2015年10月31日土曜日

「ホテルリスボン」を観劇!    1179


恒例になった演劇専修クラスの同窓会とも言える、浜田晃主演の「ホテルリス
ボン」を観る。

一昨日、浜田君から『早大劇団・自由舞台の記憶』を拝受し、その翌日に当人
が出演する芝居を観ることになったのは偶然の隣接事でした。
突貫で読んだ読書感想を、芝居がハネタ後の交流の場で語り合ったところ喜
んでくれた。

上演の内容は、昨年十月の「デンティスト」とその前の「パラソル」につづく三部
作ということになるのだろう。
作・演出の桃井章さんのポルトガル思考が深く関わるだけに、公演の連続生の
なかで観てはじめて印象度の密度が違ってくる感じだった。
それにしても、平均年齢が60歳を越える老々ユニットだといううことだが、観劇
していた男女は若い人たちと僕のような老人たちと見受けたが、若者は笑い、
戦争法案を意識させる溌溂とした演技に熟年者は満足していたように見えた。

(←ブログ2013・11・16「桃井章の「パラソル」を観る)
(←ブログ2015・3・30 「マクベス上演」を観る!」962)



2015年10月30日金曜日

『早大劇団・自由舞台の記憶』を読む1178

書影(同時代社・刊/本体2300円)
友人で俳優の浜田君から『早大劇団・自由舞台の記憶 1947-1969)が送ら
れてきた。

本書の企画について今年初頭に、早稲田自由舞台出身の浜田君と長宗我
部さん二人と話す機会があって、出版するに際してのいろいろの局面を想定
してサポートしたことがある。
まずは、A5判422頁の大冊に劇団員だった40余名が、単なる回想記、思い
出話の集積に終わらず、「学生演劇」の1960年を挟む潮流をおさえた演劇
史であり文化史になっているのに、第三者ながら安堵しました。

友人・浜田晃執筆の「1960年<昭和35年>私はそこにいた」から読み始め
た。
演劇専修で一緒に同時代を過ごしたこともあって、60年安保の渦中で役者
修業と社会とのかかわりの葛藤がヴィヴィットに伝わてきた。
この先は、東野英治郎の『私の俳優修業』(未来社/1964刊)のような本の上
梓を期待したいところ。

編集委員の一人である長宗我部さん曰く、演劇青年だった時代が忘れがた
い。このことが、「自由舞台」を中心とする「学生演劇史」をまとめてみたい意欲
になりつつあると。

(←ブログ2015・1・22 「長宗我部友親さんを訪ねる」894)
(←    2015・1・27 「『長宗我部』を読む!』899)

2015年10月29日木曜日

新宿追分だんご          1177

追分だんご本舗(2015・10・28 影:Kei)
神田を1時半に終わった会から、新宿夜の約束までの時間つぶしに昔よく通
った新宿の裏路地を3時間ばかりかけて回遊。

新宿要町から、昔の「東映劇場」の隣にあった「追分だんご」を久しぶりにのぞ
いてみた。
50余年前に初めて寄った頃とほとんど変わらないたたずまいに懐かしさが増
します。

あれは、日本橋松坂屋で開催されていた「グランド・ザ・パリ展」に出かけ、会場
大混雑のなかで観たピサロの「さくらんぼ」が印象に残っているその日、なぜか
新宿追分まで都電で来ている。
そのとき、追分だんご本舗で引き戸を引き卓で、「クリームぜんざい」と焼き団子
を食べたことが忘れられない。
倉敷の「古市」に学校帰りに寄り、小倉アイスや太鼓焼きをよく食べたが追分団
子といい、年を重ねても好みに移ろふことがない感じです。

2015年10月28日水曜日

正午からの「水曜会」は月末に  1176

神田古本市(2015・10・28影:kei)
「水曜会」を月末一度に縮小することにした、最初の月末の集まりに出席する。
お互いの「元気」を確認しあうような集いになりつつある。

体重を落とし過ぎて、外にでる機会が極度に減ったわ、、水泳もやめている状態
を報告するグンゾウさん。体重は下止まりであるが、肝臓疾患を心配していた。

カンさんは、フランクフルトの見本市会場から送られてきたスマホ写真をめくりな
がら注目ブースを説明してくれる。
現役引退を言いながら、まだまだ出版情報の入手は豊富のようだ。

さらに、先日行った奥只見の知人のハウス写真を開示しながら、建物スペースの
カルチャーセンターなどに有効利用の案件や雑穀の話に及んだ。
誰も採らない栗や「身の程知らず」渋柿の渋抜き方など、かつて僕の田舎の生活
にもあったような話が出てきて懐かしくなった。



2015年10月27日火曜日

キキョウは桔梗色          1175

キキョウ/昭和記念公園にて(影:can)
透きとおる桔梗色に輝くキキョウを昭和記念公園の道端で見つけた!

ハルのガイドで「こどもの森」へ行き半日過ごし、お目当ての満開のコスモスが
原っぱで風に揺れる風情を満喫した。
コスモス野原の圧倒的な華やぐ趣とは異にして、オミナエシとキキョウが色を競
い身の丈を伸ばし日陰で静かに咲いていた。

この花の咲く頃も一年に一度で、かつて、お彼岸には祖母キシノの言いつけで
裏山に登り採ってきた想い出がある。めくるめくそんなことがあって、シャッタを押
しながら見惚れてしまった。
よく登った田舎のタニヤマには、可憐なツリフネソウなども秋の深まりとともに混
在していたように思う。

(←ブログ2015・10・18 「コスモス絨毯の丘」1167)

2015年10月26日月曜日

長田N お別れの会         1174

(影:pen)
長田君の追悼・お別れの会が、新宿の「スンガリ」でありました。

彼については、これまで初めて出会った1960年代半ばのこと、囲碁、将棋に
麻雀の勝負事、若くして大病を患い最近でもガンに心臓カーテル検査から生還
して「元気」にふるまっていた様子、そして「新宿 でん八物語」でのプロデュース
力に助けられたことなど、を言ってきました。

しかし彼を偲ぶとき僕の脳裏に浮かぶのは、約束して会うとき、そうでなく偶然
出くわすときの普段の立ち振る舞いです。
たしか4歳下というのがあって、謙譲の美徳なのか僕と趣味の違う囲碁将棋等
長けているコトについて光らすことなく、周辺からその実力のほどををしったり、
本好き、書店好きで読書量の豊富なことについても最近になって気づかされた。
大学では仏文科と云うのもあったでしょう。鈴村一成の著作に関連してランボー
やプルーストの話に及ぶかと思えば、丸山眞男の評価についても最近刊行さ
れたの講義録を交えながら熱く喋ることがあった。

一方では、自分の出自を気にするところがあって、職業軍人だった父親の話か
ら、さらに土佐にルーツがあると云ううことで、高知行を急いでいた矢先でもあっ
た。

根本さんの口上、平井さんと関根さんからのエピソードを交えた追悼、さよなら!

(←ブログ2015・9・14 「オサダナオキ君の死を悼む」1132)



2015年10月24日土曜日

サイパン散策で見た花や実    1173

(影:PEN)
ホテルの庭で見たマンゴーから、シーサイドのソーセージの木(実)

(影:PEN)
ホテルガーデンのディェゴ(上左)/空港前の火炎樹(上右)
バターカップの木(下左)/ホンコンオーキッド(下右)


「風船の旅」控え~その2     1172

寒立馬&尻屋崎(影:pen)
「旅」は、住んでいる自宅を離れてよその土地へ行くこと。
これを意味する英単語を選択するなら「JOURNEY」か、旅、小旅行という
ところ。

11.「大槌駅 記憶の断層(2)」         2013・9・22

12.「陸中浪板海岸 記憶の断層(3)」      2013・9・22

13.「尻屋崎 記憶の断層」            2013・10・11
   小雨のなかに25頭の寒立馬を見た!

14.「恐山・極楽浜 記憶の断層」         2013・10・14

15.「脇野沢村鯛島&九艘泊 記憶の断層」     2013・10・21

16.「小雨降る仏ヶ浦 記憶の断層(10)」    2013・10・25

17.「本州最北端・大間崎」            2013・10・26

18.「下北半島下風呂温泉」            2013・11・2

19.「尻屋の村から太平洋沿岸を南下~」      2013・11・8
   猿ヶ森のヒバ埋没林とマリモの左京沼

20.北山崎・鵜の巣断崖 記憶の断層(14)」   2013・11・11

(←ブログ2015・10・21 「風船の旅~その1」1170)

2015年10月22日木曜日

芋焼酎賛歌!             1171

愛飲の「ごりょうさん」(影:TAB)
焼酎に乗り換えたのは痛風の発症からで、10年以上前からになります。それま
ではどちらかと云うと、ビール党でした。

いまでは、旅に行くと道の駅などで地の隠れた焼酎をあさり、買って帰るように
なった。そして、家で自分だけ嗜むのではなく、親しい友同士の集まりなどにも
持参して品評まで強いるまでになっている。

焼酎にしてからも麦焼酎から芋焼酎に好みが変わって、旅先だけでなく、酒店
までおいしい逸品を探し求めるようになりました。また、魅力的ラベルのモノは、
ハズレがないというのも僕流の選択肢になります。
最近、ある場所で見つけた種子島の芋焼酎「タイガー&ドラゴン」を呑んだが、
いい臭覚にグッドでした。友人で僕と同じ痛風事情で焼酎組がいるが、これを
口にして、芋の匂いがおさえられて飲みやすく後味がイイと好評でした。

(←ブログ2014・5・21 「焼酎 タイガー!イイね!」647)
(←ブログ2014・8・7  「おごじょから「薩摩藩」が届く!」725)
(←ブログ2014・9・28 「焼酎党に!」778)
(←ブログ2015・3・25 「杜氏はいなくても、、、」956)


2015年10月21日水曜日

風船の旅~その1          1170


40代半ばから50代の休日はよく思いつくままの旅・ドライブに出かけた。
あらかじめ、行き先を決めないぶらり旅なので「風船ドライブ」と称しています。

これまでブログに記した様々な「風船旅」の項目を時系列でメモすることで、
再会を果たせればと思う。(計画された旅行は除外)

1.「54年ぶりの大涌谷」83                 2012・5・2

2.「急におもいたって 谷川岳・ブナ林へ        2012・5・26

3.「都民の森から、三頭大滝へ」             2012・8・19

4.「小江戸・川越の喜多院へ」               2013・1・5

5.「陸中へ 旅の記憶1」                  2013・3・21
  一関~松川猊鼻渓
  
6、「陸中へ 旅の記憶2」                  2013・4・1
  陸前高田~碁石海岸~釜石~吉里吉里浪板海岸

7.「陸中へ 旅の記憶3」                  2013・4・4
  宮古浄土ヶ浜~とどが埼

8.日間賀島へ                         2013・8・8

9.台風15号襲来!京都渡月橋が、、、         2013・9・16
  (番外編)

10.気まぐれクルマ旅&記憶の断層を掘る!(1)」  2013・9・19
  釧路湿原

2015年10月20日火曜日

加藤尚武「ヘーゲル哲学の形成と原理」1169

書影
60年代のブントの理論的支柱で、安保闘争が終息していく時期、マルクスを
すて近代経済学にシフトして「シリコンバレー型」の経済学者として活躍してき
た青木昌彦さんが、7月に亡くなった。

彼と60年代に親しい付きあいのあった加藤尚武さんが追悼した「大きな闇の
前に立ったような気持」の文言に接した。
さっそく、加藤さんの著作を本棚から抜き出して久しぶりに読んだ。その気分
になった経緯を記しておきたい。

加藤さんについては、1980年に未来社からいまは亡き編集者小箕俊介さん
によって出版された『ヘーゲル哲学の形成と原理』で、当時、斬新なイメージを
受けた記憶があります。
ところがこのたびの追悼文に接するまで、青木昌彦(ブント名姫岡玲治)と60
年代から学者、研究者になってからも、仲間だったことを知らなかった。
二人は近代経済学と環境倫理学の立場こそ違え、未来への展望では接点が
あったように思える。




サイパンの樹⑦           1168

(影:pen)
【桑の実/】上右
落葉性で高木になるらしいが、見たのは数メートル程度だった。
樹皮は灰色を帯びる。実は日本のと同じ味だった。

【カラジウム/サトイモ科】下左
南アメリカ原産。ハート型の葉に赤や白の美しい模様を作る。
観葉植物として、交配種が多数作られている。

(←ブログ2015・6・28 「サイパン熱帯植物園にて」1053)
(←    2015・6・29 「写真をめぐる/「サイパン熱帯植物園/木と花①」1054)
(←    2015・7・7 「サイパン熱帯植物園/木と花②」1062)
(←    2015・7・16 「サイパン熱帯植物園/木と花③」1071)
(←    2015・8・2  「写真/サイパン熱帯植物園*木と花④」1088

2015年10月18日日曜日

コスモス絨毯の丘。         1167

昭和記念公園のコスモス(2015・10・18 影:tab) 
きょうは、ハルの引率で立川の昭和記念公園に遠足。

広大な公園の砂川入場門口に駐車して入る。
この公園には四季折々の花を見に訪れることしばしばであり、かつて会社の若手
と周遊マラソンに挑戦したこともある。
年々整備されて樹木が大きく成長し森を形づくっている。そのなかにある「こども
の森」が拡張され一層充実してきている。
虹のハンモック、霧に森、ドラゴンの砂山、ピラミット、雲の海など魅力的な名前な
がら、ハルと一緒になって遊ぶと僕の年には厳しくてすぐに脱落する始末。

こうした人工遊園地を見ながら想うことがある。
この場所は在日米軍立川飛行場で、基地の拡張に反対して1955年から1960
年代まで「砂川闘争」としてたたかわれた住民運動であり、学生運動の黎明期の
ことを。

視界をうめつくす一面のコスモスの丘だった。

2015年10月17日土曜日

「火薬庫前」から「明大前」に変遷 1166

明大前駅(2015・10・17 影:tab)
最近、頻繁に乗降車する井の頭線と京王線が交わる「明大前駅」は、大正2年の
開業時は「火薬庫前」という駅名だと最近知った。

改札口から甲州街道は直ぐで、徳川幕府がその沿道沿いに鉄砲や火薬を貯蔵
する倉を設けたことが起源となっている。
甲州街道が当時から歴史的に軍事的な要素が強かったことをうかがわせる。
大震災の3・11の日も水道橋から新宿の甲州街道起点に出てガード下をくぐり、
甲州街道をひたすら歩き明大前まで4時間かけてたどり着いた記憶が生々しい。

その後昭和10年、明治大学予科の移転を機に「明大前」と改称されたと。
僕の場合、神保町か新宿から急行で明大前に行くことが多く、帰宅には吉祥寺
経由になる。井の頭線の急行と各停の運行は、日中、夜間は交互に発着し乗客
もほぼ均等に利用しており混雑がなく乗り心地がイイ。
また、この路線は地形的におおくのホリワリを抜けて走るので、線路わきの風景
を楽しむことができる。

(←ブログ2015・6・13 「井の頭線のアジサイ!」 1038)
(      2015・7・24 「ライブハウス<FEVER>」1078)

2015年10月16日金曜日

アルバムを見る!          1165

(2015・10・影:tab)
最近、アルバムを頻繁に見るようになった。

僕はアルバムの整理にさいして、家族写真は時系列に、他はグループ別に**の
会、**同期会、、、で、一冊ずつファイリングされている。
繰り返し見るうちに、再編集に没頭したりしていることもあります。

僕の写真歴は小学校低学年の頃にはじまいり、物を撮るのが好きで、撮ったもの
はスクラップ帳に貼って帳を重ねていた時期があった。
いまは、パソコンの進化が著しくフォルダー管理で十分という人が多いように思う。
確かに画面で自由に見られるが、アルバムをめくることにはイメージを膨らませて
くれる独特のものがある。

例えば、35年前に立ち上げた会の初期メンバーの容姿やファッションが昔の写真
帳にあって、その親睦会がいま未だ存続するというのは、いいものです。
亡くなった人もいて、寂しさもともないますが、、、。
写真にかんする蘊蓄を語り始めると際限がありません。

2015年10月15日木曜日

深夜お世話になった「立川や」は、、1164

立川駅南口(2015・10・15 影:tab)
中央線立川駅の「立高」側南口を出た対面に、赤地に白抜き「立川や」の暖簾が
あった。

戦後の駅前ドヤ街そのままに、この老舗ラーメン屋さんは中央線から最終の乗
り換え客や酔客をカウンターに引き寄せる魅力があった。
豚骨スープ味と煮干しベースの東京ラーメン風とあったが、僕はもっぱらさっぱ
り味の後者に煮卵をのせて食した。

区画整理で20年ぐらいかけて、一軒一軒立退きで消えていくなか「立川や」は、
最後まで頑張っているな~と思っていたが、きょう、駅前ロータリーの陸橋から見
ると遂に撤退を余儀なくされたのか別な場所に移ってしまい風景も変わってしま
っていた。


(←ブログ2015・




「出版OB会」断片          1163

銀座ライオン(2015・10・14 影:tab)
秋恒例の「出版OB会」に出席した。

この会は、出版社、広告代理店、新聞社の1960年代からビジネスで交流が始
まり、現在までつづく年に一度の親睦の会です。
すでに20数回の催しですが、僕がこの会の幹事役サトウーさんにさそわれて
参加するようになったのは、5年前からです。

きっかけは、懐かしい人たちの集まりで、とりわけ「信濃毎日新聞」のマツキさん
や、「中日新聞」のヤマダさんらと会って、40数年前の書籍広告の出し入れに
かかわる話で盛り上がれること、、、。いろいろなエピソードが飛び交う瞬間に笑
えるのがいい。
そのマツキさんが今年は、町の行事の世話役で上京できなかったのが残念。
出席者のお喋りをうかがっていると、体調維持にスポーツジム通い、太極拳で
汗をながす人、地域でNPO活動したり史跡巡りガイドで趣味を生かしている人、
年相応に腰痛肘痛でままならない人、と様々。

(←ブログ2013・10・10 「出版OB会で今井Y、松木Sさんらと、、、。」)
(←ブログ2014・10・9 「出版OB会、銀座クラシックホールで」 789)

2015年10月13日火曜日

富士山が初冠雪!          1162



11日に富士山が初冠雪した。

我が家のベランダから、7合目から上に真っ白なビーナスの石膏の姿が浮き上が
るように見えた。
平年より11日遅く、昨年より5日早いということで、年によってはばがあるもんだと
おもう。
「初冠雪」の発表は気象庁で、富士山の麓・富士吉田市は「初雪化粧宣言」という。
趣に微妙な違いがある表現だが、秋は短く一気に冬の到来を感じさせる。

なにをもって、一年の節気、初冠雪、初雪というのか、話題にあがるが、甲府地方
気象台は、富士山頂の一日の平均気温が最も高かった日以降に、山の一部が初
めて雪や氷で白く見えることを「初冠雪」としていると。
今年は同日の発表や宣言でしたが、富士吉田市は2006年から独自の観測に基
づき「初雪化粧宣言」を発表してきている。

(←ブログ2015・1・31 「富士山 眺遠望の復活!」 903)
(      2015・2・20 「雨水」 923)

2015年10月12日月曜日

「大槌まつり」復興への希望をのせて!1161

城山から(2015・9・19 影:広報大槌)
先に、大槌町の「虎舞」を岡山の倉敷でも見られ、弟や姪っ子たちは大いに感激
し、大震災から復興への息吹に共鳴した知らせをもらった。

4年半がたつ今年も、大槌町では虎舞、大神楽、獅子踊など伝統郷土芸能がそれ
ぞれ参集して、まちが一体となって盛り上がる様は、年々明るさと堂々たる生気が
よみがえってきているのが実感できてうれしい。

安渡地区にある大槌稲荷神社の禰宜・十王舘さんを震災一年後に社務所に訪ね
て、御輿渡御や宵宮祭の準備、しきたりの伝承について聞いたことがあるが、これ
また復興著しく威勢みなぎってみえた。
住宅やまちづくりは遅れているが、精神の復興、新しい文化の勃興は「大槌まつり」
のなかに未来を予感させるエネルギーとして現れている。

まつりが終わると秋本番をむかえ、東北の太平洋側に冷害をもたらす「やませ」が
ある。いろいろ改良されてきているといえ、自然の恐ろしさはいかんともしがたい。
おだやかな風であってほしい。

(←ブログ2014・8・12 「大槌町と大槌湾 7月の定点写真」730)
(      2015・2・14 「も少し、津波と神社のトリビア!」 917)
(      2015・3・9  「虎舞/星野仙一記念館前ステージで舞う!」 940)
(       2015・4・13 「震災から4年 定点観測」977)
(      2015・5・15 「復興予算 一部被災地自治体の負担に」1009)
(      2015・6・12 「中心市街地再生計画動き出す!」1037)
(      2015・7・12 「大槌湾からアメリカ西海岸へ漂着!」1067)
(      2015・8・15 「5年目を迎えるお盆」1101)
(      2015・9・13 「大槌町の<再興>は」1131)


2015年10月11日日曜日

奥多摩澤井寒山寺へ        1160


きょうは、三連休の中日。

都心からの来客を迎えてひとしきり喋り込んで、紅葉には早いが奥多摩に向かっ
てドライブ。
途中、年に数度よることのある「ままごと屋」からつり橋の対岸にある「寒山寺」に
よる。四季折々の木々の間に見える鐘堂はいつ訪ねても趣があります。
この寺は無住職ながら、由緒ある歴史があり中国の寒山寺から釈迦仏木一体を
日本寒山寺の建立を願って、中国に遊学した書家・田口米舫に託されたのに始
まるらしい。
帰国後、適地を求めて各地を遍歴中、人心の素朴なこの澤井の地を発見、清酒
澤井醸造当主の尽力によって昭和5年に落成している。
寒山寺の格天井には、院展級の大家による揮毫が今もなお華やかさを放ってい
ます。

かつて、中国の故事を慕って文人墨客が多数訪れた川溿の割烹旅館「紅葉亭」
は、いま、豆腐湯葉料理の「ままごと屋」として多摩川の清流を眼下に美味をたの
しむことができる。
きょうは水量が多くて河原には降りられなかったが、カラフルな防水着で身を包ん
で8人乗りボートが列をなして下ってくると、子どもたちは身を乗り出してはしゃい
でいた!

2015年10月10日土曜日

「図書」800号に接して       1159


白水社100周年に続き、記念特集のPR誌 を偶然発見した。

岩波書店の「図書」が始まったのは1937年で、僕が生まれる前からあった
わけで、古いPR誌の歴史を感じます。
僕も1965年に出しはじめた未来社の「未来」にかかわったが、自社の刊行
図書案内をしながらエッセイや対談などで誌面づくりをするのが大変だった。

手元にある「図書」は、800号特集で巻頭の池澤夏樹と斎藤美奈子による
「年間千円の愉しみ」にはじまり、関川夏央、梨木香歩、原研哉、大澤聡らが
寄稿している。ほかに、高村薫や赤坂憲雄、柄谷行人、津村節子の連載。
昔の執筆者、貝塚茂樹、中野好夫、岡村昭彦、大塚久雄、福永武彦、湯川
秀樹らを目次に散見するにつけ、活字のすごさに惹きつけられる。
そしてなお且つ、表紙の雰囲気と云い誌面の割り付けもほとんど変わってな
い、保守的と言われようとも、良いものはイイ。

記事中に他社の広告が入っているが、未来社のタテ三分の一広告を僕が出
稿していたときと変わらないスタイルで発見できたのもうれしかった。

(←ブログ2015・3・27 「中身の濃い小冊子「図書」」 957)

2015年10月9日金曜日

白水社百周年に思う         1158



完さんからジュンク堂書店のPR誌で、「白水社100周年記念フェア」の関連エッ
セイを見て、そのコピーがとどいた。

丸善ジュンク堂書店のPR誌「書標」(ほんのしるべ)のなかで、白水社の創業
百周年のフェアを仕掛けた吉祥寺店の女性が書いている。
彼女自身、仏文科で学びフランス語辞典から雑誌「ふらんす」で身近に感じて
いたであろう白水社のイメージをコンセプトにして、一時の隆盛に陰りのあるフ
ランス文化、文学の名著、ロングセラーを読者に差し出す企図がみえた。

フランス語、ドイツ、スペイン、ロシア、中国、韓国・朝鮮、アラビア、ギリシャ。
ラテン、チェコ語の語学書出版の歴史には圧倒される。

『ライ麦畑でつかまえて』/『ゴドーを待ちながら』/『希望の原理』/『馬車が
買いたい!』/『グールド魚類画帖』/ベルクソン『物質と記憶』/『オッペンハ
イマー』/演劇雑誌「新劇」(読んだ本の一部から)





2015年10月8日木曜日

PC乗り換え方がわからないままヨドへ1155

秋葉原駅から(2015・10・7影:tab)
秋葉原のパソコン市場へ足を踏み入れた瞬間にクラクラする。

メカ音と入り乱れて案内する騒音のなかで、機能を教えてもらい、モデルの新旧
を聞いたり、理解不十分のまま何とか機種を決めた。
唯一強く主張できたのは、10年使い続けてきたXPの機種をNECから変更しな
かったことぐらいか。

問題は、使用中の古いパソコンXPから8・1やVistaを経ないで、新しい10に引
越しできるかということでしたが、またまた、Msさんがデータも設定もアプリまで
無事引越しをしてくれました。本当に、助かりありがたいことです。

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秋葉原~八重州BC~居酒屋北の浜1157


PCの乗り換えで秋葉原へ
それから、ノボちゃんと東京駅のいつもの酒席「北の浜」で一献。

いま読んでいる本や、テレビで見る映画の話題になった。
「TVで放映され人気の下町××の作家の小説」と言われ、僕も読んだことのある
一冊『ようこそ、わが家へ』(小学館文庫)が頭にちらつくが、著者名がいっこうに
出てこない。後になって思い出したが、、。

彼が言いたかったのは、おそらく池井戸潤の『下町ロケット』直木賞受賞の小説だ
ったであろうと、別れた帰りの電車の中で浮かんでくる始末でした。
彼が面白いと言ったのは、多分彼自身、一流商社マンを全うした後も企業診断士
として活躍してきた手前、「下町ロケット」や「半沢直樹」ものが、実社会の内と外か
ら透けて見えるリアリティによるのであろうと、後付けで想像してみた。
それにしても二人ともに共通してのことだが、記憶力はあっても表出できない老化
現象、如何ともしがたい。






八重州ブックセンターへ       1156

(2015・10・7 影:tab)
夕方からの飲み会の前に東京駅前の八重州ブックセンターに寄ってみたくなった。

1階を一巡してからエスカレーターで各階を見ながら上階まで上がって、児童書の
フロアでハルの本を一冊みつけて購入。さらに地階にエレベータとエスカレータで
降りた。
中二階の喫茶店は変わらず、1階フロアをながめながらコーヒーと読書が楽しめる
スペースはそのままだった。

1977年のオープン時は、東京駅前ビジネス街の一等地で、1500坪近いの巨大
書店誕生ということで、出版社、取次はてんてこ舞いが続いたものです。
そして本好きの読者は、東京のみならず近郊、全国から上京してくる狂騒で、大変
な話題になった記憶がある。
開店当時に陣頭指揮を執り、その後も出版社の面倒みがよかったお役員Sgさん
とか話せる店員もいなくなってしまった。


2015年10月6日火曜日

下北沢の「B&B」へ        1154

(2015・10・6影:Tab)
今日、ハルにつきあって下北沢に行ったついでに、前々から一度見てみたいと
思っていた書店、「B&B」へ寄ることができた。

小田急下北沢南口を出て右へ大通りをすこし歩いて左に入る路地奥を見ると、
二階の窓に看板が目立つ。階段入口にはビールも飲める本屋の案内が立てら
れていた。
なるほど、店名はBook&Beerなんだ、となっとく。

店内は、コンクリートむき出しにペイントしただけの壁面に、せいぜい5段までで
目線よりすこし高い程度の棚に余裕をもって面陳とサシで書斎風に見せている。
空間にはテーブルと椅子が置かれ、座って頁をめくっている若い女性がいた。
目利きで特別に取り寄せるのであろうリトルマガジンが多く目に付いた。
棚には、テーマ別に内・外文学、自然科学、人文・社会科学、民俗・芸能、地元
関連本が、なるほどと思わせる並びになっている。あまり臭みは感じられなく、
セレクトに独特の雰囲気がある。
『火花』や村上春樹本に吉本ばななの『下北沢』も見かけた。
それに、『なぜ本屋に行くとアイデアが生まれるのか』(嶋浩一郎著)も平台に置
かれていた。

「B&B」をつくった意図は、街の本屋が経営を続けられることを証明したかった。
電子書籍でも紙の本でも便利なほうを読めばいいのであってどっちでもいいと思
っていると、この本屋をオープンさせた一人嶋浩一郎は言っている。
(『電通デザイントーク Vol.1』 朝日新聞出版発売)

サイパンの樹⑥           1153

世界最大の鉢植えブーゲンビリアは可憐だった!
サイパンではほぼ一年中色をつけていますが、雨の少ない乾季に年3~4回満開
になります。
                    SAIPAN BOTANICAL GARDEN
(影:Pen)
【パンダ白/ラン科】上左
東南アジア原産で白のほかピンクや紫など約30種ある。
木根をだして他の木に着生し、空気中の水分だけで成長する。

【ブーゲンビリア/オシロイバナ科】上右
赤い部分は花ではなく包葉とよばれる葉の一部です。その中につく小さな白い部分
が本当の花です。
枝に鋭いトゲをもっており、これを利用して民家では泥棒よけの垣根にしている。

【コリウス/シソ科】下左
ジャワ島原産。葉色が多彩で栽培が容易、差し芽で簡単に殖やせる。
熱帯では1mほどに成長する。

【ヘリコニア・ゴールデントーチ/バショウ科】下右
南アメリカ原産。高さ50cmから1m程度に成長する。
数百種あるヘリコニアの中でも性質が強く、切り花用に重用される。

(←ブログ2015・9・25 「サイパンの樹⑤」 1143)


2015年10月4日日曜日

関本賢太郎選手引退セレモニー 1152


今シーズン最後の143試合目。
それも、この試合はCS出場を決定づける大一番。
前にも記した、勝つと思うな、、でも念じずにはいられない。(試合前)
が、広島カープに完敗でした。

試合後の甲子園球場で、関本賢太郎選手の引退セレモニーが行われた。
彼は、1996年にドラフト2位指名で天理高校から阪神タイガースに入団。
守備位置は内野手でオールラウンドプレーヤで、シーズンノーエラーの堅守で
あったことがあり、打撃スタイルはバットの握りを極端に短くし内野を抜く三振
の少ない選手だった。
そして、ここ数年は八木、桧山のあとを継いで代打の神様として喝采を浴びて
きた。最後の数試合での代打率は驚異の6割以上で、来シーズンも十分期待
していたのに残念。

ファンの大声援を最後の最後までうけて、19年間タイガース一途にプレーでき
たことに感謝の挨拶。
セカンドステージは必死のパッチで歩んで生きたいと、そして又いつか甲子園
にもどってきたいとの言葉でしめた。

そして、新井貴浩選手と鳥谷敬選手から花束贈呈があり、球場満員のファンに
応えて場内を一周して幕。

(←ブログ2015・3・28 「阪神タイガース初戦逆転サヨナラ!」 959)
(←ブログ2015・9・20 「勝つと思うな思えば負ける!」 1138)


2015年10月3日土曜日

ラグビーが面白い!        1151


昔、タイガースに源五郎丸という珍しい姓の佐賀県出身の投手がいたが、ラグビ
ーで活躍する五郎丸選手も九州出身で気になるところだった。

彼は評判どおりキック良し、タックルも強力で観るものを感動させる。
これまでも日本ラグビーを見てきたが、外国戦でこんなにシンプルにモールを力
でおしこむことができ、フットワークでゴールに飛び込む闘争心丸出しのチーム
は初めてだよ。
外国人強化選手も加わっているが、そんなに目立つわけでもなく組織プレーと力
のバランスがとれているから実力がともなってきているのだろう。

今夜のサモア戦は、簡単には勝てないだろうと思っていたが、試合開始直後の
五郎丸のペナルティーキックの得点から前半戦のイイ流れができ、26対5で勝
利した。
それにしても、サモアの試合前に大地を踏みしめる勝利への儀式、民族踊りは
迫力十分だった。

2015年10月2日金曜日

奥多摩湖は人造湖なのだ!   1150


ポツポツと水滴がフロントガラスに飛び散る岩肌むき出しのトンネルを抜けると
奥多摩湖が開ける。

羽村の堰がある多摩川を上流に30分余りクルマで走ると奥多摩町に。
この山峡に昭和13年に工事が始まり、第二次大戦で中断し、敗戦後まもなく
再開され昭和32年に完成した「小河内ダム」によってできた東京都の上水道
用人造湖。
小河内、丹波山、小菅の三村合わせて945世帯が湖底に沈んだ。
その一部世帯は清里へ開拓民として大移動して大変な苦労があったことを、
春の味噌造りで行ったときにはじめて聞いた。

紅葉前の緑が残る木陰が水面に映える風景は自然湖の趣がある。
いあまや、鯉、ヘラブナ、ニジマス、ワカサギに最近ではブラックバスまで生息
する。
いつ来ても釣り人を見かけるが、奥多摩湖誕生までの湖底に沈んだ村の秘め
られた歴史に想いをめぐらす。

(←ブログ2015・3・22 「八ヶ岳清里の<ロッジ物語>」953)

2015年10月1日木曜日

駿河台下の茶話会         1149


今日の「水曜会」は久々に会う人もいて盛会だった。

僕をはじめ次第に月曜日から金曜日の5日間をフルに勤務する仲間がすくなく
なってきている。
若いイチカワくんは、あい変らず大きなカバンを背負って忙しく活動している。
最近までグローバルにビジネスを展開してきたカンさんは、いままでの仕事一途
から少し身を引いて、家のことなど自由に対応できるスタイルに切り替えたよう
です。
前日に参加の確認をし参加のモリくんは、週の出勤日を減らし、時間帯も自由な
形態をとって精力的に働き、週末には八ヶ岳の麓で農仕事という健康的で愉し
い生活。
古希を過ぎ半ばに到達する者もでてきたたほかのメンバーは、週一、二度とか、
月に一度の病院通いで都心に出るという風になってきている。

1999年の早朝茶話会(珈琲)から16年、間断なくつづいたことに驚く。
といううことで、幕引きすることなく、月に一、二度にして継続することとなった。

(←ブログ2015・4・22 「水曜会の断片から」986)
(←ブログ2015・6・17 「<水曜会>も16年になるのか!」1042)
(←ブログ2015・9・2 「水曜会へ」1120)