよく完投し、外
野の佐々木選手もシャープなバッテングで活躍するのをみるにつけ、実力で選出
されてきたことに納得した。

3・11震災時は小学生だった彼らは、厳しい環境に耐えながら練習に打ち込んで
今日があるのだろう。赤浜地区出身の岩間くんのお母さんは行方不明のままと聞
いています。


2016年3月20日日曜日

お彼岸やぽとり落ちたり椿かな     1320

故郷から来た椿(2016・3・20 影:Can)
きょうは、春分の日でお彼岸の中日、明けは23日。
つい先に冬至で、その日から徐々に日が長くなってきて、きょうあたりが昼と夜
の長さがほぼ同じになる日、と言われれば、過ぎ去る日を一層早く感じてしまう。

わが家の裏庭の椿は「山椿」で、美作の田舎からやって来た。
幼少の頃過ごした家の裏には、山から落ちる清水を受ける二段水槽が備えら
れていた。その脇の斜面を自生の山椿がおおっていて、根っこから出た新梢
のひこばえを伯母が育てて、東京まで送ってくれた貴重なツバキの樹です。

年明けから一輪ずつ咲きはじめて、いま暗緑の葉陰から質素だが艶やかな五
弁を見せてくれている。
そして、耳を澄ませばポトッと地面に落ちた音を感じた気にさせる一輪の寿命。
むかし見た貯水槽に浮いた五弁の椿は、黒沢映画の「椿三十郎」の斬新な映
像イメージと同化する。

(←ブログ:2014・5・19  「柚の白い花と匂いに誘われて」645) 
(←ブログ:2014・12・16 「庭の山茶花に初雪が降る!」857)




2016年3月19日土曜日

今年初の「やすい会」へ        1319

(2016・3・18 影:Tab)
朝から国分寺、東五軒町、東京駅八重洲地下街から、夜の会合の本郷へ移動。

丸の内線本郷駅を出たところの喫茶店で暇つぶし。そのうち、シライさんが通り
かかり立ち寄る。早速、近日中に味噌寒造りで八ケ岳の麓に出かける一件の打
合せとなる。

やすい会の集まりを年数回やってくると、ほとんど同窓会のようなものである。
最初の会から出席しているぼくにとって、今年で34年。数回不都合があって出
られなかったことがあるが、毎回12,3人の仲間のなかにいつづけている。
会の冒頭、乾杯の発声はいつものようにヤスイさんからで、「今回、113回に到
達しているが、それにしてもよく飲むに飲んだり、感動している」と言い、継続を
讃えた。

話題は、太洋社問題、軽井沢スキーツア事故と羽村町、夫々の健康管理の披
歴、河出書房新社の編集者の今・変貌など、いろいろ語られ楽しかった。

二次会は、いつもの流れで小料理屋、「祇園」へ。

(←ブログ:2012・11・12 「やすい会100回記念イヴェント」169)
(←ブログ:2015・12・17 「継続する「会」には理由がある」1226)

東五軒町へ             1318

(2016・3・18 影:Tab)
昨日午前中、国分寺駅ビル8階の紀伊國屋書店に寄り、一巡して都心へ。
午後、トーハンに行きMt課長と懇談。

彼は、専門書担当から一般書へ移動していた。
主たる目的は、法人グループ店の現況とキーマンを聞きこむことだったが、すっ
かり様相が変わりデーター一括管理が進んで一筋縄ではいかず、接点も見つ
けづらくなっている。

三洋堂書店、くまざわ書店、宮脇書店、平安堂書店や、1月にトーハンの子会社
になった文真堂書店なども昔のソフトなコミニケーションルートは消失している
感じで受け取ったが、、。
とりあえず、くまざわ書店グループ担当のAy課長に会い、相手のスタンスを聞
くことができた。
この部署に長くいたはずのコイケさんが6年前に亡くなったことを聞き、驚くやら
いかに久しぶりの訪問だったかと云うことになる。

2016年3月17日木曜日

コーヒーブレーク          1317


コーヒーを飲めるようになったのは、東京に出てきてからで、それからずっと好
きです。

最近は自宅生活が多くなって、自分でいれたコーヒーを頻繁に飲んで楽しんで
います。ところが、本の虫の相方に誘われて外の「珈琲&書店」のコーヒーを味
わいながら気分転換する至福の一時もいいものです。
相方が海外ミステリーを探したり、ハルに御薦めの本をセレクトして購入しいる
あいだに、ぼくは月刊誌を読み漁ったり、Tabletを開いてテーブルソファでゆっ
たり過ごします。

このパターンは、遠出のドライビングが少なくなった頃からです。
泊まりがけの気まま旅で、翌朝に味わったコーヒーブレイクを、いまでは近くの
本屋カフェで過ごすことになったと云うことです。

コーヒー歴は、親が飲むインスタントコーヒーを熱湯で薄めて飲んだぐらいで、
コーヒー豆を挽いて本格的にドロップして味わうことなどなかった。
中・高で缶コーヒーもほとんど飲まなかったが、瓶入りのミルクコーヒだけは飲
むようになっていた。
そして、高田馬場駅の改札を出たところにあったスタンド店で、牛乳ビンの紙
蓋をポンと開けて手渡されるのをグイ飲みした感触が忘れられない。

(←ブログ:2013・9・27 「今昔、コーヒー物語」)
(←ブログ:2015・5・15 「こだわりの一杯のコーヒー」1010)

2016年3月16日水曜日

書店・カフェ~どうなる書店格差    1316


最近縁あって、書店を訪問する機会が多くなっている。

それも地域の一、二番店で、どこの書店も雑貨の売り場ゾーンとカフェ併設が
アタリマエダノクラッカー状態になってきている。
これまでもチョとした休憩スペースでコーヒーが飲める程度の出店はあったが、
今の勢いは違う。

東京堂書店神田神保町店1・2階のコーヒースタンド、紀伊國屋書店新宿本店
の日本茶カフェ、新宿の有隣堂STORY STORYカフェ&雑貨、開店したば
かりのジュンク堂書店立川高島屋店、未来屋書店日の出店のスタバ^など、
それぞれが個性的な雰囲気を出し、コーヒ以外のメニューも豊富で調度品に
もこっている。

たんなる珈琲店ではなく、映画の本がシアターと連動したり、煎茶や抹茶の和
のメニューを出しおり、文化の発信地の匂いに誘われて訪ねるシニア層の取り
込みになっているようだ。
どこも、結構な人で席を埋められている風景に接した。
【ぶらり書店へ 5】

(←ブログ:2015・10・8 「八重洲ブックセンターへ」1156)
(←    :2016・2・18 「仕事としての本屋さん」1288)
(←    :2016・2・21 「25年ぶりの面談」1292)
(←    :2016・3・2  「横浜へ」1302)
(←    :2016・3・4  「あるナショナル書店の場合」1304


定点観測/慰霊施設「鎮魂の森」   1315

大槌町/城山から(2016・2・23 影:広報大槌)
大槌町の311震災による死者・行方不明者は、1285名(いまだ不明者422名)
で多くの方が犠牲になっています。
Schの身近な人のお母さんや御祖母ちゃんの昔の看護婦仲間がまだ帰ってき
ていません。
いま犠牲者の慰霊施設を「鎮魂の森」として、検討が進められている。

新しいまちづくりの全体図のなかで、震災翌年から復興事業の一環として慰霊
施設予定地を小鎚川と大槌川水門(写真の右)を結ぶ巨大防潮堤の関内一帯
を、嵩上げして整備するようです。

防潮堤に沿った区域を植栽植樹で緑の公園に造成する構想は、市街地から見
渡す景観を損なわずベターにおもいます。
震災直後に消えた市街地を見て思ったことがある。数十年かかるであろう大槌
町の再興は、海縁に住居を建てず、水産加工場などの企業施設やスーパーな
ど商店舗のエリアとし、家族の生活圏「家」は国道より山より高台にゾーンをつ
くることで、津波震災を教訓化する開かれた提案と思ったが、、。

(←ブログ :2012・1・1 「忘れられない2011/3・11を乗り越えて」6)
(←   :2013・1・10 「復興まちづくりは住民の入魂で」)
(←      :2014・1・14 「「森の図書館」、鼻曲がり鮭」)
(←   :2014・8・12 「大槌町と大槌湾 7月の定点写真」730)
(←   :2015・2・14 「も少し、津波と神社のトリビア!」 917)
(←   : 2015・3・9  「虎舞/星野仙一記念館前ステージで舞う!」 940)
(←   : 2015・4・13 「震災から4年 定点観測」977)
(←   :2015・5・15  「復興予算 一部被災地自治体の負担に」1009)
(←   :2015・6・12  「中心市街地再生計画動き出す!」1037)
(←   :2015・7・12  「大槌湾からアメリカ西海岸へ漂着!」1067)
(←   :2015・8・15  「5年目を迎えるお盆」1101)
(←   :2015・9・13  「大槌町の<再興>は」1131)
(←    :2015・10・12 「<大槌まつり>復興への希望をのせて!」1161)
(←    :2015・11・12 「4年8ヵ月~嵩上げの大地を見て」1191)
(←    :2015・12・16 「六串商店の復興への歩み」1224)
(←   :2016・1・10 「5度目の新年を迎えたが、、」1250)
(←   :2016・2・15 「大槌町の小中一貫校に夢のせて」1286)

2016年3月14日月曜日

一頁堂書店の4年余         1314

(2012年撮影)
釜石市に一昨年オープンしたイオンタウン釜石に、さわや書店が入店している。
さわや書店が店員募集をしている広報記事を見て、木村ご夫妻の「一頁書店」
の近況を知りたくなった。

大槌町の人口は流出が続き、直近の国勢調査で1万1732人、減少率は23・2
%と最も高い。
3・11大震災で本屋さんが無くなった大槌町に、これまで勤めていた仕事をやめ
て木村薫さん、里美さん夫妻が、生活必需品供給の拠点となったショッピングセ
ンター・マストのなかに書店を開店した。
いち早く、この出店の後押しをしたトーハンのことも忘れられない。

5年の経緯のなかで、日常生活はだいぶ困難さはなくなっているようだが、震災
後に大槌町住人だった人の転出がつづきもどってこないという。
そのうえ、隣市に大規模イオンモールができて、マストよりより「快適」な場所に、
若者や家族連れが流れ来店者数の目減りが痛いと。

オープンの翌年に、木村店長と隣りでコーヒーを飲みながら、被災で親を亡くし
た子どもたちに、売上の一部からねん出してオリジナル図書カードを贈る取組み
のことや、震災後の子どもたちを応援していく心意気に大いに感動したものです。
それから4年余りが過ぎ、きびしい環境のなかで「震災の年に生まれた子どもが
18歳になるまでは書店経営をつづけたい」と、初志をとおすことを語っている。

(←ブログ:2,012・5・30 「大槌行・5日目/一頁堂書店へ」93)

I o Tとクルマの未来!?       1313


書影(影:Scy)
今朝、「日経」(13日付)の読書欄フロントに洋泉社から出た二冊の自動車業界本
が紹介されていた。

経済業界紙を持ているわけでもない出版社から、しのぎをけずる自動車業界と電
機産業界の深い進展を豊富な取材にもとづき、直近の未来を予測する注目すべ
き本が出たのがうれしい。
いまや自動車は走るコンピューターともいわれ、足回りやエンジン回転の自動制
御、ブレイキングの安全制動やETCなど車外とのやり取りにインターネット(IT)が
不断に使われている。
それに、ハイブリッド車などの急速な拡大には、電気部品の占める比重が圧倒的
で電機業界の依存度はますばかりである。といううことは、あらゆる分野の企業が
自動車を介してのビジネスチャンスを窺うのは必然のことだ。

この流れを市場分析したのが、桃田健史著『ⅠoTで激変するクルマの未来』。
著者は自動車産業やIT産業の取材で世界各地の変革の現場をめぐり、レーシン
グドライバーの経歴を生かした迫力ある語りにリアリティを感じる。

他の一冊は、中西孝樹著『自動車業界のいまと未来がわかる本』(洋泉社新書y)

ぼくのクルマとの付き合いも、これからそう長くはないだろう。
Gyo曰く、「遠くない将来、自動運転車に乗れるよ」と、、。
その際、自動運転車免許証取得はどうなるのだろうか、気がかり。

2016年3月12日土曜日

「ブレイキング・バッド」を観ている   1312


映画か、海外ドラマと言った方が通りがいいのか、いまアメリカのTVドラマシリーズ
「ブレイキング・バッド」のシーズン2を観ている。

ドラマが延々と続く「映画」を観るのは、「人間の条件」から「ツイン・ピークス」以来
のことになるが、本編も結構あとを惹く邪気迫るストーリーにワクワク感がある。
普通によくいる温厚で生真面目なハイスクールの化学教師が主人公。
その教師が肺がんステージ3の余命わずかと宣告され、愛する奥さんと息子のた
めに為すべく選んだことは、自らの化学知識をいかして、無法の「高純度ドラッグ」
の精製で高額必要経費をねん出するデカダン的暴走だった。

出来の悪い自分の教え子を売人として組んだり、義理の弟が見るからに頑健な麻
薬捜査官で立ち回るキャラクターづくりが面白い。
また、教師であり良き家庭人でありながら、裏稼業のドラッグづくりを密室のキャン
ピングカーで精を出す二重生活がスリリングに化学反応するシーンを、違和感なく
観られるブラックユーモアが爽やか。

(←ブログ:2015・7・19 「安保法制破棄/映画を!観よう」1074)
(←     2015・7・27 「アメリカン・スナイパー」1082)
(←     2015・7・31 「地の群れ/井上光晴について」1085)
(←     2015・11・29 「「ブルーベルベット」を観る」1208)
(←     2016・1・29 「「駆込み女と駆出し男」を観る」1269)
(←     2016・2・18 「「チャイルド44/森に消えた子供たち」1289)






大震災から5年がたった       1311


2011年3月11日のあの悪夢は何だったのか。
あの日ぼくはどこに居て、何をしていて何が起き、どうした行動をとったのか、、

きょうもあの日出版社の友人と雑談していた、飯田橋駅近くの同じ「珈琲館」で
2時46分を過ごした。
昨年は同時刻、銀座にある岩手日報東京支社を訪ねていた。
多分、5年前の東日本大震災に驚愕した頭脳に焼き付いた像や不気味な音や
匂いの記憶を思いだすのは、温度差こそあれ人皆だと思う。

昨日から「風の電話」の特番を見て情報をくれる人、きょうは石巻、女川の被災
地にボランティアに行きレポートを残している先輩女史や、友人のクワバラ君
らから久々に電話をもらった。

震災後、ぼくが初めて遠野から千人峠を越えて釜石に入ると、こんなことがあ
っていいのかと、津波の破壊力で前に来た時の姿はなかった。国道を大槌に
向かう途中は瓦礫と泥といたるところに自動車が散乱し、道なき道をジグザグ
走るようで海岸線がなくなっていた。住民はどこに消えたのかと思うほど人影も
見られなかった。なみだがあふれた。
こんな状況で人は立ち上がり、町の再興はあるのだろうかと暗澹たる気持ちに
なりました。

そして今日の日がある。
現地に行きながら、御祖母ちゃんの流出した家のこと、そこに家族の団欒があ
ったこと、年老いて二度と故郷の風景を見ることができないであろうことを想う。
また、被災地の仮設住まいがまだまだつづく生活者の痛みに応える何ほどの
ことが、この5年の歳月でやられてきたのか疑う。
嵩上げのピラミッド型土盛りが目立ち、巨大な防潮堤も建設中で「震災バブル」
を想起させないか。

(←ブログ:2012・2・11 「2・10出口米次郎君を見舞う」34)
(←    :2013・2・14 「3・11震災と復興の今!と銘打ってミニ集会を開催」)
(←    :2015・3・11 「御祖母ちゃんの「津波てんでんこ」942)
(←    :2015・3・12 「「岩手日報」号外を手に」943)

2016年3月10日木曜日

「風の電話」に出合ってから5年    1310


大槌町の浪板海岸湾を見下ろせる高台にMPVで駆けてのぼった。

5年前になるが、そこに白い三角屋根の電話ボックスがあって、中には黒の受
話器が置かれていた。
この電話ボックスが在る庭園を御夫婦で手入れしていた佐々木さんに、初めて
挨拶した。ボランティアで同行していた松尾明弘さんが一緒でした。

今夜、NHKスペシャルが、「風の電話」に密着し東日本大震災で大切な人を亡く
してしまった親兄弟親族や友人の姿を見つめる映像を放映する。
朝から、完さんや節ちゃんら数人からメールで知らせてもらった。
ぼくも何人かに見るように促した。
こうしたつながりがあってこそ、大震災を風化させることなく「災間」を共有できる
のかな、、と、あすの3・11を前にして思う。

(←ブログ:2012・1・16 「浪板海岸の佐々木格さんから」16)
(←    :2012・1・22 「波板観光ホテル」19)
(←    :2012・1・31 「風の電話」24)
(←    :2012・2・2  「本を送りたい という仲間が、、」26)
(←    :2012・2・24 「大槌の佐々木格・森の図書館 4月オープン」40)
(←    :2012・3・21 「森の図書館 4月14日に開館すると!」
(←    :2012・3・28 「森の図書館主宰者・佐々木格さん4・7会へ出席」63)
(←    :2012・4・28 「大槌町波板の「森の図書館」オープニングに祝電」82)
(←    :2012・5・11 「大槌へ/森の図書館を訪ねる」
(←    :2012・5・28 「大槌行・4日目」92)
(←    :2012・6・5  「6・4朝日新聞夕刊に 大槌の森の図書館が」96)
(←    :2012・6・13 「大槌行・7日目民宿で」
(←

2016年3月9日水曜日

『埴谷雄高──夢みるカント』を読む   1309


立川高島屋の「ジュンク堂書店」で書棚を点検するうち、埴谷雄高の著作と関
連書籍をまとめた棚に偶然に行き当たった。


熊野純彦著『埴谷雄高─夢みるカント』を手に取った。
この講談社学術文庫版の前に2010年に「再発見 日本の哲学」の一冊として
刊行されているが、若い世代の「埴谷雄高論」に距離を置く感覚だったのだろ
う、講読していない。

1997年に亡くなり、「アンドロメダ20周忌」も過ぎたこの頃、本当の意味で埴谷
さんを身近に感じるようになている。
きょうも書店の書棚に、真っ白い化粧箱に入った『不合理ゆえに吾信ず』(現代
思潮社版)を見たが、やはり昔し衝撃を受けた布クロスがザラツク本がイイ。
いまでこそ、『死靈』も真善美社版で読み始めて講談社版にリレーしていく癖に
なってしまった。

埴谷雄高は、10代後半から長く愛読してきた作家であり、未来社の評論集に
かかわり、洋泉社の第一冊目の記念すべき本(『「死靈」論』)を刊行させてもら
った永続の人といえます。

(←ブログ:2012・2・29 「埴谷島尾記念文学資料館が原発被災地区で劣化」44)
(←ブログ:2016・2・8 「「埴谷島尾記念文学資料館」その後」1279)




2016年3月8日火曜日

今日は「ママカリの日」だって     1308

ママカリずし
3月8日はサッパの日。サッパはニシン科の小魚で背が青い10センチ余りの
大きさで、岡山では「ママカリ」と言われる名物です。

焼いて二杯酢で、頭から骨ごと食べられる。美味しくて、食がすすみ、隣に
ママ(飯)を借りに行くことから、ママカリの名がついたという。
このエピソードは、ぼくが小学校の臨海学校で始めて瀬戸内海の海水浴に
行き、皆で早朝地引網を引き上げると、小魚がいっぱい捕れて、それを砂
浜で焼いて食べたときに、地元の漁師から聞いて納得したものです。

海寄りの人は、普段でもおかずとして食べるが、秋まつりには大抵一品は
ママカリ料理を作る。「ばらずし」の具としてもよく使われる。
わが家でも、倉敷の弟が釣って鱗をとり、内臓を除いて数十匹を冷凍庫詰
めで毎年送ってくれる。
ところが近年、採れる量が激減していっるらしく、昨夏に帰岡したとき玉島の
鮮魚市場をのぞいたが、見かけられなかったほどです。
これまた、七輪で焼いた庶民の味が、「幻のママカリ」になってしまうのかと
思うと淋しい。
ママカリ復権の日で食育、うれしい。

(←ブログ:2015・8・8 「夜のアナゴ釣り」1093)

2016年3月7日月曜日

かわいい天使のクリオネ 記憶の断層65 1307

(影:Pen)説明を追加
北海道のオホーツク海沿岸を走ったとき、網走で「オホーツク流氷館」に入館
した。
そのとき、「流氷の天使」と呼ばれる巻貝の一種、「クリオネ」を見ることができ
た。

ところが、今年は流氷の接岸が遅くなった影響で白波が立つ日がつづき、冷
たい海氷にのってオホーツク海沿岸にやってくるのがままならず、クリオネの
採取に苦労しているようだ。
流氷館展示用のクリオネは毎年1月~3月頃、海岸近くで漂っているのを集め
ている。

浮かび漂う流氷の下を目指して、アイスダイビングに挑戦してみたいが、難し
いかな~
オホーツク海のクリオネ
(←ブログ:2014・3・16 「スクーバダイビングについて」581)
(←     2014・4・27 「グレートバリアリーフ」623)
(←     2014・5・6  「ハワイでのダイビング」631)
(←     2014・5・8 「北海道/網走 記憶の断層23」634)

2016年3月6日日曜日

地域で愛された書店が        1306


出版物取次・太洋社が自主廃業の準備を進めているが、スムーズにはいっていな
いようです。

発表当初から、支配下書店の売掛回収が目論見通りにできたうえで、帳合変更の
受け皿が決まっていく筋書きに注目しているが、現況は厳しいようだ。
ここはビジネス、二大取次も負債状況などを精査しながら二の足踏んでるのが実
状のようです。

すでに、友朋堂書店(つくば)グループなどが閉店や休業を表明している。
友朋堂書店にはイイ目ききの人がいた記憶があるし、客層も本好きの人が集まる
ことで知られていた。その伝統は受け継がれているはずで、経営者もスタッフ共々
いたたまれない気持ちで閉店を余儀なくされたのではなかろうか。

取次一社の廃業にとどまらず、書店の閉店や休業に追い込まれる連鎖が続くのは
文化の悲劇です。

(←ブログ:2016・2・6 「太洋社が自主廃業に」1277)

2016年3月5日土曜日

故郷・水江の渡し舟          1305


倉敷の弟から、「柳井原の渡しが3月末でなくなるよ!」と言ってきた。

倉敷市水江の高梁川両岸を行き来している「水江の渡し」が、今月末に廃止され
るらしい。
ぼくは、この高梁川対岸の柳井原湖畔で中学半ばから高校生活を過ごした時期
があります。倉敷への通学に、遊びに、自転車と一緒に向こう岸につけてくれる
「渡し舟」船頭のお世話になった。
雨が降った少々の増水でも、岸辺を上流に漕ぎ向こう岸に向かう技に感心したり、
静流のとき櫓を漕がせてもらったりしたことが懐かしい。

「水江の渡し」は1927年に渡船を開始してから90年の歴史を刻み、船穂町の
住民らが懐古し惜しんで町内でパネル展を開催。
父が教鞭をとっていた柳井原小学校児童の、渡しを利用した遠足などもあったは
ずで、一層想いがつのります。

1月に全長512㍍「倉敷大橋」が開通している。山陽新幹線のトンネルとトンネル
の一瞬に変貌した風景が見えるはず。
弟に代わって、最後の渡舟してもらおう。

(←ブログ:2015・11・13 「柳井原の想い出」1192)

2016年3月4日金曜日

あるナショナル書店の場合      1304

下記書店とは関係ありません(2016・3・ 影:Tab)
それぞれの書店には特性がある。

その特性がより顕著になってきている事例がある。
その背景には、黙っていても読者が集客する好立地の場所ながら、家賃が高く、
それに「見合う売上」を確保しなければならない必須の課題を抱える。

また、本を仕入れる取引面で取次主導の書店、出版社が三位一体で構築する商
品供給と返品抑制契約システムが、版元と書店の差別化になって表れているよ
うに思える。このシステムに乗る書店は、常に前年より返品率を下げることで「報
奨金」を得て売り上げ利益に計上するわけで、商品構成に自ずと影響が出てくる
ことになる。

要は、一点一点の仕上がりを常に気にすることになり、固い本は排除される。
極端にいうなら常備寄託品などは必要としない。
ただし三位一体商品は徹底管理で、グループ店の場合は在庫データに基づいて
返品しないで融通し合う努力をしている。
こうした厳しい状況下でも、むかしなら固いといわれる人文教養書などのフェアを
仕掛けるキーマンがいたが、次第にできない環境に置かれているようだ。
【ぶらり書店へ 4】

2016年3月3日木曜日

春の花を愛で、お寿司にありつける 1303

(2016・3・3 影:Can)
今日~は楽しい~雛まつり、子どもたちの声が聞こえる。

昔々、わが家は子どもは男ばかりの家族なのに、なぜか折り紙などの手作り
「ひな壇」に序列通りのお雛様が飾り付けされていた。

桃の花が咲き始めるころ、「桃の節句」といい、桃の花を浸したお酒を飲みな
がら邪気払いをする習わしもある。
一方には、最初から「女の節句」ではなく、古くからのあった人形に穢れを移し
て水に流す風習が「流し雛」となり、やがて女の子の幸せを願う「雛人形飾り」
となっている、、。

この時期、青梅から奥多摩街道を走れば、桃や梅に杏子、かいどう、山桜桃
など、色も花びらも似通っ花が競って咲くのがみられる。

(←ブログ:2015・3・3 「今日は雛祭り」935)

2016年3月2日水曜日

横浜へ                  1302

(2016・3・2 影:Can)
都心で打合せを終えて、久しぶりに横浜へ出かけた。
約束の時間まで余裕ができたので、有隣堂横浜駅西口店を覘く。
ゾーン別になった人文書棚、平台をみてまわる。

有隣堂の人とは年に一度ぐらいは会って懇親することがあるが、店舗へ出かけ
たのは二十年ぶりぐらいになるかと思う。
横浜駅西口店は旗艦店であるが、地下街の再開発で以前の場所から最近移動
している。、店内の雰囲気もすっかりモダンに変貌していた。
夕方前だというのに、すごい人波にビックリ。

1998年に始まった有隣堂αと出版社の懇親会、「隣友会」(現、本郷会)という
集まりがある。
この会の世話役をしている若い(といっても僕と比べてのことだが)、NYさんと面
談する。過ぎた時代の流れのなかで、現在の有隣堂についてあまりにも情報を
持っていなかったので助かった。
【ぶらり書店へ3】

2016年3月1日火曜日

トリが飛んだ!変わった!      1301


阪神タイガースは、宜野座での1カ月に及ぶキャンプを上本選手の手締めで打ち
上げた。

静から動に、監督が変わって練習メニューも一斉のウエートトレを組み込むなど、
「鍛える」キャンプに見えた。その効果が、練習試合やオープン戦緒戦に出始める
兆しはみえている。
このキャンプの延長戦で誰がレギュラーを勝ち取るのか、興味深々だ、、。

意識の持ち方でこうも変われるものなのか、と、思わせられたのが鳥谷です。
喜怒哀楽を比較的表に出さなかった彼が、キャンプで「できることをしっかりやっ
ていこうという気持ちでした。チームとしても個人としてもいいキャンプができた。
元気を出して明るくできてよかった」と、自ら語るのはめずらしい。
昨シーズン初めは大リーグ行きをやめ、生涯タイガースを決断したが、何か引っ
かかるものがあったのであろう、いまはチームを引っ張り高まる一体感を積極的
に発露している姿を感じる。

12年の開幕から1イニングも代役を立てない連続試合フルイニング出場は続い
ている。外野ではなくショートというポジションでのこの記録は、プレーヤーでもな
い虎党のぼくにして、身が引き締まる思い。

(←ブログ:2014・3.29 「いよいよ、球春きたる!」594)

くつろぎ処「でん八」          1300

かめや/新宿西口想い出横丁(2016・2・29 影:Tab)
今年初めて「でん八」により、アキさんに会った。
やはり、おいらにとってのこの居酒屋はくつろぎ処だ。

今朝からハードに動き回りややお疲れ気味での新宿途中下車だったが、暮れ以
来になるオールドでん八陣とテーブルを囲んで焼酎お湯割りをグィグイといくうち
に疲れも吹き飛ぶ。

この会を盛り上げてくれる薩摩おごじょのセッちゃんから枕崎港の銘産かつおの
塩辛を頂戴する。

(←ブログ:2015・12・29 「トリの「でん八」忘年会へ」1237)