2019年8月16日金曜日

母方の祖父を想う          2565

今夕の「送り火」にあたって、母方の祖父(1971年没)のことを想い出した。
母が若くして結核療養生活に入ったため、僕に対する祖父の配慮は並たいてい
のことではなかった。

祖父はモダーンな行動的なひとで、戦前は自動車を買いこんでタクシー運転手
をやってみたり(伝聞)、戦後は遺族会会長や村会議員になってみたり、誰に
対しても面倒見がよく、在宅が少なかったように思う。
前にも、「白胡椒と祖父」として、松浦航空社長・松浦巌さんが雑誌の記事で
「岡山県奥津温泉近くで道路工事請負業をしていた桜井作夫(祖父)さんと、
カンボジア産・タカハシ白胡椒の縁」について、偶然の出合いを熱く語ってい
ることを、log'した。

この話には、点が線になるようなつながりがある。
その白いコショーを作り出した、「高橋さん」を思い出す。
松浦さんは、ラーメンにふりかけたコショーをなにげなく見ると白いコショ
ーにきづく。フランスでは、赤黒色か黒い色をしたコショーとは区別して、
「高橋コショー」と名付けているぐらい有名らしい。

この高橋さんに松浦さんが出合ったのは、彼が昭和20年2月にカンボジアの王
宮警備の任務を受けて間もないある日、基地の兵舎に「コショーを作っている
高橋三郎です」と、訪ねてきたとき。そのときの隊長は桜井中尉だった。
高橋さんのコショーづくりの苦労話はさておいて、その彼が道路工事人夫とし
て、先の岡山の地に流れ着き仕事をしているうちに、祖父・桜井作夫から「ア
メリカに勉強に行きたい」と言って、百二十円を工面してもらう。昭和10年の
春、神戸港からアメリカ船に乗って、途中、ホンコンの港に下りて、、、気が
ついたらカンボジアについていた。

高橋さんは、その昔信州安曇村から流れ流れて道路工事にたずさわっていた、
その人が、わが塚谷の住人・作夫祖父に援助され、アメリカ行きがカンボジア
止まりになり、そこで白コショーを開発して「白コショーの高橋」という名を
広めた人が、美作の地に縁があったと思うと、愉快である。
さて、カンボジアは大きな政変があったが、次の世代が元気でコショーを栽培
していることを願う。

(←ブログ:2016・2・14 「胡椒と祖父のことなど①」1285)
(←   :2016・2・16 「「白胡椒」と祖父のこと②」1287) 


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