母が若くして結核療養生活に入ったため、僕に対する祖父の配慮は並たいてい
のことではなかった。
祖父はモダーンな行動的なひとで、戦前は自動車を買いこんでタクシー運転手
をやってみたり(伝聞)、戦後は遺族会会長や村会議員になってみたり、誰に
対しても面倒見がよく、在宅が少なかったように思う。
前にも、「白胡椒と祖父」として、松浦航空社長・松浦巌さんが雑誌の記事で
「岡山県奥津温泉近くで道路工事請負業をしていた桜井作夫(祖父)さんと、
カンボジア産・タカハシ白胡椒の縁」について、偶然の出合いを熱く語ってい
ることを、log'した。
この話には、点が線になるようなつながりがある。
その白いコショーを作り出した、「高橋さん」を思い出す。
松浦さんは、ラーメンにふりかけたコショーをなにげなく見ると白いコショ
ーにきづく。フランスでは、赤黒色か黒い色をしたコショーとは区別して、
「高橋コショー」と名付けているぐらい有名らしい。
この高橋さんに松浦さんが出合ったのは、彼が昭和20年2月にカンボジアの王
宮警備の任務を受けて間もないある日、基地の兵舎に「コショーを作っている
高橋三郎です」と、訪ねてきたとき。そのときの隊長は桜井中尉だった。
高橋さんのコショーづくりの苦労話はさておいて、その彼が道路工事人夫とし
て、先の岡山の地に流れ着き仕事をしているうちに、祖父・桜井作夫から「ア
メリカに勉強に行きたい」と言って、百二十円を工面してもらう。昭和10年の
春、神戸港からアメリカ船に乗って、途中、ホンコンの港に下りて、、、気が
ついたらカンボジアについていた。
高橋さんは、その昔信州安曇村から流れ流れて道路工事にたずさわっていた、
その人が、わが塚谷の住人・作夫祖父に援助され、アメリカ行きがカンボジア
止まりになり、そこで白コショーを開発して「白コショーの高橋」という名を
広めた人が、美作の地に縁があったと思うと、愉快である。
さて、カンボジアは大きな政変があったが、次の世代が元気でコショーを栽培
していることを願う。
(←ブログ:2016・2・14 「胡椒と祖父のことなど①」1285)
(← :2016・2・16 「「白胡椒」と祖父のこと②」1287)
「高橋コショー」と名付けているぐらい有名らしい。
この高橋さんに松浦さんが出合ったのは、彼が昭和20年2月にカンボジアの王
宮警備の任務を受けて間もないある日、基地の兵舎に「コショーを作っている
高橋三郎です」と、訪ねてきたとき。そのときの隊長は桜井中尉だった。
高橋さんのコショーづくりの苦労話はさておいて、その彼が道路工事人夫とし
て、先の岡山の地に流れ着き仕事をしているうちに、祖父・桜井作夫から「ア
メリカに勉強に行きたい」と言って、百二十円を工面してもらう。昭和10年の
春、神戸港からアメリカ船に乗って、途中、ホンコンの港に下りて、、、気が
ついたらカンボジアについていた。
高橋さんは、その昔信州安曇村から流れ流れて道路工事にたずさわっていた、
その人が、わが塚谷の住人・作夫祖父に援助され、アメリカ行きがカンボジア
止まりになり、そこで白コショーを開発して「白コショーの高橋」という名を
広めた人が、美作の地に縁があったと思うと、愉快である。
さて、カンボジアは大きな政変があったが、次の世代が元気でコショーを栽培
していることを願う。
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(← :2016・2・16 「「白胡椒」と祖父のこと②」1287)

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