2013年3月31日日曜日

タノベ やったね!

書影(洋泉社刊/2013)


没後30年今蘇る!!『寺山修司の迷宮世界』を落手しました。

編集者には、原点が存在する者と希薄な者がいると思う。
編集者として、田野邊尚人に初めて1992年に会ったときに、最新の仕事は「現代
詩手帳・寺山修司特集」と聞き、僕より25歳下ながら熱気ある企画力に感動した。
さらに、彼は企画にのせたい執筆者に、根本敬、江戸木純、福間健二、内田栄一、
井上三太、中原昌也、そして園子温らを列記したのだった。
20年後の今、この書き手たちは皆注目される著者たちであるから驚きだ。
そしてタノベは、この新刊「寺山修司本」に園子温を登場させて、激白インタビュー
を敢行している。寺山・園・タノベが三位一体になっているのがわかる。
20余年前と変らないスタンスをもち続けているということ。
他の田野邊の文章もいい!

2013年3月29日金曜日

144試合分の1試合、されど開幕第1戦!

羽村の堰から桜巡り/梅岩寺(2013・3・29影)

都心の桜は、早や満開桜吹雪!
僕の住む羽村玉川兄弟の堰は桜の名所です。桜祭りが始まるのを待たずに今週末
には満開に!其処で、阪神タイガースの鳥谷敬選手は育った。

今日、プロ野球開幕。144試合の長丁場の1年を一喜一憂しなければならない。
初回に西岡が出て、鳥谷で先制点が入る予感が、、、。
(6時になった、これからTV観戦~結果は後述するよ)

9対3で勝利!
「何でもいいから塁に出る」と宣言していたトップバッター西岡が、センター前ヒットで
出塁し大和が続いて、鳥谷ではなく4番良太の犠打で先制した。期待通りの速攻に
身震いした!
西岡、大和が出塁して、鳥谷以下のクリーンナップでホームに迎え入れる夢がふくら
む!
開幕投手メッセの立ち上がりを心配したが、後半まで大崩れせず安藤~福原~新
クローザ久保で締める今シーズンの理想型の勝ちパターンが観られた。

鳥谷敬讃歌!
WBC台湾戦で見せた鳥谷の盗塁は紙一重の凄い勇気のいる決断だったと思う。
その成功で一気に戦況が変り、勝利へ向かって流れた。
彼の早稲田六大学野球時代のプレーをあまり知らなくて、プロ野球で見てきた能面
顔の表にあまり闘魂を見せない姿に接してきていたので、台湾戦9回にホームを踏
んだときの雄たけびとガッツポーズに驚いた!
始まったペナントレースでも、あの勇気あるプレーと感情むき出しの姿を見たいもの
だ。
(10時30分記)


2013年3月28日木曜日

大槌町の被災庁舎保存をめぐって





311震災の大津波に呑み込まれて、岩手県大槌町長と職員40人が犠牲になっ
たことと、その時の状況についてこれまでにも写真とあわせ幾度か触れてきまし
た。

今日、碇川町長は被災した旧役場の玄関などの正面部分を保存して、震災の事
実として永代に渡る伝承のシンボル的遺構にすることを表明しました。
被災の旧庁舎を巡っては、遺族の方や有識者等による意見でも、保存か解体か
で混沌としていたようです。(被災者の精神的負担を鑑み解体を望む方が多いよ
にも聞いています。)

陸前高田の「奇跡の一本松」の復元もそうですが、シンボルとして遺すと言うこと
に、原爆ドームとは違う違和感を感じます。
震災の教訓と復興の象徴を後世に残すには、聞書き、写真、映像をしっかり記
録し、復興の進捗過程でメモリアル館を造られれば良いと思うのだが、、、。

補強保存費用や維持管理費などにかかる膨大なお金のコトを考えると、もっと直
面している被災困窮者や町づくりの直接的復興に使ってほしいと念ずるところで
す。

2013年3月27日水曜日

久々に都心に出ると、、いろいろの話題が出る!


五ノ神まいまいず井戸の桜(2013・3・27影)


先日紹介した『在来作物を受け継ぐ人々』を三省堂書店で平積してもらうため
Mmさんに面談した。

僕より10歳ばかり若い彼は、これまで店長時代から店づくりのリーダー格で40
余年にわたり最前線で主導してきたが、「老兵去るのみ」と次世代にバトンタッチ。

これまでも、休日は八ヶ岳麓のログハウスで田舎暮らしをし、無農薬菜園にも挑
戦している。
この本たいする反応もストレートで、練馬大根復活からエフワンの話題に及んだ。
一応、専門書の部類に入る本ながら一般的にも関心が高まっているジャンルな
ので固く売れるのでは、と推奨してもらった。
5階に平積みされます。乞う!購読。

生臭い話もあった。書店の取次取引口座の変更がドラスチィックに進行している
こと、火の無いところに煙たたずで、厳しい出版社の実情、二大取次の発表され
た人事をめぐって、、、。

最後に机上のPC画面で、グーグル・ブログ[大槌の風]を検索してもらいました。


2013年3月26日火曜日

増田昭子さんの本

書影(農文協・2013・3刊)


増田さんから自著『在来作物を受け継ぐ人々──種子は万人のもの』が贈られて
きました。

彼女とは、長い交流があります。洋泉社を立ち上げた当時に、東京・多摩地区の
民話採集を一冊にまとめる企画がありましたが、諸般の事情で立ち消えになって
しまいました。
昨年7月には、増田さんと本書にも出てくる雑穀・種子の採集や栽培指導で八重山
石垣島から黒島に同行させてもらいました。
僕は、専らダイビングに興じておりましたが、、。

そして今では、被災地の大槌町へも一緒に足を踏み入れて、被災集落の防災や食
糧補給の聞書きを記録してきています。特に、本書に出てくる「郷倉」の話などは貴
重な収穫でした。
さらに、2月に催した東京4箇所での集会は、増田さんに負うところ多大です。
大槌の風NPO の強力なサポーターでもあります。

増田さんがよく口にする種子(タネ)についての理解に、最近まで温度差を感じてい
ました。
僕が幼少の頃食べた南瓜や胡瓜、穀物の多くは、その年の収穫した物からタネを
保存して次の年の苗付するのがごく一般的であるように見てきていたことによるよう
です。
 「F1」なる聞きなれない言葉を最近耳にしますが、品種に関する用語で「雑種一代」
を意味し、交配によって作られた新品種の一代目ということのようです。
改良された新品種のほとんどが、F1であるといわれます。(自動車F1レースではあ
りませんよ)
飽食美食時代にあって、本書に教えられることは多い!是非、一読をお薦めします。
(ブログ:2012・12・7参照)


2013年3月24日日曜日

今年、初 やすい会



昨年12月に記念すべき100回目の「やすい会」が、石和であった。
例年より2週間ばかり早い桜開花の日、本郷の老舗天麩羅屋さんに、今年初めて
会の面々が集まりました。
さて、今回の話題は、
早咲き桜の戸惑いや、例年以上に飛来する花粉と大気汚染でアレルギー発症に
悩まされている話で沸騰!
すっくと起って習字の千字文の手習いを掲げたのは富さんでした。彼の先生格にな
る安いさんから批評と上達の早さの認定があった。1年前に、僕が激励してもらった
会の垂れ幕の書当時と比べて雲泥の進化を見せてもらいました。
軍さんが、お彼岸で集まった親族一同のなかで自分も「お墓」のことを考える時期
に差しかかかってきていることを意識させられた、との発言から身辺整理のハナシ
で盛りあがってしまった。
さらに彼は、先日の都内で催された「被災地・大槌の語りと聞く会」へ参加していて
その時感じた驚きと、大槌支援即売の海産物を中国洛陽の知人に贈ったところ凄
く喜ばれたとの報告もあった。ありがとう。

2013年3月23日土曜日

難聴と滑舌

例年より2週間早い桜(13・3・22)

総合診療に行ったついでに、耳鼻科に寄ってこの2年間の進行を検査する。

きっかけは過日、初めて会ったライターさんとカウンター越しに喋りあう機会が
ありました。ハナシが佳境に入って聞き取り難い言葉に?を僕がしきりと出すも
のだから…、相方自身はカツゼツが悪いと言う。少し酔いがまわっていたことも
あって、カツゼツを「滑舌」が悪く喋りが不明瞭になっている、と理解できていな
かった!僕は聞き取れないのを難聴のせいにして、相手が糖尿などの病気で
発語に不明瞭をきたしていることを慮っていないわけですから、第三者からすれ
ば、チンプンカンプンな会話に聞かれたはずです。
そのとき、芝居の話題にも及んでいたことだし「團十郎は滑舌が悪かったが、修
業によって最高の見栄が切れる役者になった」と、イメージする語彙であったに
かかわらず、恥ずかしながら解っていなかったのだ。

簡易聴力検査の結果は、2年前とほとんど変っておらず、加齢で低音部分の聴
力に少し難が出てきている程度と。相対して医師の診察結果を聞いているわけ
で、「何不自由なく会話できているでしょう」との、ご宣託。少し安心したが、、、。

2013年3月21日木曜日

陸中へ 旅の記憶

碁石海岸(2012・5・14影)

50年前に始まって東北陸中(陸中・陸前・陸奥)へは、今に至るまで随分行って
いる。

1964年に仙台から鹿の金華山へ渡り、松島を回遊して中尊寺へ旅したのが、
最初の東北行でした。金色堂、白山神社能楽堂、弁慶之墓を見てまわった。
中尊寺へは、最近また車で訪ねました。歳とってから金色堂内を見る眼は、藤原
一族の栄枯盛衰におよぶ歴史に強く惹きつけられました。

次に、1966年の8月に上野発夜行列車に乗って一関経由で、陸中松川・猊鼻渓
へ。和船に乗り、船頭の棹差しで細長い船が両岸岩壁を滑るように進む。墨絵の
なかにいるような感触が忘れられない。
大船渡線で陸前高田へ。この時は、311大津波に耐えて唯一残った「奇跡の一
本松」の松林砂丘の記憶は定かでありません。
高田からバスで、末崎半島にある碁石のような黒色石を主体とする碁石海岸へ。
断崖絶壁、もりあがる波、また滝のように深く激しく沈む海、岩にとりつく百合──。

震災後に大槌からの帰途、高速道路大船渡インターを出て碁石海岸に寄って見
たが、311は無かったかのように、椿が咲き、打たせ波と引き潮で黒色石の発色
が見える変らない風景だった、、、。
(本編は、「陸中の旅の記憶」・第1回でしたが、未出ファイルになっていました。)

なお、3・11大震災で壊滅したJR陸中鉄道の路線に復興バス運行がスタートした
が、そのCM製作でこのエリアの撮影に、Gyoが最近出かけることがあった。
これも何かの縁か!



2013年3月19日火曜日

三陸の被災書店と中央社



今日、中央社へ出かけたところ、久しぶりにAKさんに会った。
五軒町の営業所所長時代以来だと思う。
彼がかつて、東北エリアの書店営業担当だったことから、311で被災した大槌町
の金崎書店の話になった。社長が行方不明で奥様が亡くなる不幸で再興のめど
は立っていない。

中央社の幹部が三陸沿岸の被災書店巡回を素早くはじめたイメージが僕のなか
に残っている。その後の報告を聞くにつけ、古くから中央社との取引関係が緊密
な書店が多くあったいようです。
Akさんが営業担当の頃、この地域への出張は、まず青森に入り、八戸~久慈~
宮古~大槌~釜石、、、ときて、気仙沼~石巻、仙台と南下するのが定番であっ
た、とのことです。

この大震災で、1000キロメートル以上の三陸海岸沿いは、店舗を流出、全壊、
半壊した書店が無数にあり、生活していくだけで精一杯で再開を断念する書店人
が多い。
が、一方で、「町に本屋がなくなる」ことに危機を感じ、使命感から再興に立ち向
かっている店主もいる。
今、二大取次においては書店の取引争奪戦が激化しているが、これまで以上の
サポートと支援を、利害を超えて継続してほしい。


2013年3月18日月曜日

「災間」②

大槌町未来中心街(広報おおつち)


東日本大震災から2年が過ぎた。
NHKでは、この3・11に大槌町城山の特設のスタジオから10、11両日、震災の日
を中心に被災の記憶と復興の今を伝える映像が続いた。

大津波の襲来被害を受けた三陸の沿岸──僕の場合、大船渡、釜石から大槌町へ
沿岸の道路を走って目にするのは、壊滅した建物の土台も大半は取り除かれた荒
涼たる風景です。1年目より2年目で、ボタ山のようだった瓦礫は取り除かれており、
かえって広大な潟となった光景に復興の困難さを感じる。

TVの城山の高台から映し出される大槌湾周辺に、新しい水産加工施設が見え隠れ
した。広報誌「おおつち」を見ると集落ごとの街づくり計画の図面と用地買上で地権者
との交渉入りが伝えられている。
何もかも全てを失った被災者の真の復興は、その立ち居地をどこまで共有できるか
であって、本格的進捗はこれからに思える。
2年が経過するなかで、被災地から離れた東京で「語り、聞く」集会を持ったが、非当
事者の日常生活の意識からは既に311のことが希薄になっているように感じられま
した。
100年、500年先か、明日かも知れない大震災について、自らの今が「災間」であると
することで、被災地の人との境界が狭められると思っています。

2013年3月17日日曜日

幸運を呼びこむ!鳥谷の活躍を予感!



いよいよWBCも明日から3連覇に向けて、プエルトリコ戦の最終ステージへ。
阪神タイガース鳥谷の台湾戦での2盗塁があってこそ決勝ラウンドへ進めたと
思っている。
その直後に、内川選手のヒットでトリが長躯ホームを踏んだときの、目の輝きと
咆哮とガッツポーズは、これまでのペナントレースで見たことのない雄姿だった
が、、、。
さらに、次の日の1番先頭バッターホームランも、チーム長打連発の呼び水に
なったことも間違いない。
SFジャイアンツ戦では、また、トリの2点タイムリーで勝った!
右投手なら、飛べ!鳥谷よ。

このWBCで日本が優勝したら、「弁証法的」的に言って阪神は勝っているから、
その上の強さで優勝するってことになるが!?

2013年3月16日土曜日

大槌町に 一頁堂書店あり



大槌町のショッピングモール・シーサイドマストに一頁堂書店(60坪)が開店した
のは311大津波から9ヶ月目でした。
被災当日まであった金崎書店ほかいくつかの書店は、大津波で全滅してしまい、
町に本屋さんがなくなる状態でした。金崎社長夫妻は亡くなり、他の店も再興を
断念せざるをえなかった。

取次トーハンの強力な後押しで、書店経営ずぶの素人の木村ご夫妻が一念発
起して今日にいたっている。
僕はマストで、開店して間もないとき木村店長と面談した。書店経営のいろはを
勉強中で、毎日の労働と資金繰りの厳しさ聞きながらも、子どもたちが集まって
本を手にする姿を見ることで明日を感じている、と。踏み出した一歩をできること
なら応援したいと思った。

自らが被災者でありながら復興へ寄せる強い思いで、本を通じて荒んだ人、特
に子どもたちが癒される文化の香る場所づくりに取組んでいる。
さらに、厳しい経営のなかでの売上げの一部を震災孤児の育英支援にしてい
る話を聞くにつけ、見落としてはならない行為に気づく。

大槌町の人口(1月31日現在)は被災後、13,024人(5,454世帯)で、実際
の在人口は1万人余とも云われている。
皆さん、自分の住んでいる町の周辺書店を考えてみてください。僕の住んでい
る人口5万の羽村町で50坪前後の書店が3軒あるだけです。
復興途上の小さな町の60坪規模の書店ですよ──。いろいろの販売アイデイ
アと棚・平台構成を工夫しながら活性化してきている経緯は奇跡的に映ります!
今では、復興する町の書店員になりきって日々奮闘中に乾杯!

証言記録


311前の安渡集落/上の小学校から海にかけて全壊

あの日、何が起きたのか、死の直面を見つめなければ、生はないのではないか。

これから語る丸さんは、地元の職安をたよりに大槌町安渡を離れ東京都村山市
の日産工場に就職する。
子どもの頃から、ラジオで聴いてジャズに傾倒していた彼は、新宿のジャズ喫茶に
転職し、一度田舎にUターンして海産食品加工会社に携わるも、再度東京へ。
 
311の喪失感いっぱいの丸さんがやっとの想いで呟いてくれた。
自分は立ち直れるけど、兄貴の子ども甥っ子がきつかった。事情あって、二人の
姉が母代わりで、甥を1歳から育てていた。自衛隊に就職した甥は、3月11日当
日、地震の10分位前に姉との会話で大丈夫と。さっと逃げてるだろうと。
そして、一週間経っておかしいぞ!二人の姉がいない!
自衛隊員の救援体制で甥っ子は大槌町の隣り山田町の山側に捜索に入っていた。
甥っ子のショックは計り知れない。
現場を見てない自分は、致命的にしょうがないと思っている。客観的にしか見られ
ないところがどこかにある。

自分は現場にいなくても、客観的に現場が見える。
しかし、帰ってみて、えっ!ここまで来たの。子どもの頃、「高台」はここより下のイ
メージだった。小学校の塀まで30メートル位い競りあがっているのに驚き!

経験しないこと、1000年に一度あるかないか。生涯で実際にはありえないコトを、
だが、見てしまった震撼!

2013年3月14日木曜日

なぜ、大槌の風 なのか!


2011・311ビルの蛍光灯の揺れと軋みを見た
(2013・3・11影)
あの激しい揺れの始まった金曜日の午後は、晴れた空がねずみ色に変わって覆わ
れるように見えました。

9ヵ月後に、洋泉社27年の活動を回想した『洋泉社私記』を著し、著者、取次、書店
その他の関係者方々へ謝辞をそえて送らせて頂きました。
20代から50年にわたる出版業界で生きてきた一区切りになるとともに、発行者に附
した「大槌の風」を冠に、NPO活動へ一手進める決断になりました。
個人的事情で大槌町を訪ねた際に、ボランティア活動にも取組んできていました。
そのなかで、大槌町吉里吉里波板在住の佐々木格さんに出会い、被災の子どもたち
に本を送り読書と読み聞かせのできる「森の図書館」を造ってもらうことになった。
佐々木さんの尽力で、既に浪板海岸の山のすそ野に昨年4月に開館して、色んな催し
とあわせて子どもたちで賑わっています。

次にできる事業は何か──。
2月に東京で催した4箇所でのミニ集会もその一つです。
既に、災害の矢面にたって活動してきた公民館長や神主さんたちに聞書きをしていま
す。その時に何ができたのか、皆はどう行動したのか。
時間と金銭的に許されるなら、地道な聞き取りを継続して伝承記録を採りたいと、増田
さんと話しているところです。

(→明日へ)

2013年3月13日水曜日

14時46分



出かけていました。

二年前のあの日、飯田橋のなじみの珈琲館で打ち合わせをしていました。
激しい揺れを感じ面談中の相方と咄嗟に外に飛び出してビルの谷間に立っていた。
軋む高層ビルを見てニュージーランドの大地震とアチェの大津波のことが瞬時に頭
をよぎった。

この3・11日2時46分には、珈琲館の同じ窓際に座って、大槌町マストの一頁堂
店を特集した記事を読んでいました。カーテンの揺れも無く、手を合わせる人もなく、
ビジネスマン、学生でにぎわっていました。

あの日その後は、飯田橋改札口のTVに流れる緊急TV映像の三陸沿岸に押し寄せ
る大津波を見て、大槌町に暮らす娘の祖母、母を想いました。
第二波津波が押し寄せる頃には電話回線は不通になり、連絡の取りようが無くなっ
てしまう。
五日間は生存をつかむことができず、カタカナ人名映像と戦後の尋ね人風放送を聴
きっぱなしでした。
ただこの時期、僕は会社の現役を退任したばかりで、自由に活動ができる環境にあ
ったことが幸いしました。

(明日に→)

2013年3月10日日曜日

「被災地からの声」を見る



東日本大震災から2年の特番が終日ながれていた。
NHKの特設スタジオが、大槌町市街から大槌湾まで俯瞰できる城山高台の建物に
設けられていた。

この場所は、被災した江岸寺の上に位置し、僕も大槌に足を踏み入れるごと、ここ
から消失した義娘たちの家跡を眺めながら廃墟と化した街や静かな海や山なみを
記憶に留めようとシャッターを切り続けてきました。
2万人の死者と行方不明者を出した大震災から明日で2年が経つ。今でも30万人
を超す人たちが自宅を離れて仮設住宅や遠く離れた場所で暮らしています。
義娘の祖母、母も大槌町を離れて寂しげに過ごしております。被災直後は、自分だ
けではなくて皆全てを無くしてしまったのだから仕方ないと豪気に構えていましたが
2年の経過のなかで、自然に否定された感じになり虚脱感で涙もろくなりました。

先の集会で会ったムクシさんも、「支援される時は終わった。今日生きることに集中
する。」と、軽トラで近郊、内陸へ即売に向かっている。
自立すると言う、彼女たち被災者の単純明快な言葉の裏にある行政や国の再興計
画に対する複雑な思いは孤立感が深まっているようにも思える。
被災の日常化、民支援の後退、国の「大復興」プロジェクトへの傾斜などで、被災弱
者の増殖にならないよう、やれる範囲でやれる応援をすると云うおもいでいます。
特番の最後に歌った大槌出身の臼澤みさきちゃんの歌唱は、未来に向かって羽ば
たく若者の夢をみました。

2013年3月9日土曜日

大槌町支援居酒屋は継続します!?


未来屋日の出店店頭


2月17日に新宿で催した、大槌町の復興を応援する「居酒屋」を引き続き出店す
る予定です。

出版社を営む若い友人が小学生の娘さんを連れて、先の集会に参加してくれまし
た。
後日、彼から「娘など連れて行き失礼しました。皆様の活動の熱心さに、私事、恥
かしいばかりでした。微力ながら応援続けます。」 のメールがありました。
いやいやむしろ子どもさんに参加してもらい、311被災の現実を肌で感じてもらえ
て学ぶものがありました。大槌町では、親を亡くした子供、家を跡形なくした子ども
がやっと本の読み聞かせに、郷土芸能に参加したり、外で興じられるようになって
いるようです。

大槌復興支援』居酒屋への参加者は20余人でしたが、夫々酒を持参の人もいて
飲み会になるのではと気を揉みましたが、4時間の長丁場ながら2時間はしっかり
大槌町から上京のムクシさんたちのハナシに引き込まれ、質疑もかみ合い実りあ
る集会でした。勿論後半は時の経つのを忘れて、大槌特産の鼻まがり鮭の摘み
入れ鍋を囲んでの一献の団欒と相成りました。
また、ムクシさん直参の20種類余の海産物の即売支援も好評でした。最後の集
会参加者は男連中が多数で、当然ながら酒の肴になる珍味が即売でした。
親友カズさんなどは地域ネットワークでオーダーまとめを提案してくれています。
大槌町の地酒とあわせてのことです。

今回のミニ集会の担当者であるマスダさんと話して、これからも持続可能な支援を
することで被災地復興への関わりを図って行くことにしています。
周辺協賛者の皆さん、さらなる協力をお願いします。

2013年3月8日金曜日

大槌町の生活者とまちづくりに想う




先月、東京の四箇所で、大槌町の人たちが311被災といまの生活意識を語り・きく
ミニ集会をもちました。
そのなかで、大槌町から出てきたムクシさんのハナシは大津波被災地の現実に即
してのもので毎回、深められました。
311東京の午後2時46分。あの激震が始まったとき僕たちはそれぞれの立ち居振
る舞いでいた。700キロ以上離れた陸中沿岸の大津波の波状襲来を、ムクシさんた
ちは目の辺りに必死の避難をしていたのである。

大津波の発生から2年が経ちます。
この間の復興は遅遅として進んでいないことが、被災した生活者の立場から事例
が語られました。
一方で被災住民不在の古い公共事業型の「震災復興プロジェクト」と称した妖怪
が現れはじめています。
ムクシさんたちのように積極的に自らの生活の活路を開き、異議申し立ての発声
も聞こえてきます。

2013年3月7日木曜日

生涯一編集者

書影(言視舎・2013/2刊)

小川さんから自著『生涯一編集者』が送られてきた。
彼が洋泉社に来た1995年から2010年までの15年間、編集者と経営者の立ち
居ちの違いはありましたが、一緒に仕事をしてきました。
早速、礼状をしたためました。


知った著者や編集者やらの名前がいくつも出てきたり、会った方もいて、とくに
60年代から70年代の時代とシンクロして興味深く拝読いたしました。
編集者の回想記は多々あれど、これほど著者にコミットメントした編集者が著し
た本に接したのは稀有と云えます。
と言っても、予感として1960年代後半から70年代に早稲田の文献堂(廃業)な
どで買った本の「あとがき」で発見した「オガワテッセイ」に惹かれた時に、既に
未だ見ぬ編集者を知ってしまっていたようにも思えて、不思議な縁を感じていま
す。
貴方と僕は若干の年齢差はありますが、互いに出版をなりわいとして半世紀を
過ごして、さらに次の一手を指しています。
ますますのご活躍を祈念いたします、と。


2013年3月5日火曜日

今日は、啓蟄だが!



北海道の暴風雪で忽ちのうちに9人が死亡した。
山での遭難とかではなくて、普通の道路で生起したことなのです。
311の大津波による予想だにしない多数の犠牲者と一緒にできないが、日常の
なかの突発的な出来事に変わりはないと思われる。
多分、想像の限界を超える地吹雪で前後左右の視界を奪われて立ち往生になり、
車内に一酸化炭素が充満するのも早かったようです。
(40年も前になろうか、僕たちも白馬村から大町に向かっう帰路の一本道で半日
近くホワイトアウト状態になった経験がある。九死に一生を得たのは、暖を取るた
めのガソリン消費を抑えるためにエンジンを極力押さえることができたからであろ
うと思っています。)

311の被災報告によっても、自宅や高台へ向かう自動車が追い越しやUターンで
数珠繋ぎ状で身動きできないでいる短時間に大津波の襲来に遭うことになる。
助けを求めることはできず、逃げ出すこともできない。「天災」は、人間が考え得る
範囲をはるかに超えて無慈悲にやって来るものなのであろうか、、、。
天災に想定外は当てはまらないわけで、危険を少しでも早く察知する(知らせる)、
物に固執せず逃げる(身を守る)。

今日は24節気の啓蟄。
数年前に行ったこともある青森の男女混浴大浴場・酸ヶ湯で一週間前に記録した
560余センチは最高記録の積雪だそうです。今季は、北海道や東北の積雪も記録
的な深雪で、寒くもありましたが、日を追って暖かくなってくることでしょう。
  

2013年3月4日月曜日

雪山、スキーへ!



5歳のハルは一年前、スキーが好きになれず早くうち(家)に帰ろうと駄々をこね
ていたが、この小正月に行った時から一変した。理由は寒いのがいやだったの
が、寒中水泳のプール入りでも「慣れるとすぐ暖かくなるよ」、と言えるほど強くな
った。
さて僕がスキーを始めたのは何時の頃だったか。今は亡き出口君に20代の後半
に、彼の勤務していた出版社のスキーツァーで万座温泉へ連れられて行ったの
を覚えている。これをキッカケにしてファミリーで週末や正月に、浅間温泉、軽井
沢、白樺湖、車山、乗鞍高原、八方尾根、天神平、志賀高原、草津、苗場、湯沢
スキー場へ出かけるようになった。色んなスキー場へ好くもまあ~と思うが、この
期間は集中していてGyoが幼少の頃であった。その後30年ほどご無沙汰でした。

ハルは小正月のスキー指導でボーゲンをなんとか覚え、Gyoの難所でのサポー
トがあるとはいえ、頂上から滑り降りる快感の虜になってしまったようだ。
そして今、僕自身も30年ぶりに5歳のハルと一緒に滑っている。
寒いとき、凛として自然の風景のなかでのスポーツは、彼のこれからの生き様に
大いに得るものがあると思うからだ。
まず寒さは克服したが、厳しさ難題が多くあります。
子供向け装備は充実してきているが、硬いブーツ、身動きに自由が利きにくい板
やビンディングを装着することをいかに楽しませるか。ハルは、仮面ライダーの変
身気分で真似している。

Gyo&ハルのお声がかりで、今朝早くから信州車山高原スキー場へ。
僕は休み休みにしか滑れなかったが、ハルののりまくりに引っ張られるように頂
上リフトを含む15本以上、二人は滑っていた!









2013年3月2日土曜日

春一番風が吹き荒れる!


庭のゆず

春一番は、立春から春分までの間に吹く強い南風のことですが、今日、吹き荒
れました。
この南風は、春二番、春三番、、、と続いて吹くことがあるのですが、昨年は吹
かなかったようで、気まぐれなあたたかさの運び屋のようでもあります。

例年、この時期と決めている庭のゆず採りを始めたところに、土ぼこりをともなう
手荒な強襲にやられて、手にとげが刺さる痛手を負い途中で樹から降りざるを
得ませんでした。
夜にかけて雨がパラパラきているので、雨東風と言えるかな、、、。
この冬は積雪の多い大雪年でしたが、やっと気温が上昇して日に日に暖かくな
るお告げのようです。

2013年3月1日金曜日

2月28につられて、、、

キーワードの一つ・浅間山(2013・1・15)

昨日は、2月最後の28日で色々なまとめがあって整理しておきたかったのです
が、急に夜の9時から深夜にかけて映画を観てしまった。
若松孝二監督の『実録・連合赤軍 あさま山荘への道程』、3時間余の長尺もの
です。
観てみようと思ったきっかけは、「連合赤軍」メンバーが浅間山荘にたてこもって、
陥落した日が1972年2月28日で、この日、僕はある詩集の編集打ち合わせで
軽井沢の民宿に滞留していました。そして、昨日の28日と重なって当日の衝撃
が沸々と思い出されたことによります。
一山超えて、飛行機の旋回する音と照明弾と催涙ガス弾の炸裂音を聴くことにな
ります。
映画そのものの内容も、実録と云うだけの事あって、なかなか迫力のある映像で
した。また、原田芳雄のナレーションが、コトの深層部分を静かな語りで追求してい
るのがよかった。