2019年8月30日金曜日

「新・東海道五十三次」を再ヴィークル2579

yuとの共同運転するクルマ旅巡りを40代半ばころからつづけてきた。

信州から北陸、東北そして北海道の紀行は、何かの関連で思いつくまま時間差
でLogしてきた。
ところが、東海道筋から近畿エリアもクルマ旅しているにもかかわらず希薄な
のに気づく。
ちょうど、「武田泰淳全集/第8巻」を読んでいたら、ユリ子夫人運転するとこ
ろのマイカーによる弥次喜多道中風の「小説」に出合った。

50年前の「マイカー」を謳歌しはじめた頃と、ここ最近の車社会の環境は激
変しつつある。当初、「とにかく神秘的な液体」といっていたガソリンは電気
に代わられ、ドライバーの楽しみも失せていくかもしれない。

まず、yuの本籍地湊町(鉄砲洲)~新堀を通り、日本橋(八丁堀)を起点にし
て2里~江戸に別れを告げる最初の宿場である品川。

2019年8月29日木曜日

鳥谷よ いまやめるべきではない!   2578

最近、阪神タイガースの応援に熱が入らないのだが、理由ははっきりしている。
鳥谷敬選手の攻守の打撃面はさておき、守備力でほかの選手に超えられている
と云うのか。

たしかに、新人木浪選手の動きも良くなってきているが、なにせ判断力の鈍さ
と送球エラーが多すぎる。北條選手も年を重ねてきているわりに一進一退状態。
植田選手にも少し打撃力が備われば、守備・走力で抜きん出ているので、トリ
の後がまとして一番買うね。

控えが多くなっている鳥谷へのバッシングがおこっているが、彼にはこれまで
自らに鞭うってやってきた反骨精神を萎えさすことなく、もう一奮起して欲し
いところだ。
急に老け込んだトリの厳しい姿を見るにつけ、大学時代からのライバルである
ヤクルト青木選手のガッツポーズが気になる。

(←ブログ:2019-3-21「趣味阪神タイガースと言って憚らないが」2417)
(←ブログ:2019-3-31「二日遅れの阪神タイガース応援歌」2426)
(←   :2019-4-9 「勝ちに不思議な勝ちあり!」2435)
(←   :2019-7-23 「阪神タイガース 鳥谷敬について」2540)
(←   :2019-8-3 「三宅⇔吉田⇔鎌田のゴールデン内野陣」2552)
(←   :2019-8-19 「鳥谷敬と子どもたち」2568)



2019年8月28日水曜日

mk女史の急逝を悼む        2577

サロマ湖/ワッカ(影:Pen)
平穏な日常のなかに、突然、死の知らせが入ってくると、そのとき俺はなにを
していたのだろう、回想と同時に死への恐怖が波紋する。

僕より、20歳以上若い女性が二週間前に、ハワイの海で急逝していた。
闘病から余命宣告された共同通信記者・金子直史の最後の仕事となった『生き
ることばへ』のページをめくっているときのことです。

彼女と飲み食いしたことはないが、印象に残る数度の偶然の出合いがある。
出版業界を一にしていた関係で、数年前トーハンの6階で近藤専務と会ったと
き一緒になった。その前は、読売新聞社の新春の会(東京會舘於)で立ち話。
そして極めつけは、夏、北海道サロマ湖の半島のネイチャーセンター・ワッカ
で貸自転車二人乗りに乗った彼女と偶然のバッテング。
この時の驚きについては、東京で会うことがあるごとに笑いながら話題になっ
ていた。

仕事での彼女は、出版にかかわるあらゆるセクションを試練を経ながら淡々と
熟せる能力を持ち合わせていたように見受けられた。
それにしても、大変悲しい夏のおわりになってしまいました。 合掌。



2019年8月27日火曜日

父から引き継がれた真剣       2576

22歳違いの父だったが、ざっくばらんに会話したことはなかった。
と云うより、一緒に生活した日々が少なかったから、打ち解けて喋りあう機会
を逃してしまった。

父は、師範学校時代に剣道をたしなんでおり、わが家の裏庭で竹刀を振り居合
道のまねごとをしていた。暗闇に響く気合の声と振る舞いが不気味で怖かった
記憶がある。その怖さを増幅したのが、桐たんすの奥に仕舞われている真剣一
振りの存在だった。

ときには、ススの布切れにまかれた真剣を取り出し手にかざし、砥石の細かい
粉の入ったお手玉の様な「打ち粉」でポンポンと軽く上下に叩き、和紙で粉と
古い油をぬぐい、最終にさび止めの椿油をサッと塗る。
その行為がかもし出す正座した得意げな姿なのだが、幼少のころは真っ当に見
られなかった。

父から引き継いだ日本刀。今やはり、わが家の新しい箪笥の奥に眠っている。

2019年8月26日月曜日

北上山系 上有住駅の残像 記憶の深層㉝2575

当時、陸中高田周辺から釜石までの連絡ははなはだ不便でまいる。
大船渡から釜石へのバスは午後2時でおわりとは、なんとも致し方ない。
結局、陸中高田から国鉄バスで上有住(かみありす)へ。
山あいの人家も見当たらない無人の上有住駅から釜石へ向かう。広告の一枚も
ない珍しい電車でだった。

夜の戸張がおりた頃、釜石駅に着いた。その駅前から、親切なタクシーに夜の
街周辺を案内してもらう。
巨大な船、天を突く煙突(釜石製鉄所)、魚、イカ釣漁火。
駅前の沢田屋旅館泊。夜9時を回っていたと思うが歓待してもらい、ものすご
い量の海鮮料理。かれい、イカ生き造り、かつお、ほや、、。
明朝は、吉里吉里行きに⇒次回。

(←ブログ:2019・4・15 「浄土寺から西國寺へ 記憶の深層㉘」2441)
(←   :2019・5・3 「鷲羽山の約束 記憶の深層㉙」2459)
(←   :2019・6・17 「雲取山登山 記憶の深層㉚」2505)
(←   :2019・7・8 「富士見ヶ丘中学のこと 記憶の深層㉛」2526)
(←   :2019・8・7 「吉備津神社~滝原神社へ記憶の深層㉜」2556)






2019年8月25日日曜日

柔道世界選手権TV中継観る     2574

男子最軽量級(60㌔)の柔道の世界選手権を観戦した。

組み手や足技を注目しながら、一試合一試合を注視したのは珍しい。
開幕初日で、自分と同じ体重クラスの試合と云ううこともあるが、高校時代に
必須授業科目に柔道が組み込まれており、最終時には初段を取得している経験
にもよる。

それにしても、柔道のスピードが格段に向上してハイレベルの闘いになってい
るのに驚く。昔は、小型が大型を果敢に攻めたり引いたりトリッキーな柔道で
一本取って魅了する快感があった。ところが今日見たところでは、技の深化で
相手のスキをつくり確実に決める、手堅い柔道に転移しているように見えた。

2019年8月24日土曜日

高村薫/南直哉 『生死の覚悟』を読む 2573

書影
生まれることと死ぬこと。『生死の覚悟』(新潮新書)を読む。
最近読む本と云えば新書が多くなっているなと、思う。

本書は、恐山の禅僧であって、昨年(2018)『超越と実存』で小林秀雄賞受
賞の南直哉師と、「宗教と名のつくものにひざまずくことができない」という
高村薫との対話。

阪神淡路大震災や東日本大震災から、身近な死に出合うことも後を絶たず、死
の隣に自らの「生」を感じる。天変地異に、神も仏もあるものかと不信心の塊
に転移する。
それでも、墓参など儀礼事に参加すると、なんとなく心が穏やかになる。
二人が共鳴するのは、人間は言葉を離れることができない。死に直面して「言
葉にできない」といいながら、言葉を繰り出すのをやめない。この実現不可能
を実現しようとする言葉の「七転八倒」が仏教だという。
「信じる行為を脱落させる」「念仏や座禅という行為を日々続けることによっ
て、信じる信じないを越えていく」~「信じる」ことを前提とせず、宗教の本
質に迫ろうとする緊張の一冊。

高村薫『空海』は読んでいるが、早速、評判の『土の記』を読もう。

(←ブログ:2019-5-12 「『サイパン最後の記録』東和社刊を読む」2468)
(←   :2019-6-27 「望月衣塑子著『新聞記者』を読む」2514)
(←   :2019-7-19 「高村薫『我らが少女A』を読む」2537)
(←   :2019-8-10 「高野光平『発掘!歴史に埋もれたテレビCM』)



2019年8月23日金曜日

二十四節気の「処暑」        2572

玉川上水‣羽村堰から(2019・8・23影:ncan)
8月も後半に入り、残り一週間で終わりに近づいている。

ハルは、夏の休みを利用してアメリカ西海岸へ出かけ、英会話の実力の程を確
かめながら、いろいろ見聞し楽しんだ様子。そして帰国後は、時差ボケなにす
るものぞ、疲れ知らずで、つづけて部活鍛錬に打ち込んでいる。

未だに、蒸し暑い日が続いているが、もう少しガマンしよう。
今日8月23日から9月6日は、二十四節気で「処暑」です。そう思うと、朝
晩の空気が爽やかに感じられる。阪神タイガースの野球中継を聴いていると、
裏庭からスズムシ、マツムシの声が聞かれるようになってきた。
暑さとまり、節気通りに秋の気配がそこかしこに感じられます。


「中野会」の暑気払い        2571

(2019・8・22 影:ncan)
酷暑で、極力外出をひかえているが、中野駅前の横丁通り居酒屋で催すこの時
季恒例の暑気払いとあっては出ざるをえまい。

この会、本来は数ヶ月に一度、文学散策などを仕掛けてきているが、この時季
は暑気払いこそが取り組むべき課題とし、参集相成った。
皆さんそれぞれ未だ経営者であったり、地域のボランティア活動に取り組む元
気印どもで、身辺雑記から政治経済の話題で盛りあがる。

そもそもこの会へ出るきっかけは、7年ほど前にヤナギタ君が誘ってくれた隠
れ家風蕎麦屋での忘年会でした。そんなことから、宴席では亡きヤナギタ君を
偲ぶ話が必ず出る。彼のあとを引き継いだ若い社長・W君の現況報告もあった
が、現状を維持しながら発展しているようで、皆で杯をあげた。

(←ブログ:2014・12・20 「夢稲團も中野会も、その他の会も」859)

2019年8月22日木曜日

タランティーノvs町山智浩1960’s映画 2570

10月号表紙
「映画秘宝/10月号」(2019)から

巻頭20ページ 鬼才クエンティン・タランティーノ監督『ワンス・アポン・
ア・タイム・イン・ハリウッド』究極攻略‼
本作に、仕組まれたか、賛否激突!町山智浩「これはタランティーノ版『この
世界の片隅に』だ!」&柳下毅一郎「真の意味でシャロン・テートを救済した
のか?」
他の語り手:中原昌也、滝本誠、セルジオ石熊

10,000字ロングインタヴュー:Netflixオリジナルシリーズ『全裸監督』
世界同時配信中!
山田孝之演じるパンイチでカメラをかつぐ主人公のモデルとなった伝説のAV
監督・村西とおるに初インタビュー。
監督自らの、狂熱の日々が赤裸々に語られる。





2019年8月20日火曜日

香港 市民の要求はどこに向かうのか 2569

書影
「逃亡犯条例」の改正案をきっかけにした香港の抗議デモは、止むところを知
らず、新らしい段階の様相をみせている。
デモ発端から、現在のSNSなど情報共有化が進化した世界では、簡単に収束
させるのは無理だろうと、見立てていたが混沌の度を深めてきた。

僕が初めて香港を訪ねたときの街のカオス的雰囲気を、ハッキリ覚えている。
1988年、『香港ショッピング事典』の出版契約と広告の集稿を確認するた
めの出張でした。
香港の広告代理人AALアレン・チャンと香港観光協会との面談だったが、商
談のテーブルにはすでに携帯電話が置かれ、相手はしゃべりまくる喧噪のなか
でのビジネスでした。30年余の昔である。
「地球の歩き方」から得た企画だったが、そうしたショップと食のガイド本を
片手に香港にハマる世界旅行始めの時代でした。
そして中国への返還後も、政治権力の分離でカオス的「自由」をどうにか守り
魔都のパワーを失わないできたが、、。


2019年8月19日月曜日

鳥谷敬と子どもたち         2568

鳥谷敬選手は、自分のバッテング練習を見ていた背番号1のユニフォームを纏
った3歳くらいの子どもを見つけ、スタスタと近づき、はめていた練習用手袋
を「あげるよ!」と、差し出した。
そのときの、同伴の父親がビックリして、驚きと興奮の様が映し出されていた。

僕の阪神タイガース歴が、猛虎の4番藤村富男選手の背番号10のインパクト
によってであったように、この子もずっと、鳥のファンで猛虎の夢を追うのだ
と思うだけで微笑ましくなる。
たしか、トリは1月の自主トレを海外(ミャンマー)で行っていたが、その際
も、子どもたちに野球教室を開き、あわせてグローブとボールなどをプレゼン
トしていた。

いまの阪神タイガースの現状は厳しい。
昨日の試合では、7回に代打で4日ぶりに出場し快音をひびかせ、木浪の2塁
打で1塁から一気に本塁へ激走した。太ももの筋肉が少し落ちたように見えた
が独特の小走りが美しい。

(←ブログ:2019-3-21「趣味阪神タイガースと言って憚らないが」2417)
(←ブログ:2019-3-31「二日遅れの阪神タイガース応援歌」2426)
(←   :2019-4-9 「勝ちに不思議な勝ちあり!」2435)
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2019年8月18日日曜日

悠久の綺麗な「吉里吉里海岸」    2567

大槌町の吉里吉里海岸の砂を踏みしめた最初は、60年近く前のことです。
陸中海岸線を汽車旅している途中、海岸からせり上がったところに在る「吉里
吉里駅」という珍しい名前に誘われて、下車してしまった。

広報「おおつち」(2019・8月)によると、昭和43年(1968)から49年間継続
している吉里吉里海岸の清掃活動が国から表彰されたとあった。この活動は、
7月の第2日曜日を「海岸清掃の日」として、この地域の人たちを中心に毎回約
500名が総出で取り組んできている。環境の美化保全と、被災から夏の海水浴
復活を成し遂げた伝承にもなるはずです。

ブルーバブルで暑気払い       2566

「Sちゃん会」の主宰者から、恒例の暑気払いを蒲田でやろう、と誘いがあっ
た。この会、「でん八会」のメンバーとダブるのだが、懐かしいヒトと会える
ので楽しい。

今回のスペースは、水産大出のダイバーが脱サラの後にはじめた居酒屋風スナ
ック・「ブルーバブル」。
立川から南武線経由川崎駅を経て蒲田駅、、だったので予想外に遠出すること
になった。

東日本大震災で死亡者ゼロで、住宅への浸水被害も出なかった岩手県普代村出
身の知人がひさしぶりに出席しており、彼と喋り込む。そして彼は、自分の故
郷が昭和初めの大津波災害の経験から村に設けた防潮水門などによって、この
3・11大震災で十分に効果を発揮し、同村の中心部と集落を津波襲来から守
った様子を語ってくれた。

他に、歌謡ショーやマジックショーをプロデュースする女性の大衆芸能愛好家
から、薩摩出身在野の歴史好き人のウガッタ新説披露まで、多士済々の集まり
で盛り上がる。真夏の真っ昼間からの3時間、酔いのまわるのも早かった。
活ヒラメの刺身盛、コリコリした食感もよく美味しかった。

2019年8月16日金曜日

母方の祖父を想う          2565

今夕の「送り火」にあたって、母方の祖父(1971年没)のことを想い出した。
母が若くして結核療養生活に入ったため、僕に対する祖父の配慮は並たいてい
のことではなかった。

祖父はモダーンな行動的なひとで、戦前は自動車を買いこんでタクシー運転手
をやってみたり(伝聞)、戦後は遺族会会長や村会議員になってみたり、誰に
対しても面倒見がよく、在宅が少なかったように思う。
前にも、「白胡椒と祖父」として、松浦航空社長・松浦巌さんが雑誌の記事で
「岡山県奥津温泉近くで道路工事請負業をしていた桜井作夫(祖父)さんと、
カンボジア産・タカハシ白胡椒の縁」について、偶然の出合いを熱く語ってい
ることを、log'した。

この話には、点が線になるようなつながりがある。
その白いコショーを作り出した、「高橋さん」を思い出す。
松浦さんは、ラーメンにふりかけたコショーをなにげなく見ると白いコショ
ーにきづく。フランスでは、赤黒色か黒い色をしたコショーとは区別して、
「高橋コショー」と名付けているぐらい有名らしい。

この高橋さんに松浦さんが出合ったのは、彼が昭和20年2月にカンボジアの王
宮警備の任務を受けて間もないある日、基地の兵舎に「コショーを作っている
高橋三郎です」と、訪ねてきたとき。そのときの隊長は桜井中尉だった。
高橋さんのコショーづくりの苦労話はさておいて、その彼が道路工事人夫とし
て、先の岡山の地に流れ着き仕事をしているうちに、祖父・桜井作夫から「ア
メリカに勉強に行きたい」と言って、百二十円を工面してもらう。昭和10年の
春、神戸港からアメリカ船に乗って、途中、ホンコンの港に下りて、、、気が
ついたらカンボジアについていた。

高橋さんは、その昔信州安曇村から流れ流れて道路工事にたずさわっていた、
その人が、わが塚谷の住人・作夫祖父に援助され、アメリカ行きがカンボジア
止まりになり、そこで白コショーを開発して「白コショーの高橋」という名を
広めた人が、美作の地に縁があったと思うと、愉快である。
さて、カンボジアは大きな政変があったが、次の世代が元気でコショーを栽培
していることを願う。

(←ブログ:2016・2・14 「胡椒と祖父のことなど①」1285)
(←   :2016・2・16 「「白胡椒」と祖父のこと②」1287) 


2019年8月15日木曜日

8・15 何回目か『秋津温泉』を観る 2564

5歳のときの敗戦から、めぐりにめぐって74年目の8・15。
この15日には、くり返し吉田喜重監督『秋津温泉』を観てきた。

『秋津温泉』(岡田茉莉子・長門裕之)が公開されたのは1962年。最初は新宿
松竹で、その後にも映画館で観た。今のようにDVDが普及し、TVでも古い作品
の放映が当たり前になっている時代から考えると、遠い昔のような気がする。
思い入れのある作品はDVDであろうとも、むかし銀幕で観た新鮮な感覚をよび
醒まし、さらに自ら刻んだ歴史と重なって見方が変わってくる。
当時の自分が置かれていた不安定な環境、世の中への異議申し立て、未来への
夢、、、と云ったもの、感動したシーンにも現在の己とのズレが生じる面白さ
がある。
年取っていくが、8・15はこういう経験をしておきたい、と、思ったのです。

「秋津温泉」のシナリオの書き出しはこうだ。
岡山 昭和20年6月29日未明、岡山市はB29の空襲をうけた。それから二日間
にわたる炎上。7月1日の朝には無残に変貌していた。見わたすかぎりの瓦礫の
山である。
秋津(奥津)の町 8月15日は暑い、炎天の日であった。湯元に配給米を取り
におりていた新子(岡田茉莉子)は背中にリュックを背負って、途中小学校校
庭から敗戦の玉音放送を聞く。新子は(小声で)「なにをおっしゃてるのか難し
くて分からないわ」と、、、。

(←ブログ:2019-1-13 「パルマ監督『ブラック・ダリア』観る」2349)
(←   :2019-2-8 「トム・クルーズの映画を観る」2375)
(←   :2019-2-23 「ドキュメンタリー『眠る村』を観る」2390)
(←   :2019-5-9 「ショーケンの『傷だらけの天使』を観る」2465)
(←   :2019-6-15 『ザ・クライアント』を観る」2502)
(←   :2019-6-29 『タクシー運転手』を観る」2417)
(←   :2019-7-7 「ルカ・グァダニーノ監督『サスペリア』2524)
(←   :2019-7-11 「ハルの招待で<立川シネマ>へ」2529)
(←   :2019-7-27 「新聞記者」(望月衣塑子原案)を観る」2545)


2019年8月14日水曜日

宮古・池間島ボートダイビング log'⑥ 2563

2003年に、沖縄宮古島・池間島/大神島でボートダイビング。

ショップは、「24’NORTH」。
午前は、池間島でボートダイビング。天気:晴 水温:29 波:1m
宮古島本島からのびる池間島橋を渡りながら眺める潮流とサンゴ礁は、透き通
って美しかったが、今回はその海面をボートでくぐりぬけてダイビングスポッ
トへ。サイコーに気分爽快!
透明度20mの潮流のなか、深度20m程度のところで40分潜水。

見たもの→アカモンガラ、メコギリダイ、クマノミ、ハナビラウツボ、コイボ
ウミウシ、ノコギリガニ、オヤビッチャ、サンゴガニ、珍しい「ホシゴンベ」

午後は、宮古周辺諸島で最古の神宿る島と言われる大神島のサンゴ「キャベツ
畑」。ダイビングの環境は、ほぼ同じ。海中も、地形も美しくベストでした。

(←ブログ:2019・3・13 「サイパン/laulau's beach log'①」2407)
(←ブログ:2019・4・19 「伊良部島/ファンダイビング log'②」2445)
(←   :2019・5・16 「teniann gurotto log'③」2472)
(←   :2019・6・13 「透明度抜群のオヴジャンビーチlog'④」2501)
(←   :2019・7・3 「伊豆  大瀬崎湾 log'⑤」2521)


2019年8月13日火曜日

お盆の入り             2562

鉄塔の向こう側にわが家(2019・8・13影:ncan)
午前中、あきる野本願寺にある~墓参り。
ただこれだけのことです。

むかし田舎でしていたように、位牌を仏壇から盆棚に移し、棚に仏具、花(庭
のユリ)、茄子や胡瓜やトウモロコシの髭で作った牛馬を置く(供える)こと
まではしない。外がうす暗くなったら、家の門口で迎え火を焚くこともしない。
仏壇を開いて、写真を飾って線香をあげるだけのことです。
お供えだけは、祖母から伝えられてきた「バラ寿し」を作ってくれ、果物も豪
華に盛り付ける。

2003年は、田舎正宗の上野寺(菩提寺)へ、8年ぶり墓参。
2005年は、母の新盆の法要。
2009年は、上野寺へ墓参。

2019年8月12日月曜日

死者の通底器            2561

(2019・8・12 影:ncan)
僕の住まいの茶畑や田圃のある近辺の郊外店に、お盆用品を揃えた一角がある。

都会化されたとはいえ、亡くなった人を生者の家に迎える昔ながらの風習が息
づいている。
このときいなかでは、彼岸からの死者の訪れがあり、位牌を仏壇の外に出して
ファミリーでそれを迎える慣わしだった。
こうした死者の季節は、古くからの由来によるばかりではない。
戦時下生まれの僕らにとっては、1945年8・6広島と8・9長崎の原爆投
下によって、無数の人が亡くなり、先の大戦が終結した事実がある。
亡くなった人は「見えない」と云えば見えないが、姿が見えず言葉も聞こえず
とも、「在る」と感じることができる。
この存在感は、誰もがもっている世界観ではない。
死者はいない、無(消滅する)であるという感性を持ち合わせた人もたしかに
いる。だからと言って、この人は追悼式や慰霊祭(34年前のきょう日航機墜
落)に参加することはあるでしょう。

最近、「墓じまい」なる言葉を聞くようになった。住まいと田舎が離れていた
り、管理しにくくなったケースだと思う。
だが、墓も故郷もなくなれば、お盆や正月の年中行事も先細りして、大事な何
ものかが失われる気がする。

2019年8月11日日曜日

熱帯魚が来る!           2560

熱帯魚(2019・8・11 影:ncan)
Gyoたちはロスへ出かけるので、ハルが水槽で飼育している熱帯魚をあずかり、
留守中めんどうみることになる。

5年前、彼らが海外へ遊びにいった際にも、夜祭で金魚すくいした小さな金魚
を同じようにあずかった。その二匹の金魚は、飼育主の所に帰ることなく6年
経ったいまも、わが家で快適に過ごしている。
この機会を通じて、吾輩はダイビングの兼ね合いから、さかなクンを水槽や池
で見るのが趣味になった。

さて、今度あずかっている魚はメコン川生息の熱帯魚で、勝手知った金魚を飼
うのと気の使いよう(死なせてはならない!)が相当違う。
魚のご飯は、ハル持参の水浮タイプなので食べ具合がわかりいいのだが、水温
調整と水質維持の交換度合いが難しい。
また、水中にけっこう多めに緑の水草を植えているので、枯らさないための光
の入れ具合も重要なようだ。

(←ブログ:2014・7・31 「カブト虫が来た!」718)

2019年8月10日土曜日

モノと記憶             2559

東京に出てきて、初めて靴を買ったのは、50年代の終わりの頃だ。
秋口だったので、ブルージンズに合わせて濃紺のスウェードの靴を買った。
新宿東口にあった「ワシントン靴店」だった。

底が生ゴムでフイット感がある、上下のジーンズ合う靴だった。その後、履く
機会がうすれ、何度かの転居を経て半世紀以上なるが、下駄箱の片隅にしっか
り在る。さすがに、けばだつ色は限りなく黒に変色している。
その靴を、時に手にぶら下げてみると、20代前のフットワークのよかった日
の記憶がよみがえってくるのである。

川苔山や雲取山へ登山したとき、大枚出して入手した「ザンバラン」の革靴も
在る。いまでは、皮も靴底も硬くなって慣れるのに時間を要し履きかねるが、
当時この靴をはいて瓦礫の山を登っても苦にならないほど優れモノだったこと
を思い出す。

また、オーストラリアにダイビングに行き、ケアンズで買ったサンダルは本場
の皮製品だけあって、堅牢で快足。宿泊地でもあったケアンズの町を想い出す。
モノは、他にもカメラや鞄が数種類あふれている。それらの一つ一つに宿る想
い出があり、記憶を生起させる装置でもあるのだ。
だから簡単にモノは捨てられない。

高野光平著『発掘!歴史に埋もれたテレビCM』2558

書影(2019・7・30刊/860E)
光文社新書、『発掘!歴史に埋もれたテレビCM』(高野光平著)を読む。
傍題、「見たことのない昭和30年代」とあるように、テレビ黎明期のCMを
分析した書。

黎明草創期(1953年~)の姿はナゾに包まれ、実態が分かりにくかった。
<懐かしい><おなじみではない><こんなのあったか?>と、歴史に埋もれ
たCMとの新鮮な出会いを通じて、単なるノスタルジーではとらえきれない、
昭和30年代(1960年前後)の忘れかけた風景が浮上してくる。
知られているレアCMも多数登場する。

(←ブログ:2019-5-12 「『サイパン最後の記録』東和社刊を読む」2468)
(←   :2019-6-27 「望月衣塑子著『新聞記者』を読む」2514)
(←   :2019-7-19 「高村薫『我らが少女A』を読む」2537)







2019年8月8日木曜日

気が利くなー! ハルのお土産    2557

気をきかせて、合宿先の現地「魚沼コシヒカリ」を買って持参してくれた。

僕はお米のご飯が好きなこと、新潟は美味しいコメ処であることを、ハルは、
それとなくインプットしていたのか、お土産が米袋だった。
谷川山系の清らかな雪解け水と寒さを伴う自然のなかで育まれた、小粒で独特の
甘みを蓄えた、日常食にするにはもったいない代物です。
さっそく、お祝いの「バラ寿し」用シャリに使用していただいたがgoodでした。

これまでも彼は、親と一緒や学校行事で旅行に出かけると、行った先で見つけた
珍しい小石をリュックにしのばせて帰り、お土産として手渡してくれる一風変わ
った癖がある。

2019年8月7日水曜日

吉備津神社~滝原神社へ 記憶の深層㉜2556

吉備津神社の境内に「滝原神社」が在る。

この旅はロングランでした。
津山駅→岡山駅(吉備津神社へ)→尾道駅下車→広島駅下車(平和記念公園~
宮島)→徳山泊→小郡駅下車(山口秋吉台)→下関駅下車(フグ料理と市街散
策)→下関駅発18時55分寝台列車「音戸」→大阪・京都駅。
乗車券取得でトラブル発生。当日29日の切符ではなく、翌日30日の寝台指
定を買ったのにきづく。でも、広島まで坐ってあと空いた寝台に変更してもら
え幸運。長旅で疲れておりよく眠れた。

(←ブログ:2019・4・15 「浄土寺から西國寺へ 記憶の深層㉘」2441)
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(←   :2019・6・17 「雲取山登山 記憶の深層㉚」2505)
(←   :2019・7・8 「富士見ヶ丘中学のこと 記憶の深層㉛」2526)




2019年8月6日火曜日

74年目の8月6日         2555

昨夜、突如、Gyoたち三人が、一日早い僕のお祝いに駆けつけてくれた。
そして今朝早く、それぞれ仕事と学校のために都心へ、高速に乗って帰ってい
ったのである。うれしかったが、台風一過の様なあわただしさでした。

8月6日8時15分黙祷。
その瞬時のなかで、何故か、いなかの今は亡き「日笠の大叔母」の被爆した顔
の微笑みかける姿を見た。
あの日の光景は決して忘れられず、直接被爆のそのリアルな経験を淡々と語る
表情に吸い込まれるような気がしたものです。

あの日、「嵐の中の母子」を見て、、。
安らかに眠りたまえ、あやまちはくりかえしませぬから。

2019年8月5日月曜日

ハルの夏期鍛錬行事はスキー場民宿で 2554


携帯端末から接続可能なインターネットを利用すれば、家に居ながら日本とい
わず世界各地の様子も見られる。

僕は小学校から大学まで、スポーツクラブに入って活動したことがない。でも
突出した選手になり活躍するまでにはならなかったものの、スポーツ万能だっ
たと自負している。
ところが、ハルは自ら進んで組討(武道)のクラブに入り、この4ヵ月、真剣
かつ楽しく鍛錬している。
ハルは、未だ身長体重とも平均より劣勢であるが、水泳を長く持続してやって
いるので、足腰と体幹が強い。
送られてくるネット添付の写真や動画を見ても、徒手を主体とした攻撃・防御
で構える腰がひけてなくどっしりしているように見える。
何ごともそうだが、基礎の繰り返しが重要で、若い先生や師範代たちの指導目
線がイイのだと思う。

2019年8月4日日曜日

『点と線』テレビ版を観る      2553

松本清張の小説も映画も好きだ。
本格ミステリのリアリズムが好きなんだ。

1958年作品/監督・小林恒夫/出演:南廣 高峰三枝子 加藤嘉を観てい
るが、今夜みたTV版は、2007年放映作品で二度目になる。
出演:ビートたけし 高橋克典 内山理名。
10余年経って見ると、亡くなった市原悦子の画面が懐かしかったりする。
ビートたけし演じる定年間際の、女房の手作り帽をかぶった鳥飼重太郎の直観
力と信念。
福岡の香椎海岸で官僚課長補佐と料亭の仲居の死体発見。たんなる心中事件と
して処理されたことに疑問を抱いた彼は、東京の若手警部補・三原紀一ととも
に捜査を進める。ところが、二人が追う人物には鉄壁のアリバイがある。

その重要な役割を担った、東京駅13番ホームは1994年に姿を消した。

清張の長編小説第一弾であり、社会派ミステリの代表作。そしてトラベルミス
テリのパイオニア的作品。

2019年8月3日土曜日

三宅⇔吉田⇔鎌田のゴールデン内野陣 2552


阪神タイガースの往年の名二塁手・鎌田実さん逝く。

リーグ優勝した1962年の開幕スタメン(対巨人戦)は、①三宅秀史②吉田
義男③並木輝男④藤本勝己⑤ソロムコ⑥藤井栄治で、⑦番にセカンド鎌田実⑧
山本哲也⑨小山正明のオーダーだった。
60年代前半は、忙しさにかまけてプロ野球中継を観ること、極端に少なかっ
たが、オープニングだけはTV中継でも必ず観ることにしていた。
新宿の喫茶店「ブラジル」だったか、、。

二塁鎌田、遊撃吉田は、互いに切磋琢磨し、技を極めた。その華麗な守備は、
我々ファンはもちろんのこと、他球団の選手からも一目置かれていた。
試合前のシート発表のアナウンスで一気に歓声でわいたものです。三塁・三宅
秀史のライン際の守備と強肩、牛若丸吉田の俊敏な動き、そして鎌田のバック
トス&深い守備位置からのジャンピングスロー。
シーズン通じてエラー一桁の鉄壁の内野守備陣。

2019年8月2日金曜日

とろけるような鰻の香ばしさ天下一品 2551

2019・8・7 影:nncan
神田にあった会社へ行っていた頃と違って、都心に出てもJR神田駅で下車する
機会が稀になった。
きょうは東京駅地下街の集まりだったので、途中神田駅で降りて、西口通りに
ある「うな正」へ寄り道した。久々に店長と話しながら持ち帰り用に二串買う。

このうな正では、浜名湖から毎朝直送する厳選された活鰻を使用している。
むかしは、社長陣頭指揮で子供さんたちファミリー総出で、ウナギをさばく仕
込風景を見ながら通勤していた。

僕は子どものころ、吉井川で獲ったウナギを祖母が背開きでさばいて、手作り
のたれをつけながら七輪で焼いた身のしまった蒲焼を食べていた。
それに比べ「うな正」は、一度ふんわりと蒸してから、自家製のさっぱりした
タレにつけ焼いて仕上げているので、ちょと違和感があったが、いまでは、yu
曰く「鰻はうな正だけでイイ」に、同調するほど美味いと思っている。

2019年8月1日木曜日

倉敷の夏を想う~倉敷川       2550

夜の本町筋
8月に入ると、ヒロシマや田舎のことを思い出す機会が多い。

8・6から、原水禁、敗戦そしてお盆入りと、若いときは東京不在がつづいた
ものです。
そうしているうちに、としを重ねて弟たちが居る第二の故郷、倉敷の町や瀬戸
内を、特に目的があるでもなくゆっくり回遊することを好むようになった。
とくに、倉敷美観地区は大戦の戦火を免れ、江戸の昔から受け継がれてきた良
き佇まいを残す。美しい白壁のかつての商家が並ぶ川端をちょっと離れて路地
裏を抜けると、そこにはいまも変わらぬ日々の日常がある落ち着きにホッとさ
せられる。
倉敷川(ホリワリ)に映える青い柳と白壁の悠久の美に誘われて、、。

中学生の時に初めて入館した「大原美術館」は昔と変わることなく、国内外の
名作・名品がこれだけ観られる美術館はほかにない。
エル・グレコの「受胎告知」をはじめ、ゴーギャン、ロートレック、ミレー、
ドガ、モネー、セザンヌ、ピカソ、ルオー、シャガール、ロダンの彫刻まで。
90年前に実業家大原孫三郎が私財を投じて開館した倉敷の象徴的な存在だ。

梅雨明けの功罪           2549

梅雨寒で東日本などで日照時間が記録的に短かった。
ようやく梅雨が明けると、一転、熱中症患者が続出する炎暑日にみまわれてい
る。
わが家人も、ハルの夏鍛錬行事に陣中見舞いで都心に出かけ熱中症状態になっ
て、予定を繰り上げて帰ってきた。
すぐに寝込んだが、寝苦しいらしく悪化が心配だ。

この強烈な日差しに反応して、今日まで延ばしのばしにしてきたコタツの掛け
ふとん、敷きふとんを、風呂桶洗たくして干した。
例ねん曇った日に当たると日をまたいで干までには数日かかるときもあったが
幸いに、一日でほぼ乾く早さだった。