2019年1月31日木曜日

1月の東京は雨無し、明日は雪か、、  2367

大島大雪に遭遇(影:Can)
早や1月も最終日、矢の如し。
ベランダから真白き富士の嶺が見えなかったのは二日ぐらい、晴天つづきの一月
でした。

ところが月替わりの明日は、山より(秩父・奥多摩)あたりで少し積雪がある模
様。今年は遅い初雪のようなものです。受験生にとっては、不遇で厄介です。

センター試験の日は、よく雪が降るといわれるが、2月一日の雪降データベース
もある。
去る年大島に椿を観に渡島したときは、記録的な大雪に見舞われたし、昨年も、
一昨昨年も積雪があった。
遡って学生時の1963年(38豪雪)のときは、馬場下の「東京荘」だったが、
朝起きてガラス戸が開かず裏庭にたくさんの雪が壁のように積もっていたのを覚
えている。
年々降雪量は減ってきている実感はあるにはるが、暖冬といえども豪雪に突然襲
われることがあるように思う。明日だけは平穏であってくれ。

『風土記』を読む          2366

「日本古典文学大系2」(岩波書店)の『風土記』のうち、「美作國」を抽出し
て古典文を読みはじめる。
国文を専門とするyuがそばで、古文の解読、大丈夫と訝る。

美作国守 続日本書紀、和銅6年4月の条に~百済からの亡命帰化人、和銅元年
に備前守になり、養老5年に播磨按察使に転じている。國守の次位の官・備前介
が備前の6郡を割いて美作國を置く。新置の美作國の長官、初代の美作國守とな
るといふ。
勝間田池 美作國風土記にて曰く、日本武尊が櫛を池に落としてしまった。因っ
てカツマダイケ(勝間田池)と号す。云々。玉かつまとは櫛の古語也。
(風土記逸文)勝間田池 岡山県勝田郡勝央町勝間田が遺称地。天保頃まで轟池
と呼ぶ遺蹟の池があった。
櫛筍をカツマ(籠の意)という。櫛をカツマという例はない。 

2019年1月29日火曜日

「福」が逃げないうちにメモチャオ ③ 2365

(2019・1・26 影:Tab)
北千住駅前から歩き始めて、森鴎外旧居橘井堂跡→千住宿本陣跡→検番横丁→大
橋眼科(後述)→千住本氷川神社・大黒天→

高札場跡→横山家住宅:傳馬屋敷の面影を今に伝える商家(屋号を松屋といい、
地漉紙問屋)→千住絵馬屋・吉田家:当代の絵馬師は八代目、168種類の地口
下絵で制作)→名倉医院(前述)→氷川神社・布袋尊・千住川田浅間神社富士塚
・紙すき碑(足立区は江戸時代から紙漉きが盛ん)→

元宿神社(「千住宿」に対し「元宿」と称す)・寿老神→

タカラ湯(東京23区のなかでも銭湯大国の筆頭足立区で日本庭園があり有名)→
千住神社(足立区内最高唯一の郷社)・恵比寿天・富士塚(富士山開きの7月1日
のみ登山参拝できる)→

白幡八幡神社・毘沙門天→
稲荷神社(現在は都中央卸売市場足立やっちゃばの鎮守)・福禄寿→
氷川神社・弁財天 音楽をつかさどる神として普通琵琶を持っていますが、ここ
のは右手に剣、左手に宝珠を持ち、下部に三猿を刻んでおり、かなり珍しい。
千の寿招福!体感ウォークでした。



2019年1月28日月曜日

「山芋」賛歌            2364

僕の故郷である津山(奥津)の生家は、山ふところに抱かれて流れる川(吉井川)
の側で、食卓に採りたての山菜や川魚がかならずのっていたものです。

サイパン島帰りの父は、晴耕雨読、といっても農業ではなくてわが家の山で炭焼
きをやって、気ままに晩酌をやっていた。日中、山に入り山芋(自然薯)掘りを
するのに幼かった僕も手伝いをさせられた。
首根っこから完全な姿で掘るのは至難のことだが、1メートル近いものを折ること
なく収穫すると、この日は終わり。
それをのヒノキの小枝か笹に包んで山を下りた夕暮れをおぼろげに思い出す。

わらべ歌の一種でこんな伝承もある。
<羽根つき歌>
いちじく にんじん さんしょに しいたけ
ごぼうに むかご 七草 山芋
こんにゃく とうふ
十でとんとかわりましょう

<ことば遊び歌>~子どもが遊びながら歌った
一にいろいろ芋飯で
二に握りふんわりと
三に三月三日の桜飯
四で白飯あっさりと
五ついろいろ五目飯
六つ昔からの麦飯で
七つ七草がゆにして
八つ山芋とろろ飯
九つ九月節供の栗飯で
十でとうとうとりにして鳥飯にしよう

名倉先生ありがとう 千寿巡り②   2363

千住名倉医院(2019・1・26 影:Tab)
千寿七福神めぐりの足跡を語る前に、名倉先生の本元「千住名倉医院」を訪ねる
ことができて感激。

健保診療所で名倉先生には、20余年の長きにわたって最初の痛風、腰痛に始まっ
て、なんと専門外の脳検査や内科の検診までサポート(助言)してもらっている。
ここ数年は、何ごともなく診察室を訪ねてないが、以前に住まいが千住で日光街
道の入り口だと聞いていたので、よりリアルに関心を持つことになったと云うわ
けです。

名倉医院は、骨接ぎの代名詞として全国に知られています。
1770年頃から、柔術などを教えながら骨接ぎを手がけていた。有名になった
のは7代目弥一の頃からといわれ、最盛期の大正時代に一日の患者が300人か
ら500人おり、旧道は骨折や脱臼の患者の行列で埋まったといわれています。
遠来の患者や重傷者は近隣の旅館に宿泊して治療を受けたといいます。
「医制」が制定された後も家業の伝統を受け継ぎ、整形外科医院として今も名声
を博しています。
(⇒後日、、)


2019年1月26日土曜日

千寿七福神を歩く①         2362

(2019・1・26 影:Tab)
早朝7時に家を出て御茶ノ水へ。
千代田線新御茶ノ水駅から北千住駅へ順調に乗り継いで到着。

毎年新年散策第一弾は、七福神めぐりとなっている。
そして今回のガイド役はスノさんで、彼が行程を立案し準備した。
千住は、江戸四宿の一つで日光道中の整備の一環として、千住周辺の集落を街道
沿いに集めて造られ、日光街道、奥州街道の初宿として定められた宿場町です。
また、芭蕉「奥の細道」の旅たち出立地でもあり、下町の魅力溢れる所でした。
新年ウォークとして選んだのは、千住宿を取り囲むようにして在る七福神と古い
建築物。

森鴎外旧居橘井堂跡、、、
森鴎外の父静男が14年間病院を開業していた橘井堂跡で鴎外も陸軍軍医に任官
し、ドイツに留学するまで4年間をここから三宅坂の陸軍病院に人力車で通勤し
ていた。
父親はその後、明治25年本郷団子坂に居をうつした。
(静男は、元津和野藩亀井家の゙典医であったが、明治維新後に上京。)

千住宿本陣跡、、
上の案内板の北側一帯が千住本陣で、千住宿ではここ一カ所だけでした。
敷地は361坪、建坪120坪と記録。
(⇒次回)




2019年1月25日金曜日

「ダイバーシティ」とは       2361

先日の或る会議が始まる前、「総研」にかかわっている理事から「ダイバーシテ
ィ」について知っているかと、投げかけられた。
最近、少し紙面で見たりしていたが咄嗟には返答ができず、市政の水・水道運営
を外国の会社にアウトソーシングする等の公共事業の多様な施政についてかのよ
うな、頓珍漢の話になってしまったのである。
彼は、ダイバーシティについて学者らと研究会を主宰しており、この先端の動向
をまとめて、ビジネスマン対象の新書判スタイル本をプレゼンテーションしたか
ったはずです。

実はダイバーシティ、人材の多様性として注目されている。
世界各国の男女平等の度合いで日本はいちじるしく後進国で、なおかつ状況は悪
化していると「ジェンダー・ギャップ指数」から提示されている。
昨今、このデータベース化の基になる統計の改ざんをまかり通らせていた事実が
続々出てきたことには驚きだ。

いずれにしても、ダイバーシティを真に競争力強化につなげるためには、企業財
務にいかにプラス効果をもたらすかを検証しつつの難しさがあるようだ。

2019年1月24日木曜日

柑橘類大好きの生活習慣       2360

基本的に365日ほぼ毎日、柑橘類を食べない日はない。
ほぼと云うのは、二日酔いなどで摂取する機会を逸するときがあるからである。

幼少の頃、郷里の山峡で暮らしていた時期は、果物といえば柿と梨と青りんごを
育てている家があるぐらいで、それもめったにありつけなかった。冬にこたつの
上のお盆にミカンぐらいか、、。
ところが、親が教員で倉敷へ転勤勤めするようになり転校した地域が、県内有数
の果樹園農家で占められていて、赤いリンゴ以外はフルシーズン不断にご相伴に
あずかる環境に一転した。

多分に、この生活習慣が東京に出てきてからも日常的に果物を身近に置き食する
ようになったと思う。
いまでは、それプラスに柚子(裏庭)とシークワーサーがある。
シークワーサーについては、ダイビングで沖縄に行ったとき、自生した果実に噛
みついたり搾りだしたジュースを飲むのがやみつきになっている。

僕が比較的健康で生活できているのは、この酢系&果物の活性酸素効用によるの
ではないかと内心思うところです。
このように柑橘類大好きを喋ってみたくなったのは、昨年暮れに広島育ちの若い
知人から、小粒ながら皮が薄くて甘いミカンが届いたことに由来する。
それも一箱に500個以上詰め込まれた「地元生産者直送」の秀品です。こんな
に大量なミカンを贈答されるいわれがなく困惑しつつも、正月からずっと一度に
数個頬張りつづけている。

2019年1月23日水曜日

あの「三朝庵」も閉店した!     2359

早稲田/三朝庵(2019・1・23影:Tab)
早稲田の新入生歓迎会の場所でもあった100年余の歴史をもつ「三朝庵」が閉店
していた。

5代目店主の閉店挨拶によると、「初代朝治郎以来、早稲田の地で百年以上の永
きにわたり営業してきました。スタッフの高齢化と人手不足により、この度やむ
なく閉店することにいたしました、、、。」と貼り紙されていた。あっけない!

2019年1月22日火曜日

居酒屋の栄枯盛衰          2358

都心で仕事を終えて、ちょっと一献さしたいときに途中下車して立ち寄る、贔屓
の居酒屋が東京新宿歌舞伎にあった。その名は「でん八」。

でん八の歴史は長い。
新宿三越ウラにて開店、寄席末広亭前に二番目の店、そして発展的に歌舞伎町に
進出して50年余り。ずっと間断なく通いつづけたのが不思議なぐらいです。
その魅力は、カウンター席とテーブルに陣取る常連の楽しみを引き出すマスター
(呼称アニキ)の会話術でした。
戦後直後、もともと企業エリートだったが「脱藩」し、兄弟(弟アキチャン)で
食い扶持を求めておでん屋台を引いているうちに、数十台の総元締めになった経
緯がある。

戦後のカオス的な街新宿での客商売の経験から人生相談やら面倒見がよく、酒を
ひかえるアニキに引き寄せられた有象無象の男、女客が帳がおりるころから深夜
まで集っていた。
あの客との硬軟とりまぜた絶妙のやり取りは、作りごとやマニュアルなどででき
るものではなく、育ちが自然にかもし出す至芸でしょうか。社会を斜に構えてみ
る不愉快気分な僕をどれだけ癒してくれたことか、、。
のれんをくぐり始めたのは、学生最後のころ(1965年)からだが、さらに古株の
ひともいた。

気楽に飲んで居心地よさを常に演出してくれたアニキはすでに「忘れ得ぬ人」に
なってしまった。50周年で作った『新宿でん八物語』を手に想う。





遅れて年末年始の書店売上動向    2357

今では、松の内に業界挨拶に出かけることはないので、情報は関係者との会話か
業界紙によるしかない。
とくにこの新年は、今日で三度目の都心への出かけということになる。

トーハン、日販が発表した年末年始一週間の売り上げ動向について、トーハンの
知人と意見交換した。
日販発表では、前年同期比4‣3%減。トーハンは、3・8%減となった。
両取次とも、前年よりマイナス幅が小さくなったというが、毎年前年比マイナス
を続けて20年余、滑り止めになっていない。
プラスを続けているのは、開発商品(ニューメディア部門)である。雑誌の落ち
込みは年々減少し歯止めのかけようがない現実がある。

日刊紙の全国普及調査によると、2018年10月現在の総発行部数も前年比5・3%
減の3990万1576部だと。これは、14年連続の減少。
活字メディアの世界は衰退をたどっているかに見えるが、、。

2019年1月19日土曜日

2018’ベスト&トホホ10 映画秘宝③ 2356

映画秘宝/3月号」(2019)から

「映画秘宝」創刊のときから、毎年この1月発売号では、前年(2018年度)の、
ベスト10&トホホの10本を、160名超が選ぶ映画ランキングに注目!
映画監督、プロデューサー、作家、漫画家、評論家、イラストレーター、俳優、
芸人、、超豪華陣。

自分が観たベストの映画を、誰がどう評価しているか、けなしているかなど、比
較してみるのも一興になる。
2018年、日本映画界に旋風吹き荒れた奇跡。無名、300万が言われる、200日を
超える大ヒット映画。
何といっても観客が喜んだ、上田慎一郎監督『カメラを止めるな!』の勝利!

巻頭は、新春恒例の大放談! 町山智浩vs柳下毅一郎
映秘ベスト10の結果から、『コード・ブルー』映画版、福田雄一まで、独断と
偏見で裁きまくり。

次号では、1月12日に亡くなった舞台・映画俳優市原悦子さんの追悼をお願い。
初期舞台の「千鳥」やオフェリア役のみずみずしい演技力に魅了された記憶が、
鮮明に残っている。

生まれたて火山昭和新山 記憶の断層82 2355

(1999-8影:Can)
北海道、洞爺湖を一周ドライブしたとき、そののほとりにある「昭和新山」の麓
へ行き、もくもくと噴煙を上げる異形の火山を見上げたことがある。

いま、太平洋に海底火山噴火によって生まれた予想を超えて成長をつづける平成
の新島もあるが、昭和新山は1945年9月誕生で、戦後生まれと云ううことになる。
クルマを麓のなだらかな場所に駐車したが周辺はかつて麦畑だったところ。そこ
に火山性地震を伴いながら標高398㍍の火山が出現したという。
ゴジラが突如出現するかのような様相を、目の前で見たら大変な驚きようであっ
ただろうと思う。
(一日に、60㌢の速度で盛り上がったと地元の人が詳細に記録している。)

(←ブログ:2018・12・17「温泉宿場町-下諏訪温泉 記憶の断層80」2321)
(←   :2019・1・10 「笹川流れの夕映え 記憶の断層81」2346) 

2019年1月18日金曜日

大槌町旧役場庁舎の解体をめぐって  2354

(影:Can)
大槌町を訪ねるたびに目にしてきた、旧役場庁舎の3・11の津波襲来でとまっ
た外壁の壁時計。

震災遺構(慰霊の場)として保存を望む住民の団体「おおつちの未来と命を考え
る会」が大槌町町長に対して、解体工事と公金支出の差し止めを求めた訴訟の判
決で、盛岡地裁は訴えを退けた。
住民に賛否異論があったのは知っているが、一時は時計のかかる正面玄関だけは
残し、後々まで伝承していくことになっていた。
津波で亡くなった町長を引き継いだ町長にかわり、さらに現平野町長が当選して
方針を転換し、昨年の議会での解体予算を賛否同数の末、議長採決で可決してし
まったのである。
東日本大震災から8年。人間、災いの記憶は忘却の彼方へ追いやりたいのか、当
時伝承をあれだけ強く望んでいたのに、、との思いが強くなるばかりです。

2019年1月17日木曜日

生涯編集者の死           2353


今朝の朝刊に松本昌次さんの訃報が出ていた。

その告知を見て昔の同僚からLINEで、先日会ったばかりの彼からはSNSで偲ぶ会
には出たいので、、と驚きの悼む声が聞こえてきました。
先日の新年会で、ひとしきり松本さんの近況を巡って語りあったばかりで、死に
直面するとは思ってもみず、やはりショックでした。

僕が未来社に入社するきっかけをつくってくれたのは松本さんで、当時すでに注
目される編集者でした。
埴谷雄高さんや井上光晴、岡本潤さんらと酒席を一緒したのも松本さんの縁づく
りによってです。

一年余前、偶然に会ったときがん治療をしており身体が弱っていると聞いていた
のですが、若いときはサッカーをやったりしており頑健で大丈夫そうに見えてい
た。やはり、奥さんを亡くされてからの落ち込みようは大変だったようで、対人
関係が厳しくなり近寄りがたいところがあった。
でも、いま一度文学や北朝鮮問題については聞いてみたいこともあった。
御冥福をお祈りします。




W+αの新年会           2352

(2019・1・16影:Tab)
この会が忘年会をやめて新年会になるのは初めてのことです。
それも、早稲田グランド上の「源兵衛」であった。

2019年1月16日水曜日

異色が集う鶴川の会へ        2351

立川からJR南武線に乗って登戸経由小田急で鶴川へ。

駅前には鶴のつがいのモニュメントがあったことからして、鶴に縁がある町なの
だろうか、、。
ツルカワ(鶴川)という地名は知っていた。新宿から小田急電鉄に乗り、箱根方
面への一泊旅行に向かう途中、新百合ヶ丘駅を過ぎたところの通過点でしかなか
った。そこに初めて下車した。
その目的は、この場所に昨年亡くした友人の奥さんが眠るバラ墓苑があって、彼
が近くに引っ越し居を構えたので訪ねることになった。



2019年1月15日火曜日

追悼 内山 明さん          2350

内山さんが亡くなった知らせは、家族葬をすませた後のことでした。

現役を退いてからは、一転して老いを楽しみながら地域のコミュニティ活動に精
力的に参画していた。その様子は出版関係親睦の「やすい会」に出席の際、独特
なユーモアを交えて語ってくれた。
元気な姿が見られなくなって一年余り経っての訃報でした。
何事に対しても、情熱を失わなければ老いさらばえることはない、を心情にして
健康維持にも気をつかわれていたが、残念です。

広島支店支店長から本社勤めになった頃、広島書店情報をもらい地域本の販促で
的確なサポートをしてもらったことが忘れられない。とくに、『実録「仁義なき
戦い-戦場の男たち』(1998年刊)は、配本の妙で増刷を重ねるきっかけを作っ
てもらった。
ポジティブに思考し、心温かいひとでした。 合掌。

2019年1月13日日曜日

パルマ監督『ブラック・ダリア』見る 2349

1947年にロサンゼルスで実際に起きた殺人事件を題材とした、『ブラック・ダリ
ア事件』の同名小説を原作とするブライアン・デ・パルマ監督のミステリー映画。

現実と虚構の世界が錯綜するスリリングな人間関係。
オープニングのボクシングシーンのリングの迫力ある描写の二人は、捜査官にな
った後の対象的なファイアvsアイスとして引き継がれる。

(←ブログ:2018・11・4「スピルバーグ『ペンタゴン・ペーパーズ』」2279)

恒例になった七福神めぐり      2348

今年の散策第一弾は、「千寿七福神を巡る」です。

JR北千住駅集合になっているが、下車したことのない不慣れな所です。
実際に散策するのは月末ながら、事前に予備知識をたくわえイメージしてみたく
なった。
千寿は千住に引っかけているのだろうか、、。
千住は、日光道中・奥州道中・水戸道中の最初の宿としてにぎわったところ。
その千住の宿を取り囲むようにして七福神があります。
平成19(2007)年まで神社3ヵ所、寺院4ヵ所で行われていたが、平成20
年よりすべて神社になった。

東北自動車道が開通する前、祖母を連れて弟の運転で日光中禅寺湖へドライブし
たときに、千住を通っているはずだが覚えていない。
ほかにも、かかりつけの整形医師名倉先生の本家本元「名倉医院」(1770年頃)
が日光街道入り口に所在すると聞いている。
春先から、楽しい歩け歩けになりそうだ、、。

2019年1月11日金曜日

7時間喋くりの或るOB会      2347

(影:tab)
きょうは、 早朝家を出て4路線を乗り継ぎ乗り継ぎで小手指駅にたどり着く。

そして、二人が待っている最近ブームの軽食付きの珈琲店へ。
そこからの時間経過が凄い。話題のテーマは間断なくいくつかあって喋り終えた
のが夕闇せまる5時でした。
コーヒー三カップのお変わりと軽食を嗜むだけで、いっさいアルコールなしと云
うのも初めての体験でした。

20、30代、会社が同じで一緒に仕事をしていた時代には、年齢差をほとんど
意識しなかったが、その後歩んだ道程によるのか、おれの方が2歳も、5歳も上
だったんだと初めて再認識して、不思議な感じを抱いた。

出た話題は、自家菜園からグループ菜園に精を出していること、春先から半年は
故郷に帰り果樹園作りにかかりきりになる苦労など、日常生活の配分を聞く。

2019年1月10日木曜日

笹川流れの夕映え 記憶の断層81   2346

笹川流れと夕日(影:Pen)
日本海沿岸を走る羽越本線にそって国道をドライブ。
(鉄道だと、桑川駅から眺められる。)

関越道を使って新潟で下りて、新発田に向かい二度目の「瓢湖」を訪ねた。
瓢湖資料館から望遠鏡で湖対岸のマガモと白い旅人・白鳥に再会。
水面をけって飛び立つ純白の姿がよく見えた。

ここまで来たら、景勝地、笹川流れで夕日を眺めるため、北上して日没に間に合
った。笹川流れの呼び名の由来は、笹川集落付近にあり、奇岩の間を海潮が流れ
たり引いたりする様子から名づけられた。外気がマイナス温度に下がり、車道に
叩きつけはじける飛沫は、泡状のみぞれになって美しく映える。
感嘆しながら、追っかけてくる波から必死に逃れた。

(←ブログ:2018・12・17 「温泉宿場町/下諏訪温泉 記憶断層80」2321)

昭和は遠くなっていくのか      2345


正月もすでに十日過ぎた。あと数ヶ月で平成も終わる。
しかし、不思議に昭和の終焉のような感慨が平成にはないのである。

戦前生まれで敗戦後を、昭和初期に育った社会的激動の転換期をモロ経験してき
た空気をずっと吸いながらきたせいだろうか。
平成の時代は昭和の半分ほどの時間の流れしかなかったが、それでもバブル崩壊、
オウム事件、二度の大震災、二度の政変、大きな事件もあった。にもかかわらず
僕個人に迫る刻印という意味では柔い感じがする。
3・11東日本大震災の記憶は薄れることはないが、これすら伝承のすべなく立
ち止まって天を仰ぐ。

こうした世の中を楽天的にしている風潮は何だろう。
グローバル化が進み、インターネットやスマートフォンの急速な普及といった社
会・産業構造の変化により戦後日本的なものは後塵と化し、軽く明るいスポット
ライトを好むように巧みな力が誘導する気配を感じる。若者の生き方に顕著に表
れているように思えてならない。

2019年1月8日火曜日

辺野古問題と横田基地問題      2344

沖縄米軍基地問題は東京の基地の町福生・横田基地の問題として続いていく。
勿論、横田は、米陸海兵隊の基地最前線にある嘉手納基地や緊迫する辺野古基地
とは対照的な静けさが際立って感じられる。

福生の隣町に住むようになって、すでに50年近く経つ。
最初の1970年代は、ヒッピー文化、ハードロック、ベトナム反戦運動、ラブ
&ピースのカオス的世情に流されていた。村上龍『限りなく透明に近いブルー』
もこの時代に誕生し微熱として残っているだけである。

ベトナム戦争さなかでは、軍用機の飛び立つ騒音が激しければ、翌日はベトナム
空爆が記事になるのを先読みできた。それから、ベトナム戦争敗北にともなって
ハウスに住む米兵家族は激減しだす。その空き家(1000戸余り)をもとめて
「第三の住民」が集まってきた。

横田基地周辺の住民を悩ます軍用機の騒音など現実的問題は存在しつづけている
ところに、昨年10月には危険いっぱいの「オスプレイ」が正式配備された。
ところが、この安全性への不安がつきまとう軍用機に断固反対する人はわずかだ。
ハルはこの事態を新聞ニュースで知り、遠方から心配してきてくれるが、、。

2019年1月7日月曜日

1月7日は雑草が主役        2343

新年の行事も中盤の七草粥でしめて、きょうが仕事始めで本格的通勤ラッシュを
あじわったことでしょう。

1月7日には語呂合わせではないが、健康を願って七草粥を食べる習慣が定着し
ている。
スズナとスズシロは千切りにしておき、炊きあがった粥に七草を摘み入れて少し
蒸らす。わが家では茹で餅を加えて食べます。
寒の入りのなか、芹は多摩川に流れ込む小川の湿地で元気よく育っています。
この季節に芽を出す植物たちに、不思議な力を感じる。
 


2019年1月6日日曜日

小寒入りに日蝕を見る        2342

きょうから、二十四節気の「小寒」。
その朝、9時過ぎから太陽の三分の一ほどが欠ける「部分日触」を観ることがで
きた。

わが家には、ハルが用意した専用グラスがある。
部分日食は、3年ぶりのことです。次に、ことし12月26日に観測できるらしく、
同じ年に2回見られるのはめずらしいという。

日蝕を見ると2012年5月23日の「金環日食」の記憶が甦る。
その日、入院中の出口君を佐倉の病院に訪ねたことを想いだす。
3・11被災地の大槌町から帰ったばかりの僕に、彼が前年7月に陸中沿岸沿い
を見聞し目に焼きつけてきたその後の様子を聞きたいと、メールで要望してきて
いた。早速駆け付けたのが日蝕の日です。
病室に入ると、撮ってきた町役場、図書館、江岸寺、駅舎の周辺から瓦礫が取り
除かれただけで復興の見えない風景に愕然として言葉がなく、沈黙の時間が印象
的でした。(20日後、6月10日彼岸へ)

自然が人間の精神にもたらす悠久のインパクトに感心している。そんな日でした。
(←ブログ:2012・5・23 「訪問力を発揮して佐倉へ」)

2019年1月5日土曜日

TV ギョギョのさかなクン見る    2341

最近、ほとんど、バラエティ番組やドラマ物を観なくなった。
そこで、特に海中の風景や魚、珊瑚など生き物を追ったドキュメンタリーを好ん
で観ている。
聞き取りが難になり、かすかな動体を感じさせる音で映像に魅入れる程度が良い
と云うことです。

今夕、TV「潜れ‼さかなクン」の初級ダイバーが初めて見る水中世界のギョギョ
の表情を見せてもらった。ウエットスーツに機材を背負いダイビングする緊張と
笑みが爽やかで、同化させられた。
今日のシーンは、五島列島の海底に眠る謎の巨大沈潜を海中の景観のなかに追跡
するものでした。
ほかにも、大きな花咲テーブルサンゴに驚嘆し、陸揚げされば高級マグロになる
マグロの群れに「さかなクン」大ピンチのギョギョ見せ場もあった。

2019年1月4日金曜日

”19賀状片片             2340

今年も、400字あまりびっしり詰まった賀状が御三方からありました。
一葉一葉に独自色があって、手にして誰からか直ぐわかるのである。

一昨年途中で息切れして四国八十八カ所巡りを、昨年再挑戦することを決意表明
していた彼は、実現できたのだろうかと、あらぬ期待を寄せるもうっちゃりをく
らった。これは嫌味ではない。賀寿によると、僕と同じ喜寿を越えて、手術・入
退院を三度繰り返しやっと歩行できるようになったと、したためてある。

そして、読書は相変わらずの徒然と、ハンナ・アーレント関係数冊、種村季弘、
谷川健一、村上一郎、西部邁、バタイユ、ブルトンの『ナジャ』、、から、河野
靖好『大正炭鉱戦記』を勧める。いずれも縁のある著者関係ではあるが、重く凭
れ感あり。

僕も加齢による目や聞き取りの不具合を記したが、同世代の多くが病気療養報告
で占められている。そういう未知との遭遇領域にすでに到達していると云うこと
だろう。

2019年1月3日木曜日

落日のモノクローム富士       2339

16時40分の富士山(2019・1・3影:Tab)
太陽が落ちたばかりで眺める富士は、はるか遠くに影絵のように浮かぶ。

新年の富士や初冠雪をとるときは、早朝の空気が澄み切っている環境で写真撮り
するのがもっぱらだが、この落日後のシャッターチャンスも気に入った。
富士山ほど表裏左右の遠近いずれからでも、四季折々を撮ってみたくさせる風景
はまれです。

富士山の麓にある市や町や村で暮らす人たちは、悠久の富士山に見守られている
ように感じているだろう。
であるなら、僕も幸いにしてベランダから見られるこの富士山を「講」に見立て
みることができる。




2019年1月2日水曜日

田中基の新論考を読む        2338


賀状として、一書が届いた。

「今回、久方ぶりに新しい論考を書くことができました。
今までの土器造型の中に、新石器時代の神話思考を見いだすという方向と異なっ
て、儀礼小舎の中に縄文時代の若者の生と死イニシエーションの中味を追うとい
うもので、それは、何と今まで親しんできた三木成夫の生命記憶の発想に全体的
にかかわるものであったことは驚きでした。縄文にとどまらず中世のミシャクジ
宿神ー翁などの胞衣エナ(羊膜、胎盤、☓の尾)をかづいた仮面来訪神・胎児神
にかかわるものだったのです。2019年元旦(署名)

2019年1月1日火曜日

”19 あけましておめでとうございます 2337

(影:Tab)
北風吹きぬける寒い朝です
初日の出 6時59分
ベランダからの富士 ミロのビーナスのごとし

ひさしぶりに静かな元旦でした。
昨年までは、「ファミリー集合」と称して、伝家のお節を前に御屠蘇をたしなみ
わいわいがやがやお喋りしているうちに時間が過ぎて、夜のとばりがおりたもの
です。
ところが、この度はハルの都合あって、電話での新年挨拶ですまされちゃった。
託けた手作りお節が子どもとしては格別美味しかったこと、田舎の弟から受けた
賀状電話がオキャヤマ弁で面白かったことなど、、たまったものを吐き出すよう
にyuに喋ってくれた。笑いがこみあげてきた。

2019年は、いったいどんなとしになるのだろう。
ハルの屈託のない声を聞いていると暗雲が晴れる気がする。

大晦日とは             2336


年越しは、「つごもり蕎麦」で運を呼び込むといわれていたが、わが家はむかし
から「うどん越し」を好む慣習できた。

きょうは、早朝からやり残していた僕担当の外壁洗いや、風呂洗い換気扇清掃で
夕方までかかってしまった。毎年の行事なので、スケジュール表を作り準備万端
整っていたはずが、飛び込みの会と翌日への影響で押せ押せになってしまった。
でも夜は、試食のお節をつまみながら運気うどんでゆったりとした年越しと相成
りました。

ゆく年くる年の各地からの中継は、岐阜・日龍峯寺~群馬・光泉寺(白根山噴火)
~東京・スカイツリー350㍍&六本木ヒルズビル群~倉敷真備町・源福寺(7月水
害)~北海道・厚真神社~奈良・興福寺から平成最後の除夜の鐘をききながら。